現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

井上ひさし「モッキンポット師の後始末」モッキンポット師の後始末所収

2019-10-21 14:11:30 | 作品論
 作者の、上智大学時代の貧乏生活をもとに、仙台のカソリック系の養護施設にいた時のカナダ人修道士の恩師たちをモデルにしたと言われているユーモア小説です。
 戦後の苦学生たちの食べるための奮闘ぶりと、彼らが仕出かした失敗を文句言いつつ、いつも尻拭いしてくれる修道士の慈愛に満ちた姿を、作者独特のユーモアたっぷりに描いています。
 あやしい関西弁を操るモッキンポット師は、一見「変な外人」風ですが、その裏に並々ならぬ教養と異国の若者たちへの深い愛情が感じられて、非常に魅力的です。
 また、作者の作家としての見習い時代の様子も垣間見れて、興味深い内容になっています。
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井上ひさし「モッキンポット師の三度笠」モッキンポット師の後始末所収

2019-10-21 14:09:32 | 作品論
 モッキンポット師シリーズの最終作です。
 この作品で、モッキンポット師は、主人公たちの後始末の末に、ついに教団から強制帰国させられます。
 モッキンポット師は実在の人物ではなく、作者が仙台の養護施設にいた時に、子どもたちに限りない愛情を注いでくれたカナダ人の修道士たちをイメージして作られた作者にとっての「神」そのものようです。
 それゆえ、最終回で、作者の分身である主人公と、彼のライフワークである演劇を結びつける役を演じさせたのも、作者にとっては必然だったのでしょう。
 比較演劇論を専攻している設定のモッキンポット師に、ラストで日本の大衆演劇をテーマにし多論文でソルボンヌ大学の文学博士号を献じたのは、作者の恩師であるカナダ人修道士たちへのお礼だったのでしょう。
 なお、この作品に出てくる北千住劇場のモデルと思われる大衆演劇の劇場は、私が中学生のころ(1960年代後半)まではまだ健在でした。
 ただし、すでにテレビが各家庭に入っていた時代なので、かなりさびれてはいました。
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井上ひさし「逢初一号館の奇跡」モッキンポット師の後始末所収

2019-10-20 09:54:07 | 作品論
 モッキンポット師シリーズの第4作です。
 ここでも、主人公たち貧乏学生が、調子にのり過ぎて失敗し、モッキンポット師が後始末をするパターンは変わりません。
 しかし、前作からは、主人公の小松(作者の分身で上智大学文学部生)と、学生寮の寮長だった土田(東大医学部)と服寮長だった日野(教育大(筑波大)理学部)にだけになってきて、当時の学生というエリート層(特に土田と日野は超エリートでしょう)の社会への甘えのようなものが鼻についてきました。
 この作品が書かれた1971年は、すでに大学の大衆化が進んで、大学生が特別視される時代は終了していましたが、読者の方ではそうした雰囲気を理解できるころでした。
 しかし、今では、そういった大学生の存在は全く理解できない時代なので、彼らが起こしたトラブルのいくつかは、犯罪と見なされても仕方がないかもしれません。
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井上ひさし「聖パウロ学生寮の没落」モッキンポット師の後始末所収

2019-10-17 16:25:56 | 作品論
 モッキンポット師シリーズの第二弾です。
 主人公たち、貧乏寮生の脱線ぶりはエスカレートして、とうとう彼らの住む学生寮は取り壊しになってしまいます。
 しかし、そんな彼らにも、指導教官であるモッキンポット師は、救いの手を差し伸べてくれて、新しい行き先を世話してくれます。
 「モッキンポット師の後始末」(その記事を参照してください)が好評(後にテレビドラマ化されています)だったので、シリーズ化が決まったらしく、この作品では第三弾への伏線も張ってあります。
 こうしたシリーズ作品はでは、エスカレート化とマンネリ化は避けられないのですが、このシリーズでもその傾向は見られます。
 
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梨木香歩「西の魔女が死んだ」

2019-10-17 15:51:11 | 作品論
 1995年に出版されて、日本児童文学者協会新人賞などのいくつかの賞を受賞し、映画化もされた作品です。
 中学三年生の主人公の女の子は、授業中に母方の祖母(イギリス人)が危篤になったとの知らせをうけます。
 母の運転する車で祖母の家へ向かう途中(六時間もかかります)、主人公は二年前のことを回想します。
 その時、中学に入ったばかりの主人公は、女の子たちの作るグループになんとなく入らなかったことをきっかけに、クラスの女の子たちにはずされて、学校へ通えなくなっていました。
 そんな主人公を受け入れてくれたのが祖母でした。
 独特の人生観と行動のために、主人公とその母親は、祖母のことを「西の魔女」と今では呼んでいます。
 祖母の家で暮らした一か月余りの間、家庭を大事にして、自然(といっても、イギリス流の人間の手の加わった自然なのですが)を愛する祖母との生活で、主人公は見事に蘇生して、新しい生活(父親の単身赴任先に引っ越して、新しい中学校に転校します)を始める力を得ます。
 そう、この作品は「癒し」の文学の代表作なのです。
 魔女修行、超能力、ダークグリーンのミニクーパー、イングリッシュ・ガーデン、サンルーム、薪が燃えるかまど、手縫いのエプロン、手作りのジャムやキッシュやサンドイッチ、ミントティー、自家栽培のハーブや野菜、野イチゴや木イチゴ、飼っているニワトリの生みたての卵、煮沸によって洗濯された布巾、足踏みで洗われたラベンダーの香りのするシーツ、自分だけのお花畑、サンクチュアリなど、女の子だけでなく若い女性(現在ではもっと年長の女性も同様ですが)の大好きなおしゃれなアイテムが満載で、新しい児童文学の読者(若い世代を中心にした女性)の獲得に大きく貢献しました。
 また、こうしたものだけでは単調になりがちな物語に、主人公の祖母との生活を脅かす(?)粗暴な隣人の男の存在が、アクセントをくわえています。
 素材面だけでなく、手法面でも、描写(情景及び心理)を重視した小説的手法を使って、作者独特の豊かな表現力で、主人公の変化(主に精神面)を的確にとらえています。
 その一方で、主人公の心の成長と言う点では、児童文学らしいいわゆる「成長物語」でもあります。
 そういった意味では、児童文学と一般文学の境界があいまいになった、1990年代の日本の児童文学の代表作と言えます(児童文学評論家や研究者は、この現象を「一般文学への越境」と呼んでいます。そのことの功罪については、別の記事を参照してください)。
 しかし、読み直してみると、いくつかの疑問があります。
 まず、これだけ主人公に精神的なインパクトを与えた「西の魔女」(主人公にとってはメンターともいえます)と、二年間没交渉だったという設定は、お話の都合としてはいいでしょうが、日本人的感覚では理解しにくいです。
 また、父親の単身赴任先へ、一時的に仕事を辞めた母親と一緒に、転居して新しい中学へ転向するという最終的な解決策も、母親の人間像(自分の仕事のキャリアを大事にしている「西の魔女」とは対照的な人物に設定されています)からすると、非常にイージーで不自然なイメージを受けます(この作品が書かれた二十年前と、女性の仕事を取り巻く環境が変わってきているせいもあります)。
 うがった見方をすると、二十年前は女性の社会進出が世の中でもっと強く言われていたので、そのアンチテーゼとして描かれたのかもしれませんが、作者のジェンダー観にやや疑問を感じます。
 ラストで、西の魔女から主人公へ死後に送られてきたとも読める下記のメッセージも、主人公の不安感のベースとして繰り返し描かれていた「死後の世界」に対する西の魔女及び作者の回答なのだと思われますが、スピリチュアル好きな若い女性はともかく一般の読者としては不可解な読後感が残ります。
「ニシノマジョ カラ ヒガシノマジョ ヘ
 オバアチャン ノ タマシイ、ダッシュツ、ダイセイコウ」
 だいいち、自分のことを主人公たちが西の魔女と呼んでいることを本人は知らないはずなので、その点でも不自然な感じ(超能力だと言われればそれまでですが)です。
 最後に、これは、男性読者(あるいはたんなる私自身)と女性読者の好みの違いになってしまいますが、子どもの時に困ったら、西の魔女のようなメンター的な祖母よりも、森忠明「花をくわえてどこへいく」に出てくるようなだまって一人で湯治場へ行かせてくれる祖父の方が欲しいです。

西の魔女が死んだ (新潮文庫)
クリエーター情報なし
新潮社
 
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大江健三郎「「「自分の木」の下で」

2019-10-16 21:35:51 | 参考文献
 16のメッセージと32のカラーイラスト(妻の大江ゆかりによるもの)からなる、子どもたちの疑問に答えるために書かれたエッセイ集です。
 特に、興味深い疑問については、個別に記事を書きましたので、それを参照してください。
 子どもといっても、中には高校生ぐらいの若い世代でないと分からないような内容になったと著者は反省し、宮沢賢治はすごいと言っていますが、賢治も「注文の多い料理店」の新刊案内(その記事を参照してください)の中で、「少年少女期の終りごろから、アドレッセンス中葉(思春期、青年期)に対する一つの文学としての形式」と述べていますから、対象はほぼ同じで、正しく児童文学のひとつと考えていいと思われます。
 他の記事にも書きましたが、著者は典型的な教養主義時代の地方出身の優等生なので、その子ども時代の過ごし方や勉強方法は、この文章が書かれた2000年頃でも、大半の子どもたちにとっては、理解したり実践したりすることは難しかったかもしれません。
 しかし、ノーベル文学賞も受賞した著者が、子どもたちに真摯に向き合い、より理解しやすくなるように平明な文体まで作り上げた姿勢には感銘を受けました。
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大江健三郎「私の勉強のやり方」「自分の木」の下で所収

2019-10-14 09:07:19 | 参考文献
 ここで著者が述べている勉強方法は、典型的な教養主義時代の勉強方法です。
 まず、古典(例としては、岩波文庫に入っているような古今東西の文献)を若いうちから読んで、わからないところには書き込みや印をつけておきます。
 そうした本を、時をおいて繰り返し読んでいくと、人生経験を積むにつれてだんだんわかるようになるとしています。
 他の文章で書いていたそうした古典の文章を書き写す勉強方法(その記事を参照してください)と合わせて、いわゆる読み書きそろばんを重視した伝統的な勉強方法です。
 こうした方法は、「文章を読みといて、書き手の考えを理解する」「自分の考えを正確に文章で書き表す」ために、非常に有効な方法だとは思います。
 著者は基本的には文系の人なので触れていませんが、数学の様々な問題を解く「論理的に結論を導き出す」訓練ももうひとつの大事な勉強方法です。
 ただし、教養主義が没落し、役所や企業が即戦力を求める時代において、若い世代が資格試験やディジタル(メディア)・リタレシーなどの実学重視になっている現状では、著者のような作家や文系の研究者を目指している人以外にはあまり受け入れられないかもしれません。
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サキ「十三人目」サキ短編集所収

2019-10-09 18:48:09 | 作品論
 それぞれ大勢の子どもがいる男女が、再婚しようとします。
 しかし、子どもの合計人数が13人だったので、不吉だという理由で居合わせた一人しか子どもがいない女性に、無理矢理一人押し付けようとします。
 当然拒否した女性が怒って立ち去った後で、もう一度きちんと子どもを数え直したら、本当は合計12人だということが分かって、めでたくゴールインというオチですが、その過程で子どもたちをまるで物か何かのようにしか考えていない二人(ある意味ではお似合いなのですが)を痛烈に風刺しています。
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サキ「親米家」サキ短編集所収

2019-10-08 18:43:39 | 作品論
 ボヘミアンやボヘミアン気取りの連中が集まるレストランで、画家になる夢を諦めて故郷へ帰ることを決めた若者が、最後に芸術がわかるふりをしている連中に一杯食わせて、売れなかった絵をまとめて売り付けます。
 というよりは、連中が勝手に彼が売れっ子になったと誤解して自爆しただけなのですが、当時世界中にいたお金持ちのアメリカ人らしいエピソードをからめて、ストンと落ちを付けています。
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筒井頼子「はじめてのおつかい」

2019-10-06 09:34:00 | 作品論
 1976年発行の古典的な絵本です。
 福音館の「こどものとも」シリーズの中の一冊です。
同名のテレビ番組が有名ですが、この本の方がはるか前に出ていますので、言ってみればテレビはこの本のパクリです。
 テレビのようなあざとい演出はないので、大人の読者には物足りないかもしれませんが、主人公のみいちゃんがおかあさんに頼まれてひとりで牛乳を買いに行くことになり、さまざまな小さな、だからリアリティのある障害(スピードを上げて通りかかる自転車、背後を通る自動車、お金を落としてしまう、お店で買おうとしていると割り込んでくる大人たち、おつりを忘れてしまうなど)をクリアするたびに、幼い読者はそのひとつひとつを追体験できることでしょう。
 そして、心配して外まで出てきたおかあさんに迎えられるエンディングは、まさにハッピーエンドの典型です。
 林明子による絵も、隅々まで工夫がなされていて、読むたびに新しい発見があるので、子ども読者は繰り返し楽しむことができるでしょう。
 児童文学の作者たちも読者たちも、子どもたちの「成長」を素直に信じられた古き良き時代の作品です。
 児童文学研究者の佐藤宗子は、「「成長」という名づけ」(日本児童文学1995年9月号所収)という論文で、「「初体験」も、すでに発達のものさしを持っている読者はそれにあてはめて読むことになろうが、まだそうしたものさしを持たぬ子ども読者は疑似体験として読むだろうと、子ども読者と作中人物を重ねあわせ、ひいては子ども読者の「成長」にもつなげて媒介者たるおとな読者は安心する、といった状況も想定できよう。」と、作中人物だけでなく子ども読者もこの本によって「成長」するであろうことと、幼年向けの作品における媒介者(親などの家族、幼稚園や学校の先生、図書館の司書など)の子どもたちの「成長」への信頼について述べています。
 また、児童文学研究者の宮川健郎も、「「児童文学」という概念消滅保険の売り出しについて」(「現代児童文学の語るもの」所収)において、以下のように述べています。
「子どもは、ゆるやかなスロープをあがるように成長するわけではない。成長をうながす何か、きっかけを得たときに、いわば、階段を一段のぼるように、角をまがるように、成長してしまうのである。「成長の瞬間」をつかまえ、作品として定着させるのは、現代の児童文学や絵本が熱心にとりくんできた仕事だけれど、「はじめてのおつかい」も、その典型的な例のひとつだ。」
 ここでいう「現代児童文学」とは、1950年代に近代童話を批判して始まった文学運動にのっとった作品という意味で使われていますが、その運動の特徴のひとつに「変革の意思」があり、これは社会を変革するということだけでなく個人を変革することも含まれていて、子どもの成長を描く(ひいては読者の子ともたちも成長させる)いわゆる「成長物語」が肯定的にとらえられていたという時代背景があります。
 この現代日本児童文学の「成長物語」神話は、八十年代になると大きく揺さぶられていくことになります。
 
はじめてのおつかい(こどものとも傑作集)
クリエーター情報なし
福音館書店
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大江健三郎「どんな人になりたかったか?」「自分の木」の下で所収

2019-10-05 09:39:02 | 参考文献
 筆者は、子供たちから標記のような質問をよく受けるそうです。
 それに答える形で書いています。
 まず筆者があげたのは、国民学校の低学年のころにいた用務員のおじさんです。
 普段は怖そうでとっつきにくいおじさんが、校庭に紛れ込んだ野犬に逃げ遅れた女生徒たちが襲われそうになったとき、一人で竹箒で立ち向かい、見事に撃退したそうです。
 子供たちを意識したのか、やや格好つけている感はしますが、そうした無名の人をあげています。
 もう一人は、どんな人になりたいかの模範作文のような形で、小学校四年生だった丸山眞男が書いた、関東大震災の時に学校へ避難した人たちを先に逃がして、自分は逃げ遅れて惨死された校長先生を称えた作文を紹介しています。
 これもまた、その作文の文章を添削する部分も含めて、教育的配慮が過ぎて面白味に欠けています。
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大江健三郎「どうして生きてきたのですか?」「自分の木」の下で所収

2019-10-03 20:14:33 | 参考文献
 この問いには、「どのような方法で」と「なぜ」という二つの意味がありますが、作者の場合はそのどちらもが、小説を書くことであると言います。
 このように言い切れる人間がどのくらい存在するのか、作者を羨ましく思うとともに、大多数の人たちとの乖離も感じざるをえません。
 また、子どもたちの作文に手を加える時の言葉として、「添削」や「推敲」ではなく、エラボレーションを、おそらく磨き上げるという意味に使っていますが、これにも違和感があります。
 たしかに、作者のこの態度は非常に立派ですが、立派過ぎて大半の子どもはついていけないのではないでしょうか。
 また、作者の子どもたちに対する理想的な境地として、夏目漱石の「こころ」の先生の言葉である「私の鼓動が停まった時、あなたの胸に新しい命が宿る事が出来るなら満足です」も、同様に立派過ぎて、大半の普通の子どもには重荷に感じられるでしょう。
 この「先生」の言葉は当時の超エリートである東京帝国大学生と思われる「私」に向けた言葉ですし、作者がエラボレーションないしは「新しい命が宿る」ためのすばらしい実践例としてあげた、作者の友人である小澤征爾による若い音楽家への指導もまた、ごく選ばれた音楽のエリートが対象なわけで、どちらも大多数の普通の子どもたちとはかけ離れた存在です。
 そう考えると、もっとストレートに自分の考えを伝えていた作者の若いころに比べて、彼もまた老成してしまった(あるべき自分ないしあるべき社会を、過度に理想化してしまっています)んだなあ(まあ、作者の年齢を考えると当たり前なのですが)という感慨がおきてきます。
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大江健三郎「なぜ子供は学校に行かなければならないのか」「自分の木」の下で所収

2019-10-03 18:40:29 | 参考文献
 ほとんどの子どもたちが持つ、この古典的な疑問について、作者は自分自身の子どもの時の体験と自分が親になった時の体験をもとに答えています。
 前者は、戦争直後の10歳の時に、今でいう不登校になったことです。
 不登校の理由は、教師たちへの不信感です。
 ご存じのように、戦中は、「天皇は神」「鬼畜米英」と、子どもたちに教えていた教師たちが、戦後は手のひらを返したように、「天皇は人間」「アメリカ人は友だち」と教えるようになったからです。
 10歳の時の作者は、その変化自体を問題にしていたのではなく(戦争が終わったことは人を殺さなくてすむことであり、みんなが同じ権利を持つ民主主義はいいことだと認識していました)、「これまでの考え方、教え方は間違いだった、そのことを反省する」と、子どもたちに言わないで平気で反対のことを言う教師たちが信じられなかったのです。
 学校へ行くよりは、森へ行って家業に必要な樹木の知識を得た方がいいと考えていました。
 その後、森で嵐にあって雨に打たれて高熱を出して死線をさまよった時に、母と交わした不思議な(夢か現実か、はっきりしません)会話(たとえ彼が死んでも、母がもう一度新しい子を産み直して、今までのことをすべて話して同じ子にしてくれる)をきっかけに、容体も持ち直して再び学校へ通えるようになります。
 そして、次第に、自分自身も、学校の他の子どもたちも、みんな誰かの生まれ変わりであり、その新しい子どもたちになるために、「僕らは、このように学校に来て、みんなで一緒に勉強したり遊んだりしているのだ。」と考えるようになります。
 ここには、すでに国で決められたことを画一的に教える教師たちの姿はなく、「言葉」を媒介にして主体的に勉強したり遊んだりする子供たちが学校の主人公であることが明確に語られています。
 これらのことは、教育界に限ったことではなく、児童文学の世界でもまったく同様です。
 戦中は子どもたちを戦場へおくるのに積極的に手を貸すような作品を書きながら、戦後は何の反省の弁もないまま、手のひら返しで平和主義の作品を出版した児童文学者たちも存在します。

 後者は、作者が障碍者の親になって、子どもが「特殊学級」や「養護学校」に通うようになった時に、環境になじめない自分の子どもを見ながら、「三人で村に帰って、森のなかの高いところの草原に建てた家で暮らすことにしたらどうだろうか?」と夢想する時です。
 もちろん、高名な文学者(当時は今とは全く比べにならないほど純文学の本は売れていましたし、作者はその中でもナンバーワンの人気作家でしたから、経済的にかなりゆとりがあったことでしょう)である作者でなければそんなことは実現はできないわけですが、学校に苦しむ子どもたちの親ならば同様の思いを抱いたことがあると思います。
 しかし、その後、作者の子どもは、学校に自分自身の居場所(ここでも、それは教師との関係ではなく、自分と似たような仲のいい友だちの存在であったことは、象徴的です)を見つけます。
 そして、作者は「自分をしっかり理解し、他の人たちとつながっていく言葉(国語だけでなく、理科も算数も、体操も音楽も、外国語も)を習うために、いつの世の中でも、子供は学校へ行くのだ」と主張しています。
 私は、作者ほど学校という制度(教師だけでなく)に信頼をおいていないので、学校は楽しければ通えばいいし、楽しくなければ通わなければいいと思っています。
 自分自身を振り返ってみても、小学校から大学までズル休みばかり(ひどいときには一学期の間に数週間分も)していたのですが、小学五年生、中学三年生、高校二年生、高校三年生、大学二年生の時だけは、全出席(もともと病気は全くしなかったので)だったと思います。
 そんな時は、いつも仲の良い友だちや好きな女の子が学校にいました。
 そういった意味では、作者の主張も、ある程度はあてはまるのかなとも思っています。


「自分の木」の下で (朝日文庫)
クリエーター情報なし
朝日新聞社


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サキ「休養」サキ短編集所収

2019-10-01 09:27:48 | 作品論
 選挙活動中で疲れている代議士候補を、休養させて一晩でも政治のことを忘れさせるために、支持者の有力者夫人が屋敷に招きます。
 しかし、ここでも彼は政治のことを忘れられません。
 その晩、いたずら好きの夫人の十六歳の姪の大嘘に騙されて、子ブタと軍鶏を寝室に預かるはめになってしまいます。
 彼らの巻き起こす大騒動のために、彼は一睡もできませんでした。
 でも、姪は、彼に一晩政治を忘れさせることに成功したのです。
 この作品でも、鮮やかな切れ味とブラックな味わいを堪能させてくれます。
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