現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

鈴木三重吉「少年駅伝夫」講談社版少年少女世界文学全集49現代日本童話集所収

2020-04-04 08:26:01 | 作品論
 大正時代の童話雑誌「赤い鳥」(この作品の作者が、主催していました)に掲載された作品です。
 スウェーデンの田舎町を旅行した時の駅伝夫(駅馬車の橇バージョンの御者だと思ってください)の十二歳ぐらいの少年の思い出を、主人公が回想する形で描かれています。
 といっても、当時の日本人には、そう簡単にヨーロッパ、しかもこの作品の舞台になったような北欧の田舎へ旅行はできません。
 鳥越信による解説によると、外国作品の再話のようです。
 しかし、鳥越も述べているように、作者の作品を選ぶ目の確かさと、再話にあたっての筆のたくみさは、作品が発表されてから約百年がたった今でも少しも色褪せるものではありません。
 児童文学に限らず、かつての文学には、当時は日本人がその地を訪れることなど想像もできなかった文字通り遠い外国の風物や人々の暮らしを伝える役目がありました。
 私自身も、柏原兵三の「ベルリン漂白」(1963年から1965年にかけて政府派遣の留学生としてベルリンの滞在していた大学教師(後に芥川賞を受賞した作家)が、妻と幼い子どもを呼び寄せるために、まだ住宅事情の良くなかったベルリンのあちこちを、連日貸し部屋を探して彷徨い訪ねた日々を描いています)や、庄野潤三の「ガンビア滞在記」(ロックフェラー財団によって、1957年から1958年にかけてアメリカの田舎町ガンビアにあるケニオン大学に夫婦(三人の子どもたちを日本に残して!)で滞在した芥川賞作家が、田舎の大学町の人々と日常を描いています)を読んで、ベルリン(ケストナーの「エーミールと探偵たち]の舞台でもあります!)やアメリカの田舎町にあこがれましたが、まさか自分がそういった場所を訪れる機会があるとは想像していませんでした。
 現在では、誰でも出張や旅行で簡単に海外を訪れることができるのですが、そうして自分でもドイツやアメリカへ行ってみると、残念ながら外国の風物や暮らしの皮相的な面しか味わうことができず、今さらながら優れた作家たちの観察眼の確かさを再確認することになります。
 この作品でも、吹雪の北欧の原野で立ち往生して、金髪碧眼のほっぺたの赤い少年の落ち着いた行動によって、毛皮と藁で隙間風を防いだ橇の中で、思いがけず暖かい一夜を過ごせた訪問者の感動を、日本の子どもたちに鮮やかに伝えてくれます。



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