ピピ、ピピ、……。
枕もとに置いためざまし時計が鳴っている。孝志はぼんやりと目を覚ました。
(いけない!)
次の瞬間、孝志は急いでアラームをとめると耳をすました。
隣の部屋は、シーンとしている。どうやら、とうさんを起こしてしまわなかったようだ。昨日の夜も、とうさんは仕事で帰りが遅かった。
そっと寝床を抜け出して、パジャマ姿のまま玄関へいった。
まだ六時少し前だ。
ドアを開けると、ちょうど太陽が東の空に昇りはじめたころだった。
(ふーっ、寒い)
孝志は少しふるえながら、胸の前で腕を組んだ。
三月になったとはいえ、高台にある孝志の家のあたりでは、まだまだ朝晩の冷え込みがきびしい。カーポートにとめてあるとうさんの車のフロントガラスは、真っ白に凍りついていた。孝志は、指先でフロントガラスをさわってみた。少しこすったくらいでは、氷は溶けなかった。
でも、寒さこそ厳しいものの、空はすっかり晴れ上がっている。待ちに待った晴天の日曜日の朝だった。
孝志は、いつものように郵便箱から朝刊を抜き出すと、急いで家の中に戻った。
同じクラスの秀平から、バードウォッチングに誘われたのは、もう三週間も前のことだった。
「タカちゃん、今度の日曜日に、鳥を見に行かないか?」
休み時間に孝志の机のそばまでやってくると、秀平はいきなりそういった。
最近、孝志は休み時間にも運動場で遊ばずに、教室にいることが多かった。秀平は、そんな孝志に声をかけてくれる数少ない友だちだった。
「えっ、鳥? 動物園へでも行くの?」
「ううん、違うよ。野生の鳥。バードウォッチングだよ」
「バードウォッチング?」
「うん。山とか、川とか、林なんかを歩いて、双眼鏡で鳥を見るんだ」
秀平は、少し得意そうに説明している。
「ふーん?」
孝志がまだピンとこないでいると、秀平は熱心に説明を始めた。
「ぼくらの町って、すごくバードウォッチングに向いてるんだよ。だって、住宅地や公園だけでなく、畑や田んぼ、それに山や川だってあるし。なんといってもすごいのは、湖まであることだよ。だから、いろんな種類の鳥が見られるんだ」
秀平は、去年、町のバードウォッチング教室に参加して以来、すっかりはまっているんだという。
「今の季節だと、朝早く行けば、お昼までに軽く三十種類は見つけられるよ」
「ほんとう? そんなにたくさん?」
三十種類と聞いて、急に興味がわいてきた。
鳥といわれて頭に浮かんでくるのは、ハトやスズメ。それに、最近やたらと増えてゴミ箱をあさっているカラスぐらいだ。自分のまわりにそんなにいろいろな鳥がいるなんて、とても信じられなかった。
秀平がわずか一年弱の間に七十八種類もの鳥を確認できたと聞いて、とうとう孝志は行くことを約束した。
ところが、そのあとの週末は雨続きで、今日までのびのびになっていたのだ。
秀平とバードウォッチングに行くと聞いて、孝志以上に喜んだのはとうさんだった。
とうさんは、翌日すぐに、すごく高そうな双眼鏡を買いこんできてしまった。
(初心者用でいい)
っていったのに、どうやらドイツ製の高級品らしい。
「倍率は高ければ高いほどいいのかと思ったら、そうでもないらしいんだよな。鳥ってのはチョコマカ動くから、7倍から10倍ぐらいがちょうどいいらしいんだ」
ネットでも調べたのか、いやに詳しくなっている。
「ほら、持ってごらん」
そういって差し出された双眼鏡を持ってみると、思ったより軽い。それにゆるやかなカーブを描いた形が、ピタッと手になじんでくる。
目にあててみると、いきなり居間の飾り棚に置いてある博多人形が、視野いっぱいに飛び込んできた。
でも、ちょっとピンボケだ。
「まん中のダイヤルで、ピントを合わせるんだよ」
横から、とうさんがいっている。
孝志が少しずつダイヤルをまわすと、くっきりと描かれた人形の顔がはっきりと見えるようになった。
居間の壁に沿って、見る先を少しずつ動かしていく。
孝志が3才のときの虫歯予防の表彰状。去年の習字コンクールで優秀賞をもらった「大空」。
最後に、額に入ったかあさんの笑顔がアップになった。
その後も、とうさんは必要以上に張り切ってしまった。
「リュックはいらないのか?」
「靴は山歩き用のがいいらしいぞ」
「雨具は軽くて折りたためるポンチョ式のがあるぞ」
と、いろいろといってくる。
半年前にかあさんが亡くなってから、孝志が自分から何かをしようとするのは初めてのことだった。だから、とうさんはよほどうれしかったらしい。
「まだ始めてもいないのに、そんなに買いこんだってしょうがないよ」
孝志が文句をいうと、
「いや、せっかくやるんなら、形から入るってのも、最近はありだぞ」
と、なかなか引き下がらない。そして、孝志の忠告など聞かずに、次々と買いこんできてしまった。
いろいろな野鳥の鳴き声が録音されたCD。ナップザックや大きなひさしのキャップ。
びっくりするぐらいいろいろな物を買ってきた。
図鑑などは、バードウォッチングに携帯できる小型のだけでない。ずっしりと重たい本格的な物まであった。それには、日本だけでなく外国の野鳥までがのっていた。
まあ、そのおかげで、雨で伸び伸びになっている間に、野鳥の鳴き声や名前をずいぶん覚えることができたけれど。
「おーい、タカちゃーん」
待ち合わせ場所に先に着ていた秀平が、中学校の校門の前で手を振っている。
「おはよー」
孝志もそれにこたえると、かけだしていった。
秀平は、孝志が首からぶらさげている双眼鏡に気づくと、目をまん丸にして驚いていた。
「それ、もしかして、ツァイスのT457じゃない?」
「うん、とうさんが勝手に買ってきちゃったんだ」
孝志が恥ずかしそうに答えた。
「ちょっと、さわってもいい?」
秀平が遠慮勝ちに手を伸ばした。
孝志は、すぐに双眼鏡を首からはずして手渡した。
「すげえ、やっぱりクリアに見えるなあ」
あちらこちらを見ながら、秀平は感心したような声を出していた。
孝志は、代わりに秀平の双眼鏡を受け取った。それは、黒塗りの古くて大きな双眼鏡だった。
のぞきこもうとしたら、手前の左レンズがポロリと取れてしまった。孝志は、あわててそれをもう一度はめこんだ。
「じゃあ、始めようか?」
秀平はそういいながら、ツァイスのT457を孝志に返した。孝志も、レンズが落ちないように気をつけながら、秀平の双眼鏡を戻した。
「まずどこへ行くの?」
孝志がすぐにでも歩き出そうとすると、
「待って、ここにもすごいのがいるんだぜ」
秀平はそういうと、孝志を中学校の中へ連れていった。校舎の中ほどがアーチ型になっていて、反対側の校庭につながっている。
「ほらっ」
秀平が指差した天井を見上げると、背中が黒くおなかが白い鳥が何羽もいた。ツーイ、ツーイと上へ下へとせわしなく飛びかっている。秀平によると、虫をつかまえているのだそうだ。
「ツバメ? でも、それって、夏しかいないんじゃなかった?」
「うん。これはイワツバメっていって、一年中いる鳥なんだ」
孝志は、けんめいに双眼鏡でイワツバメを追いかけようとした。
でも、すばっしこくってなかなかキャッチできない。
「1種類目はイワツバメと」
秀平はポケットから小さなノートを取り出すと、ひもで結びつけてあるちびた鉛筆で書き込んだ。
「なんだい、それ?」
孝志が聞くと、
「フィールドノート。観察した鳥の名前を書いておくんだ」
覗き込むと、前回のところにはびっしりと鳥の名前が書きこんであった。
大戸橋のたもとから、二人は沢へ降りて行った。二、三メートルしか幅のない浅い流れだが、これより上流に家がないせいか、意外と水は澄んでいる。秀平の話だと、もっと上流まで行けばサワガニがいっぱいいる所もあるらしい。
その時、二人の頭上を白い大きな鳥が横切った。
「シラサギだ!」
孝志は興奮して叫んだ。
こんなに大きな鳥が家のそばにいるなんて、今までぜんぜん気がつかなかった。
「正確には、コサギだけどね」
見なれているのか、秀平は意外と冷静だ。
(シラサギという名前の鳥はいなくて、大きさによってコサギ、チュウサギ、ダイサギというのだ)
と、孝志に教えてくれた。
コサギは沢に沿ってゆうゆうと滑空すると、50メートルぐらい先にそっと舞い降りた。
双眼鏡でのぞくと、魚をねらっているのか、流れの中にじっと立っている。
孝志と秀平は、コサギを驚かさないように、岸辺に沿ってゆっくりと近づいていった。
コサギは川の中ほどで、一本足でやや前かがみになりながら、じっと水面をにらんでいる。まるで、あたりの風景に溶け込んでいるかのようだ。
少し先を進む秀平をけんめいに追いながら、孝志は頭の中がジーンとしびれるようなうれしさを感じていた。
その後も、二人は次々と違う種類の鳥を見つけていた。家が密集しているような所でも、意外にいろいろな鳥を見ることができる。
ポポー、ポポー、ポポー。
電線には、キジバトがつがいでとまっている。
広い庭のあるうちでは、芝生の上を黄色いくちばしをしたヒヨドリが歩き回っていた。
高いこずえの上では、巣でもあるのか、たくさんのムクドリがペチャクチャとおしゃべりしている。
やがて二人は、ひろびろとしたお寺の境内に出た。
「あっ、ウグイスだ」
孝志が指差したところには、ウグイス色をした小さな鳥がいた。
「違うよ、メジロだよ」
秀平が答えた。
「よく見てごらん。目のまわりが白いから。ここが黒かったらメグロなんだ」
孝志は双眼鏡のダイヤルを調節して、その鳥にピントを合わせた。たしかに、目のまわりが白くなっている。
「メジロって、うちの町鳥なんだぜ。つまり町の鳥ってわけ」
「へーっ」
孝志も国鳥がトキだってことは知っていたけれど、町鳥なんてものがあるなんて、ぜんぜん知らなかった。
本堂の屋根に、白と黒のツートーンカラーのきれいな鳥がとまっている。長い尾っぽをヒラヒラさせている。
オナガだ。
ギャー、ギャー、ギャー
オナガは、見た目とは似つかわない汚い声で鳴きわめいていた。
11時すぎに、二人は小倉山の中腹にある発電所まで来ていた。
「タカちゃん、ちょっと休もうか」
歩きなれないせいか、孝志はすでにかなり疲れてきていた。日差しも高くなって、3月だというのに額には汗もうかんできている。そんな様子に気がついた秀平が、声をかけてくれたのだ。
二人は背中からデイバッグをおろすと、発電所の横の芝生に腰をおろした。
ここはなかなか見晴らしが良かった。正面に丹沢の山々が、幾重にも重なって続いている。その向こうには、真っ白な雪をかぶった富士山が頭をのぞかせていた。
「いい物があるよ」
秀平が、デイバッグからチョコレートを取り出してくれた。
「これを食べると、疲れがとれるよ」
「サンキュー」
ほおばると、口の中にほろ苦い甘さがひろがった。なんだかチョコレートに元気をもらって、これからの急な坂道を登っていく力がわいてきたような気がした。
ホホホッホーーー、ホケキョ。ケキョケキョ。ホーホケキョ。
眼下の雑木林からは、あちらこちらから、これは本物のウグイスがいい声を聞かせてくれている。
「あっ、イカルだ」
秀平が指差す高い木の上のてっぺんには、大きな黄色いくちばしが特徴的な鳥の群れがとまっていた。
一歩一歩、足元を見つめながら、長い坂道をゆっりと上っていく。
(そうすると疲れない)
って、秀平がアドバイスしてくれた。
ようやく登りきって最後カーブをまがると、急に前の景色が開けた。
城山湖だ。周囲3キロそこそこの小さな人造湖だけど、深い緑色の水をたたえた美しい湖だった。まわりには家などは一軒もなく、ぐるりを山に囲まれているので、いつも静かだった。
観光地の湖と違って、やかましいおみやげ屋や遊覧船のアナウンスがないのがいい。
(自然そのものに包まれている)
って、感じだ。
ここは、孝志たちにとっては、おなじみの場所だった。遠足やお花見、それに秋のもみじ狩りなどの時に、ここまで足をのばしている。
「放流によって、湖の水位が急激に上下しますので、絶対に柵の中に入らないでください」
テープに吹き込まれた、おなじみのアナウンスが、聞こえてきた。
フェンスの向こうをのぞきこむと、下のほうに、今日も監視の目を盗んで釣り糸をたれている人たちがいる。
夜間電力で川から水を組み上げ、昼間はそれを放水して発電する。揚水式ダムというタイプだと、社会科で習っていた。そのため、湖に流れ込んでいる川は、一本もなかった。
でも、釣り好きの人がこっそり放流したのか、けっこう魚が住みついている。そして、それをねらっている水鳥たちも、秋から春にかけてはたくさんやって来ていた。
「オシドリ、マガモ、それにカイツブリ」
遠くの湖面に、黒い粒のように見える鳥たちに双眼鏡を向けながら、秀平がつぶやいた。
孝志もそちらの方に双眼鏡を向けたけれども、距離が離れすぎていてどんな鳥か良くわからない。このくらい離れていると、孝志の8倍の双眼鏡では無理なのだ。
秀平のは倍率が12倍なので、少しはましだ。二人は双眼鏡を交換しながら、湖面に浮かぶ鳥たちも観察していた。
でも、なかなか細かいところまではわからない。図鑑と見比べても、慣れない孝志には、なかなか鳥の区別がつかなかった。
「やっぱり、双眼鏡じゃあ、はっきり見るのは無理だなあ」
とうとう秀平も、あきらめたように双眼鏡をおろした。
このくらい離れていると、最低でも20倍以上の倍率が必要なのだという。しかも、そんなに倍率が高いと、双眼鏡では手で持っているので、視界がぶれてしまうのだそうだ。三脚つきの本格的な望遠鏡でしか、見ることができない世界だった。
「あーあ、三脚つきの望遠鏡が欲しいなあ」
と、隣では秀平がため息をついている。
それでも、なんとか種類を見きわめようとして、孝志は双眼鏡にあてた目をけんめいにこらした。
コンビニで買っておいたおにぎりを湖の展望台で食べてから、二人は沢伝いに山を下っていった。
「あっ」
急に秀平は立ち止まると、後に続く孝志にそっとしているようにと、身振りでサインを送った。
「カ・ワ・セ・ミだ」
声をひそめて対岸の木を指差している。
「えっ?」
キョロキョロしてみても、どこにいるのかわからない。
「しーっ。そこそこ、枝の先」
秀平は、いっそう声をひそめている。対岸に植わった梅の木から、沢にかかるように枝が張り出している。その枝の先にカワセミはいた。
コバルトブルーの羽が、日の光をあびてキラキラ輝いている。おなかはくっきりしたオレンジ色だ。大きさは、そう、15センチぐらいだろうか。ヒヨドリと同じぐらいに見える。長いくちばしに短いしっぽ、肩をすぼめるようにして、じっとしている。
と、カワセミは何かにたたきつけられたかのように、いきなり川面めがけてダイビングした。一瞬、水中に沈んだと思ったら、あっという間にもとの枝に舞い戻ってくる。すごい早業だ。
長いくちばしには、まだけんめいに身をくねらせている10センチほどの魚をくわえていた。カワセミは魚を何度か枝にたたきつけると、天を振り仰ぐようにして頭から丸呑みにした。
「すげーえ」
隣では、秀平が小さくつぶやいてる。孝志は双眼鏡のピントをけんめいに合わせた。画面いっぱいにひろがったカワセミは、首をキョトキョトとせわしなく動かしている。もう満腹したのか、獲物をねらっている様子には見えない。
やがて、カワセミはいきなり枝を飛び立つと、下流に向かって水面すれすれを一直線に飛んでいってしまった。
沢伝いに町はずれまで降りてくると、急にポッカリと開けた場所に出た。
鉄筋4階建ての大きな建物。今年できたばかりの「町民健康福祉センター」だ。入り口部分は屋上までの吹き抜けで、その正面は大きなガラス張りになっている。お日様に照らされて、ピカピカに輝いていた。
「ああっ、今日もだ」
秀平はそういうと、先に立ってかけだした。孝志もあわてて追いかけると、秀平は入り口の前で何か黒っぽい物を拾い上げている。
「何だい?」
そばへよってみると、秀平が両手にかかえていたのはかなり大きな鳥だった。もう死んでいるようだ。
「トラツグミだよ」
秀平がポツンといった。
「どうしたんだろう?」
「あの大きなガラス窓にぶつかっちゃたんだよ」
二人は、キラキラ光る大きなガラス窓を見上げた。
「あんまり大きくって透き通っているので、鳥にはガラスがあることがわからないんだよ」
「ふーん」
トラツグミの薄茶色の体には、黒い縞模様がくっきりとしていて、まるでまだ生きているようだ。
でも、秀平の手の中で、固く目を閉じたまま動かない。もう大空を自由に飛びまわったり、虫を捕まえたりすることはできないのだ。
孝志は、急にお葬式のときのかあさんの顔を思い出した。白くて眠っているようにきれいだったけれど、やっぱりどこか遠い所へ行ってしまった。
チッチッチッチ。
「ヒヨドリだ」
秀平がすぐに答えた。
ピロロー、ピロロー。
「ヤマバト」
また、すぐに答えた。
「正解!」
バードウォッチングの帰りに、秀平に家へよってもらっていた。野鳥のCDをかけて、鳴き声で名前を当てるクイズをやっている。間違えたら交代するルールなのだが、秀平が連続して的中させるので、孝志の番はなかなか来なかった。
「もうやめよう。シュウちゃん、ぜんぶあてちゃうんだもの。なんか他かの事をしようよ?」
とうとう孝志がギブアップした。
秀平が一緒に家に来たとき、とうさんは一週間分の洗濯にせいをだしていた。
「こんにちは」
秀平があいさつをすると、
「よく来たねえ」
と、孝志の友だちが来たことをすごく喜んでくれていた。
でも、どういうわけか、すぐにどこかへ車で出かけてしまっていた。
トントン。
部屋のドアが軽くノックされた。
孝志がドアを開けると、いつの間に戻ったのか、とうさんが大きなおぼんを持って立っていた。おぼんには紅茶ポット、カップとお皿が二枚ずつ、それに大きな白い箱がのっている。
とうさんは、おぼんを勉強机の上に置くと、箱を開いた。中には、おいしそうなケーキが六、七種類入っていた。ショートケーキ、モンブラン、フルーツタルト、シュークリーム、……。
でも、どういうわけか、すべて二個ずつあった。
「秀平くんが、何が好きかわからなかったから」
とうさんは、少し恥ずかしそうにわらうと、二人のカップに紅茶をついだ。
「好きなだけ、食べてな」
とうさんはそういうと、さっさと部屋を出て行った。
二人は思わず顔を見合わせると、次の瞬間、プッと同時に吹きだしてしまった。とても、二人で食べきれるような量ではない。
けっきょく、孝志がチョコレートケーキを、秀平がショートケーキをひとつ食べただけだった。箱には、まだごっそり残っている。
「そうだ。 おじさんにも一緒に食べてもらわないか?」
ケーキの箱を見ていた秀平がいった。
「えっ?」
少しびっくりしたけれど、秀平にうながされて孝志はとうさんを呼びにいった。
孝志と秀平は、かわるがわるに今日のバードウォッチングの様子をとうさんに話した。
甘いものが苦手のとうさんは、シュークリームをひとつ食べるのがせいいっぱいのようだった。だから、二人は話しながら、無理して二個目のケーキに手をのばした。
話が、湖の所まで来た時、
「あーあ、三脚付きの望遠鏡があればなあ」
と、秀平がまたため息をついた。
「そうだね。そうすれば、湖の鳥だけでなく、空の高いところを飛んでいる鳥を観察するときにも便利だろうね」
孝志もうなずきながら、そう答えた。
と、そのとき
「よーし、おじさんが望遠鏡を買ってやろう!」
いきなり、とうさんが興奮気味に叫んだ。
孝志は、こまったような顔をして、秀平を見た。
すると、秀平は、
「おじさん、そんなになんでもかんでも買ってやったりしたら、タカちゃんをだめな子にしちゃいますよ」
と、まるで先生か何かのような口調でいった。
「……」
とうさんは、しばらくキョトンとしていた。
でも、やがて少し恥ずかしそうに笑った。それにつられるように秀平も、そして、孝志までが大きな声で笑い出した。
枕もとに置いためざまし時計が鳴っている。孝志はぼんやりと目を覚ました。
(いけない!)
次の瞬間、孝志は急いでアラームをとめると耳をすました。
隣の部屋は、シーンとしている。どうやら、とうさんを起こしてしまわなかったようだ。昨日の夜も、とうさんは仕事で帰りが遅かった。
そっと寝床を抜け出して、パジャマ姿のまま玄関へいった。
まだ六時少し前だ。
ドアを開けると、ちょうど太陽が東の空に昇りはじめたころだった。
(ふーっ、寒い)
孝志は少しふるえながら、胸の前で腕を組んだ。
三月になったとはいえ、高台にある孝志の家のあたりでは、まだまだ朝晩の冷え込みがきびしい。カーポートにとめてあるとうさんの車のフロントガラスは、真っ白に凍りついていた。孝志は、指先でフロントガラスをさわってみた。少しこすったくらいでは、氷は溶けなかった。
でも、寒さこそ厳しいものの、空はすっかり晴れ上がっている。待ちに待った晴天の日曜日の朝だった。
孝志は、いつものように郵便箱から朝刊を抜き出すと、急いで家の中に戻った。
同じクラスの秀平から、バードウォッチングに誘われたのは、もう三週間も前のことだった。
「タカちゃん、今度の日曜日に、鳥を見に行かないか?」
休み時間に孝志の机のそばまでやってくると、秀平はいきなりそういった。
最近、孝志は休み時間にも運動場で遊ばずに、教室にいることが多かった。秀平は、そんな孝志に声をかけてくれる数少ない友だちだった。
「えっ、鳥? 動物園へでも行くの?」
「ううん、違うよ。野生の鳥。バードウォッチングだよ」
「バードウォッチング?」
「うん。山とか、川とか、林なんかを歩いて、双眼鏡で鳥を見るんだ」
秀平は、少し得意そうに説明している。
「ふーん?」
孝志がまだピンとこないでいると、秀平は熱心に説明を始めた。
「ぼくらの町って、すごくバードウォッチングに向いてるんだよ。だって、住宅地や公園だけでなく、畑や田んぼ、それに山や川だってあるし。なんといってもすごいのは、湖まであることだよ。だから、いろんな種類の鳥が見られるんだ」
秀平は、去年、町のバードウォッチング教室に参加して以来、すっかりはまっているんだという。
「今の季節だと、朝早く行けば、お昼までに軽く三十種類は見つけられるよ」
「ほんとう? そんなにたくさん?」
三十種類と聞いて、急に興味がわいてきた。
鳥といわれて頭に浮かんでくるのは、ハトやスズメ。それに、最近やたらと増えてゴミ箱をあさっているカラスぐらいだ。自分のまわりにそんなにいろいろな鳥がいるなんて、とても信じられなかった。
秀平がわずか一年弱の間に七十八種類もの鳥を確認できたと聞いて、とうとう孝志は行くことを約束した。
ところが、そのあとの週末は雨続きで、今日までのびのびになっていたのだ。
秀平とバードウォッチングに行くと聞いて、孝志以上に喜んだのはとうさんだった。
とうさんは、翌日すぐに、すごく高そうな双眼鏡を買いこんできてしまった。
(初心者用でいい)
っていったのに、どうやらドイツ製の高級品らしい。
「倍率は高ければ高いほどいいのかと思ったら、そうでもないらしいんだよな。鳥ってのはチョコマカ動くから、7倍から10倍ぐらいがちょうどいいらしいんだ」
ネットでも調べたのか、いやに詳しくなっている。
「ほら、持ってごらん」
そういって差し出された双眼鏡を持ってみると、思ったより軽い。それにゆるやかなカーブを描いた形が、ピタッと手になじんでくる。
目にあててみると、いきなり居間の飾り棚に置いてある博多人形が、視野いっぱいに飛び込んできた。
でも、ちょっとピンボケだ。
「まん中のダイヤルで、ピントを合わせるんだよ」
横から、とうさんがいっている。
孝志が少しずつダイヤルをまわすと、くっきりと描かれた人形の顔がはっきりと見えるようになった。
居間の壁に沿って、見る先を少しずつ動かしていく。
孝志が3才のときの虫歯予防の表彰状。去年の習字コンクールで優秀賞をもらった「大空」。
最後に、額に入ったかあさんの笑顔がアップになった。
その後も、とうさんは必要以上に張り切ってしまった。
「リュックはいらないのか?」
「靴は山歩き用のがいいらしいぞ」
「雨具は軽くて折りたためるポンチョ式のがあるぞ」
と、いろいろといってくる。
半年前にかあさんが亡くなってから、孝志が自分から何かをしようとするのは初めてのことだった。だから、とうさんはよほどうれしかったらしい。
「まだ始めてもいないのに、そんなに買いこんだってしょうがないよ」
孝志が文句をいうと、
「いや、せっかくやるんなら、形から入るってのも、最近はありだぞ」
と、なかなか引き下がらない。そして、孝志の忠告など聞かずに、次々と買いこんできてしまった。
いろいろな野鳥の鳴き声が録音されたCD。ナップザックや大きなひさしのキャップ。
びっくりするぐらいいろいろな物を買ってきた。
図鑑などは、バードウォッチングに携帯できる小型のだけでない。ずっしりと重たい本格的な物まであった。それには、日本だけでなく外国の野鳥までがのっていた。
まあ、そのおかげで、雨で伸び伸びになっている間に、野鳥の鳴き声や名前をずいぶん覚えることができたけれど。
「おーい、タカちゃーん」
待ち合わせ場所に先に着ていた秀平が、中学校の校門の前で手を振っている。
「おはよー」
孝志もそれにこたえると、かけだしていった。
秀平は、孝志が首からぶらさげている双眼鏡に気づくと、目をまん丸にして驚いていた。
「それ、もしかして、ツァイスのT457じゃない?」
「うん、とうさんが勝手に買ってきちゃったんだ」
孝志が恥ずかしそうに答えた。
「ちょっと、さわってもいい?」
秀平が遠慮勝ちに手を伸ばした。
孝志は、すぐに双眼鏡を首からはずして手渡した。
「すげえ、やっぱりクリアに見えるなあ」
あちらこちらを見ながら、秀平は感心したような声を出していた。
孝志は、代わりに秀平の双眼鏡を受け取った。それは、黒塗りの古くて大きな双眼鏡だった。
のぞきこもうとしたら、手前の左レンズがポロリと取れてしまった。孝志は、あわててそれをもう一度はめこんだ。
「じゃあ、始めようか?」
秀平はそういいながら、ツァイスのT457を孝志に返した。孝志も、レンズが落ちないように気をつけながら、秀平の双眼鏡を戻した。
「まずどこへ行くの?」
孝志がすぐにでも歩き出そうとすると、
「待って、ここにもすごいのがいるんだぜ」
秀平はそういうと、孝志を中学校の中へ連れていった。校舎の中ほどがアーチ型になっていて、反対側の校庭につながっている。
「ほらっ」
秀平が指差した天井を見上げると、背中が黒くおなかが白い鳥が何羽もいた。ツーイ、ツーイと上へ下へとせわしなく飛びかっている。秀平によると、虫をつかまえているのだそうだ。
「ツバメ? でも、それって、夏しかいないんじゃなかった?」
「うん。これはイワツバメっていって、一年中いる鳥なんだ」
孝志は、けんめいに双眼鏡でイワツバメを追いかけようとした。
でも、すばっしこくってなかなかキャッチできない。
「1種類目はイワツバメと」
秀平はポケットから小さなノートを取り出すと、ひもで結びつけてあるちびた鉛筆で書き込んだ。
「なんだい、それ?」
孝志が聞くと、
「フィールドノート。観察した鳥の名前を書いておくんだ」
覗き込むと、前回のところにはびっしりと鳥の名前が書きこんであった。
大戸橋のたもとから、二人は沢へ降りて行った。二、三メートルしか幅のない浅い流れだが、これより上流に家がないせいか、意外と水は澄んでいる。秀平の話だと、もっと上流まで行けばサワガニがいっぱいいる所もあるらしい。
その時、二人の頭上を白い大きな鳥が横切った。
「シラサギだ!」
孝志は興奮して叫んだ。
こんなに大きな鳥が家のそばにいるなんて、今までぜんぜん気がつかなかった。
「正確には、コサギだけどね」
見なれているのか、秀平は意外と冷静だ。
(シラサギという名前の鳥はいなくて、大きさによってコサギ、チュウサギ、ダイサギというのだ)
と、孝志に教えてくれた。
コサギは沢に沿ってゆうゆうと滑空すると、50メートルぐらい先にそっと舞い降りた。
双眼鏡でのぞくと、魚をねらっているのか、流れの中にじっと立っている。
孝志と秀平は、コサギを驚かさないように、岸辺に沿ってゆっくりと近づいていった。
コサギは川の中ほどで、一本足でやや前かがみになりながら、じっと水面をにらんでいる。まるで、あたりの風景に溶け込んでいるかのようだ。
少し先を進む秀平をけんめいに追いながら、孝志は頭の中がジーンとしびれるようなうれしさを感じていた。
その後も、二人は次々と違う種類の鳥を見つけていた。家が密集しているような所でも、意外にいろいろな鳥を見ることができる。
ポポー、ポポー、ポポー。
電線には、キジバトがつがいでとまっている。
広い庭のあるうちでは、芝生の上を黄色いくちばしをしたヒヨドリが歩き回っていた。
高いこずえの上では、巣でもあるのか、たくさんのムクドリがペチャクチャとおしゃべりしている。
やがて二人は、ひろびろとしたお寺の境内に出た。
「あっ、ウグイスだ」
孝志が指差したところには、ウグイス色をした小さな鳥がいた。
「違うよ、メジロだよ」
秀平が答えた。
「よく見てごらん。目のまわりが白いから。ここが黒かったらメグロなんだ」
孝志は双眼鏡のダイヤルを調節して、その鳥にピントを合わせた。たしかに、目のまわりが白くなっている。
「メジロって、うちの町鳥なんだぜ。つまり町の鳥ってわけ」
「へーっ」
孝志も国鳥がトキだってことは知っていたけれど、町鳥なんてものがあるなんて、ぜんぜん知らなかった。
本堂の屋根に、白と黒のツートーンカラーのきれいな鳥がとまっている。長い尾っぽをヒラヒラさせている。
オナガだ。
ギャー、ギャー、ギャー
オナガは、見た目とは似つかわない汚い声で鳴きわめいていた。
11時すぎに、二人は小倉山の中腹にある発電所まで来ていた。
「タカちゃん、ちょっと休もうか」
歩きなれないせいか、孝志はすでにかなり疲れてきていた。日差しも高くなって、3月だというのに額には汗もうかんできている。そんな様子に気がついた秀平が、声をかけてくれたのだ。
二人は背中からデイバッグをおろすと、発電所の横の芝生に腰をおろした。
ここはなかなか見晴らしが良かった。正面に丹沢の山々が、幾重にも重なって続いている。その向こうには、真っ白な雪をかぶった富士山が頭をのぞかせていた。
「いい物があるよ」
秀平が、デイバッグからチョコレートを取り出してくれた。
「これを食べると、疲れがとれるよ」
「サンキュー」
ほおばると、口の中にほろ苦い甘さがひろがった。なんだかチョコレートに元気をもらって、これからの急な坂道を登っていく力がわいてきたような気がした。
ホホホッホーーー、ホケキョ。ケキョケキョ。ホーホケキョ。
眼下の雑木林からは、あちらこちらから、これは本物のウグイスがいい声を聞かせてくれている。
「あっ、イカルだ」
秀平が指差す高い木の上のてっぺんには、大きな黄色いくちばしが特徴的な鳥の群れがとまっていた。
一歩一歩、足元を見つめながら、長い坂道をゆっりと上っていく。
(そうすると疲れない)
って、秀平がアドバイスしてくれた。
ようやく登りきって最後カーブをまがると、急に前の景色が開けた。
城山湖だ。周囲3キロそこそこの小さな人造湖だけど、深い緑色の水をたたえた美しい湖だった。まわりには家などは一軒もなく、ぐるりを山に囲まれているので、いつも静かだった。
観光地の湖と違って、やかましいおみやげ屋や遊覧船のアナウンスがないのがいい。
(自然そのものに包まれている)
って、感じだ。
ここは、孝志たちにとっては、おなじみの場所だった。遠足やお花見、それに秋のもみじ狩りなどの時に、ここまで足をのばしている。
「放流によって、湖の水位が急激に上下しますので、絶対に柵の中に入らないでください」
テープに吹き込まれた、おなじみのアナウンスが、聞こえてきた。
フェンスの向こうをのぞきこむと、下のほうに、今日も監視の目を盗んで釣り糸をたれている人たちがいる。
夜間電力で川から水を組み上げ、昼間はそれを放水して発電する。揚水式ダムというタイプだと、社会科で習っていた。そのため、湖に流れ込んでいる川は、一本もなかった。
でも、釣り好きの人がこっそり放流したのか、けっこう魚が住みついている。そして、それをねらっている水鳥たちも、秋から春にかけてはたくさんやって来ていた。
「オシドリ、マガモ、それにカイツブリ」
遠くの湖面に、黒い粒のように見える鳥たちに双眼鏡を向けながら、秀平がつぶやいた。
孝志もそちらの方に双眼鏡を向けたけれども、距離が離れすぎていてどんな鳥か良くわからない。このくらい離れていると、孝志の8倍の双眼鏡では無理なのだ。
秀平のは倍率が12倍なので、少しはましだ。二人は双眼鏡を交換しながら、湖面に浮かぶ鳥たちも観察していた。
でも、なかなか細かいところまではわからない。図鑑と見比べても、慣れない孝志には、なかなか鳥の区別がつかなかった。
「やっぱり、双眼鏡じゃあ、はっきり見るのは無理だなあ」
とうとう秀平も、あきらめたように双眼鏡をおろした。
このくらい離れていると、最低でも20倍以上の倍率が必要なのだという。しかも、そんなに倍率が高いと、双眼鏡では手で持っているので、視界がぶれてしまうのだそうだ。三脚つきの本格的な望遠鏡でしか、見ることができない世界だった。
「あーあ、三脚つきの望遠鏡が欲しいなあ」
と、隣では秀平がため息をついている。
それでも、なんとか種類を見きわめようとして、孝志は双眼鏡にあてた目をけんめいにこらした。
コンビニで買っておいたおにぎりを湖の展望台で食べてから、二人は沢伝いに山を下っていった。
「あっ」
急に秀平は立ち止まると、後に続く孝志にそっとしているようにと、身振りでサインを送った。
「カ・ワ・セ・ミだ」
声をひそめて対岸の木を指差している。
「えっ?」
キョロキョロしてみても、どこにいるのかわからない。
「しーっ。そこそこ、枝の先」
秀平は、いっそう声をひそめている。対岸に植わった梅の木から、沢にかかるように枝が張り出している。その枝の先にカワセミはいた。
コバルトブルーの羽が、日の光をあびてキラキラ輝いている。おなかはくっきりしたオレンジ色だ。大きさは、そう、15センチぐらいだろうか。ヒヨドリと同じぐらいに見える。長いくちばしに短いしっぽ、肩をすぼめるようにして、じっとしている。
と、カワセミは何かにたたきつけられたかのように、いきなり川面めがけてダイビングした。一瞬、水中に沈んだと思ったら、あっという間にもとの枝に舞い戻ってくる。すごい早業だ。
長いくちばしには、まだけんめいに身をくねらせている10センチほどの魚をくわえていた。カワセミは魚を何度か枝にたたきつけると、天を振り仰ぐようにして頭から丸呑みにした。
「すげーえ」
隣では、秀平が小さくつぶやいてる。孝志は双眼鏡のピントをけんめいに合わせた。画面いっぱいにひろがったカワセミは、首をキョトキョトとせわしなく動かしている。もう満腹したのか、獲物をねらっている様子には見えない。
やがて、カワセミはいきなり枝を飛び立つと、下流に向かって水面すれすれを一直線に飛んでいってしまった。
沢伝いに町はずれまで降りてくると、急にポッカリと開けた場所に出た。
鉄筋4階建ての大きな建物。今年できたばかりの「町民健康福祉センター」だ。入り口部分は屋上までの吹き抜けで、その正面は大きなガラス張りになっている。お日様に照らされて、ピカピカに輝いていた。
「ああっ、今日もだ」
秀平はそういうと、先に立ってかけだした。孝志もあわてて追いかけると、秀平は入り口の前で何か黒っぽい物を拾い上げている。
「何だい?」
そばへよってみると、秀平が両手にかかえていたのはかなり大きな鳥だった。もう死んでいるようだ。
「トラツグミだよ」
秀平がポツンといった。
「どうしたんだろう?」
「あの大きなガラス窓にぶつかっちゃたんだよ」
二人は、キラキラ光る大きなガラス窓を見上げた。
「あんまり大きくって透き通っているので、鳥にはガラスがあることがわからないんだよ」
「ふーん」
トラツグミの薄茶色の体には、黒い縞模様がくっきりとしていて、まるでまだ生きているようだ。
でも、秀平の手の中で、固く目を閉じたまま動かない。もう大空を自由に飛びまわったり、虫を捕まえたりすることはできないのだ。
孝志は、急にお葬式のときのかあさんの顔を思い出した。白くて眠っているようにきれいだったけれど、やっぱりどこか遠い所へ行ってしまった。
チッチッチッチ。
「ヒヨドリだ」
秀平がすぐに答えた。
ピロロー、ピロロー。
「ヤマバト」
また、すぐに答えた。
「正解!」
バードウォッチングの帰りに、秀平に家へよってもらっていた。野鳥のCDをかけて、鳴き声で名前を当てるクイズをやっている。間違えたら交代するルールなのだが、秀平が連続して的中させるので、孝志の番はなかなか来なかった。
「もうやめよう。シュウちゃん、ぜんぶあてちゃうんだもの。なんか他かの事をしようよ?」
とうとう孝志がギブアップした。
秀平が一緒に家に来たとき、とうさんは一週間分の洗濯にせいをだしていた。
「こんにちは」
秀平があいさつをすると、
「よく来たねえ」
と、孝志の友だちが来たことをすごく喜んでくれていた。
でも、どういうわけか、すぐにどこかへ車で出かけてしまっていた。
トントン。
部屋のドアが軽くノックされた。
孝志がドアを開けると、いつの間に戻ったのか、とうさんが大きなおぼんを持って立っていた。おぼんには紅茶ポット、カップとお皿が二枚ずつ、それに大きな白い箱がのっている。
とうさんは、おぼんを勉強机の上に置くと、箱を開いた。中には、おいしそうなケーキが六、七種類入っていた。ショートケーキ、モンブラン、フルーツタルト、シュークリーム、……。
でも、どういうわけか、すべて二個ずつあった。
「秀平くんが、何が好きかわからなかったから」
とうさんは、少し恥ずかしそうにわらうと、二人のカップに紅茶をついだ。
「好きなだけ、食べてな」
とうさんはそういうと、さっさと部屋を出て行った。
二人は思わず顔を見合わせると、次の瞬間、プッと同時に吹きだしてしまった。とても、二人で食べきれるような量ではない。
けっきょく、孝志がチョコレートケーキを、秀平がショートケーキをひとつ食べただけだった。箱には、まだごっそり残っている。
「そうだ。 おじさんにも一緒に食べてもらわないか?」
ケーキの箱を見ていた秀平がいった。
「えっ?」
少しびっくりしたけれど、秀平にうながされて孝志はとうさんを呼びにいった。
孝志と秀平は、かわるがわるに今日のバードウォッチングの様子をとうさんに話した。
甘いものが苦手のとうさんは、シュークリームをひとつ食べるのがせいいっぱいのようだった。だから、二人は話しながら、無理して二個目のケーキに手をのばした。
話が、湖の所まで来た時、
「あーあ、三脚付きの望遠鏡があればなあ」
と、秀平がまたため息をついた。
「そうだね。そうすれば、湖の鳥だけでなく、空の高いところを飛んでいる鳥を観察するときにも便利だろうね」
孝志もうなずきながら、そう答えた。
と、そのとき
「よーし、おじさんが望遠鏡を買ってやろう!」
いきなり、とうさんが興奮気味に叫んだ。
孝志は、こまったような顔をして、秀平を見た。
すると、秀平は、
「おじさん、そんなになんでもかんでも買ってやったりしたら、タカちゃんをだめな子にしちゃいますよ」
と、まるで先生か何かのような口調でいった。
「……」
とうさんは、しばらくキョトンとしていた。
でも、やがて少し恥ずかしそうに笑った。それにつられるように秀平も、そして、孝志までが大きな声で笑い出した。