河童の歌声

歌声喫茶&キャンプ&ハイキング&写真&艦船

モンスターバイク

2022-05-10 05:44:25 | バイク
8200ccのエンジン アメリカの怪物バイク ボスホス 【BOSS HOSS V8】


世界には怪物(モンスター)と言われるバイクが存在します。
冒頭の動画はアメリカのバイク、ボスホスです。
ボスホス社は1990年の創業で、
5700CC、6200CC,8200CCの超大型バイクを製造するメーカーですが、
8200CCは環境規制をクリア出来ずに廃盤となりました。





5700CCで言えば、シボレー製のV8エンジンで355馬力、車重は550キロ。
8200と5700では別物と言っていいくらいの差があり、
エンジンの全長で10センチくらい違います。
8200では1速で100キロ以上も可能で、
走行中に2速から1速にシフトダウンすると、ミッションが簡単に壊れてしまうそうです。
燃費は5700で9キロ前後。8200だと5~6キロくらいです。

【超レア】V8エンジンのモンスターバイク 【モトブログ】


アメリカにはボスホス以外にも、
モンスターバイクを製造する会社があります。
ビックカノン社です。
1990年代初頭の創業で、ボスホスと同じ8200CCのバイクを造っています。





エンジンはシボレーのV8、502馬力で、
この車の他に5000、5700,5800エンジンのバイクも造っています。
ミッションは独自のオートマチックで車重690キロ。
その価格は800万円だそうです。

いずれのバイクもバイクの範疇を超えたモンスターエンジンが売りであり、
その魅力に憑りつかれた人は、他のバイクに見向きもせずにその虜になるみたいです。
その走りは日本の様なワインディングロード(曲がりくねった道)の多い道路では、
本来の豪快な走りを求めるのは無理で、
やはりアメリカの広くて直線が延々と続く道路で、本領発揮となるのでしょう。

【TRIUMPH Rocket 3 R】身長158cmのバイク女子が3気筒2500ccに挑む! の巻【試乗】


それとは別に、私が最近知り、ある意味ショックを受けたのがこれです。
それはイギリスのトライアンフ、3気筒2500CCです。









最近、数回訪れている(道の駅・道志)で、
ある日、それが別々の人によって2台同時に見る機会があったのです。
「何だ、この見慣れないバイクは?」と近づいて見たら、
ガソリンタンクにあったのがこれ。



「エッ、これってトライアンフじゃんかッ!」



私がかつて愛し、世界一美しいバイクとわめき狂った愛しのバイク。
これをかつては愛車として跨っていた事を誇りとしていたトライアンフ。
古き良き時代を象徴するイギリスのバーチカル(垂直ツイン)2気筒エンジン。
その排気音の魔力に憑りつかれたトライアンフ。

そ、そ、それがね~、俺に何の断りもなく、自分勝手に大変身などしていたとは・・・
あ~~~~信じらんな~い。
何なんだこの大変身は・・

しかし、よく考えてみると、この数十年、世界のバイク界は日本一色といっても過言ではない。
ホンダ・ヤマハ・カワサキ・スズキ、
この日本製4社で世界のバイク市場の占有率は・・
よくは知らないが外国のバイク屋さんは、もう色を失っていたんだと思います。

そういった中で、かつては世界をある意味引っ張っていたイギリスは、
もう色褪せるばかりで気息奄々、意気消沈だったと思います。
ではどうするか?
今更、日本の後を追いかけ(日本になりたい)と片想いするんではなく、
これからは俺達が世界を引っ張って行くんだという強い思いがあって、
それがこういった形になっていったのでしょうか。

そんな事を考えさせられたトライアンフ2500でした。
時代というのは、どんどん変わる、それでいいんだとは思いますが・・



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

玉川上水

2022-05-09 07:29:56 | 歴史




東京都民で玉川上水を知らないという人は少ないでしょうね。
私も勿論、子供の頃から名前くらいは知っていました。
しかし、あまりと言うか詳しい事は殆ど知らないというのが事実です。
先日、フェイスブックで玉川上水の事を少し書いている人がいて、
それで私は初めて「玉川上水」がどんなものなのかを知りたくなりました。

世界中の何処の都市でも、そこに住む市民の飲料水は重大事項です。
それが無い事には、そこに住む事は出来ません。
そこで何処の都市でも様々な手段で水を確保する工事が行われてきました。





東京(江戸)も勿論例外ではありません。

江戸には6つの上水道が在りました。
神田・玉川・本所(亀有)・青山・三田・千川。
上水道の建設は1590年より始まり、
玉川上水の完成を経て、1657年(明暦の大火)後、
江戸市民の拡大によって4上水が加わり、計6つの上水道になりましたが、
しかし、江戸時代を通じて使用されたのは、
神田上水と玉川上水に限られ他の4上水は1722年に突如、一斉に廃止されました。
廃止の理由は改修に金がかかる為とされています。

1590年、徳川家康が江戸に入りました。
しかし江戸は海に近く、湿地帯だった為に、
井戸を掘っても「塩の味がする」という場所だったので、
家康は大久保藤五郎に上水道の整備を命じます。
藤五郎は小石川の流れを利用し、神田上水の原型を造りました。

神田上水整備から15年経った時に、
家康が征夷大将軍に任命されると江戸の人口が増え、世界一の大都市になり、
(その頃、江戸の人口は100万人近く、世界第二位のロンドン、63万人の遥か上でした)
家康は井の頭の有力者であった内田六治郎へ、更なる上水道の拡大を命じます。
六治郎は善福寺池を水源とする善福寺川、玉川上水の分水、
更に妙正寺川を併せるなどして神田上水を完成させます。
神田上水は明治維新後まで江戸市民の飲料水として使われましたが、
1901年に完全に廃止されました。

1652年。
江戸の飲料水不足を解消する為に、
幕府により多摩川からの上水道開削が計画されます。
工事の総奉行に老中の松平信綱、水奉行に伊奈忠治が就き、
玉川兄弟が工事を請け負いました。



資金として幕府は6000~7000両(約2億円)が拠出されました。
取水口の羽村から四谷までの標高差は約100メートルしかない為に、
工事は困難をきわめました。
当初は日野から取水しようとしましたが、
浸透性の高い関東ローム層によって水が吸い込まれてしまい、
2度目は福生からの取水を試みましたがこれも失敗。

第3案の取水口は羽村となりましたが、
高井戸まで掘った時点で幕府からの資金が底をつき、
兄弟は家や畑を売り払って3000両(約9000万円)を捻出し、
1654年、遂に玉川上水を完成させました。





上水は飲料水であり、水質を守る為に、
洗い物、漁業、水浴、塵埃の投棄などは禁止され厳重に取り締まられています。
また、水路の両側幅3間(5,4メートル)は、
保護地帯として樹木の伐採、下草狩りも厳禁となっています。

玉川上水というと、思い起こされるのは太宰治の入水心中事件です。





作家、太宰治は1948年(昭和23年)38歳。
玉川上水の三鷹付近で、愛人だった山崎富栄(28歳)と心中しました。



私は太宰治を描いた映画も観ましたし、
「人間失格」の本も読みましたが、
我々一般人には少し理解し難い人間性を持った人だと感じました。

まだゆっくりと歩いた事はないのですが、
機会があれば、色々な意味での玉川上水を歩くのも、
きっと良き感慨に耽る事が出来るのではないでしょうか。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

思い出いっぱいの長野の歌声

2022-05-01 06:59:51 | 歌声喫茶
コロナになってから、遠出が無くなってしまいました、が・・
2020年11月14日~15日の2日間、
私達は長野県での歌声喫茶ツアーに行きました。



行った先は戸隠高原のロッジ・アコールデです。
私達がロッジ・アコールデに初めて行ったのは2015年1月でした。
大雪の中をタイヤにチェーンを巻き付けて必死になっての戸隠行きでした。
2回目は同年5月に戸隠キャンプ場でのキャンプの合間に1泊したのでした。
それなので2020年は3回目のロッジ・アコールデでした。



逢いたかった仙台の歌友とも逢えて嬉しかった~。
アコールデ、オーナー糸賀さんの、あの素敵な笑顔にもまた逢えました。



また、ともしびスタッフの方々や、
ともしびの常連客とも再会できて、本当に素晴らしい日に、カンパーイ!





翌日、戸隠から長野市までは、直線距離で15キロくらいですが、
私達は真っ白な雪をかぶった北アルプスの山並みを見ながら車での移動。
あまりにも素晴らしくて途中何度も車を停めては写真を撮りました。
見知らぬ土地でナビに行先を誘導されながらでの移動は、
かなり楽しいものでワクワクしました。





善光寺へ向かう道で、信州の美味しい蕎麦を頂き大満足。
やっぱり「本場」と言われる土地で食すのは、いいんですよね。



そして、長野県在住の歌声ファンの人達からの熱烈なラブコールで、
開催された歌声会場。
私達を知っているよという人などから声をかけられ、それも感激でした。

コロナ禍の中での遠距離恋愛・歌声喫茶は、
ジーンと心を揺さぶる感動、恋しさに包まれ、
いつまでも余韻の残る日々となったのです。

あれからは、もう何処にも行ってません。
しかし、戸隠~長野の歌声旅行は本当に良かった、素晴らしかった。

♬ ヤッホー・・


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする