現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

児童文学と一般文学

2018-11-30 08:24:17 | 考察
 児童文学の商業主義化が進んで、いわゆる「現代児童文学」(1950年代にスタートして1990年代に終焉したと、私は考えています。詳しくは関連する他の記事を参照してください)の時期のようには、まったくと言っていいほど「純文学」的な作品は出版されなくなっています。
 その点では、一般文学の方が、「純文学」的な作品も、まだ出版される機会はあるかもしれません。
 もっとも、大江健三郎に言わせると、一般文学でも「純文学」のマーケットはかつての十分の一以下になっているそうです。
 この発言自体かなり前のことなので、芥川賞受賞作品以外は、今では百分の一以下になっているかもしれません。
 それでも、現在の子どもたちのおかれている過酷な状況(貧困、飢餓、格差社会、ブラック企業(バイト)、学校生活におけるカースト化、核汚染、虐待、ネグレクトなど)を描いた作品を出版するには、児童文学よりも一般文学の方がチャンスはあるでしょう。
 
講座日本児童文学〈5〉現代日本児童文学史 (1974年)
クリエーター情報なし
明治書院




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児童文学作品に子どもたちの好きな素材を使うことの功罪

2018-11-29 10:20:00 | 考察
 児童文学、特に幼年ものでは、子どもたちの好きなものを素材に使うことがよくあります。
 例えば、うんち、おばけ、恐竜、妖怪、お弁当、お菓子、秘密基地、宇宙人、動物などです。
 確かに、これらが登場するだけで、読者の子どもたちは喜ぶかもしれません。
 問題は、素材が、物語にどうからまっているかです。
 また、それらの素材に、どれだけ作者ならではオリジナリティを盛り込めるかも大事です。
 ともすると、素材そのものによりかかりすぎてしまい、肝心のお話がパッとしないことが多いようです。

幼い子の文学 (中公新書 (563))
クリエーター情報なし
中央公論新社
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林 直樹「症例から考える双極Ⅱ型障害とパーソナリティ障害」うつ病論 双極Ⅱ型障害とその周辺所収

2018-11-28 08:38:19 | 参考文献
 双極Ⅱ型障害とパーソナリティ障害を合併した症例を紹介して、その治療困難性について言及しています。
 自殺関連行動を示す双極Ⅱ型障害の患者は、かなりの割合でパーソナリティ障害を合併しているとして、それを見落とすことの危険性を指摘しています。
 ここでは、双極Ⅱ型障害単独の場合の「軽症化」は見られず、ほとんどの場合が入院を必要としますし、原因を単に社会的な要因に求めて「公害」と呼ぶこともできません。
 この合併状態は、文学で取り扱う領域をはるかに超えていて、軽々に作品で扱うことはできないと思います。

うつ病論―双極2型障害とその周辺 (メンタルヘルス・ライブラリー)
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批評社
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児童文学で今日的テーマを取り上げる意義

2018-11-27 09:04:12 | 考察
 児童文学の世界が商業主義に席巻されてしまったのはバブル崩壊後ですから、もう二十年以上がたちます。
 それ以前の児童文学、いわゆる「現代児童文学」(スタートは1950年代で、1990年代に終焉したと、私は考えています。詳しくはそれに関連した他の記事を参照してください)では、その時代時代における子どもたちを取り巻く今日的問題が描かれました。
 1950年代から1960年代には、いわゆる近代的不幸(戦争、飢餓、貧困)を取り上げた作品がたくさん出版されていました(例えば、いぬいとみこ「木かげの家の小人たち」、山中恒「赤毛のポチ」、松谷みよ子「龍の子太郎」など)。
 1970年代から1980年代には、いわゆる現代的不幸(アイデンティティの喪失、生きていることのリアリティの希薄さなど)が子どもたちにとって問題になると、それに対応する作品群(岩瀬成子「朝はだんだん見えてくる」、那須正幹「ぼくらは海へ」、森忠明「きみはサヨナラ族か」など)が多く生み出されました。
 そして、現在の子どもたちは、ひとまわりして再び、戦争(テロや原子力発電所の事故なども含めて)、貧困(六人に一人の子どもたちが貧困状態です。さらに1950年代と違って格差社会といった問題もあります)、飢餓(給食や子ども食堂が生命線になっている子どもたちが急増しています)といった「不幸」に直面しています。
 それらに対応した児童文学を生み出しえない現状に、絶望感を禁じえません。

現代児童文学の語るもの (NHKブックス)
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日本放送出版協会
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絵本のプロデュース

2018-11-26 08:39:03 | 考察
 絵本用の原稿を書く場合、たんに文章を書くだけでなく、絵や本の造りなども含めて、全体を考えなければなりません。
 作者が、文も絵も一人で作るのであれば問題はありません。
 でも、普段は文章が主体の児童文学作品を書いている作家が絵本を作るときには、上記のような絵本全体をプロデュースする能力が求められます。
 どのような絵をつけるか、それに適した画家は誰か、表紙や本の大きさをどうするか、そういった大切なことを編集者に任せるのではなく、作者が自分で考えて提案すべきでしょう。
 なぜなら、その作品世界を一番知っているのは作者自身なのですから。
 作者の頭の中にある世界を、文と絵を使って、どのように具現化するかが大切です。
 絵本では、子どもたちの大好きな繰り返しの手法がよく使われますが、読者の興奮をラストに向けて高めていくには、文と絵の役割り分担をどのようにするかの工夫が必要です。
 また、ラストでおちをつけたりどんでん返しを狙う場合には、途中でネタバレしないように絵に制限をかける必要があります。
 こうした全体の目配りをするならば、どんなに文章は少なくても、その絵本の作者は書き手なのです。
 
絵本の書き方―おはなし作りのAからZ教えます (朝日文庫)
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朝日新聞社



鬼の市 (新・わくわく読み物コレクション)
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岩崎書店


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津村記久子「バイアブランカの地層と少女」これからお祈りにいきます所収

2018-11-25 08:32:18 | 作品論
 強迫神経症気味(特に地震に対して)の大学三年生の男子の話なので、これも児童文学のヤングアダルト物に分類できます。
 彼自身や周囲の男女の恋バナや失恋話(自爆も含めて)が中心ですが、津村らしく京都やアルゼンチンや地震についてのマニアックな情報がちりばめてあってけっこう読ませます。
 この話でも家庭崩壊やアルバイトでの自活や就活などは設定されていますが、それは背景程度で軽い読み物になっています。
 かなり無理なストーリー、偶然の多用など、エンターテインメント寄りのつくりになっていますが、インターネットのサイトで知り合ったアルゼンチンの女の子と英文メールで文通(?)するあたりが今日的で新鮮さが感じられました。
 この話でもアルゼンチンの少女の彼氏のためにお祈りするシーンがあって、「サイガサマのウィッカーマン」とは書かれた時期もタッチも違いますがお祈りつながりなので、「これからお祈りにいきます」という書名になったのでしょう。
 また、「祈り」は、津村が若い世代に対して現在思っていることなのかもしれません。

これからお祈りにいきます (単行本)
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角川書店
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中村 敬「現代的なうつ病の背景に何があるか」うつ病論 双極Ⅱ型障害とその周辺所収

2018-11-20 07:45:09 | 参考文献
 従来のうつ病の病前性格が執着気質やメランコリー親和型性格(几帳面、他者配慮性など)であったのに対して、現代のうつ病の病前気質は特に若年層においてはディスチミア親和型性格(会社などへの帰属意識が低く、自責感も薄い)が増加しているとしています。
 この論文で貴重なのは、筆者の関係する複数の大学病院における1999年から2006年までの気分障害の受診者の年代別の推移を実際にグラフで示して、二十代、三十代の患者が増加していることを明らかにしている点です。
 そして、現代のうつ病ないしはその病前性格には、バブル崩壊(1991年から1993年にかけて)以降の雇用、労働環境の悪化(特に若年層においては、非正規雇用の増加と、それに伴い減少した正社員への負荷が増大している)に原因があると、失業率や自殺数の変化との関連も含めて推定しています。
 この論文は平易な文章と具体的なデータを用いて書かれているので非常にわかりやすく、双極Ⅱ型障害を初めとした現代的なうつ病が、患者個人の自己責任(上の世代からは、わがままとか無責任と攻撃されています)によるものではなく、社会全体のひずみによる公害であることを明確にしています。
 この社会のひずみの実例としては、終身雇用・年功序列制から成果主義への短期間での移行によって世代間格差が生じたことなどがあげられます。
 具体的に世代間格差を述べると、団塊世代(人数が多く選挙での投票率が高いので、政治的に有利です)を中心とする六十代後半から七十代前半の世代は逃げ切って年金などの既得権益を手放そうとせず(私自身も、昭和二十九年生まれなので団塊世代ではありませんが、「ほぼ逃げ切り世代」に属しています)、若年層(私の子どもたちもこの世代に含まれます)ではそれらを負担するために貧困化が加速していて、結婚や出産もできず、ますます少子化に歯止めがかからなくなっていることなどです。

うつ病論―双極2型障害とその周辺 (メンタルヘルス・ライブラリー)
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批評社

 
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辻原登「虫王」父、断章所収

2018-11-18 13:27:56 | 参考文献
 「虫王」、それは中国の古くからある遊びでギャンブルでもある「闘蟋(とうしつ)」のチャンピオンのことです。
 闘蟋とはコオロギを戦わせる遊びのことで、言うならば闘鶏や闘犬や闘牛のコオロギ版です。
 以前に、瀬川千秋という人が書いたその名もまさに「闘蟋」という専門書(サントリー学芸賞受賞)を読んだことがありましたが、闘蟋は単にコオロギを戦わせるだけでなく、飼育法、餌、用具などに秘伝があり、非常にマニアックな世界です。
 男の子は(もちろん大人の男も)こういったマニアックな世界が大好きなのですが、現在の女性中心の児童文学の世界では男の子向けの本の出版は非常に難しいので、子ども版の「闘蟋」のような本を出すのは不可能でしょう。
 本書は、闘蟋の文化のほんのさわりに触れているだけですが、侵略者に対する主人公の反抗心と闘蟋とをからませて、鮮やかなラストシーンを描いていて、短編としての切れ味はさすがなものがあります。

父、断章
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新潮社
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津村記久子「サイガサマのウィッカーマン」これからお祈りにいきます所収

2018-11-12 08:22:07 | 作品論
 サイガサマという土着信仰のある街の物語です。
 サイガサマは願いを聞き届けると、その人の体の一部を奪ってしまう神様です。
 ウィッカーマン(wicker man)とは、古代ガリアで信仰されていたドルイド教における供犠・人身御供の一種で、巨大な人型の檻の中に犠牲に捧げる家畜や人間を閉じ込めたまま焼き殺す祭儀の英語名称のことで、そこから転じて編み細工(wicker)で出来た人型の構造物を意味します。
 サイガサマには願いをかなえた時にそこだけは奪わないでもらいたいと申告することができ、その人体の部分を模した細工物をウィッカ-マンに入れて、冬至の日に燃やすお祭りが盛大に行われています。
 以上の設定を除くと、関西の地方都市を舞台にした現代の普通のお話です。
 崩壊しかかった家庭の、バイトである程度自活している高校二年生の男の子が主人公です。
 不登校の中学生の弟、家庭に不満はあるがなかなか社会へ踏み出せない母親、家庭を顧みず若い女と不倫している父親、そして、近所やバイト先の風変わりな人々とのかかわりが描かれています。
 主人公には、同様に家庭が崩壊しかかっていて、大学受験のためにバイトを三つも掛け持ちしている気になる存在の女の子がいますが、二人の関係はほとんどが携帯の電話やメールといった本当にか細いつながりだけでしかありません。
 サイガサマが願いを聞き届けてくれて、家庭にも、女の子との関係にも、かすかな希望が見えるラストが心地よいです(サイガサマが願いをかなえる代わりに主人公から奪った物が、すごくシャレています)
 この作品も、今日的な問題を抱えた子どもたちを描いたヤングアダルト向けの児童文学といっていいと思いますが、出版社や流通などの障害があって、同じような問題を抱えた高校生の読者たちにはほとんど届かないでしょう。

これからお祈りにいきます (単行本)
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角川書店
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中脇初枝「こんにちわ、さようなら」きみはいい子所収

2018-11-11 09:44:57 | 作品論
 認知症にかかり始めていると思われる八十歳をとうに超えている一人暮らしの老女と、障害を持った小学生の男の子が、「こんにちわ、さようなら」とあいさつを交わすことで触れ合う物語です。
 作品の狙いは面白いし、今日的なテーマを持っています。
 しかし、書き方が老女の声に出さないモノローグ(最後の部分は少年の母親の文字通りのモノローグ)なので、二人の結びつきが読者の心に自然に響いてきません。
 また、少年の母親が、見ず知らずの老女に(前にスーパーで万引きの疑いをかけたことはありますが)、唐突に心を開いて、深刻な内容をベラベラと話し出すのはあまりにも不自然です。
 かつて児童文学者の安藤美紀夫は、「児童文学はアクションとダイアローグで書いた物語」と定義していましたが、この作品ではあまりにもアクションとダイアローグが足りないと思います。
 確かにこの作品は大人の読者を対象に書かれたもので児童文学ではないかもしれませんが、それにしても独りよがり(老女の戦争中の思い出も非常に類型的)な作者の思い込みで書かれていて、新しい発見がありません。
 また、作者は、この作品でも、障害を持った子どもは、父親には捨てられ母親には殺されそうになり、周囲からは理解されないという固定観念に縛られていて、新しいストーリーを生み出すことを阻害しています。
 ただし、一人暮らしの老人と阻害されている子どもの関係というのは、新しい児童文学を生み出す可能性を持った素材だと思います。

きみはいい子 (一般書)
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ポプラ社
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朽木祥「水の緘黙」八月の光所収

2018-11-10 09:53:21 | 作品論
 被爆体験を扱った連作短編集の最終作品です。
 前の二作とも絡めて、作者の作品に込めた意図が鮮明に表れてきます。
 悲惨な被爆体験と生存者の苦悩について、それを記憶することと語り継ぐことの大切さが繰り返し述べられています。
 また、控えめな扱いですが、宗教的な救い(この作品の場合はキリスト教)も背景に描かれています。
 被爆体験を記憶することや語り継ぐことの大切さに対しては異論はないのですが、それらはもう繰り返しいろいろな媒体を通して描かれてきたのではないでしょうか。
 一方で、核兵器の脅威は、今でも変わらずに存在します。
 例えば、イスラエルとイランの間では、互いに核兵器を使うことが懸念されています。
 北朝鮮の核開発は、われわれ日本人にとっても脅威です
 この作品が新しい戦争(特に核戦争)児童文学であるならば、そうした現状に対しても読者の目をむかせる工夫がなくてはいけないのではないでしょうか。
 また、あとがきで、東日本大震災や津波と、核兵器の使用や福島の原子力発電所の事故を同列に扱っているのも気になりました。
 東日本大震災のような天災と違って、核兵器の使用や原子力発電所の事故は明らかな人災です。
 そういった人間が犯した罪への糾弾も、新しい戦争児童文学の大事な役割ではないでしょうか。
 いろいろな政治的あるいは宗教的な立場があって、なかなか作品化をすることは難しいでしょうが、それをなくしては今までの作品からの進展がないと思います。

八月の光
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偕成社
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小沢正「あぶない におい」目をさませトラゴロウ所収

2018-11-09 19:06:28 | 作品論
 怪しい発明家が持ち込んだ「じどうえさとりき」(ターゲットの動物の好きな匂い(例えば、ウサギならにんじん、サルならバナナなど)を出しておびき寄せて、箱の中に閉じ込めてしまう)といういかにもうさんくさい発明品を、ずぼらで餌を取りに行くのが面倒くさいトラゴロウは性懲りもなく信じてしまい、自分が死んだら毛皮を発明家にあげるという約束と引き換えに手に入れます。
 でも、こんな単純な罠には、誰も引っかかりません。
 いえ、一人だけひっかかったのはトラゴロウ自身で、同じ機械を鉄砲と引き換えに手に入れた猟師によって、好物の肉まんの匂いにつられて箱の中に捕まってしまいます。
 でも、欲張りな二人が、トラゴロウの毛皮の権利をめぐって取っ組み合いを始めたおかげで、箱が壊れてトラゴロウは命拾いをします。
 もちろん、自由になったトラゴロウは、発明家を一飲みにしてしまいます(猟師は、この短編集のレギュラー出演者なので、うまく逃げ出しています)。
 いつの時代も、子どもたちや若者たちのまわりには、うまいことを言って彼らを食い物にしている大人たちがたくさんいます(この作品が書かれた1960年代で言えば、作者の頭の中にあったのは、政治家、大手企業や労働組合のお偉方、それに学生運動の各セクトの幹部といったところでしょうか?)。
 今でも、姿を変えてのさばっているそんな大人たちを、トラゴロウのようにパクッと一飲みできればいいのですが。

目をさませトラゴロウ (新・名作の愛蔵版)
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理論社
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最上一平「おしいれ電車」

2018-11-09 17:18:07 | 作品論
 亡くなったおとうさんと同じ、電車の運転士になることを夢見る小学三年生の男の子の話です。
 押入れの上の段をいろいろと飾り付けて電車の運転室にするなど、主人公はかなりの鉄道オタクの少年で、鉄道に関するいろいろな知識が紹介されています。
 この本は、いろいろな職業を紹介する「おしごとのおはなし」シリーズの一冊なのですが、双子の姉(妹?)やお母さん、そして亡くなったお父さんとの触れ合いもきちんと描かれていますし、作者一流の優れた風景描写も随所にちりばめられていて、単なる「電車の運転士」の紹介にとどまっていません。
 ただ、巻末に実際に「電車の運転士」になるにはどうしたらいいかのミニ知識がまとめてあるのは、この本をきっかけに電車の運転士になりたいと思う子どもたちもいると思われるので、いいアイデアです。
 作者の最近の作品は、少し前の時代の地方を舞台にしたユートピア童話が多くなっていましたが、この作品のように現代の子どもたちの姿をもっと描いてもらいたいと思いました。

おしごとのおはなし 電車の運転士 おしいれ電車
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講談社
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三田完「黄金街」黄金街所収

2018-11-08 16:31:30 | 参考文献
 表題作なので少しは期待して読みましたが、あまりにひどいのでびっくりしました。
 新宿のゴールデン街でスナックを営む主人公は、元カリスマ書店員です。
 他の店員から浮いているカリスマ書店員と創業者だという老人との関係も、あまりに表面的で薄っぺらく苦笑を禁じえません。
 特に、主人公が老人ために「こころ」の入った漱石全集の巻を古書店で探すあたりは、「金持ちなんだから漱石全集ぐらい新刊で買うか、古い版のが欲しければアマゾンで好きなの買えよ」と、突っ込みを入れたくなります。
 伝説の流しの老人が死の直前に歌うフォーククルセダーズの古いフォークソングに感激するスナックの常連とくると、もうベタすぎて読むに堪えません。
 今の小説誌にはこんなのが載っているのかと思うと、児童文学の同人誌などの方が下手なりに真剣な分だけまだ評価したくなります。

黄金街
クリエーター情報なし
講談社
 
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グードルン・パウゼヴァング「輝かしき栄誉」そこに僕らは居合わせた所収

2018-11-07 09:41:14 | 作品論
 夏休みに、三週間前に亡くなったじいちゃんの遺品の整理をしていた主人公は、じいちゃんの古い作文を見つけます。
 そこでは、主人公と同い年のじいちゃんが、「祖国のために死ぬことは輝かしき名誉である」ことが書かれていて、最高点がつけられています。
 主人公は、その作文を大事な遺品としてとっておき、次の世代に、「幼いときから「おまえには何の価値もない。わが民族がすべてだ」と子どもたちを教化したり、有無を言わせず命令に服従させたり、人を使い捨てにするような国ではなくなったことを」伝えたいと思います。
 そして、もっとおじいちゃんに当時のことを聞いておくべきだったと悔やみます。
 日本でも戦争中は同様な状況でしたし、この作品で主張されていることはもっともなのですが、どうも話の運びが恣意的な感じがして、文芸論的にはあまり評価できませんでした。

そこに僕らは居合わせた―― 語り伝える、ナチス・ドイツ下の記憶
クリエーター情報なし
みすず書房
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