ボイシー日記

手がふさがっていては、新しいものは掴めない。

山本周五郎「樅ノ木は残った」。

2012-10-11 15:40:16 | 
先日「プロフェッショナル-男の流儀」で
高倉健の生き方や信条などが紹介されていた。
そこで高倉健が持っていたノートに、
山本周五郎の「樅ノ木は残った」の
文章が記されていたのが気になり
さっそく「樅ノ木は残った」を借りてきた読んだ。

「樅ノ木は残った」は、昔ドラマで見たような気がしたが
あらためて小説で読んでみると、
伊達騒動のどろどろとした内実がわかった。

仙台藩取り潰しを企てる徳川幕府と、それと結託して
私利私欲に走る藩の勢力と闘う主人公・原田甲斐。
大きな権力や陰謀と闘いながらも
事を荒立てれば相手の術中にはまると
じっと堪忍、辛抱して藩取り潰しを防ぐ。
「私」を捨てて「公」に生きる男らしい生き方に深く感動した。

高倉健のノートに書かれていたのは、
そんな原田甲斐の言葉で、
「火を放たれたら手で揉み消そう、
石を投げられたら体で受けよう、
斬られたら傷の手当をするだけ・・・」
だったように思う。
なかなかここまで我慢することはできないなぁ。
まさに、高倉健らしい。

また「意地や面目を立てとおすことはいさましい、
人の眼にも壮烈にみえるだろう、
しかし侍の本分というものは堪忍や辛抱のなかにある」
などという言葉もあった。
正論を立派に主張するのは、それはそれでいいのだが
それとは逆にじっとこらえ、一歩引いて考えることも大切だ。

だれかの俳句で「雪の竹や 跳ね返す力の ありながら」
というのがあったと思うが(うろ覚え・・・)、
まさにじっと堪忍の美学とでもいうのか、
無私の心で生きることの素晴らしさを知った。

山本周五郎と、藤沢周平、池波正太郎の3人は
60歳になってから老後の楽しみとして読もうと決めていたが、
そろそろ読み始めてもいいかなと思った。
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