現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

桜木紫乃「本日開店」ホテルローヤル所収

2019-01-31 09:00:41 | 参考文献
 貧乏寺の大黒(住職の妻)が乏しい収入を補うために、檀家の主な人たちを相手に売春をしている話です。
 奇想天外な設定ですが、それを読者に納得させてしまうところが作者の腕前でしょう。
 この作品でも、檀家の代替わりにより、男との関係性が変わっていくところを、あざといほどの巧みさで描いていきます。
 児童文学でも奇想天外な設定の話はたくさんありますが(特にファンタジー)、やはりどこまでその世界に引きこめるかに作者の腕前が問われます。

ホテルローヤル
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集英社
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手塚治虫「火の鳥 鳳凰編」

2019-01-30 14:25:49 | コミックス
 不思議な運命で、人生において何度も交錯する二人の対照的な仏師を描いています。
 一人は都でも人気のイケメンの仏師。
 もう一人は、生まれながらにして障害を持ち大きな醜い鼻を持った男。
 旅の途中で、障害と醜さゆえに人から差別迫害されて強盗になっていた男に利き腕の右手を切られたことをきっかけに、イケメン仏師は発心して、左手一本ながらまた仏像を彫れるようになります。
 イケメン仏師は、彼の腕前のうわさを聞いた時の権力者から、誰も見たこともない鳳凰(中国などの古代アジアにおける火の鳥の呼び名)を彫るように命じられ、鳳凰の姿を求めて全国を彷徨います。
 一方で、強盗だった男も旅する高僧に弟子入りしたことをきっかけに、自然の中で仏師になります。
 その二人が、国家大事業である大仏建立をめぐって再び、出会った後にまた別れます。
 彼らや大仏建立を通して、生きるとは何か、死ぬとは何か、輪廻とは何か、人間とは何か、芸術とは何か、国家権力とは何か、宗教とは何かを問いかけます。
 今回の作品でも、二人の仏師のターニングポイントになる時に、魅力的な女性たち(イケメン仏師には14歳のかわいいあばずれ女、醜い鼻の仏師には透き通るように美しいテントウムシの精)が現れ、彼らがブレークスルーするのを助けます。

火の鳥 4・鳳凰編
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朝日新聞出版
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尾崎 翠「こおろぎ嬢」第七官界彷徨・瑠璃玉の指輪他四篇所収

2019-01-30 09:32:23 | 参考文献
 古典的な文学少女が、現実と作品世界と空想世界(薬物中毒?)のはざまをさまよう作品です。
 私は、専門と仕事は理科系なのですが、四十年以上も文学関係のサークルや同人誌や学界に属してきました。
 学生の頃のサークルでは何人かの典型的な文学少女(そのうちの二人は、その後文学系の大学教授になりました)に出会いましたが、その後は本格的な文学少女(あるいは成人女性)にはほとんど出会っていません。
 児童文学の同人誌においても、コモンセンスのような有名作品(例えば、マーク・トウエンの「トム・ソーヤーの冒険」、トールキンの「指輪物語」、ケストナーの「飛ぶ教室」、ケネス・グレアムの「楽しい川辺」、ミルンの「クマのプーさん」、ローリングの「ハリー・ポッター」シリーズ、宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」、カニグズバーグの「クローディアの秘密」、ピアスの「トムは真夜中の庭で」、佐藤さとるの「だれも知らない小さな国」など)を読んだことがない人が大半なので、本当に児童文学が好きなのかと疑念がわいてきます。
 中には、こういった作品について話を合わせてくる人もいるのですが、そのほとんどが映画やアニメで見ただけのようで、次第に話のつじつまが合わなくなってがっかりさせられることが多いです。

第七官界彷徨・琉璃玉の耳輪 他四篇 (岩波文庫)
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岩波書店
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吉村萬壱「虚ろまんてぃっく」虚ろまんてぃっく所収

2019-01-28 18:35:53 | 参考文献
 北国と思われる寂れた埠頭での、不思議な登場人物たちの虚ろでロマンティック(?)な一夜を描いています。
 全編に、猥雑で荒廃した雰囲気があふれています。
 手法としてはかなり実験的で、描写と会話が完全に分離(前半が描写の連続、後半が会話の連続)して書かれていて、トータルとしては読者の中にひとつのイメージがリフレインされます。
 この手法が成功しているかは別にして、小説が文章芸術のひとつである以上は、いろいろな試みがなされることには意味があります。
 現在の児童文学の出版状況では、この短編のような前衛的な手法を採用した作品が商業出版されるチャンスはないでしょうが、同人誌などではこうした試みがされてもいいと思います。

虚ろまんてぃっく
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文藝春秋
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扉をたたく人

2019-01-23 15:59:53 | 映画
 妻に先立たれ、仕事にも私生活にも無気力になってしまった大学教授が、ふとしたことで不法滞在者の若いカップルと知り合うことによって、生きる希望を見出していきます。
 9.11以降のニューヨークを舞台に、格段に厳しくなった難民や移民の審査、不法滞在者の摘発、そして強制送還といった過酷な現実が背景になっています。
 そういった社会問題も重要ですが、それ以上に生きる目標を失った初老の男性の姿が、私も同世代だけに余計に身に染みました。
 しかし、この映画の主人公のように他律とはいえ新しい生きがいを見出している人はむしろ少数で、映画の冒頭に描かれたような無気力状態に陥っている人たちが大半なのではないでしょうか。
 少なくとも主人公は、コネチカットの自宅以外にニューヨークにアパートメントを持っているほど裕福ですし、大学教授とういう社会的な地位もあります。
 日本でもアメリカでも、大多数の中高年の男性たちは、生活していくので精いっぱいなので、置かれている状況ははるかに過酷です。
 そうした人たち(特にプアーホワイトと呼ばれている貧しい白人たち)に、アメリカ大統領選におけるトランプの移民排撃政策は魅力的に映ったのでしょう。

扉をたたく人 [DVD]
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東宝
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津村記久子「カソウスキの行方」カソウスキの行方所収

2019-01-23 15:58:10 | 参考文献
 作品論ではありませんが、簡単にあらすじを述べておきます。
 イリエは、後輩に対する上司のセクハラを告発して、逆に本社から辺鄙なところにある閉鎖される予定の倉庫へ左遷されてしまいます。
 本社へ帰りたいイリエは都内に借りている部屋はそのままにして、倉庫の近くのショッピングセンターのカフェで店長をしている、大学時代の友人のしおりの所に居候しています。
 イリエは両親とも関係が切れていて、もう三年も実家へ帰っていません。
 つきあっいる相手もいないイリエは、将来しおりとシェアハウスを買って一緒に暮らしてもいいかなと思っていました。
 しかし、しおりはカフェでアルバイトをしていた六歳年下の大学生と、その子の卒業を機に結婚することになります。
 そのため、イリエは、会社の借りている古いアパートに移らなくてはならなくなります。
 四面楚歌の状態に追い込まれたイリエは、その窮地を何とかやり過ごすために、同僚のパッとしない森川という男を好きになったと、自分で仮想することにします。
 カソウスキとは、「仮想好き」のことなのです。
 正直言って、小説の出来は彼女のその後の作品と比べるともうひとつなのですが、この作品もポスト現代児童文学の創作理論について示唆に富んでいます。
 学校(特に教師)、友人関係、家庭に阻害されてような、孤立無援になっている子どもたちにとって、仮想した友人、(それは同性でも異性でも構いませんが)、を持つことは、その状況を克服するとまではいかないにしろ、何とかやり過ごす手段として有効だと思います。
 ゲームやネットなどの仮想空間で遊ぶことに慣れている現代の子どもたちにとっては、仮想の友人を描いた作品は親和性の高いものになると思われます。
 また、そういった作品を読むことによって、実際に孤立している子どもたちが生き延びていくためのヒントになるのではないでしょうか。
 友人ではありませんが仮想のペットを持つことで閉塞感を逃れようとした児童文学の作品には、フィリッパ・ピアスの「まぼろしの小さい犬」があります。
 私自身も、幼稚園から小学校低学年のころ、自家中毒という病気で幼稚園や学校を休みがちだったので、「本の中の友だち」(例えば、エーリヒ・ケストナーの「エーミールと探偵たち」のエーミール・ティッシュバインや「飛ぶ教室」のマルチン・ターラーなど)にどんなに励まされたかわかりません。
 その時の体験がなかったら、私は児童文学に関わるようにはならなかったでしょう。
 

カソウスキの行方 (講談社文庫)
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講談社


まぼろしの小さい犬
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岩波書店
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安東みきえ・さく ミロコマチコ・え「ヒワとゾウガメ」

2019-01-23 15:54:51 | 作品論
 あける24号という同人誌に掲載された作品が、2014年に絵本として出版されました。
 作品の内容は、同人誌の時とほとんど変わらないので、そちらの記事を参照してください。
 その時述べたように、主人公たち(特にヒワ)のビジュアル面が文章からはわからない点は、絵本になったことで解消されています。
 作者の作品は哲学的な内容を含んでいるので、子どもたちには難しいかもしれませんが、最近の絵本の読者の中心になっている広範な年齢の女性たちには受け入れられると思われます。
 ミロコマチコの絵は力強くて魅力的なのですが、作者の持ち味である繊細な感覚と練り上げられた文章には、もっと精密なイラスト風の絵の方がマッチしているのではないでしょうか。

ヒワとゾウガメ
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佼成出版社
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立花 隆「ボスザルは存在しない 伊沢紘生」サル学の現在所収

2019-01-22 09:32:56 | 参考文献
 作者が当時(1986年から1990年ごろ)気鋭だったサル学者と雑誌上で連続対談したのをまとめた本の中で、この対談が一番衝撃的な内容でした。
 ご多分に漏れず、私もこの本を読むまでは、ニホンザルの群れはボスザルを中心とした同心円構造を持っていると思っていました(それらに言及していた伊谷純一郎の「高崎山のサル」は、学生時代の愛読書でした)。
 ところが、ボスザルは、高崎山などの餌付け群における餌場という狭い空間で餌を取り合う力関係から想像した幻に過ぎないことを、伊沢氏が白山における自然群の観察から明らかにしたのでした。
 サルは群れの中でも、あるいは群れ同士でも親和的で、競争関係を持たないことを証明し、さらに狩猟民を観測したところによると、本来は人間もサルと同様に親和的で競争的ではないことを知って、目からうろこが落ちる気がしました。

サル学の現在
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平凡社
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老人児童文学

2019-01-22 09:27:34 | 考察
 最近の児童文学の同人誌では、老人が出てくる作品が増えています。
 それは、児童文学の書き手が高齢化しているとともに、元気な高齢者が増えてこれから児童文学の創作をやりたいという方が増加しているからでしょう。
 私は、それらの作品を老人児童文学と呼んでいますが、中には子どももまったく出てこないし、子どもの読者を想定して書かれていないものもあり、これらは純粋に老人文学といえるでしょう。
 私はそういった分野には疎いのですが、老人文学を対象とした同人誌はないのでしょうか?
 こういった作品を、真の意味で共感して読めるのは、同じような境遇のお年寄りか、そういった親を持つ子どもたち(四十代、五十代、場合によっては六十代)でしょう。
 ご存知のように、日本では超高齢社会化が進んでいるのですから、そういったお年寄り向けの同人誌や雑誌を作ったら、おそらく成功することでしょう。

絵本・児童文学における老人像―伝えたいもの伝わるもの
クリエーター情報なし
グランまま社
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奥田英朗「噂の女」

2019-01-22 09:26:13 | 参考文献
 男好きのする肉感的な魅力を持つ女が、色仕掛けと関係を持った男たちを次々と殺すことによって(これもあくまで噂として描かれていますが)、次第にのし上がっていく姿を描いています。
 強引でご都合主義なストーリー、偶然の多用、平面的な(一面的な性格付けがなされている)キャラクター設定、官能的なシーンなど、典型的なエンターテインメントの手法で書かれた作品です。
 島田雅彦の「傾城子女」(その記事を参照してください)も同じような官能的な女性を通俗的に描いた小説ですが、さすがにエンターテインメントの腕前は作者の方が上のようです。
 題名通りに、いろいろな人物の視点から、この女の噂を連作短編のような形で描いていくのですが、ところどころではこの女の実際のアクションが描かれていて、手法としては中途半端な感じでした。
 また、警察がこの女の連続殺人(?)の捜査を始めて、女が姿を消すところで作品が終わっていて消化不良でした。
 それに、この女のした犯罪を、複数の女性たちが共感を持っているように描かれているのは、作者の歪んだジェンダー観が現れていて不快でした。
 それにしても、作者は生まれ故郷の岐阜が憎いらしく、徹底的に悪意を持って猥雑で後進的で腐敗しているように描いていて、「地元に帰った時に大丈夫かな」(もう帰る気はないのかもしれませんが)と他人事ながら心配になってしまいます。

噂の女
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新潮社
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アーロン・チェア

2019-01-22 09:23:13 | 参考情報
 2012年の2月に大学院に進学せずに在野(日本児童文学学会と宮沢賢治学会の会員にはしていただきましたが)で児童文学の研究することを決め、そのために自宅の四畳半を書斎にするための投資をしたことは別の記事で書きました。
 その中にでてきたアーロン・チェアについて説明しておきます。
 書斎にするまで、その狭い部屋に、パソコンチェア、ライティングデスクの椅子、オットマン付きのリクライニングチェアと、三つもの椅子があり、狭苦しくて機能的ではありませんでした。
 そこで、それらをすべて撤去して、三つの役目を兼ね備えられる書斎チェアを、真っ先に検討しました。
 条件としては、パソコンデスクでパソコンを操作する、書き物や読書などの作業をライティングデスクでする、テレビを見る、音楽を聴く、といったすべてのことを一台ででき、人間工学的に優れていて、疲れが少なく、肩こり、腰痛などを防止できるものです。
 これらの条件をクリアできる椅子を、ネットで検索したり、ショールームで実際に座ったりして検討しました。
 そこで最も気に入ったのが、ハーマンミラーのアーロン・チェア(AE113AWBPJG1BBBK3D01)でした。
 パソコンなどの作業の時は、やや前傾姿勢で固定できて背あてで腰も固定して良い姿勢が保てます。
 南側の掃出し窓の両側にパソコンデスクとライティングデスクを向い合せに置いて、それらの間にアーロン・チェアを設置したので、座ったまま反転移動ができます。
 テレビを見たり、音楽を聴いたり、キンドル(その記事を参照してください)を読んだりして、リラックスするときには、リクライニングもできます。
 ヘッドレストがないのが少し気になりましたが、ヘッドレストは首や肩にかえって良くないらしいことと、その分軽量になって移動がスムーズになるので、このタイプを選びました。
 値段は安いオフィス・チェアの10倍以上もしますが、以下のように試算してみて最終的に購入を決めました。
 通常は毎日10時間以上もこの椅子に座りますので、年間3000時間以上で使用料を一時間10円とすると、年間三万円以上です。
 アーロン・チェアの製品保証は五年と長いので、十分に元が取れます。
 使ってみると効果は絶大で、長時間のパソコン作業などで長年悩まされてきた肩こりや腰痛がすっかり解消しました。
 また、不要な椅子類を撤去できましたので、部屋が広々として北側に並べた本棚へのアクセスもしやすいし、東側の出窓に並べた大小11鉢の観葉植物を気分転換に眺められて、作業効率が大幅にアップしました。
 部屋の中に障害物がないので、光熱費も削減できました。
 以上のように、いろいろな面で研究や創作作業の効率アップにつながっていると思います。
 
 
アーロンチェア ポスチャーフィットフル装備 グラファイト/クラシック Bサイズ AE113AWBPJG1BBBK3D01
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HermanMiller (ハーマンミラー)
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売れる児童文学の本について

2019-01-19 10:29:35 | 考察
 売れる児童文学の本とは何か?
 一般文学とは違って、児童文学には作者と読者の間に「媒介者」と呼ばれる存在があるので、「売れる本の条件」は少し複雑です。
 媒介者とは、子どもたちに代わって、本を購入したり、本を選んだりして、読書を勧める人たちのことで一般的には大人です。
 主な媒介者には、両親をはじめとする家族、学校の教師、図書館の司書、子ども文庫活動をしている人たち、読書運動の活動家、読み聞かせのボランティア、書店員などがいます。
 これらの媒介者の手を経て、子どもたちが本を手にすることが多いのです。
 売れる本のタイプの一番目は、もちろん子ども自身が選択して本を購入する場合ですが、現在ではコミックスだけでなく、ゲーム、アニメ、ケータイなどの他のエンターテインメント分野と競合して、子どもたちの少ないこずかいからお金を払うわけですから、それに見合うだけ楽しめるものでなくてはなりません。
 このジャンルは、一般にエンターテインメント作品と呼ばれますが、少し上の年齢層向けとしては、ジュニアノベル(女の子向けが中心)、ライトノベル(男の子向けが中心)と呼ばれる作品群が、文庫や新書の形で毎月大量に出版されています。
 これらには、たくさんのレーベルがありますが、最近は小学生向けのレーベルも増えて低年齢層の取り込みを図っています。
 これらの作品群は、ストーリーや文章よりもカバーイラストやキャラクターが重視されていて、その点でも戦前の少年倶楽部の少年小説や吉屋信子などの少女小説の正統な末裔と言えるでしょう。
 次に媒介者が本を選ぶ場合ですが、これらは媒介者自身の読書体験やいろいろなブックリスト(毎年選ばれている読書感想文コンクールの課題図書もここに含まれます)をもとに選択されています。
 そのため、子どもたちが読んで面白いかどうかももちろん大切ですが、教育的な配慮が重視されることが多いと思われます(課題図書の場合は、読書感想文の書きやすさもポイントになるでしょう)。
 このジャンルでは、世界や日本の児童文学の古典的な名作、戦争や障碍者などの社会的な問題を扱った作品の人気が根強いです。
 かつて労働運動や社会運動が活発だった時代には、社会主義リアリズムの作品群もこのジャンルとして人気があり、初期のそれらの作品の出版の背景になりましたが、運動の衰退とともに人気を失いました。
 この分野では識字教育とも結びついていて、現在では高学年向けの作品は低調で、幼年向け(小学校三年生ぐらいまで)が中心になっています。
 最後に、子どもたちと媒介者の間での妥協によって選ばれる作品群があります。
 このジャンルの代表的な作品群としては、媒介者が比較的良心的と認めるエンターテインメント作品(例えば、ズッコケシリーズやゾロリシリーズなど)、偉人やスポーツ選手などの伝記、ノンフィクション、ハウツー物などがあげられます。
 また、児童文学の媒介者と読者は、ともに圧倒的に女性が多いので、媒介者がかつて読んだ(あるいは一緒にこれから読みたい)女性向け(対象年齢は問わない)の作品も選ばれることが多いです。

やさしさと出会う本―「障害」をテーマとする絵本・児童文学のブックガイド
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ぶどう社
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尾崎 翠「瑠璃玉の指輪」第七官界彷徨・瑠璃玉の指輪他四篇所収

2019-01-19 10:25:23 | 参考文献
 純文学から一転して、非常に通俗的な内容を持った映画の脚本です。
 不倫、児童売買、アヘン窟、女探偵、異常性欲、男装、同性愛(当時のモラルとしては扇情的な素材だったと思われます)など、江戸川乱歩風のかなりどぎついエンターテインメントです。
 尾崎のような文学少女の作品にも、当時の娯楽の王者だった映画の影響は色濃く表れています。
 この脚本は、映画原作の公募に参加したもので、残念ながら映画化はなりませんでした。
 もし、この脚本が採用されていたら、早々に筆を折った尾崎の文筆活動も違ったものになったかもしれません。
 もちろん、その方が幸せだったとは限りませんが。

第七官界彷徨・琉璃玉の耳輪 他四篇 (岩波文庫)
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岩波書店
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大塚英志「とりあえず「盗作」してみよう」物語の体操所収

2019-01-19 10:24:15 | 参考文献
 作者は、長々と「盗作」の正当性を自分の体験も含めて語っていますが、これらは厳密に言うと「盗作」ではなく「二次創作」でしょう。
 実際に同じ文章を引用の断りなく使うのでなければ、「盗作」に問われることはないはずです。
 「盗作疑惑」では、小説の世界では倉橋由美子などが有名ですが、児童文学の世界でも、庄司薫の「赤ずきんちゃん気をつけて」にはサリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」との多くの類似点が指摘されていますし、後藤竜二の「天使で大地はいっぱいだ」も「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の文体を模倣しています。
 また、斉藤惇夫の「冒険者たち」がトールキンの「ホビット」の影響下に書かれたことは有名ですし、キャラクター設定にはマージェリー・シャープの「ミス・ビアンカ」シリーズの反映が感じられます。
 誤解を招かないように断っておきますが、私はこれらの作家なり作品なりを批判しているのではありません。
 むしろ作者のいうところの「盗作」は、小説の世界では常識なのです。
 神話や昔話なら真似しても良くて、現代小説はダメだなどということはありません。
 「小説を読む」という行為も体験の一部なのですから、そこからの影響から逃れることはできません。
 作者自身が現実の描写ではなく漫画の世界を描写することを「漫画的リアリズム」と呼んでいますが、小説でも同様なことは行われていて「小説的リアリズム」で書かれた作品はたくさんあります。
 それが、作者が「小説的リアリズム」と呼ばずに「盗作」と呼ぶのには違和感を持ちました(もちろんキャッチーなタイトルにしたかっただけなのかもしれませんけれど)。
 倉橋も述べていますが、そっくりに模倣しようとしても必ず自分自身が投影されて別のものになってしまうのです。
 それがオリジナリティというものです。
 もし別物にならなかったら、おそらくその人には書くべき何かが全くなかったのでしょう。
 私自身も、十代のころは、そのころ好きだったアラン・シリトーの文体や設定を借りて創作したことがありましたが、出来上がった作品は全く別物でした。
 40年代のイギリス労働者階級の少年と、60年代の東京の下町育ちの少年とでは、まったく違う世界が見えていたのです。

物語の体操―みるみる小説が書ける6つのレッスン (朝日文庫)
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朝日新聞社
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長 新太「キャベツくんとブタヤマさん」

2019-01-18 17:42:49 | 作品論
 この絵本にも、「キャベツくん」(その記事を参照してください)が登場するのですが、お話自体はあまりシリーズらしくありません。
 大きなサカナ、ヘビ、ムカデ、ミミズ、アオムシがどんどん登場して、子どもたちの大好きな繰り返しの手法を使って、楽しい絵本になっています。
 ユーモアがありながら迫力満点の絵に比べると、文章や物語の魅力はもう一つです。

キャベツくんとブタヤマさん (えほんのもり 17)
クリエーター情報なし
文研出版
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