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「マノン」と媚態





ロイヤル・バレエで公演中のプレヴォ原作「マノン」。

70年代にケネス・マクミラン(Kenneth MacMillan)によって、制作され、今年は彼の死後25年を記念して上演されるのだそう。

プッチーニのオペラも有名であり、また昭和世代は岩崎良美の歌った「わたしはマノン、マノン・レスコー、恋するために生まれた天使...」を覚えている人も少なくないはず...

今シーズンの「マノン」も何回も見に行くので、感想などはまとめて書こうと思っていたが、昨夜かぶりつきで観た話はどうしてもしたくて落ち着かない! (写真はROHより。2014年のもので、マリアネラとフェデリコ・ボネッリ)


マノンは大輪の花のようなマリアネラ・ヌネツ(Marianela Nunez)。
デ・グリューはミラノ・スカラ座が誇る美しきロベルト・ボッレ(Robert Bolle)。彼がどんな美少年だったかと言うとですね、15歳の頃の彼を見たルドルフ・ヌレエフが「ヴェニスに死す」のタッジオ役に抜擢した(実現せず)という逸話だけで十分だろう。

近くからボッレの美しい瞳の色まで見え、いや、あんな目をして、美しい体を折り曲げ、ひざまずいて下から見上げられたらどんな人間だってノーとは言えないでしょうよ。

マリアネラは発光する天使! 目線の送り方ひとつからしてマノンその人。
わたしがスニーカーを履いて仁王立ちをしても、マリアネラがポワントで立つバランスにはとうていかなわないと思うの。あの「つなぎ」の動きがどこにもない、どの動きもこの上なく決まる、しかもどこにも縫い目がないのは...天衣には縫い目がないらしいのと同じことだ。天上の技。

この配役でドラマが盛り上がらないはずがない。


話の筋は、適齢になったマノンが修道院に送られる道すがら、兄のレスコーの奸計でクリチザンヌ(高級娼婦。椿姫もそうだった)の可能性を見出す。妹を金のために娼婦にする兄というのもちょっと考えられないが、フランス革命直前、貧しい女には生き残る道は少なかったのだろう。
マノンはその美しさとコケットリーで一瞬で皆の欲望の的になる。学生デ・グリューもその一人だ。彼は色男で金と力はなく、マノンと一緒にパリに逃げようとする。
しかし、顧客から毛皮のマントとダイヤモンドのネックレスを与えられたマノンは、人生の選択肢が思ったより多いことに気がついてしまうのだ。
マノンはいっとき金持ちの男に囲われるが、再度デ・グリューに説得される。顧客から金を巻き上げて逃げようとし、捕まり、ルイジアナに流刑になり(デ・グリューは追って行く)、そこで死ぬ。


マノンはその美貌ゆえに、どこにいようが、どのような格好をしようが欲望の的になり、ついには身を滅ぼす。
岩崎良美は彼女が恋のために死んだように歌ったが、そうではないだろう。
彼女は無意識に人の欲望を異常にかきたてる(ジンメルによると、それは受諾と拒絶、イエスとノウの間を動く永遠の運動であり、人は気持ちを宙づりにされ、距離を感じ、しかも理想的だと思う)がゆえに滅んだのだ。
まさにファム・ファタル。落差とどっちつかずさ。

マリアネラは自分の魅力がコントロールできない女そのものだった。


(タイプミスが多くて失礼しました。最近、昼過ぎまでコンタクトレンズを入れないことにしているので...言い訳劇場)
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