現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

庄野潤三「二つの家族」庄野潤三全集第四巻所収

2018-06-07 18:21:31 | 作品
 この作品も、作者がアメリカの田舎町ガンビアに派遣されていた時の話です。
 二つの農家の家族の想い出について書かれていますが、どちらも一回会っただけで作者との関わりが浅すぎて、しかも創作度が低いのでまるで素人の日記のようです。
 こうした題材に特に魅力が見出せなく、しかも作者の対象への思いが深くない場合には、作者の創作方法の限界が露骨に表れてしまいます。

庄野潤三全集〈第4巻〉 (1973年)
クリエーター情報なし
講談社
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宮沢賢治「やまなし(初期形)」校本宮澤賢治全集第九巻

2018-02-04 09:33:45 | 作品
 わずか二つのシーン(作者は「小さな谷川の底を写した二枚の青い幻燈を見てください。」と冒頭で語っています)からなる短い作品です。
 五月と十一月に、口からふく泡の大きさを競っている蟹の兄弟たちを通して、「死」と「生」を鮮やかに切り取って見せます。
 「死」を象徴しているのは五月にカワセミに仕留められてどこかへ行ってしまった「魚」で、「生」は十一月に川へ落ちていい匂いをさせながら流れていく(やがては水に沈んでおいしいお酒になります)「やまなし」が象徴しています。
 蟹の子どもたちが「魚」はどうしたのかを尋ねた時に「魚はこわい処へ行った」と答えた父親の言葉が印象に残ります。
 また、「死」を描いてから「生」を描いた順番は、児童文学的に優れている(子どもたちには「死より」も「生」の方がこれからも続いていきます)と思われます。
 「やまなし」には、その後書き換えられて新聞に発表された最終形があります。
 それについては、また別の記事に書きたいと思います。
 私が「やまなし」を初めて読んだのは18歳の時ですが、それまでにこれほど美しい文章を読んだことがありませんでした。
 特に、「クラムボンはわらったよ。」で始まるクラムボンの繰り返しにはしびれました。
 そして、美しい詩的な文章なのに、きちんと状況をとらえた散文性を兼ね備えていて、「現代児童文学(定義については他の記事を参照してください)主義者」でもある私の要求も完全に満足しています。
 それから、四十年以上がたちましたが、「やまなし」に匹敵するような美しい作品に出合ったのは数えるほどです(その中には同じ賢治の「雪渡り」も含まれています)。
 ちなみに、この全集本は、出版先に勤めていた知人に父が頼んでくれて、社内販売の八掛けで買ったものです。
 神田小川町の筑摩書房に自転車で本を取りに行って、千住の自宅までの帰り道、荷台に積んだ段ボール箱の中で本がゴトゴトと音を立てているのを聞きながらペダルを踏んだ時の嬉しさを、今でも昨日のことのように思い出せます。

童話絵本 宮沢賢治 やまなし (創作児童読物)
クリエーター情報なし
小学館


 
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安藤美紀夫「いちじく」でんでんむしの競馬所収

2018-02-01 16:15:38 | 作品
 三年生の男の子で大ぐらいのガキと、父親が戦地で重営倉に入れられている噂があってみんなに「ジューエーソー」と呼ばれているタマエ(母親がカフェーの女給をしているせいか少しませていて、男の子たちにキッスのしかたを教えています)が、苦労して(ガキは投げ縄を、タマエは手作りのはしごを用意しています)みんなを出し抜いて小学校の校庭のいちじくを食べますが、まだ熟していなかったのでかぶれてしまいます。
 たわいない子どもたちの遊びの中に、貧困や戦争が暗い影を落としているのを、作者は深刻にならずにユーモアの中に描き出しています。

でんでんむしの競馬 (少年少女創作文学)
クリエーター情報なし
偕成社
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古田足日「西郷提案と「子どもと文学」」児童文学の旗所収

2017-11-10 14:01:36 | 作品
 1967年5月の「日本文学」に掲載された評論です。
 他の記事でも触れた「西郷提案」(それ自体は記載されていないので、著者を通してしか内容はわかりません)をもとに、石井桃子たちの「子どもと文学」(その記事を参照してください)を批判しています。
 まず、「子どもと文学」が「子どもの本の筋は、モノレールのように一方向へ進まなければならない」と主張しているのに対して、ここにおいて「事件の筋」と「形象相関の展開の筋」がごっちゃになっているとして、「形象相関の展開の筋」は一方向へ進まなければならないが、「事件の筋」は錯綜してかまわないとしています。
 それはその通りなのですが、「子どもと文学」は幼年文学や絵本を念頭に置いて論じているので、ここでは「事件の筋」も一方向の方が望ましいと思われます。
 また、「子どもと文学」が「子どもの本は目に見えるように書かれなければいけない」と主張しているのに対して、文学では目に見えるもの以外も描かなければならないしています。
 これもまた、「子どもと文学」は幼年文学や絵本を念頭に置いて論じているので、目に見えるように書かないと幼い読者はついていけないでしょう。
 これらの錯誤は、「子どもと文学」と著者では、同じ「児童文学」でも対象読者の年齢がずれている(著者の方が年齢が高い)ために生じているように思われます。
 最後に、「子どもと文学」グループが新しい外国児童文学を精力的に翻訳して日本の子どもたちに紹介していることを評価しつつも、その目指す児童文学(「子どもと文学」に影響を受けて創作をしている人たちが描く「おもしろさ」を前面に出して、(筆者の言葉を借りると)「形態的にはきわめてすぐれていながら文学の本質的なものをなくした作品」も含めて)を「保守・小市民的」だと批判しています。
 この批判の背景としては、著者も少し触れていますが、高度経済成長時代が始まって日本にも中間層が増え、その結果としてノンポリの「小市民」層の増大による革新勢力の運動の低迷が始まったことがあります。
 このことは、一時期蜜月状態(同じ童話伝統批判をする立場の人間として)にあった「子どもと文学」グループと著者たち「少年文学宣言」(その記事を参照してください)派の間に明確な亀裂(著者の立場から見ると、「保守、小市民」対「革新」の間の)が入ったことを示しています。
 ここで興味深いのは、この時点で著者が「保守」だけでなく、「小市民」も攻撃対象にしていることです。
 この構図は、さらに高度経済成長が進んで中間層が拡大した70年代になると、「小市民」も革新側へ取り込もうとする動きや作品が現れます(70年安保の革新側の敗北とその後の低迷を受けて、路線変更されたと思われます)。


児童文学の旗 (1970年) (児童文学評論シリーズ)
クリエーター情報なし
理論社
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古田足日「未来と現実 ― 新しい児童文学の創造」児童文学の旗所収

2017-11-03 13:49:27 | 作品
 1960年3月に信濃教育に掲載された評論です。
 他の記事にも書きましたが、この時期は、「現代児童文学」(定義などは関連する記事を参照してください)はまだ混迷期にあって、前年に出版された、後に「現代児童文学」の出発点とされる佐藤さとる「だれも知らない小さな国」といぬいとみこ「木かげの家の小人たち」の評価も定まっていませんでした。
 また、石井桃子がファンタジー論を書いた「子どもと文学」もまだ出版されておらず、それに影響を受けた著者のファンタジーに関する考えもまた定まっていません。
 しかし、ここにおいても、その当時のリアリズム作品(例えば「山が泣いている」)が現象の模写にとどまり、それらがかつての生活童話のような矮小な世界に陥ることを憂えています。
 その現状を打破する方策として、著者が打ち出したのはイマジネーションを発揮して現実を立体的に見ていくことでした(後に、その役目をファンタジーに期待するようになります)。
 他の記事にも書きましたが、その当時著者が「現代児童文学」で本当に書きたかったものは、階級闘争(基地闘争、ダム闘争、高校進学問題など)とその勝利です。
 そのためには、現状を克明に描写するだけでなく、未来をリアリティをもって描き出せるようなイマジネーションが必要でした。
 また、それらを一般大衆(特殊な例を除いて、子どもたちは一般大衆そのものです)に読んでもらえるようなエネルギー(例として、「水滸伝」や「西遊記」をあげています)も必要です。
 壮大な想像力(イマジネーション)とエネルギー(読者自身のエネルギーをかきたてるようなスケールの大きな面白さということでしょう)の統一に、著者は理想の児童文学の姿を見ています。

児童文学の旗 (1970年) (児童文学評論シリーズ)
クリエーター情報なし
理論社
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古田足日「日本児童文学・現在の問題 ― リアリズムを中心に」児童文学の旗所収

2017-10-30 10:13:10 | 作品
 60年代初めのリアリズム作品を中心に、当時の課題について論じています。
 初めに、「子どもの家」同人による「つるのとぶ日」が取り上げられて、原爆を子どもたちに伝えるために「童話」を勉強したとする書き手たちの姿勢に対して、「童話」という手法では被爆の実感を象徴的に描いくことはできても、もっと散文的に書かないと戦争そのものやそれが現在の子どもたちとどのようにつながるかを描き出せないとしています。
 東京大空襲を描いた早乙女勝元「火の瞳」も実感に頼っていて、自分のうちにある子どもと対話して(これは「現代児童文学」の書き手固有の感覚で、私も本当の意味で創作をしていた80年代後半のころは、「内なる子ども」に向けて書いていました)、その子どもの可能性(人間存在の根源的な意味や変革の可能性など)まで引き出した作品を描かなければならないとしています。
 これらの作品は、現在では「戦争児童文学」とカテゴライズされていますが、当時はまだこの用語は一般化されていませんでした(関連する記事を参照してください)。
 著者は、この時期にリアリズム作品のある到達点に達したとして、山中恒「とべたら本こ」、吉田とし「巨人の風車」、早船ちよ「キューポラのある街」をあげています。
 「とべたら本こ」と「キューポラのある街」は、それまで子どもは大人から抑圧されている被害者だとする児童文学から、抜け出ようとしているとしています。
 ただし、「キューポラのある街」は子どもたちには分かりにくいシーンもあると指摘しています(当時の著者は、児童文学の読者を中学下級以下としていたようです)。
 「とべたら本こ」も、現状で生き抜くことを描いていて、こうした現状を作り上げている権力への批判はないとその限界を示しています。
 「巨人の風車」は、そこで語られている夢のイメージを高く評価していますが、外国の事件を描いていて日本の子どもたちとの関わりは留保されているとしています。
 著者は、全体として実際の事件をもとに書かれた作品が多いとし、それを個人の実感だけを描くのではなく、もっと事実を調査して、その事件の運動体(例えば戦争)の法則と微小な個人の実感を統一する記録にまで高める必要があり、そのためにもよりフィクション化することを求めています。


児童文学の旗 (1970年) (児童文学評論シリーズ)
クリエーター情報なし
理論社

 
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古田足日「戦後の創作児童文学についてのメモ=‘60の胎動」児童文学の旗所収

2017-10-30 08:59:47 | 作品
 「日本児童文学」1966年5月号と8月号に発表された、1960年前後の児童文学の状況についての評論です。
 著者は、戦後児童文学の時代区分を、
「第一期はいわゆる良心的雑誌が児童文学運動の主体となった時期であり、敗戦の年からはじまり、1951年の「少年少女」廃刊に至るまでである。以降数年間を第二期とし、第三期のはじまりを昭和34年8月におく。」
としています。
 そして、1959年3月ごろからから1960年4月にかけて、評論と創作の両面で明瞭な変化があったとして、次のような事象をあげています。
 評論においては、佐藤忠男「少年の理想主義について」(その記事を参照してください)、古田足日「現代児童文学論」(その記事を参照してください)、石井桃子ほか「子どもと文学」(その記事を参照してください)のいわゆる「童話伝統批判」の重要な三評論が出そろっています。
 創作においては、中川季枝子「いやいやえん」、佐藤暁「だれも知らない小さな国」、柴田道子「谷間の底から」、早船ちよ「キューポラのある街」、いぬいとみこ「木かげの家の小人たち」、山中恒「とべたら本こ」などがあげられていて、一般的に「現代児童文学」(定義などは関連する記事を参照してください)のスタートとされている二つの小人物語も含まれています。
 著者も、第三期(「現代児童文学」のスタート)を1959年8月としている理由に「だれも知らない小さな国」の出版をあげていて、この作品がいかに今までの作品と違う新しさ(優れた散文性をもち、宮沢賢治を除くとそれまで日本になかったファンタジー(ファンタジーに関する著者の定義には「子どもと文学」の石井桃子によるものの影響がみられます)作品であり、戦中戦後を体験することではぐくまれていた「個人の尊厳」を描いているなど)を持っていたかを、ここでも繰り返し述べています。
 著者は、この時期の新しい作品を、西欧的近代の方法によったもの(「だれも知らない小さな国」、「木かげの家の小人たち」、他にいぬいとみこ「長い長いペンギンの話」など)、生活記録によるもの(「「谷間の底から」、他に「もんぺの子」同人による「山が泣いている」など」、日本的講談の発展したもの(「とべたら本こ」、他に同じ山中恒「サムライの子」など)の三つのタイプに分けています(こうしてみると、筆者のいうところの西欧的近代の方法によるものだけが、歴史の淘汰の中で現在まで生き残ったことがよくわかります)。
 これらの作品における以下のような表現の変化を、著者は「童話から小説へ」と呼んでいます。
1. 詩的文体から散文への変化
2. 子どもの関心、論理に沿ったフィクションの強化
3. 限定されたイメージと、そのイメージの論理的なつみあげ
 これらは、児童文学研究者の宮川健郎がまとめた「現代児童文学」の三つの問題意識に、大きな影響を与えていると思われます。
 その後、著者は、長い紙数を割いて、山中恒の作品が「赤毛のポチ」(出版されたのは「とべたら本こ」よりも後なのですが執筆は先です)の「楽天的な組合主義?」から、「とべたら本こ」の「人間のもっとも基本的な欲望、生存の欲求」へ変化していったかを論じています。
 その過程で、同じ「日本児童文学」に発表された先行論文(西本鴻介「社会状況と児童文学」、斉藤英夫「大衆児童文学の現況」など)の誤謬を鋭く指摘して、激しく糾弾しています。
 現在の「仲良しクラブ」的で論争のない「日本児童文学」誌からすると想像もできませんが、それはこの雑誌を機関誌としている日本児童文学者協会自体が、文学(あるいは政治)運動体から同業者互助組合に変化したことを考えると無理もありません。
 著者は、こうした山中恒の変化は、三作の執筆時期(1953年から1957年ごろにかけて)から考えると、60年安保闘争とは直接関係していないと考えています。
 そして、60年安保闘争の高揚と挫折、「団結すれば的な考え方と、自立の思想の芽生え」の衝突を反映した最初の作品として、小沢正「目をさませトラゴロウ」をあげています。
 
児童文学の旗 (1970年) (児童文学評論シリーズ)
クリエーター情報なし
理論社
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井辻 朱美「4人のジャパネスク・ネオ・ファンタジー女流作家たち ―小野不由美を中心に」日本児童文学の流れ所収

2017-10-17 10:28:56 | 作品
「現代日本の人気ネオ・ファンタジー作家といえる人たち、荻原規子、上橋菜穂子、梨木香歩、小野不由美らを取り上げ、どこが新しいのか、おもしろいのか、翻訳ファンタジーからの影響も含めて考えてみたいと思います。」と初めに掲げられています(湯本香樹実と森絵都にも少し触れています)。
 内容はその通りなのですが、大半が彼女たちの作品のあらすじを述べているので、すでに読んでいる人には退屈ですし、読んでいない人にはネタバレで迷惑だったでしょう。
 そこから、どこが講師にとって新しく面白かったのかを拾ってみると、以下のようになります。
1.作品の舞台がほとんどが現代の日本でではなく、外国だったり、過去だったり、創作した世界(といっても、本当はいくつかの国(アジアや中東のことが多い)を混ぜ合わせているだけなのですが)だったりする(読者にとっては、目新しさを生み出していると思われます)。
2.先行して翻訳された作品(特に英米児童文学や中国文学でしょう)の強い影響を受けている(1と反するようですが、どこか既視感があって安心して読み進められます)。 
3.死の世界、死後の世界が大きなテーマになっている(講師も述べているように、現代の子どもたちにとって「死」はなじみのないものになっているので、それゆえ恐怖対象であり、知りたいという欲求も強いでしょう)。
4.3とも関係するのですが、現実の閉塞した状況に対して、スピリチュアルな世界の論理で支配された世界を構築している(講師は触れていませんが、現代の若い女性の閉塞感は特に強いものと思われます。あるいは、講師も女性ですし聴衆も図書館関係者で女性が多いでしょうから、別に言わなくても暗黙の了解があるのかもしれませんが)。 
5.従来のファンタジーのように、第一世界(現実世界)と第二世界(空想世界)の「行きて帰りし」ファンタジーではなくて、第二世界(空想世界)へ「行ったきり」ファンタジーになっている。
6.第一世界(現実世界)に対する第二世界(空想世界)を設定し、そこに第三世界(霊界、天上界)がさらに接していて、純粋な第二世界のみのお話ではなく、第二世界にとっての異界である第三世界との交流と帰還を描いている(それによって、読者は第二世界と第三世界を等価に眺められ、スピリチュアルな第三世界をよりリアルに体験できるとしています)。
 以上はその通りなのですが、なぜこれらのような作品がその時期に生み出されるようになり、それが読者に非常に受け入れられるようになったかを、講師も少し触れているジェンダー観の変化をからめて考察してほしかったと思いました。
 なぜなら、取り上げられた六人の作家はすべて女性ですし、おそらく大半の読者も女性(児童文学のコアな読者である女の子たちだけでなく、初めは若い世代から今ではより広範な年代の女性たちになっているでしょう)だと思われます。
 それらを考察するためには、これらの作品が生み出された時代の社会背景(特に女性の社会進出や結婚観など)や児童書のマーケットの変化についてきちんと把握することが必要でしょう。

 
ファンタジーの魔法空間
クリエーター情報なし
岩波書店
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安藤美紀夫「星にいった汽車」でんでんむしの競馬所収

2017-10-16 10:12:32 | 作品
 この作品でも、現実と空想の世界は、ほんの紙一重のところに存在し合っています。
 小学校四年生のデベソとキンは、その日もいつものように遅い夕食を待ちくたびれて、腹をすかして線路下の土手に寝転んでいました。
 彼らに限らず露地の子どもたちは、そばの山陰線を通る汽車と話をすることができます。
 いつもは「連れて行って欲しい」という子どもたちの願いを、汽車はあっさり断って通り過ぎるだけです。
 しかし、その日に限って、貨物列車は露地の横に停車して、二人を一番星へ連れて行ってくれます。
 終点の星の世界には、露地と違って食べ物屋がたくさんあります。
 でも、一文無しの二人にはどうすることもできません。
 そのうちに、片腕の男にだまされて、無銭飲食の片棒を担がされて、交番に突き出されてしまいます。
 作者は、この作品でも、詩的な表現を多用して美しい星の世界を走る汽車を描いて見せます(宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の影響があるかもしれません)。
 その一方で、食べる物にも事欠く貧困、働くことに疲れ切って子どもたちの面倒を見ることができない親たち、戦争の傷跡(片腕の男は、戦争で右腕を失いました)、警察官による朝鮮人差別(キンはおそらく金で、朝鮮人の子どものようです)といった戦時中の現実も描いていて、その対比が鮮やかです。
 現在の子どもたちも、彼らと同様に、貧困やネグレクトの問題に再び直面しています。
 しかし、当時と違うのは、あの時代にあった子どもたちのコミュニティが、すでに崩壊していることです。
 キンは、小柄で非力なために貨車によじのぼれないデベソを、その強い腕で引き上げてやります。
 デベソは、自分には優しいのに朝鮮人のキンは差別する警察官の前で何もできない自分を、「なみだの目でキンを見ながら、きゅうに、じぶんが、この世の中でいちばんみじめな子どもになったような気がしました。」と、責めています。
 こんな友だちが一人でもいれば、今の子どもたちも、どんなつらい状況でも乗り越えることができるでしょう。


でんでんむしの競馬 (1980年) (講談社文庫)
クリエーター情報なし
講談社
 
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上野瞭「ぼくらのラブ・コール」児童文学 新しい潮流所収

2017-09-21 09:26:51 | 作品
 「別冊飛ぶ教室」(1993年)に掲載されて、「グフグフグフフ ― グリーンフィールド」(1995年)に収められている短編で、編者の宮川健郎が転載しました。
 ポケット・フォンという携帯電話(当時は携帯電話が一般(当初は自動車電話からスタートした業務用でした)へも普及し始めたころでした)で、親子が愛情を確認し合わなければならないという政府の方針をめぐる近未来風刺SFです。
 スマホはおろか、携帯電話がインターネットにつながるようになる前の時代の作品なので、携帯電話をめぐる風俗がかなりとんちんかんな感じですが、ある意味ではSNSで他人との繋がりを確認しあっている現在の状況と似てないとも言えません。
 編者は、「電話児童文学」という言葉を使って、川北亮司「ひびわれ団地四号館」(1977年)(お金のかからない糸電話で話します)、川島誠「電話がなっている」(1985年)(電話がかかってきているが、出ることができません)を引用して、授業中でも電話に出ることができるこの作品を、「既存の「児童文学」を軽々と踏み越えようとする。だからこそ、「ぼくらのラブ・コール」は、電話児童文学」の現在をあらわしていっるといえるのである。」と解説しています。
 作品及び解説がもう一つピンと来ないのは、コミュニケーション・ツールが急速に変化して、それに伴って他人との繋がり方自体も大きく変わっているからでしょう。
 児童文学の中で使われて、今ではほとんど使われなくなったコミュニケーション・ツールを列挙してみると、回覧板、手紙、駅の伝言板、ポケベル、公衆電話などがあります。
 こうしたものが使われた作品を、今の子ども読者が読んでも、当時それらのツールが他人とのコミュニケーションにどのように使われていたかが実感できないので、真の意味では作品を理解できないでしょう。
 将来的には、ウェアブルコンピューターが普及すれば、ガラケーはおろかスマホすら陳腐化する時代が来るでしょう。
 SNSでも、フェイスブックやツイッターは既に飽和していますし、インスタグラムやLINEもやがては新しいツールに取って代わられるでしょう。
 そんな時、「いいね!」「既読」「既読スルー」などに思い入れを込めて作品を書いても、その頃の読者にはピンとこないでしょう。
 その一方で、人間の「承認欲求」そのものはそれほどは早く変化しないでしょうから、そちらに力点を置いて書いた方が作品の寿命は延びるでしょう。
 もっとも、児童文学作品を消費財だと割り切ってしまえば、そうした目新しい風俗にどんなに寄りかかって書いてもOKですが。

グフグフグフフ―グリーンフィールド
クリエーター情報なし
あかね書房

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宮川健郎「「楽園」の喪失について」現代児童文学の語るもの所収

2017-09-07 08:13:04 | 作品
 ここにおいては、二種類の「楽園」が混在して論じられています。
 ひとつは、日本の高度成長に伴って失われていった、農村や都市周辺のはらっぱなどです。
 もうひとつは、「子ども時代」です。
 これら二つをからませて描くことは、昔からの児童文学の大事なモチーフで、主人公の少年の死(第二の主人公である彼の友人にとっては、少年期の終わりを象徴しています)と都会に残されていた空き地(主人公の少年が自分の死を賭して敵グループから守ったもので、「楽園」そのものです)の喪失を描いたモルナール「パール街の少年たち」が書かれたのは1907年のことです。
 「楽園」としての故郷(農村)の喪失の例として著者があげたのは、後藤竜二の「天使で大地はいっぱいだ」(1967年)と「故郷」(1979年)です。
 前者が貧しいながらも労働の喜びにあふれていた「楽園」(農村)の子どもたちを明るく描いたのに対して、わずか十二年後には、母の死、父の離農といった「楽園」(故郷)が失われていく姿を敗北感いっぱいに描いています。
 これら二つの作品では、書かれている対象だけでなく、文体や視点も大きく変化して、子どもを仮装(これは著者がこの作品を語るときにいつも使う用語です)した話し言葉から、同じ一人称でも昔をしのぶ大人の言葉へ、大きく変化していると指摘しています。
 著者は、こうした「楽園」の喪失及び後藤の書き方の変化を、高度成長期による農村の破壊によるものとしていますが、それだけではないように思います。
 背景には、「故郷」の主人公たちの現在でもある1970年代における若者たちの閉塞感(70年安保の敗北と革新勢力の衰退、大学のマスプロ化への幻滅、アイデンティティの喪失など)があると思われます。
 社会主義的リアリズムの作品の書き手でもあった(彼は非常に才能のある書き手で、子どもたちの周辺に取材した作品や時代物やエンターテインメントに近い作品まで書き分ける多面的な能力の持ち主でした)後藤の敗北感の投影を抜きにしては、この大きな変化は説明できないでしょう。
 都市部の原っぱの喪失の例としては、古田足日「モグラ原っぱのなかまたち」(1968年)をあげて、この作品では「楽園」(はらっぱ)そのものと、その喪失(市営住宅の建設)の両方を書ききったとしています。
 他の「楽園」の例として、自分や仲間だけの閉じた世界(これは児童文学の世界では、「子ども時代」の比喩で、この世界を描いたほとんどの作品のラストでは、この世界からの自立(「子ども時代」の終わり)が描かれています。そのもっとも有名な例は、ミルン「クマのプーさん」(正確には「プー横丁にたった家」)のラストシーンでしょう)を描いた「現代児童文学」の始まりとされる1959年出版の二つの小人物語(佐藤さとる「だれも知らない小さな国」といぬいとみこ「木かげの家の小人たち」)を挙げています。
 そして、前者はいつまでもその「楽園」が失われない(そのかわりに閉鎖的(著者は「牢獄」という言葉を使っています)になったとしています。この論文の初出は「日本児童文学」1984年2月号なのですが、その直前だった1983年9月(「だれも知らない小さな国」の出版から二十四年後)にコロボックル・シリーズの完結編が出版されたので、特に印象が強かったのかもしれません)のに対して、後者は「楽園」の消滅と小人たちの自立までが描かれていると評価しています(言うまでもありませんが、この「楽園」の消滅も、主人公たちの「子ども期の終わり」を意味しています)。
 最後に、著者は、現在(1980年代前半)における「楽園」や「子ども期の終わり」の描かれ方として、いくつかの問題点を指摘しています。
 後藤竜二の「キャプテンはつらいぜ」(1979年)に始まるキャプテンシリーズの少年野球チームの世界を、「大人たちの愛情にささえられて、かろうじて成り立つ(ずいぶん手狭な)「楽園」なのだ」と批判しています。
 後藤の作品の中ではエンターテインメントに近いキャプテン・シリーズを、他の「現代児童文学」の作品と同じ切り口で論じるのも問題(これは著者だけの問題ではなく、エンターテインメント系の作品を批評する方法論は今でも確立されていません)ですが、都市部の少年たちの「楽園」の姿とかつての農村部の少年たちの「楽園」をそのまま比較すること自体が、著者の(というよりは高度成長期以前に生まれた日本人全体の)ノスタルジーにすぎないのではないでしょうか。
 そのことは、著者も気づいていたようで、「都市のなかで生きる像がもっともっと書かれてもよいのではないか」(川北亮司「ひびわれ団地4号館」や日野啓三の小説「天窓のあるガレージ」を例として示しています)とも指摘しています。
 初稿が書かれた1984年の段階では確かにそうだった思われますが、その後、日本の児童文学で描かれる世界には都市に住む子どもたちが非常に増えて(都市部で成長した作家が増えたこともその一因だと思われます)、1996年にこの本が発行された段階では状況はかなり変化していたので、少なくともこの部分は加筆訂正するべきだったでしょう。
 また、著者は、現実の閉塞感の中で生きる中学生たちの状況を描いた後藤竜二(どうも取り上げる書き手が偏っている気がするのですが)「少年たち」や横沢彰「まなざし」を、「抒情的な雰囲気でごまかしている」と批判していますが、ならばこうした状況を「叙事的」に描くにはどうしたらよいのかの可能性を示さないと、たんなる現象(作品)の後追いになってしまっていると思われます。
 最初に述べたように。「楽園」の喪失は特に新しいことではなく、児童文学にとって重要なモチーフの一つです。
 スマホなどの携帯機器とSNSの爆発的な普及(その裏には通信技術、半導体技術、VR、AIなどの飛躍的な進化があります)によって、大きく変化している子どもたちの世界における、新たな「楽園」およびその喪失をどのように描くかの方法論が、今一番求められています。


現代児童文学の語るもの (NHKブックス)
クリエーター情報なし
日本放送出版協会
 

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鈴木晋一「千葉省三」子どもと文学所収

2017-09-01 08:43:38 | 作品
 著者は、「日本の児童文学にはじめて生き生きとした子どもたちを登場させた作家」として、省三を評価しています。
 それはその通りだと思いますが、著者はその一方で、代表作の「虎ちゃんの日記」の虎ちゃんと、マーク・トウエンの「トム・ソーヤ―の冒険」のトムを比較して、そのキャラクターの違いを述べて、作品自体も「物語の筋は大きく動き回らずに消えてしまう」と批判しています。
 この批判は、国民性の違いや作品のねらいの違い(日記と冒険)を、完全に無視していると思います。
 日本の児童文学は、トム・ソーヤーやエーミール・ティッシュバイン(エーリヒ・ケストナー「エーミールと探偵たち」などの主人公)やクローディア・キンケイド(カニグズバーグ「クローディアの秘密」の主人公)のような、その国その時代の典型的な子ども像を一人も生み出せなかったとよく言われます。
 私見を述べれば、戦前は虎ちゃん、戦後は山中恒「赤毛のポチ」のカッコがそれに一番近かったかもしれません。
 著者もこの論文の最後に紹介していますが、当時の子ども読者(特に中国などの外地で育った子どもたち)は、省三が描いた日本の山河で遊ぶ虎ちゃんたちに、日本固有の「民族的」なものを感じ取っていたようです。
 著者は、省三のそれほど多くない作品を、「子どものやんちゃな姿を題材にしたもの」、「孤独な子どもをえがいたもの」、「子どもの世界以外の題材をあつかったもの」の三種類に分類しています。
 そして、それぞれ「生き生きした子どもを描くこともでき」、「ある情景をまざまざと再現することもでき」、「おもしろい筋をくりひろげることもでき」と評価しつつ、「そのすべてをあげて堂々と本格的な物語を組み立てることができませんでした」と、その限界を示しています。
 著者は、こうした優れた点を生み出せた理由として、省三の資質(賢治の時も、瀬田貞二が、この言ってみれば身もふたもないことを指摘していたのですが、残念ながら私の経験でも全くその通りだと思います)と、「あららぎ」派の歌人たちの影響による「写生」であるとしています。
 そして、省三の限界についても、その「写生」にこだわりすぎてフィクションを展開しなかったためとしています。
 「千葉省三」論という本題からはそれてしまうのですが、この論文には著者たち「子どもと文学」グループの児童文学に対する考え方とその限界が感じられる部分があり、その後の「現代児童文学」に大きな影響を与えたと思われます。
 まず冒頭の「生き生きした子どもたち」のところで、「坪田譲治の作品の中の子どもは、なまなましい現実感はあっても、児童文学としてはとりあげる必要のない側面ばかりがえがかれていました。」と批判していますが、これが「現代児童文学」にタブー(死、離婚、家出、非行などの人生あるいは人間(子どもたちも含めて)の負の部分は描かない)を生み出し、これが破られるようになったのは1970年代の終わりごろになってからでした。
 また、千葉省三が、当時の児童文学界の影響を受けて、子どもの理解や興味よりも文学性を重視するようになったことを批判して、「文学的な高さをもちながら、子どもを楽しませ喜ばせてやるものこそが、児童文学であると考える人はいなかったのです。」と述べています。
 これはまさに正論なのですが、この論文が含まれている「子どもと文学」の「はじめに」において、「子どもの文学はおもしろく、はっきりわかりやすく」というスローガンを、「世界的な児童文学の基準」として強く打ち出したために、ここで書かれている「文学的な高さ」はほとんど無視されて、安易なステレオタイプな作品(特に幼年文学において)が量産されることになります。
 「児童文学は児童と文学という二つの中心をもつ」という楕円原理を使って、児童文学を解説してくれたのは児童文学研究者の石井直人(「現代児童文学の条件」(その記事を参照してください)ですが、日本の児童文学の歴史は、そのどちらかに偏った状態を繰り返してきたと思われます。
 明治時代に近代児童文学がスタートした時には、「お伽噺」という言葉によく表れているように「児童」に偏っていました。
 これを批判する様にして生まれた「赤い鳥」や小川未明、坪田譲治などの「近代童話」は、今度は「文学」に偏ります。
 未明に、「童話」は「わが特異な詩形」と言われても、子ども読者は困ってしまいます。
 「現代児童文学」では、これらすべてを批判する形でスタートしたわけですから、本来は「児童」と「文学」の両立を目指していたのですが、やはりその時期によって偏りはあります。
 おおざっぱに私見を述べると、スタート時の1960年前後はさすがにかなり両立していましたが、すぐに幼年文学を中心に「児童」へ偏り、その反省から1970年代には再びその両立が目指されました。
 そして、「タブーの崩壊」や「児童」という概念の見直しが行われた1970年代末からは、「文学」に傾いた小説的な作品(一般文学への越境)と、「児童」(子ども読者)に傾いたエンターテインメント作品に二分化されるようになりました。
 そして現在は、「文学」的な作品はほぼ死に絶え、「児童」に対する書き手の関心も驚くほど希薄になっています。
 つまり、現在の児童文学は、「児童」と「文学」の両方の中心を失った、「現代児童文学」とは全く別のものに変質しているのです。
 さらに、著者は、この論文で、「写生」よりも「フィクションを展開」することを重視しています。
 これは、1980年代を除いては「現代児童文学」の基本原理で、安藤美紀夫も「児童文学とはアクションとダイアローグで描く文学だ」と言っていました。
 現在の児童文学作品でも、「描写」よりも「ストーリー展開」が重視されています(というよりは「ストーリー展開」と「それに必要な説明」だけといってもいいかもしれません)。
 しかし、はたして「アクションとダイアローグで描いて」、「文学的な高さ」を保っている作品があるかというと、大きな疑問があります。
 「アクションとダイアローグ」で描いて「文学的な高さ」を保つためには、そのための方法論が必要です。
 そういった意味では、「児童」と「文学」が一番両立していた1970年代前半の児童文学作品(斉藤敦夫「冒険者たち」、安藤美紀夫「でんでんむしの競馬」、舟崎克彦・靖子「トンカチと花将軍」、岩本敏男「赤い風船」(その記事を参照してください)、砂田弘「さらばハイウェイ」、大石真「教室205号」(その記事を参照してください)、庄野潤三「明夫と良二」、さねとうあきら「地べたっこさま」、天沢退二郎「光車よ、まわれ!」、今江祥智「ぼんぼん」など)が一番参考になるかもしれません。

子どもと文学
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今西祐行「はまひるがおの小さな海」そらのひつじかい所収

2017-08-26 14:08:19 | 作品
 作者の児童文学の出発点として1956年に出版された、「そらのひつじかい」(日本児童文学者協会新人賞受賞)に収録されている作者の幼年童話の代表作の一つです。

 岬のとっぱなに、ひとりぼっちで咲くひるがおと、「ぼく」の会話でお話は始まります。
 ひるがおは、「ぼく」に「自分をつみとってくれ」と、頼みます。
 「ひるがおをつむと空がくもる」という、言い伝えがあるからです。
 嵐の夜に近くに打ち上げられ、小さな水たまり(小さな海)に取り残されて、ひるがおとすっかり仲良しになったおさかなが、太陽がつよくてにえそうになっているのを見かねて、自分を犠牲にして空を曇らせようとしたのです。
 「ぼく」は、ひるがおをつみとったりせずに、さかなをすくって海へ帰そうとします。
 でも、そうすると、ひるがおはまたひとりぼっちになってしまいます。
 「ぼく」は、浜で遊んでいた子どもたちに頼んで、ひるがおの「小さな海」に毎日海の水を入れてくれるよう頼むのでした。
 子どもたちは快諾したばかりか、えびやかにも入れて「小さな海」をにぎやかにしてくれることを約束してくれます。

 この作品も選ばれている「幼年文学名作選15」の解説で、児童文学作家で研究者でもある関英雄は、「はまひるがおと「小さな海」に息もたえだえになっている小魚の間にかよう心は、まさに今西童話の核となる「心の結びあい」の、もっとも簡明で美しい結晶です。浜であそぶ子どもたちがその「小さな海」を守るという結末、何回読み返しても心をうたれずにはいられません」と激賞しています。
 現代的にいえば、「魚を小さなところへ閉じ込めたまでは残酷だ。エビやカニも入れるなんてもってのほかだ」と、動物愛護の立場から非難されるかもしれません。
 「子どもたちはすぐに飽きてしまって、「小さな海」は干上がったに違いない」という人もいるかもしれません。
 しかし、この作品の優れた点はそういった表面的なところにあるのではありません。
 「ぼく」(少年かもしれませんし大人かもしれません)の中にある「童心」が、ひるがおや浜の子どもたちの「童心」と読者の中にある「童心」とを確かに結びあわせる、作者の童話的資質(モティーフ、視点、文体などすべてをひっくるめた作品全体。私の拙い要約では伝えることができまないのが残念です)そのものにあるのです。
 この作品が世の中に出たちょうど同じころ、「さよなら未明 -日本近代童話の本質ー」(その記事を参照してください)で、「現代児童文学」はこうした「童話」と決別しようと呼びかけた児童文学者の古田足日は、数十年後のインタビュー「幼年文学の現在をめぐって」(その記事を参照してください)の中で、この作品について「魂の救済」「「童話的資質」は、子ども、人間の深層に通ずる何かを持っている」と述べて、童話伝統の持っている内容・発想の価値を、特に幼年文学の分野において認めています。
 補足しますと、作者は、早大童話会で古田足日の先輩にあたるのですが、1953年の「少年文学宣言」では彼らに批判される側の立場(坪田譲治の門下生)でした。
 当時から、古田足日は、童話的資質を持っている書き手の「童話」は評価していましたが、作者のこの作品などもその念頭にあったかもしれません。
 「童話的資質」と言ってしまうと、それから先は思考停止で分析が進まないのですが、たくさんの童話作家や童話作品に出会っていると、確かにそうとしか言えないものを感じます。
 長年、児童文学の同人誌に参加していると、初心者の人がいかにも「童話」らしい作品を提出してくることがよくあります。
 「こういうのが一番厳しいんだけどなあ」と、つい思ってしまいます。
 なぜなら、こうした作品は、修練しても身につかない本人の「童話的資質」を問われるからです。



はまひるがおの小さな海 (日本の幼年童話 15)
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岩崎書店













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古田足日・砂田弘「幼年文学の現在をめぐって」日本児童文学1985年12月号

2017-08-22 12:30:50 | 作品
 当時の「日本児童文学」の編集長の砂田弘が、自らも優れた幼年文学を書いている古田足日に聞く形で、1985年半ばの幼年文学の現状について概観しています。
 その後の「幼年文学」の評論(関連する記事を参照してください)と比較すると、同業者たちに遠慮せずに現状の混迷(堕落)を批判しています。
 例えば、当時の人気作家の角野栄子の人気幼年童話シリーズに対して、彼女の高学年向きの作品を評価しつつもこれらの幼年童話は「手抜き」だと批判し、当時の大ヒット作の矢玉四郎の「はれときどきぶた」もブラックユーモアや心をひらかせるものとして認めつつも「残念なことにそれらが浅い」と指摘しています。  また、神沢利子、山下明正、安房直子といった当時の幼年文学の大家たちの近作についても、文体もキチンとしているしテーマも安定しているとしつつ、「悪い意味で新鮮味に乏しい」「悪く言うと今までの作品の二番煎じ」と批判しています。
 さらに、当時二十冊以上出ていた人気シリーズの寺村輝夫「ぼくは王さま」についても、現在の子どもたちの関心とは遊離してきていると指摘しています。
 こうしたことができるのは、当時の児童文学界の権威者だった二人だったからかもしれませんが、彼らが評論家であるだけでなく実作者(特に古田は、幼年文学においても、「おしいれのぼうけん」、「大きい1年生と小さい2年生」、「ロボット・カミイ」などの優れた作品があります)としての豊かな経験があったからでしょう。
 こうした既存作家の低調な作品が、新人たちに「幼年文学なんてこんなもの」と誤解させていることや、新人たちの「自分を表現したいという」要求が「本を出すという要求に自分の中ですりかわってしまった」ことなども、これらの安易な幼年文学を生み出している原因と指摘としています。
 さらに、大量の(しかも質の低い)挿絵への依存や、話し言葉への安易な傾斜(幼年文学が子どもたちが出会う最初の書き言葉であることへの作者たちの無理解)なども指摘しています。
 これらの危惧は、現代児童文学がスタートした直後の1960年代から、神宮輝夫や安藤美紀夫たちによって指摘されていて(それらの記事を参照してください)、一般的には「子どもと文学」(その記事を参照してください)の掲げた「おもしろく、はっきりわかりやすく」というスローガンが一人歩きしていった弊害だと認識されています。
 これらの問題(既成作家と新人作家によるステロタイプの量産)は、現在では幼年文学だけでなく、児童文学全体に当てはまるようになってしまっています。
 これは、幼年文学が、児童文学においてもっともプリミティブな存在であることと、読者である子どもたちの文学および書き言葉に対する受容力の低下を考えると、歴史の必然だったのでしょう。
 さらに商業主義の問題にも触れて、「買い手の側に「俗流童心主義」があって、それに乗っかった作品群が生産されている」としています。
 今後の可能性としては、後藤竜二「一年一組いちばんワル」(その後シリーズ化されてマンネリ化しますが)、伴弘子や伊沢由美子作品(題名不明、おそらく雑誌「日本児童文学」に掲載された作品だと思われます)などを引き合いに出して、新しい幼児・幼年観の確立の芽生えとして、子どもたちが他者を発見していく姿をあげていますが、一方で展望(出口)が提示されないままでは、たんなる生活童話に留まってしまう可能性があることも指摘しています。
 以上のような批判は、「少年文学宣言」(その記事を参照してください)の流れをくむ正統派(?)の「現代児童文学者」の観点としては至極まっとうですが、初めて読書の楽しみを知るという「幼年文学」の側面を考えると、やや厳しすぎるかなという気もしました(現在はもっとひどいので)。
 「現代児童文学」という文学運動は、1960年代ぐらいまでは評論と実作が両輪として機能していましたが、1970年代からはかなり遊離し始め、このインタビューが行われたころはかなり分離していたと思われます(おそらくこのインタビューも、そのころの幼年文学の書き手で真面目に読んでいた人はごく一部でしょう)。

日本児童文学 2017年 08 月号 [雑誌]
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小峰書店
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「いま、ぼくたちが話している場所」日本児童文学1987年3月号所収

2017-08-20 20:30:23 | 作品
 1986年9月21日に行われた当時若手(30歳前後)の児童文学研究者で評論家であった、石井直人、宮川健郎、佐藤宗子による座談会の記録で「主体性神話をこえて」という副題がついています。
 「児童文学明日への展望 ― 児童分学は生きのびられるか ―」という大きな特集テーマの中で、「作家の主体性の喪失」、「受け身の読者たち」、「新人類(その頃の若者を指す流行語です)と児童文学」というサブテーマを、編集部から与えられていたようです。
 1950年代にスタートした「現代児童文学」が1980年ごろに大きな変曲点(詳細については他の記事を参照してください)を迎え、当時の児童文学界は危機感(主には児童文学が商業主義に取り込まれるのではないかということですが、その予感が的中したことはご存じのとおりです)を持っていました。
 私がかつて所属していた同人誌も、その危機感の中で誕生しましたが、今は完全に商業主義に適応しています。
 編集部の意向を察するに、1978年にスタートした那須正幹の「ズッコケ三人組」シリーズの成功を受けて当時盛んになっていたエンターテインメント系の作品について、作家側や読者側から見てどう分析するかが期待されていたようです。
 しかし、初めに当時の人気作家薫くみこの作品にちょっと触れた(しかも第三者(「季節風」という同人誌の七号に掲載された児童文学評論家の上原孝一郎)の意見を紹介する形です)だけで、与えられたサブテーマを疑問視する形で、より抽象性の高い児童文学における「主体性」についての議論へ移ってします。
 それには、いくつかの理由が考えられます。
 まず、彼ら三人が、それまでの「日本児童文学」誌上の主な評論の書き手であった古田足日や安藤美紀夫や砂田弘などと違って、児童文学の実作の経験が乏しく、「作家の主体性」が作品にどのように反映されるかを実感として認識できていなかったことがあげられます。
 ちょうどこのころに、ふたたび児童文学の世界に戻ってきていた私は、その頃の若い書き手たち(その中には、この座談会で作品が取り上げられていた横沢彰(人気芸人の横沢夏子のおとうさんです)や長崎夏海もいました)と交流があったのですが、彼らと若手評論家たちはほとんど没交渉(評論は難しいという理由で、当時から若い書き手たちは誰も読んでいませんでした。今の若い書き手たちは、おそらく評論の存在すら知らないでしょう)でした)。
 次に、彼らは評論家であるとともに児童文学の研究者(いずれもその後立派な研究成果を上げています)であったために、どちらかというと学究的な興味が勝っていたと思われます。
 最後に、エンターテインメント作品をどう評価するかの方法論が、彼らに限らず児童文学界になかった(今でもありませんが)ことが挙げられます。
 そのため、より取扱いしやすい「現代児童文学」(定義などについては別の記事を参照してください)である横沢彰「まなざし」や長崎夏海「A DAY」へ、議論が移ってしまいます。
 たしかに、これらの作品では、作者の関心は、かつての作品のような「社会」から「個人」(受験や非行)へ移っています。
 しかし、そこには依然として確固たる作家の主体性があり、サブテーマである「作家の主体性の喪失」とは無縁です。
 その後は、ファンタジー作品(芝田勝茂「ドーム郡ものがたり」やわたりむつこ「はなみんみ物語」など)、子どもたちを個人でなく群像として描いた作品(安藤美紀夫「風の十字路」(その記事を参照してください)、自分の子ども時代を描いた作品(三木卓「元気のさかだち」)、歴史ロマン作品(しかたしん「国境」や浜たかや「火の王誕生」)などについて議論していますが、これらはどれも「現代児童文学」の範疇で、どのように表現されたら当時の子どもたちに読みやすく「主体性神話」(はっきりとは書かれていませんが、作者が自分が書きたいことに縛られていて、読者にどう伝わるかの表現上の工夫が十分でないことを批判している用語のようです)をこえられるかについては語られていますが、与えられたサブテーマ(「作家の主体性の喪失」、「受け身の読者たち」、「新人類と児童文学」)とは正面から向き直っていません。
 本来であったら、「作家の主体性を喪失」した安易なエンターテインメント作品がシリーズ化されて量産されている状況や、そういった読むのに楽な作品に流れている「受け身の読者たち」や、「(読書に求めるものが(生き方や未知のものを知ることから娯楽へ)変わっっていく過程にある(現在では完全に変わってしまいましたが)新人類と児童文学」のあり方、などについて議論されるべきだったと思うのですが、これではたんなる現象の後追いに過ぎません。














A DAY(ア デイ)
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