現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

ル・コルビュジエ 絵画から建築へ―ピュリスムの時代

2024-03-28 11:28:15 | 参考情報
Casa BRUTUS(カーサ ブルータス) 2019年 3月号 [ル・コルビュジエと世界遺産]
マガジンハウス
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 2019年2月から5月にかけて行われた展覧会です。
 タイトルから分かるように、ル・コルビュジエ(本名はシャルル=エドゥアール・ジャンヌレ)の「絵画から建築へ」移行する過程と、アメデ・オザンファンと共にキュビズム(立体派)を批判してピュリスム(純粋主義)を立ち上げる過程の両方を、混在させながらも要領よくまとめられています。
 前者については、もともと建築に携わっていたル・コルビュジエが、絵画を中心としたピュリズムの時代を経て、絵画だけの枠には収まり切らずに、建築、都市計画、出版、インテリア・デザインなど多方面にわたった活躍を見せるようになる過程(やがて絵画そのものは発表しなくなりますが、その創作は続けられて、彼のインスピレーションの源になり、それが多方面の分野へ展開されていきます)がよくわかりました。
 後者については、、アメデ・オザンファンから油絵の技術を吸収する一方で、建築の要素(作図的な理論)を絵画に持ち込み、ピュリズムの「構築と総合」の芸術を確立していく過程がよくわかりました。
 もっとも興味深かったのは、彼が実作だけでなく、自分が編集した雑誌でその創作理論を展開していった点です(ル・コルビジュという名前は、もともとは雑誌に執筆した時のペンネームでした)。
 そういった意味では、彼は建築や絵画などの芸術家であるだけでなく、それらの創作理論を展開する学者あるいは研究者でもあったのです。
 日本の児童文学の世界でも、かつては安藤美紀夫や古田足日や石井桃子のように実作と評論(研究)の両方で大きな実績を残した児童文学者がいたのですが、現在では全く見当たりません(しいて言えば、村中李衣かな?)。
 

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畠山兆子「原作と映像再話の物語理解と予測の考察――「小公女」のばあい」

2024-03-20 16:41:33 | 参考情報

 日本児童文学学会の第51回研究大会で、発表された研究発表です。
 児童文学の古典である「小公女」について、原作と映像再話の体験者がどのくらい作品内容を理解できているかを、大学生を対象にアンケート調査したものの分析報告でした。
 かなり大掛かりな調査で興味深い内容でした。
 ご存知のように、「小公女」はいろいろな形(完訳、抄訳、漫画、アニメや映画のノベライズなど)で出版されていますし、映像化も様々な形(実写版映画、アニメテレビ、実写版テレビなど)で行われているので、それぞれの影響を分離独立するのは困難が予想されます。
 この研究では、特に、完訳本とアニメテレビに着目して、それらの影響を検討しています。
 興味深かったのは、テレビアニメーションのナレーションが一番印象に影響していることでした。
 「語り」というものが、受容する側に大きな影響を持つのでしょう。
 これは本の読み聞かせが、子ども自身の黙読よりも記憶に残ることと同様なのでしょう。
 今回の結論としては、視聴している子どもたちには、映像を構造的に読み取る力は身についていないことがあげられていました。
 しかし、「小公女」は2009年に、「小公女セイラ(原作のセーラではなく)」として、時代を現代に、舞台を日本に移して翻案された、志田未来が主役のテレビ実写版公開されたので、調査対象者の年齢から言ってもこのテレビ番組の大きな影響が出ていたことが予想されました。
 質疑のときにそのことを質問すると、発表者も苦笑しながらそのことを認めていました。
 ただ、今回はその影響を定量的に解析できていないそうです。
 最新の映像作品が持つ直接的、間接的(自分は視聴していなくても友人から話を聞くなど)な影響は、非常に大きいことが改めて実感できました。
 例えば、「くまのプーさん」などは、大半の人にとっては、ミルンのストーリーやシェパードの挿絵ではなく、ディズニーのアニメとして記憶されているに違いないと思います。
 私自身の経験でも、ケストナーの「ふたりのロッテ」は、読む前に当時の人気子役だったヘイリー・ミルズ主演の「ふたりのロッテ」を翻案したディズニー映画「罠にかかったパパとママ」を見ていたので、その後に「ふたりのロッテ」を読んでも、なかなか映画のイメージを払しょくできずに困ったことがありました。

物語の放送形態論―仕掛けられたアニメーション番組
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世界思想社
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安 智史「サイレント映画と近代文学者たち」

2024-03-19 09:25:07 | 参考情報

 宮沢賢治学会イーハトーブセンター冬季セミナーin東京「宮沢賢治と映画」で行われた講演です。
 初期の映画では、文明の利器による大惨事というイメージが、映画で繰り返し描かれていたとのことです。
 また、二十世紀初頭には、リアルな映画もファンタジックな映画もありましたが、その後はリアルな作品の方へ進んでいきました。
 これらは、文明に対する人々の無意識の怖れを表していると思われます。
 一つのパターンとして、文明の利器で異空間へいくということが多く描かれました。
 映画を見るという知覚体験が、いかに当時の人々に多くの影響を与えたかは、様々な媒体が発達した今とは比べられないほど大きかったのではないでしょうか。
 弟の宮沢清六さんの証言によると、賢治は連続活劇にも詳しかったのではないかと推定されます。
 賢治とフランスのシュールレアリスムとは同時代で、ともに連続活劇映画の影響を受けています。
 連続活劇映画の作品は、ブルジョア社会の秩序を破壊しているため、世界中の庶民におおいにうけました。
 それらの中では、女性が大活躍していました。
 それにひきかえ、日本映画に女優が登場するのは1918年からで、それまでは男性の女形が演じていたので、賢治も含めた当時の男性観客にはあまりアピールしませんでした。
 また、連続活劇の中では探偵と悪漢は同一人物のことが多かったのですが、これは賢治の作品の中にも見られます。
 男性の女装だけでなく、女性の男装も多くあり、トランスジェンダーのモチーフがあったようです。
 このあたりは、賢治の作品に出てくる少女歌劇団との関連も考えられます。
 賢治だけでなく当時の日本の近代文学者たちに、どのように映画が影響を与えたかを豊富な実例を用いて説明されたので興味深い内容でした。
 また、いろいろなサイレント映画の注目すべきシーンが実際に上映されたので、当時の映画の水準の高さと日本の文学者への影響の大きさが実感できました。

萩原朔太郎というメディア―ひき裂かれる近代/詩人
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森話社
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山本麻里耶「「たのしい川べ」に登場するカエル君の役割」

2023-09-09 10:27:47 | 参考情報

 2017年7月29日に、日本児童文学学会7月例会で行われた発表です。
 動物ファンタジーの古典である、ケネス・グレアムの「たのしい川べ」について考察しています。
 従来、イギリス紳士を模したと思われるアナグマ、ネズミ(正確には川ネズミ)、モグラに対して、地主階級のとんでもない道楽息子として位置づけられていたカエル(正確にはヒキガエル)が、物語ではたしているユニークな役割に着目した興味深い発表でした。
 発表者は、その後の代表的なファンタジーである、バリーの「ピーター・パンとウェンディ」(その記事を参照してください)やミルンの「クマのプーさん」「プー横丁にたった家」では、作品世界があまりにアルカディア(理想郷)であったために、最後には主人公であるウェンディやクリストファー・ロビンが、立ち去らなければならないとしています。
 それは、これらの作品において、アルカディアが子ども時代の比喩であり、成長する存在である子どもたちは、いつかはそこを去らなければならないのでしょう。
 他の記事にも書きましたが、「子ども時代にさよならする」ことは、ファンタジーに限らず児童文学においては重要なモチーフであり、モルナールの「パール街の少年たち」、皿海達哉の「野口くんの勉強部屋」(その記事を参照してください)、那須正幹の「ぼくらの海へ」(その記事を参照してください)などのラストシーンで、鮮やかに描かれています。
 発表者は、そのような終わり方を物悲しいと表現していましたが、まさに児童文学あるいは文学の本質は、そこ(子ども時代はいつか終わるものですし、人間自体いつかは死ぬ宿命にあります)にあるのだと思います。
 それらと比較して、ヒキガエルのユニークな点は、最後に改心して立派な地主階級の人間になる(子どもから大人になる)ように見せかけて、実は本心は違うのではないかと思われる点(発表者が紹介したように、このことを指摘した先行研究があります)にあるとしています。
 そして、ヒキガエルのおかげで作品世界がたんなるアルカディアにならなくてすみ、沈滞した状況からやがてディストピアになる危険性を回避しているとしています。
 発表者は、地中(おそらく地方や労働者階級の比喩だと思われます)から川べ(おそらく紳士社会(特に引退後)の比喩だと思われます)に出てきて、友情に熱いネズミや頼りになる先輩のアナグマの助けを得て、立派な紳士になっていくモグラとの対比に注目しています。
 発表者は、彼らがどのような収入を得ているかが不明だと話していましたが、紳士たちのハッピーリタイアメント(生涯困らない財産をできるだけ早く築いて一線から退き、あとは好きなことをして暮らすことで、今でも欧米のビジネスマンにはそれを望んでいる人たちが多いですし、かつては日本でも隠居制度(伊能忠敬も隠居後に日本中を測量して地図を作りあげました)がありました)後の生活だと思えば不思議はありません。
 児童文学論的な観点で眺めると、モグラは典型的な成長物語の主人公であり、ヒキガエルはアンチ成長物語の主人公ということになります。
 そのために、一般的には「たのしい川べ」はオーソドックスな成長物語(いつかはお話が終わる)としても読めるのですが、一方で主人公が成長しない(おかげでお話も終わらない)遍歴物語として読めることになり、「たのしい川べ」が長い間子どもたちに読み継がれている大きな理由のひとつになっているかもしれません(成長物語と遍歴物語の詳しい定義については、児童文学研究者の石井直人の論文を紹介した記事を参照してください)。
 それでは、ケネス・グレアムは、なぜこのような作品を書いたのでしょうか?
 「たのしい川べ」の訳者の石井桃子のあとがきによると、ケネス・グレアムは弁護士の子どもとして生まれたのですが、父親が酒におぼれたり母親が早くに亡くなったりして、厳しい少年時代をおくったようです。
 苦学した後に銀行に就職して、地位や財産を得てから遅くに家庭を持ったので、男の子(アラステア)が生まれたのは彼が42歳の時でした。
 そして、そのアラステアに語る(のちに手紙にも書きました)形で、「たのしい川べ」はできあがったのです。
 ケネス・グレアムは、バリーやミルンのような職業作家ではありません。
 私自身にも経験がありますが、そのような少年時代をおくった父親が自分と比較して幸せそうに見える息子に語る物語には、子どもの今の幸せがいつまでも続くことと将来の成長に対する願いの両方がこめられていたことでしょう。
 それは、モグラ(ケネス・グレアム自身でしょう)のように社会に適合していく(大人になる)ことと、その一方でヒキガエルのようにいつまでも楽しい少年時代をおくっている子どものままでいてほしい(大人にならない)という、相矛盾するものが含まれているものなのかもしれません。
 

たのしい川べ (岩波少年文庫 (099))
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岩波書店
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宮沢賢治学会イーハトーブセンター冬季セミナー in 東京 「宮沢賢治と映画」

2023-08-16 11:47:01 | 参考情報

 今回のセミナーのねらいは、案内文によると以下の通りです。
「リュミエール兄弟による映画(シネマトグラフ)の発明から一年後に生まれた宮沢賢治の生涯は、映画が手品めいた見せ物からモンタージュの発展をへてトーキーにいたる歴史とぴたりと重なる。賢治はどのような映画の影響を受けたのか。映画はどのような影響を文学に与えたのか。そして文学はどのような影響を映画に与えうるのか。
 あえて原作の映画化(アダプテーション)という主題をはずし、映画と文学の関係を問う。」
 コーディネーターの岡村民夫の冒頭挨拶によると、今回の題目に適した人ということで、ジブリの宮崎駿に依頼したが、映画作成中なので断られたとのことでした。
 次に、宮沢賢治研究 Annual Vol.22に掲載された蔡 宜静の論文を中心にやるということで、以下の講演内容になったとの説明がありました。

 講演① 『氷河鼠の毛皮』の〈鉄道〉空間の設定と列車映画との関連
  蔡 宜静(さい せんせい)
  (台湾康寧大学応用外国語学科准教授。日本近代文学・日本語教育・台湾の日本映画受容史)
 1975年、台湾台中市に生まれる。新潟大学大学院現代社会文化研究科卒業。台湾康寧
大学応用外国語学科准教授。日本近代文学・日本語教育・台湾の日本映画受容史。
 著書『日本近代文学と活動写真の比較研究』(致良出版社、2009年)、『萩原朔太郎、
堀ロ大学、宮沢賢治および北川冬彦における映画の感受性』(康寧大学応用日本語学科出
版、2011年)。
 2011年から、早福田大学演劇映像学連携研究拠点テーマ研究海外研究分担者。
現在、早稲田大学演劇博物館訪問学者。
 
 講演② サイレント映画と近代文学者たち
  安 智史 (やす さとしI
  (愛知大学短期大学部教授・日本近代文学。日本近代詩、文化・メディア論)
 1964年、茨城県生まれ。立教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。
愛知大字短大部教授。日本近代文学・文化。
 著書に萩原朔太郎というメディア一ひき裂かれる近代/詩人』(森話社、2008年)。
 編著に『新編 丸山薫全集』(角川学芸出坂、2009年)、『コレクション・モダン都市文
化 第75巻 歌謡曲』(ゆまに書房、2011年)。共著に『和歌をひらく第5卷 帝国の和歌』(岩波書店、2006年)。論文に「三島由紀夫VS.増村保造一映画「からっ風野郎」とその後の三島の身体イメージをめぐって」(『大衆文化』第7号、2012年)などがある。
また2006年宮沢翼冶冬季セミナーでは、シンポジウム「宮沢賢治と温泉」のパネリス卜を務めた。 

 講演③ 宮沢賢治と映画 アダプテーションではなく……
  岡村民夫(おかむら たみお)
  (法政大学国際文化学部教授・表象文化論。映画評論)
 1961年、横浜市に生まれる。立教大学大学院文学研究科单位取得満期退学。法政大学国際文化学部教授。表象文化論、場所論。
 著書『旅するニーチェ リゾ一卜の哲学』(白水社、2004年)、『イーハ卜一ブ温泉学』(みすず書房、2008年)、『柳田国男のスイス一渡欧体験と一国民俗学』など。訳書『デュラス、映画を語る』(みすず書房、2003年)、共訳『シネマ2*時間イメージ』(法政大学出版局、2006年)など。
 第19回(2009年)宮沢賢治奨勋賞受賞。宮沢賢治学会イーハ卜ーブセンターの花巻での映画上映をたびたびコーディネー卜している。現在、宮沢賢治学会イーバ卜一フセンター副代表理事。

 パネルディスカッション・質疑応答

 プレゼンテーションは題目のせいもあってか、パワーポイントやDVDやブルーレイディスクをうまく使って、視覚にも十分に訴えかけるものでした。
 また、講演者をサポートするパソコンなどのオペレーターがいて、プレゼンテーションはスムーズに行われました。
 このあたりは、レジュメを読むだけのことが多い日本児童文学学会の大会などでも見習った方がいいと思いました。
 最後の挨拶で宮沢賢治学会の代表理事が言っていたように、宮沢賢治の研究者だけでなく、新旧の映画に関心がある人にも興味深い内容だったので、もっと学会外部にも宣伝して、多くの人に参加してもらった方が良かったと思いました(しかも、懇親会に参加しなければ会員以外でも無料でした)。

宮沢賢治―驚異の想像力 その源泉と多様性
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朝文社



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長谷川潮「「戦争児童文学」の枠組と伝達性の問題」

2022-05-17 17:16:27 | 参考情報

 2017年9月30日に行われた、日本児童文学学会東京例会における講演会です。
 80歳になられた戦争児童文学研究の第一人者の長谷川先生が、今までの研究活動を振り返られる形で、以下のような項目で初学者にもわかるような形で講演されました。

1.「アジア太平洋戦争」の歴史的位置づけ
 「戦争」といっても、「十五年戦争」、「太平洋戦争」、「第二次世界大戦」など、使う用語によって戦争が行われた時期や地域が変わってきます。
 現在では、「アジア太平洋戦争」と言う用語が定着されていますが、戦争児童文学の作品の中ではさまざまな用語がそのまま使われているので、注意が必要です。

2.児童文学全般の中での「戦争児童文学」の位置
 児童文学作品の一部を示す下位概念の一つですが、ファンタジーのような様式による下位概念ではなく、「戦争にかかわる何らかの素材を対象としたり、観念としての戦争を扱ったりしたもの」で、こうした概念は日本以外の国には存在しません(もちろん、戦争を扱った児童文学作品自体はたくさんあります)。

3.「戦争児童文学」という概念の生成と展開
 「戦争児童文学」という概念は、1960年代に反戦平和教育の一環として、教育界の方で生み出されたもので、それに呼応する形でその後も多くの児童文学作品が創作されました。
 長谷川先生は、この「反戦平和児童文学」とでも呼ぶべき「戦争児童文学」を、アジア太平洋戦争以外の戦争を取り扱った作品や、戦前戦時中の好戦的な作品も含めて適用範囲を拡大すべきと主張されています(関連する記事を参照してください)。

4.戦後における「戦争児童文学」の展開過程の諸問題
 GHQの検閲の問題、執筆者や読者の特性による伝達性の問題、「かわいそうなぞう」問題(その記事を参照してください)などについてのお話がありました。

 講演の詳しい内容については、関連する記事と重複しますので、そちらを参照してください。

 以上の内容について、1時間20分にわたって講演され、貴重な資料(戦時中の雑誌など)も回覧してくださいました。
 耳がご不自由とのことで、直接の質疑応答ができなかったのは残念だったのですが、質問票を通して参加者の質問に30分も答えてくださいました(いつもの例会と違って、むしろたくさんの質問が出ていました)。
 内容は初学者向け中心でしたので、私にとっては新しい情報はあまりなかったのですが、以下のような研究者としてあるべき姿を提示していただき、深い感銘を受けました。
 まず、講演の中で紹介された谷瑛子「占領下の児童出版物とGHQの検閲」(2016年)において、先生ご自身の認識ミスが二つ明らかになったことを包み隠さず話され、こうした後発の研究で新しい発見があれば、研究者は今までの自説に固執しないで修正すべきであることを教えてくださいました(心情的にはなかなか難しいことなのですが)。
 さらに、この講演を五月ぐらいに依頼されてからの四か月間は、他の仕事はしないでこの準備にあてて、ご自分でも編集に参加された「「戦争と平和」子ども文学館(全二十巻、別巻1)」を全部読み直されたそうです。
 いつもイージーな文章を書き飛ばしているわが身としては、襟を正す思いがしました。

戦争児童文学は真実をつたえてきたか―長谷川潮・評論集 (教科書に書かれなかった戦争)
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梨の木舎

 

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水間千恵「秘密のキスの行方――映画「ピーター・パン」(2003)について」

2021-10-12 17:43:44 | 参考情報

 日本児童文学学会の第51回研究大会で、発表された研究発表です。
 映像化が、原作のある面に光を当てることを、分析していきます。
 「ピーター・パン」(その記事を読んでください)は、ジェームズ・マシュー・バリーによって書かれて1904年に初演された戯曲で、その後、小説化もされ、何度も映画化されている児童文学の古典です。
 2003年に作られたアメリカの実写版の映画は、私は未見ですが、原作に忠実に作ったと監督が公言しているそうです。
 発表者は、「秘密のキスは何か?」と「フックはなぜ空を飛ぶか?」の二つのなぞに着目して、原作と映画の関係について考察しています。
 まず、「秘密のキスは何か?」についてですが、「秘密のキス」はウェンディのほほに時々現れるキスマークのことです。
 発表者は、「「秘密のキス」は大人の女性の証」だといいます。
 そして、ネバーランドでウェンディだけが個室を持つのも、大人になる象徴であるとします。
 この映画では、「全体が冒険的な少女の話として作られている」とされます。
 その中で、「秘密のキスが妖精を信じるという意味を持つ」と分析します。
 映画では、「冒険物から恋愛物への変化がみられる。戯曲よりも小説のほうが、女性の感情が強調されている。映画は成人女性の語り手を用いることによって、バリーの女性に対する冷ややかな視線から解放している。」と解説します。
 そして、最後にウェンディがピーターに秘密のキスを与えてピンチを救うシーンは、「男性のしまいこまれた夢をピーターが象徴していて、それを大人になった女性であるウェンディが認めていることを象徴している。」と位置づけます。
 「フックはなぜ空を飛ぶか?」については、「ネバーランドの夢の対象にフックも含まれている。フックもピーターと同様に大人にならないので空を飛ぶ。」と説明しています。
 全体としては、「この映画では常に女性視線で見ているところが特徴だ」としています。
 簡潔で要を得ていて、プロジェクターなども活用した上手なプレゼンテーションでした。
 質疑の時間に、「原作から百年以上たっているが、ジェンダー観の変化はどうか?」と尋ねてみました。
「この映画では、原作に忠実ということもありますが、ジェンダーに関する考え方は、原作とあまり変わっておらず、男性を助けて家庭を守る女性が肯定されている。これは、アメリカにおける家族の見直しなどのジェンダーに対する揺り戻しがあるからだろう。1950年代のアニメ版では、女性の自立が描かれていた。しかし、この映画では、男性のジェンダー観が巧みに隠蔽されている。」と、発表者は答えていました。
 このジェンダー観の揺り戻しは、新就職氷河期の日本でも起きて、過酷な就職活動を経験した若い女性の間で専業主婦志向が増加していました(現在は、就職状況が好転しているので、専業主婦志向は減っています)。
 そのため、そういった女性は、結婚相手の条件として年収600万円以上をあげていますが、そんな収入のある20代、30代の男性は当時4%しかいなくて、その結果、未婚率の上昇、晩婚化、少子化などが深刻化しました。
 このようなジェンダー観の揺り戻しを助長するかのような小説(例えば中脇初枝の「きみはいい子」など」も若い女性の中で人気がありましたが、そのような反動的なオールド・スキーム(古い仕組み)からパラダイム・シフトして、男女が対等に仕事も、家事や育児もこなすニュー・スキーム(新しい仕組み)になるように、政治を社会も人びとも努力しなければ、今日の経済格差、世代間格差、貧困、少子化などの問題は解決しないと思います。
 私の子どもたちの周辺を見ていると、現在の若いカップルはその方向に進みつつあるようです。

女になった海賊と大人にならない子どもたち―ロビンソン変形譚のゆくえ
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玉川大学出版部
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目黒 強「児童文庫にみる児童文学の境界」日本児童文学学会第51回研究大会シンポジウム資料

2021-09-10 14:16:19 | 参考情報

 1955年から1979年までの小学校高学年の読書調査によると、偉人の伝記といわゆる世界名作とよばれている児童文学作品が上位を占めています。
 ところが、2011年の同様の調査ではそれはすっかり様変わりしています。
 伝記は相変わらず強いのですが、男子のリストにはゲームの影響(三国志や戦国時代の武将など)が色濃く感じられます。
 また、世界名作に代わっていわゆるエンターテインメント作品(昔ながらのルパンやホームズに交じってハリー・ポッターや日本のエンターテインメント作品)が現れています。
 この変化の理由としては、日本でのエンターテインメント作品の確立(那須正幹「ズッコケ三人組(1978年から2004年)や原ゆたか「かいけつゾロリ」(1987年から)などが代表作です)、児童文庫のエンターテインメント化(世界名作の岩波少年文庫(1950年から)から、現代児童文学のフォア文庫(1979年から)、現代児童文学とエンターテインメントのポプラ文庫を経て、書き下ろしエンターテインメントの講談社青い鳥文庫(1980年から)、角川つばさ文庫、集英社みらい文庫などに主流が移っています)などがあげられます。
 そして、その背景として、小学生が読書に求めるものが勉強的なもの(いわゆるゆる教養主義)から娯楽に変化していることがあげられると思います。
 それに伴い、児童文庫も漫画的なイラストやアニメ的なセリフや擬音の多用などが目立っています。
 これらを子どもに買い与えている媒介者(両親など)も、「漫画よりはまし」といった見方で児童文庫を捉えているとともに、ライトノベルやラブコメなど、ヤングアダルトや一般向けのエンターテインメントとのボーダーレス化も進んでいて、親世代も一緒に読んでいるようです。

教育文化を学ぶ人のために
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現代日本児童文学を研究するのための大学院

2021-08-06 15:56:12 | 参考情報

 現代日本児童文学を研究するために大学院受験を検討したことは別の記事で書きましたが、その時にそれらの大学(大学院)が旧態依然だということが分かり、かなり失望しました。
 ある大学の教授に言わせると、彼が学生だった30年前とあまり変わっていないとのことです。
 私は理系の学部出身なので単純な比較はできませんが、息子たちは二人とも文系の大学生だったなので、彼らの話から判断しても、日本の大学(大学院)の、少なくとも文系の学部は、相変らず本当の意味での勉強をするには、あまり魅力のあるところではなさそうです。
 1960年代の全共闘世代の大学民主化闘争は、結局なんの成果もあげられなかったようです。
 例えば、いったん大学の教授になれば、研究成果に関わらず不祥事を起こさない限りは、終身雇用が保障されているようです(某大学では、教授だけでなく一般の職員まで最近まで70歳定年だったそうです)。
 それに対して、非常勤講師は安い時間給と不安定な身分保障(いろいろな大学では五年間での雇止めの動きもあって、ますます彼らにとって不利になっています)で、安心して結婚すらできない状況です。
 そういったポストですら年々減少していて、オーバードクターやポストドクターの若者たちは高学歴低収入にあえいでいます。
 これでは、団塊の世代(皮肉にもかつての全共闘世代であった人たちです)が現代の若者たちから、大卒あるいは大学院卒という肩書を餌に、搾取しているようなものです。
 つまり、大学そのものが、いわゆる世代間格差を象徴しているのです。
 こんな状況ですから、大学院の研究環境についていくつかの大学に質問したのですが、質問の意味すらなかなか理解してもらえませんでした。
 その時、私の研究環境の基準は、自分が勤めている外資系の会社の仕事環境でした。
 そこでは、国内外の技術者や研究者と電話会議やネットミーティングで、シンクロして仕事を進めるのが、二十年以上前から日常的に行われています。
 これが実現したのは、パソコンやインターネットの普及や通信費用の低価格化のおかげです。
 電話会議やネットミーティングのことを繰り返し説明して、やっと大学側の担当者に質問の主旨を理解してもらったのですが、どの大学にもそういった環境はまるでありませんでした。
 このインターネットが一般化した時代に、電話会議やネットミーティングなしに、どうやって他の大学の研究者たちと意見を交換するのでしょうか?
 そう尋ねると、学会などで会ったときやメールなどでやっているとのことです。
 そんなことでは、タイムリーな意見交換はとてもできないでしょう。
 また、現代外国児童文学を研究する場合はどうするのでしょうか?
 このグローバルな時代に、今でも国際会議などを除くとほとんど交流のチャンスはないそうです。
 それに、入手した大学院の試験問題から察するに、英米児童文学を受験する人たちですら英語力についてあまり高いものを求められていないので、もしかすると翻訳された本の研究が中心で、海外の作品や研究書を原書で読む機会はあまりないのかもしれません。
 ましてや、英会話や英文作成能力などのコミュニケーション能力は、試験さえ行われません。
 こんな実力しかない大学院生が、どうやって最新の海外の児童文学の研究をできるのでしょうか。
 さらに、児童文学専攻の大学院がある某女子大の場合は大学院専用の図書館が付属した研究センターがあるだけましでしたが、現代文芸の大学院がある某有名大学では大学院や教員専用のそういった施設はなく、一般学生と同じ大学や学部の図書室を利用するとのことでした。
 たまたま、私はその大学の卒業生(理系の学部ですが)なので、もともとそれらの図書室を利用できるのです。
 これでは、わざわざ大学院生になる意義はまったくありません。
 また、授業にもパソコンやそれに接続するプロジェクター、コピーの取れる電子黒板などの設備も、教室にはほとんどないようです。
 相変わらず先生が黒板に板書して学生はノートに写すか、もし許される場合は写メを撮るぐらいのようです。
 教授が授業をパソコンに接続したプロジェクターで行い、レジュメをみんなにネットで配るということはほとんどないそうです。
 学生側も、筆記の代わりにノートパソコンに入力している人は少ないようです。
 ひどい場合には、スマホやノートパソコンの教室への持ち込みが禁止されているようです。
 スマホやノートパソコンを持ち込ませたら、学生が授業中にゲームをやったりメールをしたりするのを恐れているみたいです。
 話は変わりますが、大震災や原発事故などの重要な会議がテレビ中継されたときに、専門家、政治家、官僚たちがずらりと並んでいるのに、ノートパソコンを前に置いている人がほとんどいないのを、前から奇異に思っていました。
 私の会社では、会議には全員がノートパソコンを持ち込み、説明する人は自分のパソコンにプロジェクターを繋いで、資料の説明を行います。
 もちろん、全員のパソコンがイントラネットに繋がっているので、自宅や海外からでも会議に参加できます。
 また、タイピングの速い人(特に外国人は速い人が多い)が書記役をかってでて、ミーティングが終了するとともに、使われた資料だけでなく議事録までが参加者にイントラネットで配布されます。
 大震災の会議を見ていて、誰が議事録を取っているのだろうと思っていたら、案の定誰も議事録をとっていないことが判明して大騒ぎになりました。
 それに対して、アメリカでは3000ページもの議事録がありました。
 彼らはリアルタイムに議事録を取っているのですから、生々しく正確で量も多いのは当たり前です。
 つまり遅れているのは、大学だけではなく日本全体が(特に公務員ないしはそれに類する人たちが関与しているところでは)、こんなにインターネットやパソコンが普及しても、仕事や講義の仕方はまるで進歩していないようです
 もし、私が外国児童文学を専攻するのなら、日本の大学はさっさとあきらめて、外国の大学に留学すればいいのでしょう。
 しかし、私は現代日本児童文学を研究したかったのですから、それもできません。
 けっきょく、大学院受験はあきらめて、それにかかる費用を自宅の書庫や書斎の整備(アマゾンを使って研究に必要な内外の文献を購入、高性能ノートパソコンの導入、各種通信サービスへの加入、人間工学を応用したオフィス機器や環境機器の購入など)にあてて、それでもカバーできない部分は公立図書館(在住、在勤の市立図書館からの書籍の借り出し、県内/都内の公立図書館から地元の公立図書館へ取り寄せた書籍の借り出し、国際子ども図書館から取り寄せた書籍の地元の公立図書館内での閲覧など)を最大限に利用して、在野で研究をすることにしました。

児童文学事典
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東京書籍
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小沼明生「口承文学の中の経済と社会 ~グリム童話の中の経済と社会」

2021-07-05 17:16:17 | 参考情報

 2017年7月29日に、日本児童文学学会7月例会において行われた発表です。
 グリム童話、全211話において、貴金属(金、銀)、貨幣表現(財産、交換手段、価格表示などの価値を表す)、通貨(当時のドイツ語圏で使われていたいろいろな種類の通貨そのもの)が、どのくらいの頻度で登場したかを定量的に分析した非常に興味深い内容でした。
 貴金属では圧倒的に金(黄金)で、実に約40%のお話に登場して(銀は約13%)、富や美や特殊性を象徴しているそうです。
 洋の東西を問わずに、民衆の一番の願いは大金持ちになって(できれば苦労せずに)、今の苦しい生活から抜け出すことです。
 その象徴としての黄金は、圧倒的な魅力があるのでしょう。
 貨幣表現は、約32%のお話に登場して、一般的な価値を表現しているそうです。
 通貨に関しては、約15%のお話で使われていて、そのお話の時代や地域によって違う通貨が使われるので、8種類(その他に貨幣そのものを表す表現も)が登場するそうです。
 発表者が紹介してくれたように、貴金属、貨幣通貨に関して、定量的なインパクト(現代のお金に換算したらどのくらいの価値があったか)を読者に提示できたら、グリム童話の読みがかなり変わってくるかもしれません。
 発表後に、発表者に手法を尋ねたところ、ドイツ語のテキストファイルを検索ツールにかけて該当する表現をピックアップし、手作業で補正したとのことです。
 テキストがディジタル化されている現代では、このような定量的な分析が、昔よりもかなり容易になっています。
 発表者は、児童文学ではなく、西洋史(建築や経済など)の研究者とのことですが、児童文学の研究者でも若い世代にはディジタル・リタレシーの達者な人が増えていると思われるので、日本の昔話や民話について同様の分析をしたら、おもしろい結果が得られるかもしれません。

グリム童話集 5冊セット (岩波文庫)
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岩波書店
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岡村民夫「宮沢賢治と映画 アダプテーションではなく……」

2021-04-07 14:11:45 | 参考情報

 宮沢賢治学会イーハトーブセンター冬季セミナーin東京「宮沢賢治と映画」で行われた講演です。
 宮沢賢治の作品が、日本映画にどのように影響を与えているかについてまとめています。
 アダプテーション(作品の映画化)やそれへの言及は多いが、それらはあまり生産的ではないのではないだろうかと、講演者は疑義を示しています。
 むしろ賢治作品をどのように受け止めて、自分の作品に生かしているかの方が重要だし、それへの言及は少ないとのことです。
 まず、海外の賢治と同時代の映画で、賢治の作品と共通するものとして、1932年の「吸血鬼」や「上海特急」をあげて、それらは互いに影響を与えたのではなく、同時代の空気や先行するほかの作品からそれぞれが同じような影響を受けたのではないかと推定しています。
 次に、賢治の作品の影響を受けた映画として、1952年の「リンゴ園の少女」、1968年の「太陽の王子ホルスの冒険」、2001年の「千と千尋の神隠し」などをあげ、その他にも、賢治の作品の一節を引用したり、賢治の作品を朗読する作品を紹介してくれました。
 この講演でも、それらのシーンを実際に上映したので、非常に説得力がありました。
 これらの賢治の作品に影響を受けた映画には、死んだ者の遺品にこだわったり懐かしむといったことが、共通のモチーフとして現れることが多いとのことでした。
 賢治に限らず有名な文学を映画化することには、表現手段の違いによる困難性が存在していて、むしろこれらのように一部だけを活用する方がうまくいくのではないだろうかと指摘していました。
 それにしても、多彩な作品の細部まで網羅してチェックしている講演者の探求姿勢には、脱帽させられました。
 宮沢賢治学会の場合、対象が賢治に限られているので、このようなマニアックな発表が多く、私のような賢治ファンにはたまりません。



イーハトーブ温泉学
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みすず書房
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井上乃武「「批評性」と「文学性」」

2019-02-20 08:57:54 | 参考情報
 日本児童文学学会の第51回研究大会で、発表された研究発表です。
 ナンセンスファンタジー作家の小沢正が、1966年に書いた「ファンタジーの死滅」(その記事を参照してください)という論文と、彼の代表作『目をさませトラゴロウ』におけるファンタジー観の問題について考察しています。
 発表者は、ファンタジーを現実の対応物と考えることに、違和感があるそうです。
 また、この発表では、テーマと異なるキャラクターの動きについても考えてみたいと思っているそうです。
 発表者が、小沢正の「ファンタジーの死滅」という評論に興味を持ったのは、その中に出てくる未完成という言葉からです。
 「ファンタジーの死滅」では、「子どもを発見したからこそ、ファンタジーが発生した」と主張していると、発表者は述べています。
 そして、「子ども」も「ファンタジー」も、近代あるいは近代が生み出した諸制度によって規定されているとしています。
 レジュメで引用した岡田淳のファンタジーは、小沢のファンタジー論の影響を受けていると、発表者は言っています。
 発表者の発表に対する熱意は伝わってくるのですが、時間配分ができてなくてすごく早口にレジュメを全部話そうとして、けっきょく尻切れトンボに終わってしまいました。
 質疑のときに発表出来なかった部分も触れられるように助け舟を出したのですが、その意図も理解できなかったようで答えもまとまっていませんでした。
 レジュメも、先行論文をよく調べてあって力作なのですが、小沢の論文や作品およびいろいろな先行論文からの引用が多く、発表時間に対してあまりにも長すぎてまとまりがありません。
 レジュメとは別に、発表用に要点をパワーポイントでまとめて説明するなどの工夫が必要だったと思います。
 以下は、レジュメの内容です。
1.はじめに
 岡田淳の「扉のむこうの物語」を引用して、「未完成」というタームを強調しています。
2.「ファンタジーの死滅」の概要
A.ファンタジーの由来(その背景)もしくは「子どもと文学」批判
B.「一つが二つ」論・<一つの物を二つにする機械>について
C.ファンタジー小説の限界(と可能性)について
3.「ファンタジーの死滅」の問題
A.「ファンタジーの死滅」についての言及
B.「子どもと文学」をめぐる問題
C.時代状況の影響
D.「まちが かわる日のうた」(注:「小沢の代表作「目をさませトラゴロウ」の巻末に掲げられた歌です)の解釈
E.テクスト内在的なファンタジー児童文学の可能性
4.「目をさませトラゴロウ」の問題
A.初出時の収録作品
B.前提としての「自己同一性」「子どもの自立性」というテーマが存在
C.「はじめに」の問題
D.「一つが二つ」
E.「食う」ことによる自己同一性イデオロギーの破壊
F.「目をさませトラゴロウ」の問題
5.ファンタジー児童文学の可能性について
6.おわりに――いぬいとみこ「木かげの家の小人たち」をめぐる二通りの空想
A.「小人たちの物語」へ:天沢退二郎「二つの掟――いぬいとみこ作『木かげの家の小人たち』論――」
B.「人間たちの物語」へ:長谷川潮「小人像は中途転換した」
「まちが かわる日のうた」
 発表者があげてくれた先行論文は、それぞれ重要なものばかりですので、非常に参考になりました。

目をさませトラゴロウ (新・名作の愛蔵版)
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理論社




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アーロン・チェア

2019-01-22 09:23:13 | 参考情報
 2012年の2月に大学院に進学せずに在野(日本児童文学学会と宮沢賢治学会の会員にはしていただきましたが)で児童文学の研究することを決め、そのために自宅の四畳半を書斎にするための投資をしたことは別の記事で書きました。
 その中にでてきたアーロン・チェアについて説明しておきます。
 書斎にするまで、その狭い部屋に、パソコンチェア、ライティングデスクの椅子、オットマン付きのリクライニングチェアと、三つもの椅子があり、狭苦しくて機能的ではありませんでした。
 そこで、それらをすべて撤去して、三つの役目を兼ね備えられる書斎チェアを、真っ先に検討しました。
 条件としては、パソコンデスクでパソコンを操作する、書き物や読書などの作業をライティングデスクでする、テレビを見る、音楽を聴く、といったすべてのことを一台ででき、人間工学的に優れていて、疲れが少なく、肩こり、腰痛などを防止できるものです。
 これらの条件をクリアできる椅子を、ネットで検索したり、ショールームで実際に座ったりして検討しました。
 そこで最も気に入ったのが、ハーマンミラーのアーロン・チェア(AE113AWBPJG1BBBK3D01)でした。
 パソコンなどの作業の時は、やや前傾姿勢で固定できて背あてで腰も固定して良い姿勢が保てます。
 南側の掃出し窓の両側にパソコンデスクとライティングデスクを向い合せに置いて、それらの間にアーロン・チェアを設置したので、座ったまま反転移動ができます。
 テレビを見たり、音楽を聴いたり、キンドル(その記事を参照してください)を読んだりして、リラックスするときには、リクライニングもできます。
 ヘッドレストがないのが少し気になりましたが、ヘッドレストは首や肩にかえって良くないらしいことと、その分軽量になって移動がスムーズになるので、このタイプを選びました。
 値段は安いオフィス・チェアの10倍以上もしますが、以下のように試算してみて最終的に購入を決めました。
 通常は毎日10時間以上もこの椅子に座りますので、年間3000時間以上で使用料を一時間10円とすると、年間三万円以上です。
 アーロン・チェアの製品保証は五年と長いので、十分に元が取れます。
 使ってみると効果は絶大で、長時間のパソコン作業などで長年悩まされてきた肩こりや腰痛がすっかり解消しました。
 また、不要な椅子類を撤去できましたので、部屋が広々として北側に並べた本棚へのアクセスもしやすいし、東側の出窓に並べた大小11鉢の観葉植物を気分転換に眺められて、作業効率が大幅にアップしました。
 部屋の中に障害物がないので、光熱費も削減できました。
 以上のように、いろいろな面で研究や創作作業の効率アップにつながっていると思います。
 
 
アーロンチェア ポスチャーフィットフル装備 グラファイト/クラシック Bサイズ AE113AWBPJG1BBBK3D01
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HermanMiller (ハーマンミラー)
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日本児童文学学会

2018-12-22 09:02:48 | 参考情報
 2012年の4月に日本児童文学学会の会員になりました。
 日本児童文学学会は、ホームページからの情報によると、以下のような沿革を持ち、活動をしているようです。
◆学会の沿革と活動の概要
日本児童文学学会は1962年10月6日に設立されました。
設立当初は会員98名、維持会員15名、学生会員40名で出発しましたが、年を追うごとに会員が増加。
1981年11月12日には日本学術会議の「協力学術研究団体」に登録され、現在は400名を超える会員を擁し、その半数以上を女性会員が占めています。
研究発表の場としては、毎年研究大会(年1回)を開催しているほかに、全会員を対象にした研究例会を東京で年4回開催しています。
また支部活動として、北海道例会(2005年より)、中部例会(1987年より)を開催するほか、関西例会(1964年より)も開催しています。
出版事業は、学会紀要「児童文学研究」(年1回)の刊行のほか、『児童文学事典』(東京書籍)などの刊行も行いました。
また、学会設立40周年を記念して『児童文学研究の現代史―日本児童文学学会の40年』(小峰書店、2004年4月15日)も刊行しました。その他にも、「研究=日本の児童文学」叢書(全3巻 東京書籍)なども刊行されるなど、出版活動にも精力的に取り組んでいます。
ほかに、会員むけに「日本児童文学学会会報」(年2回)の発行や、日本児童文学学会賞(奨励賞、特別賞を含む)を設けて児童文学・児童文化に功績のあった個人・団体を顕彰するなど、多くの活動を行っています。

◆学会の事業
日本児童文学学会は次の事業を行っています。
1. 研究発表会、講演会、展覧会などの開催。
2. 機関誌、会報、パンフレット、研究書などの刊行。
3. 会員の研究発表の斡旋。
4. 研究資料の収集保存。
5. 海外における研究者との連絡・交流。
6. 日本児童文学学会賞(奨励賞、特別賞)の選考・贈呈。
7. その他、理事会において特に必要と認めた事項。

 2012年の1月にそれまで二十六年間参加していた児童文学の同人誌を休会して、学生時代以来三十五年ぶりに児童文学の研究活動を再スタートした時に、真っ先に検討したことが二つあります。
 ひとつは、現代日本児童文学を研究するための大学院の受験です。
 結論から言うと、これはあまりうまくいきませんでした。
 他の記事でも書きましたが、その当時、児童文学を専攻できる大学院は日本に二つしかなく、梅花女子大学と白百合女子大学です。
 そのうち男性が受験できるのは、白百合女子大学だけでした。
 白百合女子大学の教授が知り合いだったので、直接及びメールで相談させてもらったのですが、私が望むような「現代日本児童文学」を研究する環境ではないことが分かり、最終的には受験を断念しました。
 次に、現代文学を研究できる大学院ということで検索しましたが、意外にも検索結果はゼロでした。
 現代文芸という名前で検索すると、東京大学に現代文芸論、早稲田大学に現代文芸コースという大学院があることがわかりました。
 しかし、早稲田大学に電話やメールで問い合わせると、現代文芸コースには博士課程はなく修士だけで、そこでは研究者ではなく作家や編集者やジャーナリストなどの実務者を養成する機関のようでした。
 また、2011年に創設されたばかりで、研究環境もあまり整備されていないようでした。
 東京大学にも電話で問い合わせましたが、現代文芸論では日本人の学生は外国文学しか専攻できない(留学生は日本文学を専攻してもいいのですが)とのことでした。
 どうやら、比較文学論的な研究が中心のようでした。
 ですから、日本人は日本の現代文学は当然熟知しているとの前提で、さらに少なくとも一つの外国の現代文学を研究する必要があるようです。
 こうして、「現代日本児童文学」を研究するのに適切な大学院は見つかりませんでした。
 もうひとつしたことは、学会への入会です。
 他の記事でも書きましたように、宮沢賢治学会イーハトーブセンターには20年ぶりに再加入しました(その後、研究が前よりも活発でなく、活動も岩手県花巻市にあるイーハトーブセンターに集中していることがわかり退会しました)。
 そして、日本児童文学学会にも入会することを承認していただきました。
 日本児童文学学会は、2012年当時の会員数は約340人で、ピーク時よりはやや減少していますが、まだ全国各地で児童文学を研究する人たちがこれだけいることを知りました。
 ただ、過去の紀要の総目次を見ると、「現代日本児童文学」の論文はだんだん減ってきているような印象を受けます。
 日本児童文学学会の発行した出版物では、「児童文学辞典」、「児童文学研究必携」、「日本児童文学概論」、「世界児童文学概論」ぐらいしか持っていませんでしたが、その他の「現代日本児童文学」の研究に必要な出版物はアマゾンなどでそろえました。
 学会の研究大会や研究例会に出席して、研究者の皆さんの各研究分野への情熱におおいに刺激を受けました。
 その後、「現代児童文学」を研究している人がほとんどいなくて、議論できないことが分かりましたので退会しました。

現代児童文学の可能性 (研究 日本の児童文学)
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蔡宣静「『氷河鼠の毛皮』の<鉄道>空間の設定と列車映画との関連」

2018-09-21 08:12:41 | 参考情報
 宮沢賢治学会イーハトーブセンター冬季セミナーin東京「宮沢賢治と映画」で行われた講演です。
 これは、宮沢賢治研究 Annual Vol.22に掲載された、蔡の同名の論文をもとにしています。
 蔡も述べていますが、賢治の作品は視覚的な描写の印象が強く残ります。
 この分野での研究は進んでいて、1996年には「宮沢賢治の映像世界」(その記事を参照してください)という本もが出版されています。
 ここでは、蔡はそれらの先行研究をふまえて発表しています。
 『氷河鼠の毛皮』は、賢治が27歳の時に、1923年4月15日の岩手毎日新聞に発表された作品です。
 先行研究で明らかになっているように、賢治が25歳だった1921年の7ヶ月間の東京滞在中に、彼のほとんどの童話の原型は作られました。
 私が大学の児童文学研究会の分科会である「宮沢賢治研究会」に入っていたころ聞かされた、様々な賢治の伝説のひとつである「ひと月で三千枚の原稿を書いた」というのもそのころのことです。
 「宮沢賢治年譜」によると、賢治はこの作品発表後の1923年8月に、当時日本領だった樺太に鉄道旅行をしています。
 そのころの樺太には、日本人だけでなくロシア人もたくさん住んでいましたから、賢治はこの作品に書かれているような無国籍の雰囲気を実際に味わっていたかもしれません。
 賢治は鉄道好きで、童話の10分の1、詩の5分の1に鉄道関連の言葉がでてくるそうです。
 この作品は、1903年に作られたアメリカ映画「大列車強盗」の影響を色濃く受けていると思われます。
 ここで、蔡は、DVDで「大列車強盗」の全編を上映してくれました。
 映画が発明されて10年後に作られた「大列車強盗」は、14のシーンからなる約10分の映画ですが、起承転結のはっきりした本格的な劇映画です。
 列車強盗、格闘、ダンス、馬による追撃、銃撃戦など、西部劇(もっとも、アメリカの西部で映画が作られたのは1910年からで、これは東部で撮影されたそうです)の構成要素を含んでいて、後の映画に大きな影響与えたとのことです。
 賢治の映画鑑賞体験は不明なのですが、盛岡中学にいた1910年代後半にはかなり洋画を見ていたことが推察されています。
 また、東京や仙台などへの旅行中にも映画を見たようです。
 その中に、この「大列車強盗」が含まれていたとしても不思議はありません。
 蔡は、『氷河鼠の毛皮』の中に、「大列車強盗」や1911年のフランス映画「ジゴマ」などの影響が見られると推定しています。
 蔡自身が言うように、まだ未確認の部分も残っているので、これからの研究に期待したいと思います。


氷河鼠の毛皮 (珈琲文庫 (10))
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