ボイシー日記

手がふさがっていては、新しいものは掴めない。

芥川龍之介「お時儀」。

2009-07-20 09:58:44 | 
芥川龍之介全集を突破中だが
「お時儀」という短編がこれまた、素晴らしい!
素晴らしすぎる!

お~、そんなことも書いていいワケっ?
というくらい、心境を分析して描いている。
そんなことを小説にしようとしたこと自体が
天才なんだろうな。

保吉は、通勤駅で
毎朝8時の列車に乗り、夕刻は4時20分の
列車で降りることを日課としている。
保吉は、毎日きまった時間の汽車に乗れば
1ダースくらいの顔なじみはできるといい
そして、その中に一人のお嬢さんがいることに気がつく。
ただ、そのときは、お嬢さんを見ても胸が高ぶったりはしない。
ただ、顔なじみの人や売店の猫を見たときのように
「いるな」と思うばかりである。

 この「いるな」と書くところ、けっこう好きです♪

ところが保吉は、或る日の午後、
いつも朝見かけていたお嬢さんを
人ごみのプラットホームで見かけたのだ。
朝の時間帯ではない午後。
いわば、非日常で初めて目にしたお嬢さん。
新鮮な眼で見てしまう。
お嬢さんも、たしかにその瞬間、彼を見る。
そして保吉は、つい衝動的な行動にでてしまった。
彼は思わずお嬢さんへお時儀をしてしまったのだ!
彼は「しまった」と思ったが、、、
しかしお嬢さんも彼に会釈をして返した。

 「しまった」と思う気持ち、よくわかる。
 そんなことって、ふだんの生活にもある。
 たとえば、よくお昼を食べに行く料理屋で
 あまり話をしていない女給さんと
 へんな時間に横断歩道ですれ違ったりすると
 ついお時儀をされたりする。妙な間だ。
 お店では、親しくなっていないのに、
 外で会うと、へんな感覚が生まれる。

そして保吉は、次の日の朝、お嬢さんとすれ違うとき、
二人は顔をじっと見合わせたが、何事もないように行き違う。
保吉は、お嬢さんに、またお時儀をしたい衝動にかられたが
しかしお嬢さんは、しずしずと通り過ぎて行った。

一度会釈をしたから、もっと親しくなってよさそうなものだが、
日常に戻ってしまうと、またどこか、ぎくしゃくしてしまう。
あの挨拶は何だったのだ。。。
そこから親しくできる人もいれば、
また単なる「いるな」、という人に戻ってしまう分岐点。

微妙で不思議な気持ちのゆらぎを、
芥川龍之介は、グサグサと突いてくる。
鋭い観察眼と感性をもっていたんだなと、
あらためて感動した。

ブリーカー・ストリートの青春/大貫妙子
http://www.youtube.com/watch?v=ehIHaPcmCzA&feature=related

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