現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

猪熊葉子「小川未明における「童話」の意味」日本児童文学概論所収

2020-09-23 08:47:42 | 参考文献

 1976年に出版された日本児童文学学会編の「日本児童文学概論」の第一章「児童文学とは何か」第二節「日本児童文学の特色」二「なぜ童話は幼い子どものものとしてつくられたか」に含まれている論文です。
 著者は、未明とその追随者たちによる近代童話が「子ども不在」であったと、以下のように批判しています。
「一九二六年、小説と童話を書き分ける苦しさを解消し、以後童話に専心することを宣言してから、未明の作品の世界は大きく変化した。かっての未明童話を特徴づけていた空想世界は徐々に姿を消し、代わって現実的な児童像が描かれ始めた。それとともに、未明の作品には濃厚な教訓奥が感じられるようになった。
 「わが特異な詩形」としての童話を書いている間、未明は子どもの贊美者であり得た。子どものもつ諸々の特性こそが、空想世界の支えであると感じられていたからである。しかし、いよいよ子どもを対象として作品を書く決意をした時、未明は現実の子どもと向き合わざるを得なくなった。そして未明は子どもたちが環境と調和して生きられるように「忠告」する必要を感じるようになる。なぜなら、現実の子どもを目の前にすれば、未明の観念のなかにあった子どものように「無知」「感覚的」「柔順」「真率」な子どもは存在しないことに気付かないわけにいかなかったからである。
 空想的な童話を書いている時期にも、教訓的な童話を書いている時期にも、未明は子どもの側に立って発想してはいなかったと言えよう。すでに見たように、未明は自らの内部を表現するために童話の空想世界を必要としたのであったし、「わが特異な詩形」を捨てて、「子どものために」書こうと努めるようになった時には、おとなの立場に立って,子どもに現実の中で調和的に生きる道を教示したのであったから。いずれにしても、未明は、子どもの眼で世界を見ることはしていなかったのである。
 未明の「童話」が根本的には「子ども不在」の文学であったにせよ、多くの追従者をもった。それは未明の「童話」が、それまでに存在しなかった独自の美をもった作品を生んだことにもよるが、一番大きな原因は、日本の近代のおとなの多くが、未明と同様、真の子どもの発見者でなかったことによるものである。そういうおとなたちにとっては、未明のような方法で作品をつくることが、一番やりやすいことだったからだ。こうして未明の「詩的・情的童話」は、ひとつの伝統を形成していった。」
 しかし、猪熊の示した「現実の子ども」「真の子ども」「生きた子ども」などもまたひとつの観念であり、「子ども」という概念自体、近代(日本の場合は明治以降)に発見されたものにすぎないと、柄谷行人の「児童の発見」(「日本近代文学の起源」所収、その記事を参照してください)の中で批判されました。
 この柄谷の指摘はアリエスの「<子ども>の誕生」の影響下に書かれたものと思われますが、当時の「現代児童文学論者」に大きな衝撃を与え、以降、「子ども」を絶対視していた「現代児童文学論」の見直しが図られるようになりました。
 そういう意味では、この猪熊の文章は、当時の「現代児童文学論者」の「子ども」に対する考えを端的に示すとともに、その限界を明示したことで重要であったと言えるでしょう。

日本児童文学概論
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東京書籍

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