河童の歌声

歌声喫茶&キャンプ&ハイキング&写真&艦船

脂漏性皮膚炎

2023-02-22 06:56:39 | 健康


世にも恐ろしい脂漏(しろう)性皮膚炎という病名を医師に告げられてから2週間。
息も絶え絶え、青息吐息、気息奄々、死に物狂い、必死の形相で、この2週間を生きてきました。
私は生まれて初めて前途洋々、、あ、間違えた前途多難、艱難辛苦を耐えに耐え、
世間の冷たい視線を避ける様にしながら、
それでも何とか生きるか死ぬかの、惨いあまりにもむごい時間に耐えてきました。
「もう死んじゃおうかな」といった言葉が脳裏をよぎる事も多々ありましたが、
俺には、俺を待っているひと(女性)が居る。
俺にもしもの事があったら、いったい何人の女性が、ヨヨと泣き崩れるのだろうかと・・
それが、それだけが気がかりで、必死に、そして立派に生き抜いてきたのです。
本当に俺はエライ、自分で自分にご褒美をあげたいと思うばかりの今日この頃です。

症状に変化はなく、生きる為のお薬を飲み続けています。
しかし、薬だけに頼るヤワな事だけをしている訳にはいきません。
食品類では、死亡、、あ、間違えた志望、、また間違えた、脂肪。
糖分、コーヒー、酒は控える。
えッ、それってもう死んだ方がマシじゃんか。

摂るべき食品は、パンテトン酸を沢山含む、
乾燥シイタケ、納豆、卵なんかがいいそうだ。
俺、もう死んじゃおうかな、乾燥シイタケと納豆だけの人生だなんて・・・

生きてる内に、まだいくらかは元気に振舞っている私に、
まだ歌声喫茶などに時々は行ってる私に、
女性に対する情熱(スケベ心)が残っている私に、
お逢いしたい、一目でいいからお逢いしたいと思う女性達よ、
今日から3日間、オペレーターを増員して、お電話お待ちしております。


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リオデジャネイロ市民に喰い尽くされた船

2023-02-20 12:01:25 | 船舶
大型客船・マグダレヌはイギリスの会社が、
同社の基幹航路である、南米東海岸航路用の客船として、1949年2月に完成しました。
17500トン、全長173メートル。



この船は独特の外観となっていて、
イギリスの大型貨物船によく見かける分離型船橋構造が採用されており、
船橋構造物と中央楼構造物が分離している独特の姿をしていました。



マグダレヌは1949年3月9日ロンドンを出港し、
ブエノスアイレスに向けて処女航海に出発しました。
船はブエノスアイレスで大量の穀物と牛肉を積み込みました。
また客室も満席の状態でした。
出港したのは4月24日で、次の寄港地のリオデジャネイロには、翌25日に到着予定でした。

しかし、船は進路を誤り早朝、リオ(デジャネイロ)から28キロの地点で座礁。
連絡を受けたリオの港湾局から曳船2隻が現場に急行しました。
しかし2隻の曳船による離礁は不可能でした。
マグダレヌは暗礁に乗り上げたまま動かないのです。
ところがその夜から天候は荒れはじめ、激しい波浪からマグダレヌは暗礁から離脱したのです。

この時、船底が破損してマグダレヌの船倉に浸水が始まります。
再び曳船により港内の造船所まで曳航し修理をする事になりました。
そして船を万が一の沈没に備えて海岸近くに仮泊したのです。

この頃になると大型貨客船の遭難を知ったリオ市民はもとより、
近隣住民が海岸に集まってきて、珍しい見世物を眺めるように人々は群衆になっていました。
その頃、再び天候が荒れだし、曳船とマグダレヌを繋いでいたワイヤーが切れてしまい、
マグダレヌは海に向かって流され始め、リオ湾の入り口に突き出した砂州に乗り上げてしまいます。
それと同時に船体は二つに切断され、船首部分は沖に流されて沈んでしまいました。



このニュースを知った地元住民は、事故の海岸に群がり始めます。
そして大群衆は静止する警備の警官の声も聞こえずに、
切断されて露わになった船倉から、大量の牛肉はアリの様に群がった群衆に、
アッという間に数百トンの牛肉は持ち去られ、
船倉に続く客室からは豪華な家具や調度品は、たちまち運び出され、持ち去られてしまいました。

船は多数のアリの大群に襲われた姿で、全ての寝具、マットレスまでが消え失せ、
大群衆が去った後のマグダレヌ号の船内には何も無くなっていたのでした。
群衆は数万人に及んだと言われ、世界に類を見ない海難事故になったのでした。

悪いけど、チョッと笑ってしまいました。
って言うか、殆ど爆笑、抱腹絶倒だよね。
そんな状況になったら、アンタだけは見て見ないフリできる~?
ちなみに、この事故による死者はゼロでした。めでたしめでたし。


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缶コーヒーって、何故不味いの

2023-02-20 03:50:59 | グルメ


街中で一般的に見かける飲料自販機。
そこで買う缶コーヒーを、美味しいと思って飲んだ人はいるのでしょうか?
私も時々は飲むのですが、缶コーヒーに限って言えば、いつも不味い。
「微糖」と書いてあっても甘ったるい。
「無糖」は、私の好みではなく飲めたものではない。



家ではドリップで淹れて飲んでいますが、
妻は無糖、私は微糖で飲んでいます。
一時は無糖にしてみたのですが、やっぱりホンの少し砂糖は入れた方が美味い。



キャンプに行った時は、モンカフェのを淹れて飲んでいます。
缶コーヒーを飲むなんて事は絶対にありません、不味いんですから。
昔はフツーにインスタントコーヒーだけを飲んでいた時代もありますが、
一旦ドリップを飲むと、もうインスタントには戻れませんね。



高速道路のサービスエリアには、こういった紙コーヒーを売る自販機が置いてあり、
あれだったら美味しいのですが。
コンビニでも美味しいコーヒーを売ってますが、何だか面倒くさいのです。

「缶コーヒーは何故不味いのか」で検索したら、

〇  香りが無い。
   これは決定的にダメで、どんなに良い豆を使おうがどうにもならないそうです。
〇  ほとんどはロブスタ種と呼ばれる安くて不味い豆で、
   喫茶店では出せないような品種だそうです。
   美味しいのはアラビカ種という豆なんですが、コンビニコーヒーには負けるそうです。
〇  大量生産の為に、ベストな抽出は不可能。
   豆を多くすると長時間の抽出になり、苦味、コクが出過ぎてしまうそうです。

結論、コーヒーを美味く飲みたいのなら、その場で1杯を1杯を少量で淹れ、
いっぺんに沢山のコーヒーを作るのはやめるべきみたいです。
缶コーヒーに至っては、どう考えても美味しいのは無理と思うべきです。
コーヒーというのは、基本的にそういった飲み物であり、自販機などには向かないのですね。

コーヒーを飲みたいからといって、すぐそこにある自販機から、
美味しいコーヒーを飲もうというのは幻想に過ぎず、幻滅しか感じないのですね。
ハイ、わかりました~。

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伊豆の貴婦人・スカンジナビア号

2023-02-19 18:45:09 | 船舶




西伊豆の木負(きしょう)海岸に、
真っ白な美しい船(スカンジナビア号)が在ったのをご存じの方はいるでしょうか?
私は何かで見て、ずっと気になっていた船です。

スカンジナビア号の歴史は、1927年(昭和2年)まで遡ります。

スカンジナビア号は1927年にスウェーデンで完成しました。
最初の船名は、ステラ・ポリス(北極星)と言いました。
5105トン、全長127メートル。



ディーゼル機関推進ですが、帆船を思わせる長いバウスプリットが配置されており、
良き時代の帆船の美しさを再現する様なスタイルでした。

乗客数は全員が一等クラスのみの165名であり、
乗組員160名の内、120名が接客係という、至れり尽くせり対応の船でした。
それもそのはず、旅客は欧米の富豪や王侯貴族を対象とした船だったのです。

乗船客には、ノルウェーやスウェーデン国王。
ベルギーやオランダの王室一家。
各国首脳、著名な富豪や貴族などが多数含まれ、
本船によるクルーズ、(フィヨルドクルーズ・地中海クルーズ・カリブ海クルーズ)は、
欧米の上流階級の人々の最大の娯楽となっていたのです。

しかし、1939年に第二次大戦が勃発し、ノルウェーに停泊中であった本船は、
ドイツ軍に接収、ドイツに回航されドイツ軍人の宿泊、休養に使われていました。
戦争を無事に乗り切った本船はスウェーデンに戻され修繕工事が行われ、
1947年からアメリカを起点としたカリブ海クルーズに用いられましたが、
以前に比べ客層の品格はいくらか落ちていたようです。

1960年代に入り、船舶の安全基準に大規模な改定があり、
それに受かるには多額の資金が必要で、
船主は既に老朽化していた船体をあきらめ売却する事になりました。

買い取ったのは伊豆半島を中心にリゾート開発を進めていたコクド社でした。
日本に回航された船は、伊豆の木負海岸に係船され、船名をスカンジナビア号と改め、
富士山をバックにしたスカンジナビア号は、ホテル兼レストラン船として大当たり。
伊豆半島の主要観光施設のひとつとして定着したのです。

しかし、バブル景気後の経営は難しく、観光事業を中止し船を売却します。
船を買い取ったのはスウェーデンの興行会社で、2006年8月、香港に向け回航しました。
回航中に船体の老朽化による漏水が発生、漏水は遂に止まらずに、
9月1日、和歌山の紀伊半島潮岬沖で海没し79年間の歴史に幕を降ろしたのです。

1970年から25,6年間の営業をしていたのですから、
存在を知っていた私としては、もっと早く行っておくべきだったと残念な気がします。
欧米の王侯貴族や富豪が乗った豪華クルーズ船の香りを味わいたかった。
それにしても、タイタニックの様に処女航海で沈没してしまう伝説の船もあれば、
こういった長い歴史を持ち、様々な人達の思い出、記念となる船もいる。
人生と同じで、船の歴史と物語・・実に興味深いですね。


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遂に会えなかった、オコジョ

2023-02-19 12:03:29 | 登山
北アルプス、南アルプスと何度も3000メートルの世界に行った私ですが、
遂に最後まで会えなかったのが、「森の妖精」と呼ばれるオコジョでした。





夏と冬とでは体毛の色が変化しますが、それは雷鳥も同じですね。

オコジョはイタチ科で体長は16~33センチです。
案の定、絶滅危惧種に指定されてるので、飼う事はできません。

また、本土オコジョと、北海道に生息するエゾオコジョの2種に分類されています。
オコジョは完全な肉食である為に、気性が荒いそうです。
そうは見えないのですが、
自分より大型のウサギなどを襲う事もあるそうです。

〇 本土オコジョは尾瀬や乗鞍高原で見られ、
  長野県では県指定の天然記念物となっています。
〇 エゾオコジョは北海道に生息して、本土オコジョより大きいのです。



それに比べ、雷鳥は何度となく見ています。
一度など、私の歩く登山道(幅50センチくらい)のど真ん中に鎮座していて、
私が「お~い、そこ通りたいからどいとくれよ」とお願いしたのに、
「オメ~があっち行けや」と無言のポーズ。
仕方ないので、私が登山道を外して、ハイ松の中を迂回した事もありました。

オコジョ、一度でいいからお逢いしたかった(幻の妖精)なんですね。
そう言えば、歌声喫茶の世界でも、ここ数年逢ってないオコジョがいます。
彼女は、単なるオコジョなのか、妖精なのか?



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