現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

バック・トゥ・ザ・フューチャーPART3

2021-11-30 17:06:29 | 映画




 人気SF映画三部作の完結編で、前の二作がTo be Continuedで終わるのに対して、この作品はThe Endとなっていることからして、スピルバーグは初めからこれを完結編とすことを決めていたようです。
 そういった意味では、作品全体の辻褄合わせ的なものはあるものの、三部作の中では第一作に次いで完成度が高いです。
 シリーズ全体での時間移動は、1985年(第一作の公開年)→1955年→1985年→2015年→1985年→1885年→1985年と行われたことになります。
 タイトルを考えると、第一作と第三作が重要で、第二作はつなぎのような感じです。
 作品的にも、撮影当時の未来を描いた第二作はどこかぎこちがなく、すでに過去である1955年や1885年を描いた第一作と第三作のほうが、細部にしゃれた伏線を貼るのが得意なスピルバーグの良さが出ています。
 やはり、純粋SFはルーカスの方が得意なようです。
 それにしても、1985年はもちろん、当時は未来だった2015年も過去になったことには、「ブレードランナー2049」の記事にも書きましたが、感慨深いものがあります。
 

 

 

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バック・トゥ・ザ・フューチャー

2021-11-30 17:03:47 | 映画

 1985年公開のアメリカ映画です。

 当時、スピルバーグ監督が連発していた傑作映画のひとつです。

 他の記事にも書きましたが、このころは、スピルバーグか、コッポラか、ルーカスの映画を見ていれば、まず間違いはありませんでした。

 タイムマシーン物ですが、それに関するリアリティはあまりありません。

 でも、そんなことはどうでもいいのです。

 圧倒的なテンポのよさと、たくさんちりばめられた伏線の回収が、小気味よくて、何度見てもスカッとします。

 マイケル・J・フォックスの軽快な演技も懐かしく見られますし、日本にとっては青春時代と言っていい80年代の楽しさを象徴する作品のひとつでしょう(アメリカ映画ですが)。

 

 

 

 

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同人誌の合評会の役割り

2021-11-29 14:30:25 | 考察

 児童文学の同人誌活動において、一般的には定期的(月例会が多いと思われます)に会員が作品を持ち寄り(昔は印刷したものを全員に郵送していましたが、今はメールの添付ファイルで送るのが一般的でしょう)、合評会を行います。
 合評された作品は、他の会員から得られたフィードバックをもとに各人が手直しします。
 それらの中で各自がいいと思った作品を、定期的(年一回が多いと思われます)に発行される同人誌に掲載します(一般的には、掲載ページ数によって一定の負担金が必要です)。
 以上が、一般的な同人誌の活動内容ですが、なんといっても活動の中心は合評会です。
 合評会の締め切りに合わせて作品を用意するのは、創作活動を継続させることに非常に有効です。
 また、様々な会員から批評を受けられることも、作品の質を上げるためにメリットがあります。
 有益な批評を得るためには、プロの作家や商業出版の経験者、児童文学の評論家や研究者などが会員に多い同人誌を選ぶべきでしょう。
 もちろん、会員一人ひとりが、自分の作品を批評してもらうだけでなく、他の会員の作品をしっかり批評しなければならないことは言うまでもありません。

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運動体としての現代児童文学

2021-11-25 11:37:11 | 考察

 一般的には1959年に始まり2010年に終焉したと言われている(私自身は1953年に始まり1990年代半ばにはすでに終焉したという立場をとっています(詳しくは「現代児童文学の始まり」と「現代児童文学の終焉」という記事を参照してください))現代児童文学は、一種の文学運動でもありました。
 そこには大きく分けて、「少年文学宣言」派と「子どもと文学」派があったと思われます。
 「少年文学宣言」派はその申し子ともいえる後藤竜二の死とともに2010年に完全に終焉したと言えますが、「子どもの文学」派が主張した「おもしろく、はっきりわかりやすく」という主張は一見今でも有効なように思えます。
 しかし、現在の夥しく出版されている児童書の「おもしろさ」は、明らかに「子どもの文学」派が主張していた物からは変質しています。
 「子どもと文学」が発表されてすぐに「少年文学宣言」派から批判されたように、彼らの主張は多くの安易なステレオタイプの作品を生みだしました。
 現代の児童文学の多くは、この「安易なステレオタイプ」の再生産にすぎないのではないでしょうか。
 そして、長く子どもたちの財産となるような恒久財としての「文学」ではなく、短期間に読み飛ばされる消費財にすぎません。
 すでに文学運動体をなくした児童文学において、それらを正しく評価するには、いわゆる文学論ではなく、マーケティング理論に基づいた消費財としての評価方法が必要になっていると思われます。
 残念ながら、現状ではマーケティングをきちんと勉強した児童文学研究者や出版関係者は見あたりませんので、それらが正しく評価されることは困難でしょう。
 そのため、同じ子ども向け消費財マーケットを競っている、マンガやアニメやゲームに対抗していくことは困難で、児童書のマーケットサイズは今後も縮小を続けていくことでしょう。



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探偵物語

2021-11-24 17:26:35 | 映画

 1983年公開の日本映画です。

 赤川次郎原作の軽いタッチの推理物で、ストーリー自体は偶然の多用や御都合主義の他愛ないものです。

 この映画の魅力は、なんといっても主演の二人によるものでしょう。

 薬師丸ひろ子はとにかくかわいい女子大生(本人も実際に女子大生でした)にはぴったりですし、松田優作の探偵はなんといってもかっこよく決まっています。

 そんな二人を見るだけでも、一見の価値はあります。

 

 

 

 

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アクションとダイアローグ

2021-11-22 14:55:11 | 考察

 「児童文学とは、アクション(行動)とダイアローグ(会話)で描く文学だ」と明確に定義してくれたのは、今は亡き安藤美紀夫先生ですが、その後、80年代になってからは、描写に重きをおいた小説的手法の優れた作品が増えてきました。
 それでも、「アクション」と「ダイアローグ」は、子ども読者のための文学としての児童文学の基本であることは変わっていません。
 しかし、最近では、その「アクション」の代わりに「モノローグ」や説明文を多用した作品が増えています。
 その原因としては、読者の読解力の不足と、児童文学の本の軽薄短小化があると思われます。
 子どもたちの本離れ、実用文に片寄った学校教育、スマホなどのツールによる短文への慣れなどにより、子どもたちの読解力は急速に低下しています。
 そうした読者に理解してもらうためには、ダイアローグ、モノローグ、説明文を多用した方がてっとりばやいなのです。
 こうした傾向は、児童文学だけでなく、大人を対照とした文学、特にエンターテインメント系の作品でも増えています。
 しかし、それでは、文学の本来の魅力は産み出し得ません。
 現在あふれている読み捨てられている消費財としての児童文学でなく、歴史に残る恒久財としての児童文学を目指すなら、もっとアクションや描写で書いていかなければなりません。
 アクションは読者に物語を追体験させるためには必須ですし、優れた美しい描写は読書体験の魅力そのものです。
 その点では、現在でも、優れたコミックスやアニメはアクションにあふれていますし、一様に絵や映像も美しく磨かれています。

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春子ブックセンター

2021-11-21 12:46:40 | 演劇

 2002年に、下北沢の本多劇場で行われた大人計画の公演です。

 作、演出は、いつもの松尾スズキではなく宮藤官九郎で、彼独特のギャグ満載のお芝居になっています。

 温泉地のストリップ劇場の楽屋を舞台に、伝説の漫才トリオ「春子ブックセンター」が再結成される様子を描いたドタバタコメディです。

 松尾スズキ、宮藤官九郎も出演していますが、テレビなどで売れる前の阿部サダヲも大活躍しています。

 

 

 

 

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宮沢賢治「双子の星」校本宮澤賢治全集第七巻所収

2021-11-20 13:53:41 | 作品論

 初期作品の中では、非常に美的な世界を美しい文章で描いた作品です。

 しかし、耽美な世界と強い倫理観が共存しているところに、賢治の作品世界の特徴があります。

 後の作品ほどの賢治独特の世界はありませんが、主役の双子の星が、彗星にだまされて海中に沈み、それが竜巻で再び天上に戻るなど、賢治ならではのダイナミックな展開もあります。

 また、星座や海の動物に対する博識ぶりも発揮されていて、賢治の多面性も物語っています。

 

 

 

 

 

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現代児童文学の書き方

2021-11-18 15:43:02 | 考察

 1950年代に現代児童文学がスタートした時に、「児童文学の書き方」の基準としては次の二つが設定されました。
 ひとつは、早大童話会の「少年文学宣言(正しくは少年文学の旗の下に)」における「近代的な小説精神を持った少年文学(ここにおける少年という用語は、幼年、青年、壮年、老年と同じたんなる年齢区分で男の子だけをさすのではありません)」を目指そうとするものでした。
 もうひとつは、石井桃子たちの「子どもと文学」で示された、世界基準(実際には英米児童文学だけにすぎません)としての「おもしろく、はっきりわかりやすく」でした。
 どちらも抽象的すぎて、実際に創作する上ではいろいろな混乱を引き起こしました。
 前者は、政治的な立場との混同により、より狭い社会主義リアリズムによる書き方のみが過大に評価されていきました。
 後者は、「おもしろくて単純な」お話と曲解されて、特に幼年文学において安直なステレオタイプな作品が量産されるようになりました。
 そんな時に、児童文学者の安藤美紀夫などが、より具体的なガイドラインとして示したのが「アクションとダイアローグで書く文学」です。
 この方法は、1970年代から1980年代までは、かなり有効に働きました。
 登場人物の行動(アクション)と会話(ダイアローグ)で書く方法は、それまでの日本の児童文学に不足していたストーリー性を獲得するのに適していたからだと思われます。
 1980年代(正確には1978年から)に台頭した新しい書き方は、漫画的リアリズムです。
 これは、現実そのものを描写するのではなく、読者たちがすでに共有していた漫画的な世界を描写することで、漫画が広く読まれている日本においては、エンターテインメント作品を書くのには適した方法でした。
 その最初の成功例は、那須正幹の「ズッコケ三人組」シリーズでしょう。
 その一方で、1980年代から1990年代にかけて、児童文学の読者の女性化や高年齢化(大人も含めて)に対応する形で、「描写」を重視した新しい書き方が女性作家を中心に生まれ、一般文学との境界があいまいになってきました。
 最後に21世紀になってからは、ストーリーよりもキャラクターを優先する書き方がライトノベルを中心に台頭して、その低年齢化により従来の児童文学の領域を侵食する形になりました。
 現状は、今まで述べてきたいろいろな書き方に、それ以前の近代童話の詩的な書き方の復権も含めて、混在していると思われます。
 

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安東みきえ「メンドリと赤いてぶくろ」

2021-11-17 17:07:59 | 作品論

 カラフルな絵(村尾 亘)がたくさんついている絵本です。

 いばりんぼうの手袋(右手)が、洗濯物干しから風に飛ばされて、いろいろな体験をするお話です。

 時を告げたいメンドリのトサカ(オスのように)になったり、雪で凍ってしまったりして、最後には本当に大切なものを知ることになります。

 大人の鑑賞にもたえる深い内容を秘めていますが、美しい文章と巧みな言葉遊びで、幼い読者でも楽しめる作りになっています。

 

 

 

 

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スウィング・ガールズ

2021-11-11 18:02:07 | 映画

 2004年公開の日本映画です。

 ひょんなことからビッグ・バンド・ジャズをやることになった、補習クラスの落ちこぼれ女子高校生たちの奮闘を、コメディ・タッチで描いています。

 当時は無名でオーディションで選ばれた、上野樹里、貫地谷しほり、本仮屋ユイカ、平岡祐太らが、一躍売れっ子になりました。

 「ウォーターボーイズ」で大ヒットした矢口史靖監督の作品で、同じように若い無名な俳優たちを鍛え(演技だけでなくこの映画ではジャズ演奏を、前作ではシンクロナイズド・スイミングを)ながら、一級の娯楽映画を作り上げていく手腕はさすがのものがあります。

 この映画のために猛練習した(ほとんどのメンバーが素人だった)彼女たちの演奏も、聴くだけの価値があります。

 また、この映画ではブレイクしなかったけれど、その後有名になった、高橋一生、江口のりこ、佐藤二朗たちの無名時代の姿を見つける楽しみもあります。

 

 

 

 

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チア☆ダン

2021-11-11 17:33:51 | 映画

 広瀬すず主演のアイドル映画です。
 映画の系列でいえば、「スウィングガール」や「フラガール」の流れをくむものですが、出来は遠く及びません。
 映画のストーリーそのものよりも、広瀬すずをいかに魅力的に見せるかに主眼が置かれているようです。
 チアダンス部のメンバーや顧問の教師(天海祐季が演じています)それぞれに、チアダンス部に関わる動機のようものを与えているのですが、描き方が非常に表面的で浅く、「フラガール」の登場人物たちのような内的必然性はまるで感じられません。
 また、メンバーたちが上達していく過程の描き方も、「スウィングガール」や「ウォーターボーイズ」のようなユーモアや工夫がまるでなく、なんで彼女たちがそんなにうまくなったのかまるでわかりません。
 一応ダンス映画なので、本来ならばダンスシーンが迫力を持って描かれなければいけないのですが、国内大会は、初出場のまるで駄目だった時を除くと、出演前の掛け声(「元気に素直に美しく」で、明らかに宝塚の「清く正しく美しく」のパクリです)のシーンと結果発表のみで、踊るシーンはまったく省かれていて、ラストの全米大会だけはさすがに省けないので主要メンバー以外に踊れる人たちを入れて、なんとか描いていました。
 勘ぐるに、低予算短期間撮影の映画なので、主要登場メンバーのダンスのトレーニングに時間を十分に取れない(特に主役の広瀬すずは非常に多忙なので、この映画のためにそんなに時間はさけないでしょう)ために、ボロが出ないようにうまくごまかしたのでしょう。

小説 チア☆ダン 女子高生がチアダンスで全米制覇しちゃったホントの話 (角川つばさ文庫)
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うなぎ

2021-11-08 16:00:39 | 映画

 1997年公開の日本映画です。

 カンヌ映画祭で最高賞にあたるパルム・ドールを受賞し、監督の今村昌平にとっては「楢山節考」についで二度目の受賞です。

 不倫した妻を衝動的に刺殺して、十年の刑になった男が主人公です。

 入獄して八年目に仮出所して、保護司の観察のもと、片田舎の川べりで、刑務所で身につけた理容店を始めます。

 人間不信に陥っている主人公は、まわりの人たちには心を開かずに、飼っているウナギとだけ話しています。

 そんな彼が、睡眠薬自殺を図った女(妻とよく似ている)を助けたのをきっかけに、次第に周囲に心を開いていく姿を描いています。

 周囲の人たち(保護司の住職夫妻、近所の船大工、常連になるチンピラなど)がいい人ばかりで、話としてはうますぎる感じですが、妊娠していた自殺未遂の女と結ばれるなどのハッピーエンドで、見心地は悪くありません。

 

 

 

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はちどり

2021-11-05 16:21:14 | 映画

 2018年公開の韓国映画です。

 90年代のソウルを舞台に、14才の多感な少女の日々を、克明に描いています。

 多忙で不仲な両親(父親は不倫をしているようです)、過大な期待(ソウル大学合格)をかけられたストレスから主人公に暴力を振るう兄、落ちこぼれて恋人と遊びほうけている姉に囲まれて、主人公は家庭で居場所がありません。

 学校でも落ちこぼれていて、他校の親友と遊んだり、ボーイフレンドと一緒に過ごしたり、彼女に憧れる後輩とデートしたりして、日々をやり過ごしています。

 それらの関係も、すべて裏切られて終わってしまいます。

 親友には、一緒に万引きして捕まったときに裏切られます。

 ボーイフレンドには、浮気をされたり、親に反対されて別れさせられたりします。

 後輩には、心変わりをされます。

 主人公は、そうしたストレスのせいか、耳の下にしこりができて手術を受けます。

 そんな時、風変わりな塾の女性の先生と出会って、主人公は彼女だけには心を開くようになります。

 しかし、その先生も事故で亡くなってしまい、けっきょくは一人で人生を切り開いていかなければならなくなります。

 そういった意味ではかなりかわいそうなラストなのですが、そうした経験を経て、主人公が成長したように感じられるのがせめてもの救いです。

 

 

 

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スリー・ビルボード

2021-11-04 14:39:05 | 映画

 2017年公開のアメリカ映画です。
 レイプされ、さらに焼き殺された娘の事件の捜査が進展しないことに業を煮やした母親が、町外れの寂れた街道にある三枚の広告看板(これがタイトルになっています)に、自費で警察を糾弾する意見広告を出します。
 この看板を巡って町は緊張状態になりますが、それに拍車をかけるように広告において名指しで批判された警察署長が自殺します。
 末期の膵臓がんを患っていたことが自殺の理由で看板とは無関係なのですが、それによって看板を巡る対立はさらに激化します。
 アメリカの地方の町の荒廃、人種差別、警察の腐敗と怠惰、州を超えての犯罪に対する無力化、プアーホワイト(白人貧困層)の疲弊、野放しの銃器、ドメスティック・バイオレンス、家庭崩壊、教育崩壊など、現代のアメリカの抱える恥部を、これでもかこれでもかと鋭くえぐっていく作品です。
 主役の母親を演じたフランシス・マクドーマンドが、「ファーゴ」(その記事を参照してください)に続いて二度目のアカデミー主演女優賞を獲得しました。
 前作のユーモアあふれる女性警察署長役から一転して、一切妥協しない氷のように頑なな女性を好演しています。
 また、怠惰な警官役のサム・ロックウェルが、若いプアーホワイトたちの現状と絶望の典型を熱演してアカデミー助演男優賞を受賞しました。




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