現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

ソリタリー

2020-09-21 11:02:38 | 考察

 「ソリタリー」とは、孤独でもそれを自分で克服できる人のことで、他の人と協調して何かをするよりも、自分一人で工夫して物事をした方が成果が上がることが多いようです。
 私は典型的なソリタリーで、私の本質が「一人遊び」にあることは、今は亡き畏友の廣越たかし(児童文学作家)に出会って早々に看破されてしまいました。
 振り返ってみると、おびただしい数の一人遊び(いくつか例をあげると、自作自演の紙相撲、メンコの一枚一枚を擬人化していろいろな物語やスポーツを空想する遊び、自分でルールを決めて六角鉛筆をサイコロの代わりにしてやる競馬、野球、アメフト、スキージャンプなどのゲーム、授業中にコマや教科書を使ってやる空想ゲーム、まだパソコンやファミコンが実用化してなかった頃に自作したいろいろな電子ゲームなど)を考案し、授業中や通学の車内や自室や会社の就業中などの退屈な時間をやり過ごしていたのですが、創作活動もその延長上にあると思われます。
 このソリタリー性質は生得の要素もあるでしょうが、非常にいびつな生育環境(幼稚園の時から一人で遠くの学校(しかも公立の)に電車に乗って通っていました)によって形成されたものだと推察しています。
 幸い外資系の会社に入ったので、このソリタリーは評価されやすく、居心地も悪くありませんでした。
 マネージャーになって部下を持つようになると、この性質はマイナスに働いたのですが、幸い商品やビジネスをプランニングするのが仕事だったため、プラスに働いたことの方が多くありました。
 しかし、振り返ってみると、大勢部下がいた時よりも、少人数だったり一人もいなかった時の方が、いい仕事ができたようです。
 それでも、会社や家庭などの社会生活を営むようになると、ソリタリーはかなり抑圧されて影をひそめていました(学生時代は、いい成績さえ取っていれば親も教師も文句はないので、ソリタリー全開でした)。
 しかし、会社を離れ子どもたちも巣立つと、ソリタリーはむくむくと頭をもたげてきました。
 そのことは、創作や研究活動にはプラスに働いているのですが、活動範囲はどんどん縮小していって、家族と一緒でない場合は家から車で30分以内の場所で生活しています。

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