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正しいことを言う




先日の記事の一番最後に書いたことに関して。


いかにわたしがセコい小悪人であるとしても、

例えば十戒の後半にあるような人間と人間の基本的な約束ごとに対して「正しいこと」を言うつもりはないと言っているのではない。
また、世の中が少しでも穏やかになるのらば、公平な物言いをすることにやぶさかではない。


わたしは、駄文を書いたり、友だちにしゃべったり、娘に言い聞かせたりするときに、わたしの考え方は時間と空間(時代と環境でもいい)という枠の中に制限された非常にローカルなパラダイムか方便にすぎず、他の時間や空間の枠組みの中で生きている人の考え方はまた違うと思っているから、そういう意味で「正しいこと」を言うことに興味はない、と書いた。

えっ?その枠組みを超えて正義を果たす?それ、危ないです(あなたはアメリカか?・笑)。

それにこんなゴミのようなブログの初めから終わりまで「正しいこと」が書いてあって誰が読みたいと思う(笑)?



わたしはどんなに正しい考えを述べる人であっても、「自分だけが正しい」と考えている人を警戒している。で、逃走する。だってそういう人のハナシは必ずモノローグであり、他の意見を取り入れる踊り場みたいなものが全くないため、不愉快だからだ。

例えば強く何かを信ずる人(宗教でも主義でも史観でも株でも)にはそういう人がいるし
差別をする人にもそういう人がいるし
「下々の人間は何も分かってない」と本気で思っているエリートもそうだし
外には別の世界があるということを知るチャンスを制限されている知的貧困層にもそういう人はいるし

そう言いつつ力説を始めるわたし自身も同じ穴のムジナだし(笑)

まあどこにでもいるわけですよ。




わたしはここにわたしの枠の中で書けることを書いているだけであり、それは誤謬と偏見とうぬぼれに満ちている。

あ、だからと言って過激になんでも書くぞ、ということではない。正しいことは書けないにしても、友だちに「ちゃうかもしれへんけど...(ちゃうかもしれへんけど、というのはわたしと同年代の同地域出身の友人たちの共通のフレーズである。何かを主張した後に言い足すのである)」と話し、お互いコンセンサスへのとっかかりみたいなものを示し合うように、まあ、そのようなことをしたいのである。



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