現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

乗代雄介「旅する練習」

2022-05-28 15:27:56 | 参考文献

 三島由紀夫賞と坪田譲治賞をダブル受賞し、芥川賞の候補にもなった作品です。

 春休みに、利根川水系を我孫子から鹿島まで徒歩で旅するロードムービーのような趣のある作品です。

 小説家の主人公と姪のサッカー少女(サッカーの強豪の私立中に受かったばかりの小学六年生)の二人組に、就職の内定が決まった女子大生が偶然途中から加わります。

 「旅する練習」というよりは「練習する旅」といった方が適切かもしれない奇妙な旅です。

 主人公は、所々で立ち止まって、その場所の風景(水辺や水鳥が多い)を描写します(それが彼の趣味であり仕事でもあります)。

 その間、少女の方は、リフティングの練習をします。

 そこに、ジーコと鹿島アントラーズのファンになったばかりだという女子大生のエピソード(コロナのために内定辞退を促されます)が絡んできます。

 彼女との出会いもそうなのですが、いったん二人から離れて、再会するあたりは特に強引ですが、私自身もジーコと鹿島アントラーズのファンなので、それに関するエピソードはかなり楽しめました。

 それだけに、少女の死という衝撃的なラストは納得がいきませんでした。

 全体に、擬古的な文章だったり、古典的な文学者の引用を散りばめたり、運動能力の高い魅力的な少女が重要な役だったりなど、堀江敏幸の「いつか王子駅で」(その記事を参照してください)を思い起こさせますが、あちらはラストの読み味が良かったのになあと思わざるを得ません。

 

 

 

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グランド・ブタペスト・ホテル

2022-05-25 18:03:46 | 映画

 第64回ベルリン国際映画祭の審査員グランプリを受賞した作品です。
 アカデミー賞では、作品賞や監督賞にもノミネートされたものの、美術賞などの主要でない四部門を受賞したにとどまりました。
 戦前、戦中、戦後と、いくつかの時代におけるグランド・ブタペスト・ホテルを舞台に描かれ、それを象徴するように画面のアスペクト比を自在に変えているのがなかなかおしゃれです。
 ホテルのコンシェルジェとロビー・ボーイの交流を、ユーモア、ミステリー、アクション、ドラマといった映画の様々な要素をちりばめて、絢爛豪華な映像美で描いています。
 テーマパークのアトラクションのような映画が全盛の現代で、こんな粋で魅力的な映画に出会うとホッとする気分です。

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英国王のスピーチ

2022-05-25 18:02:15 | 映画

 1925年の大英帝国博覧会閉会式で、ヨーク公アルバート王子は妻のエリザベス妃に見守られ、父王ジョージ5世の代理として演説を行いました。
 しかし、吃音症のためにさんざんな結果に終わり、聴衆も明らかに王子の演説に落胆してしまいました。
 アルバート王子は「専門家」による治療を試すものの、結果は思わしくありませんでした。
 1934年に、エリザベス妃は言語聴覚士であるオーストラリア出身のライオネル・ローグを紹介され、アルバート王子は仮名を使って、その療法を受けるため、ローグのみすぼらしいオフィスを訪問しました。
 第一次世界大戦によって戦闘神経症に苦しむ元兵士たちを治療してきたローグは、当時、本流とはいえない療法をもって成功していましたが、アルバート王子に対しても、愛称(バーティーとライオネル)を使い合うことを承知させて、くだけた環境を作り出して療法を始めようと提案します。
 これに対してアルバート王子は反発して、治療法そのものに納得しません。
 ローグは最新の録音機を使い、王子に大音量の音楽が流れるヘッドホンをつけることで自身の声を聞けない状態にしてシェイクスピアの『ハムレット』の台詞を朗読させ、その声をレコードに録音させました。
 王子はひどい録音になったと思い込み、また治療の見込みがなさそうなことに腹を立てて帰ろうとします。
 それならと、ローグは録音したばかりのレコードを王子に持って帰らせます。
 ジョージ5世のクリスマスのためのラジオ中継が行われた後、国王は王太子デイヴィッド王子とアルバート王子の将来について心配していることを告げます。
 国王はデイヴィッド王子について次期国王として不適格だと考えているようであり、弟であるアルバート王子が王族の責務をこなせるようにならねばならないことを強調してきつく接します。
 帰邸後、落ち込んだアルバート王子は、いら立ちとともにローグから受け取ったレコードを聴きます。
 そこには、吃音の症候はまったくない『ハムレット』の台詞が録音されていました。
 王子はエリザベス妃ともども、自分の声を聞いて驚きます。
 そして、王子はローグの治療を受け続けることにして、口の筋肉をリラックスさせる練習や、呼吸の訓練、発音の練習などを繰り返し行います。
 1936年1月にジョージ5世が崩御し、デイヴィッド王子が「エドワード8世」として国王に即位しました。
 しかし、新しい国王はアメリカ人で離婚歴があり、まだ2番目の夫と婚姻関係にあるウォリス・シンプソン夫人と結婚することを望んでいたので、王室に大きな問題が起こるのは明白でした。
 このような状況下、アルバート王子は、吃音症の治療により一層真剣になり、またローグは問題の原因となっていると思われる、王子の幼少期の体験による心理的問題、肉体的問題による背景を知り、より適切な解決を図ろうと試みます。
 その年のクリスマス、ヨーク公夫妻はバルモラル城で行われたパーティで、国王とシンプソン夫人の下品な姿を目の当たりにします。
 見かねたアルバート王子が兄王に、離婚歴のある女性との結婚はできないことを指摘すると、王は吃音症治療は王位がほしいからなのかと責めて、兄弟の関係は険悪になります。
 さらに、アルバート王子が即位することを望むローグとの意見対立から、王子は治療を中断してローグの元から去ってしまいます。
 結局、エドワード8世は、即位して1年も満たぬうちに退位し、アルバート王子が国王として即位することを余儀なくされました。
 それまで、海軍軍人としてのみ公職を持っていたアルバート王子は、この負担に大きな苦しみを感じることとなります。
 しかし、ヨーロッパにおいては、ナチス党政権下のドイツやイタリアのファシズム、ソ連の共産主義が台頭して、一触即発の機運となっていました。
 英国は王家の継続性を保ち、国民の奮起をうながすため、立派な国王を必要としていました。
 英国王として即位したアルバート王子は、父親の跡を継ぐという意思表示をも含めて「ジョージ6世」を名乗ることになりました。
 しかし、新国王の吃音症は依然として深刻な問題でした。
 同年12月12日の王位継承評議会での宣誓は散々なものとなりました。
 ジョージ6世は再びローグを訪ね、指導を仰ぐことになりました。
 1937年5月、ジョージ6世は戴冠式でローグが近くに臨席することを望みましたが、カンタベリー大主教コスモ・ラングをはじめとする政府の要人は、ローグは満足な公の資格を持たない療法者にすぎないので、他の専門家による治療を受けるようにと要求し、ローグを国王から遠ざけようとしました。
 しかし、ジョージ6世は、それまでにローグとの間に築き合ってきた信頼関係を第一とし、また彼自身が吃音症を克服しつつあることを自覚して、ローグを手放すことをせず、彼の治療方法を信頼することにするのでした。
 戴冠式での宣誓はスムースに進行し、ジョージ6世はその様子をニュース映画で家族とともに観ます。
 さらに、そのニュース映画の一部として、アドルフ・ヒトラーが巧みな演説によってドイツ国民を魅了している姿に強い印象を受けます。
 チェンバレン首相の宥和政策は失敗し、1939年9月3日、イギリスはドイツのポーランド侵攻を受けてドイツに宣戦布告、第二次世界大戦が始まりました。
 そして同日、ジョージ6世は大英帝国全土に向けて国民を鼓舞する演説を、緊急にラジオの生放送で行うこととなります。
 この作品は2011年のアカデミー作品賞を受賞した映画です。
 この作品の評価については、ネット上でもいろいろなところに書かれているのでここでは割愛します。
 この作品を見て、私が考えたことはリアリティと娯楽性のバランスということです。
 この映画では、国王の吃音症や歴史上有名な人物たち(シンプソン夫人、エドワード8世、チャーチルなど)のキャラクターがかなり誇張して描かれています。
 また、ラストのスピーチが成功するかどうか、観客を十分にハラハラさせてからのハッピーエンドなど、いかにもハリウッド好みの娯楽性を強調した演出が随所に見られます。
 その一方で、家族愛や身分を超えた友情などの普遍的なテーマも、うまく盛り込まれています。
 厳密に言えば、これはリアリズムを追求した作品ではなく娯楽作品なのですが、史実と脚色の微妙なバランスで一級のエンターテインメントになっています。
 当時の風俗を再現した精緻なセット(CGも使われています)や衣装、重厚な俳優陣の演技も作品にリアリティをもたらしています。
 児童文学の世界でも、このような風俗や人物を緻密に書き込んだ骨太なエンターテインメント作品が、もっともっと書かれることが必要だと思います。

 

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森忠明「きみはサヨナラ族か」

2022-05-24 17:14:59 | 作品論

受験競争に明け暮れる学校に嫌気がさした主人公は、仮病を使って立川病院に入院し長期に学校を休むことになります。
病院で知り合った友だちの死や別れ、さらには長期欠席のための留年によるクラスの人たちとの別れなどを通して、「人生なんてサヨナラだけだ」と自覚しつつも、絵を描くことに自分のアイデンティティを見つけようと、主人公は決意します。
このあたりの芸術至上主義的な考え方は、森が師事していた寺山修司の影響がかなり感じられます。
あとがきでは、15年前(初版が1975年12月なので1960年ごろ)の自分の事を描いたと書かれていますが、この作品では出版されたころの年代にアレンジされているように感じられました。
それが、出版当時の高い評価と、多くの読者をつかむことに成功した一因になっているのではないでしょうか。
 他の森作品と同様に、異常ともいえるほどの子ども時代の鮮明な記憶(子どものころの記憶を持っているということは児童文学作家にとっては重要な資質で、特にエーリヒ・ケストナーの「わたしが子どもだったころ」や神沢利子の「いないいないばあや」(その記事を参照してください)が有名ですが、森はそれに匹敵するほどです)によって、ディテールがくっきりと描かれているのが、この作品でも大きな魅力になっています。
 ただ、現代の目で眺めてみると、小熊英二が「1968」(その記事を参照してください)で指摘していた、団塊の世代(森はその中心の年である1948年生まれ)の直面した「現代的不幸」を作品化した典型を見る思いがしました。
 彼らは、義務教育のころは戦後民主主義教育を受け、その後激烈な受験戦争に巻き込まれ、大学の大衆化に直面し、アイデンティティの喪失、生きていくリアリティの希薄化などの「現代的不幸」に直面した最初の世代でした。
 ここで「現代的不幸」とは、戦争、貧困、飢餓などの「近代的不幸」との対比で使われている用語です。
 彼ら団塊の世代の大半は、十代後半になってこの問題を自覚するようになって、全共闘世代となって学生運動に突入していきました。
 しかし、異常なまでに早熟だった森は、小学生時代にこの問題に直面していたのでしょう。
 また、この本が出版された1970年代には、小中学生でも森と同じ問題に直面するようになっていたので、少なからぬ読者に受け入れられたものと思われます(今回読んだ本は1983年11月で12刷です)。
 一方で、ネグレクト、世代間格差、少子化、虐待、貧困などのさらに新しい問題に直面している現代の子どもたちとは、すでに大きなギャップが生まれているのではないでしょうか。

追記
 作品論からは離れますが、森忠明とは一度だけ会って直接話を聞いたことがあります。
 彼の「へびいちごをめしあがれ」が出た後で、彼が「蘭」のおかあさんと共に立川を去る前ですから、おそらく1987年だったと思います。
 児童文学の同人誌の仲間たちと、「注目の書き手に会いに行こう」シリーズの第一弾として、立川まで彼に会いに行きました(実際にはこのシリーズは、第二弾として村中李衣に高田馬場で会っただけで打ち切りになってしまいましたが)。
 このシリーズの第一弾に森忠明を選んだのは、同人の一人に森の熱狂的なファンがいたためで、彼女は後に森の「グリーンアイズ」の編集を担当しました。
 待ち合わせをした喫茶店から、その後行った寿司屋(おごってもらったのがみんな一律に並寿司の盛り合わせだったのが、いかにも彼の世界っぽくていい思い出になっています)、名残惜しそうにわざわざ送ってくれた立川駅の改札口まで、間が空くのを恐れるように一人でしゃべり続けていたシャイな彼の姿が今でもはっきりと思い出されます。
 今振り返ってみると、「注目の書き手に会いに行こう」シリーズは大成功で、私は今まで会った中で、一番感受性の豊かな男性(森忠明)と一番聡明な女性(村中李衣)に出会えたことになりました。

きみはサヨナラ族か (現代・創作児童文学)
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リトル・ミス・サンシャイン

2022-05-23 15:39:50 | 映画

 2006年公開のアメリカ映画です。

 小学生低学年の娘が子供のミスコンテストに出場するために、崩壊寸前の家族六人(父親は啓発セミナーの本を売り込んでいるが見込みはなく破産寸前、父方の祖父はヘロインの使用で老人ホームを追い出されて同居している、母親の兄は同性愛の相手に失恋して自殺未遂を起こしたばかり。兄は引きこもりで家族とも口をきかないで筆談している。母親だけはヘビースモーカーで家事を手抜きしている以外は大きな問題はない)が、ニューメキシコ州からカリフォルニア州までの800マイルをおんぼろバスで旅行する(お金がないのと自殺未遂者を家に残しておけないため)ロードムービーです。

 いろいろな困難(おんぼろバスが故障して、押してスピードが出てからでないとクラッチが入らなくなる。祖父がヘロインのために急死する。パイロット志望の兄が色覚障害だったことが判明する。母の兄が失恋相手にばったり出くわす。肝心のコンテストに遅刻する)を乗り越えて、コンテストの特技コーナーで場違いなストリップ的なダンス(亡くなった祖父が振り付けた)をし始めた娘を、止めさせようとする主催者たちからみんなで守って、一緒に踊るシーンは感動的です。

 アカデミー賞では、惜しくも作品賞は逃しましたが、脚本賞と助演男優賞(祖父役)を受賞しました。

 

 

 

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高田由紀子「ハッピー・クローバー」

2022-05-22 06:34:39 | 作品論

 近所に越してきた同じクラスの女の子とそのダウン症のお姉ちゃん(六年生で同じ学校の支援学級に通っています)と友達になる、小学四年生の女の子が主人公の物語です。

 最初は同じクラスになった女の子と友達になりたかっただけなのですが、次第にそのお姉ちゃんとも仲良くなっていきます。

 その過程で、初めは全然知らなかった、ダウン症についても理解(病気のことだけでなく、時には差別されることがあることも含めて)を深めていきます。

 といっても、過剰に深刻にならずに、明るいタッチで描けています。

 書きにくいことも、あえてはっきりと書く力強さのようなものも感じました。

 また、障害のことだけでなく、誰しもがいろいろな問題(親から勉強を強要されている男の子が登場します)やコンプレックス(主人公は背が高いのがコンプレックスで、母親にボーイッシュなヘアスタイルにしたいと言えない悩みも抱えています。主人公と仲良しの男の子は逆に背が低いことが悩みです)を抱えていることも描いているのが、特に優れている点です。

 そのため、一人一人が違っていていいんだという、多様性を認め合うラストが、中学年の読者にもしっくりと読み取れます。

 パン作りやクッキー作りなどの女の子が中心の場面も出てきますが、その一方でサッカーのリフティングのシーンなどで男の子たちも出てきてバランスが取れています。

 

 

 

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ドライビングMissデイジー

2022-05-21 18:16:41 | 映画

 1989年公開のアメリカ映画です。

 ユダヤ系の老婦人とその黒人のお抱え運転手(息子が金持ちで、運転が怪しくなった母を心配して彼を雇いました)の25年(1948年から1973年まで)に及ぶ交流を描いています。

 最後の方では、老婦人は老人ホームに入り、運転手も自分では車を運転できなくなるほど年取っています。

 それでも、息子は彼に給料を払い続け(彼が母親にとってかけがえのない存在だと知っているのです)、二人して母を見舞ったりしています。

 アカデミー賞の作品賞、主演女優賞(ジェシカ・タンディが八十歳の最高齢で受賞しています)、脚色賞、メーキャップ賞を受賞しています。

 この映画は、二人の名俳優(タンディと運転手役のモーガン・フリーマン)の圧巻の演技で成り立っているといっても過言ではありません。

 また、息子役のダン・エイクロイドもいい味を出しています。

 作品の背景には、アメリカ南部における黒人差別(マーチン・ルーサー・キング牧師の演説も出てきます)やユダヤ人差別の問題もあり、庶民におけるアメリカ現代史的な趣もあります。

 

 

 

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那須正幹「六年目のクラス会」六年目のクラス会所収

2022-05-19 13:29:28 | 作品論

 1984年11月初版の、作者がそれまでに同人誌に発表した短編を集めた作品集の表題作です。
 本にしたのははズッコケシリーズと同じ出版社なので、バーター的に出された本なのかもしれません。
 小学校を卒業した春に、めぐみ幼稚園ふじ組の卒業生たちがクラス会で六年ぶりに集まります。
 担任だった国松先生も出席して、みんなで幼稚園時代の話をしているうちに、彼らは、ノリくんこと、鈴木則夫のことを思い出します。
 クラスのみんなが、陰気でおもらしの常習犯の則夫を、真冬に裸にして水をかけたことがだんだんに明らかになっていきます。
 則夫は、次の日から幼稚園に来なくなり、やがて死んだのです。
「則夫くんは、<中略>心臓に病気があったの。あなたたちが、そんないたずらをしたの、ちっとも知らなかったけれど、それとこれは関係ないと思うわ。」
と、先生はいいます。
 しかし、実態はクラスの女王様の川口ひとみが、みんなに命令して起こったいじめだったのでした。
 そのひとみが、平然と先生に言い返します。
「でも、則夫くんのことを、きらっていたのは、わたしだけじゃないわ。先生、先生も則夫くんのこと、いやだったんでしょ」
「先生だって、あの朝、わたしたちが則夫くんをはだかにして水をかけたの、知ってましたよねえ。教室の窓から、ずっと見てらっしゃったの、わたし知ってたんです。<中略>もし、あのことで則夫くんが死んだんなら、先生。先生も、わたしたちとおなじですよね。」
 ひとみはそう言うと、白い八重歯を見せて笑いました。
 実はこのクラス会は、則夫の霊が、みんなに事件のことを思い出させようとして開かせたものだということが最後にわかります。
 そして、六年ごとにクラス会を開かせて、いつまでもみんなに事件のことを忘れさせないという則夫の怨念を暗示して物語は終わります。
 児童文学研究者の宮川健郎は、「「児童文学」という概念消滅保険の売り出しについて」(「現代児童文学の語るもの」所収)において、この作品について以下のように述べています。
「子どもは無垢で、大人はけがれている。子どもが成長するにしたがって、悪意もまた成長する。――私たちは、そう考えていたのではなかったか。そうした成長のイメージは、ここでは、逆転させられてしまう。クラス会にあつまった子どもたちの会話によって進行する「六年目のクラス会」で、だんだん浮びあがってくるのは、幼稚園児たちのなかにあった、どすぐらいまでの悪意だ。川口ひとみの悪意は、先生がかかえていた悪意をあばき出す。則夫へのいじめを思い出して、斎藤さんは泣き出し、岸本くんは青い顔をする。六年後の子どもたちは、むしろ、幼児のころの悪意をうすめているように見える。」
 そして、宮川は、この作品を「反=成長物語」と規定しています。
 しかし、この論には大きな疑問があります。
 子どもたちがいつも無垢な存在でなく、時として残酷な存在になるということはうなずけますが、これもけっして新しい発見ではありません。
 詩人で小説家で児童文学作家のエーリヒ・ケストナーは、1920年代に出版した「感情の行商」という詩集の中に「卑劣の発生」という詩を残しています。
「これだけは、どんな時どんな日にも心にとまる――
 子供はかわいく素直で善良だ
 だが大人はまったく我慢できない
 時としてこれが僕らすべての意気を沮喪させる

 悪いみにくい老人どもも
 子供のときには立派であった
 すぐれた愛すべき今日の子供も
 後にはちっぽけに、そして大きくなるのだろう

 どうしてそんなことがありうるのか それはどういう意味なのか
 子供もやっぱり、蠅の羽を
 むしるときだけが本物なのか
 子供もやっぱり既に不良なのか

 すべての性格は二で割りうる
 善と悪とが同居しているからだ
 だが悪は医やしえず
 善は子供のときに死んでしまう」
 ケストナーは、以上のように子どもの中にも悪が存在することを認識していて、1930年ごろに書いた児童文学としての代表作の「エーミールの探偵たち」にも、「飛ぶ教室」にも、「点子ちゃんとアントン」にも、「卑劣な子どもたち」を登場させています。
 そして、引用した宮川の文の最後の「幼児のころの悪意をうすめているように見える」には、まったく賛成できません。
 則夫くんへのいじめは、川口ひとみ以外は悪意というよりは、ケストナーも指摘している「子どもの残酷性」を示しているにすぎません。
 この作品の悪意の核はクラスの女王様の川口ひとみにあるので、引用文にあるように彼女の悪意は六年後にますます「成長」していて、平然と大人である先生の悪意をあばいて自分の行為を正当化しています。
 つまりこの作品は、宮川の言うような「反=成長物語」ではなく、むしろ現代児童文学ではオーソドックスな「成長物語」だと思われます。
 ただし、この場合は、「善」ではなく、「悪」が成長したわけですが。
 しかし、作者にとっては、この作品が「反=成長物語」と読まれようが、「成長物語」と読まれようが、まったく関係ないでしょう。
 おそらく作者は、この作品をその後児童文学の世界ではやった「怪談物」あるいは「ホラー物」のはしりとして書いたのでしょう。
 発達心理学の観点からみると、幼稚園児の認識や記憶力という点ではかなり設定に無理があると思われますが、後のエンターテインメント作品の名手としての才気は十分にうかがえます。

六年目のクラス会―那須正幹作品集 (創作こども文学 (1))
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長谷川潮「「戦争児童文学」の枠組と伝達性の問題」

2022-05-17 17:16:27 | 参考情報

 2017年9月30日に行われた、日本児童文学学会東京例会における講演会です。
 80歳になられた戦争児童文学研究の第一人者の長谷川先生が、今までの研究活動を振り返られる形で、以下のような項目で初学者にもわかるような形で講演されました。

1.「アジア太平洋戦争」の歴史的位置づけ
 「戦争」といっても、「十五年戦争」、「太平洋戦争」、「第二次世界大戦」など、使う用語によって戦争が行われた時期や地域が変わってきます。
 現在では、「アジア太平洋戦争」と言う用語が定着されていますが、戦争児童文学の作品の中ではさまざまな用語がそのまま使われているので、注意が必要です。

2.児童文学全般の中での「戦争児童文学」の位置
 児童文学作品の一部を示す下位概念の一つですが、ファンタジーのような様式による下位概念ではなく、「戦争にかかわる何らかの素材を対象としたり、観念としての戦争を扱ったりしたもの」で、こうした概念は日本以外の国には存在しません(もちろん、戦争を扱った児童文学作品自体はたくさんあります)。

3.「戦争児童文学」という概念の生成と展開
 「戦争児童文学」という概念は、1960年代に反戦平和教育の一環として、教育界の方で生み出されたもので、それに呼応する形でその後も多くの児童文学作品が創作されました。
 長谷川先生は、この「反戦平和児童文学」とでも呼ぶべき「戦争児童文学」を、アジア太平洋戦争以外の戦争を取り扱った作品や、戦前戦時中の好戦的な作品も含めて適用範囲を拡大すべきと主張されています(関連する記事を参照してください)。

4.戦後における「戦争児童文学」の展開過程の諸問題
 GHQの検閲の問題、執筆者や読者の特性による伝達性の問題、「かわいそうなぞう」問題(その記事を参照してください)などについてのお話がありました。

 講演の詳しい内容については、関連する記事と重複しますので、そちらを参照してください。

 以上の内容について、1時間20分にわたって講演され、貴重な資料(戦時中の雑誌など)も回覧してくださいました。
 耳がご不自由とのことで、直接の質疑応答ができなかったのは残念だったのですが、質問票を通して参加者の質問に30分も答えてくださいました(いつもの例会と違って、むしろたくさんの質問が出ていました)。
 内容は初学者向け中心でしたので、私にとっては新しい情報はあまりなかったのですが、以下のような研究者としてあるべき姿を提示していただき、深い感銘を受けました。
 まず、講演の中で紹介された谷瑛子「占領下の児童出版物とGHQの検閲」(2016年)において、先生ご自身の認識ミスが二つ明らかになったことを包み隠さず話され、こうした後発の研究で新しい発見があれば、研究者は今までの自説に固執しないで修正すべきであることを教えてくださいました(心情的にはなかなか難しいことなのですが)。
 さらに、この講演を五月ぐらいに依頼されてからの四か月間は、他の仕事はしないでこの準備にあてて、ご自分でも編集に参加された「「戦争と平和」子ども文学館(全二十巻、別巻1)」を全部読み直されたそうです。
 いつもイージーな文章を書き飛ばしているわが身としては、襟を正す思いがしました。

戦争児童文学は真実をつたえてきたか―長谷川潮・評論集 (教科書に書かれなかった戦争)
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梨の木舎

 

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ミラノの奇跡

2022-05-16 14:26:20 | 映画

 1951年公開のイタリア映画です。

 第4回カンヌ映画祭でパルムドールを受賞しています。

 ウ゛ィットリオ・デ・シーカ監督らしい、庶民への愛情があふれたファンタジックな映画です。

 赤ちゃんの時に、おばあさん(トトはママと呼んでいます)に拾われて愛情豊かに育てられた捨て子のトトが主役です。

 ママが死んでからは、孤児院で育てられました。

 お話は、トトが大きくなって、孤児院を出るときから動き出します。

 トトは、これ以上ないほどのお人よしで、常にポジティブです。

 そのため、いつのまにか、私有地に掘っ立て小屋を建てて住み着いている貧乏人たちのリーダーになっています。

 その私有地から石油が出たことから、持ち主の大金持ちに退去を迫られます。

 立ち退きを迫る大金持ちの私兵たちとのユーモラスな攻防戦が始まります。

 その過程で、トトは天国から抜け出してきたママからなんでも願いの叶う白い鳩を授かります。

 それからは、トトが起こす奇跡の大安売りで大混乱が起こります。

 貧乏人たちの願いは、たいていは毛皮とかドレスとか家具(小さな掘っ立て小屋には入らないのがおかしいです)やお金などの他愛のないものですが、中には身につまされるものもあります。

 黒人の男性は好きな白人女性のために白くなることを希望しますが、彼女が逆に黒くなることを希望したために、思いはすれ違ってしまいます(当時は黒人と白人の男女が結ばれることは難しかったのでしょう。この映画より後ですが、シドニー・ポアチエ主演の「招かれざる客」を思い出します)。

 孤独な自殺願望のある青年は、広場にある天使像に生命を吹き込むことを希望しますが、生まれた美少女は奔放で彼の手には余ります。

 そうしたドタバタ騒ぎを、トトとエドウ゛ィジェという少女との可愛らしい恋愛も交えて、デ・シーカはユーモアと庶民への愛情を込めて描いています。

 ラストでは、トトとエドウ゛ィジェを先頭にして、みんながほうきにまたがって、「幸せの国」に飛び去っていく姿が痛快です(「E.T.」(その記事を参照してください)を思い出させます)。

 こうしたある意味無責任な終わり方は、「卒業」(ダスティン・ホフマンとキャサリン・ロスが、花嫁姿のままでで教会から逃げてしまいます)、「小さな恋のメロディ」(マーク・レスターとトレイシー・ハイドが、トロッコに乗って逃げてしまいます。その記事を参照してください)などと共通していて、先のことを考えなければ、最高にスカッとします。

 今回、久しぶりにこの映画を見直してみて、「ああこういう作品を書きたかったんだ」と、改めて思い起こせました(今からでも遅くないか)。

 

 

 

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モスラ対ゴジラ

2022-05-15 18:32:47 | 映画

 1964年の日本の特撮映画です。

 ゴジラシリーズとしては四本目、モスラシリーズとしては二本目にあたります。

 お話自体は、悪の怪獣ゴジラに襲われた日本を、インファント島に住む正義の怪獣モスラに頼んでゴジラを倒してもらって、守るという他愛のないものです。

 このころのゴジラは悪者で、それを正義の怪獣が倒すという図式は、前作のキングゴジラ対ゴジラで確立された図式で、その後の怪獣映画ではこのパターンが多いです。

 その後、ゴジラの人気が高まったので正義側にまわり、代わってスケールアップした悪の怪獣としてキングギドラが創作されました。

 登場する放射能などの科学知識も、今から考えるとかなりひどいものです。

 それでも、精巧なミニチュアと、スーツアクターと、夥しい人数のエキストラを使った特撮シーンは迫力十分で、安易なCGに慣れた今の目で見ると手作り感が満載で、今でも十分に少年たちの心をくすぐるものがあります。

 こうした特撮シーンを見たり、小美人を演じるザ・ピーナッツの完璧すぎるハーモニーのモスラの歌を聴くだけでも、この映画は一見の価値があります。

 

 

 

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石井直人「「タブーの崩壊」とヤングアダルト文学」日本児童文学の流れ所収

2022-05-12 11:48:49 | 参考文献

 平成17年度国際子ども図書館児童文学連続講座講義録に収められています。
 『日本児童文学』1978年5月号の特集は「タブーの崩壊―性・自殺・家出・離婚」で、子どもの文学でも「人間の陰の部分の物語化」がなされるようになったことを反映したものです。
 著者の講義は、この特集を出発点にして、その後の「癒しの文学」や新しいタイプのヤングアダルト文学へと続く流れを追います。
 その中で、初期の今江祥智や岩瀬成子から、その後の森絵都や石田衣良といった作家たちの意味について考えていきます。
 『日本児童文学』のこの特集は、ウルズラ・ヴェルフェル『灰色の畑と緑の畑』(野村訳 岩波書店 1974、その記事を参照してください)などの翻訳や今江祥智『優しさごっこ』(理論社 1977)などの創作に触発されたものでした。
 その背景として考えられる要因としては、実際に離婚の増加などが社会問題化していた現実の反映、児童文学観が「 童話精神から小説精神へ」(早大童話会の少年文学宣言より)といったふうに「童話から文学へ」変化していった流れ、子ども観が「 保護の時代から準備の時代へ」(マリー・ウィン)のように同時代人として社会のメンバーとみなすように変化、アイデンティティという主題(どのようにして大人になればよいのか?)などによるものとしています。
 サブテーマの「性・自殺・家出・離婚」は、子どもの三重の不自由〔この生、この親、この性、この身体〕(芹沢俊介『現代〈子ども〉暴力論』(大和書房 1989))と対応していると指摘しています。
 「タブーの崩壊」以後の児童文学は、「リアリズムの深化」(神宮輝夫)によって、題材、結末、方法のいずれの面においても、いっそう「小説」に接近していったとしています。
 たとえば岩瀬成子の『あたしをさがして』(理論社 1987)や『迷い鳥とぶ』(理論社 1994)などは、『子どもと文学』(石井桃子ほか著 中央公論社 1960)の「子どもの文学はおもしろく、はっきりわかりやすく」から遠く離れていったと指摘しています。
 しかし、このあたりは、80年代から90年代の児童書の出版バブルによって多様な作品の出版が許容されていた背景に触れないと全体像が見えないでしょう。
 江國香織の短編集『つめたいよるに』(理論社 1989)や湯本香樹実の『夏の庭-The Friends』(福武書店 1992)などの新しい作家が誕生しますが、児童文学と一般文学は、違わなくなってしまうのではないか?と問いかけています。
 このあたりも、「児童文学」の読者層が大人の女性にも広がったことが大きな要因と思われますがそういった指摘がないので、著者の論究は物足りません。
「児童文学は、大石真の『ミス3年2組のたんじょう会』(偕成社 1974)のタイトルに示されたような小学校の中学年から、絵本とYA 文学に中心がわかれ、とくに13~19歳の部分では様々な物語のジャンルが混在している状態になった。」としていますが、この著者の意見には異論があります。
 まず、1974年以前にも児童文学には小学校高学年や中学生向けの作品は多様にありましたし、幼年文学も非常に多くの点数が発行されているので、単純に児童文学は小学校中学年用だったとは言えないと思います。
 むしろ、そういった作品が、1990年後半からエンターテインメント作品を除いては出版されなくなった状況について考察しなければいけないのではないしょうか。
 また、絵本とYAの二極化というのもおおざっぱすぎると思います。
 小学校三年生ぐらいまでを対象とした「幼年文学」は依然として健在ですし、小学校高学年の女子を対象にしたエンターテインメント作品の出版も活発です。
 唯一、前より本を読まなくなったのは小学校高学年以降の男子ですが、彼らについては、ゲームやマンガやアニメなどの別メディアやそれらと親和性の高いライトノベルについて言及しなければならないと思います。
 また、著者は読書のモデルの変化として、従来は読者の成長に伴って児童文学から一般文学へ移っていきその移行期としてYA 文学があったが、現在は読者の趣味によりいろいろなタイプの文学が混在し、いろいろなメディアとの接触により物語の読み取りも変わってきているとしています。
 そして、「物語」の受容はどんなメディアからでもいいとしていますが、このあたりの著者の論法はかなり乱暴で、マルチメディアにおける「児童文学」の立ち位置についてあいまいにしか述べられていません。
 続いて、ひところはやった癒しの文学について述べています。
「児童文学には定番化されたパターンがある。傷ついた子どもが田舎の祖父母の家に行き、自然の中で癒されて、生きる希望を取り戻す…などは、それの最たるものだろう。」という斎藤美奈子「コドモの読書の過去と現在」(『文學界』2005年11月号)を引用して、「タブーの崩壊」以後1990年代になると、「性・自殺・家出・離婚」のような題材が切実なモチーフというよりも設定のパターン(お約束)に変化してしまったと指摘しています。
「 しかし、吉本ばなな『キッチン』(福武書店 1988)、江國香織「デューク」(『つめたいよるに』理論社 1989、その記事を参照してください)、梨木香歩『西の魔女が死んだ』(楡出版 1994、その記事を参照してください)など、冒頭に大切な人(犬)が死んでしまい、主人公が喪失から癒されるまでのプロセスをえがく「癒しのストーリー」という点が共通。いずれも、ベストセラー・ロングセラーとなった。」
と、肯定的に捉えているように思える書き方をしています。
 その一方で、いろいろな「癒しの絵本」(『いつでも会える』『たれぱんだ』など)には、読者の感覚として「傷ついた私」という自己像があるのか?と否定的に述べています。
 しかし、一連の「癒しの文学」はYA文学というよりは、もっと広範な年代の女性の嗜好にマッチしたL文学(女性作家による女性が主人公の女性読者のための文学)という観点で見ないと実相は捉えられないのではないでしょうか。
 以下の「人生論としての小説」「感情管理」「幸福の約束」などのYA文学に対する意見は、本人も「直観的」と述べているように根拠に乏しいので、割愛させていただきます。
 全体として著者自身の「現代児童文学の条件(その記事を参照してください)」の関連する部分を下敷きにしていますが、初学者向けの講座の講義録なのでわかりやすさや聴衆の興味を重視していて、いつもの著者らしい先行論文や心理学などを応用した深い考察はあまり見られず物足りない印象がありました。

現代児童文学の可能性 (研究 日本の児童文学)
クリエーター情報なし
東京書籍
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青春デンデケデケデケ

2022-05-11 16:38:53 | 映画

 1991年に直木賞を受賞した芦原すなおの青春小説(その記事を参照してください。現在でしたら、児童文学のヤングアダルト物にジャンル分けされるでしょう)を、大林宣彦が監督した1992年の映画です。
 1965年の3月の高校入学前の春休みから、1968年2月の大学受験のために上京するまでの、丸々3年間の高校生活を、エレキバンド(リードギター、サイドギター、ベース、ドラムという非常にオーソドックスな構成です)結成から文化祭での演奏会までを、きっちりと描いています(メンバーを集めて、バイトで楽器を買い、練習場を確保し、合宿へも出かけます)。
 原作もそうですが、登場人物は、主人公を中心とした4人のバンドメンバーを初めとして、技術サポートしてくれるエンジニア志望の友だちや応援してくれる女の子たちなどの高校生たち、メンバーの家族や先生などの彼らを支えてくれる大人たちまで、かなり風変わりな人もいますが基本的にはみんないい人たちで、一種のユートピア小説の趣があります。
 日本が高度成長時代で、まだ現在よりも未来の方が良くなると信じられたころなので、こうした青春時代は一種の通過儀礼のようなもので、多くの人たちの共通の想い出ととして残っています。
 私は、主人公たちよりも5年遅い1970年から1973年が高校時代なので、すでにエレキブームは去っていましたが、こういった雰囲気が日本中の至る所にあったことは、実体験として理解できます。
 映画化にあたって、原作者の望みどおりに、こうした地方都市を舞台にした青春映画(故郷の瀬戸内海を舞台にしたいわゆる尾道三部作(「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」)など)を得意にしていた大林宣彦が監督をしたので、原作の舞台である香川県観音寺市に長期ロケをして、地元の言葉や風物を生かした作品になっています。
 出演している男の子たちや女の子たちも、みんな当時の地方都市の普通の高校生のような子ばかり(新人が多かったようです)で、その後主役級の俳優になったのは白井清一役の浅野忠信ぐらいでしょう。
 一方で、大人の出演者は大林作品の常連の役達者がそろっていて、つたない(それが魅力なのですが)高校生たちの演技をしっかりサポートして、作品の完成度を高めています。
 原作の発表された1991年や映画化された1992年はバブル崩壊の真っ只中なのですが、人々の心の中にはまだまだ高度成長時代とそれに続く安定成長時代の雰囲気が続いており、そういった意味では、舞台になった1960年代の高度成長期とかろうじて地続きにあったので、私も含めて当時の読者や観客には受け入れやすかったのかもしれません。
 特に、地方都市である観音寺市は、バブルの影響も少なく、撮影当時も1960年代の雰囲気を多く残していたそうなので、その風景も魅力の一つだったと思います。

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那須正幹「ねんどの神さま」

2022-05-10 13:12:29 | 作品論

 1992年12月に初版が出た、黒を基調とした武田美穂の絵が重厚な雰囲気を出している物語絵本です。
「太平洋戦争がおわって、ちょうど一年がすぎた九月のことだった。」
 物語が始まる前に、1946年という時代設定が明示されています。
 主人公の健一は、村の学校で、戦争を起こす人間をこらしめるねんど細工の神さまを作ります。
 健一の父親は、五年前に中国で戦死していました。
 母親や兄弟は、昨年の春に空襲でみんな死んでしまい、この村のおばあさんのもとに疎開していた健一だけが生き残っています。
 校長先生は「この作品は、子どもの戦争にたいするすなおなにくしみが表現されておる。」といたく気に入り、ねんどの神さまを校長室の棚に飾ります。
 健一は、翌年、都会に住むおじさんに引き取られて引っ越してしまい、その後学校も廃校になって、ねんどの神さまも倉庫で長い間眠っていました。
 それから四十年以上の時間がたち、このねんどの神さまが、突然、身長百メートルを超えるような巨大な怪物になります。
 そして、廃校のある山村から東京を目指します。
 首都の破壊を恐れた人間によって、自衛隊に攻撃されますが、怪物はびくともしません。
 最後には、周辺住民の犠牲も承知の上で、化学兵器や核兵器までが使われますが、怪物は平気で東京へ向かいます。
 やがて、東京にたどり着いた怪物は、ビルの一室に目指す男を発見します。
 その男は、今は兵器会社の社長になっていた健一でした。
 殺されることを覚悟していた男に、怪物はこう言います。
「ぼくは、ケンちゃんのつくった神さまなんだよ。ぼくにケンちゃんを殺せるわけないじゃないか。ぼくはね、ケンちゃんにおしえてもらいたくって、やってきたんだよ。ねえ、ケンちゃん。もう、ぼくは、いなくなったほうがいいのかなあ。ケンちゃんは、むかしみたいに、戦争がきらいじゃないみたいだからね。」
 それに対して、男はこう答えます。
「わたしは、子どものころとかわりないよ。戦争をにくむ気もちは、いまだにもっている。ただね、戦争というやつは、にくんでいるだけじゃあなくならない。かえって強力な兵器で武装していたほうが、よその国から戦争をしかけられることもない。つまり平和をたもつことができるのさ。わたしの事業は、平和のための事業なんだよ」
 ラストシーンで、男は怪物に土下座をして頼み込み、小さなねんど細工に戻った神さまを破壊します。
「これで、いい。この数十年、心のすみにひっかかっていたトゲのようなものが、きれいになくなってしまった。
 あとは、もう、自分の思うように事業をすすめることができる。
 男は、晴ればれとした気もちで、ゆっくりと自分の会社のなかへもどっていった。」
 このあらすじを読んで、何かしっくりとこない思いをした方もいらっしゃることと思います。
 作者の技術が未熟で、完成度の低い作品を作ってしまったのでしょうか?
 私はそう思いません。
 ご存知のように、「ズッコケ三人組」シリーズで有名な那須正幹は、エンターテインメントからシリアスな作品まで自在に書き分ける、児童文学作家でもプロ中のプロです。
 そんなへまはしません。
 作者は、この作品において、従来の現代児童文学の作品にはないいくつもの実験をしています。
 一つ目は、子ども読者および子どもの登場人物の不在です。
 物語絵本にもかかわらず、作者はこの作品で用語(漢字にはルビはふってありますが)、表現、内容のすべてにおいて、かなりグレードを高く設定しています。
 子ども読者は、読んだその時には理解できなくても構わないと、割り切って作品を書いています。 
 また、冒頭の部分で健一がねんどの神さまを作るシーンでは教室での子どもたちが描かれていますが、その後はいっさい子どもは登場しません。
 次に、ストーリーの飛躍があります。
 ねんどの神さまが突然怪物に変身したことについては、理由も合理的な説明もいっさいありません。
 また、戦争を憎んでいた健一が、兵器会社の社長になった過程も全く書かれていません。
 児童文学研究者の石井直人は、「現代児童文学の条件(研究 日本の児童文学4 現代児童文学の可能性所収)」(その記事を参照してください)の中で、以下のように述べています。
「一見、完成度に問題がありそうである。どうして、ねんどの神さまをつくった男の子は兵器会社の社長になったのだろうか。説明がない。中間のプロセスが省略されてしまっている。が、これは、欠点ではない。むしろ、読者に想像力を働かせよと呼びかける空所の一種なのだ。「空所が結合を保留し、読者の想像活動を刺激する」のである。昔、どんな神様かと聞かれて、「戦争をおこしたり、戦争で金もうけするような、わるいやつをやっつけます」と答えた男の言葉。今、巨大化したねんどの神さまにむかって、「わたしの事業は、平和のための事業なんだよ」と答える男の言葉。読者は、二つの言葉を口にした人間が同一人物だといわれて、両者をつなげようとする。と、とたんになにかがぐにゃりとゆがむ。それは、五十年間の戦後史という「大きな物語」かもしれない。「ダブルスタンダード」で生活している私自身のアイデンティティかもしれない。」
 ここで五十年間の戦後史という「大きな物語」を感じるのも、「ダブルスタンダード(注:戦争反対とか世界平和を唱えながら、自衛隊や在留米軍の軍事的庇護のもとにいることを指しているのでしょう)」で生活しているのも、「子どもたち」ではなく那須や石井(もちろん私自身も)も含めた「大人たち」なのです。
 そして、ラストシーンでの反語表現が、おそらくこの作品の最大の実験だと思われます。
 この部分については、石井は前掲の論文で次のように言っています。
「おそらく、読者は、とまどうだろう。たしかに作者は、晴ればれしたといっている。けれども、ほんとうに作者は、晴ればれしたといいたいのだろうか、と。ところが、このくだりを文字通りの意味にとればいいのか逆の意味にとればいいのかは、決定することができない。なぜなら、反語という方法は、「意味の反転を発生させることば」だからである。正の意味と逆の意味とがおたがいの「残像効果」によって打ち消しあい、読者は、二つの意味の間の往復運動をやめることができないのである。」
 こうして、この作品は、普通の書き方で書かれたいわゆる「戦争児童文学」よりも、読後に「よくわからないけど何かわりきれないもの」を読者に残すことに成功しています。
 那須はこの作品が書かれる前の1989年に、児童文学研究者で翻訳家の神宮輝夫との対談(現代児童文学作家対談5所収)で、戦争児童文学について以下のように述べています。
「いままでの戦争児童文学というのは、つねに自分たちの体験を伝えているわけです。それは大人の世界のことであって、いまの子どもたちからみれば、四十年まえにあった戦争なわけです。作品に描かれる世界は悲惨ですから、読者は読むときには泣きますよ。ところが、読んだあと、ああ私たちは戦争のなかった日本に生まれてよかったなで終わってしまう。ぼくは戦争を伝える文学として、それじゃ少しおかしいんじゃないかと思います。いまの子どもが、ひょっとしたらいまの日本だっていつ戦争になるかわからないんだという、一種の認識というか、核のボタンがいつ押されるかわからないんだということを認識するような作品を書かなくちゃならないんじゃないかという思いがあるわけです。」
 この作品は、この発言に対する那須の作家としての回答だったのかもしれません。
 しかしながら、こういった実験的な作品の出版が許されるのは、那須が「ズッコケ三人組」という超ベストセラーシリーズの作者で、出版社(この本は「ズッコケ三人組」シリーズと同じ出版社からでています)に対して無理が言える立場にいたということも、指摘しておきたいと思います。
 この本が出版されてから、さらに二十年がたった戦後七十年の節目の年に、自民党や公明党などにより、安保法案が成立しました。
 那須の時代に対する先見性は、ますます評価されるべきでしょう。


ねんどの神さま (えほんはともだち (27))
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E.L.カニグズバーグ「アウトサイダーの文学」子どもの館29所収

2022-05-09 12:32:42 | 参考文献

 カニグズバーグが来日した時のインタビューをもとに編集した記事です。
 化学者としての経歴や、母、妻、作家をこなす話などが含まれていますが、一番印象に残ったのは、彼女のアウトサイダー(ユダヤ教徒としてアメリカ社会(宗教的にはクリスチャンが圧倒的に多数派です。彼女の認識としては、人種ではなく宗教としての少数派です)としての自覚と、アウトサイダーなるがゆえに文化に貢献できる(インサイダーの人間は文化に融合していて客観視ができない)という自負です。
 それが、現代のアメリカ社会、特に子どもたちを取り巻く状況について客観的に眺めることができ、クローディアのような、時代の典型としての子どもたち(ユダヤ人も白人も黒人も)を描き出すことが出来たのでしょう。
 そうした意味では、日本の児童文学でも、もっと日本に住む少数派の人々(国籍が日本かどうかは別にして)の視点で書かれた作品が必要なのかもしれません。

トーク・トーク カニグズバーグ講演集 (カニグズバーグ作品集 別巻)
クリエーター情報なし
岩波書店
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