現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

J.D.サリンジャー「笑い男」九つの物語所収

2024-05-13 09:08:02 | 作品論

 主人公の少年にとっては、おそらく子ども時代におけるもっともショッキングな一日だったことでしょう。
 なぜなら、敬愛するコマンチ・クラブの団長と、美人で魅力的なガールフレンドとの関係が破局を迎え、同時に数か月にわたってコマンチ・クラブのメンバーに団長が語ってくれていた、オリジナルの連続冒険活劇の主人公、世界一の盗賊「笑い男」が死んで、お話が突然終わってしまったからです。
 この短編の中に、サリンジャーは自分が好きな(そして、私も含めてほとんどすべての男の子も好きな)ものをギュッと一つにまとめています。
 まず、コマンチ・クラブです。
 団長(ニューヨーク大学で法律を勉強している22歳か23歳ぐらいの学生)が、アルバイトとして親たちから報酬をもらって、放課後や週末に、二十五人の男の子たちを改造したオンボロバスに乗せて、セントラルパークなどの公園に連れて行いって、野球やアメリカン・フットボールをやらせたり、デイキャンプをしたりしてくれます。
 もちろん、雨の日には、自然博物館やメトロポリタン美術館(カニグズバーグがクローディアの家出先に選んだことで、児童文学の世界では非常に有名な場所です)へ連れて行ってくれます。
 この子どもたちの遊び相手という設定は、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(その記事を参照してください)の主人公のホールデン・コールフィールドの「僕がほんとうになりたいもの」とピタリと重なります。
 そして、それは、私自身の「僕がほんとうになりたいもの」でもあります。
 三十年以上も前に、今は亡き児童文学作家の廣越たかしの家で行われた同人誌の忘年会(私が今までに参加した忘年会で一番楽しいものでした)で、「本当になりたいもの」を問われて、「遊びだけの塾の先生」と答えたことが今でも記憶に残っています。
 次に、団長です。
 アメリカン・フットボールではオールアメリカンの最優秀タックル(と、コマンチ団のメンバーは固く信じています)で、野球ではニューヨーク・ジャイアンツから誘われている(と、コマンチ団のメンバーは固く信じています)スポーツマンで、スポーツの試合の公正で冷静な審判で、キャンプファイヤーの火付けと火消しの名人で、彼らから見るとすごくかっこいい(実際は、がっしりしているけれど背が低くて、ルックスもイマイチのようです)「男の中の男」(サリンジャーはこうした男たちが大好きで、「ソフト・ボイルド派の曹長」(その記事を参照してください)も同タイプです。サリンジャー自身はハンサムで背が高く、ホールデン・コールフィールドと同様に女の子たちにもてたみたいなので、見かけだけに魅かれて言い寄ってくる内容のない女の子たちにうんざりしていたのかもしれません)。
 そして、団長のガールフレンドです。
 少なくとも、主人公がその後大人になるまでの間に出会った中ではベスト3に入る美人(団長の時に書いたことと矛盾していますね)で、コマンチ団と一緒に野球をした時に驚異的な長打率を記録して彼ら全員を魅了し、外見はパッとしない団長の魅力もちゃんと理解している女性です(それでも、二人が破局を迎えたのは、おそらく団長の極端に内気でおとなしい性格が災いしたのでしょう)。
 最後に、「劇中劇」ならぬ「物語中の物語」である「笑い男」には、当時の男の子たち(実際は今の男の子たちも同様です)を魅了するあらゆる要素(子どもの時に誘拐されてその顔を見ると死をまねくほど醜く改造されてしまった主人公、彼をさらったシナ人の匪賊(時代が時代だけに差別的表現をお許しください)、宿敵のフランス人の刑事とその娘の男装の麗人(当時の連続活劇映画では、洋の東西を問わずに欠かせないキャラクターです)、忠実な部下たち(斑ら狼、小人、モンゴル人の大男、目が覚めるようなヨーロッパ人とアジア人の混血娘)(これらの表現も現代から見れば、白人中心主義的で差別的ですがお許しください)、そして、残酷で美しいどんでん返しの数々)が含まれています。
 これらのすべてが一日で失われてしまったのですから、主人公が「歯の根も合わぬほど震えながらうちへ帰り、まっすぐ寝床にはいるようにと言われた」のも、まったく無理のないことなのです。

 

 

 


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