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現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

くらもちふさこ「天然コケッコー」

2024-06-03 08:50:43 | コミックス

 1994年から2000年にかけて、コーラスに連載された作者の代表作のひとつです。
 それまで別マ(別冊マーガレット)の看板漫画家の一人だった作者が、少し年齢の高い読者層を対象とした雑誌に連載するために、それまでの絵のタッチ(それ以前にも徐々に変化していましたが)や作風(都会から田舎(山陰地方です)へ舞台を変え、登場人物もそれまでの中学生中心から、高校生中心にしています)を変えてチャレンジして、見事に成功しました。
 美人だが方言バリバリの主人公、右田そよの中学二年から高校二年までの三年間を、東京から転校してきた大沢広海との恋愛を中心に、村の豊かな自然(海も近いです)、分校の下級生たちや先生たち、ユニークな村の人々、高校での新しい人間関係などを散りばめながら描いています。
 この作品の成功の一番の理由は、なんといってもヒロインの右田そよの造形でしょう。
 地元だけでなく高校のある町でも有名になるほどの美人なのに本人にはまるでその自覚はなく、成績も良く分校の下級生たちの面倒もよく見る「いい子」なのですが、どこか抜けている題名通りの天然ぶりが魅力です。
 題名の天然コケッコーは、彼女の天然さと分校で彼女たちが世話しているニワトリ(コッコ、彼女がいつも心のよりどころにしている分校(将来はそこで先生をするのが彼女の夢です)の象徴でしょう)からきています。
 また、作者の作品の特長であり限界でもあったお約束の主人公があこがれる美少年も、この作品ではおっちょこちょいで三枚目の性格を持たせることによって、リアリティを高めることに成功しています。
 二人の恋愛関係も、すぐにファーストキスはするのですが、その後は彼女の古風さもあって三年かけてゆっくりと進み、なんどかきわどい局面はあったのですが、ラストまで実現しなかったことも、こういった作品の大半の読者の女の子たちと同様で、安心して読める要因になったかもしれません。
 この作品は、登場人物がストーリーとともに年齢を重ねていく一種の成長物語(定義については、関連する石井直人の論文の記事を参照してください)なので、読者と登場人物は一緒に成長していくことにより、自分の体験と重ね合わせて読むことができます(連載は6年間なので、実際は読者の成長の方が2倍ぐらい速いです)。
 修学旅行(主人公には初めての(彼が住んでいた)東京です)、高校受験(主人公と彼とでは成績が違うので、二人が離れ離れになる危機です)、高校入学(二人を除くと、他はみんな町の子ばかりなので、主人公はなかなかなじめません)など、読者にも身近なイベントを追体験しながら、読者は主人公たちと一体化できるのです。
 なお、2007年に、この作品の中学時代の部分が実写映画化されました。
 実際の作品の舞台である山陰の農村(作者の母の故郷だそうです)にロケーションした美しい映像と、新人時代の夏帆と岡田将生のういういしい演技が記憶に残っています。

 

 

 

 

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手塚治虫「火の鳥 羽衣編」

2024-03-31 12:57:06 | コミックス

 

 

 1971年10月に「COM」に発表された短編です。
 三保の松原の「羽衣伝説」の天女を未来人に変えて、核戦争などの文明批判を展開しています。
 「羽衣伝説」は「鶴の恩返し」などのような異類婚姻譚の変形なのですが、女性を未来人に変えることによって、SF的なタイムパラドックスや放射能汚染などを加味しています。
 すべてのコマを同一の横長に統一して舞台劇のように描いた実験作ですが、その分動きがなくなって手塚漫画の特長である映画のようなダイナミズムが失われています。
 また、どうしてもセリフに頼ってストーリーが展開されるので、風刺や文明批判が生な形で提出されています。

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手塚治虫「鉄腕アトム」

2024-03-14 09:35:43 | コミックス

 私が生まれる前の1952年(前身の「アトム大使」は1951年から1952年まで)から、中学生になっていてすでに漫画を卒業していた1968年までの長期にわたって、少年マンガ月刊誌の「少年」に連載されたロボットSF漫画です。
 私は、少年漫画週刊誌世代(私自身は少年サンデーを家で取ってもらっていました(当時は近所の本屋が配達してくれました)が、近所の友だち二人と交換で回し読みをして少年マガジンと少年キングも読んでいたので、当時出版されていた少年漫画雑誌はすべてカバーしていました。
 少年ジャンプは1968年(週刊誌になったのは1969年)、少年チャンピオンは1969年(週刊誌になったのは1970年)からなので、すでに私は漫画を卒業していて、本屋での立ち読みで人気漫画(少年ジャンプは「ハレンチ学園」や「男一匹ガキ大将」など、少年チャンピオンは「あばしり一家」や「夕焼け番長」など)を読むぐらいでした(Hな漫画と喧嘩の漫画ばかりですね)なので、当時は鉄腕アトムの漫画自体はほとんど読んでいませんでした。
 しかし、1963年から1966年まで、日本初の30分テレビアニメシリーズとして絶大な人気(視聴率30%以上)を誇っていたので、当時小学生だった私にとっては、伊賀の影丸(その記事を参照してください)と並んで最大のヒーローでした。
 当時の私の下敷きや筆箱には、他の男の子たちと同様に、アニメのスポンサーだった明治製菓のマーブルチョコレートなどのおまけに付いていたアトムやウランちゃん(アトムの妹、今考えるとすごいネーミングですね)のシールやマジック・プリントがベタベタと貼ってありました。
 それにしても、アトムが誕生するはずの2003年は、1960年代の小学生にとっては遠い未来でしたが、あっという間に過ぎ去ってしまいました。
 同様の感慨に浸ったのは、1984年(ジョージ・オーウェルの「1984年」)、2001年(スタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」)の時を今でも覚えていますが、2019年にはついに「ブレードランナー」(その記事を参照してください)の時代になってしまい、その30年後を描いた「ブレードランナー2049」(その記事を参照してください)が2018年に公開されました。
 現実は、それぞれの優れた作者たちが描いた未来世界とはかなり違った世界になってしまいましたが、「鉄腕アトム」も同様です。
 お馴染みの空飛ぶ車や巨大なコンピューターはご愛嬌ですが、アトムが原子力エンジンで動く設定には、福島原子力発電所の事故を経た現在では、やはりギョッとさせられます。
 当時は、原子力についてもっと楽観的で、放射能も制御できると考えていたのでしょう(作者に限らず、私も含めて大半の人が同様だったと思います)が、人類はあまりにも無知でした(今もあまり進歩していませんが)。

鉄腕アトム(全21巻+別巻2巻セット) (SUNDAY COMICS)
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秋田書店
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西原理恵子「はれた日は学校を休んで」

2024-03-10 14:46:57 | コミックス

 1989年から1995年までに描かれた作品をまとめた、作者の初期短編集です。
 当時の現代児童文学(定義に関しては他の記事を参照してください)と非常に近い作品世界(例えば長崎夏海の作品などと)だったので、児童文学者の間でもかなり評判でした。
 作者は、現在では高須クリニックの関係者としての方が有名ですが、当時は若い感性の優れた無頼派(ギャンブルや酒やと異性関係など)の美人女性漫画家として注目されていました。
 学校への不適合、両親(特に母親)との愛憎入り混じった感情、友情(女同士だけでなく男同士も)、弱者(成績不良、貧困、動物、老人など)への複雑な視線など、今日でも子どもたちにとって重要な問題が、作者独特の善悪が入り混じった独特の視点で繊細に描かれていて、現在でも少しも古びていません。

はれた日は学校をやすんで (アクションコミックス)
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双葉社
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手塚治虫「火の鳥 復活編」

2024-03-08 11:52:44 | コミックス

 1970年から1971年にかけて、「COM」に連載された未来SF編です。
 「死んだ人間を人工部品を使って復活させる」、「人間の心や記憶を持ったロボットを作る」、「人間とロボットの恋愛」、「ロボットの大量自殺」などを通して、「人間とは何か」、「ロボットとは何か」、「外見と心」、「恋愛とは何か」、「不老不死や死んでも復活すること」など、様々な根源的な問いかけをしています。
 この50年以上前に書かれた作品世界は、AIやアンドロイドや医療技術の進歩により実現が近づいており、作者が投げかけたこれらの問いかけは、さらに重要性を増しています。
 どれも簡単には解決できない問題ですが、作品の後半で、殺された人間のレオナと破壊されたロボットのチヒロが、レオナの記憶がチヒロの電子頭脳(懐かしい言葉ですね)に移植されることによって、サイバー空間(当時はそうした言葉はありませんでしたが)で結ばれるのは、私にとっては大きな救いでした。

火の鳥 5・復活編
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朝日新聞出版
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手塚治虫「火の鳥 生命編」

2024-03-05 11:04:14 | コミックス

 1980年8月号から12月号まで「マンガ少年」に連載された作品です。
 立体テレビで、応募者にクローン動物をハンティングさせる番組を制作しているプロデューサーが、視聴率低迷のためにもっと番組を過激化して視聴率をアップさせるために、クローン人間を作ってそれをハンティングさせようとします。
 皮肉にも、火の鳥の化身と思われる女性に自分のクローンをたくさん生み出され、さらに自分自身もその中に紛れてしまい、ハンターたちに追われるようになります。
 彼のこの窮地を救うのは例によって一人の美しい女性(出会った時は幼女でしたが、美しい女性に成長して、彼を父親のように慕っています)で、改心した彼は自分自身に爆弾を仕掛けてクローン工場を破壊します。
 クローン人間や人工臓器移植などを通して、ここでも「人間とは何か」という根源的なテーマを追求しています。
 1980年に書かれた作品らしく、視聴率最優先のテレビ番組の低俗化、立体テレビ、クローン技術、人工臓器など、実社会の動きがよく反映されていますが、その分作者の独創性が失われている感じがします。

火の鳥 9・異形編、生命編
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朝日新聞出版
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ちばあきお「キャプテン」

2024-02-13 11:17:15 | コミックス

 1972年から1979年にかけて、月刊少年ジャンプに連載された野球漫画です。
 東京の下町の墨谷二中を舞台に、野球部の代々の個性的な4人のキャプテンを中心に、従来の魔球や超人的なプレイはまったくでてこないで、猛練習とチームワークで無名チームが日本一の強豪チームになるまでを描いています。
 谷口(1巻の途中から3巻の途中まで):才能にも体格にも恵まれないながら、絶対にあきらめない気持ちと人一倍の努力で、墨谷二中を日本一(ただし、その年の日本一のチームが東京予選の決勝の墨谷二中戦で不正(交代人数をオーバーしました)したことが発覚して、両者による決定戦で勝利したものです)に導きました。
 丸井(3巻の途中から5巻の途中まで):短気でおっちょこちょいだが、チームを愛する気持ちは人一倍の熱血漢で、東京予選は勝ち抜いたものの、選手たちが決勝の死闘でボロボロになって本大会は棄権しました。
 イガラシ(5巻の途中から13巻の途中まで):非常に小柄ながら、沈着冷静な頭脳と無尽蔵のスタミナで、チームを初めて予選から本大会まですべて勝ち抜いた真の日本一に導きました。
 近藤(13巻の途中ごろから15巻まで):体格に恵まれた剛腕投手。ちゃらんぽらんな性格の持ち主だが、新入生たちをかわいがってチームの将来に備えました。
 こうしてみると、谷口がキャプテンをしている姿は、わずかに二巻分にしか描かれていません(彼が高校に入ってからの後日談は、週刊少年ジャンプの「プレイボール」(その記事を参照してください)で描かれています)。
 しかし、墨谷二中の全体を通しての「キャプテン」は、間違いなく谷口です。
 丸井は谷口の熱狂的な崇拝者ですし、イガラシは谷口の最大の理解者です。
 1巻の最後の部分に、それがよくあらわれているシーンがあります。
 東京予選の決勝戦で、強敵(その後全国大会で日本一になります。転校するまで、谷口はそこの二軍の補欠でした)との試合に備えて、谷口はチームに猛練習を課します。
 それに不服な部員たちが、連れ立って夜に谷口の家へ抗議に出かけます。
 谷口は不在で、近所の神社で大工の父親手作りのマシンで、さらに激しい練習をしています(昼間は、部員の練習に追われて自分は練習できないためです)。
 その時のみんなのセリフが、「キャプテン」のすべてだと言っても過言ではありません。
 谷口:(猛練習による怪我を心配する父親に向かって)、「おれたちみたいに素質も才能もないものはこうやるしか方法はないんだ」
 陰で見ていた部員たち:「おれたちのコーチにおわれてこんなところで練習していたんだ」「…」「…」「おれ、家までランニングしよっと」「お、おれも!」「おれも!」「おれも!」
 丸井:退部届(強敵に備えて、一年生ながら上手なイガラシに、やっとつかんだレギュラーを奪われて、退部しようと考えていました)をビリビリに破って、「く、くそっ」と、みんなと同じように走り出します。
 イガラシ:(みんなが抗議に行くのを止めていましたが、こっそりついてきて、谷口、部員たち、丸井の様子を見て)、「これなんだなあ」「キャプテンがみんなをひっぱる力は」
 私は、このシーン、特にイガラシのセリフは、何度読んでも泣けます。
 谷口は卒業しましたが、その精神は丸井によってチームに定着し、イガラシによって真の日本一のチームとして開花するのは必然だったと言えるでしょう。
 作者は、脱谷口の新しいキャプテン像を、近藤の代で描こうとしたのだと思います。
 作者が体調を崩して(詳しくは「プレイボール」の記事を参照してください)、中途半端なままで連載が終わってしまったのが、今でも残念です。

キャプテン 文庫版 コミック 全15巻完結セット (集英社文庫―コミック版)
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集英社
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手塚治虫「火の鳥 望郷編」

2022-11-13 16:13:22 | コミックス

 地球人が宇宙へ移住する時代(この作品が「マンガ少年」に連載された1976年から1978年ごろは、まだアメリカのアポロ計画(1961年から1972年まで)が月へ人類を送り込むのに成功した直後でしたので、いつの日にかそういう時代が訪れることがまだ信じられていました)を舞台に、聖書を下敷きにして壮大なスケール(宇宙空間的にも、時間的についても)で描いた作品です。
 地球を飛び出した若い男女が、悪徳不動産屋(星も売買対象です)に騙されて荒涼とした星に取り残されます。
 男は事故で死にますが、女(ロミ)は、その後に産まれた男の子が成人するまで冷凍睡眠で若さを保って、子孫を残すためにその子と結ばれます。
 しかし、その後生まれてきた子どもたち(ロミにとっては子どもであり、孫でもあります)は男の子ばかりで、このままではロミが死んだら子孫たちも死に絶えてしまいます。
 ロミの境遇に同情した火の鳥が、ムーピー(相手が望むものになんでも変身する能力を持った生物で、他のストーリーでも活躍しています(その記事を参照してください))でロミの複製(つまり女)を作って、ロミの孫たち(男の子ばかり)と結ばれさせて、人間とムーピーの混血(男も女もいます)が産まれて、その星(エデン17)は栄えます。
 ロミはエデン17の女王になり、ほとんどは冷凍睡眠して寿命を保って、自分の子孫たちを守っています。
 しかし、その後、望郷の気持ちから地球に戻ろうとして宇宙を彷徨ったロミはやっとたどり着いた地球で死にます。
 また、悪徳商人によって、文字通り悪徳(麻薬、酒、ギャンブル、殺人、戦争など)を覚えさせられたエデン17の文明も滅びます。
 当時の最先端のSFの知識で描かれたエンターテインメントでありながら、人間の生と死、男女関係、近親相姦、食人、環境破壊、移民に対する迫害、人種差別など、様々な今日でも重要な問題について考えさせてくれます。
 

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白土三平「誕生の巻」カムイ伝所収

2021-10-31 11:28:00 | コミックス

 「カムイ伝」(ここでは1964年から1971年まで、ガロに連載された第一部を対象にしています)は、江戸時代の寛永の末から寛文年間(1640年ごろから1670年ごろまで)にわたる約三十年間を舞台にした大河歴史漫画ですが、実際には時代背景は史実とはかなり自由に変えてあり、登場人物のメンタリティや言葉遣いは連載当時の日本人にかなり近いものです。
 当時の日本では、高度経済成長をバックに保守陣営と革新陣営が鋭く対立していたのですが、この漫画では現代を舞台にしては自由に書きにくい作者の主張(基本的には、マルクス・レーニン主義や社会主義に影響を受けていると思われます)を、身分社会であった江戸時代を舞台にすることでかなり自由に描いた作品です。
 こうした手法を作者の創作の動機から考えると、児童文学の世界で、リアリズムの世界ではいろいろと制約があるので、ファンタジーの世界でより自由に描くのに近いかもしれません。
 作者の主張が近いために、当時の革新陣営(特に若い世代)に強く支持されました(当時は今と違って、若い世代ほど革新陣営側の考えを持つ人が多く、保守的な考えを持つ人はどちらかというと少数派でした)。
 その後、日本社会が「一億総中流」と呼ばれるほど豊かになっていった1970年代以降に革新陣営が衰退するにつれて、「カムイ伝」の評価もかなり変わってきたのですが、バブル崩壊後に格差社会が進行している日本(未だに国民の意識は「一億総中流」なのですが)ではもう一度見直されてもいい作品かもしれません。
 また、や百姓に対する差別とそれに対する戦いもこの作品の大きなテーマなので、差別について考える意味でも重要な作品だと思われます(ただし、50年以上も前に書かれた作品なので、差別に対する認識が古くなっていたり、用語その他が現代では不適当な部分も含まれています)。
 「カムイ」というと、やがて抜け忍になる出身の忍者が有名ですが、アルピノであるがゆえに家族や群れから疎外されていた白オオカミも同じ「カムイ」という名前で、

 

 

作者の当初の構想は、封建制度の中での人間社会と、自然の中での動物社会を、並行して描こうとする壮大なのものでした。
 その背景には、作者が「忍者武芸帳」などの忍者漫画と並行して、「シートン動物記」などの動物漫画も描いていたことがあると思われます。
 しかし、実際には、白オオカミのカムイは次第に姿を消して、抜け忍のカムイもだんだん脇役に回り(彼の主な活躍場は、「カムイ外伝」へ移行していきます)、巻を追うに従って、百姓(その中でも最下層の下人出身)の正助が主役になっていきます。
 この巻では、主要な登場人物(オオカミもいますが)である、カムイ()、カムイ(白オオカミ)、正助(百姓)、草加竜之進(武士)などの誕生、登場、出会いなどが描かれています。

 

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岡崎京子「リバーズ・エッジ」

2020-06-18 15:10:25 | コミックス
 1993年から1994年にかけて、女性ファッション誌に連載され、若い女性を中心に今でもカルト的な人気を持つ作品です。
 私は、2015年に出たオリジナル復刻版で読みました。
 すえた臭いのするよどんだ河口の川べり(川崎あたりを連想させます)にある高校とそのそばの河原を舞台に、異性にも同性にももてるかわいい高校二年生の普通の女の子(ただし、煙草も吸いますし、元彼の強引な求めに応じてセックスもします)を主人公にした学園ものです。
 普通の高校生活(学食、教室内、バイトなど)が描かれる中に、暴力、いじめ、過激なセックス、麻薬、ゲイ、偽装恋愛(主人公が、元彼からのいじめをかばっている美少年は、同性愛を隠すために女の子と付き合っています)、男性売春、レズビアン、摂食障害(モデルをやっている下級生のレズビアンの女の子は、大量な食べ物を食べた後でそれらをすべてをトイレで吐いています)、子どもをタレントにして食い物にしている親、援助交際、引きこもり、ボーイズラブの漫画、リストカット、死体、放火、ストーカー、焼身自殺などの一見過激な事件が描かれます。
 当時でも、個々の事件はそれほど目新しいものではないのですが、それらを日常的な高校生活と並行して描いているところが、この作品の優れた点だと思われます。
 象徴的なのは、かなりかわいいとは言え普通の女の子である主人公を、暴力的で麻薬の売買をやり変態的なセックスもする元彼、男の子からはいじめられて女の子たちからはもてている新宿二丁目で男性売春をしている美少年、モデルやタレントをしている有名人だが親たちに食い物にされていて摂食障害になっている美少女といった、かなりデフォルメされた主要な登場人物たちが、全員彼女が好きでやすらぎ(時にはそれがセックスやレズビアンとして表現されているとしても)を求めている点です。
 また、これらの過激な内容を、あまり緻密には描かずに、ラフでソフトなタッチで描いているので、あまり生々しくなっていないことも成功の理由でしょう。
 全体的には、バブル崩壊後の閉塞感とノストラダムスの大予言(当時は若い世代を中心に真面目に信じている人たちがたくさんいました)に象徴される世紀末の退廃的な雰囲気を漂わせています。
 ただ作品のところどころやあとがきに書かれている作者の直截的な言葉に対しては、読み手によって好き嫌いが分かれるところかもしれません。
 また、25年も前に書かれた作品なので、LGBTに考えかたに関してはかなり古さを感じさせられます。
 残念ながら、児童文学の世界では、当時このような作品は描かれませんでした。
 しいていえば、岡崎とほぼ同世代の長崎夏海(「A DAY」や「マイ・ネーム・イズ……」の作者)などにはこういった作品を書ける資質があったと思われますが、当時の児童文学業界は出版バブルが崩壊して多様な作品を出す余裕がありませんでした。
 そういった意味では、コミックスのマーケットの方がはるかに巨大なので、いろいろな作品を発表できるダイナミック・レンジの広さを持っていた(今ではさらにその差は広がっています)と思われます。

リバーズ・エッジ オリジナル復刻版
クリエーター情報なし
宝島社




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板垣巴留「BEASTARS1」

2020-06-16 08:46:26 | コミックス
 肉食獣と草食獣が共棲している世界で、彼らの全寮制の高校を舞台にした青春コミックスです。
 肉食獣と草食獣が、それぞれの個性を生かしながら共棲する世界という設定は、ヒットアニメの「ズーラシア」(その記事を参照してください)と同じですが、舞台を全寮制の高校にしたところがこの作品の成功の要因の一つです。
 全寮制の学校という設定は、いじめや競争や友情や恋愛(同性愛も含めて)などを通してドラマを生みやすく、多くの児童文学(例えば、エーリッヒ・ケストナーの「飛ぶ教室」など)やコミックス(例えば、萩尾望都の「トーマの心臓」など)の傑作の舞台になっています。
 しかも、この作品では、男女共学の全寮制高校という設定なので、特に恋愛関係を描きやすくストーリーを支える重要な要素になっています。
 動物ファンタジーとしての擬人化度はかなり高く、動物自体はそれぞれかなりリアルに描かれていますが、人間の服を着て直立歩行しているので、時折見せる野獣としての本能は除いては、知性も含めてほぼ人間の高校生と変わりません。
 そういった意味では、動物ファンタジーの古典であるケネス・グレアムの「楽しい川辺」の正統な後継者と言えます。
 肉食獣と草食獣の共棲が、サイズの違いも含めてすごく工夫されて描かれていますが、それを超えて作品の魅力になっているのは、登場人物のキャラクター設定でしょう。
 特に、主人公のハイイロオオカミのレゴシは、圧倒的な戦闘能力と秘められた凶暴性を持っているのに、それに対してコンプレックスを抱いていて、知的で内向的な性格に設定されているのが秀逸です。
 また、ヒロイン役のドワーフうさぎのハルは、すごく可愛くおとなしそうに見える、男の子だったらみんなかばってやりたくなるような容姿なのに、実はかなりビッチなところがあって、そのギャップが魅力になっています。 
 この二人の関係が肉食獣と草食獣の禁断の恋愛であるために、男女の想いと、捕食する方とされる方の感情も混ざり合って、独特の官能世界を生み出しているところもこの作品の魅力です。


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板垣巴留「BEASTARS15」

2020-06-15 08:50:16 | コミックス
 主人公のハイイロオオカミのレゴシが、彼女のドワーフウサギのハルの家へ行って、家族とうまく対応できたので、恋愛的には進展しました。
 しかし、草食動物と肉食動物の混血種の犯罪の解決は進展しません。
 逆に、レゴシがやられてしまい、瀕死の重症を負います。
 幽体離脱したレゴシの元に、死んだ母親(コモドオオトカゲとハイイロオオカミの混血)の霊が現れ、異種動物(この場合は、哺乳類同士ですらありませんが)の混血の困難さを語ります。
 異類婚姻譚の一種として、この作品がどのような展開になるのかは、まだ分かりません(作者も分かっていない?)。


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ちばあきお「プレイボール」

2020-02-07 09:15:30 | コミックス
 1973年から1978年にかけて、週刊少年ジャンプに連載された野球漫画です。
 その前年から月刊少年ジャンプで連載されていた「キャプテン」(その記事を参照してください)で、初代キャプテンだった谷口が、高校に進学してからの後日談です。
 体格も才能も恵まれない谷口が、決してあきらめない気持ちと人一倍の努力で、やる気のない弱小チームだった墨谷高校を、夏の甲子園の東京都予選で、高校一年の時には三回戦まで、高校二年(ただし、谷口がキャプテンをしていました)の時にはベストエイトまで導く姿を克明に描いています。
 他の野球漫画と違って、魔球や超人的なプレーはまったく登場せず、ひたすら練習と対戦相手の分析によって強敵を倒していく姿は非常にリアリティがあって、実際に野球をやっていた子どもたちがプレーの参考にしたほどです。
 最近のセミプロ化(大半の出場校が、学校の宣伝のために全国から特待生をかき集めた私立高校です)した甲子園にはもうまったく興味はありませんが、ごく普通の都立高校(部員の成績が下がったために、部長に練習時間を短縮されて補習の勉強をさせられる回があります)の墨谷高校が出場する甲子園はぜひ見たかったと、今でも思っています。
 しかし、残念ながら谷口くんが三年になり、「いよいよ甲子園へ出場か?」という時に、尻切れトンボな形で連載が打ち切られます。
 作者が、躁鬱病(現在は双極性障害と呼ばれています)を発病したからです。
 その後、何度か再起を試みますが、作者は1984年に41歳の若さで自ら命を絶ってしまいました(双極性障害、特にⅠ型は自殺の危険性が高いです)。
 月刊誌に「キャプテン」(その記事を参照してください)を、週刊誌にこの「プレイボール」を並行して連載していた無理がたたったのでしょう。
 また、作者は練習やチーム内外の人間関係をもっと丁寧に書きたかったのでしょうが、人気のために試合のシーン(少年マンガでは、戦闘シーンや試合のシーンが多いほど人気が出ます)を中心に描かなければならなかったことに対する葛藤もあったかもしれません。
 連載が終わってからもう40年以上が経ちますが、谷口は私にとって今でも心から尊敬できる数少ない人物です。

プレイボール 文庫版 コミック 全11巻完結セット (集英社文庫―コミック版)
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横山光輝「伊賀の影丸」

2020-01-05 10:20:13 | コミックス
 1961年から1966年にかけて、少年サンデーで絶大な人気を誇った忍者漫画です。
 この時期はちょうど私の小学生時代と重なっているので、私自身にとっても影丸は最大のヒーローです。
 学校の帰りに、上野公園の茶店の縁台で、同級生の水越くんと、来週の「影丸」がどうなるかを熱心に語り合ったのを今でも覚えています。
 白土三平の「カムイ伝」や「カムイ外伝」(その記事を参照してください)を忍者漫画の「純文学」の代表作だとすれば、「伊賀の影丸」は忍者漫画の純粋エンターテインメントの傑作と言えるでしょう。
 黒装束、背中につるした刀、鎖帷子、十字手裏剣など、いわゆる忍者スタイルを確立し、その格好をまねる男の子たち(もちろん私もその一人です)を多数生み出して、一大忍者ブームを巻き起こしました。
 また、影丸たち伊賀忍者対甲賀や飛騨などの忍者との対抗戦、影丸の「木の葉隠れ」を初めとした秘術や秘技の応酬などのこの漫画のスタイルは、その後の少年漫画に多大な影響を与え、「キン肉マン」、「北斗の拳」、「ドラゴンボール」、「JOJOの奇妙な冒険」なども、この漫画の正統な後継者と言えるでしょう。
 それにしても、あれから50年以上も時間がたっているのに、私は、いまだに「伊賀=正義」、「甲賀=悪」という全く根拠のない偏見を持っていることを、告白しなければなりません。

伊賀の影丸 コミック 1-11巻セット (秋田文庫)
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秋田書店
 
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くらもちふさこ「ダブルフェイス」

2019-11-21 08:49:51 | コミックス
 1996年にブーケに掲載された掌編です。
 ボーリングが嫌いな男子とカラオケが嫌いな女子が、それぞれささいなきっかけ(偶然ストライクを出す、嫌々ながら一曲歌わされる)で、豹変する姿が描かれています。
 こうした高校生の日常への視点が、同じ時期にかかれていた長編「天然コケッコー」に生かされたのでしょう。
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