現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

或る夜の出来事

2024-06-19 14:24:29 | 映画

 1934年公開のアメリカ映画です。

 じゃじゃ馬娘の大富豪の令嬢が家出して、ふとしたことから新聞記者の青年と出会って恋に落ちるという典型的なア・ボーイ・ミーツ・ア・ガールの映画です。

 こうしたありふれた設定でも、名匠フランク・キャプラの手にかかると映画史上に残る傑作になります。

 しゃれた会話、魅力的な登場人物、わくわくするような音楽が合体して、アカデミー賞では、作品賞、監督賞、主演男優賞、主演女優賞、脚色賞の主要五部門を独占しました。

 クラーク・ゲーブルの溌溂とした男前ぶり(古い言葉ですがこれがピッタリときます)とクローデット・コルベールのコケティッシュな魅力が存分に発揮されて、古き良き時代の映画の典型を見る思いです。

 

 

 

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Mr.Boo!ミスター・ブー

2024-06-12 08:00:36 | 映画

 1976年公開(日本公開は1979年)の香港映画です。

 ホイ三兄弟が出演するドタバタ・コメディ(監督はマイケル・ホイ、音楽はサミュエル・ホイが担当)です。

 日本では全く期待されていなかった穴埋め映画に過ぎなかったのですが、意外にヒットしたので、彼らの他の映画もミスター・ブーのシリーズもの(実際は違うのですが)として公開されました。

 くだらないギャグやコントの連発なのですが、当時の香港の人々のヴァイタリティが良く出ていて日本でもおおいに受けました。

 彼らやジャッキー・チェンの映画に描かれていた当時の香港には、猥雑だけど何とも言えない魅力があって、一度は行ってみたい外国のひとつでした。

 1999年に中国に返還されてからの変貌はご存じの通りで、まさに隔世の感があります。

 

 

 

 

 

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レインマン

2024-05-30 08:22:36 | 映画

 第61回アカデミー賞で作品賞を受賞した映画です。
 自閉症の兄がいることを知った弟が、父の遺産を独占することになった兄を病院から連れ出し、管財人に遺産の半分を要求します。
 兄のいた故郷のシンシナチからロサンゼルスへ飛行機で帰ろうとしますが、飛行機や高速道路を極端に恐れる兄のために、一週間かけて一般道を運転して帰る羽目になります。
 その間のいろいろな事件を通して、二人は互いに兄弟としての愛情に目覚めます。
 主演男優賞を獲得した兄役のダスティン・ホフマンの名演技はもちろんすごいのですが、弟役の人気俳優トム・クルーズも数多い出演作の中で一番の演技でしょう。
 この映画が、自閉症についてどのくらい医学的に正しいのかは分かりませんが、少なくともこの映画を見た観客は、自閉症の人たちやその家族について理解しようと努めはじめることは間違いないでしょう。

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緑の光線

2024-05-27 09:15:16 | 映画

 1986年のフランス映画です。
 ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞しています。
 パリで秘書をしている主人公の若い女性は、ヴァカンスの二週間前に、女友達から一緒に行くはずだったギリシャ旅行をキャンセルされて途方にくれます。
 あわてて、周囲の人たちに一緒にヴァカンスに連れて行って欲しいと頼みます。
 周りの人はみんな優しくて、いろいろと提案してくれるのですが、彼女はどれも気に入りません。
 自分の家族は、アイルランドに一緒に行こうと誘ってくれたのですが、アイルランドは寒いし雨が降るし海がないからいやだと断ります。
 昔の恋人は、自分が持っている山の家(部屋?)を貸してあげると言ってくれますが、一人じゃいやだと断ります。
 女友達たちに相談すると、一人旅や団体旅行を勧めてくれますが、そんなのみじめだと言い張ります。
 とうとう泣き出してしまった彼女を、女友達の一人が同情して、自分も参加する彼女の家族のヴァカンスに誘ってくれます。
 そこは海辺で彼女が望む太陽もたっぷりある素敵な所ですし、女友達の家族もみんな親切なのですが、彼女は少しも打ち解けず(例えば、彼女はベジタリアンなのですが、他のみんなが子羊のローストを食べている最中に、空気も読まずに動物を食べる行為を公然と批判します)、女友達が仕事の都合で途中で帰ることになった時に一緒にパリへ戻ってしまいます。
 しかし、パリでの休暇にも満足できず(若い男にナンパされそうになって、あわてて逃げます)に、また昔の恋人に電話して、彼の山の部屋を借りてその場所まで行ったのですが、やはり一人旅と山間地(彼女は、ヴァカンスは海と太陽がある所でと決めつけています)は耐えられずに、部屋にも入らずにパリへ帰ってきてしまいます。
 パリでの休暇はやはり満足がいかないのですが、偶然出会った女友達に、今度は彼女の家族が所有している海辺の部屋を借りることができます。
 そこでのヴァカンスは、有名なビーチも太陽もたっぷりあって、やはり一人旅のスウェーデンの若い女性とも知り合って、楽しくなりそうでした。
 でも、若い二人連れの男たちにナンパされると、ノリノリの奔放なスウェーデンの女性(海辺ではトップレスですごして、夜は男漁りをしています)についていけずに、その場を逃げ出してしまいます。
 最期に、パリへ帰る列車を待つ間に待合所で知り合った、彼女と同じ読書好き(その時に彼女が読んでいて彼の方も知っていた本がドストエフスキーの「白痴」というのは、舞台が1986年のフランスだとしてもちょっと無理があるように思えます)の若い男(家具職人見習い)と知り合って、ようやくヴァカンスに満足します。
 「緑の光線」というのは、ジュール・ヴェルヌ(「海底二万マイル」や「八十日間世界一周」や「月世界旅行」で有名なフランスの小説家でSFの祖と言われていて、「十五少年漂流記(二年間の休暇)」などで児童文学作家としても知られています)の小説の題名で、自然現象としては太陽が海に沈む時に光の屈折や反射のために一番波長の短い緑色だけが一瞬見えることです。
 フランスでは、ヴェルヌの小説の影響もあって、それを見ると幸運が訪れると信じられているようです。
 映画では、浜辺で老人グループがヴェルヌの作品について話していて科学的な説明もしている場面に、主人公が偶然出くわす(ご都合主義ですね)のですが、そのころでもまだヴェルヌの作品が読まれていたのかは興味深いです。
 他の記事にも書きましたが、1945年のフランスで、主人公の視覚障碍者の少女が、ヴェルヌの「海底二万マイル」の点字本(当時では貴重品です)を熱心に読むシーンが出てくる小説(アンソニー・ドーア「すべての見えない光」(その記事を参照してください)もありました。
 フランス人(たぶんパリなどの大都市の住人に限られていると思いますが)のヴァカンスへの異常な情熱(他の記事で紹介した映画にもたくさん出てきます)やイージーゴーイングな男女の出会いにたいする風刺がヨーロッパで評価されたのでしょうが、日本人の目で見ると主人公がわがまますぎるように思えますし、最期は女友達たちが彼女を評して言ったいわゆる「「白馬の王子様」を待っている女性」に、実際に「白馬の王子」様(彼女の好みに合っているだけでそんなに魅力的ではありませんが、それまで彼女をナンパしようとした男たちがいかにも軽薄でひどいので、観客もそれよりはましに感じられます)が現れるラストも感心しませんでした(おまけに、実際に「緑の光線」を二人で見ます)。
 この作品でも、「木と市長と文化会館 または七つの偶然」(その記事を参照してください)と同様に、相手を論破しようとする議論好きなフランス人(攻撃的な人もいますが、穏やかな人もいます)がたくさん出てきますが、それは監督のエリック・ロメールの好みなだけなのかもしれません。
 

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昨日、今日、明日

2024-05-24 08:54:28 | 映画

 1963年公開のイタリア映画です。

 翌年、アカデミー賞の外国語映画部門で受賞しました。

 以下の三話からなるオムニバス形式の映画で、イタリア女性の過去、未来、現在を描いています。

ナポリのアデレーナ

 失業中の頼りない亭主を支えるたくましい女性が描かれています。

 闇たばこ売りを摘発されますが、妊娠中及び出産後六ヶ月は逮捕されないことを知り、次々に子供を作って収監を逃れ、とうとう七人も子供が生まれます。

 妻の方は七人産んでもますますたくましく美しく輝いていますが、夫の方はげっそりしてしまって、八人目はとうとう期限までに妊娠できずに、彼女は刑務所に収監されてしまいます。

 しかし、周囲の人々のカンパと請願によって、無事釈放されます。

ミラノのアンナ

 仕事中毒の夫に愛想を尽かせて、留守中に浮気をしている有閑マダムが描かれます。

 彼女の高級車の運転を誤って事故を起こした、頼りない作家の浮気相手をさっさと見限って、その場を立ち去ります。

ローマのマーラ

 魅力的で気のいい高級娼婦が描かれています。

 彼女のアパートの隣に住む老夫婦の所へ休暇で来た、孫の神学生に一目惚れされて、大騒動(彼女に魅了されて、神学校をやめると言い出す。さらに、彼女の正体を知って絶望し、外人部隊へ入ると言い出す)が起きますが、根は善良な彼女のおかげで神学生も気を取り直して学校へ戻ります。

 三話を通して、主役のソフィア・ローレンの魅力が全開です。

 たくましい下町の主婦、奔放な有閑マダム、気立てのいい高級娼婦、どれをとっても、彼女の明るさ、素晴らしい肢体、美しさなどが存分に発揮されています。

 それを引き立てる相手役のマルチェロ・マストロヤンニの演技も素晴らしいです。

 女房の尻にしかれている気弱な亭主、頼りないインテリ風の浮気相手、マーラに振り回されるボンボン育ちの気のいい上客、どれにおいても、彼の人のよさと軽妙な持ち味が生きています。

 彼ら名優たちを自在に操って、明るくユーモアたっぷりにイタリア社会の断面を描いて見せた、名匠ウ゛ィットリオ・デ・シーカ監督の腕前はさすがです。

 

 

 

 

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フライド・グリーン・トマト

2024-05-23 10:15:20 | 映画

 1991年公開のアメリカ映画です。

 甘いものを食べすぎて太って、目的もなく怠惰に過ごしている自分と、テレビでのスポーツ観戦に夢中で自分に関心を持たない夫との生活(子供はすでに巣立っています)にうんざりしている主人公は、フェミニズム系のセミナーに参加したりしています。

 そんな彼女は、ひょんなことから老人施設にいる老婦人(他の人の付き添いできています)から、戦前にその地域に住んでいた二人の女性の友情についての話を、断続的に聞くことになります。

 二人は、さまざまな困難(最愛の人(一人にとっては兄で、もう一人にとっては恋人)の事故死、家庭内暴力、そこからの脱出、アメリカ南部における黒人に対する人種差別、子供の大怪我(片腕を失います)、夫による子供の誘拐、それを防ぐための殺人(実際は死体遺棄)、裁判、病気、死など)を、力を合わせて乗り越えていきます。

 主人公は、この話を聞く過程で、自分のアイデンティティを取り戻して、自立した女性になっていきます。

 変わった題名は、二人の女性が営んでいたカフェの名物料理の名前です。

 主人公と老婦人を演じた、ともにアカデミー主演女優賞の受賞経験のある二人の名女優、キャシー・ベイツ(「ミザリー」)とジェシカ・タンディ(ドライビングMissデイジー)の演技が光ります。

 

 

 

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リトル・ミス・サンシャイン

2024-05-17 13:28:55 | 映画

 2006年公開のアメリカ映画です。

 小学生低学年の娘が子供のミスコンテストに出場するために、崩壊寸前の家族六人(父親は啓発セミナーの本を売り込んでいるが見込みはなく破産寸前、父方の祖父はヘロインの使用で老人ホームを追い出されて同居している、母親の兄は同性愛の相手に失恋して自殺未遂を起こしたばかり。兄は引きこもりで家族とも口をきかないで筆談している。母親だけはヘビースモーカーで家事を手抜きしている以外は大きな問題はない)が、ニューメキシコ州からカリフォルニア州までの800マイルをおんぼろバスで旅行する(お金がないのと自殺未遂者を家に残しておけないため)ロードムービーです。

 いろいろな困難(おんぼろバスが故障して、押してスピードが出てからでないとクラッチが入らなくなる。祖父がヘロインのために急死する。パイロット志望の兄が色覚障害だったことが判明する。母の兄が失恋相手にばったり出くわす。肝心のコンテストに遅刻する)を乗り越えて、コンテストの特技コーナーで場違いなストリップ的なダンス(亡くなった祖父が振り付けた)をし始めた娘を、止めさせようとする主催者たちからみんなで守って、一緒に踊るシーンは感動的です。

 アカデミー賞では、惜しくも作品賞は逃しましたが、脚本賞と助演男優賞(祖父役)を受賞しました。

 

 

 

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モスラ対ゴジラ

2024-05-14 16:02:12 | 映画

 1964年の日本の特撮映画です。

 ゴジラシリーズとしては四本目、モスラシリーズとしては二本目にあたります。

 お話自体は、悪の怪獣ゴジラに襲われた日本を、インファント島に住む正義の怪獣モスラに頼んでゴジラを倒してもらって、守るという他愛のないものです。

 このころのゴジラは悪者で、それを正義の怪獣が倒すという図式は、前作のキングゴジラ対ゴジラで確立された図式で、その後の怪獣映画ではこのパターンが多いです。

 その後、ゴジラの人気が高まったので正義側にまわり、代わってスケールアップした悪の怪獣としてキングギドラが創作されました。

 登場する放射能などの科学知識も、今から考えるとかなりひどいものです。

 それでも、精巧なミニチュアと、スーツアクターと、夥しい人数のエキストラを使った特撮シーンは迫力十分で、安易なCGに慣れた今の目で見ると手作り感が満載で、今でも十分に少年たちの心をくすぐるものがあります。

 こうした特撮シーンを見たり、小美人を演じるザ・ピーナッツの完璧すぎるハーモニーのモスラの歌を聴くだけでも、この映画は一見の価値があります。

 

 

 

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青春デンデケデケデケ

2024-05-11 10:44:37 | 映画

 1991年に直木賞を受賞した芦原すなおの青春小説(その記事を参照してください。現在でしたら、児童文学のヤングアダルト物にジャンル分けされるでしょう)を、大林宣彦が監督した1992年の映画です。
 1965年の3月の高校入学前の春休みから、1968年2月の大学受験のために上京するまでの、丸々3年間の高校生活を、エレキバンド(リードギター、サイドギター、ベース、ドラムという非常にオーソドックスな構成です)結成から文化祭での演奏会までを、きっちりと描いています(メンバーを集めて、バイトで楽器を買い、練習場を確保し、合宿へも出かけます)。
 原作もそうですが、登場人物は、主人公を中心とした4人のバンドメンバーを初めとして、技術サポートしてくれるエンジニア志望の友だちや応援してくれる女の子たちなどの高校生たち、メンバーの家族や先生などの彼らを支えてくれる大人たちまで、かなり風変わりな人もいますが基本的にはみんないい人たちで、一種のユートピア小説の趣があります。
 日本が高度成長時代で、まだ現在よりも未来の方が良くなると信じられたころなので、こうした青春時代は一種の通過儀礼のようなもので、多くの人たちの共通の想い出ととして残っています。
 私は、主人公たちよりも5年遅い1970年から1973年が高校時代なので、すでにエレキブームは去っていましたが、こういった雰囲気が日本中の至る所にあったことは、実体験として理解できます。
 映画化にあたって、原作者の望みどおりに、こうした地方都市を舞台にした青春映画(故郷の瀬戸内海を舞台にしたいわゆる尾道三部作(「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」)など)を得意にしていた大林宣彦が監督をしたので、原作の舞台である香川県観音寺市に長期ロケをして、地元の言葉や風物を生かした作品になっています。
 出演している男の子たちや女の子たちも、みんな当時の地方都市の普通の高校生のような子ばかり(新人が多かったようです)で、その後主役級の俳優になったのは白井清一役の浅野忠信ぐらいでしょう。
 一方で、大人の出演者は大林作品の常連の役達者がそろっていて、つたない(それが魅力なのですが)高校生たちの演技をしっかりサポートして、作品の完成度を高めています。
 原作の発表された1991年や映画化された1992年はバブル崩壊の真っ只中なのですが、人々の心の中にはまだまだ高度成長時代とそれに続く安定成長時代の雰囲気が続いており、そういった意味では、舞台になった1960年代の高度成長期とかろうじて地続きにあったので、私も含めて当時の読者や観客には受け入れやすかったのかもしれません。
 特に、地方都市である観音寺市は、バブルの影響も少なく、撮影当時も1960年代の雰囲気を多く残していたそうなので、その風景も魅力の一つだったと思います。

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ミラノの奇跡

2024-05-10 09:49:44 | 映画

 1951年公開のイタリア映画です。

 第4回カンヌ映画祭でパルムドールを受賞しています。

 ウ゛ィットリオ・デ・シーカ監督らしい、庶民への愛情があふれたファンタジックな映画です。

 赤ちゃんの時に、おばあさん(トトはママと呼んでいます)に拾われて愛情豊かに育てられた捨て子のトトが主役です。

 ママが死んでからは、孤児院で育てられました。

 お話は、トトが大きくなって、孤児院を出るときから動き出します。

 トトは、これ以上ないほどのお人よしで、常にポジティブです。

 そのため、いつのまにか、私有地に掘っ立て小屋を建てて住み着いている貧乏人たちのリーダーになっています。

 その私有地から石油が出たことから、持ち主の大金持ちに退去を迫られます。

 立ち退きを迫る大金持ちの私兵たちとのユーモラスな攻防戦が始まります。

 その過程で、トトは天国から抜け出してきたママからなんでも願いの叶う白い鳩を授かります。

 それからは、トトが起こす奇跡の大安売りで大混乱が起こります。

 貧乏人たちの願いは、たいていは毛皮とかドレスとか家具(小さな掘っ立て小屋には入らないのがおかしいです)やお金などの他愛のないものですが、中には身につまされるものもあります。

 黒人の男性は好きな白人女性のために白くなることを希望しますが、彼女が逆に黒くなることを希望したために、思いはすれ違ってしまいます(当時は黒人と白人の男女が結ばれることは難しかったのでしょう。この映画より後ですが、シドニー・ポアチエ主演の「招かれざる客」を思い出します)。

 孤独な自殺願望のある青年は、広場にある天使像に生命を吹き込むことを希望しますが、生まれた美少女は奔放で彼の手には余ります。

 そうしたドタバタ騒ぎを、トトとエドウ゛ィジェという少女との可愛らしい恋愛も交えて、デ・シーカはユーモアと庶民への愛情を込めて描いています。

 ラストでは、トトとエドウ゛ィジェを先頭にして、みんながほうきにまたがって、「幸せの国」に飛び去っていく姿が痛快です(「E.T.」(その記事を参照してください)を思い出させます)。

 こうしたある意味無責任な終わり方は、「卒業」(ダスティン・ホフマンとキャサリン・ロスが、花嫁姿のままでで教会から逃げてしまいます)、「小さな恋のメロディ」(マーク・レスターとトレイシー・ハイドが、トロッコに乗って逃げてしまいます。その記事を参照してください)などと共通していて、先のことを考えなければ、最高にスカッとします。

 今回、久しぶりにこの映画を見直してみて、「ああこういう作品を書きたかったんだ」と、改めて思い起こせました(今からでも遅くないか)。

 

 

 

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小さな恋のメロディ

2024-05-06 09:53:29 | 映画

 少年少女(11歳ぐらいの設定と思われます)の瑞々しい恋を描いた、1971年のイギリス映画です。
 本国やアメリカでは不評でしたが、日本では大ヒットしました(1950年代の半ばから1960年代の初めごろに生まれた人ならば、ほとんどの人が見たことがあるんではないでしょうか?)。
 その理由としては、いくつかの事が考えられます。
 まず、主人公の男の子(撮影当時12歳だった人気子役(「華氏451」、「オリバー!」、「小さな目撃者」など)のマークレスター)と主人公の女の子(撮影当時11歳だった無名のトレーシー・ハイド)が、日本人好みの可愛らしさだったことがあげられます(二人ともぜんぜんすれていなくて、子どもらしい子どもでした)。
 次に、舞台になっているイギリスの学校(11歳から16歳ぐらいまで通う小中学校)の雰囲気が、当時の日本の中学校(公開当時の観客ではこの年代が一番多かったでしょう)よりも大人びて感じられて(ダンスパーティ、煙草、ミニスカートの制服、男女交際など)、魅力的に映ったものと思われます(私自身は公開当時、すでに高校二年生になったところでしたが、男子校だったので男女交際の感覚が中学生当時からストップしたまま(いやむしろ中学時代の女友だちとの関係が次第に薄れて、より飢餓感があったかもしれません)でしたので、中学生たちと同様に羨ましかったです)。
 また、子どもたちだけで二人の結婚式をあげて、止めさせに来た大人たち(教師たちとマーク・レスターのママ)と戦って勝利(失敗続きだった爆弾マニアの少年の爆弾がついに成功して、マーク・レスターのママのスポーツカーを爆破して大人たちを敗走させます)して、二人はトロッコで旅立つというファンタジックなストーリーが、いつも大人たちに抑圧されている日本の子どもたち(特に、当時(今もそうかもしれませんが)の中学生は、受験勉強や内申書で、教師たちにがんじがらめにされていました)にとって痛快でした(この映画の根本的な考えは「大人たちは信用できない」なので、出てくるほとんどの大人たちはかなり俗物的に誇張されていました)
 また、70年安保末期の高校紛争も、ほとんどが子どもたち側の敗北(私の通っている高校は私立の付属高校だったので、生徒側がかなりの勝利を収めて、制帽、制服、中間試験などが廃止になっていましたが)に終わっていましたので、その鬱屈感の解消にもなったかもしれません。
 個人的には、全編に、ビージーズ(「イン・ザ・モーニング」、「メロディ・フェア」「若葉のころ」、「ラヴ・サムバディ」など)やクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング(「ティーチ・ユア・チルドレン」)などの、映画のシーンにピッタリの美しい曲が流れていたことも大きな魅力でした(「卒業」とサイモン&ガーファンクルと同様に、映画と音楽の融合の成功例の一つでしょう)。



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ふたりのロッテ

2024-05-05 15:41:54 | 映画

 1993年公開のドイツ映画です。

 1949年に出版されたエーリヒ・ケストナーの児童文学の古典「ふたりのロッテ」(その記事を参照してください)の比較的最近の映画化です。

 もともとこの作品は、戦時中に映画の脚本として書かれたということもあって、ケストナー作品の中では最もたびたび映画化されています。

 一番最初は出版された翌年の西ドイツ映画ですが、日本でもすぐに当時の人気子役だった美空ひばりの一人二役で映画化されています。

 同様に、アメリカの人気子役だったヘイリー・ミルズの一人二役による「罠にかかったパパとママ」という題名のディズニー映画も日本で封切られ、子供のころに見た記憶があります。

 さて、この映画では、実際に双子の子役がシャルロッテとルイーズを演じていて、二人の性格の違い(元気いっぱいのシャルロッテとおとなしい優等生のルイーズ)が非常に良く表現されていて、原作の雰囲気をうまく出しています。

 また、この映画では、以下の基本コンセプトだけを守って、後は現代の事情に合わせて自由にストーリーを展開したのが、かえって作品の精神を今の子供たちに伝えることに成功していると思います。

<両親が離婚したために離れ離れになっていた双子が、偶然サマーキャンプで再開して意気投合し、二人が入れ代わってそれぞれパパとママの元に戻り、二人の機知と策略によって、両親の関係を修復します>

 この映画でも、つねに子どもたちの側に立つケストナーの精神が、見事に継承されています。

 

 

 

 

 

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フェリーニのアマルコルド

2024-05-03 09:17:25 | 映画

 1973年公開のイタリア映画で、アカデミー賞外国語映画賞(監督のフェデリコ・フェリーニは史上最多の四度目の受賞です)を受賞しました。
 フェリーニの作品の中ではもっとも児童文学の世界に近い作品で、子ども時代(中学生ぐらいか?)の想い出をもとに作られています。
 海辺の田舎町を舞台に、綿毛の飛ぶ季節(春の訪れ)から翌年の綿毛が飛びはじまるまでの一年間が描かれています。
 頑固な父親や口やかましいけれど優しい母親などとの家族生活(ファシストによる父の拷問や母の死なども描かれています)、権威主義的な教師や牧師たち、ファシズムのイタリア席巻などを風刺的に描いていますが、フェリーニならでは猥雑なシーン(あこがれの年上の美女、誰とでも寝る若い女、超グラマーなタバコ屋の女主人など)もふんだんに盛り込まれています。
 こうしたある意味雑多な事象をフェリーニ独特のユーモアや皮肉をちりばめて描いていますが、それを圧倒的な映像美(冒頭とラストの綿毛の飛ぶシーン、春の訪れを告げる祭りの焚火、記録的な大雪によって一変した町の風景、雪の中を舞うクジャク、豪華なリゾートホテル、真夜中に沖を通るアメリカの豪華客船(町民総出で小舟に乗って迎えに行きます)、結婚式やパーティが行われる郊外の風景など)で、フェリーニ独特の世界が展開されます。
 1973年4月、大学の入学オリエンテーション前に、京橋の国立フィルムセンターで行われたイタリア映画祭で、初めてフェリーニの「道」を見て以来、都内のあちこちにあった名画座でそれまでのフェリーニ作品を片っ端から観ていたのですが、この作品以降は封切り時にリアルタイムで見られるようになりました。

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ジンジャーとフレッド

2024-04-21 14:51:29 | 映画

 1986年公開のイタリア映画です。

 往年のアメリカのダンス映画の大スター、ジンジャー・ロジャースとフレッド・アステアのものまね芸人として、イタリアのショー・ビジネスでかつて活躍したジンジャー(本名はアメリア)とフレッド(本名はピッポ)が、30年ぶりに再会する話です。

 テレビのクリスマス特番の見世物的番組に、「あの人は今」的な感じで出演を依頼されたのです。

 盛りをとうに過ぎた男女の悲哀を、こちらも往年の大スターであるジュリエッタ・マシーナ(「道」のジェルミソーナです)とマルチェロ・マストロヤンニが、鮮やかに演じています。

 こうしたかつての大スターたちが、平然と老醜をさらけだして演じる姿勢は、日本ではあまりないかもしれません。

 特に、マストロヤンニは、さらに老けメイクを駆使して老醜を強調して、かつての二枚目スターのイメージをかなぐり捨てて見せているのには、感心させられます。

 この映画は、ある意味、監督のフェデリコ・フェリーニと、彼の作品の秘蔵っ子たち(ジュリエッタ・マシーナ(フェリーニの妻)は「道」「カビリアの夜」「魂のジュリエッタ」など、マストロヤンニは「81/2」「甘い生活」「女の都」など」)とによる、同窓会的な趣もあります。

 ただ、それだけでなく、醜悪な巨大テレビ局の実態を、痛烈に批判してみせているのは、さすがフェリーニです。

 この作品が作られた時には、フェリーニが66才、マシーナが65才、マストロヤンニが62才でした。

 今回、彼らと同年輩になって見直したので、公開時にはそれほど感じなかった人生の哀歓を、自分自身の実感を持ってまざまざと味わうことになりました。

 

 

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フェリーニのローマ

2024-04-20 09:10:13 | 映画

 1972年公開のイタリア・フランス合作映画です。

 子ども時代、ローマへ出てきた青年時代、そして現代のフェリーニの目を通したローマやそこで暮らす人々を描いています。

 特にストーリーはなく、断片的なシーンの連続ですが、それを通してフェリーニ独特の、荘厳、幻想、猥雑などが一緒くたになった世界が描かれています。

 有名なシーンを列挙すると、聖職者による聖職者のためのファッションショー、低級と高級の売春の館、嵐の中の高速道路の渋滞、バイクの群れの暴走、発見されたローマ時代の壁画が外気に触れて消えていくシーン、様々な人間が又借りで住み着いているアパートメント、大家族や近所の人たちが集まる外での食事シーン、戦時中のボードヴィル・ショー、フェリーニ自身も登場するこの映画の撮影シーンなどになります。

 

 

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