現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

小川未明「港についた黒んぼ」講談社版少年少女世界文学全集49現代日本童話集所収

2020-04-11 18:37:35 | 作品論
 1000作以上あると言われる作者の代表作の一つです。
 題名からしてすでにそうなのですが、「黒んぼ」「めくら」「こじき」などが、使われていますが、100年近く前の1921年(大正10年)に書かれた作品なので、割り引いて考える必要があります。
 港で芸を見せて生活している10才(数え年です)くらいのよわよわしい弟と、十六、七才くらいの美しい姉が、わずかな行き違いから、一生離れ離れになる様子を、非常に叙情的に美しく描いています。
 未明自身は、大人たちから搾取されているこうした子どもたちに、非常に同情的な立場で創作していますが、その表現法が象徴的で、将来への具体性を持たなかったことが、このブログの表題でもある「現代児童文学」者たちから、激しく批判されました(関連する記事を参照してください)。
 こうした近代童話批判の議論は1950年代に行われ、その成果が佐藤さとる「だれも知らない小さな国」やいぬいとみこ「木かげの家の小人たち」といった長編ファンタジーに結実した1959年を現代児童文学の出発点とするのが一般的です(私自身は、それより早い1953年とする立場ですが、詳しくは関連する記事を参照してください)。
 この本(講談社版少年少女世界文学全集49現代日本童話集)は1962年の発行され、未明はその前年にお亡くなりになっているのですが、当時の未明作品の日本の児童文学界におけるポジションはまだ大きかったようです。
 この本に作品が二編収録されているのは、宮沢賢治、浜田廣介、坪田譲治、酒井朝彦の四名だけです。
 勉強不足で酒井朝彦についてはあまり知らないのですが、ご存知のように、他の三人のうち賢治については言うまでもありませんが、他の二人も未明と並んで「三種の神器」と呼ばれていた大家です。
 そして、三編収録されているのは、未明ただ一人です。
 あの「子どもと文学」(関連する記事を参照してください)で、「三種の神器」よりも高く評価された千葉省三も、新美南吉も、収録されたのは一編だけなのです。
 しかし、収録された作品は、より象徴性の高い作品である「赤いろうそくと人魚」や「牛女」や金の輪」などと比べると、まだ現代児童文学に近い作品なので、そのあたりにはある種の妥協があったのかもしれません。
 さて、この作品は、その叙情性ばかりではなく、作品の舞台や登場人物が無国籍風であることや、表現が形容詞を多用した美しいがオリジナリティには乏しい点など、一見、児童文学創作の初心者(私自身も学生時代に同様の作品を書いたことがあります)が書いた作品のようです。
 しかし、じっくり読み直してみると、その一見没個性に見える平易な文章で紡ぎあげられた作品全体の美しさや格調の高さは、やはり凡人には真似のできないものです。
 それらは、他の記事にも繰り返し書いた「童話的資質」に、未明は非常に恵まれていたとしか言いようがありません。
 こうした作品を、六十年近く前に小学校低学年だった私が読み取れるはずもなく、ほとんど印象に残らなかったことを告白せざるを得ません。
 しかし、弁明させてもらえば、それは私だけではなかったのです。
 この本には、巻末に読書指導のページがあるのですが、そこでの人気投票(小学校六年生による)でも、未明の作品はベスト10に一編も入っていません。
 第一位は宮沢賢治の「注文の多い料理店」(その記事を参照してください)で、巌谷小波も新美南吉も千葉省三もベスト10に入っているのに、未明だけでなく浜田廣介も坪田譲治も一編も入っていないのが象徴的です。
 やはり、未明の象徴童話は、子ども読者には難しすぎるのかもしれません。
 このブログで繰り返し述べているように、現在の児童文学は大人も含めた女性向けの文学(いわゆるL文学)に変貌しているので、センスのいい女性編集者が優れた女性イラストレーターと組んでプロデュースすれば、未明童話は復権するかもしれません。



 

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夏目漱石「坊ちゃん」

2020-04-11 16:56:01 | 参考文献
 児童文学の世界でよく言われる言葉に、「日本の児童文学は一人のトム・ソーヤーも生み出せなかった」というのがあります。
 つまり、その時代を代表するような魅力的な子ども像が、日本の児童文学では一人も描かれなかったことを意味します。
 これは、1950年代に現代児童文学がスタートするときに、小川未明らの近代童話を批判するときの常とう句でしたが、私はその現代児童文学もまた、一人のトム・ソーヤーを生み出せなかったと思っています。
 その一方で、狭義の児童文学では確かにそうですが、範囲を日本文学全体に広げれば一人だけいると思っています
 それが、「坊ちゃん」です。
 彼は二十三才という設定ですが、これは数えの年齢なので、満年齢で言えば二十一歳ぐらい(今で言えば大学生ぐらい)でしょう。
 それに、冒頭に子ども時代の思い出も語られていますので、児童文学のヤングアダルト物にあたります。
 また、漱石の他の作品より平易な文章で大衆向けに書かれているので、今ならエンターテインメント作品です。
 坊ちゃんだけでなく、赤シャツにしろ、野だいこにしろ、山嵐にしろ、キャラクターがたっている点からいっても、現代でも十分に通用するエンターテインメント的要素を備えています。
 久しぶりに読み返してみても、百年以上も前に書かれた作品とは思えないほど生き生きとしていて、少しも古びていません。
 もちろん、軍国的だったり、差別用語がつかわれていたり、天誅という名の暴力が肯定されたりなど、現代にはそぐわない点もありますが、それらは日露戦争当時の明治時代という歴史背景を考慮しなければなりません。
 狭義の児童文学の世界に閉じこもっている今の日本の児童文学界ではあまり議論されないでしょうが、「日本のトム・ソーヤー」をうんぬんするよりは、「第二の坊ちゃん」をいかにして生み出すかを考える方がずっと建設的だと思います。

坊っちゃん (新潮文庫)
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小川未明「赤い船」赤い船所収

2020-04-11 16:52:36 | 作品論
 「赤い船」は、明治43年(1910年)12月15日に刊行された小川未明のお伽噺集です。
 同名の短編は、児童文学研究者の猪熊葉子(その記事を参照してください)によると、日本のお伽噺の第一人者であった巌谷小波が、将来の少年文学(児童文学と同義と考えていただいて結構です)が目指すべきであるとした「詩的お伽噺」または「情的お伽噺」を、初めて実現したとされる作品集の表題作にして巻頭作です。
 現在の児童文学を読みなれた目で眺めてみると、ストーリーらしいものはいっさいなく、主人公の少女の、外国や音楽を憧れる気持ちを、平易な美しい文章(今の感覚ではバカテイネイすぎるように感じられますが)で綴った小品です。
 しかし、昔話や講談のようなものしかなかった当時のお伽噺の中では、その時代の日本の子どもの気持ち(未明は本のまえがきで、「私が子供の時分描いた空想」「子どもの胸に宿れる自然の真情」と書いています)を描いた画期的なものだったようです。
 未明がここに描いたような子ども像は、1950年代に当時新しい児童文学(狭義の「現代児童文学」(定義は他の記事を参照してください))を主張していた人たち(主なグループだった、古田足日たち「少年文学宣言」(その記事を参照してください)派と石井桃子たち「子どもと文学」(その記事を参照してください)派の両方)から、たんなる観念に過ぎず「現実の子どもではない」と、激しく批判されました(詳しくは関連する他の記事を参照してください)。
 しかし、彼らが言う「現実の子ども」もまた一つの概念に過ぎないことが、1980年に柄谷行人の「児童の発見」(その記事を参照してください)で批判されて、現在ではどちらの子ども像も、よって立つところが違うだけで等しく観念であると考えるのが一般的です。

赤い船 おとぎばなし集
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大石真「風信器」大石真児童文学全集1所収

2020-04-11 16:48:13 | 参考文献
 1953年9月の童苑9号(早大童話会20周年記念号)に発表され、その年の日本児童文学者協会新人賞を受賞しています。
 ちょうどその年に、早大童話会の後輩たち(古田足日、鳥越信、神宮輝夫、山中恒など)が少年文学宣言(正確には「少年文学の旗の下に!」、詳しくはその記事を参照してください)を発表し、それまでの「近代童話」を批判して、「現代児童文学」を確立する原動力になった論争がスタートしています。
 この作品は、その中で彼らに否定されたジャンルのひとつである「生活童話」に属していると思われます。
 ここでは、近代的不幸のひとつである「貧困」(高度成長期を経ていったんは克服された「貧困」は、21世紀になって格差社会による不幸として、再び現代の子どもたちを苦しめています)が、弘という少年がお昼の弁当を持ってくることができずに、水だけでがまんしたり、他の子の弁当を盗んだりしていたことにより、描かれています。
 しかし、主人公の少年は、そのことに対してじっと見守るだけで行動を起こせません。
 やがて、北海道へ去っていく弘のことを思い起こすだけです。
 この二人の少年の暗黙の心のつながりを、「風信器(風向や風力を示す機械で昔の学校には設置されていました)」に象徴させて、いい意味でも悪い意味でも非常に文学的な作品です。
 おそらく1953年当時の児童文学界の主流で、「三種の神器」とまで言われていた小川未明、浜田広介、坪田譲治などの大家たちに、「有望な新人」として当時28歳だった大石は認められたのでしょう。
 「現代児童文学」の立場から言えば、「散文性に乏しい短編」であり、「子どもの読者が不在」で、「変革の意志に欠けている」といった、否定されるべき種類の作品なのかもしれません。
 しかし、大石はその後、より「現代児童文学」的な「教室203号」(その記事を参照してください)や、エンターテインメントの先駆けになる「チョコレート戦争」(その記事を参照してください)などを世に送り出して、「現代児童文学」と「近代童話」の狭間に揺れながら、多彩な作家生活をおくることになります。

大石真児童文学全集 1 風信器
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いぬいとみこ「小川未明」子どもと文学所収

2020-04-11 16:37:31 | 参考文献
 児童文学研究者の石井直人よると「戦後児童文学の批評における最大の書物(「現代児童文学の条件」、その記事を参照してください)」である「子どもと文学」において、「日本の児童文学をふりかえって」に収められた文章です。
 「子どもと文学」のこの章では、小川未明、浜田広介、坪田譲治、宮沢賢治、千葉省三、新見南吉の六人の児童文学作家について、メンバー(石井桃子、いぬいとみこ、鈴木晋一、瀬田貞二、松井直、渡辺茂男)で討議した後で、分担して書いています。
 未明、広介、譲治についてはおおむね否定的に、賢治、省三、南吉については肯定的に評価しています。
 これは、私が子ども時代にこれらの作家を読んだ時の感想と、南吉を除いては一致しています。
 もっとも、私の当時の児童文学の読書体験は、ほぼ講談社の少年少女世界文学全集に限定されていますので、第49巻「現代日本童話集」に入っていた彼らの作品を読んだだけの印象にすぎません。
 17才(高校二年の夏休み)の時に、「子どもと文学」を読んで感銘を受けて児童文学を研究しようと思ったことは他の記事にも書きましたが、それは自分自身の子どものときの読書体験(外国児童文学に偏っていました)と非常にマッチしたせいだと思われます。
 私が児童文学を熱心に読んでいたのは小学生(特に低学年)の時で、中学生になってからは公立図書館で借りる一般文学(梶山李之などのかなりきわどい物も含まれていました)に関心が移っていたので、この本で触れた児童文学の世界はとても懐かしいものでした。
 著者はこの文章の中で、未明の代表作と言われている「赤いろうそくと人魚」を取り上げて、アンデルセンの「人魚姫」やエリナ・ファージョンの「ムギと王さま」と比較して、その文章やストーリーのあいまいさを強く批判しています。
 高校二年生の初読時には著者の意見にほぼ同感だったのですが、今読み直してみると、未明はもともと「わが特異な詩形」としてこの作品を書いたわけで、それを具体性がないと非難するのは、「詩」を「散文的でない」と言っているようなもので、あまりフェアな批評ではなかったと思います。
 また、「子どもと文学」のグループがリリアン・H・スミスの「児童文学論」の影響下にあったことは他の記事で書きましたが、著者のこの文章の書き方は外国児童文学(特に英米児童文学)を基準(彼らの言葉を借りれば、「子どもの文学はおもしろく、はっきりわかりやすく」)に照らして評価しています。
 一応、未明の文学歴をレビューして一定の評価をしながらも、未明や日本の児童文学の歴史的、文化的、社会的背景をあまり考慮しないで、海外の作品を基準として評価しているのは、彼らのグループの限界を示しているようです。
 また、未明のいわゆる「童心」をただの観念だと断罪していますが、著者が繰り返し述べている「真の子ども」「現実の子ども」「生きた子ども」もまた別の観念にすぎないということは、1980年代に入って柄谷行人の「児童の発見」(「日本近代文学の起源」所収、その記事を参照してください)において批判されました。
 たしかに、彼らの「子ども」のイメージは、英米の児童文学に描かれた中流家庭の子ども像に強く影響を受けていると思われます。
 1960年当時の日本の子ども、ましてや未明が代表作を書いた大正期の子どもとは、かなり違っていたように思われます。
 前述の石井直人は1985年に、「児童文学における<成長物語>と<遍歴物語>の二つのタイプについて」(その記事を参照してください)という論文の中で、「遍歴物語の語りに属する<小川未明>のいくつかの作品も、本質的に再評価されていく必然にあるのではないか。」と予言していましたが、「現代児童文学」が終焉して、<児童文学>は、大人にも子どもにも共有される、広義のエンターテインメントの一ジャンルになりつつある」(雑誌「日本児童文学2013年5-6月号」所収の児童文学研究者の佐藤宗子の「一つの終焉、そのあとに」(その記事を参照してください))現在において、未明作品の再評価は現実化しています。


子どもと文学
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事故

2020-04-11 10:33:26 | 作品
「あーあ、けっきょく今年の夏休みは、どこにも行かれなかったなあ」
 隆志はそういうと、ストローの袋をプッと吹き飛ばしてきた。
優(まさる)は、とっさにそれを手で払った。はねかえされた紙袋は、向かい側の席にすわっていた雄太のマックシェ―クの中に飛び込んだ。
「ゴーール。優選手、ナイスシュート」
 隆志はゴールが決まった後のサッカー選手のように、両手を高く差しのべて喜んでいる。
「きったねえなあ」
 雄太はぼやきながら、紙袋をシェークから取り出した。
「おまえって、ほんとにストロベリーしか飲まないんだなあ」
 下半分がきれいなピンク色に染まった紙袋を見て、隆志がいった。
 たしかに雄太は、飲み物はいつもストロベリー一本やりだった。マックだけではない。ロッテリアでも、ケンタでも、サブウェイでもそうだ。吉野家に行った時なんかは、わざわざミニストップでストロベリーのハロハロを買ってきていたほどだった。
 四週間も続いた塾の夏期講習も、いよいよ今日が最終日。
いつも塾へ行く前に、優は、隆志、雄太、そして秀平と昼ごはんを食べている。駅ビルにあるファーストフード店は、とっくにすべて制覇していた。
 うしろの壁にかかった時計が、ようやく十二時をさした。塾が始まるまでには、まだずいぶん余裕がある。
「このあいだの模擬テスト、どうだったあ?」
 それまでだまっていた秀平が、さりげなさそうにたずねた。
 でも、内心は興味津々なのが優にはわかる。
「ぜーんぜん、だめ。数学なんか、ぜーんぶ間違ったかもしれない」
 すぐに隆志が大声で答えた。
(うそつけ)
 優はそう思ったけれど、口には出さなかった。
毎週ある模擬テストで、隆志はこのところぐんぐん成績をのばしている。
 優たちの塾では、模擬テストの成績によって自動的にクラス分けが決まる。一学期までは、隆志は優よりひとつ下のクラスだった。
 でも、今では優と同じ上から二番目のクラスまで上がっていて、さらにトップクラス入りの機会もうかがっている。うわさでは、新しい家庭教師もついたらしい。
「おれもぜんぜんだめ。クラス、おっこちたらどうしよう」
 秀平も顔をしかめていった。
(こいつも、大うそつき)
 秀平は、全国で30教室、3000人以上もいるこの塾でも、つねにトップ50に入っているのだ。胸にはトップクラスの印の金バッチが、これみよがしに光っている。
「おれもさあ、ぜんぜんだめで、またクラスがさがっちゃうよ」
 二人の話につられるように、雄太もいった。
(こいつだけは、馬鹿正直)
 雄太は、夏季講習になってからふたつもランクを落としてしまっている。
今では、下から二番目のクラスに入っていた。このままでは、夏休み明けに行われる父兄面談で、志望校を変更させられることだろう。
 優たち四人は、同じ小学校だった。それまで、特に仲が良かったわけではなかったが、同じ塾に通うようになってから、なんとなくグループを作るようになっていた。
「優はどうなんだよ」
 秀平が、ずっと黙っていた優にたずねた。
「どうかなあ、わかんねえなあ」
 優は、何気なさそう答えた
「おーお、また優のおとぼけが始まった」
 すかさず突っ込みを入れてきた隆志に、優は笑ってごまかした。
 でも、本当の所は、優は模擬試験の結果をおおいに期待していたのだ。うまくいけば、初めてトップクラスに入れるかもしれない。そうすれば、おかあさんとの間で、残りの夏休みを少しはのんびりさせてもらう約束になっている。
「さてと、ボチボチ、ゲーセンにでも行きますか?」
 いつものように、隆志が真っ先に立ち上がった。秀平と優もすぐに続く。
 後では、いつものように雄太が四人分のトレイを片づけている。驚くほどたくさん出たハンバーガーの紙くずやシェークのコップなどを、勢いよくゴミ箱にほうり込んでいた。
 マックの外に出ると、駅ビルの通路は大勢の人たちでごったがえしていた。三人は、雄太を待たずにすぐに歩き出した。
「おれ、ちょっと買物があるから」
 優は、できるだけさりげなく二人にいった。
「なんだよ、買物って」
 あんのじょう、隆志が不機嫌そうな顔をしてたずねてきた。いつでも、仲間を仕切っていないと気が済まない性格なのだ。
「ひ・み・つ」
「こっそり女の子と会ってたりして」
 秀平がすかさず突っ込みを入れる。
「じつは」
 わざとおどけて答えた。
「うそーっ!」
 後から追いついてきた雄太が、おおげさに騒いでくれた。
「ない、ない、だいじょうぶ。こいつに限って、そんなことないって」
 隆志が自信たっぷりにいいきったので、秀平と雄太も笑い出した。優はそのすきに、すんなりと三人と別れることができた。

 八月も残すところあと数日。まだお昼を過ぎたばかりなのに、駅ビルの外はもう三十度を越すような暑さだった。そのギラギラと照りつける強い日差しの下で、優は走りだしていた。
 今年の夏は気象観測が始まって以来の暑さだとかで、夏休みに入ってからずっとこんな天気が続いている。テレビでは、海やプールはどこも超満員だと騒いでいた。
 でも、中学受験を控えて毎日夏期講習に通う優たちには、まったく無縁の世界だった。ただもうひたすら暑くて苦しいだけだった。むしろ動物園でぐったりしている白熊やペンギンのニュースの方が、共感が持てたぐらいだ。
 隆志じゃないけれど、今年の夏休みは本当につまらなかった。7月の終わりに、さっそく夏季講座のクラス決めの実力判定テストがあったからだ。その日程と重なったために、楽しみにしていた子ども会のキャンプに行かれなくなってしまった。しかも、テストの準備のために、学校のプール開放にさえ、行けたのはたった二回だけだ。それからは、四週間連続の夏期講習。
 一年前とはえらい違いだ。去年は、夏休みに入るとすぐに、埼玉のおじさんの家へ遊びに行った。おじさんの家には子どもがいないせいか、いつも優が行くと大歓迎してくれた。お祭りの山車を引いたり、縁日でかき氷やお好み焼きを、嫌ってほど食べさせてもらった。おじさんは、お祭りが終わってからも、わざわざ茨城の海岸へ海水浴にまで連れて行ってくれた。
 そこから帰ってからは、毎日、学校のプールに出かけて、真っ黒になるまで泳いだ。
 八月に入ってからは、今度はおとうさんの夏休みに合わせて、泊りがけで海や遊園地へ出かけていった。
 そして、夏の終わりにもビッグイベントがあった。去年まで入っていた少年野球チームの仲間とのバーベキュー大会。おなかいっぱい焼肉や焼きそばを食べたり、スイカ割りをしたり、大きな岩のてっぺんから川へ飛びこんだりと、思いっきり遊んだのだ。
 今思うと、まるで夢のような日々だった。
 でも、夏期講習も今日で終わると思うと、汗だくになって走りながらもかなりいい気分だった。

 駅から少し離れた七階建ての古いビルの前で、優はようやく足をとめた。この四階にN模型店がある。今日は、雑誌に載っていた新製品の電気機関車を買う予定だった。
 期待どおりに模擬テストでトップクラスに入れれば、 久しぶりに自分の部屋にレールを敷くことができる。何ヶ月ぶりかで、思う存分鉄道模型に熱中できるのだ。
 鉄道模型のことは、もちろんみんなには内緒だった。
隆志にでも知られたら、
「やっぱ優って、クラーイ奴」
と、馬鹿にされるのがおちだ。
 一階にある喫茶店の横の狭いガラスドアを押して、勢いよく飛び込んだ。ビルの中はエアコンがよくきいていて、ヒンヤリとしている。すっかり汗びっしょりになっていたので、ホッと一息つくことができた。
 つきあたりの古ぼけたエレベーターのボタンを押すと、かすかなうなりを立てて動き出した。
 おんぼろエレベーターは、ゆっくりゆっくりと降りてくる。優は少しイライラしながら、エレベーターのとびらをコツコツとこぶしでたたいていた。
 ふと横を見ると、すぐそばの守衛室では、年よりの警備員が眠たそうな顔をして腰をおろしていた。
 しばらくして、ようやくエレベーターがガタンと大きな音をさせて到着した。
 ギギギッ。
 嫌な音をたてて開いたドアからは、誰も出てこなかった。そういえば、今日は土曜日だ。ビルに入っている会社もお休みが多いのだろう。夏休みも終わりに近づいていたので、曜日の感覚が完全に狂ってしまっている。それに、塾の夏季講座は、土曜も日曜もおかまいなしだった。
 四階でエレベーターを降りたとき、優は嫌な予感がした。いつもと違って、あたりにぜんぜんひと気がなかったからだ。
 急いで細い廊下を右手にまがった。
 あんのじょう、つきあたりのN模型店の入り口には、灰色のシャッターが下りている。
 優がかけよると、シャッターにはマジックで書いたメモがはってあった。
『まことに勝手ながら、本日(8月28日)は、臨時休業させていただきます。   
店主敬白』
「チェッ」
 優は舌打ちすると、シャッターを軽くたたいてみた。
 でも、うつろな音がしただけで、中からは何も応答はなかった。
 優は、未練たらしくN模型店のまわりをウロウロ歩きまわっていた。すぐに塾へ行く気も、ゲーセンへ戻ってみんなに合流する気も、ぜんぜん起きなかった。なんとか夏期講座を終えて、たった三日間の短い夏休みを楽しもうとはりきって来たのに。すっかり水をさされた気分だった。
 N模型店の入り口の左側には、大きなショーウィンドウがあった。そこには、Nゲージの鉄道模型がレイアウト(ジオラマ)で展示されていた。電車や線路をただ並べて展示するのではなく、まわりの風景や人間たちまでがミニチュアで作られている。町や山などの中を走る鉄道を、ひとつの世界として再現しているのだ。
 この店のジオラマでは、いろいろな編成の列車がいくつも同時に走り回っていた。優のような鉄道模型ファンにとっては、まるで夢のような世界だった。
(あれ?)
 ふと気がつくと、ショーウィンドウの横のガラス戸がほんの少しだけ開いていた。いつもはピチッと閉じられていて、鍵もかかっている。
 ガラス戸のすぐ向こうには、ジオラマの制御盤があった。
 おそるおそるガラス戸を、もう少しだけ開けてみた。そして、しばらくあたりの様子をうかがった。この四階には、N模型店以外にも小さな会社がいくつか入っている。
 でも、何も起こらない。
 大胆になった優はガラス戸を大きく開けると、制御盤に手をのばした。制御盤には電車の運転台を模したコントローラーが2セットついている。
 思いきって、電源スィッチをオンにした。
(あっ!)
ジオラマの町にいっせいに灯りがついたので、優は思わず飛びあがってしまった。
ビルの窓、街灯、そして、町外れのスタジアムの照明もともって、まわりのガラス戸にキラキラとはねかえっている。
 しかし、それでも、誰もやって来なかった。どうやら、N模型店だけでなく、四階の他の会社も今日はお休みらしい。
駅には、C57蒸気機関車と新型の特急あずさが停まっていた。
 優は、手前のコントローラーを少しずつ動かしてみた。
特急あずさが、ゆっくりとホームから動き出した。徐々にスピードを上げながら、ビルの立ち並ぶ町の中心を離れる。
 そこには、アメフトのスタジアムがあった。かわいいヘルメットをかぶったミニチュアの選手たちが、熱戦の真っ最中だ。手にピンクのポンポンを持ったチアガールたちもいる。
 一瞬、チアガールの一人が、こちらに向かってウィンクをしたような気がした。
 でも、スピードを上げた特急あずさは、あっという間に町を離れると、赤い鉄橋を渡った。
 川の向こう側は、のどかな田園地帯だ。たんぼにはカラフルなかかしと、虫取り網を持った子どもたちがいる。
(何を取っているんだろう?)
 と、思うまもなく、特急あずさは深緑のおむすび山のトンネルに吸い込まれていった。
 優は、すばやくトンネルの出口側へ移動した。特急あずさは、あっという間にトンネルから出てきた。大きなカーブで、クリーム色の車体を本物そっくりに傾けてまがっていく。
(これが、振り子機能かあ!)
 雑誌の広告で見たばかりの新機能だった。
 うっとりと見とれているうちに、早くも一周した特急あずさはホームをすべるように走り抜けていく。
 急いでガラス戸まで戻ると、また制御盤に手を伸ばしてもうひとつのコントローラーを動かした。
 今度はC57蒸気機関車が、ゆっくりと特急あずさとは逆の方向に動き出した。小さなピストンを力強く動かして、青い客車を四両もひっぱっていく。
 優はガラス戸にベッタリとほほをくっつけて、目線をできるだけ線路の高さに持っていけるよう腰をかがめた。そうすると、ますます本物そっくりに見えて迫力満点なのだ。
 C57蒸気機関車は、ビーチパラソルのならんだ海岸を抜けて、トンネルの手前で特急あずさとすれ違った。

 優は、ふと腕時計に目をやった。 
(うそーっ!)
 驚いたことに、もう一時十分前になっていた。
 ほんの十分ぐらいたっただけのつもりだったのに、ジオラマに夢中になっているうちに、いつのまにか三十分以上もたってしまっていたことになる。まるで、きつねにでもつままれたような思いだった。すぐに走って行かないと、塾に遅刻してしまう。
 あわててガラス戸まで戻ると、制御盤に手を伸ばした。
コントローラーを慎重に操作して、特急あずさを元のホームにピッタリと停車させる。
うまくいった。
次はC57の番だ。蒸気機関車の小さなピストンは、ゆっくりと動きを止めた。
 続いて電源スイッチを切ると、ビルの、街灯の、そしてスタジアムの灯りがいっせいに消えた。ジオラマに吹き込まれていた「命」がなくなってしまったようだ。それと同時に、優のいる現実世界までが、急に色あせた物になったように感じられた。
 次の瞬間、自分でも気がつかないうちに、ミニチュアを一個、手の中ににぎりしめてしまっていた。さっきスタジアムで、優にウィンクしたピンクのポンポンを手にしたチアガールだ。
 優は、彼女を右のポケットにつっこんだ。そして、ショーウィンドウのガラス戸を閉めると、足早に立ち去った。

 ギギギッ。
 嫌な音を立てて、エレベーターのドアが開いた。
 優は急いで乗りこむと、一階のボタンと「閉」のボタンを続けて押した。また同じ音がしてドアが閉まり、エレベーターが動き出した。
 ガッ、ガッタン。
 降り始めてすぐに、エレベーターが停まってしまった。
 と、同時に、中の灯りが消えて真っ暗になった。
(わーっ、停電?)
 暗闇の中で、優は一瞬パニックになりかけた。
 でも、すぐに天井の非常灯がぼんやりとついてくれた。どうやら非常用の電力に切りかわったらしい。
 しかし、エレベーターはまだ動き出さなかった。ドアの上のランプを見ると、「4」のところに灯りがともったままだ。
 優は、ドアの横の行き先ボタンをかたっぱしから押してみた。
 でも、なんの応答もない。
 もしかすると、非常用の電力では、エレベーターを動かせないのかもしれない。
 それでも、その時は誰かがすぐに来てくれるだろうと思っていた。

 5分たち、やがて10分が過ぎた。
 誰もやってこない。ジオラマで遊んでいるうちに、このビルにいた人たちはみんないなくなってしまったのだろう。
 (だけど、警備員のおじいさんがいる)
 しかし、おじいさんが眠そうな顔をしていたことを思い出した。もしかすると、いねむりでもしているのかもしれない。
 と、その時、行き先ボタンの上に、黄色いボタンとインターフォンがついているのに気がついた。
薄暗いけれど、
(非常のときはこのボタンを押してください)
と、書いてあるのがなんとか読めた。
 非常ボタンに伸ばしかけた手を、優はあわててひっこめた。誰もビルにいないはずなのになぜエレベーターにいるのか、怪しまれてしまうかもしれないと、思ったからだ。
空調が停まったせいか、エレベーターの中はだんだん暑くなってきている。ハンカチを出そうとポケットにつっこんだ手に、何かが触れた。
 取り出してみると、何気なく持ってきてしまったチアガールの人形だ。
(なぜ、こんなことをしてしまったのか)
 自分でもわからなかった。
(これを持ってきてしまったことも、ばれてしまうかもしれない)
 そう思うと、ますます非常ボタンを押せなくなってしまった。
 時計を見ると、とっくに一時を過ぎてしまっている。夏季講習の一時間目の授業は、もう始まっていることだろう。隆志たちは、なんで優が来ないのかと、不思議に思っているかもしれない。
 運の悪いことに、明日は日曜日だ。へたをすると、出られるのは月曜日になってしまうかもしれない。ここに閉じ込められたまま、貴重な三日間だけの「夏休み」が、どんどんなくなってしまう。
 エレベーターの壁を見ながらそんなことを考えていると、胸の奥の方がジワーッと苦しくなってきた。
 優は背中のデイバッグをおろして、床にぺたりとこしをおろしていた。エレベーターの後の壁にもたれて、じっとドアを見つめている。
 でも、ドアはピタリと閉じたまま開かない。
とうとう見つめるのをあきらめて、優は目を閉じた。
 頭の中に、さっきのジオラマの世界が広がってきた。町並みが、田園風景が、おむすび山のトンネルが、見えてくる。
 特急あずさが、すばらしいスピードでホームを通り過ぎた。C57蒸気機関車が、赤い鉄橋を力強く渡っていく。
アメフトのスタジアムが見えてきた。ここでも、チアガールは誰かをけんめいに応援していた。
 ショーウィンドウに顔をべったりとつけて、優は一心にながめている。
 いつのまにか、空想は狭いジオラマを抜け出して、外の世界へ飛び出していった。
 どこかの広い庭いっぱいに広がった線路。何重にも複雑に入り組んでいる。つつじやさざんかの植え込みをぬい、置石のまわりをめぐって、たくさんの列車が走り回っている。
  新幹線の「のぞみ」がサルスベリの向こうからやってきた。二階建ての「MAX」は、竹林のそばを走っている。
 優は線路を踏まないように気をつけながら、庭中をピョンピョンとはねまわった。
(あっ!)
 ロマンスカーとスカイライナーが正面衝突しそうだ。
 と、思った瞬間、ポイントが自動的に切り替わって、ぎりぎりで無事にすれ違った。

 ふと気がつくと、優はいぜんとして薄暗いエレベーターの中にいた。腕時計を見たら、いつのまにか三十分近くがたっていた。
 とうとう優は、思い切って非常ボタンを押した。
 しかし、呼び出し音は確かに鳴っているのに、誰も出てくれない。優はじっと受話器に耳を押し当てていた。
「……。ど、どうしました」
 あきらめかけたとき、ようやくインターフォンから、あわてたような男の人の声が聞こえてきた。
「エレベーターが停まっちゃって」
 優がそういうと、しばらくガチャガチャと雑音がした。それにまじって、
「あっ、ほんとだ」
と、つぶやいているのが聞こえてきた。
「ちょっと、待ってください」
 男の人はそういって、インターフォンを切った。
 しばらくして、ようやくエレベーター内の蛍光灯がついた。そして、それと入れ代わるようにして、非常灯が消える。
 ウーーン。
 かすかなうなりを立てて、エレベーターが動き出した。どうやら、一時的に電源がとまっていただけらしい。
 優は、急いですべての階のボタンを押した。
 ギギギッ。
 また同じ音をたてて三階でドアが開いたが、今度ばかりは嫌な音には聞こえなかった。
 すぐにエレベーターから飛び出した。
 久しぶりに吸う外の空気はさすがにうまかった。知らず知らずのうちに、エレベーター内の空気が汚れてしまっていたのだろう。
 ダダッダダッ、……
 優は、むかい側の階段を勢い良くかけおりていった。
 一階では、予想どおりに警備員が待ち構えていた。あのおじいさん警備員だ。
「あっ、だいじょうぶでしたか?」
 意外にも、ていねいな口調だ。
「あ、はい」
「いつごろ、停まったのですか?」
「一時間ぐらい前かなあ」
 優が少しサバを呼んでいうと、驚いたような表情をうかべた。
「えーっ、おけがはないですか?」
 警備員の態度は、すっかりオドオドしている。もしかすると、本当にいねむりをしていて、責任を問われるのを恐れていたのかもしれない。
 けっきょく、警備員は拍子抜けするほどあっさりと、優を自由にしてくれた。
ビルの外へ向かいながら、きっとあの警備員はこの「事故」のことは会社に報告しないだろうなと思った。
 急いでビルを飛び出すと、またギラギラする強い日差しの下を、優は塾に向かってけんめいに走りだした。
 ようやく塾にたどりついた時は、もう二時近くになっていた。ちょうど一時間目の後の休憩時間だ。
 塾の玄関の壁には、いつものように模擬テストの結果がはってあった。
(あった!)
 期待どおりに、トップクラスの中に自分の名前を見つけた。
 もちろん、秀平の名前も、その中のトップ、つまりこの塾全体で一番のポジションにあった。
 でも、意外にも、隆志の名前はトップクラスの中になかった。くやしがっている顔が目に浮かぶようだ。
 雄太は、予想どおりにひとつクラスを落としていた。これで、夏休み明けの父兄面談では、志望校変更をいわれるのはまぬがれないところだろう。
「おや、村下。一時間目はサボリか?」
 入り口わきの控え室にいたトップクラス担任の斉藤先生が、目ざとく優を見つけて声をかけてきた。
「ほらっ。でも、トップに入ったからって、油断するなよ」
 そういって、模擬試験の成績表とトップクラスの印の金バッチを渡してくれた。
 成績表を開いてみると、コンピュータが打ち出したコメントには、
(志望校の合格確率は90%以上。でも、油断せずにがんばろう)
と、書かれていた。家に帰ってこれを渡したら、おかあさんはお赤飯を炊くかもしれない。

 二時間目の授業が終わったとき、秀平がそばへやってきた。
「トップクラス入り、おめでとう」
「いやあ、まぐれ、まぐれ。それより、秀平はトップじゃない。これで、特待生入りは確実だな」
 この塾では、成績優秀者の中で特に上位の生徒は、特待生として授業料が免除されている。
「どうかなあ。まだ今月の成績だけじゃ決まんないと思うけど」
 そういいながらも、秀平はまんざらでもないような表情を浮かべていた。
「おっ、いたいた」
 隆志と雄太が教室に入ってきた。
「優、どこに行ってたんだよ? トップクラスのメンバーともなると、さすがに余裕だな」
 皮肉っぽくいいながらも、やはり隆志はくやしそうだった。
「うん、ちょっとな」
「やっぱり、女の子と会ってたりして」
 雄太が、少し重くなりかけた雰囲気をそらせてくれたので、
「まあね」
と、すかさずおどけて見せた。
「ちぇ、女の子とのデートに、トップクラス入りか。優ばっか、いい目見てるじゃねえか」
 さすがの隆志も、今度はお昼のときのように否定してみせる余裕はないようだった。
 三時間目のチャイムがなったので、隆志たちは教室を出て行った。遅刻のことをそれ以上追求されなかったので、優はホッとしていた。

 その日の帰り、最後の授業が終わると同時に、優はすばやく教室から抜け出した。
「おーい、優ーッ」
 隣のクラスの前を通りかかったとき、中から隆志の呼ぶ声がした。
 でも、聞こえないふりをしてそのまま素通りすると、勢い良く階段をかけおりた。今日のことを、これ以上あれこれ聞かれるのがいやだった。それに、一刻も早く帰って、トップクラスに入れたことをおかあさんに報告したかった。そして、それから短い夏休みを満喫するのだ。 
 塾の建物を出た時、ポケットの指先に何かがふれた。取り出してみると、あのチアガールのミニチュア人形だ。ジオラマにいた時と同じように、ピンクのポンポンを手にしている。
(いったい誰を応援しているのだろう?)
 なんだかこのまま持っていると、今日のことがみんなに知れ渡ってしまうような気がしてきた。
 ジオラマのこと、エレベーターの事故のこと、そしてチアガールを持ってきてしまったこと。
 どこかに捨ててしまおうと、あたりをキョロキョロと見まわした。向かいのコンビニの前に、大きなゴミ箱が置いてある。優はまわりの人たちを気にしながら、ゴミ箱に近づいていった。
 ポケットからそっとチアガールを取り出す。ゴミ箱のふたを押して、思い切って中に捨てようとした。
 でも、次の瞬間、優はドキッとして手を引っ込めた。また、彼女がウィンクしたように見えたのだ。そして、ジオラマで遊んでいた時の、あのうっとりするような満ち足りた気持ちがよみがえってきた。それと同時に、あたりの現実の風景が急に色あせて感じられてきた。
 けっきょく、優はチアガールを捨てられないまま、その場を立ち去った。
 その後も、優はチアガール人形をなかなか捨てられることができずに、町中をさまよっていた。
 いつのまにか、S川にかかる橋に通りかかった。塾を出たときはまだ明るかったのに、あたりはすっかり薄暗くなっている。
あのギラギラした夏の太陽も、とっくにビルの向こうに沈んでしまった。
 優は橋の中ほどの欄干によりかかって、川面をながめていた。黒く濁った水が、白い洗剤の泡のような物を浮かべて流れている。
 ポケットからチアガールを取り出すと、ウィンクを見ないように目をつぶって川に捨てようとした。
 でも、どうしても捨てられない。
 なぜだか、これを捨ててしまうと、自分の一番大事なものが失われてしまうような気がしたのだ。
 チアガールをまたポケットに突っ込むと、別の物が指先に触れた。取り出してみると、あのトップクラスの金バッチだった。金メッキされたバッチは、街灯の光を受けてキラキラと安っぽく光っている。
 じっと見つめていると、塾や受験のことが、なんだかすごく遠くのことになってしまったような気がした。
 優は、金バッチをチアガールの代わりに川に投げこむことを心に描いてみた。金バッチは、きれいな放物線を描いて流れの真ん中あたりに落ちていく。
 でも、やがて優は、金バッチをチアガールと一緒に、そっとポケットの中へしまった。


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フリードリッヒ・シュナック「おもちゃ屋のクリック」講談社版少年少女世界文学全集第22巻所収

2020-04-11 09:18:48 | 作品論
 1933年に出版されたドイツの児童文学です。
 おもちゃ屋に勤めるおとうさんと二人暮らしの12歳の男の子クリックと、彼のガールフレンドのアリーを中心に、当時の都会(おそらくドレスデン)の人々の暮らしを生き生きと描き出しています。
 クリックが買った宝くじ(二等に当選して二万マルク(現在の日本の貨幣価値で言えば2000万円ぐらいか?)がもらえます)を隠してあった毛糸の帽子をなくし、それを見つけ出すまでがお話のメインですが、ストーリーそのものよりも彼らの暮らしや登場してくる人物(大人も子どもも)たちをリアリティを持って描いている方が魅力です。
 エーリッヒ・ケストナーの諸作品(「エーミールと探偵たち」など)とほぼ同時代の作品ですが、この作品の一番の特長は子どもたちだけでなく、動物屋(今の言葉で言えばペットショップですね)のぜんそくおじさん、ザサフラス(元)船長などの個性豊かな大人たちが、クリックたちを子ども扱いせずに一人前の人間として付き合っている点でしょう。
 今回、50年以上ぶりに読んで気づかされたのは、当時のドイツの貧困や子どもたちの不幸(クリックはおかあさんがなくなっていますし、アリーは赤ちゃんの時に両親を失っています)が、かなりしっかりと書き込まれていることです。
 子どものころ(1960年代初め)に読んだ時にクリックたちの貧困に気付かなかったのは、当時の自分のまわりの方がもっと貧しかったからでしょう(特に私の家だけが貧しかったわけではなく、東京オリンピック前なので日本中がまだ貧しかったのです)。
 この作品の場合、貧困を抜け出す手段が宝くじ当選なので、安易な感じを受けるかもしれませんが、この宝くじは当時(第一次大戦敗戦後の復興も行き詰まりを見せていました)のドイツの貧しい人たちにとっては、未来への希望の象徴だったのでしょう。
 そういった意味では、文中に出てくる「いつかアメリカ帰りの大金持ちのおじさんが現れないかなあ」という儚い夢と、等価だったのかもしれません(同じように敗戦国だった私の子どもの頃の日本では、「アメリカ帰り」ではなく「ブラジル帰り」のおじさんでした)。
 しかし、ご存じのように、ドイツではこの本が出版されたころに、ヒットラーのナチスが台頭し、第二次世界大戦の泥沼に突入します。
 なお、この作品も全集に収める紙数の関係で抄訳なのですが、今回探してみましたが残念ながら日本では全訳は出版されていないようでした。

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