現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

小川未明「野ばら」講談社版少年少女世界文学全集49現代日本童話集所収

2020-04-12 16:31:45 | 作品論
 1923年(大正12年)に発表された、国境をそれぞれ一人で守る、大きな国の老人の兵士と、小さな国の青年の兵士の、つかの間の友情と残酷な別れを描いた掌編です。
 僅かな紙数で、まったく戦争のシーンを描かずに、国境沿いに咲き、やがて散っていく一株の野ばらに託して、厭戦的な気持ちを読者の胸に刻みこむ文章の切れ味は、さすがに坪田譲治をして天才と言わせた作者の非凡な才能を感じさせられます。
 おそらく、この作品を真似た数しれぬ追随者がいたと思われますが、一見簡単なようで絶対真似できない、いわゆる童話的資質(関連する記事を参照してください)の有無を問われる種類の作品でしょう。
 こういう作品を読むと、現代児童文学が批判して切り捨てた、近代童話の象徴性や詩情が、実は読者の心の中に文学という芸術を育むのにいかに大切だったかが、ガチガチの現代児童文学論者の私にも分かります。


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ばんひろこ「チ・ヨ・コ・レ・イ・ト!」

2020-04-12 15:38:29 | 作品論
 「すみれちゃん、おはよう!」(その記事を参照してください)の続編です。
 主人公のみさきが、前作で友だちになったゆらちゃんと遊ぶシーンから始まります。
 やっていたのは、じゃんけんで勝ったら、グー(グリコ)は3歩、チョキ(チヨコレイト)とパー(パイナツプル)は6歩進める、昔からお馴染みの遊びです。
 みさきは、この遊びを通して、ゆらちゃんともっと仲良しになれます(ゆらちゃんのじゃんけんで出す順番を知っていて勝ってばかりでしたが、ゆらちゃんにその事を教えて出す順番を工夫するようにアドバイスしてあげます)し、同じ団地にすんでいたおばあさんとおじいさんとも仲良くなります。
 両者に共通する遊びの中で、子供たちとお年寄りが知り合う姿を、自然に描いています。
 核家族化がますます進む現代では、子供たちとお年寄りが分離されて暮らすことが多くなっています。
 そうした状況において、子供たちとお年寄りたちが出会う場を提供するのも、児童文学の大事な役割だと思います。
 私が団地で暮らしたのは30年も前のことですが、そのころでも、団地には、お年寄りだけの世帯や、幼い子供がいる核家族の世帯が多かったことを記憶しています。
 そういった意味では、子供たちとお年寄りが出会う場としては、団地は意外に適しているのかもしれません。

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ばんひろこ「すみれちゃん、おはよう!」

2020-04-12 15:33:48 | 作品論
 もうすぐ小学生になる姉とその弟が主人公の幼年童話です。
 二人は、団地の五階へ引っ越してきましたが、学校が始まる前なのでまだ友だちがいません。
 ある日、二人はコンクリートの割れ目にスミレの花が咲いているのを見つけ、「スミレちゃん」と名付けました。
 みんなに踏まれないように、スミレちゃんのまわりをマルで囲うと、そのそばに注意書きをつけました。

 すみれちゃんお ふまないで

 翌日、思いがけずその後に続けて返事が書いてあるのを見つけました。

 はい

 こうして、二人と未知の人物との風変わりな文通が始まりました。

 なにがすきですか

 さかな

 はむさんど

 まめ

 あそほいはい (遊ぼういっぱい)
 
 はい

 最期には、二人は、同じ年頃の女の子と友だちになります。
 そして、それを祝福するように、スミレちゃんも二輪目の花を咲かせます。

 作者の、子どもたちへの優しい視線ときめ細かな観察が生きた作品になっています。
 三人が友だちになるまでも、小さな事件(誤ってスミレちゃんを踏んでしまったり、生き返らせるために奮闘したり、不思議な猫や夢も登場します)を続けて、幼い読者が飽きないような工夫もなされています。





 
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