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現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

森忠明「きみはサヨナラ族か」

2025-05-07 08:57:52 | 作品論

受験競争に明け暮れる学校に嫌気がさした主人公は、仮病を使って立川病院に入院し長期に学校を休むことになります。
病院で知り合った友だちの死や別れ、さらには長期欠席のための留年によるクラスの人たちとの別れなどを通して、「人生なんてサヨナラだけだ」と自覚しつつも、絵を描くことに自分のアイデンティティを見つけようと、主人公は決意します。
このあたりの芸術至上主義的な考え方は、森が師事していた寺山修司の影響がかなり感じられます。
あとがきでは、15年前(初版が1975年12月なので1960年ごろ)の自分の事を描いたと書かれていますが、この作品では出版されたころの年代にアレンジされているように感じられました。
それが、出版当時の高い評価と、多くの読者をつかむことに成功した一因になっているのではないでしょうか。
 他の森作品と同様に、異常ともいえるほどの子ども時代の鮮明な記憶(子どものころの記憶を持っているということは児童文学作家にとっては重要な資質で、特にエーリヒ・ケストナーの「わたしが子どもだったころ」や神沢利子の「いないいないばあや」(その記事を参照してください)が有名ですが、森はそれに匹敵するほどです)によって、ディテールがくっきりと描かれているのが、この作品でも大きな魅力になっています。
 ただ、現代の目で眺めてみると、小熊英二が「1968」(その記事を参照してください)で指摘していた、団塊の世代(森はその中心の年である1948年生まれ)の直面した「現代的不幸」を作品化した典型を見る思いがしました。
 彼らは、義務教育のころは戦後民主主義教育を受け、その後激烈な受験戦争に巻き込まれ、大学の大衆化に直面し、アイデンティティの喪失、生きていくリアリティの希薄化などの「現代的不幸」に直面した最初の世代でした。
 ここで「現代的不幸」とは、戦争、貧困、飢餓などの「近代的不幸」との対比で使われている用語です。
 彼ら団塊の世代の大半は、十代後半になってこの問題を自覚するようになって、全共闘世代となって学生運動に突入していきました。
 しかし、異常なまでに早熟だった森は、小学生時代にこの問題に直面していたのでしょう。
 また、この本が出版された1970年代には、小中学生でも森と同じ問題に直面するようになっていたので、少なからぬ読者に受け入れられたものと思われます(今回読んだ本は1983年11月で12刷です)。
 一方で、ネグレクト、世代間格差、少子化、虐待、貧困などのさらに新しい問題に直面している現代の子どもたちとは、すでに大きなギャップが生まれているのではないでしょうか。

追記
 作品論からは離れますが、森忠明とは一度だけ会って直接話を聞いたことがあります。
 彼の「へびいちごをめしあがれ」が出た後で、彼が「蘭」のおかあさんと共に立川を去る前ですから、おそらく1987年だったと思います。
 児童文学の同人誌の仲間たちと、「注目の書き手に会いに行こう」シリーズの第一弾として、立川まで彼に会いに行きました(実際にはこのシリーズは、第二弾として村中李衣に高田馬場で会っただけで打ち切りになってしまいましたが)。
 このシリーズの第一弾に森忠明を選んだのは、同人の一人に森の熱狂的なファンがいたためで、彼女は後に森の「グリーンアイズ」の編集を担当しました。
 待ち合わせをした喫茶店から、その後行った寿司屋(おごってもらったのがみんな一律に並寿司の盛り合わせだったのが、いかにも彼の世界っぽくていい思い出になっています)、名残惜しそうにわざわざ送ってくれた立川駅の改札口まで、間が空くのを恐れるように一人でしゃべり続けていたシャイな彼の姿が今でもはっきりと思い出されます。
 今振り返ってみると、「注目の書き手に会いに行こう」シリーズは大成功で、私は今まで会った中で、一番感受性の豊かな男性(森忠明)と一番聡明な女性(村中李衣)に出会えたことになりました。

きみはサヨナラ族か (現代・創作児童文学)
クリエーター情報なし
金の星社








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J.D.サリンジャー「笑い男」九つの物語所収

2025-05-02 08:22:06 | 作品論

 主人公の少年にとっては、おそらく子ども時代におけるもっともショッキングな一日だったことでしょう。
 なぜなら、敬愛するコマンチ・クラブの団長と、美人で魅力的なガールフレンドとの関係が破局を迎え、同時に数か月にわたってコマンチ・クラブのメンバーに団長が語ってくれていた、オリジナルの連続冒険活劇の主人公、世界一の盗賊「笑い男」が死んで、お話が突然終わってしまったからです。
 この短編の中に、サリンジャーは自分が好きな(そして、私も含めてほとんどすべての男の子も好きな)ものをギュッと一つにまとめています。
 まず、コマンチ・クラブです。
 団長(ニューヨーク大学で法律を勉強している22歳か23歳ぐらいの学生)が、アルバイトとして親たちから報酬をもらって、放課後や週末に、二十五人の男の子たちを改造したオンボロバスに乗せて、セントラルパークなどの公園に連れて行いって、野球やアメリカン・フットボールをやらせたり、デイキャンプをしたりしてくれます。
 もちろん、雨の日には、自然博物館やメトロポリタン美術館(カニグズバーグがクローディアの家出先に選んだことで、児童文学の世界では非常に有名な場所です)へ連れて行ってくれます。
 この子どもたちの遊び相手という設定は、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(その記事を参照してください)の主人公のホールデン・コールフィールドの「僕がほんとうになりたいもの」とピタリと重なります。
 そして、それは、私自身の「僕がほんとうになりたいもの」でもあります。
 四十年近くも前に、今は亡き児童文学作家の廣越たかしの家で行われた同人誌の忘年会(私が今までに参加した忘年会で一番楽しいものでした)で、「本当になりたいもの」を問われて、「遊びだけの塾の先生」と答えたことが今でも記憶に残っています。
 次に、団長です。
 アメリカン・フットボールではオールアメリカンの最優秀タックル(と、コマンチ団のメンバーは固く信じています)で、野球ではニューヨーク・ジャイアンツから誘われている(と、コマンチ団のメンバーは固く信じています)スポーツマンで、スポーツの試合の公正で冷静な審判で、キャンプファイヤーの火付けと火消しの名人で、彼らから見るとすごくかっこいい(実際は、がっしりしているけれど背が低くて、ルックスもイマイチのようです)「男の中の男」(サリンジャーはこうした男たちが大好きで、「ソフト・ボイルド派の曹長」(その記事を参照してください)も同タイプです。サリンジャー自身はハンサムで背が高く、ホールデン・コールフィールドと同様に女の子たちにもてたみたいなので、見かけだけに魅かれて言い寄ってくる内容のない女の子たちにうんざりしていたのかもしれません)。
 そして、団長のガールフレンドです。
 少なくとも、主人公がその後大人になるまでの間に出会った中ではベスト3に入る美人(団長の時に書いたことと矛盾していますね)で、コマンチ団と一緒に野球をした時に驚異的な長打率を記録して彼ら全員を魅了し、外見はパッとしない団長の魅力もちゃんと理解している女性です(それでも、二人が破局を迎えたのは、おそらく団長の極端に内気でおとなしい性格が災いしたのでしょう)。
 最後に、「劇中劇」ならぬ「物語中の物語」である「笑い男」には、当時の男の子たち(実際は今の男の子たちも同様です)を魅了するあらゆる要素(子どもの時に誘拐されてその顔を見ると死をまねくほど醜く改造されてしまった主人公、彼をさらったシナ人の匪賊(時代が時代だけに差別的表現をお許しください)、宿敵のフランス人の刑事とその娘の男装の麗人(当時の連続活劇映画では、洋の東西を問わずに欠かせないキャラクターです)、忠実な部下たち(斑ら狼、小人、モンゴル人の大男、目が覚めるようなヨーロッパ人とアジア人の混血娘)(これらの表現も現代から見れば、白人中心主義的で差別的ですがお許しください)、そして、残酷で美しいどんでん返しの数々)が含まれています。
 これらのすべてが一日で失われてしまったのですから、主人公が「歯の根も合わぬほど震えながらうちへ帰り、まっすぐ寝床にはいるようにと言われた」のも、まったく無理のないことなのです。

 

 

 

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最上一平作 ザ・キャビンカンパニー絵「ガマ千びき イワナ千びき」

2025-04-29 09:29:02 | 作品論

迫力ある絵で飾られた絵本です。

何度失敗しても滝登りに挑戦するイワナ。

それを見ながら、陰で応援しているガマ。

イワナの努力と、ガマの応援は実を結ぶのでしょうか?

作者たちは、鮮やかなエンディングを用意していて、読者を感動させてくれます。

作者と画家(夫婦によるチーム)は、くしくも別々の作品で、昨年の小学館児童文学賞を受賞しています。

この最強コンビが結集して、新たな傑作を生みだしてくれました。

 

 

 

 

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高村 有「思いがけず、朝子ちゃん」

2025-04-28 12:25:57 | 作品論

祖母が経営する花屋を手伝うために、地方の町に引っ越してきた若い女性を狂言回しにして、その町に暮らす小学校高学年から中学生ぐらいの女の子や男の子の様子を新鮮なタッチで描いた連作短編集(五編の短編とプロローグとエピローグ)です。

思春期前期の子どもたちの繊細な心情が、丁寧に描かれています。彼らがいかにも現代を生きている子どもたちとして描けているのは、作者が同年配の子どもたちの母親であり、子どもたちやその友達たちを作家の目で観察しているたまものだと思います。

 一人一人が抱えている悩みや問題点を、子どもたちの立場に立って等身大で描かれています。

 創作児童文学がたくさん出版されているころとは違って、新人の連作短編集が出版されることは稀有のことです。

 それだけ、この連作短編集の一遍一遍が完成度が高いだけでなく、全体で確固たる世界観を築き上げていることが証明されています。

 

 

 

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フリードリッヒ・シュナック「おもちゃ屋のクリック」講談社版少年少女世界文学全集第22巻所収

2025-04-23 08:31:01 | 作品論

 1933年に出版されたドイツの児童文学です。
 おもちゃ屋に勤めるおとうさんと二人暮らしの12歳の男の子クリックと、彼のガールフレンドのアリーを中心に、当時の都会(おそらくドレスデン)の人々の暮らしを生き生きと描き出しています。
 クリックが買った宝くじ(二等に当選して二万マルク(現在の日本の貨幣価値で言えば2000万円ぐらいか?)がもらえます)を隠してあった毛糸の帽子をなくし、それを見つけ出すまでがお話のメインですが、ストーリーそのものよりも彼らの暮らしや登場してくる人物(大人も子どもも)たちをリアリティを持って描いている方が魅力です。
 エーリッヒ・ケストナーの諸作品(「エーミールと探偵たち」など)とほぼ同時代の作品ですが、この作品の一番の特長は子どもたちだけでなく、動物屋(今の言葉で言えばペットショップですね)のぜんそくおじさん、ザサフラス(元)船長などの個性豊かな大人たちが、クリックたちを子ども扱いせずに一人前の人間として付き合っている点でしょう。
 今回、50年以上ぶりに読んで気づかされたのは、当時のドイツの貧困や子どもたちの不幸(クリックはおかあさんがなくなっていますし、アリーは赤ちゃんの時に両親を失っています)が、かなりしっかりと書き込まれていることです。
 子どものころ(1960年代初め)に読んだ時にクリックたちの貧困に気付かなかったのは、当時の自分のまわりの方がもっと貧しかったからでしょう(特に私の家だけが貧しかったわけではなく、東京オリンピック前なので日本中がまだ貧しかったのです)。
 この作品の場合、貧困を抜け出す手段が宝くじ当選なので、安易な感じを受けるかもしれませんが、この宝くじは当時(第一次大戦敗戦後の復興も行き詰まりを見せていました)のドイツの貧しい人たちにとっては、未来への希望の象徴だったのでしょう。
 そういった意味では、文中に出てくる「いつかアメリカ帰りの大金持ちのおじさんが現れないかなあ」という儚い夢と、等価だったのかもしれません(同じように敗戦国だった私の子どもの頃の日本では、「アメリカ帰り」ではなく「ブラジル帰り」のおじさんでした)。
 しかし、ご存じのように、ドイツではこの本が出版されたころに、ヒットラーのナチスが台頭し、第二次世界大戦の泥沼に突入します。
 なお、この作品も全集に収める紙数の関係で抄訳なのですが、今回探してみましたが残念ながら日本では全訳は出版されていないようでした。

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宮沢賢治「注文の多い料理店」注文の多い料理店所収

2025-04-15 09:14:15 | 作品論

 この作品集の表題作です。
 賢治の数多くの短編の中でも、もっとも有名なものの一つでしょう(「銀河鉄道の夜」のような長編は除いてですが)。
 料理店で注文をつけるのが、客ではなくお店側だという逆転の発想は、その後多くの模倣者や追随者を生みました。
 ここでも、賢治は子ども読者の大好きな繰り返しの手法を使って、物語を盛り上げています。
 この短編は、なんでもお金で解決を図り、田舎の暮らしにもずかずかと踏み入ってくる都会の人たちへの田舎の子どもたちの反発を描いていることで有名(賢治自身もこの作品集の宣伝チラシで明言しています)ですが、ラストではどんでんがえしを用意して、彼らにも救いの手を差し伸べています。

注文の多い料理店 (新潮文庫)
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新潮社
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宮沢賢治「注文の多い料理店」講談社版少年少女世界文学全集49現代日本童話集所収

2025-04-11 09:07:52 | 作品論

 この作品については、賢治の生前の自費出版の本に関する記事ですでに述べたので、内容についてはそちらを参照してください。
 ここでは、この本(講談社版少年少女世界文学全集)が出版された頃(1962年)のこの作品の受容について述べたいと思います。
 ご存知のように、賢治は1933年に37歳の若さで亡くなったのですが、その死後、児童文学関係者や弟の宮沢清六氏(関連する記事を参照してください)たちの尽力により、次第に世間に知られるようになり、その他の作品も出版されるようになりました(私の持っている「風の又三郎」は1939年、「グスコーブドリの伝記」は1941年の出版です)。
 死後30年近くたったこの本の出版時には、近代童話の大御所たち(小川未明、坪田譲治、浜田廣介など)を凌駕する人気になっていたものと推察されます。
 この本でも、賢治のように複数作品が収録されているのは、前述した大御所のいわゆる「三種の神器」を除くと、他に一名いるだけです。
 現代児童文学が出発する時の理論的原動力のひとつになった、1960年に出版された「子どもと文学」(その記事を参照してください)でも、瀬田貞二(関連する記事を参照してください)によって、ベタ褒めに近い評価を受けています。
 ただし、この時点では、賢治作品の読者は大人が中心だったようで、子ども読者への紹介はまだ過程にあったのかも知れません。
 なお、この本の巻末にある読書指導で行った小学校六年生による人気投票では第一位に選ばれていますから、賢治の多くの作品の中からこの作品(生前唯一の童話集の表題作ですから、賢治にとっても自信作でしょうが)を選んだ編者たち(福田清人、山室静など)の慧眼に敬服します。




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大石真「チョコレート戦争」

2025-04-06 09:31:15 | 作品論

 菓子店のショーウィンドウを壊したとの濡れ衣を着せられた子どもたちが、そこに飾られていたチョコレートのお城を盗み出すことを計画します。
 この計画は、事前に店の経営者の知ることとなり、子どもたちのチョコレートのお城強奪は、かえって店の宣伝に利用されてしまいました。
 しかし、この店のあくどいやり方が市内の全小学校の学校新聞で報道されることにより、全市的な不買運動がおこり、最後は店の経営者が子どもたちに謝罪して、子どもたち側の大勝利に終わります。
 1965年初版以来、現在まで60年以上にわたって百数十刷を重ねている「現代日本児童文学」の「古典」の一つです。
 しかし、これを「現代児童文学」の代表作と見るのには、異論もあるだろうと思います。
 大石は、「幸い、それらの作品のいくつかが(注:日本児童文学者協会新人賞を受賞した1953年の「風信器」などを指します)大人の読者の好評を得て、ぼくも童話作家の仲間にくわえられましたけれど、ぼくの心の中に、かすかな疑問がないわけではなかった。(中略)ぼくは童話というものは、子どもにおもしろくなくては駄目であると考えるようになった。子どもにおもしろく、しかも、大人が読んでも、おもしろくなくては駄目であると思った。(「日本児童文学」1969年11月号)」と、「チョコレート戦争」の成功をふまえて発言しています。
 確かに、この作品では、多くの子どもの読者を獲得しました。
 偕成社の名編集者であった相原法則は、大石について以下のように述べています。
「少年ジャンプのモットーとするところの内容を、友情・努力・勝利の三つだといいます。(中略)知ってか知らずか、大石さんの作品は、まさにこの三つを取り入れています。(日本児童文学者協会編「児童文学の魅力 いま読む100冊日本編」所収)」
 大石がエンターテインメントも書ける作家として、それまで続けていた小峰書店での編集者の仕事を1966年に辞めて作家生活に専念できたのも、この作品の成功による自信からだと思われます。
 しかし、大石の言葉の後半の「大人が読んでも、おもしろくなくては駄目である」ということがこの作品で成功したかどうかについては、かなり疑問が残ります。
 例えば、水沢周は、この作品のプロット、キャラクター、さらにはディテールな点までについて、リアリティのなさを指摘して酷評しています(「現代日本児童文学作品論 日本児童文学別冊」所収)。
 「チョコレート戦争」のようなエンターテインメント作品を、純文学の切り口で評する水沢の論じ方はフェアじゃないと思いましたが、一方で大人の読者が読んで物足らないという面は、かなり当たっていると思われます。
 では、「現代日本児童文学」として、この作品がどうなのかを少し分析してみたいと思います。
 その前に、大石が自分の書いている物を「児童文学」ではなく、「童話」と称している理由にふれておきます。
 大石は、その当時の童話界のメッカだった早大童話会で、「現代日本児童文学」の理論的な出発点の一つといわれる「少年文学宣言(正しくは少年文学の旗の下に)」(その記事を参照してください)を出した鳥越信、古田足日、神宮輝夫、山中恒たちよりも数年先輩にあたる世代に属しています。
 その後、大石は「少年文学宣言」派とは袂をわかって、早大童話会の顧問で「少年文学宣言」派に(それだけではなく石井桃子たちの「子どもと文学」派からも)批判された近代童話の大御所たちの一人である坪田譲治が主宰した「びわの実学校」に同人として参加しています。
 そのために、自分の作品を「児童文学」ではなく、「童話」と称しているのです。
 それでは、「現代児童文学」の代表的な特徴(これも各派によって様々な意見があるのですが)に照らし合わせて、この作品を眺めてみましょう。
「散文性の獲得」
 「現代児童文学」では、近代童話の詩的性格を克服して、小説精神を持った散文で書かれることを目指しました。
 この点では、「チョコレート戦争」は申し分ないでしょう。
 大石の優れた特長の一つである平明で子どもにもわかりやすい文章で、作品は書かれています。
 この読みやすさが、多くの読者を獲得した大きな成功要因です。
「おもしろく、はっきりわかりやすく」
 特に「子どもと文学」派は、この点を世界基準と称して「現代児童文学」に求めました。
 「チョコレート戦争」は、このポイントもクリアしています。
 やや単純すぎるとも思われるキャラクター設定やプロット、適度に読者をハラハラさせるストーリー展開は、おもしろくてわかりやすく、確実に子どもの読者をつかみました。
「子どもへの関心」
 「現代児童文学」では、大人の道徳や常識に縛られない生き生きとした子ども像を創造する事を目指しました。
 この作品では、宣伝に利用しようとする菓子店の経営者の「大人の論理」を、全市内の子どもたちの団結による「子どもの論理」が打ち破ったかに見えます。
 そこに読者の子どもたちは、大きな達成感を感じるのでしょう。
 しかし、実は一見「子どもの論理」に見える「学校新聞」での批判は、実は大石自身の「ジャーナリズムに対する過信」という「大人の論理」が透けて見えてなりません。
「変革への意思」
 新しいもの(児童文学では主に子どもに代表される)が古きもの(大人に代表される既成の権威)を打ち破って、社会変革につながる児童文学を目指しました。
 この作品ではここが一番弱いし、大石自身がこの作品を「児童文学」ではなく「童話」と称した点でもあると思います。
 菓子店の経営者がおわびに子どもたちの学校へ毎月ケーキを届けるようになるエンディングは、大人(権威、あるいは体制側)が子ども(変革者)をたんに懐柔しているだけで、少しも社会を変革しようとしていない現状肯定的な姿に見えてなりません。
 大石は、その後、「教室205号」などの社会的な問題を取り扱った作品も発表しています。
 彼は、「童話」と「現代児童文学」の狭間で苦闘しながら、1990年に亡くなるまでの作家生活をおくったように思われます。
 前出した相原の言葉を借りると、「いい本には二種類しかない。褒められる本(相原の定義では賞を取ること)と売れる本だ。しかし、たいがいの作家は、一つの作品で両方を狙うから失敗する」
 そういう意味では、大石は、その両方のいい本を世の中に残したことになりました。
 日本児童文学者協会新人賞を取った「風信器」などが前者で、「チョコレート戦争」はもちろん後者です。
 最後に、「現代日本児童文学作家案内 日本児童文学別冊」に掲載された大石自身の言葉を紹介しましょう。
「児童文学とは何か――この問いかけが、たえず波のように私の胸におそいかかってっくる。この十年間(現代日本児童文学作家案内は1975年9月20日発行)に発表された私の作品は、すべてその問いかけへの答えだといってよい。あるときの私は児童文学を青春文学の一変種として捉え、あるときの私は暗い人生の反措定として児童文学を捉えた。だがそれでよいのだろうか。これからもたえず疑問が生まれ、その解答のかたちで私の児童文学は創り出されていくことだろう。」
 こういった「現代児童文学」とエンターテインメントの狭間における煩悶は、かつては私も含めて多くの児童文学作家に共有されていたと思いますが、現在では「売れる本」という価値観がすべてで、そのような葛藤をしている書き手は見当たりません。

チョコレート戦争 (新・名作の愛蔵版)
クリエーター情報なし
理論社





 





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アラン・シリトー「長距離ランナーの孤独」集英社版世界の文学19所収

2025-04-05 09:00:33 | 作品論

 1959年に発表された、作者の初めての短編集の表題作です。
 前年に出版された処女作「土曜の夜と日曜の朝」(映画[サタデー・ナイト・フィーバー」(その記事を参照してください)の題名には、この作品の影響が見られます)と共に、作者の名前を一躍世界中に広めました。
 作者の登場は、イギリスにおける真の労働者階級の作家の登場であるとともに、当時社会問題化していた若者(特に労働者階級)の気持ちをストレートに代弁していたからです。
 日本とは比べ物にならないぐらい(現在では日本も格差社会になりましたが)階層社会で、出自によりその人の人生が決まってしまうことの多いイギリスにおいて、労働者階級(特にその中でも下層に位置する)の若者のやり場のない閉塞感と社会への反抗を、鮮やかな形で描いています。
 主人公の17歳の少年は、窃盗の罪で感化院(現在の少年院のようなもの)に入れられていますが、院長に長距離ランナーの資質を見出されて、感化院対抗の陸上競技大会のクロスカントリーの選手に選ばれて、特別に院外の原野での早朝練習をさせられています。
 作品の大半の部分は、その練習中における彼の頭の中での独白(生い立ち、社会の底辺にいる家族、社会への反発、非行、彼が犯した犯罪など)で構成されていますが、それと並行して、走っている原野の風景や走ることの喜びも描かれ、読者は次第に彼の閉塞感と孤独を共有するようになります。
 原野が彼を取り巻く社会、感化院が彼を縛る窮屈な社会の規範、院長たちが彼を搾取している上流階級、そして、クロスカントリーが彼の人生そのものの、比喩であることは、同じ環境にない読者にも容易に読みとることができます。
 大会のクロスカントリーでは、圧倒的にリードしていた主人公が、自分の意思でゴール前で歩みを止めて敗れます。
 これは、院長(社会の支配者層の代表)の期待通りのレースでの勝利は、断固として拒否する彼の意思のあらわれだったのです。
 そのために、残された六ヶ月の感化院での生活が、優勝した場合に院長が約束していた楽な楽しい生活ではなく、懲罰的な重労働を課せられた厳しいものであったとしても、彼は自分の意思に忠実だったのです。
 事実、過酷な生活のために彼は体調を崩してしまいますが、そのおかげで彼が感化院と同じだと考えていた徴兵を逃れられたおまけ付です。
 この作品を初めて読んだのは高校生の時で、主人公と違ってまったく恵まれた安逸な環境にいましたが、主人公の大人社会への反発には激しく共感したことを覚えています。
 また、この作品の、若者の話し言葉による一人称で書かれた文体もすごく新鮮でした。
 その時は、まだサリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(その記事を参照してください)を読んでいませんでしたが、実際にはこの作品の文体があの世界的ベストセラーの影響を受けていただろうことは想像に難くないです。
 ただし、こちらの作品の文体の方が、卑俗的で野趣に富んでいて(訳者によると、ノッティンガム地方の方言だそうです)、アナーキックな怒りを表すには適しています。
 それにしても、この作品の題名、「長距離ランナーの孤独」は秀逸で、人生に対する比喩であるばかりでなく、実際の長距離ランナーに対するイメージすら確定しまった感があります。
 特に、日本では、東京オリンピックのマラソンで金メダルを取ったエチオピアのアベべ選手の哲学者のような走りと風貌、同じレースで銅メダルを取り、その後次のオリンピックでの国民の期待という重圧に押しつぶされて自殺してしまった、円谷幸吉選手の孤独と無念のために、より深くそのイメージが刻み込まれています。


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ジェームス・サーバー「たくさんのお月さま」

2025-04-04 09:29:14 | 作品論

 ヨーロッパのどこかと思われる小さな王国の、10歳のおひめさまのお話です。
 ある時、おひめさまは木いちごのパイを食べ過ぎて(この作品が書かれたのは80年近くも前ですから、かなりおしゃれですね)病気になってしまいます。
 おひめさまに甘い王さまが何でも欲しい物をあげようとお姫様に尋ねると、「お月さまがほしい」と難題を出されます。
 王さまは、賢いと思われている家来の侍従長と魔法つかいと数学者に、お月さまを取ってくるように命じますが、彼らは、いかにも賢そうに過去の実績を並べるだけで、ちっとも役に立ちません。
 困った王さまのために、道化師が直接おひめさまに「お月さまとは何か」を尋ねると、おひめさまは子どもらしい発想の「お月さま」(金でできたおひめさまの親指のつめより小さい丸い物)を教えてくれたので、金細工師に作らせて金の鎖をつけると、おひめさまは大喜びで「お月さま」を首にかけて病気もたちまち治ってしまいます。
 しかし、新たな問題が発生します。
 その夜も、お月さまが空に出てきたからです(当たり前ですけど)。
 自分が手に入れたお月さまが偽物だと気づいて、また病気になってしまうのではと心配した王さまは、今度も侍従長と魔法つかいと数学者に相談しますが、彼らからは一見賢そうで常識的な、実は陳腐なアイデアしかでてきません。
 困った王さまのために、道化師がまたおひめさまへ直接、「どうしてまた別の月が出てきたのか」を尋ねに行きます。
 その時のおひめさまの答えは?
 ここが作品の一番の魅力ですし、短いお話ですので、そこから先は図書館で本を借りて原文でお楽しみください(ヒントは本のタイトルです)。
 私の持っている本は、今江祥智の洒脱な文章と宇野安喜良のヨーロッパの雰囲気をたたえたイラストがたくさんついた小さな絵本です。
 この作品ほど、「子どもの論理」の「大人の常識」に対する勝利を鮮やかに描いた作品を、私は他に知りません。
 そして、常に「子どもの側」にたって、「子どもの論理」に基づいて創作するのが、真の児童文学者だと、今でも固く信じています。


たくさんのお月さま (1976年)
クリエーター情報なし
サンリオ出版




 

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エウゲーニー・M・ラチョフ え「てぶくろ」 

2025-03-27 09:48:25 | 作品論

 ウクライナ民話をもとにした絵本の古典です。
 おじいさんが森の中で落とした手袋に、森の動物たちが次々に入っていくお話です。
 手袋に入ったのは、くいしんぼねずみ、ぴょんぴょんかえる、はやあしうさぎ、おしゃれぎつね、はいいろおおかみ、きばもちいのしし、のっそりぐまと、七匹もいるのです。
 最初のねずみの時点で、手袋と動物たちの大きさの比がすでにおかしかったのですが、百歩譲ってかえるまでは何とか入ってもいいでしょう。
 しかし、うさぎ以降はどう考えたって無理です。
 おじいさんは巨人なのでしょうか?
 でも、そばに落ちていた小枝と手袋の大きさの比率を考えるとそうではなさそうです。
 とても入るのは無理だと思われる動物たちが、次々に手袋に収まっていく様子を、子どもたちが大好きな繰り返しの手法を使って描いていきます。
 しかも、増えていくのは絵の中の動物たちだけなく、文章の方でも繰り返しごとに一匹ずつ増えていくので、読み聞かせをすれば子どもたちは大喜びでしょう
 ラチョフの絵も、作品世界を余すところなく伝えていて秀逸です。
 前出したように、動物たちにはその特徴を示すネーミングがされているのですが、ラチョフの絵はそれを十分に生かしています。
 また、動物たちの大きさを自在に変えて手袋にうまく収めています。
 ただし、最後の熊だけは、絵にするのが無理だったようです。
 また、手袋に土台やはしごを取り付けたり、窓まで開けてしまって遊び心満載です。
 もちろん、最後に、おじいさんが拾いに来たときには、元の手袋に戻っています。
 児童文学者の瀬田貞二は、「幼い子の文学」(その記事を参照してください)の中で、この作品について、「手袋の中に熊なんか入るもんかというふうな理屈の上での議論は抜きに、子どもの想像力の中では、熊でも何でも入っちゃうと思うんです。その手袋がいろんなものを際限なく入れるということになれば、それだけ面白いじゃありませんか。」と述べていますが、まったく同感です。

てぶくろ―ウクライナ民話 (世界傑作絵本シリーズ―ロシアの絵本)
クリエーター情報なし
福音館書店
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ヨーン・スウェンソン「ノンニとマンニのふしぎな冒険」

2025-03-17 11:28:04 | 作品論

 1914年にアイスランドで書かれた「ノンニとマンニ」を、在アイスランド臨時代理大使だった人が翻訳して、2008年にノンニ(ヨーン・スウェンソンのニックネームでもあります)訪日70周年記念として出版された絵本です。
 私がこの本を読もうと思ったのは、幼いころの愛読書であった講談社版少年少女世界文学全集に収録されていた「ノンニの冒険」(実際は1927年に書かれた「島での冒険」の抄訳だったようです)の完訳版を読もうと思ったからです。
 残念ながらその本の完訳は日本では出版されていなかったようですが、代わりにこの新しい本にたどり着きました。
 この本自体は絵本なので短い物語(ノンニと弟のマンニが、ボートで海へ釣りに行き、釣りに夢中になっているうちに引き潮で沖に流され、通りかかったフランスの軍艦に救助されるというお話です)ですし、作者が神父から作家に転向して間もなくだったのでまだ宗教的な要素が強く、幼いころに読んだ波乱万丈の「ノンニの冒険」を期待していた自分にとっては、やや物足りない物でした。
 しかし、アイスランドで2007年に出た新しい本の挿絵が、そのままふんだんに使われた美しい絵本に仕上がっています。
 また、この本を通して、私の幼いころの友だち(?)の一人であるノンニ(ここでは登場人物の方)が故郷のアイスランドでは今でも読まれ続けていることや、ノンニ(ここでは作者の方)が1937年に来日して一年も滞在し、日本中を講演(主にキリスト教系の学校で)して回っていたことや、ノンニ(ここでは両方)のおかげでアイスランドの人たちが非常に親日的であることなどを初めて知り、とても嬉しく思いました。

ノンニとマンニのふしぎな冒険
クリエーター情報なし
出帆新社
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エーリヒ・ケストナー「エーミールと三人のふたご」

2025-03-15 15:31:29 | 作品論

 1934年に書かれた児童文学の古典です。
 前作の「エーミールと探偵たち」の五年後に書かれたのですが、作品世界の中では二年後ということになっています。
 もちろん単独でも楽しめるのですが、読者に親切なケストナーは、前作を読んでない読者(彼の言葉によると門外漢)も、読んでいる読者(彼の言葉では専門家)も、ともに楽しめるように二種類のまえがきを用意しています。
 作品世界の中でも、「エーミールと探偵たち」はベストセラーになり映画化もされています(それは現実でも同様でした)。
 わかりやすく現代の児童文学界に置き換えれば、あさのあつこの「バッテリー」がベストセラーになって映画化されたようなものです。
 ただし、娯楽の少なかった当時の児童文学や映画は、現在とは比べ物にならないほどインパクトは持っていたでしょう。
 あさのあつこは映画に出演しましたが、ケストナーは作品の中に登場します。
 これは、彼の作品の大きな特徴で、「エーミールと探偵たち」でも「飛ぶ教室」でも本人が登場します。
 それは、彼が出たがりなばかりではなく、作品に大きくコミットしているからです。

 作品を紹介するために、彼の手法にならって、この作品の最初に掲げられている十枚の絵を使いましょう。
 第一は、エーミール自身。
 前作から二年後なので、日本でいえば中学一年生ぐらいです。
 相変わらず優等生でおかあさん思いですが、そういった言葉から連想されるような嫌な奴ではなく、正義感にあふれた愛すべき少年です。
 第二は、イェシュケ警部です。
 エーミールのおかあさんにプロポーズしています。
 とてもいい人なのですが、そのためにエーミールも、おかあさんも悩んでいます。
 本当は、二人で水入らずで暮らしたいのですが、将来のこと(おかあさんはエーミールの将来、エーミールはおかあさんの将来)を考えると再婚をした方がいいと思っています。
 第三は、教授くんが受け継いだ遺産
 バルト海の保養地にある大きな別荘で、教授くんは大おばさんから遺産としてもらいました。
 教授くんは、「探偵たち」の主要メンバーで主に知性を代表しています。
 児童文学の世界では、いかに「教授くん」のキャラの追随者が多いことか。
 教授くんは、法律顧問官の息子でこのような高額の遺産を受け取るほど裕福です。
 一方、エーミールは、おかあさんが自宅の台所で美容師の仕事をして、苦労して育てられています。
 ケストナーの作品の大きな特徴としては、このような貧富の差を軽々と乗り越えて少年たちが友だちになることであり、その一方でお金を汚いものとして扱わずに生きていくのに必要なものとして淡々と描いていることです。
 第四は、警笛のグスタフ
 彼は前作では警笛しか持っていませんでしたが、今ではオートバイを持っています(彼は14歳ぐらいなのですが、当時のドイツでは一定排気量以下のオートバイには免許はいらなかったようです)。
 警笛のグスタフも、「探偵たち」の主要メンバーで、主に体力と食欲を代表しています。
 彼もまた、児童文学の世界に多くの追随者を持っています。
 第五は、ヒュートヘン嬢
 エーミールのいとこで14歳です。
 この年齢では、男の子より女の子の方が成熟するのが早いのは、古今東西を問いません。
 作品では、少年たちと大人たちを結ぶ役割を果たしています。
 第六は、汽車をつむ汽船
 バルト海沿岸や対岸のスウェーデンを結んでいました。
 ここを舞台にエーミールと探偵たちは大活躍するはずでしたが、ハプニングが起きて半分が参加できませんでした。
 第七は、三人のバイロン
 ホテルの出し物として出演していた軽業師とその双子(実は親子や双子というのは出し物上の設定で、三人とも赤の他人です)です。
 大きくなりすぎて軽業ができなくなった双子の一人を置き去りにして夜逃げしようとして、それを阻止しようとする探偵たちと対決します。
 第八は、おなじみのピコロ
 ピコロとは、ホテルの見習いボーイの少年のことです。
 彼は、前作でも探偵たちを助けて活躍しました。
 小柄で身の軽いところを見込まれて、新しい双子の一人になって一緒に逃げるように軽業師に誘われています(「三人のふたご」という変わったタイトルは、このように三人の少年が双子の役をするところからきています)。
 第九は、シュマウフ船長
 ピコロのおじさんで、商船の船長ですが自分のヨットも持っています。
 第十は、ヤシの木のある島
 バルト海にある無人の小島で、ヤシの木は植木鉢に植わっています。
 教授くんとグスタフとピコロが、シュマウフ船長のヨットでセイリングしていて、この島にのりあげたために、三人は軽業師との対決に参加できませんでした。

 この作品は、ケストナーの母国ドイツではなく、スイスで出版されています。
 この当時、ケストナーは、ナチスの弾圧を受けていて、国内での出版ができなかったからです。
 そんな過酷な状況の中で、こんなユーモアに富んだ明るい作品を書いたケストナーに敬意をはらいたいと思います。
 90年以上も前に書かれた作品ですので、今の感覚には合わないところや若い読者にはわかりにくいところもたくさんあるでしょうが、以下のような児童文学としての普遍的な価値を持っていると思います。
1.子どもたちを一人の人間として尊重している。
2.常に大人側ではなく子どもの立場に立っている。
3.現実の大人たちには失望していても、子どもたちの未来には限りない信頼を置いている。
 私事になりますが、私が幼いころに愛読していた「講談社版少年少女世界文学全集」にはケストナーの巻があり、「飛ぶ教室」、「点子ちゃんとアントン」と共にこの作品(「エーミールとかるわざ師」というタイトルになっていました)が入っていました。
 病弱で学校を休みがちで友だちがいなかった小学校低学年の頃の私にとって、この作品のエーミールたちや「飛ぶ教室」のマルチン・ターラーたちが、本当の友人でした。
 そして、病気が治り学校へも休まずに通えるようになった時に、新たに友達を作る上で、彼らから学んだ友だちへの信頼やいい奴の見分け方などは大いに役立ちました。
 今、友だちがいなくて悩んでいる男の子たちには、ぜひこの本を読んでもらいたいと思っています。
 あいことばエーミール!(前作とこの作品で使われた少年たちの合言葉です)
 

エーミールと三人のふたご (ケストナー少年文学全集 (2))
クリエーター情報なし
岩波書店








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マージェリー・シャープ「ミス・ビアンカ シリーズ1 くらやみ城の冒険」

2025-03-03 09:02:27 | 作品論

 この物語の世界には、「囚人友の会」という世界的なネズミたちの組織があります。
 この会のネズミたちは、囚人たちの心をなごませるために刑務所などにいき、「自尊心の高いねずみなら考えもしないような、ばかげた悪ふざけのお相手をつとめ」ることに精を出してくれています。
 さて、今回その「囚人友の会」の総会で議題に出されたのは、くらやみ城と呼ばれる監獄のことです。
 流れのはげしい川の崖っぷちに建てられ、崖のなかを掘りぬいたところに地下牢を置いているその監獄は、たとえ「囚人友の会」のネズミをもってしても、囚人のところにたどり着くことさえ困難な難攻不落の場所として有名です。
 よりによって、そこに囚われている詩人を救い出すという救出作戦が決行されることになります。
 詩人はノルウェー人であり、救出作戦のためには、通訳としてノルウェー出身のネズミが必要です。
 ネズミたちは、世界共通のネズミ語とその国の人間の言葉が使えることになっています。
 そして、そのノルウェーのネズミに「囚人友の会」の救出作戦を伝える者として名前があがったのが、ミス・ビアンカでした。
 ミス・ビアンカは大使の坊やに飼われている貴婦人のネズミで、坊やの勉強部屋の瀬戸物の塔で暮らしています。
 その大使一家が近々転勤でノルウェーに発つという情報が、「囚人友の会」にも伝わってきていました。
 つまり、ノルウェーまでもっとも早く救出計画を伝えられるのが、ミス・ビアンカだったのです。
 この本の面白さの第一にあるのは、ミス・ビアンカをはじめとするネズミたちのキャラクターが際立っている点があげられます。
 中でもミス・ビアンカは、なんといっても貴婦人ネズミです。
 渡辺茂男の訳による彼女のセリフ回しは、まるで「ローマの休日」のオードリー・ヘップバーンか、「エースをねらえ!」のお蝶夫人のようです(声優が同じなので、この二人のセリフ回しが一緒なのは当たり前ですが)。
 教養は高いけれど、気どり屋で、おいしい食べ物を与えられることがあたり前の生活をしてきた彼女は、ネズミたちにとっては天敵であるはずのネコに対して何の怖れもいだいていないという、まったく浮世離れしたところがあります。
 そんな世間知らずのミス・ビアンカが成りゆきとはいえ、ノルウェーまで赴いて救出計画に適任なネズミを探してくるだけでなく、自らも救出作戦にくわわって、くらやみ城までついていってしまうことになるのですから、まったく思いがけない展開です。
 ミス・ビアンカのお供をすることになる二匹のネズミたちにも、大使館の料理部屋に住むバーナードには沈着冷静な実務家、ノルウェーからミス・ビアンカに連れてこられたニルスには勇敢な船乗りといった際立った個性が与えられています。
 はたして監獄から詩人を脱出させるでしょうか?
 人間がやっても困難だと思われる難しい救出計画を、いかにしてクリアしていくのかがこの作品の醍醐味のひとつです。
 しかし、何より感心させられるのは、物語の中心人物がネズミであるという視点を常に意識していながらも、物語の進行においてミス・ビアンカ、バーナード、ニルスのそれぞれにもつ性格や特技を最大限にいかせるような工夫がなされている、という点です。
 たとえば、彼らはネズミであるがゆえに、その小柄な体格を生かして人目につくことなく移動し、人間を観察したり、移動手段である馬車のなかに潜り込んだりします。
 そうしたキャラクターの独自性という意味でもっとも顕著なのが、他ならぬミス・ビアンカです。
 バーナードの冷静さやニルスの勇気もたしかにこの冒険で必要ですが、それだけではどうにもできない窮地を切り抜けていくのに、ミス・ビアンカの女性としての魅力や機知がなにより有効に発揮されています。
 また、バーナードのミス・ビアンカへの恋心(ミス・ビアンカも騎士道精神あふれるバーナードに好意を持っています)や、バーナードとニルスのお互いを認め合った上での男同士の友情が、この作品に彩りを添えています。
 無事に囚人を救い出した後で、ニルスはノルウェーへ、そしてミス・ビアンカも大好きなバーナードと別れて、大使の赴任先のノルウェーの大使館へ戻ります。
 この作品は、1957年に発表されると、たちまち世界中でヒットした動物ファンタジーの代表作です。
 ケネス・グレアムの「楽しい川辺」やA・A・ミルンの「くまのプーさん」といった、イギリス伝統の動物ファンタジーの正統な後継者として高く評価されています。
 原作の題名はレスキュアーズ(救出者)で、日本では1967年に渡辺茂男の翻訳で「小さい勇士のものがたり」という題名で出版されました。
 私事で恐縮ですが、大学の児童文学研究会に入ったときに、最初に出席した読書会の作品が「小さい勇士のものがたり」でしたので、私にとっては思い出深い作品です。
 ちょうどそのころ(1973年ごろ)は、仲間内で三大動物ファンタジーシリーズと呼んでいた「ミス・ビアンカ」、「くまのパディントン」(その記事を参照してください)、「ぞうのババール」の翻訳が出そろったころなので、動物ファンタジーは一種のブームだったのかもしれません。
 それに、今までの動物ファンタジーの概念をくつがえす野ウサギの生態を徹底的に生かしたリチャード・アダムスの「ウォーターシップダウンのうさぎたち」も、1972年に出版されて邦訳は1975年に出ました。
 私も含めて児童文学研究会のメンバーはこの本に夢中になり、「フ・インレ」とか、「ニ・フリス」とか、「シルフレイ」といったうさぎ語を使って会話したものでした(「ウォーターシップダウンのうさぎたち」を読んでいないない人にはぜんぜんわからないでしょうが、つい書きたくなってしまいました)。
 また、日本でも斎藤敦夫の「グリックの冒険」が1970年に、「冒険者たち」が1972年に出ています。
 動物ファンタジーには、完全に擬人化されていて登場動物がイギリス紳士そのものになっている「楽しい川辺」から、生態的にはあまり擬人化していない「ウォーターシップダウンのうさぎたち」のような作品まで、さまざまな擬人化レベルがあります。
 「ミス・ビアンカ」シリーズは、その中庸に位置する擬人化度で、子どもが読むお話としてはよくバランスが取れています。
 斎藤敦夫の「冒険者たち」がトールキンの「ホビットの冒険」の影響を受けていることは有名ですが、動物ファンタジーの擬人化度の点では、この「ミス・ビアンカ」シリーズに影響を受けているように思えます。
 さて、マージェリー・シャープの「レスキュアーズ」シリーズは全部で9作品がありますが、日本では1967年から1973年にかけて4作が出版され、1987年から1988年にかけて「ミス・ビアンカ」シリーズとして7作が出版されています。
 訳者は渡辺茂男、出版社は岩波書店とまったく同じなのに、なぜか後のシリーズで邦名が変わっていて読者はこんがらがります。
 以下に、原作と翻訳の題名と出版年度を整理しておきます。
1.The Rescuers (1959)「小さい勇士のものがたり」(1967)「くらやみ城の冒険」(1987)
2.Miss Bianca (1962)「ミス・ビアンカの冒険」(1968)「ダイヤの館の冒険」(1987)
3.The Turrent (1963)「古塔のミス・ビアンカ」(1972)「ひみつの塔の冒険」(1987)
4.Miss Bianca in the Salt Mines (1966)「地底のミス・ビアンカ」(1973)「地下の湖の冒険」(1987)
5.Miss Bianca in the Orient (1970)「オリエントの冒険」(1987)
6.Miss Bianca in the Antarctic (1971)「南極の冒険」(1988)
7.Miss Bianca and the Bridesmaid (1972)「さいごの冒険」(1988)
8.Bernard the Brave (1977)
9.Bernard into Battle (1978)
 この本の大きな魅力のひとつに、ガース・ウィリアムズの挿絵があげられます。
 当時、結婚プレゼントの定番だった絵本「しろいうさぎとくろいうさぎ」(その記事を参照してください)の作者でもある彼の絵を抜きにしては、ミス・ビアンカ・シリーズの魅力は語れません。
 彼の手によるミス・ビアンカやバーナードやニルスは、最高に魅力的です。
 特に、ミス・ビアンカのかわいらしさには、当時熱狂的な男性ファンがついていたほどです。
 この挿絵は、「くまのプーさん」や「楽しい川辺」のシェパード、ケストナーの作品群のトリヤーの挿絵のように、作品世界とは切り離せなくなっています。
 残念ながら、シリーズの途中でガース・ウィリアムズが亡くなったので、5作目以降は別の人の挿絵になっています。
 そうとは知らずに、まだ翻訳が出る前に5作目以降の原書を苦労して(今のようにアマゾンで安く簡単に洋書が手に入る時代ではありませんでした)手に入れた時に、絵が違っていて非常にショックを受けました。
 なお、1977年にThe Rescuersのストーリーを中心にして、ミス・ビアンカ・シリーズはディズニーのアニメになっているので、今ペーパーバックを入手するとアニメの絵が表紙になっていてさらに大きなショックを受けます(これは「くまのプーさん」も同様です)。
 この作品は、良くも悪くも古き良き時代の英国ファンタジーの王道を行く作品です。
 ジェンダーフリーの現代では、ミス・ビアンカやバーナードのキャラクターは古臭く感じられるかもしれませんが、六十年以上も前に書かれた一種の古典として読み継がれるべき作品だと思います。


くらやみ城の冒険 (ミス・ビアンカシリーズ (1))
クリエーター情報なし
岩波書店



 
 

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J.D.サリンジャー「シーモァ ― 序論」大工らよ、屋根の梁を高く上げよ所収

2025-02-24 09:42:18 | 作品論

 1959年に発表された、グラス家サーガの一篇です。
 グラス家七人兄妹の中心人物である長兄のシーモァについての人物論を、二歳下のバディ(作家兼大学教師)が描く形をとっています。
 しかも、シーモァの外見、考え方、性格、能力、家族内での位置づけなどを、彼の遺稿である184篇の詩を出版するために紹介する名目で書いているという、非常に凝った形式で描かれています。
 また、バディ=サリンジャーだということを匂わせる記述(「バナナ魚にもってこいの日」、「テディ」、「大工らよ、屋根の梁を高く上げよ」らしき作品(それらの記事を参照してください)の作者であることと、この時の年齢が同じ40歳であることなど)もあって、シーモァ、バディ、ブー=ブー、ウォルト、ウェイカー、ズーイ、フラニーの七人兄妹だけでなく、サリンジャー自身も登場人物であるような不思議な感覚を味あわせてくれます。
 実際に、「バナナ魚にもってこいの日」でシーモァが31歳で自殺した時には、バディとサリンジャーは共に29歳だったわけで、そう考えるとバディが自分を描写している中年太りが始まった姿は、かつて本に載せることを許していた痩身で若々しいサリンジャーの写真からの変化が想像されて微笑ましいとともに、夭折したものだけに許されるいつまでも31歳のままで変わらないシーモァとの対比がより鮮明になります。
 筋らしい筋がない書き方は、1957年に発表された「ズーイ」(その記事を参照してください)よりさらに進んでいるため、グラス家サーガの先行作品をすべて読んでいない読者には非常に分かりにくい作品になっています(「ズーイ」は、少なくとも「フラニー」(その記事を参照してください)を読んでいれば理解が可能です)。
 その一方で、グラス家サーガのファン、特に、「なぜ、シーモァは自殺しなければならなかったか?」を考え続けている私のような人間にとっては、貴重な手掛かりに富んだ作品になっています。

 

 

 

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