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小さな世界





3月初めに発表されたフォーブスの長者番付 (フォーブスのニュース。World's Billionaires 2011: Record Year For The Richest)。

縁のない世界だ。

こういう人たちって幸せなのかなあ。幸せだとしたらどういう風に?幸せでないとしたらどういう風に?

想像もできない。

一日立場を入れ替わってやると言われたら、喜々として変わってもらいますけれどね(笑)。


さて、順位を見ると、わたしにとっては4位のコングロマリットが展開する小売りビジネスの内容が、普段日常生活を送る上でもっとも身近に感じられる。


ブルガリの時計をして
セリーヌの服を着
ヴィトンのバッグを持ち
ゲランの基礎化粧品とディオールの色ものを使用

普段はカルフールで食料品を買い
飛行場では免税店で買い物をし
パリではボン・マルシェに行くのが楽しみ
そしてモエやクリュッグのシャンパンが大好き

(うっ、こうやって列挙するだけで胸焼けがする感じ...)

そういう人物は日本にもたくさんいるだろう。

うむ、自分がいいと思って買ったものは、アルノー氏とその一族を肥えさせていた式神であったのか...と思うと、何かがっくりきませんか?
わたしは今はヴィトンのバッグなどひとつも所有していないにもかかわらず、ちょっとがっくりきた(笑)。


もちろん資本主義の原理に乗っ取ってゲームをした結果、利益が利益を生み続ける合法的な会社ではある。それでもわたしがこのコングロマリットに対して感じるこの一抹の生理的嫌悪感は何?


「まるで末端消費者たるわたしが息をしているだけで儲けていそう...」

そういうところがたぶん嫌なのだ。ええ、感情論です。

ルンペンプロレタリアートの一人一人の懐から100ユーロ200ユーロと小金を搾り取りながら生き延びているこの会社が。



単なる理想論だと言われるかもしれないが、われわれ人間に「成熟」というものがあるとしたら、それはあらゆる種類の人間が共存共生することだと思う。その点、どこの国の誰が何を買おうが、常に一人勝ちを独占する会社、というのはどうなの...
(このコングロマリットを出したのは、単なる例であり、電気などの公益事業を独占していたり、石油をコントロールしたり、数字を右から左へ動かしたり、「わたしが息をするだけで儲けている会社」はもちろん他にもある)


わたしはブルガリのジュエリーのデザインも、ボン・マルシェのセンスも、クリュッグのシャンパンも大好きだ。
一流ブランドには、なるほど洗練されたデザインや品質が伴っていることも事実である。

一方、ジュエリーは個人から買い、シャンパンは極小RMが作る地味なものを直で買い、最近はアメリカの小さい会社が作る化粧品を買うようになった。

今後は有名女優やモデルが華々しい広告を飾るような商品はできるだけ避け(すでに広告は、大掛かりであればあるほど以前のような幻想効果を期待できなくなっている)、小規模な会社が作る正直でいいもの、作り手や売り手とコミュニケーションがとれるものを特に応援する所存である(ま、そんなに単純な構図でもないわけですが)。
「小規模な会社が作る正直でいいもの」が発信され発見されるのに、ネットいうツールをわれわれが得たのは完璧ではないにしても福音ではあるし。



また、今この時期を機会に「公益事業」をより安全で公平な組織に体質改善して行き、首都一極集中型(富も人も情報も)を緩和するにはどうしたらいいのか、議論を始めていいと思う(<この一文だけが言いたかったのにこんなに長文になってしまった)。


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