現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

青木茂「三太花荻先生の野球」講談社版少年少女世界文学全集49現代日本童話集所収

2023-06-30 09:50:05 | 作品論

  戦後すぐに書かれ、一躍人気を博した「三太物語」の中の一作です。
 今で言うところのエンターテインメント作品のはしりのような連作短編で、ラジオ番組、映画、更にはテレビ番組にもなりました。
  私はかすかにしか記憶がないのですが、テレビ番組では、当時子役だった渡辺篤史が三太役をやり、相手役の女の子はジュディ・オングでした。
 毎回、冒頭に「おらあ、三太だ」というセリフが入るので、子どもの頃はそれがタイトルだと思っていました。
 三太物語は、村のわんぱく小僧(当時は元気のいい男の子をこう呼びました)三太とその友達の日常を生き生きと描いて、子ども読者には親近感を持たれました。
 三太の考え方や描き方にやや大人目線なのが感じられますが、言ってみれば、「とらちゃんの日記」(その記事を参照してください)の戦後版と言えなくもありません。
 戦後の民主主義の時代を象徴するように、「とらちゃんの日記」が男の子たちだけの世界だったのに対して、女の子たちも活躍します。
 この短編では、三太物語のもう一方の主役である若い女の先生、花荻先生が初めて登場します。
 若いきれいな女の先生の登場で、この作品のエンターテインメント性はぐっと上がりましたし、物怖じしないその溌剌とした姿は、戦後の新しい女性像を反映するものでした。
 壷井栄「二十四の瞳」の大石先生が戦前の若い女性の先生のシンボルだとしたら、花荻先生は戦後の若い女性の先生の代表でしょう。
 当時、花荻先生に憧れて、小学校の教師を目指す女の子が増えたと言われたのも、素直に納得できます。
 また、三太の語りや三太と花荻先生の関係は、後藤竜二の「天使で大地はいっぱいだ」のサブの語りやサブとキリコ先生の関係にも影響を与えたと思われます。
 この作品の舞台になったのは、神奈川県津久井郡津久井町(当時はまだ村だったようです。現在は相模原市緑区の一部になっています)で、現在も道志川沿いにこの物語にちなんで名前を付けたと思われる三太旅館があります。
 話は脱線しますが、現在私が住んでいるところとは隣町なので、二十年以上前になりますが、息子たちの入っていた少年野球チームで、バーベキューと水遊びをしに、その付近へ行ったことがあります。
 当時はまだ、道志川の大きな淵があったり、そこへ飛び込める高さ4、5メートルの岩があったりして、三太たちが遊んでいたころの名残りがありました。

 




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庄野英二「日光魚止小屋」ファンタジー童話傑作選1所収

2023-06-27 08:55:40 | 作品論

 「誰も知らない小さな国」で、現代児童文学(定義などは他の記事を参照してください)のスタートを飾ったと言われている佐藤さとる(創作だけでなく、「ファンタジーの世界」のような啓蒙的な専門書の著作もあります)が編集したアンソロジーの巻頭作です。
 この作品の初出は、1970年6月に出版された作者の短編集「ユングフラウの月」です。
 主人公(作者の分身と思われます)と狐の親子との交流を、彼の山小屋(別荘)を舞台にして描いています。
 作者自身が好きなアウトドアライフと動物ファンタジーを融合させた、作者独自のおしゃれな短編になっています。
 野外調理用のスウェーデン鍋や固形スープなどともに、がんもどきを登場させるなど、和洋折衷のユニークな作品世界を展開しています。
 編者は、巻末の解説でこの作品について、
「こんなタイプの作品を書く作家は、おそらくこの人をおいてほかにいないのではないかと思う。澄んだシロホンの音色のようにハイカラな作風だが、その底には江戸以来の日本人のユーモアが漂っていて、思わずひきこまれてしまう」
と、書いていますが、全く同感です。

 

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くらもちふさこ「天然コケッコー」

2023-06-26 16:52:55 | コミックス

 1994年から2000年にかけて、コーラスに連載された作者の代表作のひとつです。
 それまで別マ(別冊マーガレット)の看板漫画家の一人だった作者が、少し年齢の高い読者層を対象とした雑誌に連載するために、それまでの絵のタッチ(それ以前にも徐々に変化していましたが)や作風(都会から田舎(山陰地方です)へ舞台を変え、登場人物もそれまでの中学生中心から、高校生中心にしています)を変えてチャレンジして、見事に成功しました。
 美人だが方言バリバリの主人公、右田そよの中学二年から高校二年までの三年間を、東京から転校してきた大沢広海との恋愛を中心に、村の豊かな自然(海も近いです)、分校の下級生たちや先生たち、ユニークな村の人々、高校での新しい人間関係などを散りばめながら描いています。
 この作品の成功の一番の理由は、なんといってもヒロインの右田そよの造形でしょう。
 地元だけでなく高校のある町でも有名になるほどの美人なのに本人にはまるでその自覚はなく、成績も良く分校の下級生たちの面倒もよく見る「いい子」なのですが、どこか抜けている題名通りの天然ぶりが魅力です。
 題名の天然コケッコーは、彼女の天然さと分校で彼女たちが世話しているニワトリ(コッコ、彼女がいつも心のよりどころにしている分校(将来はそこで先生をするのが彼女の夢です)の象徴でしょう)からきています。
 また、彼女の作品の特長であり限界でもあったお約束の主人公があこがれる美少年も、この作品ではおっちょこちょいで三枚目の性格を持たせることによって、リアリティを高めることに成功しています。
 二人の恋愛関係も、すぐにファーストキスはするのですが、その後は彼女の古風さもあって三年かけてゆっくりと進み、なんどかきわどい局面はあったのですが、ラストまで実現しなかったことも、こういった作品の大半の読者の女の子たちと同様で、安心して読める要因になったかもしれません。
 この作品は、登場人物がストーリーとともに年齢を重ねていく一種の成長物語(定義については、関連する石井直人の論文の記事を参照してください)なので、読者と登場人物は一緒に成長していくことにより、自分の体験と重ね合わせて読むことができます(連載は6年間なので、実際は読者の成長の方が2倍ぐらい速いです)。
 修学旅行(主人公には初めての(彼が住んでいた)東京です)、高校受験(主人公と彼とでは成績が違うので、二人が離れ離れになる危機です)、高校入学(二人を除くと、他はみんな町の子ばかりなので、主人公はなかなかなじめません)など、読者にも身近なイベントを追体験しながら、読者は主人公たちと一体化できるのです。
 なお、2007年に、この作品の中学時代の部分が実写映画化されました。
 実際の作品の舞台である山陰の農村(作者の母の故郷だそうです)にロケーションした美しい映像と、新人時代の夏帆と岡田将生のういういしい演技が記憶に残っています。

 

 

 

 

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K.M.ペイトン「卒業の夏」

2023-06-25 09:51:47 | 作品論

 1970年にイギリスで出版されて、1972年に日本で翻訳が出た児童文学作品です。
 1973年に大学に入学してすぐに、児童文学研究会の先輩に進められて読んで、衝撃を受けた作品でした。
 今で言えばヤングアダルト物の範疇に入るのですが、児童文学研究会で賢治やケストナーの作品の研究をしようと思っていた私には、「こういう作品も児童文学なのだ]と目を開かされた思いでした。
 主人公のペン(ペニントン)は一応中学生なのですが、一年落第しているので彼の16歳(夏には17歳になります)の春休みと彼にとっては最終学期になる夏学期(イギリスでは6月までのようです)が描かれています。
 そのころの不良の象徴である長髪(日本でもそうでした)を肩まで伸ばして、酒やタバコは日常的にやり、古い漁船を操縦したり、父親の600CCのバイクでふっとばしたりするかなり豪快な不良ですが、根は友達思いで(親友のベイツは、ペンとは対象的に内気な引っ込み思案なタイプです)心優しいところもあります。
 曲がったことが嫌いなために生き方が下手なので、いつも高圧的で禁止されている体罰(むち打ちです)も平気でする担任教師や警察に睨まれています。
 私の持っている日本の本の表紙に描かれているペンは、長身やせギスで、いかにも日本の不良って感じですが、実際には体重が90キロ以上ある筋肉の塊のような体をしていて、スポーツ万能(中学のサッカーチームのキャプテンで、地区の水泳大会では400メートル自由形で優勝します)です(その点では、アメリカで出版された本の表紙(福武文庫版ではこちらが使われています)や挿絵では、忠実にマッチョなタイプに描かれています)。
 そして、ここが作品のミソなのですが、こんな野獣タイプのくせに、ピアノは天才的な腕前なのです(本人は自分の才能に無自覚ですが)。
 教師たちや警察や他の不良たちとのいざこざとともに、ベイツ(ふだんはダメですが、酒に酔うと天才的な歌手に変身します)との音楽活動やそれを通して出会った素敵な女の子(実際に付き合ってみるとそうでもないのですが)への憧れなども、しっかりと書き込まれています。
 ラストでは、ピアノコンクールで優勝して、音楽学校の教師に認められて進路が決まったおかげで、ほぼ確定的だった少年院行きを免れます(このあたりは、訳者があとがきで書いているようにデウス・エクス・マキナ的ですが)。
 なお、この本のオリジナルのタイトルは、PENNINGTON’S SEVENTEENTH SUMMERですが、私が持っているアメリカ版のタイトルは、PENNINGTON’S LAST TERMで、同じ本なのにややこしいです (アメリカや日本のタイトルの方が内容的にはあっていますが)。
 作者のペイトンは、フランバーズ屋敷シリーズでカーネギー賞やガーディアン賞を取ったばかりで、そのころのイギリスの児童文学界では最も注目を集めていた作家でした。
 この本にも、残念ながら翻訳されていませんが、続編が二冊あります。


 

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パリのどこかで、あなたと

2023-06-22 11:14:28 | 映画

 2019年公開のフランス映画です。

 主人公の男女が、お互いに知り合うのがラストシーンという、風変わりな恋愛映画です。

 ただし、二人は、隣り合わせに立つマンションの同じ階のはじの部屋なので、壁二つはさんで隣同士に住んでいます。

 そのため、二人はしょっちゅうすれ違います。

 通勤の時もそうですし、近くにあるエスニック食料品店で時々居合わせたりもします。

 そうした若い男女が、それぞれに孤独を抱いて暮らしている様子が克明に描かれます。

 男性は、勤め先の発送センターが自動化されて、従業員が解雇されたり、遠くへ配転されたりした中で、一人だけ上司の配慮で同じ場所にあるコールセンターに配属されますが、それに対して罪の意識を感じて、うつ病気味になり、不眠症やパニック障害を起こします。

 女性は、職場でスポンサーに対する発表会を任されたことにプレッシャーに感じて、やはりうつ病気味になり、過眠症や情緒不安定になります。

 男性は、女性たちとはうまく付き合えません。

 女性は、マッチングアプリで知り合った男性たちと次々に付き合いますが、まったく満たされません。

 二人は、それぞれ心理療法士などのカウンセリングを受けて、真の原因を突き止めようとします。

 結局、男性は10才のころに7才の妹を癌で亡くし、それが家族の中でタブーになっていることが原因のようで、両親とともに妹の墓参りをし、それとともに職場をやめたことで寛解します。

 女性は、小さい頃に両親が離婚したのですが、アメリカへ去った父親は許せるのに、その後彼女が成人してから再婚した母親が許せなかったことが原因のようで、自分から母親に連絡したことと、職場の発表がうまくいったことにより、寛解します。

 ラストで、エスニック食料品店の店主に紹介された、コンパという中米のハイチのダンスの教室で、二人は出会います。

 この作品のミソは、観客がそれぞれ心配していた男女がともに寛解してから出会うので、明るい未来が想像でき、見終わった時の後味がすごく良いことでしょう。

 ただ、カウンセリングで二人の病状がこんなにうまく寛解したことは、こうしたことにあまりなじみのない日本人には違和感があります。

 

 

 

 

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ラブ・セカンド・サイト はじまりは初恋のおわりから 

2023-06-22 11:12:15 | 映画

 2021年公開のフランス映画です。

 偶然の出会いから男女が恋に落ちて結婚しますが、夫が作家として成功するあたりからすれ違いが始まります。

 完全に行き詰った10年後のある朝、目を覚ました夫は違う世界に入り込んでいました。

 そこでは、夫は作家ではなく小学校の国語の教師になっていて、妻とも出会っていません。

 妻のほうはピアニストとして成功していて、恋人もいます。

 夫は何とか元の世界に戻るとともに、その世界でも妻を獲得しようとします。

 けっきょく、元の世界に戻るのはあきらめたようなのですが、なんとか妻は獲得できたようです。

 全編に、フランス映画らしいおしゃれな展開が続きます。

 うまくいきすぎな感もしますが、主演のフランソワ・シヴィルの素朴な魅力(「パリのどこかで、あなたと」(その記事を参照してください)でも同様でした)もあって、最後まで見続けられます。

 

 

 

 

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ベガスの恋に勝つルール

2023-06-22 11:10:33 | 映画

 2008年公開のアメリカ映画です。

 ラスベガスで偶然に出会って、泥酔した勢いで結婚した男女が真実の愛に目覚めるロマンチック・コメディです。

 結婚した翌朝にはもう別れようとしていた二人ですが、偶然賭けたスロットマシーンが300万ドルの大当りで、欲が絡んで六ヶ月間限定の結婚生活をするはめになります。

 その期間もすったもんだがあるのですが、最後はもう一度結婚し直すことでハッピーエンドの結末を迎えます。

 かなり下品で御都合主義なストーリーなのですが、テンポが良くてけっこう笑えます。

 そのころはまだ人気があったキャメロン・ディアスを主演にしたB級娯楽映画です。

 

 

 

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ベイビー・ブローカー

2023-06-22 10:09:20 | 映画

 2022年公開の韓国映画です。

 是枝裕和監督が単身韓国に渡って、現地の俳優やスタッフとともに作った映画で話題を集めました。

 教会のベイビー・ボックスに預けられた赤ん坊を横流ししてお金を得ているブローカー二人と、赤ん坊、その赤ん坊を捨てた若い母親、途中立ち寄った養護施設から車に潜り込んだ少年の、五人による赤ん坊の売れ先を探す旅(新生児売買の現行犯で逮捕しようとしている二人の女性警察官が追跡しています)を描いて、ロードムービーの趣があります。

 主犯格の男は、離婚して元妻や娘とは離れて暮らして、ギャンブルで多額の借金があります。

 従犯格の若い男は、自身も捨て子で養護施設育ちで、未だに母親は迎えに来るはずだったと信じています。

 母親は、赤ん坊の父親であるやくざを殺して逃げています(そのために、赤ん坊をベイビー・ボックスに預けたのです)。

 旅をしている間に、彼らの間に疑似家族のような不思議な連帯感(同じ監督の「万引き家族」(その記事を参照してください)に似ています)が生まれます。

 全体的には、話がだらだらと続き緊張感に欠け、ラストで説明的に物語を締めくくってしまうこの監督の欠点がこの映画にも出ています。

 ただし、この映画でカンヌ国際映画祭で最優秀男優賞を得たソン・ガンホの演技は、相変わらず味があります。

 

 

 

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万引き家族

2023-06-22 09:38:18 | 映画

 2018年公開の是枝裕和監督の映画で、カンヌ映画祭で最優秀作品賞にあたるパルム・ドールを受賞して、一躍日本でも注目を集めました。
 祖母、父親、母親、母の妹、兄、妹(途中から加わる)の六人家族が、実は、まったく血のつながらない疑似家族であることと、子どもも含めて万引きなどの犯罪もしながら暮らしていたというショッキングな設定で、家族とは、親子とは、兄弟とは何か、という根源的な問いかけをしています。
 安藤サクラ、リリー・フランキー、樹木希林などといった当代きっての芸達者が揃っているので、このありえないような設定の家族にリアリティをもたせることに成功しています。
 また、それぞれが、本来の家族において、以下のような問題を抱えていたことによって、制度上の家族と、この疑似家族のどちらが、本来の家族としての機能を果たしているかという問題提起にも成功しています。
 祖母は、今は亡き夫と離婚していて(夫は、これもまたすでに亡くなっている後妻とは幸せな家庭を築いたようです)、僅かな年金とパチンコ屋での置き引きや義理の息子夫婦からゆすりまがいの行為で得るお金で、孤独に暮らしていたようです。
 父親は、母親の元の夫を痴情のもつれから殺害した前科(正当防衛が認められて執行猶予がついたようです)があります。
 母親は、前述のように父親と不倫して逃げてきたようです。
 母の妹は、実は祖母の義理の孫(夫と後妻の間に生まれた息子(どうやら彼の妊娠が離婚の理由のようで、祖母に対して負い目を感じているようです)の娘)で、実父母とはうまくいかずに風俗で働いています。
 兄は、父親と母親がパチンコの駐車場で車上荒らしをしていた時に、車内に放置されていたのを拾われました。
 妹は、実の両親からDVとネグレクトにあっていたのを、父親に拾われて、母親がそのまま一緒に暮らすことを決めました。
 以上のように、非常にたくさんの問題を詰め込み過ぎたために、最後に警察などによって実情が明らかにされるという、ある意味禁じ手を使って説明してしまっているので、ネグレクトにフォーカスして社会を糾弾した同じ監督の「だれも知らない」(その記事を参照してください)に較べると、作品の完成度や社会への告発の力はだいぶ劣っているように思われます。
 児童文学的視点で見ても、前作は「子どもたちだけで助け合って生きていく」という、絶望の中にもある方向性というか光のようなものがラストに見えたのに、この作品では、兄の方は父親や母親と決別して施設で生きていくという方向性は見えたものの、妹の方はネグレクトの中に置き去りにされたままで、暗澹たる気持ちで映画を見終わりました。


 

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国松俊英「おかしな金曜日」

2023-06-21 16:28:37 | 作品論

 1978年に書かれた家庭崩壊を描いた作品です。
 それまで児童文学でタブーとされていた問題(性・自殺・家出・離婚など)に取り組んだ先駆的な作品のひとつです。
 主人公の小学五年生の洋一の家では、父親が一年前に家出したきり帰ってこないので母子家庭になっていました。
 その頼りの母親もある金曜日に男と姿を消してしまい、洋一は小学一年生の弟の健二と二人だけで団地の家に取り残されてしまいます。
 洋一は、周囲には母親がいなくなったことは隠して、健二と二人で何とか助け合って暮らそうとします。
 その後、同じクラスの山田メガネ(ガリ勉なので敬遠していましたが、勉強のことで家で締め付けられて洋一の家にプチ家出してから、洋一たちと仲良くなりました)、隣の席のみさ子(両親や兄弟に誕生日を祝ってもらえる恵まれた家の子ですが、うすうす洋一たちの事に気がつき同情しています)の二人には、本当の事を打ち明けます。
 とうとうお金がなくなった時に、洋一は周囲の無関心で頼りにならない大人たち(担任の教師も含まれます)には最後まで頼らずに、健二と二人で家を出て、山田メガネが調べてくれた隣町の児童相談所に向かいます。
 駅まで見送りに来てくれた山田メガネとみさ子との別れのシーンは、過度に感傷的にならず淡々と描かれていますが、これから洋一たちを待ち受けているであろう厳しい現実を考えると、「どうか二人に幸あれ」と祈らざるを得ません。
 国松も同じ気持ちなのでしょう。
 最後の一行はこう書かれています。
「電車が走っていく西の空に、雲が切れた青い空がすこしだけ見えた。」
 また、その後の二人の事が心配であろう読者たちに配慮して、事前に児童相談所に勤める野鳥好きの親切そうな大沢という人物(野鳥の会の会員でもある国松自身の分身でしょう。このあたりにはエーリヒ・ケストナーの影響が感じられます)を事前に二人に出会わせています。
 この本の文庫版の解説を書いている児童文学者の砂田弘によると、1980年現在、片親だけの家庭が約八十万戸あり、そのうちの三分の二以上が離婚家庭だったそうです。
 また、養護施設で生活している約三万人の子どもの場合も、親に死なれた子はわずかに十人に一人だけだったとのことです。
 当時でも珍しくなかったこういった家庭を失った子どもたちを描いた日本の児童文学としては、この作品が初めてだったのです。
 砂田はこの作品の第一の魅力を、「深刻な問題を描いているにもかかわらず、明るさとユーモアとスリルに富んでいること」と述べていますが、まったく同感です。
 暗くなりがちな問題を、洋一と健二のバイタリティと、山田メガネとみさ子のやさしさを軸に、終始子どもの立場にたって明るく描かれています。
 そこには、国松の子どもたちに対する確固たる信頼が感じられ、こういった子どもたち(国松自身や大沢さんのような大人たちも含めて)の人間関係が、70年代はまだあったのだなと気づかされます。
 それから三十年以上がたった2013年の日本児童文学者協会賞の村中李衣の「チャーシューの月」(その記事を参照してください)は、養護施設に暮らす子どもたちを描いています。
 そこには、洋一と同じような境遇(さらに過酷になっているかもしれません)の子どもたちが、今もたくさん(いやさらに増えているでしょう)暮らしています。
 このような問題に真正面から取り組んだ作品を、児童文学者としてこれからも生みだしていかねばならないことを痛感しています。

 

おかしな金曜日 (偕成社文庫 (2080))
クリエーター情報なし
偕成社
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今西祐行「はまひるがおの小さな海」そらのひつじかい所収

2023-06-20 07:21:42 | 作品論

 作者の児童文学の出発点として1956年に出版された、「そらのひつじかい」(日本児童文学者協会新人賞受賞)に収録されている作者の幼年童話の代表作の一つです。

 岬のとっぱなに、ひとりぼっちで咲くひるがおと、「ぼく」の会話でお話は始まります。
 ひるがおは、「ぼく」に「自分をつみとってくれ」と、頼みます。
 「ひるがおをつむと空がくもる」という、言い伝えがあるからです。
 嵐の夜に近くに打ち上げられ、小さな水たまり(小さな海)に取り残されて、ひるがおとすっかり仲良しになったおさかなが、太陽がつよくてにえそうになっているのを見かねて、自分を犠牲にして空を曇らせようとしたのです。
 「ぼく」は、ひるがおをつみとったりせずに、さかなをすくって海へ帰そうとします。
 でも、そうすると、ひるがおはまたひとりぼっちになってしまいます。
 「ぼく」は、浜で遊んでいた子どもたちに頼んで、ひるがおの「小さな海」に毎日海の水を入れてくれるよう頼むのでした。
 子どもたちは快諾したばかりか、えびやかにも入れて「小さな海」をにぎやかにしてくれることを約束してくれます。

 この作品も選ばれている「幼年文学名作選15」の解説で、児童文学作家で研究者でもある関英雄は、「はまひるがおと「小さな海」に息もたえだえになっている小魚の間にかよう心は、まさに今西童話の核となる「心の結びあい」の、もっとも簡明で美しい結晶です。浜であそぶ子どもたちがその「小さな海」を守るという結末、何回読み返しても心をうたれずにはいられません」と激賞しています。
 現代的にいえば、「魚を小さなところへ閉じ込めたまでは残酷だ。エビやカニも入れるなんてもってのほかだ」と、動物愛護の立場から非難されるかもしれません。
 「子どもたちはすぐに飽きてしまって、「小さな海」は干上がったに違いない」という人もいるかもしれません。
 しかし、この作品の優れた点はそういった表面的なところにあるのではありません。
 「ぼく」(少年かもしれませんし大人かもしれません)の中にある「童心」が、ひるがおや浜の子どもたちの「童心」と読者の中にある「童心」とを確かに結びあわせる、作者の童話的資質(モティーフ、視点、文体などすべてをひっくるめた作品全体。私の拙い要約では伝えることができまないのが残念です)そのものにあるのです。
 この作品が世の中に出たちょうど同じころ、「さよなら未明 -日本近代童話の本質ー」(その記事を参照してください)で、「「現代児童文学」はこうした「童話」と決別しよう」と呼びかけた児童文学者の古田足日は、数十年後のインタビュー「幼年文学の現在をめぐって」(その記事を参照してください)の中で、この作品について「魂の救済」「「童話的資質」は、子ども、人間の深層に通ずる何かを持っている」と述べて、童話伝統の持っている内容・発想の価値を、特に幼年文学の分野において認めています。
 補足しますと、作者は、早大童話会で古田足日の先輩にあたるのですが、1953年の「少年文学宣言」では彼らに批判される側の立場(坪田譲治の門下生)でした。
 当時から、古田足日は、童話的資質を持っている書き手の「童話」は評価していましたが、作者のこの作品などもその念頭にあったかもしれません。
 「童話的資質」と言ってしまうと、それから先は思考停止で分析が進まないのですが、たくさんの童話作家や童話作品に出会っていると、確かにそうとしか言えないものを感じます。

 長年、児童文学の同人誌に参加していると、初心者の人がいかにも「童話」らしい作品を提出してくることがよくあります。
 「こういうのが一番厳しいんだけどなあ」と、つい思ってしまいます。
 なぜなら、こうした作品は、修練しても身につかない本人の「童話的資質」が問われるからです。



はまひるがおの小さな海 (日本の幼年童話 15)
クリエーター情報なし
岩崎書店














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フィールド・オブ・ドリームス

2023-06-19 09:21:35 | 映画

 1989年公開のアメリカ映画です。

 ウィリアム・パトリック・キンセラの「シューレス・ジョー」を原作として、ケビン・コスナー主演のファンタジー映画です。

 日本では、アメリカ以上に大ヒットして数々の賞を受賞しました。 

「それを作れば、彼が来る」という神のお告げにより、主人公は自分のトウモロコシ畑をつぶして、野球場(ナイター設備も観客席もある立派なもの)を作ります。

 そこには、シューレス・ジョー(八百長試合の容疑で永久追放された往年の名選手)をはじめとした今は亡き大リーグの選手たちが訪れ、練習したり試合をしたりします。

 その姿は、選ばれたものしか見えず、主人公に畑を売るように迫っている義理の兄たちには見えません。

 その後も、お告げを受けた主人公は、メジャーリーグにかかわる思い出を持つ人々の所を訪れます。

 ラストで、野球に安らぎを求める多くの人たちの車の列が、暮れなずむ主人公の野球場を訪れるシーンの遠景は大きな感動を呼びます。

 原作は長大なので、かなり駆け足になっていますが、ほぼ原作通りに作られています。

 ただ、原作に登場するサリンジャー(関連する記事を参照してください)は、本人の了解が得られなかったのか、黒人作家のテレンス・マンに置き換えてあります。

 

 

 

 

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児童文学における童話的資質について

2023-06-18 09:57:03 | 考察

 このブログで繰り返し述べてきましたが、1950年代にスタートした「現代児童文学」(定義などは関連する記事を参照してください)では散文性の獲得を目指していました。
 それは、小川未明たちの近代童話の詩的表現を批判するところからきています。
 そうした表現方法では、しっかりとした骨格を備えた長編の物語を描くことはできないことが主な理由でした。
 しかし、その後も、幼年文学を中心にして、童話は作られ続けています。
 幼年文学の中には、いぬいとみこ「長い長いペンギンの話」や神沢利子「くまの子ウーフ」(その記事を参照してください)のような、「現代児童文学」が目指した優れた散文性を備えた作品もありますが、多くは従来の童話の形式で書かれて、今でも幼年童話という言い方は幼年文学よりも一般的です。
 そうしたおびただしい数の幼年童話は玉石混交で、神宮輝夫や安藤美紀夫などが批判したようなステレオタイプな作品もたくさん含まれています(それらの記事を参照してください)。
 多くの駄作の中でキラリと光る宝石のような童話を書ける作者には、かつて古田足日が今西祐行の「はまひるがおの小さな海」を評して使った「童話的資質」というものが確かにあって、「子ども(人間)の深層に通ずる何かを持っている」のではないかと思わされます。
 古田先生は、童話的資質を持っている書き手として、他に山下明生、安房直子、舟崎靖子をあげていましたが、戦前の宮沢賢治、新見南吉、小川未明、浜田広介なども同様だと思われます。
 私自身には童話的資質が決定的に欠けているのですが、四十年近くも児童文学の同人誌に参加しているので、数はすごく少ないですが明らかに童話的資質に恵まれている人たちと出会っています。
 こうした書き手は、もちろん優れた散文も書けるのですが、その中に他人にはまねのできない詩的な表現をさりげなく紛れ込ませることができます。
 そして、童話的資質が力を発揮するのは、やはり長編よりも短編に多いようです。
 「現代児童文学」が生み出した優れた散文性を持った長編は主として子ども読者の「頭脳」に知的な刺激を与えたのに対して、童話的資質の持ち主が書いた短編は子ども読者の「心」に感性的な刺激を与えてくれたと思われます。

夕暮れのマグノリア
クリエーター情報なし
講談社
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高村有「Sビル3号室」百物語3嘆きの恐怖所収

2023-06-17 09:19:09 | 作品論

 怖いお話のアンソロジーに入っている短編です。

 入居した人々が次々と行方不明になる部屋の謎に迫ります。

 巧妙に伏線が張られていて、読者の恐怖をそそります。

 

 

 

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ノーカントリー

2023-06-15 17:25:25 | 映画

 2007年公開のアメリカ映画です。

 麻薬密売でのトラブルによって殺し合った現場を偶然訪れた男は、そこに残されていた大金を手に入れます。

 しかし、そのために冷酷無比な殺人鬼のような殺し屋に追われることになります。

 男と殺し屋の息詰まるような攻防戦に、二人を追いかける老保安官の視点を加味して、物語がすすめられます。

 そのため、残酷なシーンの連続の中に、人生の深みのようなものが付け加えられて、作品に奥行きを与えています。

 アカデミー賞で、作品賞、監督賞、脚色賞、助演男優賞(殺し屋役のハビエル・バルデム、圧倒的な存在感があります)を受賞しています。

 

 

 

 

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