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Brugge Style
英国第二の都市、バーミンガム
英国中部の町、バーミンガムへ行ってきた。
うちからは車で北西へ3時間ほどの距離にある、この英国第二の都市(マンチェスターを第二とする意見もあり)に足を踏み入れるのは6年ぶりだ。
今は亡きプリンスのコンサートのために行ったのは会場だけなので...これももうすでに4年前。
というのはバーミンガムを愛する方には大変申し訳ないのだが、バーミンガムは、「中核」・ロンドンが総取りして、あとにはわずかしか残されていない「周辺」・搾取された街の代表一位だからである。
もしかしたら住みやすい土地なのかもしれない。そうなら素敵だ。
しかし、文化文明的に高レベルかと問われたら...比較的高くない、と言わざるをえない。
以前にも何回か書いたことがあるが、大陸ヨーロッパに13年住んで英国へ来たわたしが最も驚いたことの一つが、大陸ヨーロッパの国々には首都とそれに比敵するくらい個性のある街がいくつもあるのに、英国にはそれがないことだった。
極端なロンドン一極集中。
わたしはこれがヘンリー8世が修道院を破壊したことに端を発しているのではないかと思っているが、他にも英国は昔から核家族の慣習が強く子供が早く親元を離れたことや、ロンドンが他の欧州都市に比較しても格段に早く都市化され、地方から人口が流入したことなどにも原因があるだろう。
世界システム論的に言うと、近代の世界は一つのシステムだ。世界にある国々の動きは、一つの世界・一つのシステムの中の動きでしかない。
例えば、「英国は先進国だが、ポーランドは途上中だ」とはせず、「英国が先進国になったために、その影響を受けたポーランドは先進国化できなくなった」と考える。
つまり、ある国が先進国として開発される過程で、別の国が食料や原材料生産地として徹底的に「開発」された結果、今の格差があるのである。
事実、ポーランドは、16世紀に欧州を襲った飢饉がきっかけで食料や原材料の生産に特化するようになり、英国など「中核」の経済に「従属」させられ、その構図は今も大きくは変わっていない。
ロンドンとバーミンガムの関係も同じなのだ。
ロンドンが開発される一方で、バーミンガムは開発がされなかったのでははなく、バーミンガムはロンドンの従属地域として徹底的に低開発化されたのだ。
バーミンガムの街のヘソであるのだろう、ヴィクトリア・スクエアにあるバーミンガム美術館はラファエロ前派のコレクションで有名なはずだった。
が、コレクションの数が減ったためだろうか、多くの展示室は今では子供の遊び場になっている。
その反対側に再開発された地域には運河が整備され、レストランやモダンなアパートがたくさん建っていて、新しく、明るく、清潔ではある。が、それがいじらしく、切なく感じるほど、ロンドンとの格差は大きい。
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