現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

ジンジャーとフレッド

2025-04-02 08:15:34 | 映画

 1986年公開のイタリア映画です。

 往年のアメリカのダンス映画の大スター、ジンジャー・ロジャースとフレッド・アステアのものまね芸人として、イタリアのショー・ビジネスでかつて活躍したジンジャー(本名はアメリア)とフレッド(本名はピッポ)が、30年ぶりに再会する話です。

 テレビのクリスマス特番の見世物的番組に、「あの人は今」的な感じで出演を依頼されたのです。

 盛りをとうに過ぎた男女の悲哀を、こちらも往年の大スターであるジュリエッタ・マシーナ(「道」のジェルミソーナです)とマルチェロ・マストロヤンニが、鮮やかに演じています。

 こうしたかつての大スターたちが、平然と老醜をさらけだして演じる姿勢は、日本ではあまりないかもしれません。

 特に、マストロヤンニは、さらに老けメイクを駆使して老醜を強調して、かつての二枚目スターのイメージをかなぐり捨てて見せているのには、感心させられます。

 この映画は、ある意味、監督のフェデリコ・フェリーニと、彼の作品の秘蔵っ子たち(ジュリエッタ・マシーナ(フェリーニの妻)は「道」「カビリアの夜」「魂のジュリエッタ」など、マストロヤンニは「81/2」「甘い生活」「女の都」など」)とによる、同窓会的な趣もあります。

 ただ、それだけでなく、醜悪な巨大テレビ局の実態を、痛烈に批判してみせているのは、さすがフェリーニです。

 この作品が作られた時には、フェリーニが66才、マシーナが65才、マストロヤンニが62才でした。

 今回、彼らと同年輩になって見直したので、公開時にはそれほど感じなかった人生の哀歓を、自分自身の実感を持ってまざまざと味わうことになりました。

 

 

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瀬田貞二「幼い子の文学」

2025-04-01 09:05:21 | 参考文献

 著者が、1976年6月から一年の予定で行った児童図書講座で、二十数名の児童図書館員を前にして話された各回一時間半の講演(残念ながら著者の病気のために六回だけで打ち切りになってしまいました)をまとめて、著者の没後に出版された本です。
 各回はそれぞれ、生きて帰りし物語、なぞなぞの魅力、童歌という宝庫、詩としての童謡、幼年物語の源流、幼年物語の展開、となっていて、それぞれ豊富な実例とともに興味深い内容が語られます。
 児童文学のもっとも源流に位置する幼年童話や絵本の構造や歴史について、主に日本と英米の本を中心にしてまとめられています。
 もし最後までこの口座が行われ著者自身の手でその内容がまとめられていたら、幼年童話に関するもっとも重要な本になっていたことでしょう。
 この本に掲載されている分だけでも、児童図書館員はもちろん、読み聞かせをされている方々や、幼年童話や絵本を実作されている人々にとっても、必読の本だと思われます。

幼い子の文学 (中公新書 (563))
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中央公論新社
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石井直人「現代児童文学の条件」(「研究=日本の児童文学 4 現代児童文学の可能性」)所収

2025-03-31 05:43:12 | 参考文献

 1998年に出た日本児童文学学会編の「研究=日本の児童文学 4 現代児童文学の可能性」の巻頭を飾る「総論」の論文です。
 ここでいう現代児童文学とは、1950年代に始まって1990年代に終焉(または変質)したといわれる狭義の現代児童文学(他の記事を参照してください)ではなく、(同時代の)という意味の広義の現代児童文学です。
 論文は、以下の四部構成になっています。
1.「幸福な一致」
2.子ども読者――読書のユートピア
3.子ども読者論の変奏
4.楕円構造――児童と文学という二つの中心
 1では、現代児童文学の出発時にさかのぼり、作者の認識と読者の認識、さらには批評までが一致していた幸福な時代について、松谷みよ子の「龍の子太郎」を中心に述べています。
 2では、著者が戦後児童文学の批評における最大の書物とする「子どもと文学」を中心に、「子ども読者」の創造と読書のユートピア時代について語られています。
 3では、1978年の本田和子の「タブーは破られたか」、1979年の今江祥智の「もう一つの青春」、1980年の柄谷行人の「児童の発見」という三つのエッセイをもとに、「児童文学のタブーの崩壊」、「児童文学と一般文学の互いの越境」、「子ども論」などを中心に、「子どもと文学」が提示した「子ども読者論」がどのように変化し、現代児童文学が変遷していったかを考察しています。
 4では、児童文学が「児童」と「文学」という二つの中心を持つための特殊性と、それゆえの矛盾や葛藤を持つものであるかが示されています。
 全体を通して、「総論」らしく現代児童文学の概観について、文学論、読者論、児童論、心理学、哲学などの知見をちりばめてアカデミックに書かれていて、注に掲げられていた論文や文献も含めて読みこなすのにはかなりの時間がかかりましたが、非常に勉強になりました。
 

現代児童文学の可能性 (研究 日本の児童文学)
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東京書籍
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瀬田貞二「宮沢賢治」子どもと文学所収

2025-03-30 11:48:20 | 参考文献

 「子どもと文学」の他の論文とかなり趣が異なり、冒頭にグループ(「ISUMI会」といいます)で話し合いがもたれた時の実際の様子が紹介されています。
 この時の題材は「なめとこ山の熊」なのですが、そのやりとりを読んでいて懐かしい気持ちになりました。
 私も、大学一年の秋に、児童文学研究会の尊敬できる先輩(どういう経緯だったのかわかりませんが、私よりもかなり年長で、未成年だった私から見ると、立派な大人のように感じられました)に誘われて、児童文学研究会の分科会としてできたばかりの、「宮沢賢治研究会」という読書会に参加しました。
 それから、二年の間参加した毎週の読書会は非常に楽しいものでした。
 今振り返ってみると、参加していたメンバーの文学的な素質もかなり高かった(その後文学系の大学の教授になった女性が二名含まれていました)のですが、やはり非常に多様な作品(しかも、大半が読書会向きの短編)を持つ「賢治」でなければ、ただ作品を読んで感想を言い合うだけのあのような読書会を毎週続けることはできなかったでしょう(もちろん、読書会の後の飲み会やメンバーとの旅行も楽しかったのですが)。
 他の記事にも書きましたが、先輩はどういうコネを持っていたのか、当時の賢治研究の第一人者であった続橋達雄先生にお話を聞く機会を設けてくれ、会で花巻へ賢治詣での旅行(賢治のお墓、羅須地人協会、イギリス海岸、花巻温泉郷など)に行った際には、続橋先生のご紹介で、賢治の生家をお訪ねして、弟の清六氏(賢治の作品が世の中に広まることに多大な貢献がありました。その記事を参照してください)から生前の賢治のお話をうかがったりできました。
 その後の著者の文章は、評論というよりは、賢治の評伝に近く、賢治の童話創作の時期を前期(習作期)、中期(創作意欲にあふれ、一日に原稿用紙百枚書いたという言い伝えがあり、ほとんどの童話の原型ができあがった時期)、後期(完成期)に分けて、時代ごとに主な作品とその特徴や創作の背景を解説しています。
 著者が指摘している賢治作品の主な特長は以下の通りです。
「構成がしっかりしている」
「単純で、くっきりと、眼に見えるように描いている」
「方言や擬声音、擬態音をうまくとりいれ、文章全体に張りのあるリズムをひびかせる」
「四四調のようなテンポの均一な、踊りのようなリズム」
「日本人には不向きと言われているユーモア」
「ゆたかな空想力」
 こうした「賢治作品」の特長を育んだものとして、著者は以下のものをあげています。
「素質が狂気に近いほどに並はずれた空想力にめぐまれたこと(こればかりは他の人にはまねできません)」
「郷土の自然」
「郷土の民俗」
「宗教(特に法華経)」
「教養(社会科学、文学、語学、音楽)(著者は無視していますが、自然科学の教養も他の作家にない賢治作品の大きな特徴です)
 全体を通して、著者自身の賢治の評価はベタほめに近く、むしろ「賢治」を利用して、既成の童話界(「赤い鳥」、小川未明、浜田広介など)を批判するために書いているような感もあります。
 また、当時(1950年代)の賢治作品の評価が「大人のためのもの」に傾いていると、著者たちは認識していたようで、自分たちの実体験(彼らの子どもたちの感想)も加えて、繰り返し賢治作品は本来「子ども(作品によっては低学年の子どもたちも)のために書かれたもの」で、その上で「純真な心意の所有者」の大人たちも楽しめるものだということを強調しています。
 この文章が書かれてから七十年近くがたち、子ども読者(大人読者も同様ですが)の本に対する受容力は大幅に低下しているので、現在では、当時の著者たちの認識より二、三年はプラスしないと、読むのは難しいかなという気はします。

子どもと文学
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小原秀雄「猛獣もし戦わば」

2025-03-29 09:44:32 | テレビドラマ

 [地上最強の動物は?」という副題を持つこの本を初めて読んだのは、この本が出版された中学三年生のときでした。
 小学生のころの「大きくなっったら動物園の園長になる」という夢は、その後プロ野球選手やサッカー日本代表などになる夢に取って代わられたものの、動物好きは当時も今も変わりませんでした。
 今だったら動物愛護協会に怒られそうなテーマですが、その頃の男の子の関心をそそったのでしょう。
 しかも、作者は私と同様にサッカーファンだったようで、目次には「猛獣ワールドカップ」なる表記もあります。
 この本が出た1970年には、ワールドカップと言えばサッカーしかなく、1968年のメキシコオリンピックで、杉山、釜本のゴールデンコンビ(先に杉山を書くのが通です)を擁し、名指導者クラマーコーチの薫陶を受けた日本チームが銅メダルを獲得する快挙で、日本は第一次サッカーブームだったのです。
 話は脱線しますが、この1970年のサッカー・ワールドカップで、ペレを擁するブラジルチームが史上初の三度目の優勝をはたして、ジュール・リメ杯(ワールドカップを創設した時のFIFAの会長にちなんだ優勝カップ)の永久保持(それまでは持ち回りでした)が許されたのでした。
 ブラジルには、ペレ以外にも、リベリーノ、ジャイルジーニョ、トスタンなどの名手がいましたし、それ以外の国にも、ウベ・ゼーラー、ゲルト・ミューラー、ベッケンバウアー(以上西ドイツ)、ボビー・チャールトン(イングランド)、リーバ、リベラ(以上イタリア)などの綺羅星のようなスーパースターたちがいました。
 この本の目次を見ると、そうしたサッカー界のスターたちにも劣らない猛獣界のスーパースターたちの対戦が並んでいます。
対決1: ライオン対トラ
対決2: ライオン対ヒョウ
対決3: トラ対ヒョウ
対決4: チーター対ライオン
対決5: ヒグマ対トラ
対決6: ゴリラ対ヒョウ
対決7: ジャガー対ピューマ
対決8: ワニ対大蛇
対決9: ワニ対サイ
対決10:ホッキョクグマ対セイウチ
対決11:シャチ対マッコウクジラ
対決12:ドール対トラ
対決13:ハイエナ対ライオン
対決14:イノシシ対トラ
対決15:オオカミ対ハイイログマ
対決16:ペッカリー対ジャガー
対決17:ライオン対サイ
対決18:スイギュウ対トラ
対決19:アフリカスイギュウ対ライオン
対決20:カバ対ライオン
対決21:カバ対クロサイ
対決22:ゾウ対サイ
対決23:ゾウ対ライオン・トラ
 それぞれの内容は、少年漫画雑誌に載っているようなキワモノではなく、当時の猛獣に関する日本の第一人者である作者が、動物学的な目撃情報から判定している正当なもの(目撃情報の少ない対戦には若干怪しげな情報も含まれていますが)で、その他のコラムも含めて猛獣ファン(そんなのがいるとしたら)にはたまらないものばかりです。
 そして栄えある猛獣チャンピオンの座は、ライオンとトラが分け合い、アフリカゾウは別格として、さらに海中の王者シャチとマッコウクジラは対象外としている、至極まっとうな(ライオン派にもトラ派にも、アフリカゾウ・ファンにも顔が立つような)結論でした。



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スケアクロウ

2025-03-28 09:52:53 | 映画

 1973年公開のアメリカのロードムービーです。
 今見ると、同性愛者への偏見などの問題点もあるのですが、ジーン・ハックマンとアル・パチーノという持ち味の違う名優が、アメリカ各地をヒッチハイクと貨物列車へのただ乗りで放浪する二人のホームレス(そのころの言葉でいえば浮浪者か?)が直面するいろいろな事件を通して、プワー・ホワイト(アメリカの貧しい白人のことで、私が初めて知った典型的な人物は1994年のリレハンメル・オリンピックにおけるトーニャ・ハーディングです)の哀しみを見事に描いています。
 プワー・ホワイトは、政治的には通常はサイレント・マジョリティですが、人口に占める割合が大きいので、大統領選挙のトランプ氏のような彼らの権利や要求を代弁すると思われる存在が現れると、急激に一大勢力として強い発言権を持つようになります。

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ワーナー・ホーム・ビデオ

 

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エウゲーニー・M・ラチョフ え「てぶくろ」 

2025-03-27 09:48:25 | 作品論

 ウクライナ民話をもとにした絵本の古典です。
 おじいさんが森の中で落とした手袋に、森の動物たちが次々に入っていくお話です。
 手袋に入ったのは、くいしんぼねずみ、ぴょんぴょんかえる、はやあしうさぎ、おしゃれぎつね、はいいろおおかみ、きばもちいのしし、のっそりぐまと、七匹もいるのです。
 最初のねずみの時点で、手袋と動物たちの大きさの比がすでにおかしかったのですが、百歩譲ってかえるまでは何とか入ってもいいでしょう。
 しかし、うさぎ以降はどう考えたって無理です。
 おじいさんは巨人なのでしょうか?
 でも、そばに落ちていた小枝と手袋の大きさの比率を考えるとそうではなさそうです。
 とても入るのは無理だと思われる動物たちが、次々に手袋に収まっていく様子を、子どもたちが大好きな繰り返しの手法を使って描いていきます。
 しかも、増えていくのは絵の中の動物たちだけなく、文章の方でも繰り返しごとに一匹ずつ増えていくので、読み聞かせをすれば子どもたちは大喜びでしょう
 ラチョフの絵も、作品世界を余すところなく伝えていて秀逸です。
 前出したように、動物たちにはその特徴を示すネーミングがされているのですが、ラチョフの絵はそれを十分に生かしています。
 また、動物たちの大きさを自在に変えて手袋にうまく収めています。
 ただし、最後の熊だけは、絵にするのが無理だったようです。
 また、手袋に土台やはしごを取り付けたり、窓まで開けてしまって遊び心満載です。
 もちろん、最後に、おじいさんが拾いに来たときには、元の手袋に戻っています。
 児童文学者の瀬田貞二は、「幼い子の文学」(その記事を参照してください)の中で、この作品について、「手袋の中に熊なんか入るもんかというふうな理屈の上での議論は抜きに、子どもの想像力の中では、熊でも何でも入っちゃうと思うんです。その手袋がいろんなものを際限なく入れるということになれば、それだけ面白いじゃありませんか。」と述べていますが、まったく同感です。

てぶくろ―ウクライナ民話 (世界傑作絵本シリーズ―ロシアの絵本)
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プラダを着た悪魔

2025-03-26 16:13:12 | 映画

 2006年公開のアメリカ映画です。

 主演のアン・ハサウェイのキュートな魅力と、カリスマ編集長役のメリル・ストリープの貫禄の演技とで、大ヒットしました。

 ジャーナリスト志望の超優秀な若い女性が、ひょんなことから場違いなファッション誌のカリスマ編集長の第二秘書になり、悪魔のような編集長の要求に悪戦苦闘する姿をコミカルに描いています。

 ストーリー自体は、完璧なハッピーエンド(編集長に後継者に指名されるもののそれを断り、小さいながら念願の新聞社に就職が決まり、仕事にかまけて気まずくなったシェフ志望の恋人ともよりが戻り、ファッション誌にいたおかげで見違えるように垢抜けします(まあ、元がいいのですから当たり前ですが))の他愛ないものですが、随所に素晴らしいファッションを満喫できて女性ファンを魅了しました。

 

 

 

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メリー・ポピンズ

2025-03-25 15:12:20 | 映画

 1964年のアメリカのミュージカル映画です。
 1934年に書かれたトラヴァースの児童文学の古典である「風にのってきたメアリー・ポピンズ」を初めとしたメアリー・ポピンズ・シリーズをもとにしていますが、基本的にはオリジナル・ストーリーです。
 ミュージカル女優だったジュリー・アンドリュースを、主役に抜擢したディズニー映画です。
 アカデミー主演女優賞を獲得した彼女の圧倒的に美しい歌声が一番の魅力なのですが、アカデミー作曲賞と歌曲賞を受賞したシャーマン兄弟の「チム・チム・チェリー」を初めとした名曲の数々が素晴らしいです。
 また、CGどころかコンピューター自体さえ一般化されていなかった時代に、実写と特殊撮影やアニメを合成した映像(アカデミー編集賞と特殊視覚効果賞も受賞しています)も当時としては画期的でした。
 アカデミー賞は受賞していませんが、相手役のディック・ヴァン・ダイクの芸達者ぶりと彼を中心としたダンスの群舞も見ものです。
 ところで、映画はメリー、原作本はメアリーになっているのが長年気になっていたのですが、今回字幕版で見たので注意して聞いてみると、俳優によって、日本語の「メリー]に近い発音の人もいますし、「メアリー」とはっきり発音している人もいるので、どちらでもいいことがはっきりしてスッキリしました。

メリーポピンズ (字幕版)
ビル・ウォルシュ,ドン・ダグラディ,ウォルト・ディズニー
メーカー情報なし
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ジョニー・ノックスビル アクション・ポイント/ゲスの極みオトナの遊園地

2025-03-24 15:24:47 | 映画

 2018年に作られた、アメリカでカルト的人気のあるコメディアンのジョニー・ノックスビルが主演した、日本非公開の超B級コメディ映画です。
 数十年前に実在した(?)手作り感満載の超危険なオンボロ遊園地を舞台に行われる、下品でおバカで体を張って作ったドタバタコメディで、背景にある父と娘とその孫娘の愛憎などの内容はお約束通りに薄っぺらでほとんど意味がないのですが、自主規制づくめで八方美人的な現代の映画の中では異彩を放っています。
 かつては、こうしたハチャメチャムービー(「大混戦」や「ピンク・パンサー」など)やテレビドラマ(「じゃじゃ馬億万長者」や「三馬鹿大将」や「ちびっこギャング」など)が日本でも公開されたりテレビで放映されたりしたのですが、最近はお行儀のいい映画やドラマばかりなので、こういった映画を久しぶりに見ると頭が空っぽになっていい気分です。
 さらに、バックに流れる「ザ・クラッシュ」などの懐かしい曲が、雰囲気を盛り上げています。

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