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Brugge Style
manuela
ロンドン、気温はそれほど下がったわけではないのに、雨が多くグレーの日々が続いている(上の写真はパリでだが)。
政治的にも同じような色合いで、今月末いったい何が起こるのか起こらないのか。わたしが付き合いのあるこの辺の人々は、もうブリクジッドに関しては麻痺しているような感じさえする。
WINTER IS COMING...
わたしは寒がりだが、重ね着が苦手で、長袖が嫌いで、セーターが嫌いで、すぐに腕まくりする癖がある。
一番好きなのは、もちろんシフォンやレースやオーガンジーの蝉の羽のようなサマードレスにサンダルというスタイルで、これからの時期のおしゃれはとても苦手だ。
この話を友達にしたら、彼女はセーターが好き、タータンチェックが好き、カシミアを重ね、タイツの色を考え、フエルトの帽子に分量の多いストールやコートを羽織り、革のブーツを履くのが何よりも好きだと言った。
彼女はわたしのことを、身軽ですぐに旅に出る「海の民」だと言い、彼女自身のことを、ものを溜め込んで家にこもるのが好きな「山の民」だと形容した。
うまいなあ。
何事も対極的な2人なのである。
これからの苦手な時期、わたしが一番好きなアイテムはコートだ。
今年はまずはミラノでダブルフェイスの生クリーム色のコートを買った(ちなみにイタリアブランドはイタリアで買うと英国で買うよりも一割前後お安い)。
こういった単衣のコートは、欧州では埃よけだけではなく、体温調整に重宝する。ほとんど一年中着られる。
コートは黒や濃いグレーなどではなく、明るい色が好きだ。赤や緑や青や白。幾何学模様や色の切り替えになっているものはさらに好き。
自分が着る分では、黒のコートがあまり好きではない。
というのは冬になるとこちら英国では、誰も彼もがさまざまな素材の黒のコートを着ていて、まさに人混みが「黒山」になるからである。あそこに紛れたらわたしはウィンストン・スミスではないか...と思ってしまうほどである。
ついでに言えば型ではダウンの類が好きではない。あくまでもわたしが着るのではという意味ですよ。
そんなわけでなんとなく黒のコートを着ない冬が続いたが、今年はマックスマーラのマヌエラの黒を見て一目惚れしてしまった。完成度が高く、まるで素敵な女になったような錯覚さえ覚えるコート。クロゼットにかかっているのを見るだけで惚れ惚れする。
中は白の上下や、黒のデコルテのあいた服にパールとカメオをつけて赤い口紅を塗りたい。手元はバーガンディーのロング革手袋。
妄想が広がる。
と言うか、妄想こそがおしゃれなのである。
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manon2019 natalia osipova
ロイヤル・バレエ『マノン』。マノンNatalia Osipova、デ・グリューDavid Hallberg。
Natalia Osipovaもう最高...言葉なし。
今シーズンのわたしが見たマノン4人の中ではナタリアのマノンが文句なし一番一番好きだ。
言いたいことがたくさんあるので箇条書きにすると
ナタリアは猫か液体かという感じで、男性の欲望、理想の形に融通無碍にはまっていくマノンにぴったりである。
彼女はサポートされるのがものすごくうまい。ソロが少ないので『マノン』では特に重要か。
1幕目、デグリューに出会い、一緒に逃げるよう口説かれる際、最初はためらいの方が大きく、ある瞬間吹っ切れて決断するという瞬間がきっちり表現されている。
2幕目、再びデグリューと一緒に逃避行するが、1幕目のパ・ド・ドゥとは完全に雰囲気が異なっていて、彼女の感情が悔恨と希望の間を揺れ動き、それがいわゆる「ツンデレ」としてきちんとしかもさりげなく演じ分けられている。
踊りの技術が完璧なのはむろん恍惚とさせられるほど、かてて加えて人格や感情の変化、「時間」の経過を演じ分けられるのは彼女しかいますまい。
先日、芸術とは、存在しないものにありありとしたリアリティーを与え感じることかもしれないと書いたが、まさに!
ナタリアのマノンの映像は見つからないが、彼女の「ジゼル」(恋愛の喜びに輝く乙女が、当の恋人に騙されたと知り、気が狂い死んで男を呪い殺す精霊になる)のワンシーン。
生前、ジゼルの幸福の絶頂を踊るすばらしいのがあるのでこちらを載せる。
https://www.youtube.com/watch?v=3TLSrI_hXEw
この短い踊りは、例えばピケの速さと正確さなど技術が最高なのは当然のことながら、人生の喜びの絶頂に輝く若い女性でありながらも、すでに命の儚さと死の予感を同時に表現しているところにある。泣けますよ。
ナタリアの踊りはいつもこのように奥行きが深いのである。天才。最高。
ペアで一番良かったのはMarianela Nunez 、Robert Bolle組みだと思う。
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a mad tea party
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olympia と表現の自由
「表現の自由」とは、作品の美醜、優劣、好悪、巧拙、善悪、快不快、道徳不道徳、常識非常識...それらに準拠した概念ではない。
作品の効果として美醜、優劣、好悪...が生ずるとすれば、表現の自由はそれよりも前の段階にある、表現すべてに対して保障されている無制限の自由のことだ。
それゆえに、一般の人々に嫌悪感を引き起こす種類の作品をこそ、公権力が制限してはならないのである。
公権力による制限はすなわち検閲である(検閲と展覧会やコンテストのための企画・編集は違う)。
なぜそのような自由が保障されているのか。
普段からものを作ったり、書いたりしている方はよくご存知だと思うが、何かを表現したいという強烈で切実で根本的な欲望がわれわれを「人間」にしているからだ(と、思う)。
表現の自由は、どんなものであっても、まずは公権力によって守られねばならない。
大多数にとって気持ちのいい、美しい作品だけを守るために表現の自由があるのではないのである。
つまり、
それが美しかろうが、それによって嫌な気持ちにされようが、ありとあらゆるどんな作品も表現の自由である。
そしてそれを批判するのも抗議するのもまた表現の自由だ。
しかし、ある作品が気にくわないから抹殺せよ、破壊せよ、公金を使うなというのはしてはならないのである。
ましてやそれを公権力自身がしてはならない。
表現の自由が制限されるケースがあるとすれば、それが法を犯す時である。
例えばある作品を見て多数の人が不快ですというくらいでは、法を犯している(人権を損なっているなど)とは言えない。一方、マイノリティへのヘイトスピーチは犯罪です。
ある作品が表現の「場」に出て、あらゆる批評を経て、それでも残るか残らないかは時間が経たないと分からない。
しかし、その「場」というのは歴史的に振り返って、かなり正確な判断を下す場だとわたしは思っている。
マネは1859年以降、官展サロン・ド・パリへの応募を続けた。
今では考えられないが、1863年に出店した『草上の昼食』は現実の裸婦を描いた、破廉恥だ、とスキャンダルになり(当時裸体は女神の姿を借りてのみ描くものだった)、1865年のサロンに出展した『オランピア』はパリの娼婦を描いていると『草上の昼食』以上の批判にさらされた。
近代化したパリと、そこでのコミュニケーション不全かのような人間関係を描き、また新しい画風をもって彼自身はサロンでの成功を切望したが、常に多数側からは非難轟々であった。
おもしろいのは1863年のサロン審査が厳しく落選作品が多かったため、ナポレオン3世は、「人々が各自で作品を判断できるように」と落選展を開催したことだ。
この「落選展」には冷やかし客も多かったが、結果、通常のサロンよりも多くの見物客が訪れたそうだ。
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cheer me up!
栗の渋皮煮を刻んではさんだティラミスを
イタリア人には邪道と言われるかも
でもとても美味しい
この夏はレモンとライムのティラミスをよく作った
ブルージュのレストランでで食べた
マスカルポーネとレモンとライムのアイスクリームが
とても好みの味だったので
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