現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

乗代雄介「旅する練習」

2022-05-28 15:27:56 | 参考文献

 三島由紀夫賞と坪田譲治賞をダブル受賞し、芥川賞の候補にもなった作品です。

 春休みに、利根川水系を我孫子から鹿島まで徒歩で旅するロードムービーのような趣のある作品です。

 小説家の主人公と姪のサッカー少女(サッカーの強豪の私立中に受かったばかりの小学六年生)の二人組に、就職の内定が決まった女子大生が偶然途中から加わります。

 「旅する練習」というよりは「練習する旅」といった方が適切かもしれない奇妙な旅です。

 主人公は、所々で立ち止まって、その場所の風景(水辺や水鳥が多い)を描写します(それが彼の趣味であり仕事でもあります)。

 その間、少女の方は、リフティングの練習をします。

 そこに、ジーコと鹿島アントラーズのファンになったばかりだという女子大生のエピソード(コロナのために内定辞退を促されます)が絡んできます。

 彼女との出会いもそうなのですが、いったん二人から離れて、再会するあたりは特に強引ですが、私自身もジーコと鹿島アントラーズのファンなので、それに関するエピソードはかなり楽しめました。

 それだけに、少女の死という衝撃的なラストは納得がいきませんでした。

 全体に、擬古的な文章だったり、古典的な文学者の引用を散りばめたり、運動能力の高い魅力的な少女が重要な役だったりなど、堀江敏幸の「いつか王子駅で」(その記事を参照してください)を思い起こさせますが、あちらはラストの読み味が良かったのになあと思わざるを得ません。

 

 

 

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グランド・ブタペスト・ホテル

2022-05-25 18:03:46 | 映画

 第64回ベルリン国際映画祭の審査員グランプリを受賞した作品です。
 アカデミー賞では、作品賞や監督賞にもノミネートされたものの、美術賞などの主要でない四部門を受賞したにとどまりました。
 戦前、戦中、戦後と、いくつかの時代におけるグランド・ブタペスト・ホテルを舞台に描かれ、それを象徴するように画面のアスペクト比を自在に変えているのがなかなかおしゃれです。
 ホテルのコンシェルジェとロビー・ボーイの交流を、ユーモア、ミステリー、アクション、ドラマといった映画の様々な要素をちりばめて、絢爛豪華な映像美で描いています。
 テーマパークのアトラクションのような映画が全盛の現代で、こんな粋で魅力的な映画に出会うとホッとする気分です。

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英国王のスピーチ

2022-05-25 18:02:15 | 映画

 1925年の大英帝国博覧会閉会式で、ヨーク公アルバート王子は妻のエリザベス妃に見守られ、父王ジョージ5世の代理として演説を行いました。
 しかし、吃音症のためにさんざんな結果に終わり、聴衆も明らかに王子の演説に落胆してしまいました。
 アルバート王子は「専門家」による治療を試すものの、結果は思わしくありませんでした。
 1934年に、エリザベス妃は言語聴覚士であるオーストラリア出身のライオネル・ローグを紹介され、アルバート王子は仮名を使って、その療法を受けるため、ローグのみすぼらしいオフィスを訪問しました。
 第一次世界大戦によって戦闘神経症に苦しむ元兵士たちを治療してきたローグは、当時、本流とはいえない療法をもって成功していましたが、アルバート王子に対しても、愛称(バーティーとライオネル)を使い合うことを承知させて、くだけた環境を作り出して療法を始めようと提案します。
 これに対してアルバート王子は反発して、治療法そのものに納得しません。
 ローグは最新の録音機を使い、王子に大音量の音楽が流れるヘッドホンをつけることで自身の声を聞けない状態にしてシェイクスピアの『ハムレット』の台詞を朗読させ、その声をレコードに録音させました。
 王子はひどい録音になったと思い込み、また治療の見込みがなさそうなことに腹を立てて帰ろうとします。
 それならと、ローグは録音したばかりのレコードを王子に持って帰らせます。
 ジョージ5世のクリスマスのためのラジオ中継が行われた後、国王は王太子デイヴィッド王子とアルバート王子の将来について心配していることを告げます。
 国王はデイヴィッド王子について次期国王として不適格だと考えているようであり、弟であるアルバート王子が王族の責務をこなせるようにならねばならないことを強調してきつく接します。
 帰邸後、落ち込んだアルバート王子は、いら立ちとともにローグから受け取ったレコードを聴きます。
 そこには、吃音の症候はまったくない『ハムレット』の台詞が録音されていました。
 王子はエリザベス妃ともども、自分の声を聞いて驚きます。
 そして、王子はローグの治療を受け続けることにして、口の筋肉をリラックスさせる練習や、呼吸の訓練、発音の練習などを繰り返し行います。
 1936年1月にジョージ5世が崩御し、デイヴィッド王子が「エドワード8世」として国王に即位しました。
 しかし、新しい国王はアメリカ人で離婚歴があり、まだ2番目の夫と婚姻関係にあるウォリス・シンプソン夫人と結婚することを望んでいたので、王室に大きな問題が起こるのは明白でした。
 このような状況下、アルバート王子は、吃音症の治療により一層真剣になり、またローグは問題の原因となっていると思われる、王子の幼少期の体験による心理的問題、肉体的問題による背景を知り、より適切な解決を図ろうと試みます。
 その年のクリスマス、ヨーク公夫妻はバルモラル城で行われたパーティで、国王とシンプソン夫人の下品な姿を目の当たりにします。
 見かねたアルバート王子が兄王に、離婚歴のある女性との結婚はできないことを指摘すると、王は吃音症治療は王位がほしいからなのかと責めて、兄弟の関係は険悪になります。
 さらに、アルバート王子が即位することを望むローグとの意見対立から、王子は治療を中断してローグの元から去ってしまいます。
 結局、エドワード8世は、即位して1年も満たぬうちに退位し、アルバート王子が国王として即位することを余儀なくされました。
 それまで、海軍軍人としてのみ公職を持っていたアルバート王子は、この負担に大きな苦しみを感じることとなります。
 しかし、ヨーロッパにおいては、ナチス党政権下のドイツやイタリアのファシズム、ソ連の共産主義が台頭して、一触即発の機運となっていました。
 英国は王家の継続性を保ち、国民の奮起をうながすため、立派な国王を必要としていました。
 英国王として即位したアルバート王子は、父親の跡を継ぐという意思表示をも含めて「ジョージ6世」を名乗ることになりました。
 しかし、新国王の吃音症は依然として深刻な問題でした。
 同年12月12日の王位継承評議会での宣誓は散々なものとなりました。
 ジョージ6世は再びローグを訪ね、指導を仰ぐことになりました。
 1937年5月、ジョージ6世は戴冠式でローグが近くに臨席することを望みましたが、カンタベリー大主教コスモ・ラングをはじめとする政府の要人は、ローグは満足な公の資格を持たない療法者にすぎないので、他の専門家による治療を受けるようにと要求し、ローグを国王から遠ざけようとしました。
 しかし、ジョージ6世は、それまでにローグとの間に築き合ってきた信頼関係を第一とし、また彼自身が吃音症を克服しつつあることを自覚して、ローグを手放すことをせず、彼の治療方法を信頼することにするのでした。
 戴冠式での宣誓はスムースに進行し、ジョージ6世はその様子をニュース映画で家族とともに観ます。
 さらに、そのニュース映画の一部として、アドルフ・ヒトラーが巧みな演説によってドイツ国民を魅了している姿に強い印象を受けます。
 チェンバレン首相の宥和政策は失敗し、1939年9月3日、イギリスはドイツのポーランド侵攻を受けてドイツに宣戦布告、第二次世界大戦が始まりました。
 そして同日、ジョージ6世は大英帝国全土に向けて国民を鼓舞する演説を、緊急にラジオの生放送で行うこととなります。
 この作品は2011年のアカデミー作品賞を受賞した映画です。
 この作品の評価については、ネット上でもいろいろなところに書かれているのでここでは割愛します。
 この作品を見て、私が考えたことはリアリティと娯楽性のバランスということです。
 この映画では、国王の吃音症や歴史上有名な人物たち(シンプソン夫人、エドワード8世、チャーチルなど)のキャラクターがかなり誇張して描かれています。
 また、ラストのスピーチが成功するかどうか、観客を十分にハラハラさせてからのハッピーエンドなど、いかにもハリウッド好みの娯楽性を強調した演出が随所に見られます。
 その一方で、家族愛や身分を超えた友情などの普遍的なテーマも、うまく盛り込まれています。
 厳密に言えば、これはリアリズムを追求した作品ではなく娯楽作品なのですが、史実と脚色の微妙なバランスで一級のエンターテインメントになっています。
 当時の風俗を再現した精緻なセット(CGも使われています)や衣装、重厚な俳優陣の演技も作品にリアリティをもたらしています。
 児童文学の世界でも、このような風俗や人物を緻密に書き込んだ骨太なエンターテインメント作品が、もっともっと書かれることが必要だと思います。

 

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高田由紀子「ハッピー・クローバー」

2022-05-22 06:34:39 | 作品論

 近所に越してきた同じクラスの女の子とそのダウン症のお姉ちゃん(六年生で同じ学校の支援学級に通っています)と友達になる、小学四年生の女の子が主人公の物語です。

 最初は同じクラスになった女の子と友達になりたかっただけなのですが、次第にそのお姉ちゃんとも仲良くなっていきます。

 その過程で、初めは全然知らなかった、ダウン症についても理解(病気のことだけでなく、時には差別されることがあることも含めて)を深めていきます。

 といっても、過剰に深刻にならずに、明るいタッチで描けています。

 書きにくいことも、あえてはっきりと書く力強さのようなものも感じました。

 また、障害のことだけでなく、誰しもがいろいろな問題(親から勉強を強要されている男の子が登場します)やコンプレックス(主人公は背が高いのがコンプレックスで、母親にボーイッシュなヘアスタイルにしたいと言えない悩みも抱えています。主人公と仲良しの男の子は逆に背が低いことが悩みです)を抱えていることも描いているのが、特に優れている点です。

 そのため、一人一人が違っていていいんだという、多様性を認め合うラストが、中学年の読者にもしっくりと読み取れます。

 パン作りやクッキー作りなどの女の子が中心の場面も出てきますが、その一方でサッカーのリフティングのシーンなどで男の子たちも出てきてバランスが取れています。

 

 

 

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ドライビングMissデイジー

2022-05-21 18:16:41 | 映画

 1989年公開のアメリカ映画です。

 ユダヤ系の老婦人とその黒人のお抱え運転手(息子が金持ちで、運転が怪しくなった母を心配して彼を雇いました)の25年(1948年から1973年まで)に及ぶ交流を描いています。

 最後の方では、老婦人は老人ホームに入り、運転手も自分では車を運転できなくなるほど年取っています。

 それでも、息子は彼に給料を払い続け(彼が母親にとってかけがえのない存在だと知っているのです)、二人して母を見舞ったりしています。

 アカデミー賞の作品賞、主演女優賞(ジェシカ・タンディが八十歳の最高齢で受賞しています)、脚色賞、メーキャップ賞を受賞しています。

 この映画は、二人の名俳優(タンディと運転手役のモーガン・フリーマン)の圧巻の演技で成り立っているといっても過言ではありません。

 また、息子役のダン・エイクロイドもいい味を出しています。

 作品の背景には、アメリカ南部における黒人差別(マーチン・ルーサー・キング牧師の演説も出てきます)やユダヤ人差別の問題もあり、庶民におけるアメリカ現代史的な趣もあります。

 

 

 

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那須正幹「六年目のクラス会」六年目のクラス会所収

2022-05-19 13:29:28 | 作品論

 1984年11月初版の、作者がそれまでに同人誌に発表した短編を集めた作品集の表題作です。
 本にしたのははズッコケシリーズと同じ出版社なので、バーター的に出された本なのかもしれません。
 小学校を卒業した春に、めぐみ幼稚園ふじ組の卒業生たちがクラス会で六年ぶりに集まります。
 担任だった国松先生も出席して、みんなで幼稚園時代の話をしているうちに、彼らは、ノリくんこと、鈴木則夫のことを思い出します。
 クラスのみんなが、陰気でおもらしの常習犯の則夫を、真冬に裸にして水をかけたことがだんだんに明らかになっていきます。
 則夫は、次の日から幼稚園に来なくなり、やがて死んだのです。
「則夫くんは、<中略>心臓に病気があったの。あなたたちが、そんないたずらをしたの、ちっとも知らなかったけれど、それとこれは関係ないと思うわ。」
と、先生はいいます。
 しかし、実態はクラスの女王様の川口ひとみが、みんなに命令して起こったいじめだったのでした。
 そのひとみが、平然と先生に言い返します。
「でも、則夫くんのことを、きらっていたのは、わたしだけじゃないわ。先生、先生も則夫くんのこと、いやだったんでしょ」
「先生だって、あの朝、わたしたちが則夫くんをはだかにして水をかけたの、知ってましたよねえ。教室の窓から、ずっと見てらっしゃったの、わたし知ってたんです。<中略>もし、あのことで則夫くんが死んだんなら、先生。先生も、わたしたちとおなじですよね。」
 ひとみはそう言うと、白い八重歯を見せて笑いました。
 実はこのクラス会は、則夫の霊が、みんなに事件のことを思い出させようとして開かせたものだということが最後にわかります。
 そして、六年ごとにクラス会を開かせて、いつまでもみんなに事件のことを忘れさせないという則夫の怨念を暗示して物語は終わります。
 児童文学研究者の宮川健郎は、「「児童文学」という概念消滅保険の売り出しについて」(「現代児童文学の語るもの」所収)において、この作品について以下のように述べています。
「子どもは無垢で、大人はけがれている。子どもが成長するにしたがって、悪意もまた成長する。――私たちは、そう考えていたのではなかったか。そうした成長のイメージは、ここでは、逆転させられてしまう。クラス会にあつまった子どもたちの会話によって進行する「六年目のクラス会」で、だんだん浮びあがってくるのは、幼稚園児たちのなかにあった、どすぐらいまでの悪意だ。川口ひとみの悪意は、先生がかかえていた悪意をあばき出す。則夫へのいじめを思い出して、斎藤さんは泣き出し、岸本くんは青い顔をする。六年後の子どもたちは、むしろ、幼児のころの悪意をうすめているように見える。」
 そして、宮川は、この作品を「反=成長物語」と規定しています。
 しかし、この論には大きな疑問があります。
 子どもたちがいつも無垢な存在でなく、時として残酷な存在になるということはうなずけますが、これもけっして新しい発見ではありません。
 詩人で小説家で児童文学作家のエーリヒ・ケストナーは、1920年代に出版した「感情の行商」という詩集の中に「卑劣の発生」という詩を残しています。
「これだけは、どんな時どんな日にも心にとまる――
 子供はかわいく素直で善良だ
 だが大人はまったく我慢できない
 時としてこれが僕らすべての意気を沮喪させる

 悪いみにくい老人どもも
 子供のときには立派であった
 すぐれた愛すべき今日の子供も
 後にはちっぽけに、そして大きくなるのだろう

 どうしてそんなことがありうるのか それはどういう意味なのか
 子供もやっぱり、蠅の羽を
 むしるときだけが本物なのか
 子供もやっぱり既に不良なのか

 すべての性格は二で割りうる
 善と悪とが同居しているからだ
 だが悪は医やしえず
 善は子供のときに死んでしまう」
 ケストナーは、以上のように子どもの中にも悪が存在することを認識していて、1930年ごろに書いた児童文学としての代表作の「エーミールの探偵たち」にも、「飛ぶ教室」にも、「点子ちゃんとアントン」にも、「卑劣な子どもたち」を登場させています。
 そして、引用した宮川の文の最後の「幼児のころの悪意をうすめているように見える」には、まったく賛成できません。
 則夫くんへのいじめは、川口ひとみ以外は悪意というよりは、ケストナーも指摘している「子どもの残酷性」を示しているにすぎません。
 この作品の悪意の核はクラスの女王様の川口ひとみにあるので、引用文にあるように彼女の悪意は六年後にますます「成長」していて、平然と大人である先生の悪意をあばいて自分の行為を正当化しています。
 つまりこの作品は、宮川の言うような「反=成長物語」ではなく、むしろ現代児童文学ではオーソドックスな「成長物語」だと思われます。
 ただし、この場合は、「善」ではなく、「悪」が成長したわけですが。
 しかし、作者にとっては、この作品が「反=成長物語」と読まれようが、「成長物語」と読まれようが、まったく関係ないでしょう。
 おそらく作者は、この作品をその後児童文学の世界ではやった「怪談物」あるいは「ホラー物」のはしりとして書いたのでしょう。
 発達心理学の観点からみると、幼稚園児の認識や記憶力という点ではかなり設定に無理があると思われますが、後のエンターテインメント作品の名手としての才気は十分にうかがえます。

六年目のクラス会―那須正幹作品集 (創作こども文学 (1))
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現代児童文学の語るもの (NHKブックス)
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長谷川潮「「戦争児童文学」の枠組と伝達性の問題」

2022-05-17 17:16:27 | 参考情報

 2017年9月30日に行われた、日本児童文学学会東京例会における講演会です。
 80歳になられた戦争児童文学研究の第一人者の長谷川先生が、今までの研究活動を振り返られる形で、以下のような項目で初学者にもわかるような形で講演されました。

1.「アジア太平洋戦争」の歴史的位置づけ
 「戦争」といっても、「十五年戦争」、「太平洋戦争」、「第二次世界大戦」など、使う用語によって戦争が行われた時期や地域が変わってきます。
 現在では、「アジア太平洋戦争」と言う用語が定着されていますが、戦争児童文学の作品の中ではさまざまな用語がそのまま使われているので、注意が必要です。

2.児童文学全般の中での「戦争児童文学」の位置
 児童文学作品の一部を示す下位概念の一つですが、ファンタジーのような様式による下位概念ではなく、「戦争にかかわる何らかの素材を対象としたり、観念としての戦争を扱ったりしたもの」で、こうした概念は日本以外の国には存在しません(もちろん、戦争を扱った児童文学作品自体はたくさんあります)。

3.「戦争児童文学」という概念の生成と展開
 「戦争児童文学」という概念は、1960年代に反戦平和教育の一環として、教育界の方で生み出されたもので、それに呼応する形でその後も多くの児童文学作品が創作されました。
 長谷川先生は、この「反戦平和児童文学」とでも呼ぶべき「戦争児童文学」を、アジア太平洋戦争以外の戦争を取り扱った作品や、戦前戦時中の好戦的な作品も含めて適用範囲を拡大すべきと主張されています(関連する記事を参照してください)。

4.戦後における「戦争児童文学」の展開過程の諸問題
 GHQの検閲の問題、執筆者や読者の特性による伝達性の問題、「かわいそうなぞう」問題(その記事を参照してください)などについてのお話がありました。

 講演の詳しい内容については、関連する記事と重複しますので、そちらを参照してください。

 以上の内容について、1時間20分にわたって講演され、貴重な資料(戦時中の雑誌など)も回覧してくださいました。
 耳がご不自由とのことで、直接の質疑応答ができなかったのは残念だったのですが、質問票を通して参加者の質問に30分も答えてくださいました(いつもの例会と違って、むしろたくさんの質問が出ていました)。
 内容は初学者向け中心でしたので、私にとっては新しい情報はあまりなかったのですが、以下のような研究者としてあるべき姿を提示していただき、深い感銘を受けました。
 まず、講演の中で紹介された谷瑛子「占領下の児童出版物とGHQの検閲」(2016年)において、先生ご自身の認識ミスが二つ明らかになったことを包み隠さず話され、こうした後発の研究で新しい発見があれば、研究者は今までの自説に固執しないで修正すべきであることを教えてくださいました(心情的にはなかなか難しいことなのですが)。
 さらに、この講演を五月ぐらいに依頼されてからの四か月間は、他の仕事はしないでこの準備にあてて、ご自分でも編集に参加された「「戦争と平和」子ども文学館(全二十巻、別巻1)」を全部読み直されたそうです。
 いつもイージーな文章を書き飛ばしているわが身としては、襟を正す思いがしました。

戦争児童文学は真実をつたえてきたか―長谷川潮・評論集 (教科書に書かれなかった戦争)
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梨の木舎

 

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石井直人「「タブーの崩壊」とヤングアダルト文学」日本児童文学の流れ所収

2022-05-12 11:48:49 | 参考文献

 平成17年度国際子ども図書館児童文学連続講座講義録に収められています。
 『日本児童文学』1978年5月号の特集は「タブーの崩壊―性・自殺・家出・離婚」で、子どもの文学でも「人間の陰の部分の物語化」がなされるようになったことを反映したものです。
 著者の講義は、この特集を出発点にして、その後の「癒しの文学」や新しいタイプのヤングアダルト文学へと続く流れを追います。
 その中で、初期の今江祥智や岩瀬成子から、その後の森絵都や石田衣良といった作家たちの意味について考えていきます。
 『日本児童文学』のこの特集は、ウルズラ・ヴェルフェル『灰色の畑と緑の畑』(野村訳 岩波書店 1974、その記事を参照してください)などの翻訳や今江祥智『優しさごっこ』(理論社 1977)などの創作に触発されたものでした。
 その背景として考えられる要因としては、実際に離婚の増加などが社会問題化していた現実の反映、児童文学観が「 童話精神から小説精神へ」(早大童話会の少年文学宣言より)といったふうに「童話から文学へ」変化していった流れ、子ども観が「 保護の時代から準備の時代へ」(マリー・ウィン)のように同時代人として社会のメンバーとみなすように変化、アイデンティティという主題(どのようにして大人になればよいのか?)などによるものとしています。
 サブテーマの「性・自殺・家出・離婚」は、子どもの三重の不自由〔この生、この親、この性、この身体〕(芹沢俊介『現代〈子ども〉暴力論』(大和書房 1989))と対応していると指摘しています。
 「タブーの崩壊」以後の児童文学は、「リアリズムの深化」(神宮輝夫)によって、題材、結末、方法のいずれの面においても、いっそう「小説」に接近していったとしています。
 たとえば岩瀬成子の『あたしをさがして』(理論社 1987)や『迷い鳥とぶ』(理論社 1994)などは、『子どもと文学』(石井桃子ほか著 中央公論社 1960)の「子どもの文学はおもしろく、はっきりわかりやすく」から遠く離れていったと指摘しています。
 しかし、このあたりは、80年代から90年代の児童書の出版バブルによって多様な作品の出版が許容されていた背景に触れないと全体像が見えないでしょう。
 江國香織の短編集『つめたいよるに』(理論社 1989)や湯本香樹実の『夏の庭-The Friends』(福武書店 1992)などの新しい作家が誕生しますが、児童文学と一般文学は、違わなくなってしまうのではないか?と問いかけています。
 このあたりも、「児童文学」の読者層が大人の女性にも広がったことが大きな要因と思われますがそういった指摘がないので、著者の論究は物足りません。
「児童文学は、大石真の『ミス3年2組のたんじょう会』(偕成社 1974)のタイトルに示されたような小学校の中学年から、絵本とYA 文学に中心がわかれ、とくに13~19歳の部分では様々な物語のジャンルが混在している状態になった。」としていますが、この著者の意見には異論があります。
 まず、1974年以前にも児童文学には小学校高学年や中学生向けの作品は多様にありましたし、幼年文学も非常に多くの点数が発行されているので、単純に児童文学は小学校中学年用だったとは言えないと思います。
 むしろ、そういった作品が、1990年後半からエンターテインメント作品を除いては出版されなくなった状況について考察しなければいけないのではないしょうか。
 また、絵本とYAの二極化というのもおおざっぱすぎると思います。
 小学校三年生ぐらいまでを対象とした「幼年文学」は依然として健在ですし、小学校高学年の女子を対象にしたエンターテインメント作品の出版も活発です。
 唯一、前より本を読まなくなったのは小学校高学年以降の男子ですが、彼らについては、ゲームやマンガやアニメなどの別メディアやそれらと親和性の高いライトノベルについて言及しなければならないと思います。
 また、著者は読書のモデルの変化として、従来は読者の成長に伴って児童文学から一般文学へ移っていきその移行期としてYA 文学があったが、現在は読者の趣味によりいろいろなタイプの文学が混在し、いろいろなメディアとの接触により物語の読み取りも変わってきているとしています。
 そして、「物語」の受容はどんなメディアからでもいいとしていますが、このあたりの著者の論法はかなり乱暴で、マルチメディアにおける「児童文学」の立ち位置についてあいまいにしか述べられていません。
 続いて、ひところはやった癒しの文学について述べています。
「児童文学には定番化されたパターンがある。傷ついた子どもが田舎の祖父母の家に行き、自然の中で癒されて、生きる希望を取り戻す…などは、それの最たるものだろう。」という斎藤美奈子「コドモの読書の過去と現在」(『文學界』2005年11月号)を引用して、「タブーの崩壊」以後1990年代になると、「性・自殺・家出・離婚」のような題材が切実なモチーフというよりも設定のパターン(お約束)に変化してしまったと指摘しています。
「 しかし、吉本ばなな『キッチン』(福武書店 1988)、江國香織「デューク」(『つめたいよるに』理論社 1989、その記事を参照してください)、梨木香歩『西の魔女が死んだ』(楡出版 1994、その記事を参照してください)など、冒頭に大切な人(犬)が死んでしまい、主人公が喪失から癒されるまでのプロセスをえがく「癒しのストーリー」という点が共通。いずれも、ベストセラー・ロングセラーとなった。」
と、肯定的に捉えているように思える書き方をしています。
 その一方で、いろいろな「癒しの絵本」(『いつでも会える』『たれぱんだ』など)には、読者の感覚として「傷ついた私」という自己像があるのか?と否定的に述べています。
 しかし、一連の「癒しの文学」はYA文学というよりは、もっと広範な年代の女性の嗜好にマッチしたL文学(女性作家による女性が主人公の女性読者のための文学)という観点で見ないと実相は捉えられないのではないでしょうか。
 以下の「人生論としての小説」「感情管理」「幸福の約束」などのYA文学に対する意見は、本人も「直観的」と述べているように根拠に乏しいので、割愛させていただきます。
 全体として著者自身の「現代児童文学の条件(その記事を参照してください)」の関連する部分を下敷きにしていますが、初学者向けの講座の講義録なのでわかりやすさや聴衆の興味を重視していて、いつもの著者らしい先行論文や心理学などを応用した深い考察はあまり見られず物足りない印象がありました。

現代児童文学の可能性 (研究 日本の児童文学)
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那須正幹「ねんどの神さま」

2022-05-10 13:12:29 | 作品論

 1992年12月に初版が出た、黒を基調とした武田美穂の絵が重厚な雰囲気を出している物語絵本です。
「太平洋戦争がおわって、ちょうど一年がすぎた九月のことだった。」
 物語が始まる前に、1946年という時代設定が明示されています。
 主人公の健一は、村の学校で、戦争を起こす人間をこらしめるねんど細工の神さまを作ります。
 健一の父親は、五年前に中国で戦死していました。
 母親や兄弟は、昨年の春に空襲でみんな死んでしまい、この村のおばあさんのもとに疎開していた健一だけが生き残っています。
 校長先生は「この作品は、子どもの戦争にたいするすなおなにくしみが表現されておる。」といたく気に入り、ねんどの神さまを校長室の棚に飾ります。
 健一は、翌年、都会に住むおじさんに引き取られて引っ越してしまい、その後学校も廃校になって、ねんどの神さまも倉庫で長い間眠っていました。
 それから四十年以上の時間がたち、このねんどの神さまが、突然、身長百メートルを超えるような巨大な怪物になります。
 そして、廃校のある山村から東京を目指します。
 首都の破壊を恐れた人間によって、自衛隊に攻撃されますが、怪物はびくともしません。
 最後には、周辺住民の犠牲も承知の上で、化学兵器や核兵器までが使われますが、怪物は平気で東京へ向かいます。
 やがて、東京にたどり着いた怪物は、ビルの一室に目指す男を発見します。
 その男は、今は兵器会社の社長になっていた健一でした。
 殺されることを覚悟していた男に、怪物はこう言います。
「ぼくは、ケンちゃんのつくった神さまなんだよ。ぼくにケンちゃんを殺せるわけないじゃないか。ぼくはね、ケンちゃんにおしえてもらいたくって、やってきたんだよ。ねえ、ケンちゃん。もう、ぼくは、いなくなったほうがいいのかなあ。ケンちゃんは、むかしみたいに、戦争がきらいじゃないみたいだからね。」
 それに対して、男はこう答えます。
「わたしは、子どものころとかわりないよ。戦争をにくむ気もちは、いまだにもっている。ただね、戦争というやつは、にくんでいるだけじゃあなくならない。かえって強力な兵器で武装していたほうが、よその国から戦争をしかけられることもない。つまり平和をたもつことができるのさ。わたしの事業は、平和のための事業なんだよ」
 ラストシーンで、男は怪物に土下座をして頼み込み、小さなねんど細工に戻った神さまを破壊します。
「これで、いい。この数十年、心のすみにひっかかっていたトゲのようなものが、きれいになくなってしまった。
 あとは、もう、自分の思うように事業をすすめることができる。
 男は、晴ればれとした気もちで、ゆっくりと自分の会社のなかへもどっていった。」
 このあらすじを読んで、何かしっくりとこない思いをした方もいらっしゃることと思います。
 作者の技術が未熟で、完成度の低い作品を作ってしまったのでしょうか?
 私はそう思いません。
 ご存知のように、「ズッコケ三人組」シリーズで有名な那須正幹は、エンターテインメントからシリアスな作品まで自在に書き分ける、児童文学作家でもプロ中のプロです。
 そんなへまはしません。
 作者は、この作品において、従来の現代児童文学の作品にはないいくつもの実験をしています。
 一つ目は、子ども読者および子どもの登場人物の不在です。
 物語絵本にもかかわらず、作者はこの作品で用語(漢字にはルビはふってありますが)、表現、内容のすべてにおいて、かなりグレードを高く設定しています。
 子ども読者は、読んだその時には理解できなくても構わないと、割り切って作品を書いています。 
 また、冒頭の部分で健一がねんどの神さまを作るシーンでは教室での子どもたちが描かれていますが、その後はいっさい子どもは登場しません。
 次に、ストーリーの飛躍があります。
 ねんどの神さまが突然怪物に変身したことについては、理由も合理的な説明もいっさいありません。
 また、戦争を憎んでいた健一が、兵器会社の社長になった過程も全く書かれていません。
 児童文学研究者の石井直人は、「現代児童文学の条件(研究 日本の児童文学4 現代児童文学の可能性所収)」(その記事を参照してください)の中で、以下のように述べています。
「一見、完成度に問題がありそうである。どうして、ねんどの神さまをつくった男の子は兵器会社の社長になったのだろうか。説明がない。中間のプロセスが省略されてしまっている。が、これは、欠点ではない。むしろ、読者に想像力を働かせよと呼びかける空所の一種なのだ。「空所が結合を保留し、読者の想像活動を刺激する」のである。昔、どんな神様かと聞かれて、「戦争をおこしたり、戦争で金もうけするような、わるいやつをやっつけます」と答えた男の言葉。今、巨大化したねんどの神さまにむかって、「わたしの事業は、平和のための事業なんだよ」と答える男の言葉。読者は、二つの言葉を口にした人間が同一人物だといわれて、両者をつなげようとする。と、とたんになにかがぐにゃりとゆがむ。それは、五十年間の戦後史という「大きな物語」かもしれない。「ダブルスタンダード」で生活している私自身のアイデンティティかもしれない。」
 ここで五十年間の戦後史という「大きな物語」を感じるのも、「ダブルスタンダード(注:戦争反対とか世界平和を唱えながら、自衛隊や在留米軍の軍事的庇護のもとにいることを指しているのでしょう)」で生活しているのも、「子どもたち」ではなく那須や石井(もちろん私自身も)も含めた「大人たち」なのです。
 そして、ラストシーンでの反語表現が、おそらくこの作品の最大の実験だと思われます。
 この部分については、石井は前掲の論文で次のように言っています。
「おそらく、読者は、とまどうだろう。たしかに作者は、晴ればれしたといっている。けれども、ほんとうに作者は、晴ればれしたといいたいのだろうか、と。ところが、このくだりを文字通りの意味にとればいいのか逆の意味にとればいいのかは、決定することができない。なぜなら、反語という方法は、「意味の反転を発生させることば」だからである。正の意味と逆の意味とがおたがいの「残像効果」によって打ち消しあい、読者は、二つの意味の間の往復運動をやめることができないのである。」
 こうして、この作品は、普通の書き方で書かれたいわゆる「戦争児童文学」よりも、読後に「よくわからないけど何かわりきれないもの」を読者に残すことに成功しています。
 那須はこの作品が書かれる前の1989年に、児童文学研究者で翻訳家の神宮輝夫との対談(現代児童文学作家対談5所収)で、戦争児童文学について以下のように述べています。
「いままでの戦争児童文学というのは、つねに自分たちの体験を伝えているわけです。それは大人の世界のことであって、いまの子どもたちからみれば、四十年まえにあった戦争なわけです。作品に描かれる世界は悲惨ですから、読者は読むときには泣きますよ。ところが、読んだあと、ああ私たちは戦争のなかった日本に生まれてよかったなで終わってしまう。ぼくは戦争を伝える文学として、それじゃ少しおかしいんじゃないかと思います。いまの子どもが、ひょっとしたらいまの日本だっていつ戦争になるかわからないんだという、一種の認識というか、核のボタンがいつ押されるかわからないんだということを認識するような作品を書かなくちゃならないんじゃないかという思いがあるわけです。」
 この作品は、この発言に対する那須の作家としての回答だったのかもしれません。
 しかしながら、こういった実験的な作品の出版が許されるのは、那須が「ズッコケ三人組」という超ベストセラーシリーズの作者で、出版社(この本は「ズッコケ三人組」シリーズと同じ出版社からでています)に対して無理が言える立場にいたということも、指摘しておきたいと思います。
 この本が出版されてから、さらに二十年がたった戦後七十年の節目の年に、自民党や公明党などにより、安保法案が成立しました。
 那須の時代に対する先見性は、ますます評価されるべきでしょう。


ねんどの神さま (えほんはともだち (27))
クリエーター情報なし
ポプラ社
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E.L.カニグズバーグ「アウトサイダーの文学」子どもの館29所収

2022-05-09 12:32:42 | 参考文献

 カニグズバーグが来日した時のインタビューをもとに編集した記事です。
 化学者としての経歴や、母、妻、作家をこなす話などが含まれていますが、一番印象に残ったのは、彼女のアウトサイダー(ユダヤ教徒としてアメリカ社会(宗教的にはクリスチャンが圧倒的に多数派です。彼女の認識としては、人種ではなく宗教としての少数派です)としての自覚と、アウトサイダーなるがゆえに文化に貢献できる(インサイダーの人間は文化に融合していて客観視ができない)という自負です。
 それが、現代のアメリカ社会、特に子どもたちを取り巻く状況について客観的に眺めることができ、クローディアのような、時代の典型としての子どもたち(ユダヤ人も白人も黒人も)を描き出すことが出来たのでしょう。
 そうした意味では、日本の児童文学でも、もっと日本に住む少数派の人々(国籍が日本かどうかは別にして)の視点で書かれた作品が必要なのかもしれません。

トーク・トーク カニグズバーグ講演集 (カニグズバーグ作品集 別巻)
クリエーター情報なし
岩波書店
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J.D.サリンジャー「ハプワース16,一九二四」サリンジャー選集別巻1所収

2022-05-08 15:07:31 | 作品論

 1965年に発表された、サリンジャーが公開した最後の作品です。
 いわゆるグラス家サーガのうちの一篇ですが、時代設定は一番古い1924年で、七人兄妹のうち下の二人はまだ生まれてもいません。
 私がサリンジャーを読み始めた1970年代初頭においても、まさかこの作品が最後だとは誰にも思われていなくて、「沈黙期間がいやに長いなあ」とか、「グラス家サーガのこれからの展開に苦戦しているのか?」とか、考えられていたように思います。
 しかし、今回、数十年ぶりにサリンジャーの作品を順に読み直してみると、この作品がグラス家サーガの最終作品であり、シーモァの遺書であると共に、サリンジャーの読者への惜別の書であることが強く感じられました。
 この作品では、1924年に当時7歳であったシーモァが、弟のバディと二人で参加していたサマーキャンプから、家族に宛てた非常に長い手紙(キャンプで怪我をして、ずっと一人でベッドに残されている時に書いた、という設定になっています)という形式をとっています。
 手紙には、全編、家族への愛が満ち溢れています。
 特に、二歳年下のバディ(この作品は、作家になったバディ(1965年当時46歳で、サリンジャーの分身だと言われています)がこの手書きだった手紙をタイプするという形で紹介されています)には、繰り返し最高級の賛辞を惜しまず、将来大作家になると予言しています(サリンジャー自身だと考えると、大ベストセラー作家になってしまった自分への皮肉だと考えることもできます)。
 両親(成功した芸能人(ボードビリアン)ペアで、母親は当時二十代の若さで引退を考えているようです)と兄妹(この当時、ズーイとフラニーはまだ生まれていないので、三歳年下の妹のブー=ブー、四歳年下の双子の弟、ウォルトとウェイカー)への愛情に満ちた真剣な助言が、痛切に心に響きます。
 また、キャンプ場の大人たちへの鋭く厳しい批評には、通俗的で儲け主義で思考力を持たない人々へのシーモァ(サリンジャー)の軽蔑が強く感じられます(さぞ、敵が多くて生きづらかっただろうなあと思ってしまいます)。
 一方で、普段異常なほど利用していた図書館の関係者には、ここでも批判的な視点はあるものの、彼らのサポートや助言に対する感謝と尊敬の念は示されています。
 最後に、彼らにキャンプへ送ってもらうように家族に頼んだ膨大なブックリストは、その理由も詳細に書いてあって、サリンジャー自身の読書リストだと考えると興味深いです。
 手紙の中には、シーモァ自身の人生が約30年(実際は31歳で自殺しています)であることや、この手紙の二年後に両親とシ-モァとバディが参加する重大なパーティ(このパーティ(これがきっかけでシーモァとバディ、その後他の兄妹たちも全員、がラジオ番組の「これは賢い子」に出演することになったのではないかと言われています。この番組への出演が、彼らの人生に大きな影響を与えることになります)についてバディが作品を執筆中であり、そのためにこの手紙を母親から送ってもらってタイプしているという設定になっています)に対する予言めいたことが出てきて、シーモァと同様の天才少年で予知能力を持つ「テディ」(その記事を参照してください)との共通性が感じられます。
 また、バディは、「バナナ魚にもってこいの日」、「テディ」、「大工らよ、屋根の梁を高く上げよ」らしき作品(それらの記事を参照してください)の作者であることが「シーモァ ― 序論」(その記事を参照してください)でほのめかされています。
 そう考えると、従来は、グラス家サーガに含まれる作品は、「バナナ魚にもってこいの日」、「コネチカットのグラグラカカ父さん」、「フラニー」、「ズーイ」、「大工らよ、屋根の梁を高く上げよ」、「シーモァ ― 序論」、そしてこの「ハプワース16,一九二四」の7作品と考えられていましたが、「テディ」も含めた8作品で考えた方がいいかもしれません。
 つまり、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」が世界中で大ベストセラーになった騒動以降に発表された作品全部ということになります。
 この作品を批判する時に、いくら主人公が天才だと言っても、とても7歳とは思えないと言われることがあります。
 それは当然で、ここでのシーモァはただの7歳ではなく、7歳の時の体験(実際にサリンジャーが、こうしたサマーキャンプを体験したのはを11歳の時のようですが)を48歳になったシーモァ(正確に言うと、シーモァ自身は31歳で亡くなってしまったので、この時46歳のバディ(サリンジャー)の力を借りて)が描いているのです。
 こうした、「主人公が子どもらしくない」とか、「大人の視点が入っている」というのは、児童文学の世界では作品をけなす(作品評や合評会などで)常套句なのですが(私もしょっちゅう言われましたし、もしかすると何度か言ったかもしれません(自分の痛みはいつまでも覚えていても、他人の痛みはすぐに忘れてしまうものです))、この作品のような一般文学だけでなく、児童文学でも作品によってはこうした書き方も有効だと考えています(一番成功している例は、神沢利子の「いないいないばあや」(その記事を参照してください)でしょう)。
 この作品の最後は、こう締めくくられています。
「再び、バンガロー七号のあなたたちを愛する二人の無気味な厄介者より五万回のキスを。」
 そして、それに続く署名はS・G(シーモァ・グラスのことです)と並んで、なぜかバディ・グラスではなくJ・D・サリンジャーになっています。

 

 

 

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J.D.サリンジャー「テディ」九つの物語所収

2022-05-07 11:29:30 | 作品論

 10歳で霊的な能力(予言など)を持つ天才少年(どうやら6歳の妹も、同様の能力を持っているようです)の話です。
 彼の能力については、アメリカだけでなくヨーロッパでも有名になっていて、あちこちの大学の先生たちと議論するために渡欧して客船で帰米する途中でした。
 ここでも、船上のひなたっぼこ用のデッキチェアで、彼を訪ねてきたニコルソン教授と、感情、論理、瞑想、神、死、予言、転生、教育などについて議論します。
 そして、その中で、自分自身の死についても予言して、ラストでは実際に予言通りの事が起こったことが暗示されています。
 転生を信じているテディの死自体は悲劇でもなんでもないのですが、それよりも彼が悲劇的だったのは、前半部分での全く噛みあわない、そして、彼の事を理解しない(あるいは、理解しようとしない)で、彼を「人間じゃない」と思っている両親との会話でしょう。
 彼が自分の両親について語る以下の言葉は、どんな児童文学の作品よりも、両親に対する愛情と絶望が、痛切なほど満ち溢れています。
「あのふたりにはね、生きているあいだは楽しく暮らしてもらいたいと思うな、だってふたりとも、楽しく暮らすのが好きなんだもの……。だけど、あのふたりはぼくとブーバのこと――これ妹なんだけど――そんなふうに愛してくれてないや。つまり、ありのままのぼくらを愛することはできないみたいなんだね。たえずぼくらを少しずつ変えつづけることができないかぎりは、ぼくらを愛することはできないらしいんだね。ふたりとも、ぼくらを愛するのとおんなじくらい、ぼくらを愛する理由を愛しているんだし、たいていは、ぼくら以上に愛してる。(後略)」
 この作品では、芭蕉の俳句が引用されていることもあって、東洋思想と結びつけて考えられることが多いのですが、思想そのものはそんなに深い物ではなく(門外漢の私でも理解できる程度)、それよりは俳句の持つ「写生」の力にサリンジャーが強く魅かれていることが、非常に客観的で詳細な情景描写によく表れています。
 また、この「ナイン・ストーリーズ」という短編集が、シーモアの死で始まり(「バナナ魚にはもってこいの日」(その記事を参照してください))、テディの死で終わることで、サリンジャーと死について議論されることが多いのですが、サリンジャー自身は死自体(特に自殺)にはそれほど関心はなく(実際に91歳まで長生きしました)、「自分を理解しない他者」との関わりを断つ生き方(作品を対外的には発表せず、公の場には姿を見せない)の方が、はるかに彼らしいし、他者はどう思おうとそれで十分に幸せだったんだと思います。


 

 

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J.D.サリンジャー「倒錯の森」倒錯の森所収

2022-05-05 17:51:49 | 参考文献

 サリンジャーにとっては最初の中編小説(1947年作)ですが、その完成度については評価が分かれており、雑誌には発表したものの単行本としての出版を許さなかったことから考えると、サリンジャー自身もこの作品を一種の習作として位置づけていたのかもしれません。
 主人公は、ドイツ貴族の血を引く裕福な家庭に育った、才色兼備(長身の美人で、万能なルポライター兼編集者で、秀逸な演劇評論家でもあります)の30歳の女性です。
 彼女が、子ども時代に離れ離れになった初恋の相手が天才的な詩人になっていたことを知って有頂天になり、再会してからわずか四か月で結婚し、結婚してからわずか数週間で、突然やってきた自称20歳の女子大生(実際は30代半ばの人妻で、11歳の子どもがいます)に、彼女の世間知らずの隙を突かれて駆け落ちされてしまいます。
 詩人と結婚する前に、一番親しい男友達(この話の語り手で、かつて彼女にプロポーズしてふられたことがあります)が、彼の精神的な問題(詩に関しては天才的ですが、不幸な生い立ちとあまりに詩作に没頭したためか、社会性に大きな問題を抱えています)を見抜いて結婚しないように忠告したのですが、彼に夢中になっていた主人公は耳を貸しませんでした。
 この作品を、サリンジャー自身の隠遁生活(1953年から2010年に91歳で亡くなるまで)と結びつける批評が多いのですが、少なくともこの作品においては、世俗的な生活とそれを排した芸術至上主義的な生活に対してはニュートラルなポジションで書かれています。
 ゴージャスな暮らしをしている主人公に対しても、彼女を捨てて貧窮している詩人に対しても、フェアな視線で作品を書くことはなかなか難しいものです(どちらかに、過度に批判的になってしまうことが多いです)。
 詩人が、対等な男女関係(これは作品の時代設定になっている1937年では、アメリカでもかなり新しい考え方だと思います。彼女は単なる大金持ちの御嬢さんではなく、当時の言葉で言えば有能な職業婦人でもあります)を求めている主人公を捨てて、自分を支配してくれる下品だが生活力がありそうな女性と駆け落ちしたのは、彼の母親(駆け落ち相手と同じタイプ)とそれに従わされていた少年時代の影響と短絡的に結びつける批評が多いのですが、その観点で見たらあまりうまく書けていないと思われます。
 母親が粗野で詩人を従わせていたことは書かれていますが、それに対して少年時代の彼は一定の精神的な距離感を持っていたように思えます。
 はっきりいって、詩人になった30歳の彼よりも、少年時代の彼の方がはるかに魅力的で、主人公の初恋相手としてふさわしい存在でした。
 また、駆け落ち相手の女性も、自称20歳の彼女と正体を明らかにした後の中年女の彼女のギャップが大きすぎて、うまく人物像を結びません。
 しかし、ここで描かれた詩人の人物像は、その後のグラス家サーガの作品群に引き継がれてているので、そういった意味では重要な作品だとも思われます。
 児童文学的観点で見たこの作品の一番の魅力は、主人公と詩人の双方が、11歳の少年少女時代の二人の人物像と30歳の大人になった二人の人物像が、再会した時に二十年近くの時を超えて瞬時にしかもなめらかに結び付くことです。
 この感覚は、児童文学者の資質と非常に近い物があります。
 他の記事にも書きましたが、天性の児童文学者(例えば、エーリヒ・ケストナーや神沢利子など)は子ども時代の記憶や感覚を瞬時に取り出すことができます。
 これらの優れた作家と並べて書くのはおこがましいのですが、私自身も過去の記憶(特に、子ども時代と、息子たちが子どもだった時代が鮮明なのは、いろいろな理由で一番不幸だった時代と、一番幸せだった時代のせいかもしれません)を瞬時に取り出すことができます。
 この感覚は、他の人たちにはなかなか理解できないものなのかもしれません。
 古い友だちと何十年かぶりで再開した時に、すぐにその時代に戻ったような話し方をするので、「昨日別れたみたいだね」と必ず言われてしまいます。
 おそらく、サリンジャーも子ども時代の記憶や感覚を鮮明に覚えていて、それを作品の中に登場させているのでしょう。
 この感覚を持たない文芸評論家などの批評を読むと、まったくとんちんかんな大人感覚でそれらの子ども像を見ていることに気づかされます。
 もちろん、サリンジャーは児童文学者ではないのですが、常に子どもも含めた若い世代に関心を持って作品を書いていました。
 他の記事にも書きましたが、かつては日本でもサリンジャーの影響を受けたと思える児童文学作品が出版された時代もありました。
 児童文学に求めるものが、作者も出版社も読者も大きく変化した現在では、サリンジャー作品の世界観は、児童文学創作よりも子どもや若い世代が登場する一般文学の創作の参考になると思われます。

 

 




 




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カビリアの夜

2022-05-03 10:03:13 | 映画

 娼婦のカビリアは、不幸な生活を送りながらも、いつかは真面目な道に返ろうと望んでいました。
 恋人にバッグを奪われて河に突き落とされても、彼女のその思いは変りませんでした。
 ワンダを除いた仲間の女達は、夢想を語るカビリアを可哀そうな気違い女として扱っていました。
 しかし、ある晩、カビリアの夢物語が実現しました。
 愛人と喧嘩をした有名な映画俳優が、豪華な自動車に彼女を乗せて、ナイトクラブから自分の豪邸へと連れていったのです。
 これは自分の魅力のためとカビリアが喜んだのも束の間、スターの愛人が突然そこへ現れて、この冒険は悲喜劇的な終りを告げました。
 浴室に入れられ俳優とその愛人の和解話を聞かされても、幸福な想いにひたっているカビリアでしたが、朝になると邸宅から追い出されてしまいます。
 とうとう自分が分らなくなったカビリアは、仲間と一緒に教会へ行き生活に奇蹟が起るように熱心に祈りました。
 それから幾晩か後、郊外の小さな劇場の舞台で、彼女は催眠術をかけられて妙な踊りを観衆に披露しました。
 そこで、カリビアはオスカーに出会いました。
 このおとなしく若い会計係の青年は、彼女に大変親切な態度を示しました。
 オスカーの愛の言葉を聞き、カビリアは運命に感謝しながらも、自分の汚れた生活が分ってしまえば彼が去ってしまうと恐れていました。
 だが、オスカーはカビリアの過去など全くかえりみませんでした。
 オスカーはカビリアに結婚を申し込み、カビリアもそれを受け入れます。
 オスカーと暮らすために、カビリアは家を売り払って貯金も下ろして75万リラの持参金を作ります。
 二人は新婚旅行に出発しました。
 とうとうカビリアの生活に奇蹟が実現したと思われましたが、湖の畔まで来た時突然オスカーはカビリアに躍りかかりました。
 オスカーが自分を殺すためにこの淋しい場所へ誘ったのだと、カビリアは気づきました。
 オスカーもまた、彼女の金が目当てだったのです。
 カビリアの夢は、またも無残にも崩れ去りました。
 不幸にひしがれた彼女は、オスカーの前に膝まずき、自分を殺してくれるように懇願しました。
 しかし、これがかえってオスカーから殺意を失わせ、オスカーは金だけを奪って立ち去ります。
 カビリアは命だけは救われました。
 ラストシーンで、セレナーデを奏でる子どもたちの一団を後に従え、カビリアは涙をたたえながらも純粋無垢な笑みを浮かべながら立ち去っていくのでした。
 「シベールの日曜日」の記事で触れた「道」と同様に、フェデリコ・フェリーニ監督、彼の愛妻ジュリエッタ・マシーナ主演の1956年の映画で、「絶望した魂とその救済」をテーマにした作品です。
 もちろんフェリーニの監督としての手腕によるところが大きいのですが、「道」のジェルソミーナとこの作品のカビリアを演じたジュリエッタ・マシーナの名演技は映画史上に残るものです。
 彼女は、この作品でカンヌ映画祭の最優秀主演女優賞を獲得しています。
 小柄でスタイルも良くなく、決して美人でもない(この二つの映画ではブスメイクをしているかもしれません)彼女は、それだからこそ純粋無垢で孤独な魂を見事に表現しています。
 後に同じフェリーニ作品の「魂のジュリエッタ」や「ジンジャーとフレッド」で演じた知的な中流家庭の家庭婦人が彼女の実像に近いのでしょうが、こういった知的障害を持っているがそれゆえに純粋な心の持ち主を役を演じるのに彼女以上の女優はいないと思います。
 この作品も1957年のアカデミー外国語映画賞を獲得したので、二人のコンビは1956年の「道」に続いて連覇したことになります。
 ちなみに、1947年に始まったアカデミー外国語映画賞は、1950年代までの12回(1953年は受賞なし)は、フランス(5回)、イタリア(4回)、日本(3回)と3カ国のみで分け合ってます。
 ご存知のように、そのころの日本映画は世界でも最高水準でしたし、フランス映画とイタリア映画も日本でも人気がありました。
 特に、同じ第二次世界大戦の敗戦国で復興の途上にあったため、イタリア映画には日本人は強いシンパシーを感じていたようです。
 戦後のイタリア映画は、1945年のロベルト・ロッセリーニの「無防備都市」を初めとしたネオレアリズモ(ニューリアリズム)という新しい表現運動が起こっており、いわゆる近代的不幸(戦争、貧困、飢餓など)を写実的に描いて、社会の矛盾を告発していこうとしていました。
 ネオレアリズモの監督には、ロッセリーニやフェリーニ以外には、「靴みがき」や「自転車泥棒」のヴィットリオ・デ・シーカや「鉄道員」のピエトロ・ジェルミなどがいました。
 手元に残っているパンフレットによると、1973年4月4日から6月5日にかけて、京橋の東京国立近代美術館フィルムセンターで、イタリア映画の特集をやっていました。
 3時と6時15分の1日2回上映で、二日ごとに上映作品が変わっていました。
 料金は、一般は100円、学生は70円、子供50円、パンフレットは前後半に分かれていて一冊200円でした。
 当時の物価水準を考えても、破格の低価格だったと記憶しています。
 私は、前半の「無防備都市」から「鉄道員」まで日参していました。
 「カビリアの夜」は、4月30日か、5月1日に見たようです。
 後半のパンフレットはないので、そのころは、すでに大学の児童文学研究会に入会していて、児童文学の方に私の関心が移っていたようです。
 イタリア映画特集が始まる直前の4月1日に大学の入学式が予定されていたのですが、会場の大隈講堂周辺での新左翼のデモのために中止になったことを覚えています。
 理工学部の授業が始まる日より前に、フィルムセンターの小さなスクリーンで「無防備都市」を見た時の感動を今でもはっきり覚えています。
 今思うと、当時の現代日本児童文学作品(特に社会主義的リアリズム作品)とネオレアリズモの映画は多くの共通点を持っていました。
 散文性の獲得:ネオレアリズモでは、徹底した写実的な表現が採用されました。
 子どもへの関心:ネオレアリズモでは、実社会の庶民を描くために素人も出演者として採用されたばかりでなく、「靴みがき」、「自転車泥棒」、「鉄道員」などでは、大人と共生する子どもたちの姿も多く描かれました。
 改革の意志:ネオリアリズムモでは、社会の暗部を描くことにより、社会の改革を訴えました。
 私が児童文学研究会に入って、現代日本児童文学作品をすんなり受け入れられたのは、その前にネオレアリズモの映画に触れていたおかげかもしれません。

カビリアの夜 完全版 [DVD]
クリエーター情報なし
東北新社



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翼よ!あれが巴里の灯だ

2022-05-03 09:56:38 | 映画

 1957年公開のアメリカ映画です。

 1927年に、初めてニューヨークとパリの間を飛行機で無着陸で横断したチャールズ・リンドバーグの著書を、精密な再現機を何台も作って撮影して映画化したものです。

 実際の横断飛行だけでは単調過ぎてしまうので、それは全体の三分の一ぐらいに留めて、この飛行に至るまでの主人公の苦闘の方に多くの時間を割き、飛行中にも回想シーンを入れて観客を飽きさせない工夫を、名匠ビリー・ワイルダー監督が駆使して、感動のドラマに仕立てています。

 原作の有名なエピソード(頭上の機器を見るために用意された鏡が重すぎたので見送りの観衆の中にいた少女のコンパクトを借りた、親友が用意したサンドイッチの袋の中に彼の飛行教室の生徒である神父が託したお守りが忍ばせてあった、機内に迷い込んだハエとの会話、睡魔との戦い、機体への着氷との戦い、飛行する方向の確認の苦労、大西洋を横断して予定通りにアイルランドの陸地を発見するシーンなど)も、巧に織り交ぜていて、観客を感動させてくれます。

 特に、パリ到着時に若き英雄を一目見ようとして押しかけた数十万の群集や、帰国後のニューヨークでの数百万の人々の歓迎シーンには、実際のニュース映画なども使われていて、当時の熱狂ぶりを再現しています。

 現代から見れば、大西洋横断なんてたいしたことないと思われるかもしれませんが、なにしろ1903年のライト兄弟の初飛行(諸説ありますが)以来、まだ20年ちょっとしかたっていなかったころのことですから、ちょっと大袈裟にいえばアポロによる月着陸のような大冒険(直前に挑んだ人たちが失敗して何人も命を落としています)だったのです。

 横断飛行成功時に25才だったリンドバーグを演じたのは、当時47才だったジェームス・スチュワートだったので、評価には賛否両論があったようですが、ダイエットによる若々しいスタイルと彼独特の軽やかな演技は、アメリカの好人物を演じる俳優の第一人者だけのことはあります。

 なお、「翼よ!あれが巴里の灯だ」というかっこいい邦題は、映画では台詞としても使われておらず、原題は彼の冒険を支援したセントルイスの人々にちなんで愛機につけられたThe Spilit of St. Louisという原作の題名と同じものでした。

 

 

 

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