現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

宮川健郎「「失語」の時代に」現代児童文学の語るもの所収

2020-09-11 11:27:43 | 参考文献

 「「理想主義」では語りきれないもの」という副題を持つ、古田足日「ぬすまれた町」(1961年)を中心に書かれた文章です。
 初出は、「全集古田足日子どもの本」第十三巻のために、「出発期の古田足日、出発期の現代児童文学 ― 「ぬすまれた町」再読」(1993年)として書かれたものです。
 1996年にこの本が出版された時に、どのように加筆訂正がされたのかは不明ですが、いろいろな問題点を感じました。
 冒頭、「まず、言語学の勉強をします」という小見出しで、ソシュール「一般言語学講義」の「統合関係」と「「連合関係」の簡単な解説が書かれています。
 著者は、この文章の読者(古田足日全集あるいは「現代児童文学の語るもの」)を、どのように想定しているのでしょうか?
 もし一般的な古田作品の読者や児童文学に興味を持っている人(児童文学作家、読書運動や図書館など子どもの本に関わっている人、評論家、研究者などすべてを含みます)を想定している人だとしたら、大半は「難しい」と思って読まずに投げ出してしまうかもしれません。
 学会や大学に発表する論文のように、評論家、研究者、学生などに読者対象が限定されているのならそれでも構いませんが、「まず、言語学の勉強をします」という上から目線の小見出しを見ると、どうもそうではないようです。
 「失語」というタイトルに使われている用語も含めて、どうも難しい言葉をかみ砕いて表現する努力を怠っているように感じられます。
 現代児童文学がスタートしたころにも、難解な論文はありました(古田先生の論文のいくつかもそうです)。
 しかし、そこで難解なのは内容や新しい概念であって、そのころの論文の書き手は、できるだけ平易な言葉を使って、できるだけたくさんの人たちに理解してもらおうと努めていました。
 著者がよく勉強しているのは分かります。
 また、内容についてはあとで説明しますが、重要な主張も含んでいます。
 しかし、こういう書き方では、この文章の読者は、著者の身内の評論家や研究者に限定されてしまい、書き手たちの評論離れをさらに加速して、「書き手は書き手」、「評論家は評論家」で、ばらばらに活動している現在の状況を生み出した一因になっていたのではないでしょうか。
 次に、内容の分裂があります。
 初出の「出発期の古田足日、出発期の現代児童文学 ― 「ぬすまれた町」再読」では、著者自身がこの文章の註に「ぬすまれた町」が出版された1961年は、「「現代児童文学の出発期で、多くの作品は、アクティブな方向をめざしていた」のに、「ぬすまれた町」「のあり方は、当時の児童文学の傾向とは、ずいぶんちがったものだったといえるだろう」」と書いているように、なぜそのような作品がその時期に書かれたかがメインテーマだったはずです。
 しかし、この文章では、それは十分に解明されないままで、「理想主義」では語りきれない状況(作者の言葉では「失語の時代」と書かれています。それが、この本が出た1996年なのか、初出の文章が書かれた1993年なのか、後半で取り上げられた安藤美紀夫「風の十字路」(その記事を参照してください)や後藤竜二「少年たち」が書かれた1982年なのかは不明です)を描くためには、「「理想主義」では語り切れない状況をいったん抱きとめてみる必要がある。そして、そのなかから、私たちのことばを獲得しなおさなければならないのだ。」という主張に、強引に結び付けているように思えます。
 著者の主張をかみ砕いてまとめれば、こうなると思います。
「現代児童文学には、アクティブな理想主義の作品が多かった。
 しかし、ここであげた「ぬすまれた町」や天沢退二郎「光車よ、まわれ!」(1973年)のようなそうでない作品もあった。
 そして、それらの前衛的な作品では、日常と非日常が混在する世界を描くために、通常とは違った言葉や表現方法(著者の言葉で言えば失語症の)が用いられた。
 そうした理想主義では語れない状況が、より一般化した1980年代では、さらに新しい言葉や表現方法を獲得することが必要になっている。
 例えば、後藤竜二「少年たち」は旧来の理想主義的な方法で当時の中学生を描こうとしたが、それでは状況は描き切れていない。
 一つの可能性としては、安藤美紀夫「風の十字路」のように、理想主義的な結末は書かずに、その状況をそのまま提示することも必要なのではないか。」
 その主張は、1980年代前半の現代児童文学の状況においては、おおむね正しかったと思われます。
 しかし、それから、初出まででも10年以上、本が出るまでには15年近くの時間がたっていて、現代児童文学を取り巻く状況は大きく変化しました(私は、現代児童文学はそのころに終焉したと思っています)。
 それに合わせて、この論文ももっと加筆修正してほしかったと思いました。
 

現代児童文学の語るもの (NHKブックス)
クリエーター情報なし
日本放送出版協会
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