現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

相馬泰造「じんべえさんとフラスコ」講談社版少年少女世界文学全集49現代日本童話集所収

2020-04-21 16:58:07 | 作品論
 大正時代に書かれた短編です。
 江戸時代の大阪商人のじんべえさんを主役にした連作のうちの一編のようです。
 この作品では、オランダ商館の店先に飾られていた巨大な(底の広さが四畳半もあります)ガラス製のフラスコを水中料亭にしようと持ち帰ったり、途中の船上で大金を海中に落としてしまって身投げをしようとしていた若い男のためにフラスコを潜水艇の代わりにして探索したり、巨大なタコと格闘したりして、大活躍します。
 僅かな紙数の中で、こんな奇想天外なホラ話をした作者は。真面目な作品の多い当時の童話の世界では貴重な存在だったと思われます。



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スライディングタックル

2020-04-21 10:02:31 | 作品
 青チームのフォワードが、相手バックスの前でクルリと反転した。そして、ゴールを背にして、少し後戻りした。次の瞬間、つられて付いてきた赤チームのバックスをサッとかわすと、右足で強烈なシュートを放った。白いボールは、相手ゴールキーパーをかすめて、見事にゴールへ飛び込んでいった。
「ゴオーーール」
 秀樹は、大声で叫びながら立ち上がった。小刻みにステップを踏みながら、両手を交互に回して勝利のダンスを踊った。
 と言っても、これは本物のサッカーの試合のことではない。「スーパープロフェッショナルサッカー」なんて、大げさな名前の付いたサッカーゲームでの話だ。ゲーム盤の横に突き出たスティックで、盤上の人形をガチャガチャと操作して、相手ゴールをねらう奴だ。ビデオのサッカーゲームと違って、奇妙な臨場感があって面白かった。
「ちぇっ、またやられた」
 相手の和也が、悔しそうに言った。
 これで得点は10対7。
今日も秀樹の勝利に終わった。ここのところ絶好調で、これで五連勝か、六連勝目のはずだ。
「二人とも、早くしないとバスに乗り遅れるよ」
 台所から、和也のおかあさんが声をかけてきた。
「あっ、いけねえ」
 二人はあわてて立ち上がると、スパイクや着替えの入ったチームのスポーツバッグをつかんだ。

「カズ、ヒデ、また遅刻だぞ」
 運転席の窓から、コーチが怒鳴っている。
「すみませーん」
 大声で答えた和也に続いて、秀樹も古ぼけた灰色のマイクロバスに乗り込んだ。他のメンバーは、すでに全員揃っている。これから、車で20分ほど離れたグランドまで、サッカーチーム「ウィングス」の練習へ行くところだ。
 秀樹たちがウィングスに入ったのは四年生になってすぐだったから、もう二年以上がたっている。月、水、金と週3回2時間ずつの練習、土日も練習試合や大会でつぶれることが多かった。
 でも、監督やポジションごとにいる専門コーチの熱心な指導に、二人とも満足していた。
 それまで入っていた近所のサッカーチームでは、ゴールキーパーを除いてはポジションなんかほとんど関係なかった。誰もがボールを追っかけることだけに、夢中になっていたのだ。
 でも、ウィングスでは、各選手には決められたポジションが与えられている。そして、そのポジションごとに、きちんと練習メニューが作られていた。
 和也は、攻撃の中心のセンターフォワード。みんながやりたがる花形ポジションに、五年生のときから抜擢されていた。
 一方、秀樹は長身を生かして、ディフェンスの中心、センターバックをずっとやっている。

 グラウンドの中央付近でパスをもらった和也が、ドリブルでこちらに近づいてくる。
(右か、それとも左か)
 秀樹は自分の体をゴールと和也の間に置いて、シュートのコースを消しながら待ち構えた。
 和也が、右にグッと体を傾けた。
(右だ)
 そう思って詰め寄った瞬間に、和也は鮮やかに左へ体を反転させて秀樹をかわしてしまった。そして、そのまま右足で強烈なシュート。
 懸命に跳び付くゴールキーパーの手をかすめながら、ボールはゴールネットに吸い込まれた。
 ピーッ。
コーチのホイッスルが鳴る。
「やったあ」
「カズ、ナイスシュート」
 和也は、喜ぶ味方の選手に囲まれて、両手を上げながら引き揚げていく。
 それを見送りながら、秀樹は足元の地面をガツンッとひとつ蹴った。
(今日も、やられてしまった)
 右へいくと見せかけて左へ。和也の最も得意なフェイントだ。頭では分かっているのだけれど、いつもそれを止められない。和也自慢の一瞬のスピードに、どうしても付いていけなかった。

 秀樹と和也は、若葉幼稚園の時からずっと一緒だ。いや、その前に、近所の公園でおかあさんたちに連れられて会っているらしい。
 秀樹はよく覚えていないけれど、その頃からもう、いつも二人でボールを蹴っていたという。
 幼稚園のサッカースクールに入ったのも、二人同時だった。そして、小学校のサッカーチーム、今のウィングスと、ずっと一緒にボールを蹴ってきた。
 体格的には、小さい時から秀樹の方が恵まれていた。秀樹は六月生れで和也は一月生れだから、赤んぼの時に秀樹が大きいのは当たり前だ。
 でも、その後もずっと秀樹の方が背が高い。
 秀樹の家の居間の壁には、古くなった身長計がある。初めての秀樹の誕生日に、とうさんが買ってくれたらしい。そして、毎年、誕生日に、一人息子の秀樹の身長を記入するのが、秀樹の家の習慣になっている。
 一才の時の秀樹の身長は八十五センチ。そして、去年、十一才の誕生日の時は、百五十九センチだった。
 五才の時からは、秀樹だけでなく同じ日の和也の身長も記録されている。いつも誕生会に来ていたからだ。その記録は、いつも十センチ近く秀樹より低かった。
 来月の十八日に、また秀樹の誕生日がやってくる。
 でも、その身長計はもう使えない。
(なぜって?) 
 だって、目盛が百六十センチまでしかないのだ。秀樹の身長は、とっくにそれを超えてしまっている。

 ピンポーン。
 秀樹の家の玄関のインターフォンがなった。出なくても誰だか分かる。
 秀樹は愛用のサッカーボールを持って、玄関のドアを開けた。
「おーす」
「よお」
 門の外に立っていたのは、もちろん和也だ。やっぱりボールを持っていて、いつものようにはにかんだような笑顔を浮かべている。
 ウィングスの練習のない日でも、二人はいつも一緒に遊んでいた。雨の日には、家の中でこの前のようなサッカーゲームに熱中することもある。
 でも、今日のようないい天気の日は、もちろん本物のサッカーだ。こんな習慣が、もう何年も続いている。
 他の子たちがいるときは、3対3とか、4対4のミニゲームをやった。緊張するウィングスの正式な試合と違って、こういう草サッカーは気楽にできるからけっこう楽しい。
 二人だけの時は、パス、ドリブル、リフティングなどの、サッカーの基本練習をしている。そんな単調なトレーニングでも、二人でやれば楽しかった。
「昨日のJリーグの試合、見た?」
 秀樹が尋ねると、和也は興奮気味に答えた。
「うん、見た見た。マリノスの小島。すげえ、シュートだったろう」
「ああ、やっぱり、あいつはすごいよな」
 秀樹も隣でうなずいた。二人とも、大きくなったらJリーグの選手になるのが夢だ。さらにその後は、ヨーロッパのリーグへ。秀樹は守備が固いので有名な、イタリアのユベントスに入ることが目標だ。和也は攻撃サッカーのスペインのレアルマドリードかバルセロナでプレーすることが夢だった。
だから、テレビ中継は欠かさずに見ている。海外サッカーは有料放送でしか見られないので、Jリーグの試合を見ている。和也はマリノスの、そして日本代表のエースストライカー、小島選手の大ファンだった。
 秀樹は和也と肩を並べるようにして、近くの公園に向かった。

「1、2、3、4、……」
 使い込んで薄汚れたボールが、足の上でリズミカルにはずんでいる。
 ボールリフティング。秀樹と和也は、ボールを下へおとさずに連続してける練習をしていた。
「……、61、62、63、64、……」
 今日みたいにまっさおに晴れあがった日に、ボールリフティングをするのは本当に気もちがよかった。まるで自分もボールになって、はずんでいるかのようなうきうきした気分になれる。
「……、123、124、125、あーっ」
 とうとうバランスをくずして、ボールを下へおとしてしまった。
「ヒデちゃん、最高、いくつになった?」
 そばでボールリフティングをつづけながら、和也がたずねた。
「うーん、300ぐらいかなあ」
 本当は最高283回だったけれど、少しさばをよんでこたえた。
「おれ、おととい、新記録で974出したぜ。もうちょっとで、1000回達成だったんだけどな」
 和也はリフティングをつづけながら、得意そうにいった。
「……、411、412、413、……」
 軽々とけりつづけていく。
 秀樹は、リフティングするのを休んで、そばでながめていた。
 和也は右でも左でも、足の甲でも、ももでも、同じようにボールをけることができた。ときには、ヘディングをまぜたりする余裕さえある。
 どうしてもきき右足にかたよってしまう、秀樹とはちがっていた。
「……、524、525、526、……」
 まるで、ひとりでダンスでもしているかのように、リズミカルにリフティングをつづけていた。そんな和也を見ていると、こちらまで気分がよくなってくる。

「得点は1対1の同点、後半もいよいよあと五分を残すところになりました。アントラーズ対マリノスの首位攻防戦。期待どおりの好ゲームです」
 テレビのアナウンサーが、いつものように絶叫し続けている。
 試合終了直前、秀樹の応援しているアントラーズは一方的にせめまくられていた。相手のマリノスは、現在、Jリーグの首位をしめている強豪チームだ。
 でも、秀樹の大好きなセンターバックの佐藤選手を中心に、アントラーズはなんとか点を取られずに守っている。
「ピーッ!」
 審判のホイッスルがなった。
「反則です。アントラーズの佐藤、マリノスの小島をうしろから手でおさえてしまいました」
 マリノスのエースストライカー、小島のドリブルのスピードについていけずに、つい反則してしまったようだ。ここで抜かれてしまったら、シュートを決められそうだった。そうなったら、今のアントラーズが同点に追いつくのはもう絶望的だ。
「あっ、レッドカードです。佐藤、退場です」
「佐藤選手のこんなプレーを見るなんて、はじめてですよ。かつての佐藤選手なら、得意のスライディングタックルで、うまく防げたはずなんですが、……」
「そうですねえ。ちょっと待ってください。たしか、……。やっぱりそうです。佐藤選手は、これがプレーヤー生涯初めてのレッドカードですねえ」
 チームメイトになぐさめられながら、佐藤選手はがっくりうなだれて退場していった。秀樹はこれ以上ゲームを見る気になれずに、テレビをけしてしまった。

 ザザザーッ。
相手の少し手前からすべりこんでいって、倒れながら強く遠くにボールをはじきとばす。これが、スライディングタックルだ。
 秀樹はボールを持って近くの公園に行くと、一人で練習を始めていた。
 さっき解説者がいっていたように、スライディングタックルは佐藤選手の得意技だ。アントラーズの、そして日本代表のゲームで、何回チームのピンチをすくったことだろうか。
 相手チームのエースストライカーにボールがわたり、ドリブルで味方のゴールにせまっていく。
(だめだ、やられた)
と思って、みんなが目をつぶろうとしたとき、佐藤選手のすて身のスライディングタックル。
 つぎのしゅんかん、ボールは遠くへはじきとばされピンチを脱出していた。
 ザザザーッ。
なかなかうまくいかない。
 頭の中では、マリノスの小島選手がドリブルでせまってくる。秀樹は佐藤選手になったつもりで、スライディングタックルをする。
 でも、ボールをうまくけれなかったり、足が頭の中の小島選手の足をひっかけてしまったりする。
 秀樹は何度も何度も、スライディングタックルの練習をしていた。頭の中の小島選手は、いつのまにか和也に変わっていた。

『アントラーズの佐藤、引退か?』
 翌朝、朝刊のスポーツ欄の片隅にそんな記事が出ていた。20年以上の選手生活で初めての退場処分にショックをうけて、引退を決意したというのだ。佐藤選手は、ファールを取られやすいディフェンスのポジションなのに一度もレッドカードを受けた事がなく、それをとても誇りにしていた。
『かつては日本代表チームのキャプテンまでつとめた佐藤選手。しかし、ここ数年は故障続きと年令からくる衰えとで、精彩を欠いていた』
記事は、冷たくそうしめくくってあった。そして、その上には、マリノスのスーパースター、小島選手の大きな写真がかかげられていた。けっきょく昨日の試合でも、小島選手が決勝ゴールを決めていた。
 秀樹は、新聞を居間のソファーの上に置くと、自分の部屋に戻った。
 そこには、佐藤選手の大きなポスターがはってある。自分と同じポジションだということもあって、佐藤選手はいちばん好きなプレーヤーだった。
 佐藤選手は、長身ぞろいのセンターバックとしては、けっして身体が大きい方ではなかった。
 でも、的確な状況判断と体をはったプレーで、いつも味方のピンチを防いでいた。
 たしかに激しいスライディングタックルをすることで有名なので、相手チームのフォワードからは恐れられていた。
 ただし、わざと反則するような汚いプレーはけっしてしなかった。
 ギョロリとした大きな目と、トレードマークの口ひげ。ポスターの中の佐藤選手は、いつもと変わらぬ闘志あふれる表情をしている。右手を前にさししめして、チームメイトに何か指示を出しているようだ。グラウンド中に響き渡る大きな声が聞こえてきそうだ。

 ザザザーッ。
その後も毎日、秀樹はスライディングタックルの練習を続けていた。学校へ行く前、帰ってきたすぐ後、近所の公園に行って、何度も何度も練習をくりかえした。
 今度の紅白試合では、何がなんでも和也のドリブルを止めたかった。そのために、スライディングタックルをためしてみるつもりだった。
 どんなに注意していても、和也の例のフェイントにはひっかかってしまう。右とみせかけて左へ。頭ではわかっているのに、どうしても体がついていけない。
 それならば、抜かれた瞬間に、スライディングタックルでボールを遠くにはじきとばしてしまおう。それが、秀樹が考えた和也対策だった。
 ザザザーッ。
だんだんタイミングがあって、ボールを強く遠くに飛ばせるようになってきた。
 秀樹は練習をやりながら、佐藤選手のことも考えていた。あの日、退場させられるとき、本当にさびしそうだった。もしかすると、佐藤選手はこのまま本当に引退してしまうかもしれない。あの闘志あふれるスライディングタックルが、もう二度と見られなくなってしまうのだ。そう考えると、なんだかとてもたまらない気持ちになってくる。
 ザザザーッ。
秀樹は頭の中で佐藤選手のプレーを思い浮かべながら、けんめいに練習を続けていた。

 和也は胸でボールをうけると、ゆっくりとドリブルに入った。
「サイド、サイド、カバー」
 秀樹は大声で他のバックスの選手に指示すると、和也の前に立ちはだかった。
 和也は、ドリブルのスピードをグングン上げて近づいてくる。
 目の前にきたとき、右にグッと体重をかけた。
 秀樹がそちらに体をよせると、和也はすぐに左へ体を反転させた。
 得意のフェイントだ。
 秀樹も、けんめいに体勢を立て直してついていく。
でも、一瞬早く和也に抜かれてしまった。
(今だ!)
 秀樹はななめうしろから、スライディングタックルをしかけた。
 ザザザーッ。
秀樹の右足が、ボールにむかってまっすぐのびていく。
(やったあ!)
と、思った瞬間、わずかにボールに届かず、逆に和也の足を引っかけてしまった。
 ピーッ。
コーチのホイッスルがなった。反則を取られてしまったのだ。

「うーーん」
 助け起こそうとした和也が、右足首をかかえてうめいている。
「どうした?」
 監督やコーチたちが、あわててこっちにとんできた。他の選手たちも集まってくる。
「スプレー、スプレー」
 監督が、グラウンドのまわりで練習を見守っているおかあさんたちにどなった。マネージャーをやっているキャプテンのおかあさんが、救急箱を持って走ってきた。
 監督は和也の足首に、シューシューと痛み止めをスプレーした。そして、慎重な手つきで和也の右足首をゆっくりと動かしてみた
 でも、和也は、監督にさわられるたびに痛そうに顔をしかめている。
「春の大会が近いというのに、……」
 うしろでは、フォワードのコーチが心配そうな声を出していた。
「ねんざかもしれないなあ。病院に連れて行こう」
 監督が、マネージャーに車を用意するように指示している。
 とうとう和也は、コーチの一人に背負われてグラウンドを出ていった。秀樹は、うなだれたままそれを見送るしかなかった。

「……、41、42、43、……」
 家の玄関の前で、今日も秀樹はボールリフティングをしていた。
「……、61、62。あっ」
 バランスをくずして、下におとしてしまった。何度やっても、いつもより長くつづかない。ついつい和也のけがのことを考えてしまうからだ。
 昨日、練習が終わるころに、一緒についていったマネージャーとコーチは戻ってきた。
 でも、和也の姿だけはなかった。そのまま家へ帰ったのだという。
「けがはどうでしたか?」
 秀樹はまっさきに、コーチにたずねた。
「ヒデ、心配するな。だいじょうぶだから」
 コーチは、笑顔でそう答えてくれた。診察の結果は、右の足首の軽いねんざだそうだ。さいわい骨には異常はなかった。
(学校にも来られるかな?)
と、そのときはそう思った。
 それで、今朝はずっと校門のところで待っていたけれど、とうとう和也は姿を見せなかった。
(まだ痛いのかなあ)
 今日はなんども和也のクラスまで様子を見に行ったけれど、どうやら学校を休んでしまったようだった。これでは、とうぶんウィングスの練習には、出られそうになかった。

「ヒデちゃん、アントラーズの佐藤選手がテレビに出てるわよ」
 おかあさんが、家の中からよんでくれた。秀樹は練習をやめて、すぐに家の中に入った。
 テレビ番組は、ワイドショーのスポーツコーナーのようだった。佐藤選手は、大勢のレポーターやカメラマンたちに取り囲まれている。
「一部で引退されるとの報道もされていますが、……」
 レポーターが、マイクを佐藤選手に突き出した。
「生涯初めてのレッドカードが原因ですか?」
「小島選手との対決に破れたのが、ショックだったのですか?」
 矢継ぎ早に質問されている間、佐藤選手はだまってじっと下をむいていた。
「全国のファンに何か、コメントを、……」
 最後にそう聞かれたとき、佐藤選手は初めて顔をあげると、きっぱりとした口調でいった。
「引退なんかしません。たしかにこの間の試合では、恥ずかしいプレーをお見せしてしまいましたが、……。体をきっちりと直し、十分なトレーニングをして、もう一度チャレンジします。今度は、得意のスライディングタックルで、正々堂々と小島くんを止めてみせます」
 佐藤選手の顔には、いつもの闘志あふれる表情が戻っていた。
「次のコーナーは、……」
 画面がきりかわったテレビを消すと、秀樹はまた家の外へ出た。リフティングの練習をしながら、自分から和也にきちんとあやまろうと考えていた。

 ピンポーン。
インターフォンのボタンを押すと、玄関に和也のおかあさんが出てきた。
「あら、ヒデちゃん、よく来てくれたわね」
「これ、おかあさんが持って行けって」
 お見舞いのお菓子のつつみを、和也のおかあさんに手渡した。
 二階の部屋へ上がって行くと、和也は勉強机のいすにすわっていた。白い包帯をぐるぐるまきにされた右足が、いやでも目に飛び込んでくる。
「よお、どうだい、足の具合は?」
 秀樹が緊張しながらたずねると、
「だいじょうぶ。包帯がおおげさなんだよ」
 和也は、白い歯を見せてわらった。
「でも、歩けないんだろ?」
「歩けるよ。走ったり、サッカーはしばらくできないかもしれないけど」
 和也は立ち上がると、少し足を引きずりながら歩いてみせた。
「明日から学校にも行けるんだ」
「そうかあ」
 けががそれほどひどくないようなので、秀樹は少しホッとした気分だった。

「それより、おれ、退屈で死にそうだったんだ。ゲームをやろうぜ」
 和也はけがしていない方の足でいすの上にのると、棚の上から「スーパープロフェッショナルサッカー」をおろした。
 すぐに二人は、いつものようにはげしいたたかいをはじめた。
「シュート!」
 和也の赤チームの選手がシュートしたが、秀樹の青チームの選手がうまくふせいだ。
「ちくしょう」
 和也がくやしそうにつぶやいた。
(本当のサッカーでも、こううまくいけばいいのにな)
 秀樹は、攻撃に移りながらそう思った。
 でも、おかげですんなりと昨日の事を口に出すことができた。
「カズちゃん、ごめん。けがさせちゃって」
 和也の足をひっかけたのは、もちろんわざとではない。
 でも、結果として、ボールではなく足にタックルしてけがをさせてしまった。それは、秀樹のスライディングタックルがへただったせいだ。もっと練習してから使うべきだった。
「気にするなよ、ヒデちゃん。おれこそ、悪かったな」
「えっ?」
 秀樹はおどろいて、和也の顔を見た。
「おまえの足にひっかかっちゃってさ。 そっちはちゃんとボールにむかって、スライディングタックルしてたんだから。わざとした反則じゃないよ。おれがマリノスの小島みたいなスーパースターだったら、ヒョイととびこえて軽くシュートを決めてるよ」
「でも、ボールに足がとどかなかったんだから、やっぱり反則だよ。うまくいくと思ったんだけどなあ。どうして失敗しちゃったんだろ」
「それは、ヒデちゃんの足が短いからじゃないか」
 和也はニヤッとわらいながらいった。
「うるせえ」
 秀樹はそういうと、青チームの選手に強いシュートを打たせた。
 小さな白いボールは、赤チームのゴールキーパーにあたってゲーム盤の外へとびだした。そして、床の上をコロコロと遠くまでころがっていった。



        
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タブ

2020-04-21 10:00:36 | 作品
 ぼくが小学校六年生の時、もう半世紀以上も昔の話だ。
 そのころは、街には野良犬がたくさんいた。
 そんな野良犬のうちの一匹のタブが、いつごろからぼくたちの町に姿を見せるようになったのかは、どうもはっきりしない。
気がつくと、家の近くの公園に、姿を見せるようになっていた。
ぼくらが野球やサッカーをしているのをじっとすわってながめていたり、空き地のくさむらの中をクンクンかぎ回ったりするようになっていた。
 タブはやや小型の雑種のメス犬で、体は薄茶色、たれた大きな耳だけが濃い茶色をしている。まるまるとよく太っていて、足が短い。全体的には、現在では一般的になっているゴールデン・レトリーバーを小さくしたような感じだった。目がいつも少しうるんでいて、茶色のまつげがかわいらしかった。むるいに人なつっこく、みんなにあいきょうをふりまいていた。
 どこから来たかわからない野良犬だったけれど、誰も保健所に連絡しようとはしなかった。いや、逆に近所の人気者にすらなっていた。けっして吠えたり、誰かに危害を加えるように見えなかったので、なんとなくおめこぼしにあっていたのだ。
 特に、誰かがお菓子を持っている時などは、タブのようすはすごかった。目を輝かし、全身をふるわせておこぼれをねだる。だから、誰もがついついタブに分け前をあげてしまうようになっていた。
 タブは、子どもたちだけでなく大人たちにも人気がある。うちの裏に住んでいる山田さんちのおばさん。米屋のおばあちゃん。その他にも、たくさんのお得意さんを何軒もかかえている。そこを順繰りにまわって、ごはんをもらっているようだ。
 タブは、はじめは別の名前で呼ばれていた。ある日、中学生のはじめちゃんが、タブがはめていたそまつな茶色の首輪をはずしてみたのだ。
「あれ、ここに名前が書いてあるぞ」
 のぞきこんでみると、首輪の裏側に、マジックで「ゴロー」と書かれていた。メス犬なのに変だなと思った。
 でも、ためしにぼくが、
「ゴロー」
って呼ぶと、タブはいきおいよくしっぽを振った。
 その日以来、みんなが「ゴロー」と呼ぶようになった。もっとも、タブは、いたずらに「ポチ」とか、「タロー」と呼んでも、同じようにしっぽを振っていたけれど。

「ゴロー」
 ぼくは、ひとりで家に帰るところだった。草野球のアウト、セーフでもめて、ヒロちゃんたちと大げんかしてしまったので、すっかりつまらない気分だった。
 タブは、遠くからふっとんできて力いっぱいしっぽを振った。
 ぼくは、近所の家のゴミ箱の上に腰かけて、タブにいろいろな芸をやらせた。
 フセ、オスワリ、チンチン。何でも器用にできる。ビスケットを細かくくだいてほうると、見事にキャッチした。
 タブと遊んでいたら、ぼくのくさくさした気分は、しだいに消えていった。
「タカちゃん。何やってるの?」
 学校から帰る途中のねえさんだった。クラブがあったらしく、少しくたびれたような顔をしている。ねえさんが入っている中学のバスケットボール部は、区内では強豪チームで、猛練習をすることで有名だった。
 ねえさんは、ぼくに負けない犬好きだ。いや、ぼくなんかくらべものにならないかもしれない。
 今、家で飼っているルーも、子犬の時にジステンバーになりかかっていたのを、ねえさんが拾ってきて助けたのだ。ねえさんは、ルーを知り合いの獣医さんに連れていって、頼み込んで格安でジステンパーをなおしてもらった。それ以来、ルーはなんとなく家にいることになった。
 それにひきかえ、ぼくの方は、小さいころは犬がこわくてしかたがなかった。道に犬がいると、それがどんなに小さい犬でも遠回りしたくらいだ。
 ところが、ルーが家にいるようになってから、いっぺんに犬好きになってしまっていた。
 ねえさんは、タブの頭をなでながらいった。
「丸っこい犬ねえ。まるでブタみたいじゃない。おい、ブタ、ブタ」
 タブは、人なつっこくしっぽを振っている。
「ブタじゃ、かわいそうだよ」
「ブタブタブタ」
「ブタはよくないって」
「じゃあ、なんて呼ぶのよ」
「ゴローっていうんだ」
「ゴローだなんて。この子、メス犬じゃない。ブタブタブタブ、タブ。そうだ。ブタのさかさまでタブ、伸ばしてタブーなんて、香水の名前と同じですてきじゃない」
「なんだかその名前も変だなあ」
 その時、通りがかりの自転車がブレーキをかけた。いきなり、タブは自転車にとびかかると大声でほえた。
「こら、タブ、タブ」
「どうもすみません」
 ねえさんと二人がかりで、やっとタブを引き戻した。タブは、首の回りの毛がまだ少しさかだっていて、今まで見たこともないようなこわい顔をしている。
「どうしたのかしら。タブ、自転車に乗った人にいじめられたことがあるのかい?」
 ねえさんが、タブをなだめながらいった。
 この日以来、ゴローではなくて、みんなにもタブと呼ばれるようになった。

 ぼくは家へ帰ると、すぐに我が家の狭い庭にあるルーの小屋へ行くのが日課になっている。給食のパンを残してきて細かくちぎり、牛乳にひたしてルーにやるのだ。
 ルーは芝犬の雑種で、茶と緑と灰色とがまじりあったような、変な色をした中型のオス犬だった。胸とおなかと足が真っ白で、額にも白い模様がある。すごくおとなしい性格で、いつもいるのかいないのかわからない。
 食べ物をあげても、しっぽの先を小さく振るだけですぐには食べない。
「ルー、早く食べろ」
 ルーは、何度もぼくにせかされて、やっと食べ始める。それも、舌でペロペロなめながら、ゆっくりゆっくり食べるのだ。
 ぼくは、そんなルーを見ているのが大好きだった。友だちと遊んでいても、夕方になると、ルーを散歩に連れていくためにもどってくる。
「やあ、ルーくん。元気か」
 頭をなでてやると、目を細めながらしっぽを小さく振っている。
「それじゃ、散歩に行こうな」
 小屋からくさりをはずして、ルーと散歩に出る。
 歩いて五分ほどのところの広い公園で鎖をはずしてやると、ルーは矢のようになって走っていく。
 ぼくが大声で、
「ルー!」
と呼ぶと、またいっさんに走って戻ってくる。
 でも、ぼくにつかまらないように、ルーは二、三メートル離れたところで、ハアハアいいながらこっちを見ていた。
公園のすみにある小山のてっぺんに腰をおろして見ていると、ルーはあちこちをかぎまわったり、時々、片足をあげておしっこをしたりしている。
 三十分ぐらいしてから、ぼくは立ち上がり、おしりについた土をパタパタ落としてから大声で呼ぶ。
「ルー。もう帰るぞ」

 ぼくらの散歩に、いつのまにかタブが加わるようになった。初めは時々だったが、すぐにほとんど毎日一緒についてくるようになった。
 散歩に行く時刻になると、家の前に来ていてぼくたちを待っている。ぼくとルーのまわりを、前になったり、後ろになったりしながらついてきた。ルーが、電柱でにおいをかいだり、片足をあげたりしていると、じれったそうな顔で待っている。
 公園では、ルーと一緒に走り回ったり、じゃれついたりするが、ルーの方は少し迷惑そうなふりをして相手にしない。
 そんな時でも、ぼくが
「タブ」
と呼ぶと、ルーとは違って体当たりするようにとびついてくる。そして、小山のてっぺんにぼくが腰をおろすと、すぐ横に腹ばいになっておとなしくしている。ぼくは、タブのたれた大きな耳をもてあそびながら、ルーが走りまわっているのを見るようになった。
 散歩の間ずっとついてきたタブは、ぼくたちが庭の中へ入ってしまうと、いつも木戸の下から鼻を出してなごりおしそうにのぞいている。
「タブ。もう夕ごはんだから、家へ入らなくちゃ。また明日な」
 そういっても、タブの黒い鼻はなかなかひっこもうとしなかった。
 ぼくは、しだいにタブのことも好きになっていった。ルーの控え目なおとなしいところも前と変わらず好きだったが、タブの全身で喜びをあらわすしぐさにも強く引かれていた。
 給食の食パンをタブの分も残してきて、公園でいっしょにすわっている時にやるようになった。ルーの分が一枚、タブの分が一枚。給食の割り当ては二枚だけだったから、ぼくはいつも腹ぺこだった。

 タブのおなかがふくらんできたのに気づいたのは、つい一週間前だった。それが、みるみるうちに大きくなっていった。もともと丸っこいおなかが、いよいよ太鼓のようにはってきた。
「タブに赤ちゃんができたみたいね」
 夕飯の時に、ねえさんがさりげなくいった。
「やっぱりそうなの。いやにコロコロしてきたと思ったんだけど」
 ぼくも、なにげなさそうにかあさんの顔色をうかがいながらいった。
 かあさんは、ハンバーグをお皿によそりながら、
「うちでは飼えませんからね。もうルーだっているんだから。これ以上は大変よ」
と、ひとりごとのようにいった。
 先手を取られたぼくは、何もいえなくなってしまった。
「誰か、タブを飼ってくれるといいんだけど」
 ねえさんがそういったので、ぼくもいきおいづいていった。
「そうそう、誰かいないかなあ」
 でも、かあさんは、
「子犬が生まれるとわかってるのに、飼う人なんかいないわよ」
と、そっけなかった。

 突然、タブがいなくなった。今までも、ルーと散歩にいっても出会わないことはあった。タブが家へ寄らないこともある。
 でも、三日も続けて、一度も姿を見せないことはこれが始めてだった。
「どこかへ行っちゃったのかなあ」
 ぼくがそういうと、
「そんなはずないわよ。あんな大きなおなかをかかえて。誰かの家で飼われているといいんだけど。だけど、子犬が生まれるのを承知で飼う人いるかなあ」
 ねえさんも、心配そうだった。
 その日から、散歩の時に、タブをさがすようにした。
公園に行くだけでなく、町の他の場所にも行った。
ルーも、しぶしぶ後についてくる。
「ターブ、タブタブ」
 タブがいそうな場所に来ると、ぼくは足を止めて名前をよんでみた。
 でも、あの丸っこい体は、どこからも現れなかった。
 ねえさんも、友だちに聞いたりしてさがしてくれているようだった。
 それでも、タブはなかなか見つからなかった。

 タブがなぜいなくなったのかわかったのは、それから二日後だった。
 ぼくはその夕方、近所の酒屋に醤油を買いに行かされた。そのとき、そこの店のおにいさんが、お客と話していたのだ。
「頼まれちゃってね。おれもちょっといやだったんだけど。子犬が生まれないうちにって、山田さんちの奥さんがいうんでね」
「よくつかまえられたわね」
「あいつは、食い意地がはっているからね。ソーセージでつってさ。店の車の荷台にとじこめちゃってね」
 ぼくは、醤油を入れる一升ビンを取り落としそうになった。
「近くじゃね、すぐにもどってきちゃうからさ。川向こうまで運んでったんだ」
「だいじょうぶかしら」
「水を越えるとにおいが消えるっていうからね」
「追っかけてこなかった」
「うん。しばらくついてきたけどね。やっぱり車の方が速いから。ねんのために逆方向へ走って、まいてからもどってきたんだ」
 ぼくは、醤油ビンをドンとカウンタの上に置くと、店から飛び出した。
「あれっ。ぼく、お醤油を買いにきたんじゃないの?」
 ぼくは、店の横に積んであったビールの空きびんを入れた箱を、思い切りけとばしてやった。
 家に帰ると、ぼくはすぐに自転車をひっぱり出した。
「あれ、タカちゃん。どこに行くの。もうごはんだよ。あれ、お醤油はどうしたの?」
 かあさんの声を背中で聞いて、思い切り自転車をこぎだした。
 川までは、ふだんは自転車で三十分はかかる。それを思い切りふっとばしたので、二十分もかからずに着いた。
 川には、一キロぐらい離れて、新橋と大橋とがかかっている。
「タブ、タブ、……」
ぼくは、そのあたりをあちこち走り回り、名を呼び続けた。
 タブに少しでも似た犬をみかけると胸がどきどきした。
 でも、すぐに違うことがわかってがっかりさせられた。
 二、三時間捜して、ぼくはすっかり疲れてしまった。
「タブ、タブ」
 最後に、川原へおりて大きな声で名前を呼んだ。
 でも、とうとうタブはあらわれなかった。
 すっかり暗くなった川面に、橋のあかりがゆらゆらゆれている。
 十時すぎに家へ戻ったので、ぼくはとうさんとかあさんにこっぴどくしかられてしまった。
 翌朝、山田さんちのおばさんは、へいに大きく「バカヤロー」と落書きされているのに気がついた。

 次の土曜日の午後、ぼくたちは、家のちかくの公園でサッカーをやっていた。
「おら、おら、おら」
 ぼくは、フェイントで相手のバックスをぬいた。
(よし!)
 体を反転させて、敵ゴールへシュートしようとした。
 と、そのとき、ぼくの横を茶色のカタマリがすりぬけた。
 タブだ。
「タブーッ」
 タブはぼくをチラッと見ると、しっぽを数回ふって公園をでていった。
 ぼくはボールをほうりだして、あとをおっかけた。
「ターブ、タブ、タブ」
 何回も、大声で名前をよんだ。
 タブは、やっとこちらへもどってきた。
 タブのまっ白だったおなかや足は、泥によごれて真っ黒になっている。長い道のりを苦労してもどってきたのだろう。
「良く帰ってきたなあ」
 ぼくは、力いっぱいタブの頭をなでてやった。

その晩、ぼくは、銭湯の店先に出ている屋台の焼き鳥屋で、レバーを五本と焼き鳥を五本買った。全部で二百円。ぼくのひと月のこづかいは、たったの三百円。その半分以上が軽くふっとんだ。
「ターブ、タブ、タブ」
 ぼくは、大声でタブを呼んだ。
 タブは、いつものように遠くから飛んできた。
 ぼくは、タブを公園へ連れていった。
 焼き鳥の袋を開いている間、タブはくいいるような目つきでぼくの手元を見ていた。しっぽというより、後半身全体を振って、喜びを表している。
 ぼくは、タブががっついてけがをしないように、鶏肉やレバーを串からはずしてやった。タブはそれが待ち切れなくて、口からよだれがツツーと糸を引いて落ちた。
「ほら」
 ぼくは、鶏肉のひときれをタブにほおった。
 パクッ。
 あざやかに空中でキャッチ。タブは、鶏肉をかまずに飲み込んでしまった。
「馬鹿だなあ、あわてなくてもいいんだよ。これは全部おまえのなんだから」
 ぼくは笑いながら、次の肉を今度は手のひらにのせて食べさせた。
  
 タブが帰ってきてからちょうど一週間後、昼過ぎから降りだした雨が夕方になって強くなっていた。その日、かあさんは、PTAの総会で学校へ行っていた。
役員をやっているので、帰りは九時過ぎになる。とうさんもいつもどおり帰りが遅いので、ねえさんが二人分の夕食のしたくをしていた。
「タカちゃん。これをルーに持っていってやって」
 ぼくは、ルーの夕ごはんを持って、もう暗くなっている庭へ出ていった。
「ルー君」
 ルーは、小屋の中から出てきてしっぽを小さく振った。
「ほら、よく食べるんだよ」
 ルーの小屋は、雨がからないように軒の下に置いてある。
今日は、ビニールの雨よけもかけてあった。
 食器をルーの前に置いて、家へ入ろうとした時、何げなく木戸に目をやった。
 木戸の下に黒い小さな鼻。
「タブー」
 ぼくは、雨の中に飛び出していって木戸をあけた。タブが雨の中でじっとしていた。毛に雨がしみこんでどす黒くなっている。自慢のしっぽもだらりとたれさがっていた。
「おねえちゃん、おねえちゃん。タブだ。タブが来たよ」
 ねえさんと二人でタブを玄関に入れて、かわいたタオルでごしごしふいた。
「うーん。どうも、今晩中に子犬が生まれそうだなあ。困ったなあ」
「どうするの、追い出したりしないよね」
「うーん。どうしたらいいかなあ。おとうさんもおかあさんもいないしねえ」
「せっかく来たんだもの。かわいそうで外へなんかやれやしないよ」
 タブは、かねのボウルに入った牛乳をゆっくり飲んでいた。

 ねえさんは、学校に電話してかあさんを呼び出してもらった。
「そうなの。絶対今晩中よ」
「タブ? うん。今、玄関にダンボールをしいて横にしてあるわ」
「そんなことできないわよ。タカシが承知するもんですか」
「うん。そう。わたしも承知しないわ」
「そう、わかった。おかあさん、ありがとう」
 ねえさんはやっと受話器を置いた。
「飼っていいって?」
 ぼくは、喜んでねえさんにたずねた。
「あまーい。飼うか飼わないかは、後で決めるって。とりあえず今日は、タブをおいてもいいってさ」
 ねえさんは縁の下にゴザをしいて、その上に古い毛布やボロきれを置いた。軒からビニールのおおいをたらして、雨がかからないようにする。
 その間、ぼくはうろうろ歩きまわっているだけだった。
「タブ、こっちにおいで。ほら、いい子だ」
 タブはおとなしく玄関を出ると、縁の下の毛布の上に横たわった。小屋の中からルーもそれをながめている。
「ルー。おまえは、家の中に入るのよ」
「なんで?」
 ぼくが聞くと、ねえさんは指でぼくのひたいをつっつきながらいった。
「そばにルーがいたんじゃ、タブが落ち着かないでしょ」
 ルーはおとなしく玄関に入り、さっきまでタブがいたダンボールの上に横になった。
 雨はしだいに強くなってきていた。ねえさんは、何度かタブのようすを見にいっている。
 ぼくもそわそわとおちつかなかった。テレビを見ていても、ちっとも頭に入ってこない。
 八時半ごろ、雨の音にまじってミューミューという鳴き声が聞こえてきた。
「やっと生まれたようね」
 ぼくはいすから飛び上がって、玄関へ行こうとした。
「待って、タカちゃん。のぞいちゃだめよ」
「どうして?」
「親犬をおどかしたり、興奮させたりすると、子犬を食べちゃうことがあるんだって。だから明日まで待たなくっちゃだめよ」
「でも、タブはだいじょうぶかなあ」
「だいじょうぶよ。犬は人間みたいに弱くないから。それにタブはのら犬だからたくましいもの」

 九時すぎに、かあさんととうさんがあいついで帰ってきた。とうさんは、ねえさんから事情を説明されると、しばらくふきげんそうに黙った後にいった。
「これ以上、うちでは犬を飼えないよ。ルーはしかたないけれど、そのタブとやらと子犬はもらい手をみつけるんだな」
「子犬はわたしがなんとかするわ。学校の友だちに聞いてみるし。タカシも捜すのよ」
 ぼくは、不服だったのでずっと黙っていた。
「おかあさんも近所をあたってみるわ」
「でも、タブのもらい手はむずかしいわよ」
 ねえさんは、ぼくの顔を見ながらいった。
「おとうさん。ぼくがいっしょうけんめいめんどうみるから、タブも飼ってくれない」
 ぼくは、必死にとうさんにたのんだ。
「いや。二週間以内に、タブも子犬も飼い主を捜さなければだめだ。おとうさんも会社で聞いてみるから」
 おとうさんは、ふきげんそうな顔をくずさずにそうこたえた。

 翌朝、目がさめると、雨はもうすっかりあがっていた。ぼくは、すぐに庭へいった。
 かあさんとねえさんが、子犬たちをタオルでふいている。タブも子犬をなめていた。
「何匹だった?」
「六匹。でも、一匹は死んでいたわ」
 ねえさんが、ふりかえってこたえた。
 白いムクムクとしたのと、真っ黒でつやつやしたのが二ひきずつ。タブに似た、ちょっとほかよりチビなのもいる。
 ぼくは、一匹一匹を胸にだきあげてなでてみた。まだ目があかなくて、すこしふるえている。タブが心配そうに見ているので、ぼくはすぐにそばにもどしてやった。
 とうさんも顔をだしてきた。まだふきげんそうな顔をしている。
 でも、子犬たちがタブのまわりをもごもご動いているのを見ると、少しだけ表情をやわらげた。
「おとうさん、一匹死産だったの」
 かあさんが、庭のすみの茶色い布を指さしながらいった。
「そうか、それはかわいそうだったな」
 とうさんは、タブの頭をなでた。タブは、しっぽを小さくふっている。
「死んだ子犬を、遠くにうめてきてくれないかしら?」
「ああ」
「近くだと、タブがさがしだしてきちゃうから」
 朝ごはんのあと、とうさんは自転車の荷台に乗せた箱の中に、茶色い布でおおわれた子犬を入れて出かけていった。
 一時間後、帰ってきたとうさんは、小さな包みをぼくにほうってよこした。あけてみると新品のピンクの首輪が入っていた。


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