現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

J.D.サリンジャー「フランスへ来た青年」若者たち所収

2021-01-31 15:23:08 | 参考文献

 優雅なイメージを持つタイトルとは全く違って、ノルマンジー上陸作戦でフランスに連れてこられたアメリカ兵の青年が、ドイツ兵との激しい戦闘の後のつかの間の休息において虚無的な気分に陥っているのを、アメリカから送られてきた妹の手紙によって救済される話です。
「最後の賜暇の最後の日」(その記事を参照してください)の後日談なので、青年は24歳、妹は10歳です。
 戦争の残酷さ(敵も味方も、彼のまわりでたくさん死んでいきます)で心をズタズタにされた若者が、無邪気な妹の手紙に救済されるのは、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(その記事を参照してください)で、今度の学校も退校になり心がズタズタになっていたホールデンが、妹のフィービーとの会話の中で、自分が本当になりたいのが、ライ麦畑で遊んでいる子どもたちがつい飛び出して崖から落ちないように捕まえる人(つまり、キャッチャー・イン・ザ・ライ)であることに気付く場面とつながっています。
「無垢な魂による傷ついた魂の救済」
 これは文学だけでなく多くの映画(例えば、「シベールの日曜日」、「道」、「カビリアの夜」など(それらの記事を参照してください))でも繰り返し表現されてきました。
 そして、それこそが児童文学にとっても神髄であると、固く信じています。

サリンジャー選集(2) 若者たち〈短編集1〉
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J.D.サリンジャー「一面識もない男」若者たち所収

2021-01-31 15:21:20 | 参考文献

 第二次世界大戦において、フランスで一緒に従軍した戦友の死の様子を、戦友のかつての恋人(今は他の人の妻になっています)に伝えに来た青年を描いています。
 この青年は、「最後の賜暇の最後の日」(その記事を参照してください)に出てきたベーブ・グラドウォラで、亡くなった戦友はその作品にも出てくるヴィンセント・コールフィールド(「フランスの青年」、「このサンドイッチ、マヨネーズがついていない」(それらの記事を参照してください)の主人公)です。
 この作品におけるベーブはかなり不安定になっていて、戦場での出来事(特にヴィンセントの死)を引きずっています。
 それに対して、元恋人は完全に新しい人生を踏み出していて、ヴィンセントの事は過去の想い出(一応泣きますが)にすぎません。
 過酷な戦場体験を味わった当時の若い男性たちと、遠く戦地(ヨーロッパやアジアです)を離れて過ごしていた若い女性たちとの対比が、残酷なほどくっきりと描かれています。
 こうした不安定な男性たちを癒す存在は、サリンジャー作品ではいつも妹たち(この作品ではマティ・グラドウォラで、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(その記事を参照してください)ではフィービー・コールフィールド)です。
 ここでも、イノセンスな魂が傷ついた魂を救うといういつもの構図が成り立っています。
 一方で、コールフィールド兄弟(ヴィンセントとホールデン(「キャッチャー・イン・ザ・ライの主人公)が共通して引きずっているのは、まだ幼いうちに亡くなった優秀な弟(この作品ではケニス・コールフィールドになっていますが、彼が時代設定は異なるものの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」のアリー・コールフィールドと同一人物であることは明らかです)です。
 こうしたイノセンスな魂(サリンジャーの場合は、永遠に失われてしまった弟と現存して自分を力づけてくれる妹)の力こそがサリンジャー作品の神髄であり、優れた児童文学作品(例えば宮沢賢治の作品群)とはその点で共通性があります。
 なお、この作品でベーブが罹っている「枯れ草熱」はHay Feverで、花粉症の事です。
 私の本は鈴木武樹訳で、1971年の出版なので、日本での花粉症はまだ一般的ではありませんでした。
 作品内では、ベーブはヴィンセントの元恋人と会っている時にひっきりなしにくしゃみをしていて、その時のベーブの気分を表わすのに非常に有効な小道具になっているのですが、初めて読んだ時(高校生でした)は、まだ私は花粉症にかかっていなかったのでピンときませんでした(今は身に沁みてわかります)。

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J.D.サリンジャー「週に一度ならどうってことないよ」若者たち所収

2021-01-30 13:30:52 | 作品論

 これも、サリンジャーの戦争体験に基づいた作品の一つです。
 出征当日の朝に、若い妻に自分のおばさん(少し精神か知的な面に異常があるようです)の面倒(週に一度は映画に連れて行ってやって欲しい)を見てくれるように頼み、おばさんにもそれを伝えます。
 正直言って、頼りない二人(おばさんだけでなく妻も)なのですが、それゆえ、これから戦地に向かうにもかかわらず、二人の関係を心配して、同じことを繰り返し二人に言っている主人公の優しさが、さりげなく表現されている作品です。

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J.D.サリンジャー「最後の賜暇の最後の日」若者たち所収

2021-01-29 16:20:36 | 参考文献

 第二次世界大戦に出征する前日の、24歳の若者の一日を描いています。
 好きな本を読み、母親の手料理を食べ、一緒に出征する友人を家に呼び、10歳の妹を学校へ迎えに行き、父親の第一次大戦に出征した時の想い出話を批判し、みんなで食事をし、友人とダブルデートに出かけ、深夜に自分の部屋にはいない妹へ自分の願いを一人で語り、最後にそれまで隠していた出征を母親が感づいていたことを知ります。
 当時の日本とは出征通知の仕組みが違っているのか、本人以外は自分で言わない限りわからないようです(あるいは、志願兵なのかもしれません)。
 戦争を思い出話にする父親を柔らかに批判し、取り乱すと思って隠していた母親が彼の帰還を固く信じて平静でいるのを知って幸福な気持ちになる所に、いかにも平和主義者ながらリアリストのサリンジャーの特長が良く表れています。
 また、随所に「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(その記事を参照してください)の構想が、ここでもすでに現れています(主人公と妹の関係はホールデンとその妹フィービーとの関係に似ていますし、友人はホールデンの兄のようです(名字がコールフィールドで、作家です))。
 

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J.D.サリンジャー「ソフト・ボイルド派の曹長」若者たち所収

2021-01-29 16:18:28 | 作品論

 サリンジャーの戦争体験を生かした作品群のうちのひとつです。
 戦争映画(ハンサムな主人公がカッコよく死んで、きれいな恋人や市長や時には大統領までが出席している盛大な葬式が執り行われます)がいかに嘘っぱちで、実際のヒーローは、ぶさいくで背が低くて声も悪く、まわりから少しもヒーロー扱いされず、特に女の子には絶対にもてないタイプだと、強く主張します。
 18歳だと偽って16歳で入隊して、まわりのタフそうな大人たちに囲まれて、途方に暮れていた新兵だった主人公に優しくしてくれたそんなもてないタイプだった上官(その時は見習曹長で、後に戦死する時には曹長に昇進しています)の死を告げた手紙を、妻に読んで聞かせます。
 曹長は、下着姿で泣いている少年に、ハンカチにくるんであった自分のたくさんの勲章(中には、少年でも知っているようなすごい勲章もありました)を下着のシャツに全部つけさせて、その上に上着を着させると、まだ外出許可がもらえない少年のために、あっという間に外出許可を取ってくれて、映画(チャップリン物)とレストラン(自分は少しも食べずに、少年にたらふく食べさせてくれます)へ連れて行ってくれます。
 その時、曹長は手ひどい失恋中(好きだった赤毛の女の子(映画館で偶然出会ってしまいます)が他の奴(おそらくハンサムなかっこいい男)と結婚してしまったばかりです)だったにも関わらず、少年にやさしくしてくれたのでした。
 曹長は、日本の真珠湾攻撃の時に、無謀にも食堂の大型冷蔵庫に隠れてしまった二等兵三人を、みんながとめるのも聞かずに安全な退避壕から出ていってて救った時に、ゼロ戦に機銃掃射されて無残な姿で戦死します。
 サリンジャー自身は、著書の写真で見るように長身でハンサムな、ホールデン・コールフィールド(「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(その記事を参照してください)の主人公)のように女の子たちにもてたようなのですが、こうした女の子たちには絶対もてない、でも「男の中の男」のような登場人物(例えば、「笑い男」(その記事を参照してください)の団長)が大好きなようです。
 この作品では、さらに仕掛けがあって、こうした話を聞いて泣いてくれるようなありきたりでない女(妻のこと)と結婚するべきだと強く主張して、男性読者たちを二重にしびれさせます。

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J.D.サリンジャー「マディスンはずれの微かな反乱」若者たち所収

2021-01-29 16:16:11 | 参考文献

 この短編も、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(その記事を参照してください)の主人公であるホールデン・コールフィールドの物語です。
 実際に、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の第17章から第20章にかけての内容の、ごく断片的な下書きともいえます。
 これらの章では、大学進学のための寄宿制高校を、成績不良で退学になったホールデンが、サリーとのデートから家へたどり着くまで、酔っぱらいながらニューヨークの街を彷徨います。
 ここでは、ホールデンがそれらに順応するのを強烈に拒んでいる(そのために、自らのアイデンティティを喪失してしまいます)いわゆる「良家の子女」の典型的な人物が三人登場します。
 ホールデンのガールフレンドのサリーは、ホールデンのことは好き(たぶんに、ホールデンが裕福な家の子どもだということが、その理由に含まれていますが)なのですが、彼からの「すべてをなげうって駆け落ちしよう」という提案はやんわりと断る、しごく常識的な女の子(70年も前なので今よりもずっと保守的です)です。
 ホールデンのクラスの首席の男友達は、現状のエリートコース(将来は、アイビーリーグの大学を卒業して、医者か弁護士か大企業の経営者か何かになる)にこのうえなく順応していて、落ち着き払っています。
 もうひとりは、サリーの知り合いの、なんでも大げさに表現する典型的な俗物男です。
 この短編では三人ともまだ原型にすぎず、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」ではもっと肉付けされて、洗練もされて、読者に強烈な印象を与える存在になります。
 ただし、この作品の冒頭の部分では、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」にはない、ホールデンもサリーも、他の多くのこうした「良家の子女」と外見上は区別がつかないことを逆説的に表現している部分があって、これらの人物(ホールデンも含めて)の造形に関する作者の狙いを理解するのには役立ちます。

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J.D.サリンジャー「マディソンはずれの微かな反乱」若者たち所収

2021-01-29 16:14:13 | 参考文献

 サリンジャーの代表作である「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(その記事を参照してください)の第十七章の原型で、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の主人公のホールデン・コールフィールドが初めて登場する記念碑的な作品です。
 この短編が初めに発表されたのが1941年で、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の出版が1951年ですので、この短編の発想(そのまま大学に進んで卒業すれば将来が約束されている経済的に豊かな家庭の子弟が、すでにレールが敷かれている自分の人生に疑問を持って、アイデンティティを失ってしまいます)が、まとまった形(「キャッチャー・イン・ザ・ライ」)になるまでに、作者内部で十分に発酵される期間が必要だったことがわかります。
 その後1946年までの間に、サリンジャーは、一般にグラドウォラ=コールフィールド物語群(ジョン・F・グラドウォラあるいはホールデン・モリス・コールフィールドが主人公)という「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の断片になるような短編を断続的に発表していますが、それを「キャッチャー・イン・ザ・ライ」にまとめあげるまでには、さらに五年の月日を必要としています。
 また、こうした「現代的な不幸」(アイデンティティの喪失、生きている実感の希薄さなどで、「貧困、戦争、飢餓」に代表される「近代的不幸」に対比される、豊かになった社会での不幸)に一般的な若者たちが直面するのは、アメリカでは黄金の50年代と称される空前の繁栄期だった1950年代であったことを考えると、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」が1951年に出版されたのは非常にタイムリーで、ベストセラーになるのは必然だったのでしょう。
  日本の若い世代が「現代的不幸」に直面するのは、高度成長時代を経た1960年代後半なので、日本で野崎孝による日本語訳の決定版(「ライ麦畑でつかまえて」)が東京オリンピック直後の1964年12月に出版されたのも同様にタイムリーで、やはりベストセラーになりました)。
 以上のように、サリンジャー自身は一般的な若者よりも10年以上も早くこうした「現代的不幸」に自分自身(1941年の時点ではまだ22歳)も直面していたわけですが、これは日本でも同様で、「現代児童文学」(定義その他は関連する記事を参照してください)におけるこの問題を描いた代表的な作家である森忠明も、彼がまだ小学生だった1950年代の終わりに「現代的不幸」に直面していたようです(関連する記事を参照してください)。
 サリンジャーは、この作品で、ホールデンの「現代的不幸」をくっきりと浮かび上がらせるために、こうした繁栄に浮かれている俗物のジョージ・ハリスン、ホールデンに理解を示しつつも女性らしくよりリアリスティックなガールフレンドのサリ、同じ環境を余裕をもって対応している優等生のカール・ルイスなどの典型的な人物を配しています。
 これらの登場人物は「キャッチャー・イン・ザ・ライ」にも出てきますが、より洗練された形にブラッシュアップされています。

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宮沢賢治「水仙月の四日」注文の多い料理店所収

2021-01-29 16:00:34 | 作品論

 賢治の数多くの短編の中でも、雪の世界を美しく描いた作品としては、「雪渡り」と共に双璧でしょう。
 描写自体もこの世のものと思えないほど美しいのですが、雪の中で行き倒れた子どもを救おうとする雪童子の心の美しさもそれに負けていません。
 水仙月とは賢治の作った造語なのですが、イーハトーブ(岩手県)で水仙が咲き始める時期とすると、三月から四月ごろでしょうか。
 待ち遠しかった春はもうすぐです。

注文の多い料理店 (新潮文庫)
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沢木耕太郎「クレイになれなかった男」敗れざる者たち所収

2021-01-29 13:34:14 | 参考文献

 ボクシングの東洋ミドル級チャンピオンだった、カシアス内藤との出会いと、同世代の人間としての奇妙な共感を、韓国で行われた彼からチャンピオン・ベルトを奪った柳済斗との四度目の対戦(いわゆる噛ませ犬としての試合のようです)の前後を舞台に描いたノンフィクションです。

 ご存知のように、数年後に著者自身がパトロンになって、内藤と世界タイトルマッチを追いかけた日々を描いた私ノンフィクション(著者自身が主人公ないしは重要人物として登場する、私小説のノンフィクション版です)の傑作「一瞬の夏」のきっかけになった作品です。

「調査情報」昭和48年9月号に掲載されて、昭和51年に文藝春秋から出版されました。

 当初は、編集者からは著者にふさわしくない題材だと反対されたようです。

 それを押しきって取材した、そういった意味では著者が初めて自分で選び取った題材だったのかも知れません。

 全盛期の内藤は、あの名トレーナー、エディ・タウンゼントに、自分が指導した選手の中では、世界チャンピオンになった海老原博幸や藤猛よりも、うまくて才能があったと言わせるほどのボクサーです。

 私自身も彼の全盛期を知る世代ですが、彼の圧倒的なスピードを生かしたアウト・ボクシングのうまさは覚えています。

 しかし、それと裏腹な打たれ弱さも記憶に残っています。

 不完全燃焼をしている同世代の人々(それには、70年安保における彼ら世代の敗北感も含まれているでしょう)の中で、内藤だけは「あしたのジョー」のように灰になるまで完全燃焼してほしいと願う、著者の痛切な思いが伝わってきます。

 しかし、内藤もまた不完全燃焼のままで終わります。

 そういった意味でも、内藤、そしてそれと共にあった著者は、世代の申し子なのかも知れません。

 なお、作品のタイトルは、商品としての惹句としては成功していますが、内容には適していません。

 なぜなら、内藤は決してカシアス・クレイを目指していたのではなく、強いて言えば、本名の「内藤純一」として世の中に認められたかったからです。

 また、クレイ自身も、その名前を捨てて、モハメド・アリになったのですから。

 

 

 

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J.D.サリンジャー「ある歩兵にかんする個人的な覚え書き」若者たち所収

2021-01-28 17:02:47 | 作品論

 「こつはちゃんと」(その記事を参照してください)と同様の軍隊物の掌編です。
 運動不足で腹が出始めている中年男性(四十代半ばのようです)が、陸軍に志願してくる話です。
 彼には二人の息子がいて、兄は陸軍、弟は海軍(真珠湾で片腕を失っています)にいるのですが、自分も志願することにしたのです。
 妻や直接彼の志願を受けた軍関係者(後で誰かは分かります)の反対を押し切って入隊し、厳しい訓練にも耐えて軍隊に順応して、体も見違えるほどに引き締まります。
 軍隊はなるべく彼を戦地におくらないように配慮するのですが、軍曹にまで昇進してとうとう外地へ出発します。
 出発する時には、二人の息子(弟は海軍少尉(戦傷により特進したのかもしれません)で、兄もはっきりとは書いてありませんがさらに上級の士官のようです)に見送られます。
 そう、最初に彼の志願を受け付けたのは、彼の上の息子だったのです。
 これも、「こつはちゃんと」と同様に、はっきりとしたオチのある非常に技巧的な作品です。
 ここでも、サリンジャーは、軍隊や戦争に対して賛美はしていませんが、批判的でもありません。
 この作品が雑誌に発表されたのが真珠湾攻撃後の1942年であることを考えると、当時のアメリカの若者たち(サリンジャーはこの時23歳で自身もこの年に徴兵されています)の軍隊に対する平均的な気持ちを反映しているのかもしれません。

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ゼロ・グラビティ

2021-01-26 18:12:28 | 映画

 第86回アカデミー賞で監督賞と撮影賞を受賞した作品です。
 宇宙を題材としたSF物ですが、「2001年宇宙の旅」のような壮大な宇宙叙事詩でもなく、「スターウォーズ」のような痛快なスペース・オペラでもありません。
 ゼロ・グラビティ(無重力)の宇宙空間を、徹底的にリアルに再現しています。
 正味1時間24分ほどの短い作品ですし、これといって特筆するような物語性もありません。
 事故で宇宙空間に投げ出されたミッション・スペシャリストが、さまざまな障害を克服して地球へ生還するまでをCGと3Dを駆使して描いています。
 そう、これは映画というよりはよくできたゲームに近いのかもしれません。
 ただし、本当のゲームと違って生還は約束されていますし、障害の克服も偶然に頼りすぎているので、スリルはあまりありません。
 ただ、宇宙から見た地球の圧倒的な美しさや、宇宙空間や宇宙船内での無重力状態の再現が素晴らしくて、一見の価値はあります。
 残念ながら私は自宅のテレビで見たのですが、映画館のできるだけ大きなスクリーンで3Dで観たら、宇宙飛行士になったような気分を体験できたことでしょう。
 これは、ある意味映画の先祖がえりの一種なのかもしれません。
 もともと映画は、写真を動かすところからスタートしたもので、明治、大正時代の日本ではずばり「活動写真」と呼ばれていました。
 その後、文学作品の映画化などにより映画は物語性を獲得していったわけですが、この作品では物語性よりもCGや3Dによるびっくりするようなリアルな立体映像や立体サウンドを作り上げることに注力して、観客に宇宙空間を体験させるテーマパークにあるようなアトラクションとして成功を収めています。 


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J.D.サリンジャー「途切れた物語の心」若者たち所収

2021-01-26 17:38:35 | 作品論

 ここで、サリンジャーは「若い男が若い女と出会う」物語(いわゆるA boy meets a girl的物語ですね)で、二人の出会いをどのように書くかで悩む作家を描いています。
 三文ドラマ的なくだらない出会いのパターンをいくつか紹介しながら、だんだん現実的な出会いを描いていきますが、最後は実際にはそんな理想の女の子に出会っても一瞬の心の動きだけで行動にはつながらず、しばらくの間はその女の子は心の中に残っているが、やがて日常の中に埋没してしまうと述べています。
 まさに、現実(自分の経験も含めて)はサリンジャーの言う通りなのですが、それだからこそ「若い男が若い女と出会う」物語(最近はその逆の「若い女が若い男に出会う」物語の方が多いかもしれません)は、今でも小説やマンガや映画やテレビドラマやアニメやゲームなど(その大半は三文ドラマだとしても)でたくさん描かれているのでしょう。

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J.D.サリンジャー「こつはちゃんと」若者たち所収

2021-01-26 17:36:56 | 作品論

 不器用で軍隊生活に適応できない新兵を描いた掌編です。
 1917年に新兵だったバビは、何をやらせても失敗続きで、担当の軍曹に絞られます(当時のアメリカの軍隊は日本ほどには非人道的ではなかったかもしれませんが、暴力が振るわれたこともほのめかされています)。
 しかし、バビはそのたびに「こつはちゃっと覚えます」と答えて、「軍隊が好きなので、いつかは大佐か何かになって見せます」と宣言します。
 数十年後の新兵のハリも、バビとそっくりの不器用さで、へまばかりして曹長にしごかれています。
 その曹長は、ハリの父親である大佐にハリの可能性を問われて、「まったく見込みがありません」と答えます。
 この大佐が、1917年の新兵であったバビで、予言通りに大佐になったのかどうかは書かれていません。
 解説を読むと、研究者の間でも意見が分かれているようです。
 しかし、ここは素直にバビであったと読む方が自然なように思えます。
 新兵教育(あるいは教育一般)に対する皮肉を、ユーモアをこめて書いた掌編でしょう。
 児童文学でお馴染みの繰り返しの手法を用いて、物語の効果をあげています。
 サリンジャーの軍隊物は、彼の作品群の中ではそれほど優れていませんし重要でもありませんが、彼の軍隊生活や戦争体験が彼の創作に対して大きな影響を与えていることは間違いないでしょう。

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J.D.サリンジャー「ロウイス・タギトの長いお目見え」若者たち所収

2021-01-26 17:33:51 | 作品論

 裕福な家庭に育った女性が、社交界にデビューしてからの目まぐるしい変遷を淡々と描いています。
 社交界の花形、結婚、新婚生活、精神を病んだ夫の暴力による離婚、社交界への再デビュー、二度目の結婚、口やかましい世話女房への変身、結婚生活に飽きて映画とショッピングと女友だちとのくだらないおしゃべりで暇をつぶす若い有閑マダム、新しい命を授かりみんなに大事にされる妊婦、赤ちゃんに夢中の新米ママ、その赤ちゃんを失った不幸な女性として再び社交界で注目される存在になり、最期に諦念から愛していない夫も含めてすべてを無感情に受け入れるようになった女性になります。
 こうした若い女性の遍歴を短い紙数で描ききった腕前も驚異的ですが、この作品を雑誌に発表した時のサリンジャーが弱冠二十三歳だったことにも驚かされます。
 彼が、いかに周囲の同世代の男女をさめた老成した眼で眺めていたかがよくわかります。

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J.D.サリンジャー「若者たち」若者たち所収

2021-01-26 17:32:39 | 作品論

 サリンジャーが21歳の時に、発表したデビュー作品(1940年)です。
 パーティで出会った、あまり魅力的でない女の子と、これまたパッとしない男の子の一瞬の出会いと別れを描いています。
 女の子は魅力的だった年上のモト彼(たぶん彼女の一方的な思い込みでしょう)のことを話しますし、男の子は部屋の向こう側で男の子たちに囲まれている小柄なブロンド美人が気にかかっていて会話中も気がそぞろです。
 ストーリーらしいストーリーはないのですが、当時の若者たちを、彼らの使う若者言葉で描いたところが、それまでの文学にない魅力だったのでしょう。
 この手法は、1951年に出版されて世界的な(特に日本では人気が高いです)ベストセラーになった「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(その記事を参照してください)で大きく開花して、サリンジャーの名前を不滅なものにしました。
 ところで、この本を初めて読んだ大学生の時には、主人公の女の子のことを読んで「壁の花」と言う言葉を思い浮かべました。
 そのころには、まだダンパ(ダンスパーティのことで、まだディスコがあまりなく、学生グループが自分たちで場所を借りて開いていました)というものがあったのですが、そこで魅力のない女の子たちは壁の花(男の子が誰もダンスに誘ってくれなくて、ずっと壁際に立っているからです)と呼ばれていたのです。
 もちろん、いくら女の子を誘っても一緒に踊ってもらえない、さえない男の子たちもたくさんいました(私自身にも苦い思い出があります)。
 それから40年以上がたちますが、今でもいわゆる婚活パーティなどで、同様の苦い経験をしている女の子たちや男の子たちはたくさんいることでしょう。
 そういった意味では、この作品で描かれた二人は、時代を超えた「若者たち」のある典型なのです。

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