現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

安藤美紀夫「風の十字路」

2020-04-06 09:45:05 | 作品論
 冒頭で、いきなり中学二年生で十三歳の耕造が、マンションから落ちて死んだところからこの作品は始まります。
 少年の自殺、少女の家出、初潮、非行化、難病など、子どもたちを取り巻くさまざまな問題を扱った作品として、1982年の出版時に話題になった作品です。
 1978年ごろから、こうした従来日本の児童文学では取り上げられなかった題材を描いた作品が、「タブーの崩壊」(関連する記事を参照してください)と呼ばれて、研究者や評論家の間で注目されていたので、その一人である作者の、実作における表現だったのでしょう。
 耕造の幼馴染の亮、小枝子、貴子、千春のそれぞれのその後の姿を通して、子どもたちが現代を生きていく苦しさを描こうとしています。
 父の突然の死、それによって始めた水商売に染まっていく母親に反発して、非行化した元優等生でスポーツマンの亮。
 非行の描き方が型にはまっていて、当時よりさらに一昔前の日活映画でも見るような感じがしました。
 裕福な家庭で育ち、「いい子」でいることに息苦しさにプチ家出(京都に新幹線で行って駅前の京都ホテルに一泊しただけで、しかもそのことを伯父には知らせています)をした小枝子。
 彼女を描く小道具にヘルマン・ヘッセの「車輪の下」の文庫本(執筆当時に安藤の周辺にいたポンジョ(日本女子大学)の文学少女のお嬢さんたちならいざ知らす、一般の読者にはこれがエリートの重圧の比喩だということは当時でもわからなかったでしょう)やグレン・ミラー楽団の「真珠の首飾り」を使うのは古めかしすぎます。
 複雑な家庭に育ち、耕造から遺書をあずかる貴子。
 遺書を預かって耕造の飛び降りるのを体験してからの彼女の行動は、妙に思わせぶりで不可解です。
 筋ジストロフィーにおかされて入院している千春。
 生きたくても長く生きられないと描かれている千春の存在によって、簡単に選んだ耕造の死の軽さを際立たせようとしているのでしょうが、かなりわざとらしい印象を受けます。
 遺書から、耕造は不良グループに暴力をふるわれたり、たかられたりし、逆に他の子からは自分がカツアゲをしていたことから、生きていくことが嫌になったのだということがわかります。
 ラストでは、耕造の死を乗り越えてこれからも生きていこうとする子どもたちの姿が、妙に明るく暗示されています。
 作品には、子どもたちとの同時代性をあらわすために当時の風俗も出てくるのですが、どうもちぐはぐです。
 例えば、キックボクシングのテレビ中継をまねするシーンがありますが、キックボクシングがテレビ中継されていたのは1970年代前半までです。
 また、「がんばれ、タブチくん」にちなんだあだ名を持つ図書館司書が出できますが、これは時代的にはだいたい合ってはいるもののテレビ・アニメ(実際は四コマ漫画とアニメ映画だけでテレビ・アニメではない)と書かれていたりします。
 どうも作者がよく知らない子どもたちの風俗を、無理して作品に取り込んでいる感じがします。
 このあたりから、それまでの現代児童文学の主な書き手(安東美紀夫、古田足日、山中恒、大石真など)が子どもたちの親の年齢あるいはそれ以上に達して、子どもたちの実像をつかめなくなってきていたのかもしれません。
 それにつれて、「現代児童文学」は1980年代に入ってから、行き詰まりを見せ始めます。
 そのため、「現代児童文学」の担い手だった上記のある者は「エンターテインメント」に向かい、またある者は研究者や翻訳家に向かうようになります。
 「現代児童文学」の終焉は、もうすぐそこまで来ていたのかもしれません。

風の十字路 (旺文社創作児童文学)
クリエーター情報なし
旺文社



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