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車窓からの眺め




久しぶりにブルージュ/ブラッセル間を結ぶ特急電車に乗った。
所要時間50分。途中は(丁度中間地点)ゲントに停車するだけである。


帰り道、電車が遅れ、ゲントを過ぎた頃からいったいどの辺を走っているのかが気になる。

時々過ぎる無人のような駅はどれも似通っている上、速度のために駅名も読み取れない。
駅から駅の間は、だらだら、だらだら、と牧草地が続き、ウシやウマが草をはみ、たまに街の教会塔がレゴのおもちゃのように見えるだけである。




これはブルージュークノック間の風景。


夜中などまさに真っ暗で何一つ見えない。

日本では、駅から駅の間に建物がいっぱいいっぱいに立ち並ぶ。お馴染みのランドマークが次から次へと見えるのはもちろん、そこかしこにある店や会社の看板からはいろいろな情報が読み取れる。市外局番から今どのあたりか分かることもあるし。
郊外や田舎を走る電車にしても、海の近くを走ったり、トンネルをくぐったり、谷間が見えたり、田んぼが短冊のように並んでいたり、風景がどんどんかわっていくので、現在地がだいたいどの辺りであるかということが分かったりする。


わたしはベルギーに住んでいて、自分が車なり電車なりで家に近づいて来ると「ああ、ここまで着たら這ってでも帰られる」と感覚するクセがある。

日本にいる時はその感覚も薄い。なぜならばそこここに人間の灯がともり、その灯によってすべての人間が喜ばしくも良きもののように思え(笑)、なにかしらの手がかりが常にあるように思えてそれが心地よいからだ。


わたしは人間が善であると信じている(孟子?)ようだ。


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