現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

はじまりのうた

2023-08-30 09:22:10 | 映画

 キーラ・ナイトレイが主演の音楽映画です。
 ストーリー自体はありがちなハッピーエンドなのですが、オリジナル曲やかつての名曲など、さまざまなポップスのメロディーにあふれていて、洋楽好きにはたまらない映画になっています。
 特に、携帯音楽プレイヤーの曲をスプリッターで分岐して男女が一緒に聞きながら町をさまようシーンや、ニューヨークのあちこちの名所でゲリラ録音してアルバムを制作するシーンなどは、音楽がいかに生活と切り離せない存在になっているかをうまく象徴しています。
 完成したアルバムは、大手の音楽プロダクションとの印税10パーセントの契約(10ドルならば1ドルがアーチストの取り分)を蹴って、1ドル(すべてがアーチストの取り分なので手取りは一緒)で自主的にインターネットで販売する事を選択するラストは、音楽業界のみならず本の世界でも電子書籍によって将来的に主流になるであろう自己出版の姿を予見させて、非常に興味深かったです(映画では友人の大物ミュージシャンがSNSで広めてくれたので、初日だけで1万ダウンロード以上売れましたが、一般的には現時点ではこううまくはいかないでしょう)。
 キーラ・ナイトレイの歌声が、ややぎこちなさがあるもののなかなか味わいがあって魅力的なのには驚きました。
 スターになってしまって別れた彼女の恋人役を演じたのはマルーン5のアダム・レヴィーンなので、彼が歌うシーンは当然ですが圧巻でした。
 児童文学でも、音楽を生かした作品(例えば津村記久子の「ミュージック・ブレス・ユー」など)が、もっと書かれてもいいと思います。


Begin Again - Soundtrack
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Imports
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朝井リョウ「何者」

2023-08-29 09:48:04 | 参考文献

 2013年上期の直木賞の受賞作品です。
 新就職氷河期の就活を通した青春小説という、まさに旬な題材を描いた作品です。
 ツイッターを中心に、スカイプ、フェイスブック、ライン、スマホなど現代の風俗を巧みに取り入れていて、2011年という瞬間を見事に切り取っています。
 これらの通信関連の世界は5年もたてば様変わりするので作品が古くなってしまうのですが、それらをふんだんに使っているのはむしろ潔いでしょう。
 作者自身も、まさにこの作品の設定である2011年に就活をやっていたわけで、作品に描かれている世界は実体験(友人たちの体験も含めて)に基づいていると思われます。
 たまたま私の下の息子は作者と同じ大学で同じ学年なので、登場人物たちの様子は息子の大学生活や友人の男女の大学生たちや彼らの就活とほぼ同じで(息子の場合は三年生の十二月ではなく九月から就活を始めていましたが)、非常にリアリティがありました。
 デビュー作を読んだ時も感じましたが、作者の創作能力は実体験があると(デビュー作の場合はバレーボール部の様子など)、非常に力が発揮されるようです。
 もちろん作者の場合は、題名通りの「(他者とは違う)何者」なわけで、そのネームバリューは就活には有利に働いたと思います。
 登場人物たちのように留年(いろいろな理由で)もせずに四年で卒業していますし、就活に対してかっこ悪くもがくこともなかったでしょう。
 でも、作者の周囲には登場人物たちのような友人も多くいたはずですから、それを冷徹にながめながら作品化した腕前はデビュー作よりも明らかに進歩しています。
 バンド活動を大学時代のいい思い出として一転して要領よく就活に対応する男子、アンチ就活を装っているが陰で活動している男子、留学やインターン経験などを振りかざしながら懸命にもがいている女子、家の都合で転勤のある総合職をあきらめてエリア採用の内定先に決めようとしている女子、そしてそれらを観察しながらなかなか就活に打ち込めない主人公の男子と、すごくバランスよく配置して、就活を通して青春の終わりの姿を描いています。
 いつの時代も就職活動は一種の通過儀礼(自分が「何者」にもなれないことを自覚させられる)なのですが、リーマンショック以来の新就職氷河期の就活は、それがインターネットなどを使ってシステム化されて、ますます非人間的になっているようです。
 ただ、作者の描いた世界は、まだ恵まれている方のグループ(彼のデビュー作の言葉を借りるならばカースト制度の上の方)で、実際にはもっとひどい目にあっている学生たちの方が大勢でしょう。
 作者の学校は私立とはいえ有名校ですし、男子たちはバンド活動や演劇活動に打ち込め、女子たちは留学経験もあります。
 住んでいる部屋も、二人でシェアしているとはいえ、十分に広くて便利な場所にあるようです。
 作品に出てくるのはいわゆる「リア充」な子たちばかりで、実際の就活生(特に地方在住)からは羨ましい存在に違いありません。
 作者はこれから会社での体験を生かした小説を書いていくのでしょうが、会社を退職してしまった芥川賞作家の津村記久子に代わって、新しいワーキング小説の誕生を期待したいと思います。
 ただ、津村と違って、作者はいわゆる有名企業に就職しているので、ここでも「カースト制度」の上の方の会社生活ばかりを書かないでもらいたいと思います。

何者
クリエーター情報なし
新潮社
コメント (1)
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津村記久子「ウェストウィング」

2023-08-28 09:26:15 | 参考文献

 駅のターミナルの反対側の不便な場所にある、古い大きな商業ビルが舞台です。
 ネゴロは三十代前半の長身の独身女性(津村の分身か?)で、あまり景気の良くない小さな会社の支所に勤めています。
 フカボリは二十代後半の独身男性で、やはり不景気で給料がカットされてしまう建築関係の計測会社の支社に勤めています。
 ヒロシは小学六年生で、ビルの中にある塾に通っていますが、コインロッカー屋でアルバイトもしています。
 この全く関係のない三人が、ビルの四階にある物置き場で、別々に息抜きをしています。
 ひょんな事で、三人はお互いに正体を知らないまま、手紙や物をやりとりします。
 一読して、「これは作者の今までの「仕事小説(あるいは学生小説)」の集大成なんだな」という気がしました。
「ワーカーズ・ダイジェスト(その記事を参照してください)」での複数主人公がすれ違うように生きる姿の書き方。
「まとまな家の子はいない(その記事を参照してください)」での現代の子どもたちの生きづらさ。
「とにかくうちに帰ります(その記事を参照してください)」での、大雨による帰宅困難シーン。
 そういったすべての要素が、この作品には詰め込められています。
 三人が感染症にかかって入院したり、ビルが解体されそうになるなどのピンチが、最後は一応回避されてひと段落という感じですが、今までの作品に比べると、仕事などへの将来の展望の暗さは一段と増したように思えます。
 それに代わって、人との結びつきの重要さが強調されています。
 ネゴロは、ビルで働いているいろいろな同性の人たちの存在が救いになっています。
 フカボリは、ひょんなことからビルで知り合った女性と再会できます。
 ヒロシは、勉強に向いていない(その一方で物語作りや手仕事(スケッチや消しゴムハンコなど)には才能を示しています)ので塾へ行きたくないことを、ようやく母親に打ち明けられます。
 こういったラストでは、今までの作品よりも、仕事や勉強に対する作者の否定的な見方が強くなっています。
 これは、作者が会社を退職して、作家専業になったことが影響しているかもしれません。

ウエストウイング
クリエーター情報なし
朝日新聞出版
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村田沙耶香「コンビニ人間」文学界2016年6月号所収

2023-08-24 15:04:38 | 参考文献

 芥川賞を受賞した作品です。
 コンビニという極めて今日的な場所でしか生きられない、三十代の独身女性を描いた作品です。
 この作品を通常のリアリズム作品として読むと、発育段階から明らかに精神に障害があるように描かれているので、なぜ周囲の人間が適切な治療をうけさせるなり保護するなりしないか、読者は不思議に思えるでしょう。
 実際のこの作品は通常のリアリズム作品ではなく、主人公をコンビニだけで生きるという特殊な状況においてデフォルメすることによって、現代の同世代の多数の人間たちの状況に迫っています。
 「コンビニ」を「会社」に置き換えれば、多くの若い世代、特に経済的理由で結婚できない非正規雇用の人たちに当てはまるでしょう。
 主人公も彼女が途中で自宅で「飼う」三十代の独身男性も、一般的な見方では社会不適合者なのですが、程度の差こそあれ「自分は社会に適合していない」という感覚を持つ若い世代の人々は多数いることでしょう。
 そして、彼らは、主人公の「コンビニ」のような適合できる場所を求めています。
 ただし、この作品では、この二人をこれもまたデフォルメされた社会適合者たちの群れで囲むことによって、両者の差異を強調していますが、実際には「社会不適合者」はずっと多く、それなりにコミュニティを形成していると思われます。
 もうひとつのこの作品の特長は、コンビニのシーンが異常なほどリアリティがある点です。
 作者は実際に今でもコンビニでアルバイトをしているそうなので、その経験が十二分にいかされています。
 かつての津村記久子の作品群と同じように、この作品を優れたワーキング小説として読むこともできます。
 この作品は、芥川賞を受賞することにより多くの読者を得ることになるでしょう。
 「火花」と違って、このような純文学作品が読まれること自体は、決して悪いことではありません。

コンビニ人間
クリエーター情報なし
文藝春秋

 

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宮沢賢治学会イーハトーブセンター冬季セミナー in 東京 「宮沢賢治と映画」

2023-08-16 11:47:01 | 参考情報

 今回のセミナーのねらいは、案内文によると以下の通りです。
「リュミエール兄弟による映画(シネマトグラフ)の発明から一年後に生まれた宮沢賢治の生涯は、映画が手品めいた見せ物からモンタージュの発展をへてトーキーにいたる歴史とぴたりと重なる。賢治はどのような映画の影響を受けたのか。映画はどのような影響を文学に与えたのか。そして文学はどのような影響を映画に与えうるのか。
 あえて原作の映画化(アダプテーション)という主題をはずし、映画と文学の関係を問う。」
 コーディネーターの岡村民夫の冒頭挨拶によると、今回の題目に適した人ということで、ジブリの宮崎駿に依頼したが、映画作成中なので断られたとのことでした。
 次に、宮沢賢治研究 Annual Vol.22に掲載された蔡 宜静の論文を中心にやるということで、以下の講演内容になったとの説明がありました。

 講演① 『氷河鼠の毛皮』の〈鉄道〉空間の設定と列車映画との関連
  蔡 宜静(さい せんせい)
  (台湾康寧大学応用外国語学科准教授。日本近代文学・日本語教育・台湾の日本映画受容史)
 1975年、台湾台中市に生まれる。新潟大学大学院現代社会文化研究科卒業。台湾康寧
大学応用外国語学科准教授。日本近代文学・日本語教育・台湾の日本映画受容史。
 著書『日本近代文学と活動写真の比較研究』(致良出版社、2009年)、『萩原朔太郎、
堀ロ大学、宮沢賢治および北川冬彦における映画の感受性』(康寧大学応用日本語学科出
版、2011年)。
 2011年から、早福田大学演劇映像学連携研究拠点テーマ研究海外研究分担者。
現在、早稲田大学演劇博物館訪問学者。
 
 講演② サイレント映画と近代文学者たち
  安 智史 (やす さとしI
  (愛知大学短期大学部教授・日本近代文学。日本近代詩、文化・メディア論)
 1964年、茨城県生まれ。立教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。
愛知大字短大部教授。日本近代文学・文化。
 著書に萩原朔太郎というメディア一ひき裂かれる近代/詩人』(森話社、2008年)。
 編著に『新編 丸山薫全集』(角川学芸出坂、2009年)、『コレクション・モダン都市文
化 第75巻 歌謡曲』(ゆまに書房、2011年)。共著に『和歌をひらく第5卷 帝国の和歌』(岩波書店、2006年)。論文に「三島由紀夫VS.増村保造一映画「からっ風野郎」とその後の三島の身体イメージをめぐって」(『大衆文化』第7号、2012年)などがある。
また2006年宮沢翼冶冬季セミナーでは、シンポジウム「宮沢賢治と温泉」のパネリス卜を務めた。 

 講演③ 宮沢賢治と映画 アダプテーションではなく……
  岡村民夫(おかむら たみお)
  (法政大学国際文化学部教授・表象文化論。映画評論)
 1961年、横浜市に生まれる。立教大学大学院文学研究科单位取得満期退学。法政大学国際文化学部教授。表象文化論、場所論。
 著書『旅するニーチェ リゾ一卜の哲学』(白水社、2004年)、『イーハ卜一ブ温泉学』(みすず書房、2008年)、『柳田国男のスイス一渡欧体験と一国民俗学』など。訳書『デュラス、映画を語る』(みすず書房、2003年)、共訳『シネマ2*時間イメージ』(法政大学出版局、2006年)など。
 第19回(2009年)宮沢賢治奨勋賞受賞。宮沢賢治学会イーハ卜ーブセンターの花巻での映画上映をたびたびコーディネー卜している。現在、宮沢賢治学会イーバ卜一フセンター副代表理事。

 パネルディスカッション・質疑応答

 プレゼンテーションは題目のせいもあってか、パワーポイントやDVDやブルーレイディスクをうまく使って、視覚にも十分に訴えかけるものでした。
 また、講演者をサポートするパソコンなどのオペレーターがいて、プレゼンテーションはスムーズに行われました。
 このあたりは、レジュメを読むだけのことが多い日本児童文学学会の大会などでも見習った方がいいと思いました。
 最後の挨拶で宮沢賢治学会の代表理事が言っていたように、宮沢賢治の研究者だけでなく、新旧の映画に関心がある人にも興味深い内容だったので、もっと学会外部にも宣伝して、多くの人に参加してもらった方が良かったと思いました(しかも、懇親会に参加しなければ会員以外でも無料でした)。

宮沢賢治―驚異の想像力 その源泉と多様性
クリエーター情報なし
朝文社



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