現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

小原秀雄「猛獣もし戦わば」

2024-04-29 09:18:16 | テレビドラマ

 [地上最強の動物は?」という副題を持つこの本を初めて読んだのは、この本が出版された中学三年生のときでした。
 小学生のころの「大きくなっったら動物園の園長になる」という夢は、その後プロ野球選手やサッカー日本代表などになる夢に取って代わられたものの、動物好きは当時も変わりませんでした。
 今だったら動物愛護協会に怒られそうなテーマですが、その頃の男の子の関心をそそったのでしょう。
 しかも、作者は私と同様にサッカーファンだったようで、目次には「猛獣ワールドカップ」なる表記もあります。
 この本が出た1970年には、ワールドカップと言えばサッカーしかなく、1968年のメキシコオリンピックで、杉山、釜本のゴールデンコンビ(先に杉山を書くのが通です)を擁し、名指導者クラマーコーチの薫陶を受けた日本チームが銅メダルを獲得する快挙で、日本は第一次サッカーブームだったのです。
 話は脱線しますが、この1970年のサッカー・ワールドカップで、ペレを擁するブラジルチームが史上初の三度目の優勝をはたして、ジュール・リメ杯(ワールドカップを創設した時のFIFAの会長にちなんだ優勝カップ)の永久保持(それまでは持ち回りでした)が許されたのでした。
 ブラジルには、ペレ以外にも、リベリーノ、ジャイルジーニョ、トスタンなどの名手がいましたし、それ以外の国にも、ウベ・ゼーラー、ゲルト・ミューラー、ベッケンバウアー(以上西ドイツ)、ボビー・チャールトン(イングランド)、リーバ、リベラ(以上イタリア)などの綺羅星のようなスーパースターたちがいました。
 この本の目次を見ると、そうしたサッカー界のスターたちにも劣らない猛獣界のスーパースターたちの対戦が並んでいます。
対決1: ライオン対トラ
対決2: ライオン対ヒョウ
対決3: トラ対ヒョウ
対決4: チーター対ライオン
対決5: ヒグマ対トラ
対決6: ゴリラ対ヒョウ
対決7: ジャガー対ピューマ
対決8: ワニ対大蛇
対決9: ワニ対サイ
対決10:ホッキョクグマ対セイウチ
対決11:シャチ対マッコウクジラ
対決12:ドール対トラ
対決13:ハイエナ対ライオン
対決14:イノシシ対トラ
対決15:オオカミ対ハイイログマ
対決16:ペッカリー対ジャガー
対決17:ライオン対サイ
対決18:スイギュウ対トラ
対決19:アフリカスイギュウ対ライオン
対決20:カバ対ライオン
対決21:カバ対クロサイ
対決22:ゾウ対サイ
対決23:ゾウ対ライオン・トラ
 それぞれの内容は、少年漫画雑誌に載っているようなキワモノではなく、当時の猛獣に関する日本の第一人者である作者が、動物学的な目撃情報から判定している正当なもの(目撃情報の少ない対戦には若干怪しげな情報も含まれていますが)で、その他のコラムも含めて猛獣ファン(そんなのがいるとしたら)にはたまらないものばかりです。
 そして栄えある猛獣チャンピオンの座は、ライオンとトラが分け合い、アフリカゾウは別格として、さらに海中の王者シャチとマッコウクジラは対象外としている、至極まっとうな(ライオン派にもトラ派にも、アフリカゾウ・ファンにも顔が立つような)結論でした。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

瀬田貞二「宮沢賢治」子どもと文学所収

2024-04-28 09:22:01 | 参考文献

 「子どもと文学」の他の論文とかなり趣が異なり、冒頭にグループ(「ISUMI会」といいます)で話し合いがもたれた時の実際の様子が紹介されています。
 この時の題材は「なめとこ山の熊」なのですが、そのやりとりを読んでいて懐かしい気持ちになりました。
 私も、大学一年の秋に、児童文学研究会の尊敬できる先輩(どういう経緯だったのかわかりませんが、私よりもかなり年長で、未成年だった私から見ると、立派な大人のように感じられました)に誘われて、児童文学研究会の分科会としてできたばかりの、「宮沢賢治研究会」という読書会に参加しました。
 それから、二年の間参加した毎週の読書会は非常に楽しいものでした。
 今振り返ってみると、参加していたメンバーの文学的な素質もかなり高かった(その後文学系の大学の教授になった女性が二名含まれていました)のですが、やはり非常に多様な作品(しかも、大半が読書会向きの短編)を持つ「賢治」でなければ、ただ作品を読んで感想を言い合うだけのあのような読書会を毎週続けることはできなかったでしょう(もちろん、読書会の後の飲み会やメンバーとの旅行も楽しかったのですが)。
 他の記事にも書きましたが、先輩はどういうコネを持っていたのか、当時の賢治研究の第一人者であった続橋達雄先生にお話を聞く機会を設けてくれ、会で花巻へ賢治詣での旅行(賢治のお墓、羅須地人協会、イギリス海岸、花巻温泉郷など)に行った際には、続橋先生のご紹介で、賢治の生家をお訪ねして、弟の清六氏(賢治の作品が世の中に広まることに多大な貢献がありました。その記事を参照してください)から生前の賢治のお話をうかがったりできました。
 その後の著者の文章は、評論というよりは、賢治の評伝に近く、賢治の童話創作の時期を前期(習作期)、中期(創作意欲にあふれ、一日に原稿用紙百枚書いたという言い伝えがあり、ほとんどの童話の原型ができあがった時期)、後期(完成期)に分けて、時代ごとに主な作品とその特徴や創作の背景を解説しています。
 著者が指摘している賢治作品の主な特長は以下の通りです。
「構成がしっかりしている」
「単純で、くっきりと、眼に見えるように描いている」
「方言や擬声音、擬態音をうまくとりいれ、文章全体に張りのあるリズムをひびかせる」
「四四調のようなテンポの均一な、踊りのようなリズム」
「日本人には不向きと言われているユーモア」
「ゆたかな空想力」
 こうした「賢治作品」の特長を育んだものとして、著者は以下のものをあげています。
「素質が狂気に近いほどに並はずれた空想力にめぐまれたこと(こればかりは他の人にはまねできません)」
「郷土の自然」
「郷土の民俗」
「宗教(特に法華経)」
「教養(社会科学、文学、語学、音楽)(著者は無視していますが、自然科学の教養も他の作家にない賢治作品の大きな特徴です)
 全体を通して、著者自身の賢治の評価はベタほめに近く、むしろ「賢治」を利用して、既成の童話界(「赤い鳥」、小川未明、浜田広介など)を批判するために書いているような感もあります。
 また、当時(1950年代)の賢治作品の評価が「大人のためのもの」に傾いていると、著者たちは認識していたようで、自分たちの実体験(彼らの子どもたちの感想)も加えて、繰り返し賢治作品は本来「子ども(作品によっては低学年の子どもたちも)のために書かれたもの」で、その上で「純真な心意の所有者」の大人たちも楽しめるものだということを強調しています。
 この文章が書かれてから六十年以上がたち、子ども読者(大人読者も同様ですが)の本に対する受容力は大幅に低下しているので、現在では、当時の著者たちの認識より二、三年はプラスしないと、読むのは難しいかなという気はします。

子どもと文学
クリエーター情報なし
福音館書店
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石井直人「現代児童文学の条件」(「研究=日本の児童文学 4 現代児童文学の可能性」)所収

2024-04-26 11:36:22 | 参考文献

 1998年に出た日本児童文学学会編の「研究=日本の児童文学 4 現代児童文学の可能性」の巻頭を飾る「総論」の論文です。
 ここでいう現代児童文学とは、1950年代に始まって1990年代に終焉(または変質)したといわれる狭義の現代児童文学(他の記事を参照してください)ではなく、(同時代の)という意味の広義の現代児童文学です。
 論文は、以下の四部構成になっています。
1.「幸福な一致」
2.子ども読者――読書のユートピア
3.子ども読者論の変奏
4.楕円構造――児童と文学という二つの中心
 1では、現代児童文学の出発時にさかのぼり、作者の認識と読者の認識、さらには批評までが一致していた幸福な時代について、松谷みよ子の「龍の子太郎」を中心に述べています。
 2では、著者が戦後児童文学の批評における最大の書物とする「子どもと文学」を中心に、「子ども読者」の創造と読書のユートピア時代について語られています。
 3では、1978年の本田和子の「タブーは破られたか」、1979年の今江祥智の「もう一つの青春」、1980年の柄谷行人の「児童の発見」という三つのエッセイをもとに、「児童文学のタブーの崩壊」、「児童文学と一般文学の互いの越境」、「子ども論」などを中心に、「子どもと文学」が提示した「子ども読者論」がどのように変化し、現代児童文学が変遷していったかを考察しています。
 4では、児童文学が「児童」と「文学」という二つの中心を持つための特殊性と、それゆえの矛盾や葛藤を持つものであるかが示されています。
 全体を通して、「総論」らしく現代児童文学の概観について、文学論、読者論、児童論、心理学、哲学などの知見をちりばめてアカデミックに書かれていて、注に掲げられていた論文や文献も含めて読みこなすのにはかなりの時間がかかりましたが、非常に勉強になりました。
 

現代児童文学の可能性 (研究 日本の児童文学)
クリエーター情報なし
東京書籍
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

瀬田貞二「幼い子の文学」

2024-04-25 10:33:04 | 参考文献

 著者が、1976年6月から一年の予定で行った児童図書講座で、二十数名の児童図書館員を前にして話された各回一時間半の講演(残念ながら著者の病気のために六回だけで打ち切りになってしまいました)をまとめて、著者の没後に出版された本です。
 各回はそれぞれ、生きて帰りし物語、なぞなぞの魅力、童歌という宝庫、詩としての童謡、幼年物語の源流、幼年物語の展開、となっていて、それぞれ豊富な実例とともに興味深い内容が語られます。
 児童文学のもっとも源流に位置する幼年童話や絵本の構造や歴史について、主に日本と英米の本を中心にしてまとめられています。
 もし最後までこの口座が行われ著者自身の手でその内容がまとめられていたら、幼年童話に関するもっとも重要な本になっていたことでしょう。
 この本に掲載されている分だけでも、児童図書館員はもちろん、読み聞かせをされている方々や、幼年童話や絵本を実作されている人々にとっても、必読の本だと思われます。

幼い子の文学 (中公新書 (563))
クリエーター情報なし
中央公論新社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジンジャーとフレッド

2024-04-21 14:51:29 | 映画

 1986年公開のイタリア映画です。

 往年のアメリカのダンス映画の大スター、ジンジャー・ロジャースとフレッド・アステアのものまね芸人として、イタリアのショー・ビジネスでかつて活躍したジンジャー(本名はアメリア)とフレッド(本名はピッポ)が、30年ぶりに再会する話です。

 テレビのクリスマス特番の見世物的番組に、「あの人は今」的な感じで出演を依頼されたのです。

 盛りをとうに過ぎた男女の悲哀を、こちらも往年の大スターであるジュリエッタ・マシーナ(「道」のジェルミソーナです)とマルチェロ・マストロヤンニが、鮮やかに演じています。

 こうしたかつての大スターたちが、平然と老醜をさらけだして演じる姿勢は、日本ではあまりないかもしれません。

 特に、マストロヤンニは、さらに老けメイクを駆使して老醜を強調して、かつての二枚目スターのイメージをかなぐり捨てて見せているのには、感心させられます。

 この映画は、ある意味、監督のフェデリコ・フェリーニと、彼の作品の秘蔵っ子たち(ジュリエッタ・マシーナ(フェリーニの妻)は「道」「カビリアの夜」「魂のジュリエッタ」など、マストロヤンニは「81/2」「甘い生活」「女の都」など」)とによる、同窓会的な趣もあります。

 ただ、それだけでなく、醜悪な巨大テレビ局の実態を、痛烈に批判してみせているのは、さすがフェリーニです。

 この作品が作られた時には、フェリーニが66才、マシーナが65才、マストロヤンニが62才でした。

 今回、彼らと同年輩になって見直したので、公開時にはそれほど感じなかった人生の哀歓を、自分自身の実感を持ってまざまざと味わうことになりました。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フェリーニのローマ

2024-04-20 09:10:13 | 映画

 1972年公開のイタリア・フランス合作映画です。

 子ども時代、ローマへ出てきた青年時代、そして現代のフェリーニの目を通したローマやそこで暮らす人々を描いています。

 特にストーリーはなく、断片的なシーンの連続ですが、それを通してフェリーニ独特の、荘厳、幻想、猥雑などが一緒くたになった世界が描かれています。

 有名なシーンを列挙すると、聖職者による聖職者のためのファッションショー、低級と高級の売春の館、嵐の中の高速道路の渋滞、バイクの群れの暴走、発見されたローマ時代の壁画が外気に触れて消えていくシーン、様々な人間が又借りで住み着いているアパートメント、大家族や近所の人たちが集まる外での食事シーン、戦時中のボードヴィル・ショー、フェリーニ自身も登場するこの映画の撮影シーンなどになります。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジェームス・サーバー「たくさんのお月さま」

2024-04-16 15:50:16 | 作品論

 ヨーロッパのどこかと思われる小さな王国の、10歳のおひめさまのお話です。
 ある時、おひめさまは木いちごのパイを食べ過ぎて(この作品が書かれたのは70年以上も前ですから、かなりおしゃれですね)病気になってしまいます。
 おひめさまに甘い王さまが何でも欲しい物をあげようとお姫様に尋ねると、「お月さまがほしい」と難題を出されます。
 王さまは、賢いと思われている家来の侍従長と魔法つかいと数学者に、お月さまを取ってくるように命じますが、彼らは、いかにも賢そうに過去の実績を並べるだけで、ちっとも役に立ちません。
 困った王さまのために、道化師が直接おひめさまに「お月さまとは何か」を尋ねると、おひめさまは子どもらしい発想の「お月さま」(金でできたおひめさまの親指のつめより小さい丸い物)を教えてくれたので、金細工師に作らせて金の鎖をつけると、おひめさまは大喜びで「お月さま」を首にかけて病気もたちまち治ってしまいます。
 しかし、新たな問題が発生します。
 その夜も、お月さまが空に出てきたからです(当たり前ですけど)。
 自分が手に入れたお月さまが偽物だと気づいて、また病気になってしまうのではと心配した王さまは、今度も侍従長と魔法つかいと数学者に相談しますが、彼らからは一見賢そうで常識的な、実は陳腐なアイデアしかでてきません。
 困った王さまのために、道化師がまたおひめさまへ直接、「どうしてまた別の月が出てきたのか」を尋ねに行きます。
 その時のおひめさまの答えは?
 ここが作品の一番の魅力ですし、短いお話ですので、そこから先は図書館で本を借りて原文でお楽しみください(ヒントは本のタイトルです)。
 私の持っている本は、今江祥智の洒脱な文章と宇野安喜良のヨーロッパの雰囲気をたたえたイラストがたくさんついた小さな絵本です。
 この作品ほど、「子どもの論理」の「大人の常識」に対する勝利を鮮やかに描いた作品を、私は他に知りません。
 そして、常に「子どもの側」にたって、「子どもの論理」に基づいて創作するのが、真の児童文学者だと、今でも固く信じています。


たくさんのお月さま (1976年)
クリエーター情報なし
サンリオ出版




 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アラン・シリトー「長距離ランナーの孤独」集英社版世界の文学19所収

2024-04-12 14:35:42 | 作品論

 1959年に発表された、作者の初めての短編集の表題作です。
 前年に出版された処女作「土曜の夜と日曜の朝」(映画[サタデー・ナイト・フィーバー」(その記事を参照してください)の題名には、この作品の影響が見られます)と共に、作者の名前を一躍世界中に広めました。
 作者の登場は、イギリスにおける真の労働者階級の作家の登場であるとともに、当時社会問題化していた若者(特に労働者階級)の気持ちをストレートに代弁していたからです。
 日本とは比べ物にならないぐらい(現在では日本も格差社会になりましたが)階層社会で、出自によりその人の人生が決まってしまうことの多いイギリスにおいて、労働者階級(特にその中でも下層に位置する)の若者のやり場のない閉塞感と社会への反抗を、鮮やかな形で描いています。
 主人公の17歳の少年は、窃盗の罪で感化院(現在の少年院のようなもの)に入れられていますが、院長に長距離ランナーの資質を見出されて、感化院対抗の陸上競技大会のクロスカントリーの選手に選ばれて、特別に院外の原野での早朝練習をさせられています。
 作品の大半の部分は、その練習中における彼の頭の中での独白(生い立ち、社会の底辺にいる家族、社会への反発、非行、彼が犯した犯罪など)で構成されていますが、それと並行して、走っている原野の風景や走ることの喜びも描かれ、読者は次第に彼の閉塞感と孤独を共有するようになります。
 原野が彼を取り巻く社会、感化院が彼を縛る窮屈な社会の規範、院長たちが彼を搾取している上流階級、そして、クロスカントリーが彼の人生そのものの、比喩であることは、同じ環境にない読者にも容易に読みとることができます。
 大会のクロスカントリーでは、圧倒的にリードしていた主人公が、自分の意思でゴール前で歩みを止めて敗れます。
 これは、院長(社会の支配者層の代表)の期待通りのレースでの勝利は、断固として拒否する彼の意思のあらわれだったのです。
 そのために、残された六ヶ月の感化院での生活が、優勝した場合に院長が約束していた楽な楽しい生活ではなく、懲罰的な重労働を課せられた厳しいものであったとしても、彼は自分の意思に忠実だったのです。
 事実、過酷な生活のために彼は体調を崩してしまいますが、そのおかげで彼が感化院と同じだと考えていた徴兵を逃れられたおまけ付です。
 この作品を初めて読んだのは高校生の時で、主人公と違ってまったく恵まれた安逸な環境にいましたが、主人公の大人社会への反発には激しく共感したことを覚えています。
 また、この作品の、若者の話し言葉による一人称で書かれた文体もすごく新鮮でした。
 その時は、まだサリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(その記事を参照してください)を読んでいませんでしたが、実際にはこの作品の文体があの世界的ベストセラーの影響を受けていただろうことは想像に難くないです。
 ただし、こちらの作品の文体の方が、卑俗的で野趣に富んでいて(訳者によると、ノッティンガム地方の方言だそうです)、アナーキックな怒りを表すには適しています。
 それにしても、この作品の題名、「長距離ランナーの孤独」は秀逸で、人生に対する比喩であるばかりでなく、実際の長距離ランナーに対するイメージすら確定しまった感があります。
 特に、日本では、東京オリンピックのマラソンで金メダルを取ったエチオピアのアベべ選手の哲学者のような走りと風貌、同じレースで銅メダルを取り、その後次のオリンピックでの国民の期待という重圧に押しつぶされて自殺してしまった、円谷幸吉選手の孤独と無念のために、より深くそのイメージが刻み込まれています。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大石真「チョコレート戦争」

2024-04-09 10:14:08 | 作品論

 菓子店のショーウィンドウを壊したとの濡れ衣を着せられた子どもたちが、そこに飾られていたチョコレートのお城を盗み出すことを計画します。
 この計画は、事前に店の経営者の知ることとなり、子どもたちのチョコレートのお城強奪は、かえって店の宣伝に利用されてしまいました。
 しかし、この店のあくどいやり方が市内の全小学校の学校新聞で報道されることにより、全市的な不買運動がおこり、最後は店の経営者が子どもたちに謝罪して、子どもたち側の大勝利に終わります。
 1965年初版以来、現在まで60年近くにわたって百数十刷を重ねている「現代日本児童文学」の「古典」の一つです。
 しかし、これを「現代児童文学」の代表作と見るのには、異論もあるだろうと思います。
 大石は、「幸い、それらの作品のいくつかが(注:日本児童文学者協会新人賞を受賞した1953年の「風信器」などを指します)大人の読者の好評を得て、ぼくも童話作家の仲間にくわえられましたけれど、ぼくの心の中に、かすかな疑問がないわけではなかった。(中略)ぼくは童話というものは、子どもにおもしろくなくては駄目であると考えるようになった。子どもにおもしろく、しかも、大人が読んでも、おもしろくなくては駄目であると思った。(「日本児童文学」1969年11月号)」と、「チョコレート戦争」の成功をふまえて発言しています。
 確かに、この作品では、多くの子どもの読者を獲得しました。
 偕成社の名編集者であった相原法則は、大石について以下のように述べています。
「少年ジャンプのモットーとするところの内容を、友情・努力・勝利の三つだといいます。(中略)知ってか知らずか、大石さんの作品は、まさにこの三つを取り入れています。(日本児童文学者協会編「児童文学の魅力 いま読む100冊日本編」所収)」
 大石がエンターテインメントも書ける作家として、それまで続けていた小峰書店での編集者の仕事を1966年に辞めて作家生活に専念できたのも、この作品の成功による自信からだと思われます。
 しかし、大石の言葉の後半の「大人が読んでも、おもしろくなくては駄目である」ということがこの作品で成功したかどうかについては、かなり疑問が残ります。
 例えば、水沢周は、この作品のプロット、キャラクター、さらにはディテールな点までについて、リアリティのなさを指摘して酷評しています(「現代日本児童文学作品論 日本児童文学別冊」所収)。
 「チョコレート戦争」のようなエンターテインメント作品を、純文学の切り口で評する水沢の論じ方はフェアじゃないと思いましたが、一方で大人の読者が読んで物足らないという面は、かなり当たっていると思われます。
 では、「現代日本児童文学」として、この作品がどうなのかを少し分析してみたいと思います。
 その前に、大石が自分の書いている物を「児童文学」ではなく、「童話」と称している理由にふれておきます。
 大石は、その当時の童話界のメッカだった早大童話会で、「現代日本児童文学」の理論的な出発点の一つといわれる「少年文学宣言(正しくは少年文学の旗の下に)」(その記事を参照してください)を出した鳥越信、古田足日、神宮輝夫、山中恒たちよりも数年先輩にあたる世代に属しています。
 その後、大石は「少年文学宣言」派とは袂をわかって、早大童話会の顧問で「少年文学宣言」派に(それだけではなく石井桃子たちの「子どもと文学」派からも)批判された近代童話の大御所たちの一人である坪田譲治が主宰した「びわの実学校」に同人として参加しています。
 そのために、自分の作品を「児童文学」ではなく、「童話」と称しているのです。
 それでは、「現代児童文学」の代表的な特徴(これも各派によって様々な意見があるのですが)に照らし合わせて、この作品を眺めてみましょう。
「散文性の獲得」
 「現代児童文学」では、近代童話の詩的性格を克服して、小説精神を持った散文で書かれることを目指しました。
 この点では、「チョコレート戦争」は申し分ないでしょう。
 大石の優れた特長の一つである平明で子どもにもわかりやすい文章で、作品は書かれています。
 この読みやすさが、多くの読者を獲得した大きな成功要因です。
「おもしろく、はっきりわかりやすく」
 特に「子どもと文学」派は、この点を世界基準と称して「現代児童文学」に求めました。
 「チョコレート戦争」は、このポイントもクリアしています。
 やや単純すぎるとも思われるキャラクター設定やプロット、適度に読者をハラハラさせるストーリー展開は、おもしろくてわかりやすく、確実に子どもの読者をつかみました。
「子どもへの関心」
 「現代児童文学」では、大人の道徳や常識に縛られない生き生きとした子ども像を創造する事を目指しました。
 この作品では、宣伝に利用しようとする菓子店の経営者の「大人の論理」を、全市内の子どもたちの団結による「子どもの論理」が打ち破ったかに見えます。
 そこに読者の子どもたちは、大きな達成感を感じるのでしょう。
 しかし、実は一見「子どもの論理」に見える「学校新聞」での批判は、実は大石自身の「ジャーナリズムに対する過信」という「大人の論理」が透けて見えてなりません。
「変革への意思」
 新しいもの(児童文学では主に子どもに代表される)が古きもの(大人に代表される既成の権威)を打ち破って、社会変革につながる児童文学を目指しました。
 この作品ではここが一番弱いし、大石自身がこの作品を「児童文学」ではなく「童話」と称した点でもあると思います。
 菓子店の経営者がおわびに子どもたちの学校へ毎月ケーキを届けるようになるエンディングは、大人(権威、あるいは体制側)が子ども(変革者)をたんに懐柔しているだけで、少しも社会を変革しようとしていない現状肯定的な姿に見えてなりません。
 大石は、その後、「教室205号」などの社会的な問題を取り扱った作品も発表しています。
 彼は、「童話」と「現代児童文学」の狭間で苦闘しながら、1990年に亡くなるまでの作家生活をおくったように思われます。
 前出した相原の言葉を借りると、「いい本には二種類しかない。褒められる本(相原の定義では賞を取ること)と売れる本だ。しかし、たいがいの作家は、一つの作品で両方を狙うから失敗する」
 そういう意味では、大石は、その両方のいい本を世の中に残したことになりました。
 日本児童文学者協会新人賞を取った「風信器」などが前者で、「チョコレート戦争」はもちろん後者です。
 最後に、「現代日本児童文学作家案内 日本児童文学別冊」に掲載された大石自身の言葉を紹介しましょう。
「児童文学とは何か――この問いかけが、たえず波のように私の胸におそいかかってっくる。この十年間(現代日本児童文学作家案内は1975年9月20日発行)に発表された私の作品は、すべてその問いかけへの答えだといってよい。あるときの私は児童文学を青春文学の一変種として捉え、あるときの私は暗い人生の反措定として児童文学を捉えた。だがそれでよいのだろうか。これからもたえず疑問が生まれ、その解答のかたちで私の児童文学は創り出されていくことだろう。」
 こういった「現代児童文学」とエンターテインメントの狭間における煩悶は、かつては私も含めて多くの児童文学作家に共有されていたと思いますが、現在では「売れる本」という価値観がすべてで、そのような葛藤をしている書き手は見当たりません。

チョコレート戦争 (新・名作の愛蔵版)
クリエーター情報なし
理論社





 





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

柄谷行人「児童の発見」日本近代文学の起源所収

2024-04-02 10:57:46 | 参考文献

 小川未明たちの「近代童話」が「子ども不在」であったと批判した「現代児童文学論者」が主張した「真の子ども」「現実の子ども」「生きた子ども」もまた一つの観念にすぎず、「子ども」(文中の用語では「児童」)という概念自体が近代になって発見された概念にすぎないと批判し、「現代児童文学論者」に大きな衝撃を与えました。
 アリエスの「<子ども>の誕生」に基づいて書かれていると言われていますが、内容は明治以来の日本の状況に合わせてあります。
 日本の「児童文学」の確立が西欧より遅れたのは、「文学」自体の確立が西欧から遅れたのだからだと述べていますが、それは日本の「近代」が明治期以降に移入されたものであって西欧より百年ほど遅れていたのですから、自明のことでしょう。
 「児童」を「風景」と同様に、疑いなく存在するがそれは見いだされたものであるという指摘は、現代児童文学者たちを「児童」という縛りから解放するのに有益でしたが、大半の「現代児童文学」の書き手はそれには無自覚で(柄谷やアリエスの指摘を、間接的にも読まなかったと思われます)、観念にすぎない「児童像」を追及し続けてていたように思えます。
 ただ、現在の子どもと大人(特に女性)に共有される一種のエンターテインメントとなった「児童文学」では、皮肉にもその「子ども」という縛りからは解き放たれているのかもしれません。
 しかし、その代わりに、「売れる本」という新しい観念に縛られているのでしょう。
 また、現在の年齢で横並びの学校制度にならうように、「低学年向け」とか「高学年から」と限定されて出版している児童書の出版社にはその固定化した「子ども」像が今でも見られますし、それに影響されて観念的な学年別の「児童」像に縛られて創作している「児童文学作家」が依然として数多くいることも事実です。

日本近代文学の起源 原本 (講談社文芸文庫)
クリエーター情報なし
講談社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

飛ぶ教室

2024-04-01 16:51:11 | 映画

 2003年のドイツ映画です。

 1933年に書かれたエーリッヒ・ケストナーの児童文学の古典の映画化です。

 現代に合わせるための変更はなされていますが、驚くほど原作に忠実に作られています。

 子どものころからのケストナー・ファンである私にとっては、驚きとともに深い満足感を味合わせてくれました。

 重要な場面はほとんど原作通りに描かれていて、感動で涙があふれてくるのをとめられませんでした。

 原作との主な変更点は以下の通りです。

 主役をマルチン・ターラーではなく、ヨーニー(ヨナタン)・トロッツにしています。

 ヨーニーは詩人ではなく、作曲家にしています(代わりにマルチンを詩人にしています)。

 禁煙先生との交流の理由として、ヨーニーが拾った子犬を登場させています。

 ゼバスチアンを、クロイツカム先生の息子のルディと合体させています。

 クロイツカム先生を、校長にしています。

 敵対しているチームを、実業学校から同じ学校の帰宅生に変更しています。

 敵対チームに焼かれてしまったのを、成績表から楽譜に変更しています。

 主人公たち寄宿生を、合唱団のメンバーにしています。

 敵対チームのリーダーのエーガーラントを女の子にして、ヨーニーの相手役にしています。

 マルチンの家庭の問題を、父親の失業から両親の離婚に変更しています。

 かつて禁煙先生が姿を消した理由を、西ドイツ側への逃亡にしています(この作品の舞台は旧東ドイツになっています)。

 彼らが演じる「飛ぶ教室」の舞台を、劇でなくラップにしています。

 逆に、現代を舞台にしたのでは難しいと思われるシーンが映画化されていて驚いたのは以下の通りです。

 マッツ(マチアス)・ゼルプマンとヴァヴェルカとの決闘シーン。

 両軍の雪合戦。

 クロイツカムが、敵対チームの捕虜になるシーン。

 ウリーが校舎から飛び降りるシーン(ただし、持っていたのはこうもり傘ではなく、大きな風船に変更されています)。

 教室で、ウリーがかごに入れられて吊されるシーン。

 禁煙先生が暮らす禁煙車。

 最上級生のテオたちの社交ダンスシーン。

 全体として、ケストナーの精神である「つねに子どもたちの立場に立つ」ことが、この映画でも非常に良く受け継がれています。

 おそらく、ドイツでは、今でもケストナーや彼の作品が広く愛されているのでしょう。

 それを考えると、異国に住むケストナー・ファンとしては、とてもうれしくなります。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする