現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

椎名誠「本の雑誌血風録」

2020-04-18 14:20:25 | テレビドラマ
 週刊朝日に連載後、1997年に出版された作者特異の自伝風実録ものです(解説の目黒考二によると、かなりフィクションが混じっているそうです)。
 その目黒が友人たちに勝手に配布していた個人書評誌を、定期的に公に発行される雑誌に立上げていく様子が、手作り感満載で描かれています。
 椎名銘柄の有名人たち(おなじみの木村晋介や沢野ひとしに加えて、目黒孝二や群ようこなど)が多数登場します。
 時代としては、「銀座のカラス](その記事を参照してください)の直後なのですが、フィクション度はかなり下がり、最初の「哀愁の町に霧が降るのだ」と同程度の感じです。
 文字通り手作りで新しい雑誌を立ち上げるあたりは非常に楽しいのですが、後半は有名人になっていく作者本人と著名人も執筆するようになる「本の雑誌」の成功端(作者本人については、さらに中小企業とは言え、勤め先の社長就任を打診されるという二重の成功でもあります)を読まされているようで、読まされる方は他の記事にも書いたように「成功者の無惨」を感じてしまいます。
 実際の作者は、社長就任の打診と有名人になっていく自分に引き裂かれるようして精神を病んでいったようなのですが、その部分は非常に簡単にしか書かれていない(本書の内容にそぐわないのかもしれませんが)ので、残念ながら作者に寄り添って読むことはできませんでした。

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椎名誠「新橋烏森口青春篇」

2020-04-18 13:50:10 | 参考文献
 「哀愁の町に霧が降るのだ」と「銀座のカラス」(その記事を参照してください)と並ぶ自伝的青春小説三部作の真ん中に当たる作品です。
 前作が執筆当時の作者自身も出てくるエッセイ風の作品だったの対して、この作品は、まだ主人公も含めて実名で書かれているものの、完全に私小説として書かれていて、フィクション度は高くなっています。
 これに続く「銀座のカラス」が、新しい雑誌の立ち上げを中心とした中小企業小説(もちろん、作者得意の友情や恋や酒や喧嘩などもたっぷり登場しますが)だったのに対して、会社員に成り立ての主人公(作者)の青春小説的要素(女性への憧れや、友情、酒、ばくちなど)がより濃く現れていて、作品としてのまとまりは一番高いと思われます。
 なお、この作品は単行本発行直後にNHKでドラマ化されて、その後有名になる若手俳優(緒方直人、布施博、木戸真亜子など)が多数出演して、作品世界がより魅力的に描かれていました。

新橋烏森口青春篇 (小学館文庫)
クリエーター情報なし
小学館
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椎名誠「犬の系譜」

2020-04-18 13:48:05 | 参考文献
 1987年の一年間、小説現代に連載され、翌年単行本になって、吉川英治文学新人賞を受賞した作品です。
 夥しい数が出版されている作者の本の中で、最も児童文学的な作品です。
 小学校三年から六年までの間に飼っていた三代の犬の系譜をたどる形にはなっていますが、作者と犬たちとの交流はそれほど話の中心ではなく、その時代の家族とその周辺の変遷が、非常に緻密に描かれています。
 世田谷から千葉の漁村(浦安あたりと思われます)への都落ち(本人と幼い弟は自覚していませんが、両親や年長の兄弟たちははっきりと意識しています)、父の死、長兄の結婚(父の死と結婚以来、長兄は家長としての責任を負うようになります)、家事を一手に引き受けるようになった素朴で優しい兄嫁の登場、それらに伴う母の変化(踊りを中心にして非常に社交的になっていきます)、姉の独立、無職で一家の雑用(その中には主人公たちの部屋の増築なども含まれています)を引き受ける母の弟の活躍、次兄の睡眠薬自殺未遂とその後遺症による精神病院への入院といった波乱万丈の四年間が、当時の漁村の風物や暮らしや人々を背景にして、克明に描かれています。
 他の記事で繰り返し書いてきましたが、子ども時代の鮮明な記憶は、多くの児童文学者(代表的な例をあげれば、ケストナーや神沢利子など)に共通した非常に大事な資質ですが、そういった意味では、作者は児童文学者としても優れていると言えます(もともと、青春時代の些末な出来事を面白おかしく書いたスーパーエッセイでデビューしたのですから、当然と言えば当然なのですが)。
 実際、作者には、「黄金時代」や「岳物語」などの同様の系列と考えられる作品群があります。

犬の系譜 「椎名誠 旅する文学館」シリーズ
クリエーター情報なし
クリーク・アンド・リバー社
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ラ・マルセイエーズ

2020-04-18 10:02:54 | 作品
 ヒロシが、蟹沢先生に国語を教わったのは、中学一年と二年の二年間だった。その年の終わりに、先生は、学校を定年退職されたのだった。
 ヒロシが先生の退職のことを知ったのは、学年末試験の最中だった。昼休みにクラスの連中とだべっているときに、クラス委員の星野から聞いたのだ。
「そういえば、カニ先が学校を辞めるんだってさ」
 星野が、それほど関心なさそうにみんなにいった。
「えーっ、どうして?」
 ヒロシは驚いて星野に聞き返した。
「うん、定年なんだって。職員室で先生たちが話してたぜ」
 星野は、いつものようにヒロシの机に腰をおろして、足をブラブラさせながら答えた。
「へーっ、カニ先って、そんな年だったんだ」
 隣りにいた吉村も、びっくりしたような声を出していた。ヒロシも、それに同感だった。
 自分の父親よりは年上だろうとは思っていたけれど、定年退職になるほどの年だとは思ってもみなかった。
 定年を迎えた人というと、どうしても母方の祖父の顔が浮かんでくる。蟹沢先生よりも、もっとずっと年取った人のイメージがあった。もっとも、祖父はとうに七十を超えているはずだったから、それも無理はないことだったけれど。

「そういえば、蟹沢先生が退職するってよ」
 試験が終わった日の夕食の時に、ヒロシは五つ年上の大学生の姉貴に話した。姉貴も蟹沢先生に教わったと、聞いていたからだ。
「そう。蟹沢先生も、もう定年かあ。わたしの知っている先生たちは、学校にほとんどいなくなっちゃったんしゃない?」
 姉貴は、少しさびしそうな顔をした。
「そうかもしれないなあ。なにしろ、毎年十人ぐらいは、退職や転勤でいなくなってるからね」
 ヒロシは、おかずのハンバーグをほおばりながら答えた。
「あら、蟹沢先生、お辞めになるの?」
 台所でおつゆをよそっていたおかあさんが、口をはさんだ。
「そうなんだよ。今度の終業式でおしまいだって」
「はい、おつゆ」
 おかあさんが、おわんを二人に渡した。今日のおつゆはけんちん汁だった。おいしそうなゆげをたてている。
「あの先生は、ほんとにユニークだったわね。私たちの中学では国語を教えているけど、英語の先生の資格も持っているし、大学ではフランス文学を専攻していたんだって」
 姉貴は、なつかしそうに話していた。
「へえ、ほんと。そりゃ、初耳だな」
 ヒロシは、たんなる国語の先生としての姿しか知らなかった。
「そうだっ。あの先生、酔っ払うとフランス国歌を歌うんだってさ。たしか『ラ・マルセイエーズ』って、いったよね。それも、すごい音痴でさ。聞いた人に必ず笑われちゃうんだけど、こりずにいつも歌うんだって」
 姉貴は笑いながらいった
「姉貴も聞いたことあるのか?」
 ヒロシは、興味をひかれて聞き返した 
「ううん、聞いたことない。だけど、あの先生のクラスだった子が、この前、クラス会で聞いたって言ってたよ」
「ふーん」
「『ラ・マルセイエーズ』って、どんなメロディだっけ?」
 おかあさんが、また口をはさんだ。
「えっ?」
 姉貴もしばらく考えているようだったけれど、思い出せないみたいだ。
(どんなだったろう?)
 アメリカの国歌だったら、覚えている。「星条旗よ、永遠に」だ。メジャーリーグの中継を見たりするときに、唄われるのを聞いたことがある。
 でも、フランス国歌は、あまり聞いたことがない。けっきょく、家族三人、だれもそのメロディを思い出せなかった。
 ヒロシにとって、蟹沢先生は大の苦手だった。
 色黒でひげがすごく濃い。黒ぶちのめがねをかけていて、背はヒロシよりも低いくらいだ。いつも皮肉っぽい笑いを口の端に浮かべている。
 生徒たちを、自分でつけたあだ名で呼ぶ。しかも、そのあだ名が特徴をすごくうまくつかまえているのだ。だから、友だちや他の先生までが使うようになってしまう。
 ヒロシは、姉貴が二人も同じ中学を卒業している。それで、入学したとき、真っ先にあだ名をつけられてしまった。
「おい、山村。おまえのねえさんたちは、できが良くて美人だったけど、おまえはチョコマカ落ち着きがないなあ。コロコロ太っていて、ぜんぜんねえさんたちに似てないなあ。似てるといやあ、タヌキだな。そうだ。おまえ、タヌキってあだ名がいいかもな。いやゴロが悪いから、ポンポコにしよう」
 以来、学校では、ヒロシのことを本名で呼ぶものはいない。女の子たちまでが、「ポンポコ君」なんていう。男子は、「ポンポコ」とか、「山ポン」と呼びすてだ。

 翌日の昼休みも、ヒロシはいつものようにクラスの連中とだべっていた。蟹沢先生の話を持ち出したのは、星野だった。
「カニ先の授業も、あと二、三回で終わりだなあ」
「うん、あいつも変わったやつだったよな」
 ヒロシは、カッターで消しゴムをきざみながらいった。
「カニ先には、いつもやられっぱなしだったな」
 ヒロシの前の席で、いすに横向きに座っていた吉村が言った。蟹沢先生のあだ名や皮肉の餌食になったのは、ヒロシだけではなかったのだ。
「でも、あれでけっこう憎めない所もあるんだよなあ」
 星野が、意外にもしみじみとした声を出した。
「でも、一度でいいから、カニ先にひと泡ふかしてやりたかったな」
 吉村が残念そうに言った。
「カニだからか?」
 吉村は、あげ足を取った星野のボディーに、軽くパンチを入れた。
 ヒロシが、「ラ・マルセイエーズ」の件を思い出したのはその時だ。
「えっ。あいつ、『ラ・マルセイエーズ』なんか歌うのか」
 ヒロシの話が終わると、星野がおもしろそうに言った。
「クラスで、歌わしてやりたいなあ」
 吉村がそう言うと、他の連中も乗り気になってきた。
「ただ歌わすだけじゃ、おもしろくないよ。なんか、趣向をこらしてさ、カニ先をギャフンと言わしてやりたいな」
 ヒロシがそう言ってみんなの賛同を得た時、昼休み終了のチャイムが鳴った。

ヒロシは、授業中もこのことを考え続けていた。こういうことにかけるヒロシの情熱は、本当にたいしたものだ。
 その日の放課後に、もう一度、みんなを集めて相談した結果、つぎのような手はずになった。
 ①授業の最後に、ヒロシが「ラ・マルセイエーズ」を歌ってくれるように先生に頼む。
 ②先生が断ったら、クラス全員で「ラ・マルセイエーズ」を連呼して要求する。
 ③先生が引き受けて、最初の一小節を歌ったら、一列目が笑う。次の小節では二列目が、以下順番に各列が笑い、最後にみんなで大笑いする。
 どうしても先生が引き受けなかったり、途中で怒り出したりしたら、みんなで「ラ・マルセイエーズ」を合唱する。そうすれば、悪意からではないことが、わかってもらえるはずだ。
ヒロシたち二年三組での蟹沢先生の最終授業は、三月二十二日。あと一週間しかない。クラスのみんなへの根回しもいるし、当日の用意も必要だ。大急ぎで準備しなければならない。

 その日の放課後、ヒロシは、星野と一緒に、区立図書館の視聴覚ライブラリーへ出かけて行った。もちろん、「ラ・マルセイエーズ」のCDを借りるためだ。
 そこのライブラリーは充実しているので、ヒロシは、時々、好きなJポップのCDや外国映画のDVDを借りている。
 でも、今日はそんなひまはない。
「どこを探せばいいかなあ?」
 ヒロシは、あたりをキョロキョロながめながら、星野に聞いた。
「国歌のコーナーってないか?」
 星野も、あたりを見回している。
「そんなのあるはずないよ」
 ヒロシは、あきれたように星野の顔を見た。
「じゃあ、クラシックだな」
 星野が自信ありげに言った。
 「ラ・マルセイエーズ」のCDは、予想どおりにクラシックのコーナーで見つかった。
 しかし、残念ながら歌詞がついていない。インストルメンタルなのだ。
「クソーッ。これじゃだめだ」
 ヒロシがそのCDを棚に戻そうとした時、星野があわてておしとどめた。
「待てよ。カニ先が歌ったりさ、おれたちが歌ったりする時に、バックに使えるじゃないか」
「あっ、そうか」
 結局、「ラ・マルセイエーズ」が入っているフランスの合唱団のCDを見つけるのには、それから三十分近くもかかってしまった。

 図書館の帰りに、ヒロシは、駅の前で星野と別れた。ヒロシは、となりの区から電車通学をしているのだ。
 ホームで電車を待っていると、まるで待ち合わせでもしていたかのように、蟹沢先生がやってきた。
「おい、ポンポコ。なにやってんだ、こんな遅くに」
 先生は、めざとくヒロシを見つけると、いつものように大声で言った。
「こんちは。ちょっと図書館に行ってたもんで」
 ヒロシはそう言うと、手にさげていたCDの入ったビニール袋を、持ち上げてみせた。
(まさか、この中身が『ラ・マルセイエーズ』だとは思うまい)
「そうか」
 先生は、納得したようすでうなずいた。
 さいわい、すぐに電車がホームに入ってきたので、先生は、それ以上話しかけてこなかった。
 ヒロシは、電車に乗るとドアのそばに立って、反対側の席に腰をおろしている先生を横目で見ていた。
 古ぼけた三つ揃いの背広に、大きな黒カバン。おまけに、灰色のソフト帽までかぶっている。
 今どき、こんなかっこうをしている中学教師なんて、東京広しといえども他にはいまい。
 しかも、先生は一年中同じ格好をしていた。くそ暑い夏の日にも、きちんと背広を着て、汗だくで歩いている。それを生徒たち、それに若い先生たちまでが、笑いの種にしていた。学校新聞に、「U中学の七不思議」のひとつとして、「蟹沢先生のスリーピースとソフト帽」は、取り上げられたくらいなのだ。
 でも、ヒロシだけは、なぜいつも先生がそんな格好をしているかを知っていた。

 一年生の二学期のことだった。
 ある日、ヒロシは、駅員に不正乗車の疑いをかけられたことがあった。
ピンポーン。
自動改札機のチャイムが鳴って、ヒロシの目の前で扉が閉まった。
(チッ)
 仕方がないので、端にある駅員のいるレーンへ行って、定期券を見せて出ようとした。
 めがねをかけた若い駅員は、定期を持ったヒロシの腕をつかんで言った。
「おい、期限が一週間も過ぎてるぞ」
「えっ」
 ヒロシがあわてて定期を見ると、期日は十月五日までだった。今日はもう十二日だ。
「うっかり……。」
 ヒロシが言いかけると、
「ちょっと、そこで待ってろ」
 駅員はそう言って、続いてやってきた他の乗客をさばき始めた。
 その後で、ヒロシは駅員と押し問答を繰り返した。昨日まで、どのように改札を通過したのだというのだ。そんなこと言ってもヒロシにもなぜ期限切れの定期で追加できたのかはわからない。ヒロシがいくら弁解しても、駅員は聞き入れてくれない。何か不正な方法で通過したのだろうというのだ。そして、ペナルティーとして、超過した期間の通常料金の三倍を払えとの、一点張りなのだ。ヒロシがその時持っていたお金では、とても足りなかった。
「山村、どうした?」
 振り向くと、改札口に蟹沢先生が立っていた。いつのまにか、次の電車が到着していたのだ。
「失礼ですが、わたしは、この子の学校の教師ですが」
 先生は、ていねいにソフトをぬいで、駅員に話しかけた。先生のしらが頭はかなり薄くなっていたが、きちんと刈りそろえられている。この時ばかりは、ヒロシの目にも、先生はおしもおされぬ「紳士」に見えた。
 駅員も、ちょっと圧倒されたような顔をしていた。それでも、駅員は、事情を説明し始めた。さっきとはうってかわって、ていねいな口調だった。
「そうですか。山村はうっかりしたと言っているんですか」
 そう言うと、先生は、ヒロシの顔を確かめるようにみつめた。
「彼の言葉は、わたしが保証します。この子は、うそをつくような子じゃない」
「しかし、……」
 駅員が、言い返そうとした。
「それに、うっかりしたのは、この子だけではない。自動改札機もあなたたちも、今まで気づかなかったんじゃないですか?」
 先生にこう言われると、駅員は黙ってしまった。先生は、さいふを取り出して一回分の正規の料金だけを払うと、ヒロシを連れてさっさと改札口を抜けていった。

 翌日、ヒロシは、昨日のお金を返しに職員室へいった。
「蟹沢先生をお願いします」
 入り口近くにいた先生に声をかけていると、
「おーい、ポンポコ、こっちだ」
 向こうから、蟹沢先生が手を振っている。
「ありがとうございました」
 ヒロシがお金を返すと、先生はこう言った。
「ポンポコ。昨日、なんであの駅員が、おれの言葉を信用したと思う?」
 ヒロシがどう答えたらいいかわからずに黙っていると、先生はすぐに話を続けた。
「外見なんだよ。見た目ってやつ。中学生の言葉は信じられなくても、きちんとした身なりの大人の言うことならば信じてしまう」
 先生は、そこでちょっと言葉を切った。
 でも、また話を続けた。
「でもなあ、人間って、案外そんなとこあるのかもしれないなあ」
 先生は、少し照れたように笑っていた。
「だから、このみかけだおしのかっこうも、たまには役立つってわけだ」
 先生はそう言って、背広のえりに両手の親指をかけて、おどけてみせた。

「馬鹿みたい。こんなのやめときなよ」
 ヒロシの説明が終わると、片柳さんが真っ先に反対した。大人びた顔に、馬鹿にしたようなうす笑いを浮かべている。
 ヒロシと星野は、「ラ・マルセイエーズ」の計画について、クラスの中心的な女の子たちにも協力を求めていたのだ。すでに男子たちには根回し済みで、他のクラスや先生たちにばれないように、星野がかん口令をしいてある
「そうね。お年寄りを笑うなんてかわいそうよ」
 そう言ったのは、クラス委員の竹田さんだ。
(ちぇっ。ブリッ子してら)
 ヒロシは心の中でそう思っていたが、もちろん口には出さない。そして、けんめいにもう一度計画を説明した。星野は、そんなヒロシと女の子たちを見較べながら、ニヤニヤしている。
「でも、ちょっと面白いかもね」
「うん、最後はハッピーエンドなんだし」
 何人かの女の子たちは、興味を持ってくれたらしく、賛成しそうな雰囲気になってきた。竹田さんも迷っているようだ。ヒロシは、期待をこめて片柳さんの顔をみつめた。
「しらけるなあ。まるで小学生みたいじゃない」
 片柳さんはそう言い放つと、さっさと教室から出て行ってしまった。すると、賛成しかかっていた子たちまでが、前言を翻して反対にまわったので、ヒロシはすっかりがっかりさせられた。
 星野はそんな様子をながめながら、相変わらずニヤニヤしているだけだった。

 その晩の九時過ぎに、ヒロシに星野から電話がかかってきた。
「オーケー、山ポン。話はつけたよ」
「何の?」
 ヒロシが聞き返すと、
「もちろん、『ラ・マルセイエーズ』のさ」
と、星野は、少しじれったそうに言った。
「えっ、女の子たちとか?」
 ヒロシは、びっくりして答えた。
「鈍いな。まだ、片柳さんとだけだよ。彼女さえOKなら、後はだいじょうぶ。みんなに話をつけといてくれるから」
「そうか、やったな」
 ヒロシはホッとしていた。どうやって女の子たちを説得したらよいか、ヒロシには見当もつかなかったからだ。
「でも、先生を笑うのはいやだってさ。合唱は協力するけどな」
「いいよ、いいよ。それだけで。告げ口したり、じゃましたりしなけりゃ、それでいいよ」
「それは絶対に保証するよ」
「でも、どうやって片柳さんを説得したんだ?」
 ヒロシは、不思議そうにたずねた。彼女は、学校ではあんなに強く反対していたのに。
 すると、星野は一段と大人びた口調で言った。
「山ポン。それは企業秘密ってやつだよ」
「えっ?」
 星野が笑いながら電話を切った時になって、やっとヒロシにも、星野と片柳さんの関係がピンときた。

 その後は、準備は着々と進んだ。
大学では、一応フランス語を習っていることになっている姉貴が、調べてくれた発音をカタカナで書いた訳詞付きの歌詞カードは、片柳さんが人数分のコピーをとってくれた。彼女は、前とはうってかわって協力的だった。
 先生にプレゼントする「ラ・マルセイエーズ」をダビングしたCDは、凱旋門のカードとリボンで、きれいに飾られている。放課後にひそかに開いた合唱練習にも、クラスのほとんどが参加してくれていた。

 いよいよ三月二十二日がきた。国語の授業は四時限目。もう学校は半日授業になっているので、これがその日の最後の授業だった。
 蟹沢先生は、他のクラスでも、最後のあいさつをしたり、プレゼントを受け取ったりしているとの情報が、ヒロシたちに入ってきていた。
 四時限目になった。
 蟹沢先生は、いつもと少しも変わりなく授業をすすめている。相変わらずの皮肉っぽいしゃべり方で、一年間の授業内容を総括していく。
 ヒロシは、授業に全然身が入らなかった。他のクラスの連中も、うわべはそしらぬ顔でまじめに聞いているふりをしているが、たぶん同じ気持ちだったに違いない。
 終了五分前になった時、先生は授業を終わらせた。
「みんな、もうすでに聞いていると思うけど、私は、二十五日の終業式を最後に、退職することになりました」
 先生は緊張をごまかすように、照れ笑いを浮かべながら言った。
 クラスのみんなが、いっせいにヒロシの方へ目くばせしてくる。
 ヒロシは、先生のあいさつが終わると、すぐに席を立った。
「先生、お願いがあります。最後に、先生の得意の『ラ・マルセイエーズ』を、聞かせてくれませんか?」
 先生は、ちょっととまどったような顔をしていた。
「『ラ・マルセイエーズ』か。ポンポコ、ねえさんから聞いたな」
「ええ。ぜひお聞きしたいんですが」
「おれはへたなんだよ、歌が。音痴なんだ」
「そこをなんとか」
 はじめは数人が、そして、しだいにクラス全体が、
「ラ・マルセイエーズ」
「ラ・マルセイエーズ」
と、叫びだした。机をがたがたさせたり、足を踏みならす者もいる。
「わかった、わかった。まあ最後だからな。みんなは知らないだろうけれど、『カサブランカ』っていう戦後すぐにヒットした映画の中で、フランス人たちが、ドイツ軍人に対抗して、この歌を歌うシーンがあってね。そのころの若い人は、みんなその映画に感動したんだそうだ。先生は、そういう古い映画が好きなもんでね」
話し終わると、蟹沢先生は、間をおかずにいきなり歌い出した。
「アロナファンドゥラパトリィー、ルジュドゥグラエーアリヴェ!
  (たて祖国の若者たち、栄光の日は来た。)        」
 星野が、あわててCDラジカセのスイッチを入れる。少しひずんだ「ラ・マルセイエーズ」のメロディーが流れ出した。
 先生の歌は、まったくへたくそだった。ヒロシが想像していたよりも、数倍へたなのだ。音程もリズムもめちゃくちゃだった。CDの演奏にもまったく合っていない。
 でも、先生は体中に力をこめて、いっしょけんめいに歌っていた。
 最初の一小節が終わった時、最前列の数人が笑いかけた。
 しかし、それは、打ち合わせどおりのそろった笑い声にはならなかった。
 二小節目が終わった時には、もう誰ひとり笑う者はなく、みんなは、黙って蟹沢先生をみつめていた。
 先生は、黒ぶちめがねの奥にある、ギョロリとした目にいっぱいの涙をためて、一心に歌っていた。からだを前後に揺さぶりながら、大きな声で歌い続ける。
「マルション! マルション! クンサナンピュー、アブルヴノショーン!」
 最後まで歌い終わると、先生は、何も言わずに教室を出て行った。クラスのみんなは、黙ってその後ろ姿を見送っていた。
 と、その時、片柳さんが小さな声で歌い出した。
「アロナファンドゥラパトリィー……。」
 それにつれて、クラス全員が「ラ・マルセイエーズ」を歌い始めた。ヒロシは、プレゼントのCDをつかむと、廊下へ飛び出していった。




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佐藤宗子「「モダン」と「ファンタジー」――理念の形成とずれ――」日本児童文学1991年6月号所収

2020-04-18 09:41:09 | 参考文献
 著者は、「「ファンタジー」を語り、考えることは、「近代」において「子ども」観が、さらに「児童文学」が成立したとみるときの「近代」を、どのように評価するか、或いは、近代日本児童文学を批判したときの「現代」が、どのようなものをめざしていたのか、といった基本的な見直しを促す」としています。
 この論文では、「「近代」と「現代」――つまりは「モダン」と「ファンタジー」の関係を問う」ために、いくつかのエッセイ、評論を紹介しています。
 石井桃子「子どもから学ぶこと」(「母の友」1959年12月号所収)では、佐藤さとるの「だれも知らない小さな国」が「筋」とは無関係なところが多く、「語り」に向いていないことが批判されています。
 そこから、「現代児童文学」の出発期に、「ファンタジー」は、「筋」や「語り」の場を重視した「まえがみ太郎」や「ちびっこカムのぼうけん」などの作品と、非日常的な出会いまでのある程度長い経過と描写の緻密さを特徴とするフィリパ・ピアス「トムは真夜中の庭で」や佐藤さとる「だれも知らない小さな国」のような作品の、「二つの「近代」の出発をしたのではないか」と、佐藤は述べています。
 瀬田貞二「空想物語が必要なこと」(「日本児童文学」1958年7・8月号所収)では、「ファンタジー」の理念について、「空想物語が合理性を持つということ」「空想物語には特別な能力が要ること」「空想物語は不可欠なものであること」の三点を指摘しています。
 安藤美紀夫の「『だれも知らない小さな国』について――読書感想文的覚え書き」(『現代日本児童文学作品論』<『日本児童文学』臨時増刊>1973年8月、その記事を参照してください)では、「日本の子どもにとっての典型的な人物がいない」、「「日常的世界」は、「家庭を中心とした家計簿のとどく範囲の世界」であり、それを「こちら側の世界とするファンタジー」を、「家庭のファンタジー」と呼ぶ。」また、それは、「主として安定した中産階級を基盤にすえたファンタジー」といえる」と、述べています。
 小沢正の「ファンタジーの死滅」(『日本児童文学』1966年5月号所収、その記事を参照してください)については、「ここでは、「子ども」観も「ファンタジー」の発生も、「近代の輝かしい成果という見方はとられない。社会による「子ども」の尊重も、「子ども」の世界の発見も、必要に迫られておこったともいえるから、である。」と、著者は述べています。
 著者は、これらの四半世紀前(現時点からは五、六十年前)のエッセイ、評論が<伝達>への信頼に根差していると指摘しています。
 これは、「「現代児童文学」をふり返る――<成長>への期待と<伝達>への信頼、そしてパラダイムの崩壊――」(『日中児童文学シンポジウム報告書』所収、その記事を参照してください)で著者が提示した以下の見取り図に基づいています。
「「現代児童文学」の出発期に、<成長>への期待と、<伝達>への信頼とが確立し、そのパラダイムが七〇年代、八〇年代と崩壊していく」
 そして、著者は、<伝達>の呪縛から解放された「ファンタジー」が議論されることを期待してこの論文を終えています。
 この論文が書かれてから三〇年近くが経過しましたが、著者の期待通りには「ファンタジー」の議論は進んでおらず、相変わらず児童文学市場には毒にも薬もならない安直なファンタジーがあふれています。

「現代児童文学」をふりかえる (日本児童文化史叢書)
クリエーター情報なし
久山社
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