現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

宮沢賢治「めくらぶだうと虹」校本宮澤賢治全集第七巻所収

2020-07-30 06:04:04 | 作品論
 1918年(大正7年)の作だとされている初期作品時代(「注文の多い料理店」出版以前)の作品です。
 賢治の宗教的な作品系列に属し、地にあるめくらぶどうと天にある虹の対比により、生きていくことの意味を考えさせてくれます。
 ややセンチメンタルな感じも受ける、若者らしい清新な情感のこもった美しい作品です。
 自然描写と共に、賢治の心の内部を写し出しています(いわゆる心象スケッチですね)。
 真理の追求、自己犠牲、真理を美に見いだす、など、賢治の創作理念が、かなり生な形で現れています。


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宮澤賢治「蜘蛛となめくぢと狸」校本宮澤賢治全集第七巻所収

2020-07-27 17:02:22 | 参考文献
 現在でも読み継がれている作品が多い賢治ですが、この作品は今ではあまり読まれていないでしょう。
 寓意が露骨(ラストに「三人とも地獄行きのマラソン競走をしてゐたのです」と明記されています)ですし、残酷なシーンもたくさんあります。
 それに、賢治ファンの大好きな美しいシーンも、感性に優れた描写もありません。
 しかし、この作品には、賢治作品の背景である生の多難、東北の貧困や飢餓、宗教への憧れと疑いなどがはっきりと示されていて興味深いです。
 また、文章のリズムや用語の使い方の巧みさなど、他の賢治作品と共通する美点もたくさんあります。

宮澤賢治傑作選4 よだかの星、黄いろのトマト、森狼と笊森、蜘蛛となめくじと狸、貝の火など7作品
クリエーター情報なし
株式会社 トータルメディア研究所
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廃部

2020-07-26 09:19:20 | 作品
春休みの中学校のグラウンド。
啓太たち野球部が、練習をしていた。
新三年が五人、新二年が六人、合わせて十一人しかいないから、かなり寂しい練習光景だ。人数が足りないから紅白戦もできない。昨年の夏に前の三年生たちが引退してから、こんな状況がずっと続いていた。
今はシートバッティングをしているが、守備についている九人とバッター、それにネクストバッティングサークルにいる次のバッターでぴったり全員だった。
三年生の啓太は、野球部のキャプテンだ。そんな弱小チームでも、引っ張っていかなければならない立場だった。啓太なりに一生懸命やっているつもりだが、なかなかチームの雰囲気は盛り上がらないでいた。
次の朝、啓太が部室でユニフォームに着替えていると、二年生のうちの五人が一緒に入って来た。
五人は着替えをしようともせずに、啓太のそばへやってきた
「なんか、用か?」
 啓太が尋ねると、五人はしばらくもじもじしていたが、やがて押し出されるようにして、ショートを守っている章吾が前に出てきた。
「野球部を退部したいんです」
章吾は、思い切ったようにそういい出した。
「えっ、どうして?」
 啓太がびっくりしていると、
「隼人がいばっているので、もう一緒にやりたくないんです」
 啓太には寝耳に水の話だった。隼人というのは、二年生の残りの一人だった。二年生ながらエースピッチャーで、チームの中心選手だった。どうやら、そのことを鼻にかけて、他の二年生に対して横柄な態度を取るようになっていたらしい。
いつのまにか、そんな隼人に対して、他の五人が反発していたらしかった。
そういった二年生たちの様子を把握していなかった啓太は、
(俺はキャプテン失格だな)
と、内心思った。
今年の野球部は、三年は三年、二年は二年で固まっていて、他の学年の様子まではわからなかったのだ。
三年生は啓太も含めてみんな仲良くやれていたので、二年生もうまくいっているとなんとなく思い込んでいた。

啓太は、その日の練習が終わった後、野球部の顧問の小野寺先生を職員室に訪ねた。
「先生」
 啓太は、先生の机のそばまで行って声をかけた。
「おう、吉野か。どうした?」
 事情を知らない先生は、明るい笑顔で啓太を迎えてくれた。
「実は、……」
 啓太は、二年生たちの退部希望について、先生に説明をした。
「そうか」
 先生にとっても退部の件は初耳だったらしく、啓太の話を聞いて驚いていた。
「先生、このままでは野球部はやっていけません。なんとか思いとどまるように、五人を説得していただけませんか?」
「ああ、それで、原因の隼人の方はどうする?」
「それは、ぼくの方から話をして、態度を改めさせるようにしますから」
「よし、わかった。五人を呼んで話をしてみよう」
 先生は、そう言ってくれたが、
「でも、結果にはあんまり期待しないでくれよな」
と、付け加えた。
先生は一応顧問をしていたが、野球のことはあまり詳しくなくて、チームのことは啓太にまかせっきりだった。本当は付き添わなければならない練習の時もさぼる方が多かった。五人の説得にも、そんなに乗り気ではなさそうだ。もしかすると、野球部が廃部になれば、やっかいばらいができると思っているのかもしれない。

啓太は、すぐに部室へ隼人だけをよんだ。
「隼人。お前を除く二年生が全員辞めたいって言ってきたんだ」
 啓太は、単刀直入に隼人の態度が原因だということも伝えた。
「そんなこと言われても、……」
 初め、隼人はいろいろ言い訳をしていたが、最後には自分が原因だということを認めて、みんなへの態度を改めることを約束した。
 啓太は、そのことをすぐに小野沢先生に伝えて、五人を説得してくれるように改めてお願いした。
小野沢先生は、さっそく五人をよんで話をしてくれた。隼人のことも伝えてくれたとのことだ。
しかし、五人の退部の決意は固かった。どうやら、隼人に反発しているうちに野球自体への興味も失ってしまったようなのだ。
けっきょく、六人いた野球部の新二年生のうち、五人が辞めてしまった。
ちょうど新学年が始まるので、彼らにとっては辞めるにはいい時期だった。部活の変更を行うことが容易だったからだ。
五人の二年生たちは、二人はソフトテニス部へ、二人はバスケット部へ、一人はブラスバンド部に移っていった。
これで、野球部の部員は、たった六人になってしまった。もともと十一人しかいなかった野球部にとって、五人の退部は大きな問題だった。
野球は九人でやるスポーツだから、このままでは部活として成立しない、つまり廃部の危機だったのだ。
なんとか最低でも三人の新一年生を入れて、九人をそろえなければならなくなってしまった。

体育館で行われたクラブ活動の説明会では、各クラブの代表者が新人の勧誘をした。
野球部の順番がきたので、啓太は壇上に上がって話し出した。
「練習は、月、水、金の三回です。土日には、練習試合が行われることがあります。郡大会は、七月と十一月に行われます。それから、八月に新人戦もあります。部員は、三年生が五人、二年生が一人の合計六人です。だから、入部したらすぐにレギュラーになれます」
 最後に啓太がそういうと、一年生の中から笑い声が起こった。なかなか手ごたえはよさそうだ。
啓太たち野球部員は、一年生のクラスにも、直接勧誘に行った。ターゲットは、みんな少年野球チームの後輩たちなので話はしやすかった。
へたくそながら、勧誘のポスターも作って、掲示板や一年のクラスの前の廊下にも貼り出した。
でも、けっきょくは誰も入部しなかった。
三年が抜けたら、二年生は一人しかいないので、一年生が八人以上はいらなかったら、どっちみち二学期には廃部になってしまうとの噂がながれたためだった。
啓太は、小野寺先生に呼ばれて職員室へ行った。
「石川、とうとう一年は誰も入らなかったな」
 先生は、いきなりそう切り出した。
「はあ」
 啓太は、先生の心づもりがわからないままここへ来ていた・
「それで、これからどうする?」
 先生は、啓太の顔を見つめながら厳しい表情をしている。
「どうするっていっても」
「このままじゃ。練習試合もできないだろう」
「……」
 啓太が黙っていると、先生は続けていった。
「練習を続けても試合がないんじゃあ、目標がないだろう」
けっきょく、これからのことは、部員で相談して決めることになった。

部室でみんなの意見を聞くと、野球部を続けようというのは、啓太以外には二年の隼人しかいなかった。
啓太以外の三年部員は、意外にあっさりと野球をあきらめてしまっているようだった。
けっきょく、多数決で野球部は廃部することになった
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葬送

2020-07-23 14:24:15 | 作品
 また朝が来た。
 芳樹は、やっぱりいつものように気分がすぐれなかった。胸がむかむかして、とても起き上がれない感じだった。今日も学校には行かれそうにない。
 芳樹はベッドの中で、いつまでもぐずぐずしていた。
 その時、ドアを控えめにノックする音がした。
「なに?」
 芳樹がベッドの中から返事をすると、
「よっちゃん、ちょっといいかな」
 とうさんの声がした。
(えっ?)
 枕もとの目覚まし時計を見た。もう七時半を過ぎている。いつもなら、とうさんはとっくに会社にでかけている時刻だ。
「うん、なんだよ」
 芳樹は、いつものように不機嫌な声を出してみせた。
「今日は熊谷のおばさんの葬式なんだけど、よかったら一緒に行かないかと思って」
 とうさんは、ドアの向こう側から遠慮がちに言った。おばさんというのはおとうさんからみてなので、芳樹には大おばさんにあたる。おととい、老衰のために九十二歳で亡くなったことは、かあさんから聞いていた。
「うーん、どうしようかな」
 芳樹は、枕を胸にかかえこんだ。芳樹が小学校低学年のころ、毎年夏休みに遊びに行った時に、大おばさんにはかわいがってもらっていた。
 それに、どうせ今日もこれといってやることはなかった。
 しばらく黙っていたが、
「……、じゃあ、行くよ」
 と、とうさんに返事をした。

 先月から、芳樹はまったく学校へ行かなくなっていた。いわゆる不登校というやつだ。
 朝、学校へ行こうとしても、ベッドから起き上がることができなかった。無理して起きようとすると、気分が悪くなってしまう。
(学校へ行かなくては)
 そう思うと、すっぱい液体が口の中にこみあげてくる。無理に起き上がると、吐いてしまいそうだ。
「よっちゃん、時間よ」
 毎朝、部屋の外から、かあさんの遠慮がちな声が聞こえてくる。
「うーん」
 どうしても起き上がることができない。芳樹はそのままベッドに横になっていた。
「どうする?」
 しばらくして、かあさんがまたたずねてきた。
「無理みたい」
 芳樹が答えると、
「ごはんはどうするの?」
「うーん、後で」
 芳樹は、またふとんをかぶって眠り始めた。
 学校へ行かないと決めると、なんだかほっとしたような気分だった。芳樹は安心して、またぐっすりと眠った。

 芳樹ととうさんは、中央線で東京駅まで出て、そこで上越新幹線に乗り換えた。
 熊谷までの停車駅は、上野と大宮しかない。新幹線は、あっという間に熊谷に着いてしまった。
 駅前でタクシーに乗った。
「メモリアル彩雲までお願いします」
 とうさんが運転手にいった。それが葬儀場の名前らしい。
「あんまり変わりばえがしないなあ」
 車窓から見える市内の風景を見ながら、とうさんがつぶやいた。とうさんの話だと、浦和と大宮が合併してさいたま市ができて完全に埼玉県の中心になって以来、昔は県北部の中心地であった熊谷市はますますさびれているらしい。
 葬儀場には、十分ぐらいで着いた。
 入り口付近には、もう大勢の人たちが集まっている。
「やっちゃん、遠くからどうも」
 芳樹たちがタクシーから降りると、喪服を着た美代子おばさんが声をかけてきた。芳樹のとうさんのいとこで熊谷のおばさんの子どもの一人だ。
「このたびはご愁傷様です」
 とうさんが頭をさげている。
「あれ、おにいちゃんの方かしら?」
 おばさんが、芳樹を見ながら言った。
「弟の芳樹。学校が休みだったから連れてきた」
 とうさんが、うまく説明してくれた。まさか、芳樹が不登校になっているなんて、元気な小学生だったころしか知らないおばさんには、ぜんぜん想像できないだろう。
「あらー、大きくなっちゃって。おにいちゃんの方かと思ったわよ」
 美代子おばさんは、大げさに驚いてみせている。 
 芳樹はとうさんに続いて、葬儀場に入っていった。
 式場の正面に祭壇が飾られ、黒枠の額に入ったおばさんの写真が笑っている。
 まわりにはたくさんの花が飾られて、両側にもたくさんの花かごが並べられていた。その中には、芳樹のとうさんの名前が書いてある花かごもあった。

「それでは、お別れをお願いします」
 係りの人が、まわりを飾っていた花をちぎってお盆の上にのせた。それをみんなでお棺の中に入れる。大おばさんは、お棺の中でたくさんの花に囲まれた。
 芳樹も、おとうさんと一緒に、花を一握り、お棺に入れた。
 その時、初めて遺体と対面した。
 死んだ人を見るのは、初めてではない。おじいちゃんの葬式の時に、おじいちゃんの死に顔を見ている。
 でも、ほほのこけた大おばさんの顔はまるで骸骨のようで、ちょっと薄気味悪かった。
「それでは、これでお別れです」
 係の人はそう言うと、お棺のふたを閉じた。美代子おばさんも含めた何人かの女の人たち、おそらく娘や孫娘たちだろう、が泣き出した。

「準備ができました」
 しばらくして、係の人の声掛けでみんなは火葬室へ戻った。
 そこには、すでに、熊谷のおばさんのお骨が拡げられていた。
 係の人が、大事な骨の幾つかを、そばにいる美代子おばさんたちに説明した後で、二人一組になって、長い箸のようなものでお骨を拾い上げて骨壺に収めていく。
 芳樹も、おとうさんと組になって、大きめの骨を骨壺に入れた。
「働き者だったから、高齢にもかかわらず骨がしっかりしているんだよ」
 終わってから、おとうさんが芳樹にささやいた。
 確かに、あんなに小さくしなびたようになっていたおばあさんだったのに、お骨は、骨壷に入りきれないほどだった。
「それじゃあ。精進落としの会場までは、マイクロバスで移動願います」
 美代子おばさんの夫のヤマちゃんが、大きな声で火葬室を出たみんなに声をかけている。ヤマちゃんの顔を待ち時間に飲んだビールですでに赤かった。みんなは大きな声で話しながら建物外へ向かっている。
「さすが92歳の大往生のお葬式だねえ。ぜんぜん湿っぽい様子がないなあ」
 とうさんが、隣で感心したように言った。
「92歳か」
 芳樹もつぶやいてみた。14歳の芳樹から考えると、はるかかなたのことのようだ。そう思うと、ちょっぴりだけ元気をもらえたような気がしていた。




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弟の人形

2020-07-21 18:51:03 | 作品
「割り算をする時には、……」
 担任の吉田先生が、教壇で算数の授業をしている。三年二組の教室では、みんなが熱心に先生の説明を聞いていた。
 そんな中で、洋治だけは、授業に集中できないでいた。洋治は、机の中からそっと人形を取りだした。テレビの戦隊物、ゴーゴーファイブのゴーゴーレッドの人形だ。
 洋治は、人形を教科書の陰にそっと隠した。
(良平)
 洋治は心の中でつぶやいた。良平というのは、洋治の弟だった。
 洋治は、この人形のことを、良平だと思って大事にしている。いつでもどこに行く時でも、この人形を持っていた。
学校に行く時には、ランドセルに入れている。
学校に着くと、ランドセルから机の中に移した。
そして、帰りは、またランドセルに戻した。
家に戻ると、自分の勉強机の上のいつもの場所に飾っている。
家の外に行く時には、ポケットの中に入れて持っていく。
 本当の弟の良平は、享年病気でOK死んでいた。

 亡くなる一年前に発病してから、良平はずっと病院にいた。
 毎日、学校の帰りに、洋治は病院にお見舞いに行った。
 おかあさんは、病院で良平に付き添っている。家に戻っても誰もいないので、自然と洋治も病院へ行っていたのだ。
 夕方になると、おとうさんもやってきたので、良平の病室はまるで自分たちの家の居間のようだった。
 夜の八時に面会時間が終了すると、三人はおとうさんの運転する車で家に戻った。それから三人の遅い夕食が始まるのだ。
 休みの日にも、一家で洋平の病院へ行くことが多い。
 そんな時は、昼食も病院の食堂で食べていた。
 ゴーゴーレッドの人形は、その良平の形見だ。良平は、このテレビの戦隊物の大ファンだった。病室のベッドのまくら元には、いつも五つの人形が置いてあった。
ゴーゴーレッド、ゴーゴーイエロー、ゴーゴーピンク、ゴーゴーブルー、ゴーゴーブラックだ。
 良平の病室にも、テレビがあった。専用のカードを差し込むと千円で十時間見られるやつだ。
 毎週日曜日には、良平は病室でもゴーゴーファイブを欠かさず見ていた。病院に来ていた洋治も、良平と一緒にゴーゴーファイブを見た。
 その時、良平はまだ幼稚園児だった。病室には、幼稚園の先生や友だちもお見舞いに来てくれた。
 良平は、ゴーゴーファイブがいつか病気をやっつけてくれると、最後までかたく信じていた。

 良平のお通夜には、近所の人や幼稚園の友だちがたくさん来てくれた。
 近所の自治会館にささやかな祭壇が作られた。黒い枠に囲まれた写真の中で、良平がほほえんでいる。いつもの少しはにかんだような笑顔だ。
 花に囲まれた小さな棺が悲しい。良平は、まだこんなに小さかったのだ。
 洋治は、両親と並んで、入り口でみんなにあいさつをしていた。その間も涙が出て止まらなかった。
「石川くん、元気を出してね」
 洋治の担任の吉田先生がなぐさめてくれた。
 良平の主治医だった渡辺先生も来た。
「力が及ばなくて、…」
 先生は、まだ謝罪の言葉を口にしていた。
翌日の告別式にも、みんなが来てくれた。
 最後に、おとうさんが、みんなにお礼のあいさつをした。その横に並んだ洋治は、懸命に涙をこらえていた。
 火葬場で、洋治は良平と最後のお別れをした。
 待っている間、親戚の人たちは待合室でビールを飲んでいる。おとうさんとおかあさんは、みんなにビールをついで回っていた。
 洋治の眼の前にもジュースが置かれている。
 でも、洋治は一口も飲めなかった。
 時間がきて、みんなで良平の骨を拾った。良平の骨は真っ白だった。そして、悲しいほど少ししかなかった。

 良平が亡くなって、洋治は両親との三人暮らしが始まった。
 食卓には、良平が入院するまで使っていた子ども用のいすがそのまま残されている。
 いつも、三人で黙って食事をしていた。
 洋治には、今でも良平がそばにいるような気がする。良平は、いつも陽気に笑い声を立てていた。
 新しい仏壇が買われ、良平の位牌が真ん中に置かれている。仏壇は居間の窓際に置かれた。良平がいつでもみんなと居られるようにするためだ。
仏壇の隣には、今でも祭壇が飾られ、良平の大きな写真が置かれている。祭壇には、良平が好きだったリンゴやバナナ、チョコレートなどが欠かさず供えられていた。もちろん、大好きだったゴーゴーファイブの五人の人形も一緒だ。
 洋治は、そこからゴーゴーレッドをそっと持ち出した。そして、その人形が良平だと思うことにしたのだ。なんだかそうすると、良平を失った悲しみが少しだけ減るような気がした。
 そして、人形は学校へも持っていくようになった。
 洋治は、良平が死んでから、他の人としゃべれなくなってしまっていた。
 学校にはもう友だちはいない。洋治はいつも教室に一人でいる。机の中にそって入れてあるゴーゴーファイブの人形を、覗き込むようにして眺めていた。
(なんで死んだのは、ぼくではなく良平だったのだろう)
 良平はいつも明るくて、家でも幼稚園でも人気者だった。良平は、誰とでもすぐに友だちになった。
(それに比べれば、ぼくなんか、人見知りをするし、人気もない)
 良平が死んでから、洋治の家は火が消えたようだった。おかあさんもおとうさんも、良平を失った悲しみから立ち直れていないでいた。そんな雰囲気を、洋治には取り戻すことができなかった。
(良平ではなく、ぼくが死ねばよかったんだ)
 きっと神様は、ぼくと良平を間違えてしまったのだ。
(ぼくが死んだら、誰か悲しんでくれるだろうか)
 いつもそう思っていた。


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サブウェイ123激突

2020-07-19 17:44:24 | 映画
 2009年公開のアメリカ映画です。
 アメリカ人はこのストーリーがよっぽど好きなのか、原作の「サブウェイ・パニック」の三度目の映画化です。
 1000万ドルの身代金目当て(実際はかげで金に投資していて、事件による高騰でさらに一桁大きな儲けを狙っています)の地下鉄ジャックのストーリーなので、まあよくある話なのですが、映画の中の時間経過と、観客の時間経過が一緒なので、スリルを高めることに成功しています。
 さらに、ひょんなことから犯人との交渉役、さらには身代金の運び役になった男(賄賂を受け取って降格されている)や犯人(市長に不正を暴かれて、投資会社の社長から、服役者に失脚させられている)や市長(不倫のスキャンダルに巻き込まれている)のドラマも描いていて、作品の奥行きを出しています。
 主役のデンゼル・ワシントンと犯人役のジョン・トラボルタが、さすがの演技を見せています。




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荒野のストレンジャー

2020-07-19 13:38:52 | 映画
 1973年公開のアメリカ映画です。
 クリント・イーストウッドが、監督・主演した西部劇です。
 過去に保安官を見殺しにした町の住人たちが、その犯人たちが出獄して復讐に戻ってくるのを恐れています。
 彼らは、クリント・イーストウッド演ずる凄腕のガンマンを用心棒に雇いますが、彼は犯人たちを皆殺しにするだけでなく、町民たちもひどい目に合わせます。
 最後まで主人公の正体はわからないのですが、殺された保安官との関係はほのめかされます(保安官の亡霊?)。
 全体に、ストーリーも、人物造形も、町のセットの作りも、かなり雑で、主人公の超人的なかっこよさばかりが目立ちます。
 この時代のクリント・イーストウッドは、俳優としての人気はあったものの、監督としてはまだまだだったのでしょう。
 黒澤明や、彼が主演した西部劇の監督たちの影響が感じられて、そういった意味では興味深いです。


 
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万引き

2020-07-17 10:25:21 | 作品
 耕平の家では、彼がすべての洗濯をしている。容量が小さいので、毎日洗わなくてはならない。それに、耕平のうちの洗濯機には乾燥機が付いていなかった。いつもは窓の軒先に干していたが、雨などで洗濯物を外に出せない時には、部屋干しにしていた。梅雨の時など雨が続くと、家の中がかび臭くなった。
 耕平は小学校五年生だ。おかあさんと二人暮らしだった。駅から離れた所にある古い木造アパートに住んでいる。
 おとうさんは、病気で二年前に亡くなっていた。その時、それまで住んでいた2DKの賃貸マンションを出て、今の古い1DKのアパートで暮らしている。
 おとうさんが亡くなってからは、おかあさんがずっとフルタイムで働いていた。
 でも、正社員ではない。契約社員といって、いつ会社に契約更新をしてもらえなくなるか分からない、不安定な立場だった。
 おかあさんは、仕事からは早くても七時すぎに帰ってくるので、買い物に行く時間がない。そこで、おかあさんは、前の晩に夕食の献立を考えてメモにしておく。そのメモを持って、耕平が夕食の買い物に出かけている。
 それ以外の買い物も耕平の役目だ。食料品だけでなく、洗剤やその他の日用品もドラッグストアで買ってくる。
 アパートから歩いて五分ぐらいの所にスーパーがある。同じ敷地にドラッグストアもあった。だから、買い物には便利だった。
 おかあさんは、家に帰ってから、二人の遅い夕食の支度をしていた。

 ある日、耕平がいつものスーパーに買い物に行くと、目の前に自分より小さな男の子がいた。二、三年生ぐらいに見える。親と一緒じゃない子がスーパーにいるのは珍しいので、耕平はうしろすがたを何気なく見ていた。もっとも、自分自身もそんな子どもの一人なのだが。
 男の子は、スーパーのかごと手提げ袋を持っている。袋の中にはタオルが入っていた。
売り物でもないタオルが入っているのは、誰が見ても不自然だった。
 突然、男の子がカップ麺を手提げ袋のタオルの下に入れた。
(万引きだ)
 耕平は直感的にそう思った。
 男の子はその後も、スナックやお菓子を次々にタオルの下に入れた。耕平は買い物をやめて、男の子の後をつけていた。
 男の子は、レジを通らずにそのままスーパーを出ていった。幸か不幸か、店の人には万引きを気づかれなかったようだ。
 耕平は買い物をやめて、とっさに男の子の後に続いて店を出ていった。耕平が買おうと思った品物が入った買い物かごは、カートの上に放置したままだ。
 康平が後をつけているのも気づかずに、男の子は歩いて10分ぐらいの所にある、耕平のうちよりもさらに古びたアパートへ入っていった。
 その後も、耕平は同じスーパーで何度も男の子が万引きするのを見かけた。毎回、せいぜい数百円の物しか盗まない。それも調理しないですぐに食べられるものばかりだった。

 とうとう男の子が、店の人に捕まってしまう。お金を払わずに店を出た所を、保安員に捕まったのだ。どうやら前からマークされていたようだ。
 男の子は、事務所へ連れて行かれる。その子は、お金をぜんぜん持っていなかった。
 店の人が、男の子にいろいろと尋ねた。この子の事情をうすうす気づいたのか、店員はそれほど厳しくはしなかった
 それでも、男の子は何も話さない。
 男の子が捕まったことに気付いた耕平は、事務所へ入っていった。
「君はこの子のおにいさん?」
 店の人に聞かれた。
「違いますけど」
「どうもこの子は何度も万引きをやっているようなので、警察を呼ばないといけない」
と、店の人に言われた。店の人もどういていいか困っているようなのだ。
 耕平がお金を払って代わりに謝った。今日もカップ麺とスナック菓子と飲み物だけだったので、耕平の手持ちのお金でも十分に足りた。
「もう二度とやらせませんから」
 耕平がそう言うと、店の人も相手が小さな子なのでか許してくれた。なんだかホッとしているみたいだった。

 耕平は、男の子と一緒に彼のアパートへ行った。
何もないがらんとした部屋だった。カップ麺やお菓子の袋が散らばっている
 この子も母親と二人暮らしなのだが、最近はあまり家に帰ってこないので、一人で暮らしていたのだ。お金も置いていかないので、母親がいない時は食事ができない。
 この子にとっては、給食だけが唯一の頼りだった。
 でも、その給食費を長いこと払っていない。
 ある日、先生に、みんなの前で給食費を払っていないことを、不用意に言われてしまう。
 それ以来、友だちに、
「お金を払っていないのなら食べるな」
と、言われるようになってしまった。
 そのため、この子は学校にも行かなくなってしまったのだ。だから、この子にとっては命の綱の給食も食べられないようになっていたのだ。それ以来、空腹に耐えられなくなると、万引きをしていたようなのだ。
 耕平は、
「おかあさんが帰ってこない時は、うちに夕食を食べにおいで」
と、その子に言った。自宅の地図を書いて渡しておいた。
 数日後、本当に男の子が耕平の家にやってくる。
 話を聞いていたおかあさんが、男の子の分まで夕食を作ってくれた。
 三人で一緒に食事をする。男の子がうれしそうな笑顔を浮かべた。




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最上一平「おばけえん」

2020-07-17 09:42:29 | 作品論
 引っ越しで転園してきたあゆむくん(お猿の子?)が、新しい幼稚園(?)になじむまでの気持ちの動きを、おばけの世界を利用して、巧みに描いています。
 あゆむくんにはみんながおばけに見えて、恐ろしくてなかなか一緒に遊べません。
 みんなが誘ってくれた電車遊びに、思い切って参加したことで、ようやくみんなの仲間になれます。
 そうすると、いままでおばけに見えていたお友だちが、みんなあゆむくんと同じ動物の子だったことが分かります。
 誰(子どもだけでなく大人も)にでもある新しい環境への不安。
 その壁を打ち破る姿を、楽しい遊びを通して描いています。
 おばけえんにも、おはなばたけえん(その謎は秘密)にも、楽しそうなキャラがたくさんいるので、それらを活かした続編が楽しみです。



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ハスラー2

2020-07-14 11:22:06 | 映画
 1986年公開の、アメリカのビリヤード映画です。
 1961年公開の「ハスラー」の25年後の続編です。
 前作で、伝説のハスラーに挑んだ若き天才プレーヤー役を演じたポール・ニューマンが、現役を引退して(やり手の酒のセールスマンになっています)、今度はトム・クルーズ(「トップ・ガン」で売り出したばかりです)演じる若き天才プレーヤーのマネージャーになって、金儲けを狙います。
 わがままな若者(とその恋人)とぶつかりあっている間に、ビリヤードへの情熱を取り戻していって現役に復帰するというのは、よくあるストーリーですが、トーナメントでの二人の対決にひと工夫(準々決勝であたった二人の試合はべテランが勝つのですが、それは掛け金を儲けるるために若者が仕組んだ一人八百長だったのです。それを知ったベテランは準決勝を棄権して、プライベートな真剣勝負を若者に挑むところで映画が終わります。これが本当のカムバックだということがわかる鮮やかなラストです)がされています。
 この映画の渋い演技で、ポール・ニューマンは、何度もノミネートされて逃してきたアカデミー主演男優賞を獲得しました。
 ちなみに、この映画をきっかけにして、日本でもプールバーなどのビリヤードができる場所があちこちにできて、私も久しぶりにプレイするようになりました。
 大半は、ポケットとかプールとか呼ばれるボード上の六ケ所に穴が空いたビリヤード台で、私が学生時代にやっていた俗に四つ玉と言われる赤白四個のボールを使うキャロム・ビリヤードの台は少なかったです。
 映画では9つのボールを使うナインボールというゲームでしたが、私がやっていたのは15個使うゲーム(エイトボール?)でした。




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逆走

2020-07-14 10:39:02 | 作品
 ママの運転する車が、駅前の広いロータリーにゆっくりと入っていく。まだ時間が早いせいか、ロータリーにはほとんど他の車はいなかった。客待ちのタクシーが、ポツンと一台止まっているだけだ。
 塾へ行くときには、いつもママが駅まで車で送ってくれる。修平の家から駅まではバスで十分ぐらいだったけれど、この時間帯は本数が少なかった。
「それじゃ、帰りの時間はLINEでね」
 修平が後ろの席のドアを開けたとき、ママが言った。連絡するのはいつもの決まりきったことなのに、ママは必ずこう確認する。帰りは、塾を出たときに、家族のLINEで連絡することになっていた。その時間に合わせてスマホで電車の到着時間を検索して、ママはまたこの駅まで車で迎えに来てくれる。
「わかった。じゃあ、行ってきます」
 これもいつものせりふ。四年生になって塾へ通うようになって以来、こんなママとのやりとりが、ずっと繰り返されている。
 階段を下りる前に、修平は後ろを振り返った。
 ママの車は、ロータリーをまわって大急ぎで引き返していく。これから、にいさんやパパの夕食の準備をするのだろう。
 修平は、ハンバーグとサラダの早めの夕ご飯をすでに食べていた。これから、九時過ぎまで、がんばって勉強をしなければならない。修平が受ける私立中学の入試は、もう五ヵ月後に迫っていた。
 修平修司の第一志望は、東大合格者数一位の中高一貫校だ。二つ年上の兄の優治は、この学校に見事に受かっている。だから、修平はかなりプレッシャーを感じていた。
 優治が六年生の時には、おかあさんは駅ではなく塾まで直接車で送り迎えをしていた。
優治が塾で勉強している間、おかあさんはそばのファミレスで、本を読んだり、スマホを見たりしながら、塾が終わるのを待っていた。この習慣は、優治が志望校に合格するまで続いた。
 でも、修平の場合は、六年生になっても駅までしか送ってくれなかった。これは、おかあさんの二人に対する期待の大きさの違いかもしれない。このことも、修平にとっては、けっこう負担になっていた。
 たしかに、修平は優治よりはだいぶ成績が悪かった。そのために、かなり偏差値の低い滑り止めも含めて全部で五校も受験する予定だった。優治の時は、滑り止めも含めて二校に願書を出しただけだった。
 二人の最終目標は、大学受験の時の東大合格だった。東大はおとうさんの母校だったし、父方の親戚には東大を卒業したり現在通ったりしている人たちが多かった。そのため、優治と修平を東大に入れることは、おかあさんにとっては至上命題だったのだ。そのため、修平は、私立大学の付属校は受けない予定になっていた。

 駅のホームには、修司が乗る上りの方には、もう待っている人がいた。
 でも、反対の下り側にはいつものように誰もいなかった。私立中学生や高校生たちの通学と、逆方向になるからだろう。だから、車内もガラガラのようだった。
 塾の帰りには、通勤客がメインなので、下りの電車もけっこう混み合っていた。塾の勉強でくたびれているのに座れないこともあった。
 もう九月もなかばだというのに、今日は暑い一日だった。修平は、プラスチックのベンチに腰をおろした。
 バッグから、KIOSKで買ったダイエットコークを取り出す。
 シュッ。
 キャップをひねると、炭酸の泡の音がした。
 ゴクゴクとのどを鳴らして、一気に三分の一ぐらいを飲み干す。
「プハーッ」
 冷たさと炭酸とで、のどがキューンとする。いっぺんでかわきがいやされた。
 ホームの時計を見上げると、五時二十二分になっている。発車時刻が近づいているので、まわりに人が増えてきた。
 まだ電車到着を知らせるランプは点いていなかったが、修平はダイエットコークのボトルをまたバッグにしまうと、ベンチから立ち上がった。

 それから、少し時間がたった。
 でも、発車時刻をすぎているのに、上りの電車はなかなか姿を見せなかった。それどころか、電車の到着を知らせるランプさえまだ点いていない。
 待っている人たちが、ザワザワしはじめていた。時計を見ると、もう5分も遅れている。
 みんな、列車の来る方向をながめていた。近くにある高校の生徒なのか、同じ制服の人たちが多い。
 その時、ようやく駅員のアナウンスがホームに流れた。
「……、途中のM駅で人身事故が発生したため、上り電車は運転を見合わせています。お急ぎのところ、まことに申し訳ありませんが、……」
(人身事故かあ)
 アナウンスを聞いて、修平は嫌な気持ちがした。
「人身事故って、本当は飛び込み自殺のことなんだよ」
って、塾で同じクラスのキーちゃんから聞いたことがある。今日も、M駅で誰かが飛び込み自殺をしたのかもしれない。その人はどんな悩みを抱えていたのだろう。
 もし、飛び込み自殺だとしたら、電車のチェックなどでかなり時間がかかるだろう。当分、上り電車は来ないかもしれない。
「あーあ」
 まわりの人たちからもあきらめのようなため息が聞こえてくる。中には電車に乗るのをあきらめたのか、エスカレーターへ乗って上へあがっていく人たちも出始めた。
 アナウンスによると、いつ発車するか見込みがまだ立たないとのことだった。このままだと、塾に遅刻してしまうのは確実だった。
(後から一人で教室に入っていくのか)
 そう思うと、なんだかうんざりした気分だった。
 みんなが一所懸命に勉強している時に、後ろのドアからソッと入っていく。先生は説明を一瞬止めて、修平に静かに席に着くよう促すだろう。何人かの子どもたちは、それに気づいてこちらを振り返るかもしれない。

 と、そのとき、今度は録音されたアナウンスがホームに流れた。
「まもなく下り線に電車が到着します。黄色い線まで、……」
 電車が停まっていたのは上り電車だけで、下りはまだ動いていたのだろう。
 修平は、ホームの反対側にまわった。ホームから体を乗り出して、電車の来る方向をながめた。
 ファーーン。
 運転士が軽く警笛をならした。知らず知らずのうちに黄色いブロックを超えていた修司に対する警告だろう。あわてて体を引いた。こんな所で事故ったら眼もあてられない。
 もし、電車にはねられていたら、やはり「人身事故」として処理されるのだろう。
そして、明日の新聞の地方欄に、
『小学生が飛び込み自殺、中学受験を苦にしてか?』
と、見出しに書かれてしまうかもしれない。
 やがて、ウグイス色の電車がホームにすべり込んできた。だんだんにスピードが落ちていく。それにつれて、なぜか修平の心臓はドキドキしてきた。
(この電車に乗ったら、どうなるのだろう?)
 急に、今日だけは塾へ行きたくなくなった。
 完全に停車すると同時に、電車のドアが開いた。パラパラと、数人の乗客が降りてきたけれど、乗る人はだれもいない。
「まもなく発車します」
 ピリピリピリ。
 ドアが閉まる寸前に、は反射的に電車に飛び乗ってしまった。 

 電車はゆっくりとスピードをあげていく。車内は思ったとおりガラガラで、修平は七人がけの広い座席を独り占めしていた。
 上半身をひねって窓の外を見ると、見慣れぬ風景が流れていく。いつもとは逆走しているわけだ。修平はこちらの方向の電車には、あまり乗ったことがなかった。
 修平は、そのままぼんやりとその風景をながめていた。もう夕方なのにカラフルな洗濯物が干されたままになっているマンションや、ところどころに古い建物があるだけの広い敷地の工場などが続いている。
 電車は、見知らぬ駅にいくつかとまった。腕時計を見ると、六時を過ぎたところだ。塾では、一時間目の授業が始まっているだろう。
 修平はまた、少し薄暗くなり始めた外の風景をながめながら、いつのまにか最近の自分のことを考えていた。
 三ヶ月前に少年野球チームをやめてから、塾での修平の成績は着実に上がっている。野球のために今までは出られなかった火曜と木曜の特進クラスや、土曜や日曜の模擬テストを、受けられるようになったせいかもしれない。
 修平の入っていた少年野球チームは、五月の郡大会で敗れてしまって、夏の県大会への道は閉ざされてしまっていた。それをきっかけにして、修平はチームをやめたのだった。
 本当は、六年生は毎年秋の町の大会まではチームに残ることになっていた。そのため、このときにやめたのは、修平一人だった。修平は、五番でサードという主力選手だったので監督やコーチは残念がっていたが、最後には受験勉強をがんばるようにと励ましてくれた。
 少年野球をやめたおかげか、最近は塾の勉強に百パーセント集中できていた。

 修平の通っている塾では、成績別にクラスが分かれている。全部で七クラスがあってAから始まるアルファベット順になっている。ただし、国立や最難関私立を受験する一番上のクラスだけは、Sクラスと呼ばれていた。もちろん、スペシャルのSだ。
 少年野球をやめるまでは、修平は上から三番目のBクラスか四番目のCクラスにいた。
 それが、今では上から二番目のAクラスまであがっていた。そこは、私立大学の付属校や難関私立向けのクラスだった。
 でも、修平の、いやママのといった方が正しいかもしれないが、第一志望校は、東大合格数一位の最難関私立校だ。そのためには一番上のあのSクラスへ入らなければならない。
 この間の、塾の三者面談では、今の成績ではまだ合格は難しいといわれている。第二、第三志望も、東大に合格者を出している中高一貫校だった。そこだったら、たぶん大丈夫だろうというところまではきていた。
 最近の修平の唯一の息抜きは、一日三十分の携帯ゲームだ。今は、恋愛シミュレーションゲームをやっている。ゲームの中では、仮想のガールフレンドである美月と付き合っていた。画面を通して美月と会話している間だけは、修平はホッとできた。
 塾のクラスに、美月によく似た女の子の薫がいた。修平は前から薫に声をかけたいと思っていたが、大事な受験前なので我慢していた。それに、薫は女子校を、修平は男子校を受けるので、中学になったらどうせお別れなのだ。

 T駅で、たくさんの人たちが乗り込んできた。高校生たちにまじって、サラリーマンやOLも増えている。みんな勤めの帰りなのだろう。そろそろ、帰宅ラッシュの時間に近づいたのかもしれない。
 外はだんだん暗くなり始めている。修平は、もう風景を眺めることもせずに、まっすぐ前を向いて腰をおろしていた。
 電車は、修平が乗った駅からどんどん遠ざかっていく。
 それに連れて、修平は自分の日常生活、特に塾を中心とした生活から離れられたような気がしていた。そう思う少しだけ気分が軽くなった。
 とうとう電車が終点の駅に着いた。大勢の人たちが我先にと降りていく。
 でも、修平はそのまま座っていた。
 電車は車庫に入らすに、折り返し運転になるらしい。修平は、そのままこの電車で引き返すことにした。
 その時、アナウンスが流れた。
「お急ぎのところ、まことに申し訳ありませんが、M駅で発生した人身事故により、上り電車はダイヤが大変乱れております。時間調整のため、しばらく発車を見合わせます。また、状況がわかりしだい、随時お客様にお知らせいたします」
(どのくらい遅れるのだろう。あまり遅くなって、塾が終わる時間を過ぎたらまずいな)
と、思った。おかあさんに、塾をさぼったことを感づかれてしまうかもしれない。

 しばらくして、電車はようやく逆方向に走りだした。修平はホッとした気分だった。
 でも、まだノロノロ運転だ。まあ普通に走ったのでは、自分が降りる駅に早く着き過ぎてしまうので、修平にはちょうど良かったけれど。
 修平はもう一度振り返って外を眺めた。空はもう真っ暗になっていて、建物の明かりが輝いている。
 電車は、また人々を乗せたりおろしたりしながら、ゆっくりと走っていく。修平は、もう外を眺めることなく、ぼんやりと腰を下ろしていた。
 電車は、修平の乗った駅へどんどん近づいていく。それにつれて、修平の気分は、いつもの塾中心の日常のものに戻っていった。
 修平が降りる駅にもうすぐ到着するとき、スマホで時間を見た。うまい具合にちょうど塾が終わる時刻だった。
(迎えに来て)
 修平は、ママ宛てに帰りのLINEを送った。これなら送った場所はわからないから、ママにはどこに行っていたかはわからない。
 電車が修平の降りる駅に着いた。修平はゆっくりとホームへ降り立った。
 ドアが閉まって、電車はまた走り出した。
 修平は、ホームから走り去っていく電車を見送った。
(明日からは、またあの塾に向かう電車に乗るのだろう)
 そう思いながら、修平はゆっくりと階段を登り始めた。

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ネグレクト

2020-07-13 13:58:06 | 作品
「あーあ」
 中学二年生の泰輔が、目を覚ました。
 枕元の時計を見ると、九時過ぎだった。とっくに学校が始まっている。
 でも、泰輔はゆっくりと起き上がると、パジャマ姿のままで部屋を出た。
 泰輔は、かあさんと一緒に市営住宅に二人で住んでいる。でも、かあさんはとっくに仕事に出かけていた。出かける時に泰輔に声をかけるのも、だいぶ前にしなくなっていた。
 泰輔は、二年になってからクラスでいじめにあって、不登校になっていた。学校の先生や教育委員会の職員が、何度も泰輔を訪ねてきたが、なんの解決にもならなかった。だいたい、泰輔のいじめの主張すら彼らは認めていないのだ。
 かあさんが仕事へ行っている間、泰輔は、テレビを見たり本を読んだりして、毎日を過ごしている。本当はオンラインゲームをやりたいのでゲーム用にグレードアップされたパソコンが欲しいのだが、泰輔の家は母子家庭で経済的に苦しいので、「買って欲しい」とかあさんに言えないでいる。スマホも持っていないので、クラスの友だちとは完全に隔離されていた。
 泰輔の両親は、泰輔が幼稚園のころに離婚している。
理由は、父親の不倫だった。そのため、父親は、裁判所の命令でかあさんに慰謝料を払っていた。
 さらに、泰輔の親権はかあさんが持ち、父親は二カ月に一回面会する代わりに、月に五万円の養育費を送ってくることになっていた。
 しかし、その約束はいつの間にかうやむやになり、養育費はまったく振り込まれなくなった。泰輔は、もう五年も父親に会っていない。
 風の便りでは、父親は不倫相手と再婚して、子どももいるという。
 かあさんは、二人の生活を支えるために、二つの仕事を掛け持ちしている。昼間は、清掃の仕事をしていた。そういった仕事を請け負う派遣業者から、特定の会社に派遣されて、広い社内を夕方まで掃除してまわっている。
夕方からは、コンビニのレジ打ちをやっている。そして、本当は廃棄しなければいけないコンビニの期限切れの食べ物を内緒で貰って、九時過ぎに家へ帰ってくる。泰輔の家の遅い夕食は、いつもコンビニの残り物が中心だった。

「わーん、あーん、……」
 突然、隣の部屋から女の子の激しい泣き声が聞こえた。どうも、ベランダに面した掃出し窓が開いているようだ。こちらも窓を開けていたので、泣き声は壁越しでなく外から聞こえてくる。
 泰輔は、居間にまわって掃出し窓からベランダに出てみた。
「おい、どうした?」
 ベランダのはじへ行って、隣との仕切り越しに声をかけてみる。
 泣き声がやんで、女の子もベランダに出てきたようだ。
 女の子は、まだしゃくりあげている。
「どうしたんだ?」
 もう一度聞いた。
「うん、おなかがすいた」
「食べ物がないのか?」
「うん」
「わかった。ちょっと待ってろ」
 泰輔はそう言って、家の中に引っ込んだ。
 泰輔の家の隣に、小さな女の子がいることは前から知っていた。すれ違った時にチラッと見た時には、四、五才に見えた。
 でも、幼稚園にも保育園にも、通っていないようだ。昼間は、泰輔と同様に一人で過ごしていることが多い。
 泰輔の部屋から、時々、今日のように女の子の泣き声が聞こえていた。
 一度だけ、玄関から出てくるのを見たことがある、若い母親はいつも不在がちだ。どこかへ遊びに行っているのか、何日もの間夜も帰ってこないこともあるようだった。

 泰輔は、食卓の上のカップ麺のふたを開けると、ポットからお湯をそそいだ。今日の自分の昼飯だ。
 泰輔は、こちらは朝飯用の鮭とツナマヨのおにぎりを、一個ずつジーンズのポケットに突っ込むと、カップ麺を両手でしっかり持って、玄関に向かった。
 隣の玄関にまわると、チャイムのボタンを押した。
 ピン、ポン。ピン、ポン。
 部屋の中で、チャイムがせわしなくなっている。
 ガチャ、ガチャン。
 鍵を外す音がした。
 ドアが開いて、女の子が顔を現わした。涙の跡が薄汚れている。
 中をのぞくと、ゴミだらけの荒れ果てた部屋が見えた。あきらかに、女の子は母親に放置されていたようだ。
 泰輔は、食器やインスタント食品の殻がうずたかく積もっている食卓に、わずかなスペースを確保した。そこに、自分の昼食であるカップ麺とおにぎりをおいた。
「食えよ」
 まずおにぎりの包みを開けて海苔を巻いて、女の子に差し出した。
「……」
 女の子は手を出さない。
「平気だよ。食えよ」
 泰輔がもう一度言うと、ようやく女の子はおにぎりを両方とも受け取った。そして、がつがつとすごい勢いで食べ始めた。ふたつのおにぎりを両手に持って、交互にかぶりついている。
(すげえ)
 泰輔は、女の子のすごい勢いの食べっぷりに、思わず見とれてしまった。
「名前は、なんていうんだ?」
「アヤちゃん」
「アヤっていうのか?」
「ううん、アヤちゃん」
 女の子はそう言うと、初めてはにかんだような笑顔を見せた。
 どうもアヤちゃんは、母親に育児放棄されているようだ。あまりご飯を食べさせてもらっていないみたいだった。がりがりにやせていて、おなかだけがぽっこりふくらんでいる
 その後も、泰輔はアヤちゃんに食べ物をあげるようになった。昼だけでなく、朝はかあさんがいなくなってすぐに、夜はかあさんが帰ってくる前に、食べ物を持っていった。
 家にある食料だけでは足りなくて、近所のコンビニへ買いに行ったりもした。泰輔が家の外へ出るなんて久しぶりのことだった。さいわい、最近は小遣いをほとんど使っていなかったので、お金はけっこう持っていた。
 アヤちゃんに食べ物をあげていることは、かあさんには秘密だった。

 ある日、隣の家に、児童相談所の職員が訪ねてきた。
 その時は、たまたま母親が家にいる時だった。
近所の人が、放置されているアヤちゃんを見かねて、通知したのかもしれない。
 でも、職員は、母親にえらい剣幕で追い返されてしまった。
 それ以降、母親は家に帰ってこなかくなった。
本格的な育児放棄になったのだ。
 それから数日後、児童相談所の職員が、今度は大勢やってきた。
 どうも、母親が家に帰っていないことが、また通報されたようなのだ。
 今度は、アパートの管理人も一緒だった。
 職員たちは、監視人に部屋の鍵を開けさせると、中へ入っていた。
 もしかすると、すでに母親と児童相談所で話し合いがもたれていたのかもしれない。
 母親が親権を放棄して、アヤちゃんは施設に入ることになったのだろう
 やがて、児童相談所の人に連れられて、車にのせられて連れて行かれる。
 泰輔は、部屋の窓から一人でアヤちゃんを見送った。
(ぼくは、アヤちゃんに何かをしてあげられたのだろうか?)
 泰輔は心の中で思った。



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アメリ

2020-07-11 10:32:03 | 映画
 2001年にフランスで公開され、大ヒットした映画です。
 日本でも単館上映から始まって、最終的にはかなりヒットしました。
 私は、単館上映時代に、横浜の切符売り場の横のドアを開けるとそこが直接上映室というような、小さなスクリーンで見ましたが、それでも十分に楽しめました。
 最終的には、大団円的なハッピーエンディングストーリーなのですが、随所にブラックユーモアやジョークが仕掛けられていて、登場人物も主人公のアメリも含めて全員が曲者揃いなので飽きさせません。
 随所にパリらしいおしゃれな風物が映し出されて、映像的にも非常に凝った作りになっています。
 こういうのをエスプリのきいた作品とでもいうのでしょうか、ハリウッド映画にはないフランス映画独特の魅力です。






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マヌエル・ガッサー「レンブラント」巨匠たちの自画像所収

2020-07-11 09:46:18 | 参考文献
 2020年にナショナル・ギャラリーの展覧会が東京で行われ、そこにレンブラントの傑作、「34歳の肖像」が出品されていることが、7月7日の読売新聞の夕刊に紹介されていました。
 明るい光の中でレンブラント特有の迫真性を持った圧倒的な描写力で描かれた精力にあふれた自信満々の画家本人、まさにこれから人生の絶頂期を迎える男性の魅力に溢れています。
 しかし、この絵を見た時に、まったく違ったタッチのレンプラントの肖像を思い出しました。
 それは、それから26年後、60歳の時の自画像です。
 翁のような帽子をかぶり、肥満して皮膚もたるんだ老人は、好々爺然とした笑みを浮かべています。
 しかし、その目は、著者が指摘しているように厳しい人生を送った人物らしい鋭い視線を見るものに投げかけています。
 17世紀の60歳といえば、現在ならば80歳ぐらいにあたるでしょうか。
 人生のすべてを味わい尽くし、その歓喜も虚しさもすべてを超越した乾いた笑いなのでしょう。
 現に、レンブラントはこの三年後には63年の生涯を閉じています。
 著者によると、レンブラントは生涯百点にものぼる自画像を残しているそうです。
 その一つ一つが、画業も含めた人生の、その時点での到達点を確認する作業だったのかも知れません。



 
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マネーモンスター

2020-07-10 21:30:16 | 映画
 株の暴落で損した男が、その株を薦めたテレビの投資バラエティ番組のMCを人質にとって、スタジオに立てこもる話です。
 金儲け万能の今のアメリカを風刺している部分はありますが、それほどシリアスではなくエンターテインメントに徹しています。
 立てこもり事件が生放送の最中に起こり、それがそのまま実況中継されるところがお話のミソで、荒唐無稽な設定、悪役やいい役がデフォルメされていて分かりやすい、ご都合主義のストーリー展開など、エンターテインメント映画の王道を、娯楽映画の標準である100分以内(この映画は99分)にテンポよくまとめています。
 それにしても、「タクシードライバー」の少女娼婦役を1976年に13歳で演じて、天才子役として脚光を浴びたジョディ・フォスターが、こんなプロっぽい商業映画の監督になるとは、隔世の感がします。

【一般券】『マネーモンスター』 映画前売券(ムビチケEメール送付タイプ)
クリエーター情報なし
ムビチケ
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