現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

スズキコージ「サルビルサ」

2018-02-27 08:41:55 | 作品論
1996年8月初刷の斬新な絵本です。
 私が読んだのは、2000年12月の2刷ですから、前衛過ぎてあまり売れてないのかもしれません。
 この絵本も、児童文学研究者の石井直人が「現代児童文学の条件」(「研究 日本の児童文学 4 現代児童文学の可能性」所収、その記事を参照してください)において、赤羽末吉の「おおきなおおきなおいも」や長新太の「キャベツくん」などと並べて、「これらの絵本の画面には、およそ(読者の)「内面」に回収できない、とんでもない力が充溢している。」と、評しています。
 この絵本には日本語の文章は一切なく、サルビとビルサという対立する二か国の戦闘が、互いに言葉をさかさまにする例えば「ジモ レビ ビルサ カナズ」と「ズナカ サルビ ビレ モジ」といった具合に延々と繰り返されます。
 グラフィックスがあまり発達していなかった頃の、テレビゲームの戦闘ゲームのような雰囲気があります。 
 おそらく、話し合う言葉(それだけでなく人種や宗教や風俗も)の違う国同士が、お互いに理解し合わないために戦争することを風刺していると思われますが、正直言ってよくわかりません。
 確かに絵は迫力があるのですが、おそらくこの絵本を面白がるのは子どもではなく前衛美術好きの大人でしょう。

サルビルサ
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架空社
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大橋眞由美「欲望する主体の構築」

2018-02-22 17:23:19 | 参考情報
 日本児童文学学会の第51回研究大会で、発表された研究発表です。
 戦時中の有名な標語である「欲しがりません勝つまでは」は、1942年に公募されたものだったそうです。
 大橋は、「欲しがりません」という以上は、それ以前に<欲望する主体>が構築されていたはずだと推測しました。
 そして、幼児メディアの中に、そのことを象徴するポーズを発見したと主張します。
 ここで幼年メディアとは、絵雑誌と絵本を指します。
 大橋は、「お伽絵解 こども」の中にそれを見出し、特に3巻6号(1906年)の「貞ちゃん」の<頂戴のポーズ>をしている幼児像に着目します。     
 これらの絵は、すべてベースの物語は「桃太郎」を使っています。
 その中に、<頂戴のポーズ>をしている物が七点あります。
 「貞ちゃん」は、物が渡されているのが少年から女児であること、渡している物が兵士人形であること、男女の大きさの違いがデフォルメされていること、そのポーズ自体などにおいて、<頂戴のポーズ>の典型としています。
 このわずかの資料から、社会構成主義の理論を使って、ジェンダー(男性と女性の差異的関係性)やナショナリズムの形成との関係にまで探求していった、大橋の論理展開や推測力には驚かされました。
 また、「お伽絵解 こども」は全ページ多色刷りなので、プロジェクターをうまく使ってそれぞれの絵をカラーで見せたのも、プレゼンテーションに迫真性を持たせていて効果的でした。
 さらに、三十年以上後の1938年3月の「一目でわかる最近五十年間日本躍進絵本」にも、<頂戴のポーズ>をする大人の男女の絵があり、その関連性が興味深く感じられました。
 ただし、発見された<頂戴のポーズ>は今回紹介された二例のみで、その間をつなぐものを探しているそうです。
 会場からは、「近代以前にも女性が<頂戴のポーズ>をしたものがある」との指摘があり、今後の研究が広がる可能性が感じられました。

近代以前の児童文学 (研究=日本の児童文学)
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東京書籍
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アーサー・ビナード「さがしています」

2018-02-21 08:56:48 | 作品論
 2012年7月20日に出た、岡倉禎志の写真による戦争児童文学です。
 広島の平和記念資料館の地下収蔵庫にある2万1千点の中から選ばれた14点の遺品が、静かにピカドン(ビナードによれば、原子爆弾や核兵器は核開発を進めた人たちの呼び名で、ピカドンが生活者が生み出した言葉とのことです)の恐ろしさを告発していきます。
 14点の遺品は、時計、軍手、鉄瓶、眼鏡、日記帳、弁当箱、ワンピース、鍵束、革靴、義歯、非常袋、ビー玉、学帽、人影の石です。
 それぞれビナードの抑制のきいた文章で、今も帰らぬ持ち主をさがしていることが語られます。
 戦争体験を過去の話とするのではなく、今も残る遺品に現在のこととして語らせているのがこの本の優れた点だと思います。
 被爆というメモリー(国民の記憶)を繰り返し更新していくことは、それらが風化するのを防ぐために重要な作業だと思います。
 それを、現在の人たち、特に若い世代に伝えるためには、この本のような工夫が必要だと思います。
 また、被害者である生活者たちと、加害者でもあった日本という国を峻別する言葉遣いが見事です。 
 そして、本文では原子爆弾や核兵器という言葉は使わずに、ウランとか放射能という用語を使うことによって、暗黙のうちに福島第一原発の事故と結びつけて、放射能被害が過去でなく現在の問題であることを表現しています。
 戦争児童文学は私の児童文学における読書体験や創作体験では一番手薄な分野でしたが、2012年10月27日と28日の日本児童文学学会の大会の中で行われたラウンドテーブル「<記憶>の伝達を考える――「戦争児童文学」という枠からの脱出」(その記事を参照してください)に向けて課題図書を集中的に読んだことより、「現代児童文学」の中の無視できない大きな領域であることが改めて認識できたので、研究の対象に含めるようにしました。

さがしています (単行本絵本)
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童心社
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岡田淳「願いのかなうまがり角」

2018-02-19 08:56:39 | 作品論
 児童文学研究者の宮川健郎は「声をもとめて」という論文(その記事を参照してください)の中で、「声が聞こえてくる」幼年文学のひとつとして、この作品をあげています。
 主人公が小学三年生で内容もそのグレードに合わせてあるので、幼年文学と一般の児童文学の境界に位置します(出版社の分類でいうと中学年向けとなります)。
 おじいちゃんの途方もない「ホラ話」が七個も載っています。
 おじいちゃんがボケで、主人公がツッコミという役回りで、ほとんどが会話で構成されているので、漫才を聴くような味わいがあります。
 作者は関西人なので、この関西弁の漫才の間の良さは天性の物でしょう。
 これもまた、おじいさんと孫の男の子の理想形なのでしょうが、生活感を廃して「ホラ話」に徹しているので、嫌味なく受け入れられます。
 これは2012年度の日本児童文学者協会賞の候補作だったのですが、残念ながら受賞しませんでした。
 幼年文学でエンターテインメントに近い作品なので、まだハードルが高いのでしょう。
 他の記事にも書きましたが、幼年文学とエンターテインメントが今の児童文学の主流なのですから、そろそろ賞の基準を見直した方がいいかもしれません。


願いのかなうまがり角 (岡田淳の本―ファンタジーの森で)
クリエーター情報なし
偕成社


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グードルン・パウゼヴァング「それには勇気がいる」そこに僕らは居合わせた所収

2018-02-18 09:13:01 | 作品論
 カールとヨハンは、小さいころからの仲良しでした。
 二人は、森の中に秘密の洞窟を持っていました。
 戦争が始まり、とうとうヨハンにも召集令状がきました。
 カールは、警察官をしていた時に片目を失っていたので、召集は免れました。
 六人の子どもたちのためにも生きていたかったヨハンは、一人で洞窟に隠れます。
 戦争が終わるまで、カールはヨハンの食糧を、こっそりと洞窟に運び続けました。
 戦争が終わって、カールは真っ先にヨハンを迎えに行きました。
 二人の友情は、カールが八十九歳で亡くなるまで続きました。
 いつの戦争にも、徴兵を忌避した人々はいました。
 有名な話では、ボクサーのモハメド・アリが、宗教上の理由でベトナム戦争の徴兵を拒否したために、彼は世界チャンピオンベルトを剥奪され、選手としてのもっとも脂ののる時期を三年間も、刑務所と裁判に費やさなければなりませんでした。
 戦時下に徴兵を忌避することには賛否の意見があるでしょうが、日本の戦争児童文学でももっと取り上げなければならないテーマだと思います。

そこに僕らは居合わせた―― 語り伝える、ナチス・ドイツ下の記憶
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みすず書房
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村上龍「空を飛ぶ夢をもう一度」55歳からのハローライフ所収

2018-02-17 08:34:45 | 参考文献
 この作品でも恵まれない初老の人物を描いています。
 主人公は、小さな出版社をリストラされて、アルバイトの交通誘導員の仕事も腰痛で休みがちのため、派遣紹介会社を転々としています。
 妻もパート先のスーパーをリストラされ、家賃や大学生の息子の学費のために、なけなしの貯金や退職金も底をつきそうです。
 主人公は、自分がホームレスに転落するのではないかとおびえています。
 そんな時、本当のホームレスになった旧友と再会し、彼が死ぬ前に、苦労して母親のもとに届けてあげます。
 そして、それをきっかけに主人公は立ち直ろうとします。
 すじだけ見ると、すごくいいお話なのですが、なぜか素直に感動できません。
 題材をよく調べてはあるのですが、村上の書き方がどこかよそ事なのです。
 いくら主人公と同世代でも、若いころから成功をおさめ、お金に困ったことのないであろう村上にとっては、別世界の事なのでしょう。
 対象に対しての作者の深い共感がないと、読者が作品世界にシンパシーを持てないのは当然のことです。

55歳からのハローライフ
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幻冬舎
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鶴川健吉「すなまわり」すなまわり所収

2018-02-16 08:45:32 | 参考文献
 第149回芥川賞候補作です。
 若い行司と、その視点から見える大相撲の世界の裏側が丹念に書かれています。
 作者の経歴を見ると、高校中退後に行司として相撲部屋に入門しているので、実体験なのでしょう。
 俗に「誰でも一生に一作は傑作が書ける。それは自分だけしか書けないことを書けばよい」と言われますが、まさにこの作品の世界は作者だけしか書けないものです。
 そういった未知の世界が描かれていることが、芥川賞の候補作を選ぶときに評価されたのでしょう。
 おそらくこの本は、芥川賞の候補になったことで出版されたのだと思われます(三年前に文学界新人賞を受賞した作品との合わせ技で)。
 かつて偕成社の名編集者だった相原法則氏は、「一冊目を出すのはそれほど難しくない。難しいのは二冊目だ」と言っていましたが、作者の場合、行司を辞める時のことを書けば大丈夫かもしれません。
 しかし、純文学の書き手としての生活を考えると、そこには大きな困難が待ち受けていることは他の記事でも繰り返し述べてきました。
 現に、文学界新人賞から初めての本を出すまでに三年間かかったわけですし、この本も芥川賞受賞作ではないのですから、それほど売れないでしょう。
 作者にとって、これから生活と創作をどう両立させていくかが大きな勝負所だと思われます。

すなまわり
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文藝春秋
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三田完「ファインプレイ」黄金街所収

2018-02-15 17:29:09 | 参考文献
 長唄三味線で文化大臣賞を受賞した女性がかつて秘技を持ったソープ嬢だったことを、コピーライターが回想する話です。
 かつてのバブル時代の雰囲気を懐かしむ話で、また一種の風流譚なのですが、いまだにこういう古めかしいエンターテインメントでも一定の読者がいるのでしょう。
 また、エンターテインメント紹介とはいえ、大新聞の書評欄である程度評価されているのは驚きです。
 書評担当者は、この作品のどこに新しさを見出したのか、大いに疑問です。
 
黄金街
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講談社
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工藤純子「恋する和パティシェール5」

2018-02-10 09:06:00 | 作品論
 人気シリーズの5巻目です。
 ある同人誌の合評会で、「パターン化しすぎている」「新しいチャレンジをしてほしい」といった意見が出ていましたが、いずれも的外れのような気がします。
 こういったシリーズ物のエンターテイメント作品では、読者はパターン化した作品こそを期待しているのです。
 シリーズ物での「パターン化」は、作者、出版社、読者のいずれにも、「物語消費」を効率よく実現する手段なのです。
 これらの作品は、あくまでも消費財なのですから、効率を求めるのは当然でしょう。
 作者の「新しいチャレンジ」は、別の作品あるいはシリーズで行われるべきです。
 もちろん、それが売れるかどうかは別の話ですが。

恋する和パティシエール5 決戦! 友情のもちふわドーナツ (ポプラ物語館)
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ポプラ社
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近江屋一朗「スーパーミラクルかくれんぼ!!」

2018-02-09 16:08:22 | 作品論
 ある同人誌の合評会の課題図書の一つとして、この作品が提出されていました。
 こういった純粋なエンターテインメント作品を、同人誌の合評に出す作者のモチベーションはどこにあるのか興味を持ちました。
 この本の商品性を議論するのであれば、編集者とやれば十分なのではないかと思っていたのですが、この同人誌の参加者がエンターテインメントよりの人が増えているので、今までもお互いにアイデアを出し合っていたようです。
 そういった意味では、作者は合評から得る物があるのでしょう。
 もっとも、現代の児童文学全体が、「文学」から「エンターテインメント的な読み物」にシフトしているので、この同人誌でもそれが反映されているのだと思われます。
 また、この作品はシリーズ物なのだそうで、そういった作品を書くことのポイントはどこにあるのかも関心があったのですが、作者は初めはシリーズで出すつもりはなかったのだが思ったよりも売れたので、編集者からシリーズ化がすすめられたのだそうです。
 この発言は現在の児童書の出版状況を率直に反映しているのですが、二作目以降は完全な後付けにすぎないようです。
 一年一組シリーズなどを書いた後藤竜二は、「二作目以降はアンサーソングでいいのだ」言っていたそうですが、この作者のような新人はいつも全力で書かなければならないでしょう。
 作者はすごいスピードでこのシリーズの新作を出しているようですが、ここらあたりで自分が本当に書きたいものを考えないといけないのかもしれません。
 また、この本のような最近の児童文庫作品は、かなり漫画に近接した領域だと思われますが、作者は漫画とは面白さの質が違うので児童読み物ではもっと人間性を描いていきたいのだそうです。

スーパーミラクルかくれんぼ!! (集英社みらい文庫)
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集英社
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宮澤賢治著「グスコー・ブドリの傳記」

2018-02-08 17:18:16 | 参考文献
 今回考察しているのは、賢治の後期の代表作の一つである「グスコーブドリの伝記」についてですが、作品論ではありません。
 1941年4月20日に羽田書店から第1刷が発行された、宮澤賢治著「グスコー・ブドリの傳記」という本についてです。
 もちろん本物の初版本ではありません。
 この本は、ほるぷ出版より1974年10月1日に第1刷が出た、「名著復刻日本児童文学館第二集」に含まれていたので、今も私の書棚にあるのです。
 私は1977年に外資系の電機メーカーに就職したのですが、なぜか会社へホルプ社がこの全集を売り込みに来ていました。
 この全集の第一集、第二集は両方でうん十万円もしたので、私は四月と五月の給料、そして初めての夏のボーナスもはたいて買いました。
 それは、「就職で中断するけれど、いつか児童文学の研究を再開するぞ」との、決意表明のようなものだったのかもしれません。
 その時、私以外にこの全集を買ったのは社長だけだったと、販売員が言っていました。
 どの本も、出版当時の様子を今に伝えていて素晴らしいのですが、その中でもこの本は思い出深いものです。
 賢治の生まれ故郷である花巻に取材した横井弘三による、たくさんの素晴らしい挿繪と装幀に飾られた豪華な本になっています。
 太平洋戦争勃発直前の発行時期を考慮すると、この本がいかに重要視されていたかが推察されます。
 この短編集は、冒頭にあの有名な「雨ニモマケズ」の詩が掲げられ、以下の八篇がおさめられています。
「北守将軍と三人兄弟の醫者」
「祭りの晩」
「ざしき童の話」
「よだかの星」
「注文の多い料理店」
「烏の北斗七星」
「雁の童子」
「グスコー・ブドリの傳記」
 生前に自費出版された「注文の多い料理店」にも含まれていた二編も含めて、賢治の短編の中でも生前に雑誌などに掲載されていたものを中心に選ばれています。
 表題作の「グスコー・ブドリの傳記」は、最後に雑誌に発表されたもので、賢治の多様な作品の特徴の一つである「自己犠牲」を表現した代表作です。
 「みんなの幸福のため」に一人死地におもむくブドリのラストシーンは、私は何度読んでも涙がこみあげてくるのを抑えられません。
 これは私の個人的な想像なのですが、手塚治虫のアニメ「鉄腕アトム」の最終回で、アトムが地球を守るためにロケットを抱えて太陽に突っ込んでいくラストシーン(これも何度観ても私は泣けます)には、このブドリの影響が強く感じられます。
 賢治は1933年に37歳で亡くなるのですが、生前は全国的にはほとんど無名で自費出版の詩集「春と修羅」と童話集「注文の料理店」を出しただけです。
 ところが、死後遺稿がだんだんに明らかになるにつれて有名になり、戦前、戦中、戦後、そして現在でも、多くの読者に読み続けられている日本ではほとんど唯一の童話作家となりました。
 著作権が切れた関係もあり、今でも毎年相当数の童話集や絵本が出版され続けています。
 また、賢治だけを研究する宮沢賢治学会イーハトーブセンターも1990年に設立されています(私も会員です。その記事を参照してください)。
 1950年代から1960年代にかけて、日本の近代童話(小川未明、浜田広介、坪田譲治などに代表される)を批判して、現代日本児童文学が出発した時も、賢治は千葉省三や新見南吉などとともに批判の対象外でした。
 それは、戦中に多くの児童文学者が戦争協力をするような作品を書いた(あるいは沈黙した)ために、戦後に批判の対象になったこととも関係があります。
 なぜなら、賢治が戦争協力の批判を浴びなかったのは、満州事変はすでに起きていたものの戦争が本格化する前に亡くなっていたからです。
 ただ、「グスコー・ブドリの傳記」の本をじっくり眺めていると、一つの疑問が浮かび上がってきました。
「なぜ、戦時中も、賢治の作品は高く評価されたのだろうか?」
 もちろん、賢治の作品が持つ高い文学性が一番の理由でしょう。
 しかし、それだけでしょうか?
 この本の巻末を見ると、以下のような本の広告が載っています。
「軍用資源 秘密保護法」
「軍機保護法」
「若きドイツ」ヒットラー・ユーゲントを紹介した本のようです。
 これらの本を出している出版社が、賢治の本を、特に「グスコー・ブドリの傳記」を前面に出して出版していることにある意図を感じます。
 賢治の「自己犠牲」の精神は、戦時中には国家への「滅私奉公」として悪用されていた恐れはないでしょうか。
 ここで、少国民文学の研究家でもある児童読み物作家の山中恒が、インタビューで宮沢賢治の影響を問われて語っていた言葉がよみがえってきます。
「最初はかなり影響受けたけど、よしゃよかったんだけどさ、宮沢賢治、右翼だったんだよね。すごいやつ。論文なんか読んじゃったら「もうこれアカンわ」「日蓮さん勘弁してよ」って感じ。だから、宮沢賢治はいい時に死んだと思ってるの。生きてたら、ガリガリの戦争(賛美)児童文学書いたと思う。激しく。」(「インタビュー山中恒「50年代の早大童話会、「少年文学」をふりかえって」」早大児文サークル史所収、その記事を参照してください)
 これから、賢治が現代日本児童文学に与えた影響についても考察していきたいと考えています。

 
日本児童文学館〈第2集 30〉グスコー・ブドリの伝記―名著複刻 (1974年)
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ほるぷ出版



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イターロ・カルヴィーノ「太陽と砂とねむりの安息日」マルコヴァルドさんの四季所収

2018-02-08 17:11:01 | 作品論
 今度も民間療法の話です。
 マルコヴァルドさんは、持病のリューマチの治療に、医者に「海岸の熱い砂にうまるのがいちばんだ」と言われます。
 お金のないマルコヴァルドさんは、川岸に行って砂掘り人夫たちの目を盗んで、砂を積み込んだはしけに乗り込み、子どもたちに命じて横になった自分を埋めさせます。
 しかし、はしけを岸につなぎとめていた綱がほどけ、川へ流れ出してしまいます。
 その先には滝が…。
 例によって、最後はドタバタで終わるのですが、作者得意のユーモアはもう一つの感じです。

マルコヴァルドさんの四季 (岩波少年文庫)
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岩波書店
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本谷有希子「マゴッチギャオの夜、いつも通り」嵐のピクニック所収

2018-02-07 09:02:50 | 参考文献
 猿山に連れられてきた人間に育てられたチンパンジーのゴードンは、猿の群れに襲われてけがをしますが、猿のマゴッチギャオと知り合います。
 その晩、襲ってきた人間たちにゴードンは殺されますが、マゴッチギャオの起こした奇蹟により復活します。
 不思議な味わいを持ったファンタジーで、一種のヤングアダルト向け児童文学といってもいいと思います。

嵐のピクニック
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講談社
  
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本谷有希子「人間袋とじ」嵐のピクニック所収

2018-02-06 08:51:30 | 参考文献
 足のしもやけを利用して、指を袋とじのようにくっつける女と、それを裂くのを頼まれる彼氏の話です。
 それぞれの指には、二人のイニシャルが安全ピンで彫ったタトゥーが入っていて、それを裂くことは二人の危うげな関係を象徴しているようです。
 作者の意図はわかるのですが、しもやけで指をくっつけたり、安全ピンでタトゥーを彫るのが、生理的に受け付けなくて気持ち悪かったです。
 児童文学の世界でも、絵本などで気持ちの悪い露悪趣味の作品は結構あります。

嵐のピクニック
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講談社
  
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村上龍「トラベルヘルパー」55歳からのハローライフ所収

2018-02-05 08:28:41 | 参考文献
 六十過ぎのトラックドライバーの、老いらくの恋の結末を描いた作品です。
 偶然の多用、極端な設定、キャラクターの際立つ登場人物、とってつけたような楽天的な結末。
 そう、これは典型的なエンターテインメントの手法で書かれた小説なのです。
 村上春樹も村上龍も、それぞれ違う形ではありますが、限りなくエンターテインメントに近づいていっています。
 これは、現在の文学に読者が求めている物の反映なのでしょう。
 二人の極めて時代に敏感な作家たちは、それを的確に察知して転身をとげているようです。
 児童文学の世界では、那須正幹、岡田淳、あさのあつこ、上橋菜穂子、荻原規子などが、このような転身をとげて、時代の変化を切り抜けています。

55歳からのハローライフ
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幻冬舎
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