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「”知”のメタファー」な街




前回、オックスフォードの街がいかに知的な雰囲気に満ちているかということを説明した「つもり」だったが、もっとくわしく説明しろというメールを友人からもらったので今日はそのことに関して書くことにする。


このように毎度のことながらまずい文章で申し訳ありません。
わたしの文章の特徴は、しつこいのに説明不足(<自分が分かっているからこの程度でいいやという甘え)であること、書き始めの地点では記事内容がどのように着地するか予想できないので文章が最後まで蛇行する...などなどだと思う。これは欠点でありながらキャラクターでもある(笑)のでご容赦下さいませ。



オックスフォードについてはこのように書いた...

「古い石造りの堂々たる建物がずらっと並び、街を包むようにテムズ川が流れ、通りにはハイブラウな雰囲気が漂う。知的な顔立ちの人々(<ほめ過ぎ)。

あ、大学の街だから適当に「ハイブラウな」という形容詞を入れておけ、という Moet ではないのですよ。
ハイブラウな雰囲気が漂うというのにはちゃんと根拠があるのだ。

威厳に満ちた頑丈そうな建物が次の角まで続いている。その壁の連なりの一部に小さめのドアが口を開けている。かすかに光が漏れている。そのドアを入ると暗い渡し部分があり、その先には日に満ち満ちた明るい中庭が相当の広さで広がっているのだ(例えば左上の写真)。
これは絶対「知」のメタファーである。」


なぜこれが「知」のメタファーなのか?というK嬢からの突っ込みご質問だったので、以下のように説明したい(先日の記事にも挿入済みです)。


「知」の外側は、手がかりのないどこまでも続く頑丈でのっぺらな壁のような風体をしており、のっぺらであるがゆえにその向こうに何かがあると気がつかないこともあれば、素通りして済ますこともできる。
(だからしばしば「自分はよく知っている」と自己申請する人ほど世間が狭くものを知らないという矛盾が起こるのだ)

しかし志次第では「知」への「入り口」を見つけられる。

そして蒙昧な状態(暗い渡し)を通過すると、その向こうに別の世界が開けていると知ることができるのである(「知」はカバラを持ち出さないまでも常に神を中心にした強烈に明るい光で表現されるのであるからして)。


この入り口を見つけられる能力を「学力」と言うのだと思う。



オックスフォードはこういう街である。
学力の高い生徒が集まっているのもなるほどと思うのである。
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oxford




オックスフォードを初めて訪問した。
うちから北西へ約1時間半かからない距離。

いつものだらだら観光。見どころの半分くらいしか消化できず。
だからオックスフォードの街全部を見てまわったわけではないが、もし街中に住めるならという条件付きで、今のところわたしの「もし英国に家を買うなら」ランキングで堂々の一位になった。

夢見るだけでそれをサカナに小一時間わくわく話ができるわたしのような人は、おめでたいと言うかシアワセですよねー。


古い石造りの堂々たる建物がずらっと並び、街を包むようにテムズ川が流れ、通りにはハイブラウな雰囲気が漂う。知的な顔立ちの人々(<ほめ過ぎ)。

あ、大学の街だから適当に「ハイブラウな」という形容詞を入れておけ、という Moet ではないのですよ。
ハイブラウな雰囲気が漂うというのにはちゃんと根拠があるのだ。

威厳に満ちた頑丈そうな建物が次の角まで続いている。その壁の連なりの一部に小さめのドアが口を開けている。かすかに光が漏れている。そのドアを入ると暗い渡し部分があり、その先には日に満ち満ちた明るい中庭が相当の広さで広がっているのだ(例えば左上の写真)。
これは絶対「知」のメタファーである。

なぜなら...
「知」の外側は手がかりのないどこまでも続く頑丈でのっぺらな壁のような風体をしており、のっぺらであるがゆえにその向こうに何かがあると気がつかないこともあれば、素通りして済ますこともできる。
しかし志次第では「知」への「入り口」を見つけられる。そして蒙昧な状態(暗い渡し)を通過すると、その向こうに別の世界が開けていると知ることができるのである(「知」はカバラを持ち出さないまでも常に神を中心にした強烈に明るい光で表現されるのであるからして)。
以上、ご質問頂いたので説明を加えました。いつも分かりにくい書き方で申し訳ありません


話を戻そう。
そしてメインストリートを脇に逸れると個人商店が軒を並べているのがこの街をさらに魅力的にしている。最近「街の雰囲気は、個人商店が多いかチェーン店が多いかによりかなり左右され、わたしは個人商店が軒を並べている街が好きだ」という結論に達したので、オックスフォードはその面でも高得点だ。

...もちろんこれらは単にわたしの願望なのかもしれない。しかし観光客に願望以外のどんな感情があると言うのだね。観光客は願望とガイドブックだけをお供に今日も彼方を目指すのである。


また、オックスフォードからなら、夫がロンドンのオフィスに行くのもバーミンガムのオフィスに行くのもまあ中間地点だという地理的な利もある。バースは美しいが、われわれの現在の生活リズムには縁遠いので首位から転落。

しかし「娘の学校」のため今のところはオックスフォードに住まうのはさほど(いや全然)現実的でもないんですがね...彼女には望み通り寄宿舎に入ってもらおうか。







ここからは「絵画のように美しい」「この世のものとは思えないほど美しい」と言われ観光に大人気のコッツウォルズも近い。
コッツウォルズの話を聞くたび、「わたし、ブルージュから来たんですけど、本当に綺麗なんですねそうなんですねほんとうですね」と意地悪く思ったりするのだが(<もうこのことは前に書いたかしら・笑)、きっとブルージュよりもっと自然と溶け合うような村々なんだろうな...とドライブ途中の丘陵地帯を眺めながら思った。
実際、この辺りの丘陵地帯の美しさはちょっと言葉にはできないほどだ。どこまでも続く丘陵の優美なカーブと緑の色が「香り立つような」、と言えばいいのか。


オックスフォード、またじっくり訪問してみたい。
そしていつか brugge style をたたんで oxford style をやりたい...




宿泊はOld Parsonage。アフタヌンティーの時間にはライブラリーからフロントの待ち合いまでいっぱいいっぱいになるのは驚いた(予約必須)。かなり人気のようだ。17世紀の建物とスタイリッシュな内装が調和していてクリーンな感じ、おすすめです。
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....








謹んで黙祷を捧げます


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英国と言えば...ロンドン・ブリッジ(タワー・ブリッジ)




ロンドン橋 おちる
おちる おちる

ロンドン橋 おちる



マイ・フェア・レディ





(最後の「マイ・フェア・レディ」の部分が、「さあ どうしよう」や「落ちました」バージョンもあったと覚えている。これは地方によって違うのでしょうか)




大概の日本人が「ロンドン・ブリッジ」に初めて出会うのはこの歌で、に違いない。

2人で向き合って前方斜め上に腕を伸ばし、お互いの指先を合わせ、他の子たちがその橋の下をくぐりながらぐるぐる走る。「マイ・フェア・レディ」で歌が終わると同時に腕を下ろしてその時に捕まえられた子が負け...

たぶんこの遊び方が理由になっていると思うのだが、上の写真の橋を「ロンドン橋」だと認識している人は意外と多いのではないだろうか
(ええ、わたしはそうでした...しかし自分や自分の縁者が知らなかったからと言って、世間のみなさまもご存じないかもと思うのは大きな間違いの元ですな)。

実際はロンドン橋は普通タイプの別の橋であり(中世は跳ね橋だったらしい)、上写真にある華やかなのは「タワー・ブリッジ」、タワー橋だ。




橋が題材になった歌としては「アビニョンの橋の上で」というのもありますな
橋の上で
おどろよ おどろよ

橋の上で
わになって おどろ


おそらく橋の建築は大事業であり、しかも川の氾濫によって橋はたびたび流され、人々はそれを風刺し子どもにもそれが伝染した...って感じでしょうか。あるいは子どもがぐるぐる輪を作って回る、という遊びは柳田国男が言うように「口寄せ」の宗教的儀式を模倣してるのでしょうか。



今の子も原っぱで「ロンドン橋」遊びをするのだろうか。
ベルギーの小学校に6年間顔を出したが、子どもが「ロンドン橋」をやっているのは見たことがない。たぶん娘も知らないはず(今夜教えよう)。

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spruitjes




スプルイチェ。

別名(仏語) chou de Bruxelles ...
ブラッセル風シュークリーム?





などと想像してしまう方がおられるかもしれません。






英語で brussel sprouts






その正体は、子どもの天敵




芽キャベツ!!!!


その名の通り、ブラッセル近郊原産だそうだ。

夫は大好物のひとつにあげるが、子どもは、芽キャベツが好きな子どもには、たとえその子が好き嫌いのない良い子でも出会ったことがないほどの強敵なのである。
たぶんあの独特の青臭さがいけないのだろう。きゅっとする歯触りもいけないに違いない。
茎を見ると、なるほどブロッコリーがキャベツの仲間であるというのが納得できるが、こうして茎に密生しているのも何か...
わたしはトライフォ・フォビア(集合体恐怖)の気があるのでね...


わが家では夫用に塩水で茹でてからバターと塩こしょうで調理するのが常。
その時娘は代わりにブロッコリーを食べるのが常。

ここまで子どもに嫌われている野菜はベルギーでも英国でも他になかなかないような気がするのである。
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