現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

過酷な現代においてユートピア童話が持つ意味

2024-01-31 08:37:13 | 考察

 児童文学には、ユートピア童話という分野があります。
 人間関係が濃密で、地域全体で子どもたちを育んでいるような環境を、作品の舞台にするのです。
 多くは高度成長時代やそれ以前といった時代設定、あるいは農村や漁村といった舞台設定、時にはその両方を備えている場合もあります。
 そこにおいて、現代では失われがちな人間関係や豊かな人間性を持った登場人物を使って、物語を展開するのです。
 それ自体は、人間関係や人間性が失われがちな、現代の、特に都会の生活に対するアンチテーゼの働きをしているので、ユートピア童話のすべてを否定しようとは思いません。
 しかし、そういった作品が同じ作者によって繰り返し描かれることは、過酷なユートピアではない現実社会からの逃避になってしまう恐れがあります。
 また、設定自体が作品のリアリティを保証してしまうので、文学としての大きな飛躍がありません。
 現実社会の問題点も描きながらユートピア童話を書くことは、より困難なことかもしれませんが、そういった状況における人間関係や人間性の復活を描き出すことができれば、より価値のあることなのではないでしょうか。

ユートピア (岩波文庫 赤202-1)
クリエーター情報なし
岩波書店

 

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「「ちびくろサンボ」絶版を考える」径書房編

2024-01-27 11:05:32 | 参考文献

 1989年に、古典的な絵本である「ちびくろサンボ」が黒人を差別していると抗議され、すべての出版社が絶版にした事件の顛末と、この問題を巡る賛否両論を併記した本です。
 「ちびくろサンボ」は、日本だけでも22社49種類も発行されていた人気絵本であり、代表格の岩波書店版だけでも百二十万部以上を売り上げていた大ベストセラーだったのです。
 それがいっせいに書店から姿を消したのですから、大論争になりました。
 批判派のポイントを要約すると、「ちびくろという用語が差別的、サンボをはじめとした登場人物の名前が黒人の蔑称である、原作はインド系黒人を描いていたのにいつのまにか挿絵がアフリカ系黒人に変わりアメリカでの差別を助長した、描かれている黒人の絵が差別的に描かれるときの黒人のステレオタイプを誇張している、イギリスの植民地だったインドに対する白人の作者の優越感が感じられる、描かれている黒人の生活が未開で野蛮な印象を持たせる」などとなります。
 一方、擁護派の意見は、「子どもたちが喜んでいる、子どもたちは読んでも黒人差別など感じていない、自分も子どものころに読んだ時には差別を感じなかった、差別があるからと単純に絶版するのは表現の自由を侵している」などです。
 こうしてみると、反対意見は差別される側の立場に立ち、擁護意見は読者の立場に立っているように思われます。
 ここで私の意見を述べます。
 もう一度見直してみると、「ちびくろサンボ」は明らかに黒人を差別していると思いますし、それに気づかずに読んでいた自分自身にも、黒人に対する優越意識(白人に対するコンプレックスの裏返しとして)があったことを認めざるを得ません。
 しかし、一方で表現や出版の自由や作品の歴史的な価値を考えると、「ちびくろサンボ」をまったく抹殺してしまうことにも反対です。
 黒人差別に無頓着な既存の本の絶版は当然ですが、この作品や「黒人差別」の歴史的背景を十分に解説した文章をつけて、オリジナル版の挿絵と文章の完訳で復活させてはどうかと思います。
 そうすれば、子どもたちは、オリジナルストーリーの優れている点を味わえるとともに、「差別」について考える契機になると思うのですが、いかがでしょう?
 「ちびくろサンボ」の問題が、児童文学界に大きな衝撃を与えたのは、そのビジネス上のインパクトだけではありません。
 現代児童文学の成立に大きく寄与したといわれる、1960年に出版された石井桃子たちの「子どもと文学」において、「児童文学は「おもしろく、はっきりわかりやすく」なければならない」という彼らの主張の実例として、「ちびくろサンボ」を詳しく解説していたからです。
 そのため、「子どもと文学」に影響を受けた児童文学者(他の記事にも書きましたが、私自身も1971年の8月、高校二年の夏休みにこの本を読んで児童文学を志すようになりました)にとって、「ちびくろサンボ」は大きな意味を持っています。
 また、「子どもと文学」は、「ちびくろサンボ」と対比する形で、以下のように主張していました。
「時代によって価値のかわるイデオロギーは――たとえば日本では、プロレタリア児童文学などというジャンルも、ある時代に生まれましたが――それをテーマにとりあげること自体、作品の古典的価値(時代の変遷にかかわらずかわらぬ価値)をそこなうと同時に、人生経験の浅い、幼い子どもたちにとって意味のないことです。」
 この主張に対して、児童文学研究者の石井直人は、「現代児童文学の条件」(「研究 日本の児童文学 4 現代児童文学の可能性」所収、詳しくはその記事を参照してください)という論文において、以下のように批判しています。
「このくだりは、事後、プロレタリア児童文学は「人生経験」の十分でない子どもにとってほんとうに無意味なのか、また、「子どもと文学」が古典的価値をもつ典型とみなした「ちびくろ・サンボ」は人種差別ではないのかといった問題点を指摘された。プロレタリア児童文学は、子どもたちの「人生経験」の場にほかならない生活の過程をこそ思想化しようとしたのではなかったのか、また、イデオロギーではないはずの「古典的価値」が批判されたことは時代の変遷に関わらない思想などありえないことの証ではないかということである。」
 他の記事で書いたように、「子どもと文学」は、カナダのリリアン・H・スミスが1953年に書いた「児童文学論」の影響下にあって、当時の英米の児童文学の価値観を日本に持ち込んだものであり、白人(厳密に言えばアングロサクソン)の思想に基づいているという限界を持っていたのです。
 ただし、「子どもと文学」の出た1960年といえば、アメリカでは公民権運動がまだ勝利しておらず、もちろん南アフリカでのアパルトヘイトも続いていたわけで、当時の石井たちの黒人差別の認識は平均的な日本人の認識より劣っていたわけではないので、この点でも歴史的な背景を理解して批判しないとフェアではないと思います。

『ちびくろサンボ』絶版を考える
クリエーター情報なし
径書房
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寺山修司「一騎打ち」優駿1978年2月号所収

2024-01-21 08:13:39 | 参考文献

 「有馬記念とその抒情」という副題を持った、1977年12月18日に行われた第22回有馬記念の観戦記です(そのころの有馬記念はその年の最後の開催週に行われるのではなく、最後の日は中山大障害でした)。
 史上最高の名勝負と言われるテンポイントとトウショウボーイの一騎打ちを、作者らしい叙情的な文章で綴っています。
 植字工のアルバイト、シングルマザーで子どもとも別れてしまったバーのホステス、競馬記者、スシ屋の政、バーテンの万田、二人の唖(差別用語ですみません)、養老院の沢松じいさん、関西から流れてきたバーテンの吉武、売れないレコード歌手の美保さん、そして作者本人といった様々な市井の人たちの立場から、叙情的にテンポイントとトウショウボーイの「どちらが勝つべきか!]を論じています。
 そして、その中に、巧みに、このレースにおける様々な因縁を織り込んでいます。
 テンポイントは、一度もトウショウボーイに勝っていなくて、唯一の先着は、穴馬グリーングラス(実は稀代のステイヤーで、菊花賞だけでなく天皇賞(そのころは春秋ともに3200メートルで、一回勝つと出走できないルール(できるだけ多くの馬主に天皇賜杯を得る名誉を与えるため)でした)や有馬記念に勝ちました)が勝った菊花賞だけで、春の天皇賞を勝って当時最強と言われていたその年の宝塚記念でも、トウショウボーイには勝てませんでした。
 テンポイントのこれまでの勝利数は10で、一番人気になったのは12回。
 トウショウボーイの勝利数も10で、一番人気も12回。
 単勝人気はほぼ互角(テンポイントが一番人気)で、両者合計で80%近くを占めていました。
 作者はトウショウボーイとテンポイントのイメージを、以下のように対照的に捉えています。
 叙事詩と抒情詩
 海と川
 夜明けとたそがれ
 祖国的な理性と望郷的な感情
 漢字とひらがな
 レスラー的肉体美とボクサー的肉体美
 橋または鉄橋と筏またはボート
 影なき男と男なき影
 防雪林と青麦畑
 テンポイントに騎乗する鹿戸明は、前年わずか4勝(テンポイント以外はほとんど勝っていない!)しかしていない裏街道のジョッキーですが、テンポイントに乗ったときだけは別人のようでした。
 一方、トウショウボーイの武邦彦(武豊のおとうさんです)は「名人」という異名を持つ関西の花形ジョッキー(ちなみに、当時「天才」という異名を持っていたのは福永洋一(福永祐一のおとうさんです)でした)ですが、ダービーで鹿戸明から乗り代わった時は7着と惨敗して、再びテンポイントの手づなを返すという屈辱を味わっています。
 そして、レースが始まると、逃げ馬のスピリットスワップスを抑えて、いきなりトウショウボーイとテンポイントが先頭に立ちました。
 こうして、スタートからゴールまで二頭の一騎打ちという、空前絶後の有馬記念が始まったのです。
 初めは、トウショウボーイがややリードします。
 このままでは、直線でいくら追っても届かなかった宝塚記念の再現になってしまいます。
 そこで、鹿戸はテンポイントを内側に入れて(当日、馬場の内側は荒れていたので、トウショウボーイはやや外目を走っていました)、トウショウボーイを抜かしにかかります。
 しかし、武はトウショウボーイのピッチを上げて抜かさせません。
 このままだと、荒れている内側をずっと走らせられて、テンポイントはバテてしまいます。
 ここで、何かが乗り移ったように、鹿戸の一世一代の好騎乗が発揮されます。
 向正面で、テンポイントをいったん下げて、トウショウボーイの外側に出して、再び追い上げたのです。
 四コーナーで、テンポイントはようやく先頭に立ちます。
 しかし、トウショウボーイも強い。
 そこから、ゴールまで二頭と二人のジョッキーによる意地と意地の叩き合いが続き、テンポイントが宿願を遂げて先頭でゴールした時の着差はわずか4分の3馬身でした。
 つまり、中山競馬場の四百メートルの直線を、ずっと同じ態勢で二頭は競り合ったのです。
 漁夫の利を得たグリーングラスが、トウショウボーイに2分の1馬身差の3着になったのは、さすがでした。
 4着のプレストウコウ(その年の菊花賞場)は、そこから6馬身も引き離されていました。
 G1が安売りされている現代と違って、当時は8大レース(桜花賞、オークス、皐月賞、ダービー、菊花賞、宝塚記念、春秋の天皇賞、有馬記念)だけが重要視されていたので、有馬記念はその年の日本一決定戦として、今とは比べ物にならないほど注目を集めていました。
 1976年トウショウボーイ、1977年テンポイント、1979年グリーングラスと、同世代で有馬記念を三勝したわけですから、いかにこの3頭が傑出していたかがおわかりいただけると思います。
 ちなみに、当時の名馬たちには、秀逸なニックネームがつけられていました。
 トウショウボーイの「天馬」は、あまりにも有名ですし、圧倒的なスピードを誇ったこの馬にピッタリでした。
 テンポイントの「貴公子」も、美しいこの馬(他の記事にも書きましたが、優駿のこの号の表紙のテンポイントの美しさは神がかっています)にピッタリですが、このニックネームはタイテエムなどの他の馬にも使われいたので、独自性としてはイマイチかもしれません。
 グリーングラスの「緑の怪物」もイメージにはピッタリなのですが、ちょっと語呂が悪い感じで、あまり定着しませんでした。
 他の記事にも書きましたが、1978年1月の日経新春杯で小雪降る京都競馬場でテンポイントが散って、中学三年生から八年間続いた私の競馬熱中時代は幕を下ろしました。
 まさにこのレースは、私にとっては、最後の名勝負でもあったのです。
 先日、テンポイントが生まれてお墓もある吉田牧場が閉場するというニュースを新聞で読みました。
 その中で、吉田場長は、このレースを、コマ送りするように最初から最後まで覚えているとおっしゃっていましたが、私も全く同じ思いです。



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竹内洋「教養主義の没落」

2024-01-18 10:45:32 | 参考文献

 大正時代の旧制高校を発祥地として、1970年前後までの半世紀の間、日本の大学に君臨した教養主義は、その後没落して見る影もなくってしまっています(別の記事に書きましたが、朝井リョウの「何者」には教養とは無縁の今の大学生の様子が良く描かれています)。
 本書における教養主義とは、人格形成や社会改良のための読書によるものとされます。
 私は教養主義が終焉した後の1973年に大学に入学したのですが、そのころでさえ、理系の学生は専門以外の本はほとんど読まず、文系の学生も遊びに忙しくてあまり本を読んでいないことに愕然とした覚えがあります。
 また、そのころにまだ「教養主義」があったとすれば、それは読書だけではなく、名作映画や前衛的な演劇、最新の音楽などによっても培われるようになっていたと思います。
 今は本だけでなくそれらの分野も、商業主義や娯楽主義にとってかわられ、ほとんど「教養主義」は存在しなくなっているようです。
 幅広い教養を身につけるより、就職に有利な実務能力を身につけ、あとは商業ベースの娯楽に身をゆだねるのが、ほとんどの大学生の実態でしょう。
 それは、70年安保の挫折、高度経済成長、大学の大衆化(非エリート化)などが原因と思われます。
 この本では、教養主義の盛衰について、データを多用して詳しく説明されていますが、その社会背景などへの著者の考察が不足していて物足りませんでした。
 さて、この「教養主義」は、児童文学の世界では1990年ごろまでは続いていました。
 「教養主義」の洗礼を受けた大人たちが、創作活動や読書運動などを通して媒介者(子どもたちに本を手渡す人たち)として、「ためになる」本を子どもたちに啓蒙していたからです。
 このことは、「現代児童文学」が1990年代まで続いた要因ともなりました。
 なぜなら、「現代児童文学」は、いわゆる「世界名作児童文学」とならんで、「教養主義」的な要素を含んでいたからです。
 また、この本では、マルクス主義が繰り返し教養主義と並立したり衰退し(弾圧され)たりしている様子が書かれていますが、「現代児童文学」の出発にはマルクス主義の影響が濃厚に関わっていた点も類似しています。
 しかし、1980年ごろに確立された「子ども向けエンターテインメント」ビジネス(1978年にスタートした那須正幹の「ズッコケシリーズ」がその最初の大きな成功でしょう)が、さらに児童文庫の書き下ろしエンターテインメントやライトノベルなどに発展するにつれて、児童文学においても「教養主義」は没落していきます。
 岩波少年文庫などの世界名作や、いわゆる「現代児童文学」の売り上げの低迷がそれを端的に表しています。
 現代では、親(あるいは祖父母でも)の世代ですら、「教養主義」の洗礼を全く受けてない人たちが大半なのですから、子どもたちにそれを伝えることは不可能です。

教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化 (中公新書)
クリエーター情報なし
中央公論新社
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アナライズ・ミー

2024-01-14 11:35:43 | 映画

1999年公開のアメリカ映画です。

ロバート・デ・ニーロ演じるマフィアのボスと、ビリー・クリステルの精神分析医との奇妙な友情を描いたコメディです。

 ストーリーは荒唐無稽なものですが、芸達者な二人のマシンガントークのようなやりとりが楽しめます。

 名優ロバート・デ・ニーロに一歩も引けを取らないビリー・クリステルの毒のあるセリフが見事です。

 

 

が、この作品の成功の秘密でしょう。

 

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スピード

2024-01-13 10:05:16 | 映画

 1994年公開のアメリカ映画です。

 爆弾犯と若手警官との対決を描いています。
 次から次と犯人の攻撃が続く、文字通りスピーディなアクション映画です。
 特に、バスジャックのシーンは有名で、CGに頼らない特殊撮影とスタントが見事です。
 世界的に大ヒットして、主演のキアヌ・リーブスとサンドラ・ブロックを一躍スターにしました。


 

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デ・アミーチス「クオレ」

2024-01-06 09:18:55 | 作品論

 「愛の学校」という副題でも知られている、1886年に書かれた児童文学の古典です。
 私は、子どものころに講談社版少年少女世界文学全集に入っていた抄訳を読んだだけで、全訳は今回初めて読みました。
 この作品は、イタリアの小学四年生の一年間の日記の形態をとっていて、そこに両親や姉のコメントを付け加えたり、担任の先生がしてくれる毎月のお話としてイタリア各地の英雄的な行為をした少年たちを紹介する短編(全部で9編あって一番有名なものはあのマルコの「母を訪ねて三千里」です)が挿入されていて、単調になるのを防いでいます。
 あとがきで訳者も述べているのですが、かなり軍国主義的だったり、過度に愛国的だったり、教訓的すぎる部分もあって、そういった個所を削除した抄訳の方が60年前の私にとっても読みやすかったと思います。
 なにしろ130年以上前に書かれた作品で、この訳者による初訳も100年以上前(改訂版も私が生まれた翌年の1955年です)なので、今の基準に照らすと、差別的だったり、子どもへの虐待(少年労働や少年兵士など)があったりして、現代には適していない描写や表現もありますし、今の子どもたちに理解してもらうのは難しいかもしれませんが、ここで描かれた死や別れなどは、今でも普遍的な価値を持っていると思われます。
 現代の日本の子どもたちに手渡すのには、抄訳や翻案ということも考えられますが、適切なまえがきとあとがきと詳しい注釈をつけて、原作のまま紹介する方が望ましいでしょう。
 作中の少年たちが、まだ近代的不幸(戦争、貧困、飢餓、病気など)が克服されていない社会でどのように生きてきたかを知ることは、現代の子どもたちにとっても意味のあることだと思います。

クオレ―愛の学校 (上) (岩波少年文庫 (2008))
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岩波書店



クオレ―愛の学校 (下) (岩波少年文庫 (2009))
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岩波書店
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ポール・ギャリコ「シャボン玉ピストル大騒動」

2024-01-05 14:28:31 | 参考文献

 1974年に発表された作者の最晩年(77歳の時です)の作品ですが、稀代のストーリーテラーの筆は少しも衰えを見せていません。
 9歳の男の子が、自分で発明したシャボン玉ピストルの特許を取るために、アメリカの西海岸の南のはずれであるサンディエゴから東海岸の首都ワシントンまで、大陸横断バスで向かう最中に、いろいろな事件に遭遇します。
 国防省の大佐、ソ連のスパイ、殺人狂のハイジャック犯、初めてのセックスのために家出した高校生カップル、ベトナム戦争からの帰還兵、イギリスから来た老姉妹などなど、当時の世相を反映した様々な個性豊かな登場人物たちを、ギュッと一台の長距離乗り合いバスの中に押し込め、次々と事件を起こさせます。
 もちろんストーリ展開にかなりご都合主義のところがあるエンターテインメント作品なのですが、その中に、父子の葛藤、年の差を超えた友情、大人の論理と子どもの論理、子どもの時代へのサヨナラなどのモチーフをうまく取り込んでいます。
 また、安易なハッピーエンドではないのに、将来に希望が持てる点も重要な特長です。
 一応、悪役といい役ははっきりしているのですが、あまり単純化しておらず、冷戦真っ只中のソ連側すらアメリカの国防省と同様にユーモラスに描いています。
 中でも、一番すぐれた点は、作者が徹頭徹尾子ども側に立っている点です。
 そういった意味では、この作品は優れた児童文学でもあるのですが、1977年に翻訳された時にあまり児童文学界で話題にならなかったのは、この作品がエンターテインメント作品だったからでしょう。
 日本の児童文学界においてエンターテインメント作品が市民権を得るようになったのは、1978年に発表された那須正幹のズッコケ三人組シリーズが大成功を収めてからでした。
 その後も、1990年代までは、評論の世界ではエンターテインメント作品は軽視されていました。
 逆に、現在の児童文学は、売れるエンターテインメント作品ばかりがもてはやされていて、それはそれで問題なのですが。


シャボン玉ピストル大騒動 (創元推理文庫)
クリエーター情報なし
東京創元社
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