現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

佐藤宗子「幼年童話における「成長」と「遍歴」――松谷みよ子「モモちゃん」シリーズを中心に――」

2019-02-18 08:56:19 | 参考文献
 千葉大学教育学部研究紀要第三五巻一部に、1987年に発表された論文です。
 石井直人の「児童文学における<成長物語>と<遍歴物語>の二つのタイプについて」(『日本児童文学学会会報』第十五号所収、その記事を参照してください)をもとに、日本の幼年童話の「成長」と「遍歴」について考察しています。
 初期の長編幼年童話であるいぬいとみこの「ながいながいペンギンの話」や「北極のムーシカミーシカ」は、「成長物語」の典型的な構造を備えているとしています。
 また、瀬田貞二の「幼い子の文学」で指摘されている「生きて帰りし物語」は、「成長物語」の構造を備えているととらえています。
 この「生きて帰りし物語」という枠に当てはまる作品として、寺村輝夫の「ぼくは王さま」、中川李枝子の「いやいやえん」、小沢正の「目をさませトラゴロウ」、神沢利子「くまの子ウーフ」などの短編連作の作品群をあげています。
 そして、個々の短編は「成長物語」であるが、短編集全体としては「遍歴物語」の様相を呈していると指摘しています。
 それは、短編のひとつずつの小さな「成長」が次の短編につながるような書き方をすれば、A・A・ミルンの「プー横丁にたった家」のラストシーンで、クリストファー・ロビンが物語世界に別れを告げたように、「幼年時代」から脱却しなければならないからです。
 しかし、このような「成長」と「遍歴」の二項対立に対して、異なるアプローチをした幼年童話シリーズに、松谷みよ子の「「モモちゃんとアカネちゃんの本」シリーズがあるとしています。
 佐藤は、「ちいさいモモちゃん(1964年)」、「モモちゃんとプー(1970年)」、「モモちゃんとアカネちゃん(1975年)」、「ちいさいアカネちゃん(1978年)」、「アカネちゃんとお客さんのパパ(1983年)」という二十年にわたり書き継がれた全5作を丹念に読むことにより、その構造を明らかにしていきます。
 まず、「ちいさいモモちゃん」は、モモちゃんが誕生してから三歳過ぎまでの文字通り「成長物語」として書かれていることを検証しています。
 次に、「モモちゃんとプー」は、同じように「成長物語」として、モモちゃんの小学校入学前までが描かれていますが、そのままだと「幼年物語」としてのこのシリーズは終わってしまうので、終わり近くで新しい「幼児」であるアカネちゃんを誕生させています。
 第3作の「モモちゃんとアカネちゃん」からは、作品世界の中心はアカネちゃんに移っていきますが、アカネちゃんはあまり成長せず(1歳7か月まで)に幼さをひきずっていきます。
 次の第4作の「ちいさいアカネちゃん」でも、アカネちゃんは1歳9か月から3歳の百日前(2歳9か月)までとゆっくり成長します。
 そして、第5作の「アカネちゃんとお客さんのパパ」の第1話では、アカネちゃんは2歳7か月に戻ってしまいます。
 第5作「アカネちゃんとお客さんのパパ」で、アカネちゃんは3歳と4歳の誕生日を迎えますが、5歳の誕生日に関してはあいまいなままでだんだん年齢不詳化されていきます。
 こうしたシリーズ全体の「成長物語」から「遍歴物語」への移行は、このシリーズが二十年という長い期間に書かれたことと、非常な人気を得て幼児のみならず小学生や母親たちまでを含んだ広範な読者を獲得していったことが原因と思われます。
 読者には、モモちゃんやアカネちゃんの「成長」を喜びながらも、この物語世界にいつまでも留まりたい(「遍歴」したい)という欲求があり、作者がそれにこたえていったことが、モモちゃんとアカネちゃんの成長の違いに現れているのでしょう。
 こういったことは、漫画やアニメでは常套手段として使われています。
 例えば、サザエさんでは、タラちゃんの成長に伴い幼児性を代償する存在としてイクラちゃんを登場させています。
 最近の例では、読売新聞の「コボちゃん」も、コボちゃんが小学校に上がる代償として、妹のミホちゃんを誕生させています。
 このように、好評を得て長く続いたシリーズ物では、「成長物語」と「遍歴物語」の二項対立ではなく、その間で微妙なバランスを取った作品群が生まれてくるのでしょう。
 これは、いつまでもこのシリーズを読み続けたいという読者の欲求(書き続けたいという作者の欲求でもあります)から生じるものだと思われます。

「現代児童文学」をふりかえる (日本児童文化史叢書)
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久山社

 

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宮沢賢治学会イーハトーブセンター「宮沢賢治研究Annual Vol.22 2012」

2019-02-18 08:53:12 | 参考文献
 「宮沢賢治研究Annual Vol.22 2012」に、強いショックを受けました。
 2011年の号も、大半は2010年のビブリオグラフィー(その年に出版された参考文献目録)と以前のビブリオグラフィーの補遺で、論文類は三本しか載っていませんでしたが、2012年は研究ノートが一つと論文は他の雑誌などにすでに発表されたものを再録したのが二本載っているだけでした。
 編集後記によると、投稿された論文は掲載できるレベルになかったとのことです。
 やはり会員の研究自体が低調なようです。
 学会の活動もほとんどが岩手県の花巻で行われていて参加が難しいこともあり、会員を続けることを断念しました。

宮沢賢治―驚異の想像力 その源泉と多様性
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朝文社


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中野みち子「海辺のマーチ」

2019-02-18 08:52:03 | 作品論
 この作品は、労働組合のことを取り上げた児童文学の代表作の一つです。
 1971年初版なので、70年安保の挫折感がどのように出てくるのかと思ったのですが、時代設定が1966、67年ごろで、執筆されたのも1960年代末と思われますので、まだ社会主義リアリズムは破綻していなくて、組合運動の未来に作者は希望を持って書いています。
 主人公に作者の意見を代弁される部分があってかなりテーマ主義なにおいがするのですが、主人公を組合側でなく管理者側の娘にしたことが、一方的な組合賛美にならなくてすむことに成功しています。
 営林署や労働組合への取材もかなりきちんとされていますし、登場人物や風景もしっかりと書き込まれています。
 私の読んだ本は1980年8月で10刷なので、少なくとも1970年代にはかなり読まれたのだと思います。

海辺のマーチ (ジュニア・ライブラリー)
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理論社
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後藤竜二 ぶん、長谷川知子 え「ないしょ!」

2019-02-18 08:50:53 | 作品論
 この作品は、普通の物語絵本ではなく、子ども向けの新聞に連載された連作掌編のひとつひとつに絵をつけてまとめたものです。
 後藤は、ヤングアダルトから幼年まで、シリアスなものからエンターテインメントまで、自在に書き分けられた稀有な現代児童文学作家です。
 児童文学研究者の佐藤宗子は、2010年を「現代児童文学」の終焉とした理由のひとつに、彼の死をあげています。
 この絵本でも、キレのいい掌編をうまくまとめて、全体ではひとつの大きな物語が浮かび上がらせています。
 長谷川の絵も、いつもながら迫力満点で魅力があります。
 この二人のコンビは、「1ねん1くみ」シリーズなどで、読者にはお馴染みなのですが、よほど相性がいいのか、絵本などでも一緒に多くの仕事をしています。

ないしょ!
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新日本出版社
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北村薫「隣の赤」うた合わせ所収

2019-02-18 08:43:09 | 参考文献
 小説新潮に五十回にわたって連載された、作者が選んだ現代短歌の百人一首の第一回です。
 以下の二首が選ばれています。
 「不運つづく隣家がこよい窓あけて眞緋なまなまと耀る雛の段」塚本邦雄
 「隣の柿はよく客食ふと耳にしてぞろぞろと見にゆくなりみんな」石川美南
 時代も作風も違う二首を合わせて、それに関連した随想を、自分自身は短歌を読まない直木賞作家が書いています。
 短歌に限らず本や文学に関するマニアックな情報が盛り込まれていて、本好きにはたまらない随想です。
 随想の中には他の歌も紹介されていて(本全体で550首収録されているそうです)、現代短歌の格好の入門書になっています。

 
うた合わせ 北村薫の百人一首
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新潮社
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2月17日(日)のつぶやき

2019-02-18 06:46:19 | ツイッター
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少年少女の名作案内 日本の文学 ファンタジー編

2019-02-17 09:38:50 | 参考文献
 2010年に出た日本児童文学のガイドブックのファンタジー編で、50作品が選ばれています。
 同様の本は1979年、1998年にも出ていますが、この本は日本児童文学者協会編という縛りが取れたせいか、選考範囲はかなりバランスのとれたものになっています。
 特長としては、戦前の児童文学作品(小川未明、宮沢賢治、浜田広介、新美南吉など)が復権したこと(従来のガイドブックは、1950年代以降の狭義の「現代児童文学」に偏っていました)、一人一作という総花的な縛りをなくして重要な作家は複数の作品を入れたこと(宮沢賢治(3作)、新美南吉、松谷みよ子)、単独作品だけでなくシリーズ物も取り上げたこと(ズッコケシリーズ、守り人シリーズなど)、2000年前後の新しい作品も取り上げられたこと(上橋菜穂子、伊藤遊など)があげられます。
 巻頭に、編者の一人である佐藤宗子が、「境界の向こうに広がる世界」というタイトルで、明治時代から現代までの日本のファンタジーの歴史について概観しています。
 また、各作品の評者は、編者たち(佐藤宗子、藤田のぼる)が属する日本児童文学者協会評論研究会のメンバー(必ずしも日本児童文学者協会の会員とは限りません)を中心に、日本児童文学学会の会員など、評論、研究分野の人たちがほとんどで、先行研究なども紹介しつつバラつきのないものになっています。
 この本に載っている作品を一通り(シリーズものを全部読むのは難しいですが)読めば、日本のファンタジーの世界を概観できると思われます。

少年少女の名作案内 日本の文学ファンタジー編 (知の系譜 明快案内シリーズ)
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自由国民社
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ジョゼと虎と魚たち

2019-02-17 09:37:07 | 映画
 2003年に公開された青春映画です
 ノーテンキな大学生と足に障害を持つ少女との、風変わりな出会いと別れを描いています。
 デビューしたころの妻夫木聡や上野樹里たちが、新鮮な魅力を発揮しています。
 特に、主人公の少女を演じた池脇千鶴の不思議な雰囲気が、この映画の作品世界を支えています。
 妻夫木聡と池脇千鶴といえば、同じ年に公開された「きょうのできごと」でも同じような魅力を持った映画でした。
 その後も、二人は順調に活躍しているようです。

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TCエンタテインメント
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皿海達哉「ナイフ」なかまはずれ 町はずれ所収

2019-02-17 09:35:39 | 作品論
 この作品も、主人公は普通の小学校六年生の男の子です。
 主人公は、学校対抗の野球の試合のメンバーにも選ばれず、クラスの女の子たちのいざこざ(リーダー格の女の子がなくした指輪を、別の女の子が盗んだのか、拾っただけなのか)にも巻き込まれます。
 男の子の世界でもうまくいかず(これも1976年の出版時期にはすでに変わっていたと思いますが、作者の子ども時代のころの学校対抗の野球の試合の持つ意味は、今では想像できないぐらい大きなものでした。なにしろ、他に盛んなスポーツがないので、男の子のほとんど全員がいっぱしの野球プレーヤーでしたから)、女の子たちにも相手にされない(しかも不運にもいざこざにまで巻き込まれてしまう)男の子の屈折した感情が見事に書かれています。
 20年後の1996年に、それまで野球を全く知らなかったあさのあつこ(本人が語っています)は、超人的少年ピッチャー原田巧を生みだして、「バッテリー」シリーズを1000万部以上売ることに成功しました。
 この間に、確実に児童文学は変貌をとげました。
 自然主義的文学からエンターテインメントへ、普通の男の子が共感できる男の子の主人公から、女性読者(大人も含みます)があこがれるヒーロー的な男の子の主人公へ。
 近代文学をベースにした「現代児童文学」は、こうして終焉しました。

0点をとった日に読む本 (きょうはこの本読みたいな)
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偕成社

 
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後藤竜二 ぶん、長谷川知子 え「りんご畑の九月」

2019-02-17 09:33:22 | 作品論
 農家の子どもたちが、りんご泥棒を見張る話です。
 人間を信じることの大切さを伝える後藤の文もいいし、長谷川の絵もいつものように魅力的なのですが、どこかしっくりとしません。
 絵本というよりは、短編小説に大きな絵をたくさんつけたような感じなのです。
 絵本で一番大事な、ページをめくった時にどんな世界(絵)がひろがるかのわくわく感が、決定的に欠けています。
 その原因は、後藤の文にストーリー性が不足していることだと思います。
 そのため、美しいシーン(絵)はたくさんあるのですが、それらが十分に生かされていないように思いました。

りんご畑の九月
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新日本出版社
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