goo blog サービス終了のお知らせ 

現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

椎名誠「黄金時代」

2025-04-24 09:23:09 | 参考文献

 作者の夥しい作品群の中では、純文学的な位置を占める作品です。
 中学三年から写真大学に入学したあたりまでの5、6年間を、作者の最大の武器である緻密な記憶力で描き出しています。
 作者のこの時代については、いろいろなエッセイやユーモア小説で度々描かれているので、エピソード自体にはあまり新鮮味はないのですが、それをストイックなまでに自意識をむき出しにして書いているのが他の作品にはない魅力になっています。
 主人公の年齢で言えば、この作品は児童文学ならばヤングアダルト物にあたります。
 そういった作品のにつきものの恋愛や性体験なども出てくるのですが、そうしたものよりも喧嘩や肉体労働が物語の中心になっているのは、作者の青春が軟派よりも硬派的な要素が強かったことによるのでしょう。
 酒や煙草を日常的にのんでいて、喧嘩に明け暮れているのに、主人公(作者)に崩れたものを感じないのは、それと並行して肉体労働や自分のやりたいこと(写真など)に真摯に向き合う姿がしっかりと描かれているからでしょう。
 こうした青春時代は、作者のその後の活躍の土台になっていて、いろいろな作品で多くの読者を引きつけているのだと思われます。

黄金時代 (文春文庫)
クリエーター情報なし
文藝春秋
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フリードリッヒ・シュナック「おもちゃ屋のクリック」講談社版少年少女世界文学全集第22巻所収

2025-04-23 08:31:01 | 作品論

 1933年に出版されたドイツの児童文学です。
 おもちゃ屋に勤めるおとうさんと二人暮らしの12歳の男の子クリックと、彼のガールフレンドのアリーを中心に、当時の都会(おそらくドレスデン)の人々の暮らしを生き生きと描き出しています。
 クリックが買った宝くじ(二等に当選して二万マルク(現在の日本の貨幣価値で言えば2000万円ぐらいか?)がもらえます)を隠してあった毛糸の帽子をなくし、それを見つけ出すまでがお話のメインですが、ストーリーそのものよりも彼らの暮らしや登場してくる人物(大人も子どもも)たちをリアリティを持って描いている方が魅力です。
 エーリッヒ・ケストナーの諸作品(「エーミールと探偵たち」など)とほぼ同時代の作品ですが、この作品の一番の特長は子どもたちだけでなく、動物屋(今の言葉で言えばペットショップですね)のぜんそくおじさん、ザサフラス(元)船長などの個性豊かな大人たちが、クリックたちを子ども扱いせずに一人前の人間として付き合っている点でしょう。
 今回、50年以上ぶりに読んで気づかされたのは、当時のドイツの貧困や子どもたちの不幸(クリックはおかあさんがなくなっていますし、アリーは赤ちゃんの時に両親を失っています)が、かなりしっかりと書き込まれていることです。
 子どものころ(1960年代初め)に読んだ時にクリックたちの貧困に気付かなかったのは、当時の自分のまわりの方がもっと貧しかったからでしょう(特に私の家だけが貧しかったわけではなく、東京オリンピック前なので日本中がまだ貧しかったのです)。
 この作品の場合、貧困を抜け出す手段が宝くじ当選なので、安易な感じを受けるかもしれませんが、この宝くじは当時(第一次大戦敗戦後の復興も行き詰まりを見せていました)のドイツの貧しい人たちにとっては、未来への希望の象徴だったのでしょう。
 そういった意味では、文中に出てくる「いつかアメリカ帰りの大金持ちのおじさんが現れないかなあ」という儚い夢と、等価だったのかもしれません(同じように敗戦国だった私の子どもの頃の日本では、「アメリカ帰り」ではなく「ブラジル帰り」のおじさんでした)。
 しかし、ご存じのように、ドイツではこの本が出版されたころに、ヒットラーのナチスが台頭し、第二次世界大戦の泥沼に突入します。
 なお、この作品も全集に収める紙数の関係で抄訳なのですが、今回探してみましたが残念ながら日本では全訳は出版されていないようでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏目漱石「坊ちゃん」

2025-04-22 09:07:05 | 参考文献

 児童文学の世界でよく言われる言葉に、「日本の児童文学は一人のトム・ソーヤーも生み出せなかった」というのがあります。
 つまり、その時代を代表するような魅力的な子ども像が、日本の児童文学では一人も描かれなかったことを意味します。
 これは、1950年代に現代児童文学がスタートするときに、小川未明らの近代童話を批判するときの常とう句でしたが、私はその現代児童文学もまた、一人のトム・ソーヤーを生み出せなかったと思っています。
 その一方で、狭義の児童文学では確かにそうですが、範囲を日本文学全体に広げれば一人だけいると思っています
 それが、「坊ちゃん」です。
 彼は二十三才という設定ですが、これは数えの年齢なので、満年齢で言えば二十一歳ぐらい(今で言えば大学生ぐらい)でしょう。
 それに、冒頭に子ども時代の思い出も語られていますので、児童文学のヤングアダルト物にあたります。
 また、漱石の他の作品より平易な文章で大衆向けに書かれているので、今ならエンターテインメント作品です。
 坊ちゃんだけでなく、赤シャツにしろ、野だいこにしろ、山嵐にしろ、キャラクターがたっている点からいっても、現代でも十分に通用するエンターテインメント的要素を備えています。
 久しぶりに読み返してみても、百年以上も前に書かれた作品とは思えないほど生き生きとしていて、少しも古びていません。
 もちろん、軍国的だったり、差別用語がつかわれていたり、天誅という名の暴力が肯定されたりなど、現代にはそぐわない点もありますが、それらは日露戦争当時の明治時代という歴史背景を考慮しなければなりません。
 狭義の児童文学の世界に閉じこもっている今の日本の児童文学界ではあまり議論されないでしょうが、「日本のトム・ソーヤー」をうんぬんするよりは、「第二の坊ちゃん」をいかにして生み出すかを考える方がずっと建設的だと思います。

坊っちゃん (新潮文庫)
クリエーター情報なし
新潮社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大石真「風信器」大石真児童文学全集1所収

2025-04-21 08:24:19 | 参考文献

 1953年9月の童苑9号(早大童話会20周年記念号)に発表され、その年の日本児童文学者協会新人賞を受賞しています。
 ちょうどその年に、早大童話会の後輩たち(古田足日、鳥越信、神宮輝夫、山中恒など)が少年文学宣言(正確には「少年文学の旗の下に!」、詳しくはその記事を参照してください)を発表し、それまでの「近代童話」を批判して、「現代児童文学」を確立する原動力になった論争がスタートしています。
 この作品は、その中で彼らに否定されたジャンルのひとつである「生活童話」に属していると思われます。
 ここでは、近代的不幸のひとつである「貧困」(高度成長期を経ていったんは克服された「貧困」は、21世紀になって格差社会による不幸として、再び現代の子どもたちを苦しめています)が、弘という少年がお昼の弁当を持ってくることができずに、水だけでがまんしたり、他の子の弁当を盗んだりしていたことにより、描かれています。
 しかし、主人公の少年は、そのことに対してじっと見守るだけで行動を起こせません。
 やがて、北海道へ去っていく弘のことを思い起こすだけです。
 この二人の少年の暗黙の心のつながりを、「風信器(風向や風力を示す機械で昔の学校には設置されていました)」に象徴させて、いい意味でも悪い意味でも非常に文学的な作品です。
 おそらく1953年当時の児童文学界の主流で、「三種の神器」とまで言われていた小川未明、浜田広介、坪田譲治などの大家たちに、「有望な新人」として当時28歳だった大石は認められたのでしょう。
 「現代児童文学」の立場から言えば、「散文性に乏しい短編」であり、「子どもの読者が不在」で、「変革の意志に欠けている」といった、否定されるべき種類の作品なのかもしれません。
 しかし、大石はその後、より「現代児童文学」的な「教室203号」(その記事を参照してください)や、エンターテインメントの先駆けになる「チョコレート戦争」(その記事を参照してください)などを世に送り出して、「現代児童文学」と「近代童話」の狭間に揺れながら、多彩な作家生活をおくることになります。

大石真児童文学全集 1 風信器
クリエーター情報なし
ポプラ社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

椎名誠「犬の系譜」

2025-04-20 09:05:35 | 参考文献

 1987年の一年間、小説現代に連載され、翌年単行本になって、吉川英治文学新人賞を受賞した作品です。
 夥しい数が出版されている作者の本の中で、最も児童文学的な作品です。
 小学校三年から六年までの間に飼っていた三代の犬の系譜をたどる形にはなっていますが、作者と犬たちとの交流はそれほど話の中心ではなく、その時代の家族とその周辺の変遷が、非常に緻密に描かれています。
 世田谷から千葉の漁村(浦安あたりと思われます)への都落ち(本人と幼い弟は自覚していませんが、両親や年長の兄弟たちははっきりと意識しています)、父の死、長兄の結婚(父の死と結婚以来、長兄は家長としての責任を負うようになります)、家事を一手に引き受けるようになった素朴で優しい兄嫁の登場、それらに伴う母の変化(踊りを中心にして非常に社交的になっていきます)、姉の独立、無職で一家の雑用(その中には主人公たちの部屋の増築なども含まれています)を引き受ける母の弟の活躍、次兄の睡眠薬自殺未遂とその後遺症による精神病院への入院といった波乱万丈の四年間が、当時の漁村の風物や暮らしや人々を背景にして、克明に描かれています。
 他の記事で繰り返し書いてきましたが、子ども時代の鮮明な記憶は、多くの児童文学者(代表的な例をあげれば、ケストナーや神沢利子など)に共通した非常に大事な資質ですが、そういった意味では、作者は児童文学者としても優れていると言えます(もともと、青春時代の些末な出来事を面白おかしく書いたスーパーエッセイでデビューしたのですから、当然と言えば当然なのですが)。
 実際、作者には、「黄金時代」や「岳物語」などの同様の系列と考えられる作品群があります。

犬の系譜 「椎名誠 旅する文学館」シリーズ
クリエーター情報なし
クリーク・アンド・リバー社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

椎名誠「本の雑誌血風録」

2025-04-19 11:41:24 | テレビドラマ

 週刊朝日に連載後、1997年に出版された作者特異の自伝風実録ものです(解説の目黒考二によると、かなりフィクションが混じっているそうです)。
 その目黒が友人たちに勝手に配布していた個人書評誌を、定期的に公に発行される雑誌に立上げていく様子が、手作り感満載で描かれています。
 椎名銘柄の有名人たち(おなじみの木村晋介や沢野ひとしに加えて、目黒孝二や群ようこなど)が多数登場します。
 時代としては、「銀座のカラス](その記事を参照してください)の直後なのですが、フィクション度はかなり下がり、最初の「哀愁の町に霧が降るのだ」と同程度の感じです。
 文字通り手作りで新しい雑誌を立ち上げるあたりは非常に楽しいのですが、後半は有名人になっていく作者本人と著名人も執筆するようになる「本の雑誌」の成功譚(作者本人については、さらに中小企業とは言え、勤め先の社長就任を打診されるという二重の成功でもあります)を読まされているようで、読まされる方は他の記事にも書いたように「成功者の無惨」を感じてしまいます。
 実際の作者は、社長就任の打診と有名人になっていく自分に引き裂かれるようして精神を病んでいったようなのですが、その部分は非常に簡単にしか書かれていない(本書の内容にそぐわないのかもしれませんが)ので、残念ながら作者に寄り添って読むことはできませんでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宮沢賢治「注文の多い料理店」注文の多い料理店所収

2025-04-15 09:14:15 | 作品論

 この作品集の表題作です。
 賢治の数多くの短編の中でも、もっとも有名なものの一つでしょう(「銀河鉄道の夜」のような長編は除いてですが)。
 料理店で注文をつけるのが、客ではなくお店側だという逆転の発想は、その後多くの模倣者や追随者を生みました。
 ここでも、賢治は子ども読者の大好きな繰り返しの手法を使って、物語を盛り上げています。
 この短編は、なんでもお金で解決を図り、田舎の暮らしにもずかずかと踏み入ってくる都会の人たちへの田舎の子どもたちの反発を描いていることで有名(賢治自身もこの作品集の宣伝チラシで明言しています)ですが、ラストではどんでんがえしを用意して、彼らにも救いの手を差し伸べています。

注文の多い料理店 (新潮文庫)
クリエーター情報なし
新潮社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

庄野潤三「プールサイド小景」プールサイド小景・静物所収

2025-04-14 13:54:07 | 参考文献

 第三十二回芥川賞受賞作で、作者の出世作です。
 現在と違って、もともとの芥川賞は、この作品のような才能ある新人作家の短編におくられるものだったのです。
 女子選手が練習している私立の学校のプールで、端のコースで小学生の二人の息子に水泳を教えていた夫(この学校のOBでコーチとも知り合いとはいえ、今では考えられない牧歌的な風景です)を、妻が夕方の犬の散歩がてらに迎えに来て、四人で一緒に帰るシーンから始まります。
 このホームドラマ(死語か?)的な家族が、実は危機的な状況に陥っていたのです。
 夫が給料六か月分ぐらいの会社のお金を使いこんで、解雇されたところでした。
 使い込みの理由はどうやらバー通いらしいのですが、そこには見知らぬ女の影があることも妻は気づいています。
 日常のすぐそばにある底知れぬ落とし穴。
 この危機をきっかけに、夫と妻、それぞれの人生観が語られます。
 この作品で作者が語った仕事観やジェンダー観は現在ではかなり古風なものですが、こうした陥穽がすべての家族のすぐそばにあることは現代でも変わりません。

プールサイド小景・静物 (新潮文庫)
クリエーター情報なし
新潮社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バグダッドカフェ

2025-04-13 09:28:48 | 映画

 1987年公開の西ドイツ映画です。

 日本ではミニシアターで公開され、当時のミニシアター・ブームの代表作の一つです。

 アメリカの砂漠地帯で、夫とけんか別れして車を降りた中年の太ったドイツ女性が、さびれたガソリンスタンドとモーテルを併設したカフェにたどり着きます。

 そこの風変わりな住人たち(グータラな夫を家からたたき出した女主人、いつもピアノを弾いている息子と彼の赤ん坊、遊び回っている娘、なまけものの店員、そばのトレーラーで暮らすヒッピー風の老画家(往年の悪役スター、ジャック・パランスが好演しています)、モーテルで暮らす女入れ墨師など)と交流するにつれて、主人公は失った人間性を回復していきます。

 その一方で、主人公の大きな童女とも呼ぶべき容姿と振る舞い(マリアンネ・ゼーゲブレヒトが体当たりの演技を見せています)が、住人たちの人間性も回復させていきます(イライラ周囲に当たり散らしていた女主人は落ち着きを取り戻して家庭(夫も戻ってきます)も商売も軌道にのせます。息子はピアノの腕前をみんなに認められます。娘は落ち着きを取り戻して勉強も手伝いもするようになります。老画家は創作意欲をかき立たせられると同時に主人公に結婚を申し込みます)。

 主人公が、夫の荷物(別れる時にスーツケースを間違えたようです)の中にあった手品セットを独習して、みんなに披露し、それが評判をよんで、カフェも繁盛します。

 全体に大人向けのファンタジーのような趣があり、典型的なハッピーエンドなので、幸せな余韻に浸れます。

 ただし、うまくいき過ぎの感は拭えないので、「みんなが仲良しすぎる」といって途中でモーテルを去った女入れ墨師のように、作品についていけなくなる人もいるかもしれません。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吉川英治「宮本武蔵」

2025-04-12 09:30:57 | 参考文献

 戦前の大衆小説の金字塔的作品です。
 朝日新聞に四年にわたって連載された大河小説(文庫本で八冊)です。
 今では信じられないことですが、朝日新聞の発行部数を大幅に伸ばし、自宅で新聞を取っていない人たちは、毎朝、職場で朝刊を奪い合って読んだと言われるほど人気がありました。
 名もない田舎の郷士のせがれが、いろいろな人たちと触れ合う(剣による果し合いだけでなく、禅や芸術とも出会います)中で、剣禅一如の境地を求める姿に、太平洋戦争前の暗い世相の中で、人々に自分生き方を考えさせたようです。
 文芸評論家の尾崎秀樹は、「大衆小説とはロマンを求める小説」と定義しています(その記事を参照してください)が、この小説はまさにその王道を行く作品だと言えます。
 ただ、そのロマンは、「男のロマン」(天下無双の剣豪で、登場する女性たち(お通、朱美、吉野太夫、お鶴など)にもやたらともてます)と言えるかもしれないので、女性読者が多数派の現代の読者には向かないでしょう。
 また、ジェンダー観が古いだけでなく、教養主義(その記事を参照してください)真っ盛りの時代なので、歴史や古典文学や宗教などの作者の広範な知識が作品内で披露されるので、現代の読者に読みこなすのは難しいかもしれません。
 なにしろ、大衆小説家として文壇からは差別(芸術院会員にはなれませんでした)されながら、大衆の圧倒的な支持を背景に文化勲章まで取った大家の作品なのですから。
 個人的には、剣を追求して、吉岡一門などと戦っていた前半は夢中になれたのですが、剣や武蔵個人から離れて枝葉末節の部分が多く、まだ若いのに武蔵がどんどん老成していく後半は好きになれませんでした。
 特に、クライマックスの船島(俗に小次郎の別名から巌流島と呼ばれています)での佐々木小次郎との決闘のシーンは、主な登場人物をすべて集めた大団円になっていて、決闘の部分があっさりしすぎて物足りませんでした。
 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする