現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

庄野潤三「つむぎ唄」庄野潤三全集第四巻所収

2020-04-25 15:42:39 | 参考文献
 1963年に刊行されましたが、前年から「芸術生活」に一年間連載されました。
 十二編の連作短編で構成されて、それぞれ、画家、大学教師、放送会社勤務の三人の同じ町内に住む友人(作者と同年輩で、同じ年頃の子どもたちの父親でもあります)を主人公にして書き分けていますが、あまりうまくいっていません。
 解説の阪田寛夫によると、画家が作者自身、大学教師は作家の小沼丹、会社員は吉岡達夫がモデルのようで、実際に三人は同じ町内にすでいた友人で、作中に出てくるような町内会と称する飲み会をしていたそうです。
 しかし、各短編のエピソードは、作者自身の体験によるものだそうです。
 そのためか、三人の書き分けが不十分で、読んでいて誰が誰なのか区別がつかない(結局は作者自身)ことが多いです。
 他の記事にも書きましたが、どうも作者は不器用なようで、技巧にはしるとだいたい失敗するみたいです。
 以来、作者は、自分自身と家族をモデルにした小説に邁進するようになって、「夕べの雲」や「絵合わせ」のような家庭小説の傑作を世におくるようになります。
 また、同じ筆致で、児童文学と言ってもいい、「明夫と良二」や「ザボンの花」といった作品も書いています。
 晩年の作者は、「また、同じことを書いている」と読者に思われながらも、一定の固定ファン(私もその一人です)をつかんだ老境小説の境地に至ります。


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庄野潤三「浮き燈台」庄野潤三全集第四巻所収

2020-04-25 15:10:47 | 作品論
 1961年に発表された作品です。
 巻末の坂田寛夫による解説によると、その二年前に発表した「ガンビア滞在記」(ロックフェラー財団によってアメリカの田舎町ガンビアに派遣された経験を綴った作者の代表作の一つ)の成功により、日本の田舎町(志摩の安乗だそうです)の生活も描こうと取材(当時は巨大だったテープレコーダーをリュックに詰めて通ったとのことです)した作品です。
 そばに海の難所があるのでよく起こった船の難破の思い出話とイソドと呼ばれる海女の暮らしを中心に、老人たちの人情豊かな田舎町の暮らしを、取材で得られた方言を生かして描いています。
 この作品では、兄に不義理をしたために実家にも顔を出しにくくなっているという設定(作者の弟の友人の話をもとにしているそうです)を主人公に加えて、田舎町の老人たちの人情によって心の傷を癒していくという感じで書こうとしていますが、主人公の状況説明の部分が作為的であまりうまくいっていません。
 作者は、こうした主人公の危機や不安を日常生活の背後に描くことで知られるようになりました(代表作は芥川賞を受賞した「プールサイド小景」(その記事を参照してください)でしょう)が、この作品のように技巧的過ぎてうまくいかないこともあり、次第に実際にあったこと(家庭生活が中心)を素直に描く(といっても、普通の人ならば見逃すような心の機微を鮮やかにとらえた)作品が増えていくようになり、晩年は身辺雑記のような作品ばかりになっていきますが、彼の一見平穏そうに見える日常の中に潜む繊細な感情の動きをとらえた作品は、作者が2009年に88歳に亡くなるまで一定の読者(私もその一人ですが)を魅了し続けました。
 なお、この全集は、作者がまだ盛んに作品を書いていた1973年に刊行されたものです。
 当時は、こうした全集の刊行は、ちょっと知られた作家ならば当たり前のことだったのですが、今はほとんどなされていません。
 作者も、2009年に亡くなっても、新しい全集は刊行されませんでした。
 当時と現在とでは、文学は恒久財と消費財との違いがあるようです。
 それが児童文学でも同様なことは、後藤竜二について書いた記事の通りです。


庄野潤三全集〈第4巻〉 (1973年)
クリエーター情報なし
講談社
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雪合戦

2020-04-25 09:59:52 | 作品
 灰色の雲が低くたれこめた暗い空から、雪はどんどんおりてきていた。ふるのが強くなるにつれて、教室の窓から広いグランド越しに見える黒い木々が、だんだんかすんでくる。
 窓際の自分の席から、恭司はぼんやりとそれをながめていた。
 今日は、S大学付属中学の二次試験、作文と面接が行われる日だった。すでに作文は終了していて、恭司は規定文字数いっぱいに書いた自分の作文のできに満足していた。
ところが、作文に引き続いて、十時十五分からスタートするはずだった面接は、もう定刻を三十分以上も過ぎているのにまだ始まらなかった。
 雪のために電車が遅れ遅刻者が続出したので、救済策として別室でまだ作文を書いているらしい。
 作文が終わった他の受験生たちは、手持ちぶさたにして待っている。もう一度受験パンフレットをながめたり、たぶん面接の注意でも書かれているらしいノートに、目をとおしたりしている。スマホの持ち込みは禁止されているので、こんな時の暇つぶしに困っているようだ。
 玄関で待たされていた付き添いの父母たちも、今は臨時に廊下までは来ることが許されている。
「ほら、ここの所、…」
 教室の入り口で、母親に肩のほこりを払ってもらっている子がいる。
「けっ」
 隣の席で本を読んでいた黒ぶちの眼鏡の男の子が、それを見て馬鹿にしたように小さくつぶやいた。
 チラっと見ると、彼が熱心に読んでいる文庫本は、ライトノベルのようだった。
 教室の前の方のドアが開いて、ようやく先生らしい人が来た。
「どうも大変お待たせして、申し訳ありませんでした」
 先生は、恐縮した様子で話し出した。
「雪による交通機関の遅れによる遅刻者の救済処置で、今まで作文を書いてもらっていました。ようやく終わったので、予定より一時間遅れになりますが、十一時十五分より面接をスタートします。付き添いの方々は、そろそろ教室を出てください」
 先生は、教室にまで入り込んでいた父母たちにむかっていった。
「ちょっと、ひとこと申し上げたいんですが、…」
付き添いの母親の一人が、先生にむかって進み出た。
「なんでしょう?」
「ちゃんと遅れずにきた者が、なんで迷惑を受けなければならないんですか!」
 母親は、ヒステリックな声で先生にくってかかった。
「…。公共の輸送機関が、…。」
 先生は、母親の勢いに押されてしどろもどろになりながら、弁解につとめている。
 元気いっぱいの母親のうしろでは、おとなしそうな受験生が困ったような顔をして立っていた。
(すげえなあ!)
 恭司は、なかばあきれたようにその様子をながめていた。
 受験のことは本人にまかせっきりの恭司の両親は、今日はどちらもついてきていなかった。

(よしよし、あたたまっている)
 恭司は、窓際にあった旧式の暖房用スチームの上にのせておいた弁当箱を取った。
 ふたを開けると、ファーッとおいしそうな湯気がたった。いつものように、ごはんのぎっしりつまった二段重ねののり弁だ。
 おかず入れのタッパーのふたを開けると、好物のタマゴ焼きやタコウィンナ、それにプチトマトやキュウリがずらりとならんでいる。
「お弁当どうする?」
 昨日、かあさんに聞かれたとき、
「お昼までに終わるからいらないよ」
と、恭司は答えていた。
 でも、かあさんは、
「何かあったときに心強いから」
と、無理に持たせてくれた。
 恭司はかあさんに感謝しながら、
「いただきます」
と、小さな声でつぶやいた。そして、のりごはんを、口いっぱいにほおばった。
 何人かの受験生が、恭司の方を振り返っている。
 でも、やはり午前中で終わると思って弁当を持ってこなかったのか、恭司に続く者は誰もいなかった。

 恭司の受験番号は、三千四百二十一。願書受付初日には数百人以上の行列ができたというのに、友だちとのんびり数日後に行ったのでかなりうしろの方だった。その友だちも一次試験で落ちてしまい、今日は一人きりだ。
 男子ばかり三百人の募集に対して、応募者は実に三千八百二十三人。十二倍以上の狭き門も一次でかなり落とされて、今日の二次試験を受けるのは約七百人だった。
 せっかく一次試験に合格したのに、恭司は本当にこの学校に入りたいのかどうか、わからなくなっていた。もともと、はっきりした考えがあってこの学校に決めたのではない。みんなと同じようになんとなく塾へ入り、そして、みんなが受けるから受験してみようという気になっただけなのだ。
 もしかすると、この学校を選んだのも、恭司自身ではなく、恭司の偏差値だったのかもしれない。東大の合格数を誇るようないわゆる有名私立や国立の中高一貫校は、もともと無理だった。
 でも、この学校なら合格の確率は高いと、塾や模擬試験業者のコンピューターが、太鼓判を押してくれていた。
 それに引き換え、まわりの人たちは、みんな受験競争のエキスパートのように思えた。
ある受験生は、親子一丸になって「いい学校」に入ることにけんめいになっているように見える。
 別の子は、「受かったらラッキー、落ちたら落ちたでいいや」と、クールに割り切って、ゲーム感覚で受験しているようだ。
(この学校に受かっても、友だちができるだろうか?)
 そう考えると、恭司は少しゆううつな気分になっていた。

 いつのまにか、雪は小止みになっていた。そうすると、今まで雪にばかり目がいって気がつかなかった物が見えてきた。
 目の前のグランドはかなり広い。縦でさえ百メートル以上はあるし、横はさらに広く二百メートル近くあるように見える。
 サッカーのゴールがむこうに二つ、こちらにも二つある。どうやら、二面もとれるらしい。ゴールのバーの上には、もう十センチ以上も雪が積もっていた。
 グランドの右手には、さらにハンドボールやテニスの専用コートもあるようだ。
 でも、今は雪で真っ白になっていてよくわからない。
 反対側の左手には、大きな体育館らしい建物があった。
「大学までの六年間、何かのスポーツをやるには最高の学校だよ」
 この学校の高等部にいる姉の彼氏が、前にいっていた言葉がぼんやりと思い出された。大学までエスカレーター式に行かれるので、受かってしまえばもう受験勉強をする必要はなかった。

 雪はクルクル舞いながら、ゆっくりゆっくりと地上に降りてくる。
 恭司はそれをながめながら、だんだん自分の気持ちがわくわくしてくるのを感じていた。
 少し薄明るくなった灰色の空から、雪はそれこそきりがないほど次々とおりてくる。じっと見つめていると、吸い込まれそうな気さえしてきた。
 低学年のころまで、恭司は雪がふるのが楽しみだった。
 いつも翌日にはとけて、崩れてしまったぶかっこうな雪だるま。弟と交代で引っ張りあった青いプラスチック製のそり。そして、校庭や近くの公園で友だちとやった雪合戦。どれも楽しい思い出だ。
さらにいいのは、学校がお休みになることもあったことだ。突然与えられた自由に使える一日。勉強なんか忘れてずっと降り積もった雪で遊べるのだ。
 朝起きた時に雪が積もっていると、弟と二人でいつもはしゃいだものだった。そのかたわらでは、おとうさんがゆううつそうな顔をしていた。
「小学生はいいなあ」
 うらやましそうにいっていた。
 おとうさんは、雪がふったって、会社には行かなくてはならない。たんに、通勤がいつもよりずっと大変になるだけなのだ。
 でも、いつのまにか、恭司にとっても、雪の日も、ふだんと変わらない日になってしまっていた。せっかく積もった雪も家の中からながめるだけで、手に取ることもなくなった。
(クラスのみんなと雪合戦をやらなくなったのは、いったいいつごろからだっただろうか?)
 恭司は、一面の雪景色をながめながら、そんなことを考えていた。

 恭司は、席を立って窓際まで行ってみた。思わず額を押しつけたガラス窓は、氷のように冷たかった。
 と、その時、校舎から黒いかたまりが、いきなりグランドへ飛び出してきた。
(あれっ?)
 じっとよく見ると、それは二人の男の子だった。ここの学校は制服だったから、私服を着ているところを見ると、恭司と同じ受験生らしい。
 一人は百七十センチ近くありそうな背の高い子で、もう一人はずっと小柄だった。
 ノッポとチビのデコボココンビは、まっすぐにグランドの真ん中へ向かっている。
 すっかり雪がつもってあたり一面まっ白になったグランドに、二人の足跡だけがポツポツと黒くついていく。
(あっ)
 いきなりノッポが、地面の雪をつかんでチビに投げつけた。
 チビの方は、大げさなかっこうで逃げていく。
 でも、しっかり握っていなかったのか、雪玉は途中でふわーっとばらばらになって、風に流されてしまった。
 チビは充分に離れたところまで逃げると、地面にしゃがみこんで雪玉を作り出した。
 ノッポの方も、その場でせっせと今度はしっかりした雪玉を作っているようだ。
 ググッ。
 二人に興味をもった恭司は、古い教室の窓をあけてみた。
 スーッと、冷たい外気が流れこんでくる。暖房でほてった恭司のほほには、それがすごく気持ちよかった。

 しばらくすると、どちらともなく二人が立ちあがった。
「わーっ」
 二人が上げた叫び声が、遠くから聞こえてくる。いっせいにすごい勢いで雪玉をぶつけあい始めた。一所懸命作ったおかげで、二人の足もとにはかなり雪玉がたまっているようだ。
 ノッポの方は豪快なフォームで、一球一球声を出しながら雪玉を投げつけている。
 でも、スピードはあるけれど、コントロールの方がさっぱりなので、チビにはぜんぜん当たらない。
 チビの方は軽く雪玉をかわすと、正確にねらいをつけてノッポに命中させている。
 とうとう顔に一発くらって、ノッポがうずくまってしまった。チビはそれにおかまいなしに、連続して命中させている。
「うぉーっ!」
 いきなり雪玉を両手に持って、ノッポが仁王立ちになった。
「やっつけてやる」
 ノッポは大声でどなると、猛然と突進していった。
 チビは、そんなノッポに、さらに数発雪玉をあてた。
 でも、ノッポは少しもひるまずに突っ込んでいく。
「うわーっ」
 とうとうチビは、うしろを向いて逃げ出した。
「待てーっ」
 ノッポはなおも追いかけていく。
 充分近づいてから、今までのうっぷんをはらすように、二発の雪玉を思いきりチビの顔にたたきつけた。
「うはーっ」
 チビは雪玉を当てられたはずみに尻もちをつくと、口に入った雪を吐き出した。
「やったぞ、大逆転」
 ノッポは満足そうに叫ぶと、チビの横に腰をおろした。二人とも雪玉とまだふり続いている雪とで、全身雪まみれになっている。
「あははっ」
 ノッポが、さもおかしそうに大声で笑い出した。
「ははは」
 チビの方も笑っている。
 こちらで見ている恭司までが、つられて笑いそうになるくらい楽しそうだった。
「馬鹿みたい」
 ふと気がつくと、となりにさっきの黒ぶちの眼鏡の男の子が立っていた。
「寒いから閉めさせてもらうよ」
 男の子は、音をたてて窓を閉めた。すると、外からのノッポとチビの笑い声は、まったく聞こえなくなってしまった。
 男の子は、恭司が文句をいう間も与えずに、さっさと自分の席へ戻っていった。
 もう一度グランドを見ると、二人は次の合戦に備えて、またせっせと雪玉を作り始めている。窓を閉めてしまったせいか、恭司にはさっきより二人の姿が遠く感じられた。 
(また、窓を開けようか?)
 でも、さっきの子だけでなく教室にいる全員が、恭司を冷ややかにながめているように感じられてならなかった。
 とうとう恭司は、たまらなくなって教室を出ていった。

 グランドに面した昇降口から外に出ると、寒さが一段と身にしみた。恭司は少し震えながら、教室にコートもマフラーも置いてきたことを後悔していた。
 それでも、ブレザーのポケットから青い毛糸の手袋を出してはめると、二人に近づいていった。
 ノッポとチビは、グランドの真ん中で、次の戦いに備えてせっせと雪玉を作っている。しんと静まり返った景色の中で、二人の吐く息だけがホカホカと暖かそうだった。
「やあっ」
 恭司は遠慮がちに声をかけた。
 少しけげんそうな表情を浮かべて、二人は顔を上げた。
 近くで見ると、ノッポはベースみたいに角ばったあごにうっすらひげまではやしている。とても同い年には見えない。冬だというのにまっ黒に日焼けしている。
 チビの方は対称的に色白で、クルクルとよく動く目がすばしっこそうだった。
「なんだい?」
 ノッポの方が、代表するように恭司にたずねた。
「うん、ぼくも雪合戦に入れてくれないかな」
「えっ。ああ、いいよ」
 チビが、すぐにニコニコしながら答えてくれた。ノッポもつられてニッコリすると、右のほほに不似合いなえくぼができた。
 今度の雪合戦でも、チームを作らずに三人バラバラに戦うことになった。
 恭司は二人に三個ずつ雪玉を貰うと、残りを作りはじめた。
 キュッキュッキュッ。
 気温が低いせいか雪はサラサラしていて、しっかり握らないとすぐバラバラになりそうだ。
「用意はいいかあ」
 しばらくして、ノッポが声をかけた。
「OK!」
 チビがすぐに答える。
「いいよ」
 でも、そう答えた恭司の雪玉は、他の二人よりもまだちょっとだけ少なかった。
「よーし、戦闘開始!」
 ノッポはそう叫ぶと、チビの方に二、三歩駆け寄り、一つ目の雪玉を投げた。
「へへ、残念でした」
 チビはそのボールを軽くかわすと、すぐに反撃した。
「それっ」
 チビの玉をかろうじてかわしたノッポの横顔めがけて、恭司が第一球を投げた。
「うはっ!」
 顔面に正確にぶつけられたノッポは、雪を吐き出しながらうめいた。
「くそーっ」
 ノッポは雪玉を両手にわしづかみにして、こんどは恭司の方に突進してきた。

 雪は、相変わらず降り続いていた。フワフワとゆっくり落ちてくる雪のひとつひとつが、みんな形が違っているのが、恭司には不思議でたまらなかった。こんなふうにじっくりと雪をながめるのは、久しぶりのことだった。
 そうやって上を向いていると、二十分近くも走りまわってほてったほほに、いくつもの雪が落ちてとけていった。さっきグランドに出てきたときと違って、体はポカポカにあたたまっている。
 休戦中の恭司は、他の二人と並んで、校庭の真ん中に立っていた。まだハアハア荒い息づかいをしている三人の口からは、肉まんのようにあたたかそうな湯気が噴き出している。
「あれっ、みんな見てるぜ」
 ノッポがいった。いつのまにか、ほとんどの教室から、受験生たちがこちらを見ていた。中には、さっきの恭司のように、少し窓を開けている子さえいる。もしかしたら、もう面接が終わった子なのかもしれない。
 恭司は、自分がいた教室から、さっきの黒ぶちの眼鏡の男の子も見ていることに気がついた。
「おーい、一緒にやらないかあ」
 ノッポがすぐに声をかけた。
「面白いぞお」
 チビも続いた。
「降りてこいよお」
 恭司も、みんなに、特に黒ぶちの眼鏡の男の子に向かって呼びかけた。三人は両手を振りまわしながら、大声でみんなを誘い続けた。
 それに応えるかのように、次々と窓が閉められ、みんなの姿が消え始めた。
(みんな、こっちに来るんだ)
 恭司はわくわくしてきた。三人でもこんなに面白かったのに、この広々したグランドを使って、十人、いや何十人もの子どもたちで雪合戦をしたら、どんなに楽しいことだろう。想像するだけで、胸の中がカッと熱くなってくる。
 三人は、他の子の分も雪玉を作りながら、みんなを待つことにした。

 それから五分がたち、やがて十分になった。
 しかし、三人が見つめる昇降口には、誰も姿を見せなかった。
「あーあ、つまんねえなあ」
 とうとうノッポがつぶやいた。
 恭司も残念だった。
(やっぱり、受験生たちの大雪合戦なんて、無理なのかなあ)
 と、そのとき、昇降口に人影があらわれた。
 でも、それは三人が待っていた男の子ではなく、大人の男の人だった。茶色のジャケットを着て、りっぱな口ひげまではやしている。
「君たち、まだ面接中だぞ。早く校舎に入りなさい」
 どうやら、この学校の先生らしい。三人はしぶしぶ近づいていった。
「おやおや、びしょびしょじゃないか。もう面接は終わったのか」
「いえ、これからです」
 ノッポが答えた。
「受験番号は?」
「三一二四」
「三〇九六」
 チビが続く。
「三四二一です」
 恭司も答えた。
「そうか。それならまだ時間があるな。これでよくふいて。風邪をひくなよ」
 先生は、三人に一枚ずつ大きなタオルを渡してくれた。夢中になっていて今まで気づかなかったけれど、三人とも頭から靴まで、とけた雪ですっかりぬれてしまっている。恭司の毛糸の手袋もびしょびしょで、指先がジンジンと痛かった。

「おい、遅かったな」
 面接を終えて控室を出てきた時、恭司は急に声をかけられた。さっきの二人が、並んで立っている。
「おれ、台東区からきた田中智樹。一緒に帰ろうぜ」
 ノッポの方が先にいった。
「ぼくは有本雄介。世田谷の駒沢二小からだけど、君はどこから?」
 チビが続く。先に面接が終わったので、恭司のことを待っていてくれたらしい。
 三人で話しながら正面玄関まできた時、面接票の入った黒い箱を持って、さっきの口ひげの先生が横の階段から降りてきた。
 恭司が声をかけたものかどうか迷っていると、
「先生、さよならあ」
と、智樹が大声であいさつしてしまった。
「おっ、さっきの三人組か。君たちは、同じ小学校なのか」
「いいえ、違いますよ。今日、初めて会いました」
 恭司が答えると、先生は少し驚いたようだった。
「まあこれも何かの縁だから、入ったら仲よくしろよ」
「先生、それは合格してからのことですよ」
 雄介がすかさず口をはさんだ。
「それもそうだな」
「先生、うまいこと三人の成績を水増ししといてくださいよ」
 智樹が調子よくいった。
「ははは。まあ考えとくよ。それじゃあ、まだ面接やってる人もいるから、またグランドで雪合戦するなよ」
 先生は笑いながら、そばにある職員室の方へ歩き出した。
「もうやりませんよお。先生、きっついなあ」
 智樹が、先生の後ろ姿に向かってそう叫んだ。

 玄関を出ると、雪はようやくやんでいた。
 校舎から校門までは、並木道が続いている。そこも、もうすっかり雪でおおわれていた。
 受験生たちは、三々五々、雪道を帰っていく。
 踏み荒らされた真ん中を避けて、三人は両端のまだきれいに雪が積もっている所を選んで歩いていった。一歩進むごとに、三人の足跡がくっきりと残されていく。
「みんなで雪合戦できなくって残念だったね」
 雄介がポツリといった。
「せっかくだから教室で他の子も誘ったんだけど、雄介くんしか話にのってこなかったし、後からきたのも恭司くんだけだったなあ」
 智樹も残念そうだった。
「やっぱりみんな、他の子は受験のライバルだって思っているのかもしれないな。だから、そんな連中とは一緒に雪合戦なんかできないのかなあ」
 恭司がそういうと、
「うーん。今日は二次試験だったからなあ。みんなも面接のことで頭がいっぱいで、他のことをやる余裕がなかったのかもしれない」
と、雄介が首を振りながら答えた。

 校門を抜けると、学校の向かい側に小さな公園があった。
 真ん中にある小さな滑り台に、雪玉をぶつけている男の子がいる。
 バシッ。
滑り台の手すりに雪玉があたると、つもっていた雪と一緒になって、大きく四方に飛び散った。
 三人に気づいたのか、男の子がこちらに振り返った。
(えっ?)
 恭司の教室で、窓を閉めた黒ぶちの眼鏡をかけた男の子だった。
 目が合うと、少し恥ずかしそうに笑った。
 公園には、他にも五、六人の男の子たちがいる。みんな、恭司たちと同じ様に面接の帰りらしい。
「よっしゃ。また雪合戦を、いっちょやったろか」
 隣で智樹が、急に元気な声になっていった。
「OK、OK」
 雄介も、うれしそうに笑っている。
「やろう、やろう」
 恭司は二人につづいて、ザクザクと雪を踏みしめて公園に向かいながら、また気持ちがわくわくしてくるのを感じていた。


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