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武田先生の話




3/25、追記ございます。

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テレビ番組「ホンマでっか」をたまたま見る機会があって知った、武田先生のサイトである。


わたしはこのサイトを10日くらい前からずっと読んでいたが、自分のブログに「これを読んでいます」と書くのにはためらいがあった。

なぜならわたし自身が原発や放射線物質等々に関して全く知識がないために、ここに書かれている内容が正しいのか、正しくないのか、冷静なのか、大げさなのか、判断が下せないからだ。


このサイトに掲載されている他の話題に関しては、わたしの判断で「何を言うてるねん、このおっさん」というのもあるし、中にはなるほどと思うものもある。世間でも同じように賛否両論だろうし、彼の研究業績を評価する人もあれば、痛烈な批判もある。


でも上に書いたように、わたしは原発、放射性物質の問題に関しては、自分で判断を下すだけの知識を持っていない。海外のサイトを追いかけ、ニュースを読んでも、情報が過ぎて余計に混乱するというのが現実だ。


武田先生は原子力第一種放射線取扱主任者であり、内閣府原子力委員会などで委員を歴任された専門家である。
われわれが今知りたいと思っている情報を、悲観も楽観もせず説明し、分からないことは分からないとはっきり明言し(すべて分かっている、すべて大丈夫である、すべて善処していると言う人ほど信じられないものはない)、調べてくる。かつ「間違えているかもしれないから、他の専門家の方が誤りに気づいたら、訂正して下さい」という姿勢で。

わたしは自分が馬鹿だけに、日頃からこういう知的な姿勢をとる人を信頼する傾向があるのだ。

他にも専門家の知識がなくても判断を下せるキーとして、例えば、非常時になってから規制値を緩和するのはよくないと繰り返しおっしゃるスタンスに、わたしは同意する。
事件が起きてから、「実は規制値は厳しすぎるので緩和します」と後だしジャンケン的に言うのは、科学的には正しいのかもしれないが、一般市民から「信用」を失う最悪に下手なムーブだと思うのである。


もし、自分が該当地域に住んでいたとしたら、必ず「参考に」しただろうと思う。だから紹介する(もうみなさんご存知かもしれないけれど)。
「乳児には飲ませるべきではないが、代わりの飲料がない場合は飲んでも直ちに健康には影響はない」「昨日は飲めなかったけど、今日は飲めるよ!大丈夫!」という繰り返しは何の足しにもならないので。


もちろん、いろいろな出所の情報を眉に唾しながら比較し、最終的な判断を下すのは個々人である。
時間が経って、「武田先生の話は大げさだった」と微笑する日が来るのを望む。



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追記:東京在住の方から「武田先生は原子力の専門家ではありませんよ」とご指摘のメールを頂戴した。

実は「武田は原子力の専門家ではない」と言われていることは知っていたが、
先生のサイトの「原発緊急情報 16」にもあるように、

「私は長く原子力関係の仕事をしていたので、その間に「第一種放射線取扱主任者」の資格を持ち、業務をしていた。

別に自分がどうのこうのということではないが、「武田は素人だ」という人もいるが、皆さんに安心してもらうために、第一種放射線取扱主任者は「日本人を放射線から守る資格」としては最高のもので、オールマイティに業務を行えることを断っておきたい。

このブログにも第一種放射線取扱主任者の方から多くのアドバイスをもらっていた。たとえ大臣といえども、放射線からの防御という点では第一種放射線取扱主任者の命令を聞かなければならない、そういう資格なのだ。」

ということから、「第一種放射線取扱主任者」で、内閣府原子力委員会などで委員を歴任された「原子力の専門家」とそのように書いた。
「放射線の専門家」と書いた方が適切なのだろうか(その辺りが分からず、メールを下さった方に確認しようとお返事を差し上げたのだが、受信拒否されているようだ。ご意見を伺うと共に、お礼を申し上げたかった。貴重なお時間をいただき、ご指摘下さいましたこと、ありがとう存じました)。

事実だけ述べるために、上記のように「武田先生は第一種放射線取扱主任者であり、内閣府原子力委員会などで委員を歴任された専門家である」に改めた。


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トウキョウ音頭




「東京電力福島第一原子力発電所の事故に関して、政府の原子力安全委員会(委員長=班目(まだらめ)春樹・元東京大学教授)は23日夜、放射性物質の拡散を予測した模擬計算「SPEEDI(スピーディ)」の結果を発表した。

 本来、事故発生時に住民が迅速に避難するために利用するはずだったが、東日本巨大地震による停電や計器故障で、前提となる放射性物質の放出量が分からず、避難に役立つ計算ができなかった。

 このため、安全委では20~22日の原発周辺の大気中の放射性物質の観測結果をもとに放出量を逆算。これを前提に、改めて放射性物質がどう拡散するか計算した。23日午後9時にようやく結果を公表したが、米エネルギー省が同日午前9時に独自の計算結果を公表した後だった。」(読売新聞 3/23のニュース、「放射性物質、初の拡散試算…原子力安全委」から抜粋)


このニュースを読んで、「全然スピーディちゃうやんか!」と突っ込んだ...

というのも事実だが、そこではなく、「23日午後9時にようやく結果を公表したが、米エネルギー省が同日午前9時に独自の計算結果を公表した後だった。」というところを取り上げたい。
これ、アメリカが出してなかったら、日本はまだ出してないと思いませんか。


日本の当局の対応というのは、常にこのように「誰かがまず音頭をとってくれないと...」と、

「日本語資料を基に韓国の代表団は、放射線量が上昇した時、原発でどのような事象が起きたのかと因果関係を尋ねたのに対し、保安院の担当者は「因果関係を詳しく把握していない。調査した上で回答する」と述べたという。」(毎日新聞 3/22のニュース、「<福島第1原発>原子力保安院、IAEA会合にお粗末対応」から抜粋)の、

「因果関係を詳しく把握していない。調査した上で回答する」とか
「直ちには健康被害は出ない」とか
「乳児は飲んではいけないが、それしか飲料がない場合は飲んでも差し支えない」など、

「のらりくらりと質問をかわし、実のあることは何も述べない」

という対応が特徴で、それはお家芸の域、と言われている。


ここから考えられるのは


実は本当に何も分かっていない。
隠したいことがいっぱい(数値だけでなく、政府と役人と企業のズブズブの関係)。
批判にさらされたり、議論になるのが嫌で、とにかくストレートに発言しないことにしている。つまり責任をとるのを避けたい。
そう振る舞うしか他に方法を知らない。

他にもあるだろうか...


たぶん、日本に対して「誰かに先に音頭をとってもらわないと...」や「のらりくらりと質問をかわし、実のあることは何も述べない」のは卑怯だ、こういう態度は改めて正々堂々と!と矯正をほどこしたり、罰則をもうけたりしても無理だと思う(それでもサムライか?と外国人は言うだろうけど)。
それに日本が戦後急成長を遂げたのも、また、今後確実に復興して行くだろうのも、もしかしたら日本人のこういう性質に因っているのかもしれないし。

「誰かに音頭をとってもらう」と「のらりくらりと質問をかわし、実のあることは何も述べない」は、日本の体質であるから、もうこれは不治であると考え、有事には日本はこういう態度でしか対応できない、ということをあらかじめ計算に入れた体制を今後は作って行くしかない。


...などと言いながら、どうやってそのような体制を作っていくのか、わたしには具体的な案を示すことができない。うん、誰かがまず音頭をとってくれないと!!(笑)



こんなしょうもないことしか書けなくて、本当に申し訳ないです。


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visit and support japan 2011




ほとんどのみなさんはすでにご存知だろう超有名ブログ「つれづれなるモナカ」のきなこさんが、こんな企画を紹介なさっている。


Visit and Support Japan 2011
グアムにお住まいの奈穂乃さんとおっしゃる方がfacebookで始められたプロジェクトだ。
簡単に説明すると、日本への渡航者数が落ちないよう、美しい写真をアップして外国人に日本の四季の魅力をアピールしよう...


実に多くの方が実にさまざまな形で行動されているが、海外からでも基本的なこと以外に、こういう形で協力/関与できるのだと、目からウロコが落ちたので、ここでも宣伝させて下さい。

みなさんのアイデア、行動力。すごいです。見習いたいです。


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日本人はなぜ冷静か




外国メディアが競って非常時における「日本人の冷静さ」を取り上げている。

被災地で列を作り、ゆずり合い、深々とお辞儀をし、現地入りしたレポーターをさえ気遣う被災者の方々の高貴な姿は、人の心を打つ。
わたしも自分が日本人のはしくれであることを大変誇りに思う。


なぜ、日本人は冷静でいられるのか。


各国のメディアが日本学者を連れてきて分析しているように、冷静の要因はいろいろ考えられるだろう。わたしは日本人が非常時にも冷静で礼儀正しくいられるのは、

日本が「均質的な社会」であること、
さらに、西洋とは逆に自然を「人間の力でどうにでもできるものとは思っていない」ところ

この2点にあると思う。



日本社会と日本人はこれまで、日本人には「個性がない」「多様性がない」と、さんざん悩んできた。

アメリカ人の自由主義を見習え、フランス人の個人主義を見よ、とか。みんなそろって外国の真似をしよう、さあ個性を身につけよう、と相和するところがもう全然個性的ではないのだが。
学校で、「みんな違って、みんないい」とみんなに声を合わせて合唱させ、みんながそれをおかしいと思わないのが日本人なのである。

でも、誤解しないで頂きたいが、わたしはそれこそが日本の「個性的で」いいところなのだと思っている。


個性が少なく、均質性の強い社会では、よく言われるように出る杭はガンガンうたれる。

なぜ日本人が「常に群れの中を均質にするようお互い気を配る」習性を身につけるに至ったのかは知らないが、日本列島においては、歴史を通して、均質性の高い共同体の方が、均質性の低い共同体よりサバイバルする確率が高かったのだろう。

特に非常時には、共同体の誰もが個性的な行動をとり、個性的なことを言い合い、礼を欠いて敵を作ったり、誰かを村八にしたりされたりするよりも、イワシの群れのように動く方が効率がよいのだろう。そのことを日本人はDNAレベルで生来身に付けているとしか思えない。

「常に群れの中を均質にするようお互い気を配る」共同体...そりゃ落ち着いて行動できますて。だってみんなが同じ言葉を話し、同じ物を食べ、同じような家族構成を持ち、同じような考え方をする「身内」。そこでは他の共同体構成員に「変」とレッテルされることが命取りなのだから。

また、日本が極端な階層社会でもなく、多言語社会でもないのはこういうことが関係しているのかもしれない。




次に「自然を人間の力ではどうにもできないもの」であるという考え方。

西洋の科学は、自然を通して神を理解するという観点から、次第に自然は人間の進歩のために利用するものという観点で発展してきた一方、日本はちょっと違う。
わたしは日本語の「しょうがない」という言葉が日本人の自然観をよく表していると思う(って絶対に誰かの受け売り)。
これに関しては今日はこれ以上駄法螺を吹く時間がないので次回...

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ヒーロー




一昨日位から、日本のメディアでも海外のメディアでも、ひんぱんに「ヒーロー」という言葉を見聞きするようになった。

一方で、例えば原発事故現場で作業をしておられる方は、「東電から元請けに話がきて、そこから1次、2次と下請けに要請があった。私も準備が整い次第向かう」という。海外メディアなどの注目については「残っている人がずっと放射線を浴びながら作業していると思われるかもしれないが、実際は法にのっとった管理で人を入れ替えながら作業を進めているので、英雄でも何でもないと思います」と冷静だ。」(毎日jp 21日のニュース)


「ヒーロー」の一般的な意味合いは、「普通の人を超える力・知識・技術を持ち、それらを用いて一般社会にとって有益とされる行為、いわゆる救世主としての行為を行う」人物(ウィキペディア)。
こういう時だ、われわれは超人的な能力を持つヒーローを待望し、歓迎する。



が、ここ数日、さまざまなメディアを見ているうちに、ヒーローというのは

「自分にはこの仕事に対して責任がある」と腹をくくって行動する人のこと

だと思い至った。

それは被災地や原発事故地で粛々と仕事している人たちだ。専門的技術や知識がある人、毎日毎日水を運んだり、炊き出しをしている人。また、被災者の受け入れをする人。


また、彼らヒーローは ”grown-up” 、つまり「大人」である。

何か大事が起こった場合、ただただ保身のために責任逃れをしようとし、他に責任をなすりつけ、何ら決断を下すことなく、仕事を回し、誰かがやってくれるのを待っているのは、年齢的には中年でも「子ども」である(わたしもそのひとりかもしれない)。

たぶん「子ども」には「大人になれよ」と言っても「いいよ、別に子どもでも。大人なんかになりたいとも思わないね。無事に任期さえ終えられれば!」と言うのだろう。


「大人」が多い共同体は住みやすい共同体だろうなあ。


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