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現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

小さな恋のメロディ

2025-05-10 08:14:45 | 映画

 少年少女(11歳ぐらいの設定と思われます)の瑞々しい恋を描いた、1971年のイギリス映画です。
 本国やアメリカでは不評でしたが、日本では大ヒットしました(1950年代の半ばから1960年代の初めごろに生まれた人ならば、ほとんどの人が見たことがあるんではないでしょうか?)。
 その理由としては、いくつかの事が考えられます。
 まず、主人公の男の子(撮影当時12歳だった人気子役(「華氏451」、「オリバー!」、「小さな目撃者」など)のマークレスター)と主人公の女の子(撮影当時11歳だった無名のトレーシー・ハイド)が、日本人好みの可愛らしさだったことがあげられます(二人ともぜんぜんすれていなくて、子どもらしい子どもでした)。
 次に、舞台になっているイギリスの学校(11歳から16歳ぐらいまで通う小中学校)の雰囲気が、当時の日本の中学校(公開当時の観客ではこの年代が一番多かったでしょう)よりも大人びて感じられて(ダンスパーティ、煙草、ミニスカートの制服、男女交際など)、魅力的に映ったものと思われます(私自身は公開当時、すでに高校二年生になったところでしたが、男子校だったので男女交際の感覚が中学生当時からストップしたまま(いやむしろ中学時代の女友だちとの関係が次第に薄れて、より飢餓感があったかもしれません)でしたので、中学生たちと同様に羨ましかったです)。
 また、子どもたちだけで二人の結婚式をあげて、止めさせに来た大人たち(教師たちとマーク・レスターのママ)と戦って勝利(失敗続きだった爆弾マニアの少年の爆弾がついに成功して、マーク・レスターのママのスポーツカーを爆破して大人たちを敗走させます)して、二人はトロッコで旅立つというファンタジックなストーリーが、いつも大人たちに抑圧されている日本の子どもたち(特に、当時(今もそうかもしれませんが)の中学生は、受験勉強や内申書で、教師たちにがんじがらめにされていました)にとって痛快でした(この映画の根本的な考えは「大人たちは信用できない」なので、出てくるほとんどの大人たちはかなり俗物的に誇張されていました)
 また、70年安保末期の高校紛争も、ほとんどが子どもたち側の敗北(私の通っている高校は私立の付属高校だったので、生徒側がかなりの勝利を収めて、制帽、制服、中間試験などが廃止になっていましたが)に終わっていましたので、その鬱屈感の解消にもなったかもしれません。
 個人的には、全編に、ビージーズ(「イン・ザ・モーニング」、「メロディ・フェア」「若葉のころ」、「ラヴ・サムバディ」など)やクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング(「ティーチ・ユア・チルドレン」)などの、映画のシーンにピッタリの美しい曲が流れていたことも大きな魅力でした(「卒業」とサイモン&ガーファンクルと同様に、映画と音楽の融合の成功例の一つでしょう)。



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ふたりのロッテ

2025-05-09 09:12:23 | 映画

 1993年公開のドイツ映画です。

 1949年に出版されたエーリヒ・ケストナーの児童文学の古典「ふたりのロッテ」(その記事を参照してください)の比較的最近の映画化です。

 もともとこの作品は、戦時中に映画の脚本として書かれたということもあって、ケストナー作品の中では最もたびたび映画化されています。

 一番最初は出版された翌年の西ドイツ映画ですが、日本でもすぐに当時の人気子役だった美空ひばりの一人二役で映画化されています。

 同様に、アメリカの人気子役だったヘイリー・ミルズの一人二役による「罠にかかったパパとママ」という題名のディズニー映画も日本で封切られ、子供のころに見た記憶があります。

 さて、この映画では、実際に双子の子役がシャルロッテとルイーズを演じていて、二人の性格の違い(元気いっぱいのシャルロッテとおとなしい優等生のルイーズ)が非常に良く表現されていて、原作の雰囲気をうまく出しています。

 また、この映画では、以下の基本コンセプトだけを守って、後は現代の事情に合わせて自由にストーリーを展開したのが、かえって作品の精神を今の子供たちに伝えることに成功していると思います。

<両親が離婚したために離れ離れになっていた双子が、偶然サマーキャンプで再開して意気投合し、二人が入れ代わってそれぞれパパとママの元に戻り、二人の機知と策略によって、両親の関係を修復します>

 この映画でも、つねに子どもたちの側に立つケストナーの精神が、見事に継承されています。

 

 

 

 

 

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フェリーニのアマルコルド

2025-05-08 09:34:39 | 映画

 1973年公開のイタリア映画で、アカデミー賞外国語映画賞(監督のフェデリコ・フェリーニは史上最多の四度目の受賞です)を受賞しました。
 フェリーニの作品の中ではもっとも児童文学の世界に近い作品で、子ども時代(中学生ぐらいか?)の想い出をもとに作られています。
 海辺の田舎町を舞台に、綿毛の飛ぶ季節(春の訪れ)から翌年の綿毛が飛びはじまるまでの一年間が描かれています。
 頑固な父親や口やかましいけれど優しい母親などとの家族生活(ファシストによる父の拷問や母の死なども描かれています)、権威主義的な教師や牧師たち、ファシズムのイタリア席巻などを風刺的に描いていますが、フェリーニならでは猥雑なシーン(あこがれの年上の美女、誰とでも寝る若い女、超グラマーなタバコ屋の女主人など)もふんだんに盛り込まれています。
 こうしたある意味雑多な事象をフェリーニ独特のユーモアや皮肉をちりばめて描いていますが、それを圧倒的な映像美(冒頭とラストの綿毛の飛ぶシーン、春の訪れを告げる祭りの焚火、記録的な大雪によって一変した町の風景、雪の中を舞うクジャク、豪華なリゾートホテル、真夜中に沖を通るアメリカの豪華客船(町民総出で小舟に乗って迎えに行きます)、結婚式やパーティが行われる郊外の風景など)で、フェリーニ独特の世界が展開されます。
 1973年4月、大学の入学オリエンテーション前に、京橋の国立フィルムセンターで行われたイタリア映画祭で、初めてフェリーニの「道」を見て以来、都内のあちこちにあった名画座でそれまでのフェリーニ作品を片っ端から観ていたのですが、この作品以降は封切り時にリアルタイムで見られるようになりました。

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青春デンデケデケデケ

2025-05-04 11:30:27 | 映画

 1991年に直木賞を受賞した芦原すなおの青春小説(その記事を参照してください。現在でしたら、児童文学のヤングアダルト物にジャンル分けされるでしょう)を、大林宣彦が監督した1992年の映画です。
 1965年の3月の高校入学前の春休みから、1968年2月の大学受験のために上京するまでの、丸々3年間の高校生活を、エレキバンド(リードギター、サイドギター、ベース、ドラムという非常にオーソドックスな構成です)結成から文化祭での演奏会までを、きっちりと描いています(メンバーを集めて、バイトで楽器を買い、練習場を確保し、合宿へも出かけます)。
 原作もそうですが、登場人物は、主人公を中心とした4人のバンドメンバーを初めとして、技術サポートしてくれるエンジニア志望の友だちや応援してくれる女の子たちなどの高校生たち、メンバーの家族や先生などの彼らを支えてくれる大人たちまで、かなり風変わりな人もいますが基本的にはみんないい人たちで、一種のユートピア小説の趣があります。
 日本が高度成長時代で、まだ現在よりも未来の方が良くなると信じられたころなので、こうした青春時代は一種の通過儀礼のようなもので、多くの人たちの共通の想い出ととして残っています。
 私は、主人公たちよりも5年遅い1970年から1973年が高校時代なので、すでにエレキブームは去っていましたが、こういった雰囲気が日本中の至る所にあったことは、実体験として理解できます。
 映画化にあたって、原作者の望みどおりに、こうした地方都市を舞台にした青春映画(故郷の瀬戸内海を舞台にしたいわゆる尾道三部作(「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」)など)を得意にしていた大林宣彦が監督をしたので、原作の舞台である香川県観音寺市に長期ロケをして、地元の言葉や風物を生かした作品になっています。
 出演している男の子たちや女の子たちも、みんな当時の地方都市の普通の高校生のような子ばかり(新人が多かったようです)で、その後主役級の俳優になったのは白井清一役の浅野忠信ぐらいでしょう。
 一方で、大人の出演者は大林作品の常連の役達者がそろっていて、つたない(それが魅力なのですが)高校生たちの演技をしっかりサポートして、作品の完成度を高めています。
 原作の発表された1991年や映画化された1992年はバブル崩壊の真っ只中なのですが、人々の心の中にはまだまだ高度成長時代とそれに続く安定成長時代の雰囲気が続いており、そういった意味では、舞台になった1960年代の高度成長期とかろうじて地続きにあったので、私も含めて当時の読者や観客には受け入れやすかったのかもしれません。
 特に、地方都市である観音寺市は、バブルの影響も少なく、撮影当時も1960年代の雰囲気を多く残していたそうなので、その風景も魅力の一つだったと思います。

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ミラノの奇跡

2025-05-03 08:58:00 | 映画

 1951年公開のイタリア映画です。

 第4回カンヌ映画祭でパルムドールを受賞しています。

 ウ゛ィットリオ・デ・シーカ監督らしい、庶民への愛情があふれたファンタジックな映画です。

 赤ちゃんの時に、おばあさん(トトはママと呼んでいます)に拾われて愛情豊かに育てられた捨て子のトトが主役です。

 ママが死んでからは、孤児院で育てられました。

 お話は、トトが大きくなって、孤児院を出るときから動き出します。

 トトは、これ以上ないほどのお人よしで、常にポジティブです。

 そのため、いつのまにか、私有地に掘っ立て小屋を建てて住み着いている貧乏人たちのリーダーになっています。

 その私有地から石油が出たことから、持ち主の大金持ちに退去を迫られます。

 立ち退きを迫る大金持ちの私兵たちとのユーモラスな攻防戦が始まります。

 その過程で、トトは天国から抜け出してきたママからなんでも願いの叶う白い鳩を授かります。

 それからは、トトが起こす奇跡の大安売りで大混乱が起こります。

 貧乏人たちの願いは、たいていは毛皮とかドレスとか家具(小さな掘っ立て小屋には入らないのがおかしいです)やお金などの他愛のないものですが、中には身につまされるものもあります。

 黒人の男性は好きな白人女性のために白くなることを希望しますが、彼女が逆に黒くなることを希望したために、思いはすれ違ってしまいます(当時は黒人と白人の男女が結ばれることは難しかったのでしょう。この映画より後ですが、シドニー・ポアチエ主演の「招かれざる客」を思い出します)。

 孤独な自殺願望のある青年は、広場にある天使像に生命を吹き込むことを希望しますが、生まれた美少女は奔放で彼の手には余ります。

 そうしたドタバタ騒ぎを、トトとエドウ゛ィジェという少女との可愛らしい恋愛も交えて、デ・シーカはユーモアと庶民への愛情を込めて描いています。

 ラストでは、トトとエドウ゛ィジェを先頭にして、みんながほうきにまたがって、「幸せの国」に飛び去っていく姿が痛快です(「E.T.」(その記事を参照してください)を思い出させます)。

 こうしたある意味無責任な終わり方は、「卒業」(ダスティン・ホフマンとキャサリン・ロスが、花嫁姿のままでで教会から逃げてしまいます)、「小さな恋のメロディ」(マーク・レスターとトレイシー・ハイドが、トロッコに乗って逃げてしまいます。その記事を参照してください)などと共通していて、先のことを考えなければ、最高にスカッとします。

 今回、久しぶりにこの映画を見直してみて、「ああこういう作品を書きたかったんだ」と、改めて思い起こせました(今からでも遅くないか)。

 

 

 

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トゥルーマン・ショー

2025-04-27 09:07:43 | 映画

 一人の男性の生活を、隠しカメラで誕生から30年間も24時間放送している人気テレビ番組という設定です。
 主人公以外はすべて俳優やエキストラで、まわりの街や自然もセットということになっています。
 製作された1998年当時としては最新の技術を用いて、よくできたつくりになっていますが、かなりご都合主義な設定やストーリーで、三十年続いたというには矛盾が多くリアリティにもかけています。
 コメディなのですから、そのあたりは目くじら立てないで楽しむべき作品なのでしょう。
 当時、典型的なアメリカ青年を演じさせたら右に出るものがいなかったジム・キャリーが、あまり賢くはないが明るい好青年をユーモアたっぷりに演じています。

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バグダッドカフェ

2025-04-13 09:28:48 | 映画

 1987年公開の西ドイツ映画です。

 日本ではミニシアターで公開され、当時のミニシアター・ブームの代表作の一つです。

 アメリカの砂漠地帯で、夫とけんか別れして車を降りた中年の太ったドイツ女性が、さびれたガソリンスタンドとモーテルを併設したカフェにたどり着きます。

 そこの風変わりな住人たち(グータラな夫を家からたたき出した女主人、いつもピアノを弾いている息子と彼の赤ん坊、遊び回っている娘、なまけものの店員、そばのトレーラーで暮らすヒッピー風の老画家(往年の悪役スター、ジャック・パランスが好演しています)、モーテルで暮らす女入れ墨師など)と交流するにつれて、主人公は失った人間性を回復していきます。

 その一方で、主人公の大きな童女とも呼ぶべき容姿と振る舞い(マリアンネ・ゼーゲブレヒトが体当たりの演技を見せています)が、住人たちの人間性も回復させていきます(イライラ周囲に当たり散らしていた女主人は落ち着きを取り戻して家庭(夫も戻ってきます)も商売も軌道にのせます。息子はピアノの腕前をみんなに認められます。娘は落ち着きを取り戻して勉強も手伝いもするようになります。老画家は創作意欲をかき立たせられると同時に主人公に結婚を申し込みます)。

 主人公が、夫の荷物(別れる時にスーツケースを間違えたようです)の中にあった手品セットを独習して、みんなに披露し、それが評判をよんで、カフェも繁盛します。

 全体に大人向けのファンタジーのような趣があり、典型的なハッピーエンドなので、幸せな余韻に浸れます。

 ただし、うまくいき過ぎの感は拭えないので、「みんなが仲良しすぎる」といって途中でモーテルを去った女入れ墨師のように、作品についていけなくなる人もいるかもしれません。

 

 

 

 

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ジョゼと虎と魚たち

2025-04-10 09:14:38 | 映画

 2003年の日本映画です(2020年にアニメ映画化されましたが、未見です)。

 ノーテンキな大学生の主人公と、足が悪くてほとんど外出せずに暮らしている少女ジョゼとの出会いと別れを、時には純愛風に、時にはエロチックに描いた恋愛映画です。

 妻夫木聡、池脇千鶴、上野樹里といった、当時売り出しの若手俳優たちが生き生きと等身大の若者を演じています。

 特に、池脇千鶴の文字通り体当たりの演技が、この映画の成功を支えています。

 食事などの生活シーンのリアリティと、学校にすら通ったことのない少女といったファンタジー的な要素が、うまくバランスを取っています。

 それを表現するのに、主人公を取り合う二人の女性を、いかにも健康的な上野樹里と病的な池脇千鶴が演じていて、成功しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

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飛ぶ教室

2025-04-07 09:51:36 | 映画

 2003年のドイツ映画です。

 1933年に書かれたエーリッヒ・ケストナーの児童文学の古典の映画化です。

 現代に合わせるための変更はなされていますが、驚くほど原作に忠実に作られています。

 子どものころからのケストナー・ファンである私にとっては、驚きとともに深い満足感を味合わせてくれました。

 重要な場面はほとんど原作通りに描かれていて、感動で涙があふれてくるのをとめられませんでした。

 原作との主な変更点は以下の通りです。

 主役をマルチン・ターラーではなく、ヨーニー(ヨナタン)・トロッツにしています。

 ヨーニーは詩人ではなく、作曲家にしています(代わりにマルチンを詩人にしています)。

 禁煙先生との交流の理由として、ヨーニーが拾った子犬を登場させています。

 ゼバスチアンを、クロイツカム先生の息子のルディと合体させています。

 クロイツカム先生を、校長にしています。

 敵対しているチームを、実業学校から同じ学校の帰宅生に変更しています。

 敵対チームに焼かれてしまったのを、成績表から楽譜に変更しています。

 主人公たち寄宿生を、合唱団のメンバーにしています。

 敵対チームのリーダーのエーガーラントを女の子にして、ヨーニーの相手役にしています。

 マルチンの家庭の問題を、父親の失業から両親の離婚に変更しています。

 かつて禁煙先生が姿を消した理由を、西ドイツ側への逃亡にしています(この作品の舞台は旧東ドイツになっています)。

 彼らが演じる「飛ぶ教室」の舞台を、劇でなくラップにしています。

 逆に、現代を舞台にしたのでは難しいと思われるシーンが映画化されていて驚いたのは以下の通りです。

 マッツ(マチアス)・ゼルプマンとヴァヴェルカとの決闘シーン。

 両軍の雪合戦。

 クロイツカムが、敵対チームの捕虜になるシーン。

 ウリーが校舎から飛び降りるシーン(ただし、持っていたのはこうもり傘ではなく、大きな風船に変更されています)。

 教室で、ウリーがかごに入れられて吊されるシーン。

 禁煙先生が暮らす禁煙車。

 最上級生のテオたちの社交ダンスシーン。

 全体として、ケストナーの精神である「つねに子どもたちの立場に立つ」ことが、この映画でも非常に良く受け継がれています。

 おそらく、ドイツでは、今でもケストナーや彼の作品が広く愛されているのでしょう。

 それを考えると、異国に住むケストナー・ファンとしては、とてもうれしくなります。

 

 

 

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フェリーニのローマ

2025-04-03 09:13:47 | 映画

 1972年公開のイタリア・フランス合作映画です。

 子ども時代、ローマへ出てきた青年時代、そして現代のフェリーニの目を通したローマやそこで暮らす人々を描いています。

 特にストーリーはなく、断片的なシーンの連続ですが、それを通してフェリーニ独特の、荘厳、幻想、猥雑などが一緒くたになった世界が描かれています。

 有名なシーンを列挙すると、聖職者による聖職者のためのファッションショー、低級と高級の売春の館、嵐の中の高速道路の渋滞、バイクの群れの暴走、発見されたローマ時代の壁画が外気に触れて消えていくシーン、様々な人間が又借りで住み着いているアパートメント、大家族や近所の人たちが集まる外での食事シーン、戦時中のボードヴィル・ショー、フェリーニ自身も登場するこの映画の撮影シーンなどになります。

 

 

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ジンジャーとフレッド

2025-04-02 08:15:34 | 映画

 1986年公開のイタリア映画です。

 往年のアメリカのダンス映画の大スター、ジンジャー・ロジャースとフレッド・アステアのものまね芸人として、イタリアのショー・ビジネスでかつて活躍したジンジャー(本名はアメリア)とフレッド(本名はピッポ)が、30年ぶりに再会する話です。

 テレビのクリスマス特番の見世物的番組に、「あの人は今」的な感じで出演を依頼されたのです。

 盛りをとうに過ぎた男女の悲哀を、こちらも往年の大スターであるジュリエッタ・マシーナ(「道」のジェルミソーナです)とマルチェロ・マストロヤンニが、鮮やかに演じています。

 こうしたかつての大スターたちが、平然と老醜をさらけだして演じる姿勢は、日本ではあまりないかもしれません。

 特に、マストロヤンニは、さらに老けメイクを駆使して老醜を強調して、かつての二枚目スターのイメージをかなぐり捨てて見せているのには、感心させられます。

 この映画は、ある意味、監督のフェデリコ・フェリーニと、彼の作品の秘蔵っ子たち(ジュリエッタ・マシーナ(フェリーニの妻)は「道」「カビリアの夜」「魂のジュリエッタ」など、マストロヤンニは「81/2」「甘い生活」「女の都」など」)とによる、同窓会的な趣もあります。

 ただ、それだけでなく、醜悪な巨大テレビ局の実態を、痛烈に批判してみせているのは、さすがフェリーニです。

 この作品が作られた時には、フェリーニが66才、マシーナが65才、マストロヤンニが62才でした。

 今回、彼らと同年輩になって見直したので、公開時にはそれほど感じなかった人生の哀歓を、自分自身の実感を持ってまざまざと味わうことになりました。

 

 

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スケアクロウ

2025-03-28 09:52:53 | 映画

 1973年公開のアメリカのロードムービーです。
 今見ると、同性愛者への偏見などの問題点もあるのですが、ジーン・ハックマンとアル・パチーノという持ち味の違う名優が、アメリカ各地をヒッチハイクと貨物列車へのただ乗りで放浪する二人のホームレス(そのころの言葉でいえば浮浪者か?)が直面するいろいろな事件を通して、プワー・ホワイト(アメリカの貧しい白人のことで、私が初めて知った典型的な人物は1994年のリレハンメル・オリンピックにおけるトーニャ・ハーディングです)の哀しみを見事に描いています。
 プワー・ホワイトは、政治的には通常はサイレント・マジョリティですが、人口に占める割合が大きいので、大統領選挙のトランプ氏のような彼らの権利や要求を代弁すると思われる存在が現れると、急激に一大勢力として強い発言権を持つようになります。

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ワーナー・ホーム・ビデオ

 

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プラダを着た悪魔

2025-03-26 16:13:12 | 映画

 2006年公開のアメリカ映画です。

 主演のアン・ハサウェイのキュートな魅力と、カリスマ編集長役のメリル・ストリープの貫禄の演技とで、大ヒットしました。

 ジャーナリスト志望の超優秀な若い女性が、ひょんなことから場違いなファッション誌のカリスマ編集長の第二秘書になり、悪魔のような編集長の要求に悪戦苦闘する姿をコミカルに描いています。

 ストーリー自体は、完璧なハッピーエンド(編集長に後継者に指名されるもののそれを断り、小さいながら念願の新聞社に就職が決まり、仕事にかまけて気まずくなったシェフ志望の恋人ともよりが戻り、ファッション誌にいたおかげで見違えるように垢抜けします(まあ、元がいいのですから当たり前ですが))の他愛ないものですが、随所に素晴らしいファッションを満喫できて女性ファンを魅了しました。

 

 

 

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メリー・ポピンズ

2025-03-25 15:12:20 | 映画

 1964年のアメリカのミュージカル映画です。
 1934年に書かれたトラヴァースの児童文学の古典である「風にのってきたメアリー・ポピンズ」を初めとしたメアリー・ポピンズ・シリーズをもとにしていますが、基本的にはオリジナル・ストーリーです。
 ミュージカル女優だったジュリー・アンドリュースを、主役に抜擢したディズニー映画です。
 アカデミー主演女優賞を獲得した彼女の圧倒的に美しい歌声が一番の魅力なのですが、アカデミー作曲賞と歌曲賞を受賞したシャーマン兄弟の「チム・チム・チェリー」を初めとした名曲の数々が素晴らしいです。
 また、CGどころかコンピューター自体さえ一般化されていなかった時代に、実写と特殊撮影やアニメを合成した映像(アカデミー編集賞と特殊視覚効果賞も受賞しています)も当時としては画期的でした。
 アカデミー賞は受賞していませんが、相手役のディック・ヴァン・ダイクの芸達者ぶりと彼を中心としたダンスの群舞も見ものです。
 ところで、映画はメリー、原作本はメアリーになっているのが長年気になっていたのですが、今回字幕版で見たので注意して聞いてみると、俳優によって、日本語の「メリー]に近い発音の人もいますし、「メアリー」とはっきり発音している人もいるので、どちらでもいいことがはっきりしてスッキリしました。

メリーポピンズ (字幕版)
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ジョニー・ノックスビル アクション・ポイント/ゲスの極みオトナの遊園地

2025-03-24 15:24:47 | 映画

 2018年に作られた、アメリカでカルト的人気のあるコメディアンのジョニー・ノックスビルが主演した、日本非公開の超B級コメディ映画です。
 数十年前に実在した(?)手作り感満載の超危険なオンボロ遊園地を舞台に行われる、下品でおバカで体を張って作ったドタバタコメディで、背景にある父と娘とその孫娘の愛憎などの内容はお約束通りに薄っぺらでほとんど意味がないのですが、自主規制づくめで八方美人的な現代の映画の中では異彩を放っています。
 かつては、こうしたハチャメチャムービー(「大混戦」や「ピンク・パンサー」など)やテレビドラマ(「じゃじゃ馬億万長者」や「三馬鹿大将」や「ちびっこギャング」など)が日本でも公開されたりテレビで放映されたりしたのですが、最近はお行儀のいい映画やドラマばかりなので、こういった映画を久しぶりに見ると頭が空っぽになっていい気分です。
 さらに、バックに流れる「ザ・クラッシュ」などの懐かしい曲が、雰囲気を盛り上げています。

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