河童の歌声

歌声喫茶&キャンプ&ハイキング&写真&艦船

テンガロンハット

2022-05-15 12:39:58 | 映画


テンガロンハットとは、いわゆる西部劇でカウボーイがかぶっている帽子です。
テンガロンとは10ガロンという容積の単位で、
私は昔、写真の現像を暗室でやっていた時代に使っていた単位でした。
それが現像液だったか停止液だったか定着液だったかは覚えていませんが、
ガロンという単位が、3,8リットルという事は知っていました。
ですから10ガロンとは、38リットルという訳ですが、
テンガロンハットは実際にはそんなに大きくはないそうです。

何年か前にバイク事故で亡くなった俳優の、萩原流行氏はこれが好きだったとか。
アメリカでも古き良き時代の懐古趣味で、テンガロンハットをかぶる人はいるみたいです。
日本人でも、昔の「サムライ」を気取ってか、チョンマゲヘヤーのつもり姿の人がいるし。
いつだったか電車の中で、まさにチョンマゲを結っている一般人を見かけた事があります。

でも、西部劇でテンガロンハットをかぶったスター達は、
本当にカッコ良かった、カッコ良過ぎるほどカッコ良かった。
羨ましかったな~。



ジョン・ウェイン。



ゲーリー・クーパー。



アラン・ラッド。



クリント・イーストウッド。



ジェームス・コバーン。



ヘンリー・フォンダ。



リー・マーヴィン。



ランドルフ・スコット。



ジュリアーノ・ジェンマ。



リー・ヴァン・クリーフ。



クリント・ウォーカー。



バート・ランカスター。



オーディ・マーフィ。

アメリカ映画には、日本の時代劇と同じで、
そんな映画を観ては心を揺さぶられ、映画を観終わって映画館を出る時には、
「俺を誰だと思ってやんだ、容赦しないぞ」な~んて、
腰のピストルに手を伸ばす・・そういった男どもがきっと居るんでしょうね。

私も子供の頃は、自分が怪傑黒頭巾になったり、鞍馬天狗になったり、
かと思えば短い足を突っぱって石原裕次郎気取りだったり、
頭の中は吉永小百合を心から愛し「俺の愛は誰にも負けない」
そんな気になって映画館を後ろ髪引かれる思いで立ち去ったり・・

ま、映画を観た後って、男も女も、すっかりその気になっちゃうのね(笑)
しかし、日本人には絶対にあり得ない、テンガロンハット。
あれもまたいいもんだったな~。


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永遠のダブワンサウンド

2022-05-14 19:14:26 | バイク
おやじたちのW1 八ヶ岳ー野辺山 快走③編


ダブワンとは何でしょうか?
それは、カワサキ製のバイクW1(ダブルワン)から来ています。







カワサキは、以前あったメーカー「メグロ」が1964年に、
事実上倒産し、それをカワサキが吸収して、
かつての名車であった650CCの大型バイクをカワサキ名で造り続けているのです。



メグロの原型となったのはイギリスのトライアンフでした。
その650CC垂直(バーチカル)2気筒(ツイン)エンジンの生む音は、
如何にもオートバイといった独特の排気音で、
かつての私がそうだった様に、多くのファンを生みました。





しかし、現在のトライアンフは往年の良きスタイルとは言い難く、
日本製のカワサキW1にこそ、往年の魅力を保っています。
そういったファンはいまでもかなり居て、こういったファンクラブが在るのですね。

カワサキW1 埼玉に向け帰路編🍀。


オートバイと言えばダブルワン。
ダブルワンの音だけのCDも有ると言いますから、
この音の魅力に憑りつかれた人はかなり居るのですね。
どうぞダブワンサウンドを心ゆくまでお楽しみ下さい。






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動画編集に悪戦苦闘

2022-05-14 15:23:16 | 日記
もう何年も前から主に歌声喫茶のユーチューブ動画(赤川泰山)をネットで公開してきたのですが、
コロナカ禍もあって、殆ど1年近く新しい動画はアップしていません。
アップしたくても歌声喫茶自体がマスク着用、
前に出て唄えない状態になってしまい、動画としての面白味が無くなってしまったのです。

そういった暗黒時代が長引く中、
私は歌声喫茶以外の動画を求め、あれこれ考えていたのですが、
そんな中にも「これだったら面白い」といった素材をいくつか思いつき、
それを撮る為に新しいカメラを2台買い求めました。



その1台はゴープロです。



そして、もう一台がsonyのビデオカメラ。
この2台のカメラで、全く未知の分野の動画を撮ってみました。
しかし、何事も経験と言いますが、全くその通りでした。
やってみなければ絶対に解らない事ってあるんですね。
ゴープロに関しては、これからの出番があるかも知れませんが、
ビデオカメラに関しては全くの無駄足で、
昨日カメラ屋に二束三で売り飛ばしてしまいました。



それに代わって買ったのが、SONYの4Kカメラです。
結局、私が追い求めている動画を撮るには、
高画質の4Kでないと無理だと感じたのです。
4K映像は私の望みを叶えてくれる凄い高画質でした。
そこまでは良かった。
だけどね~、その高画質の持つ意味を再現する為には、
それに見合った動画編集を絶対にしなければならないのです。



で、私が買った動画編集ソフトは、フィモーラ9という物で、
それから間もなくアップバージョンとなって10になりました。

私はパソコンで新しい事を始めて、上手くいった試しがありません。
全滅なんです。
なので、新しい事を始めるというのは(トラウマ)となっています。
今回もその例に漏れず、さっぱり分かりません。



ですが、そんな甘ったれた事など言ってられる場合ではないので、
こういったユーチューブ動画を参考にしては頑張ってる(と思いたい)。
しかしですね~、他人のユーチューブ動画を観ると、
「こんなアホみたいなネーチャンや落ちこぼれ」なんかが、
へ~きな顔して、あったり前みたいな顔して動画をアップしてる。
「ヤイヤイ、お前らは俺が年寄りだと思って舐めてんのかッ」なんです。

あ~~~、俺はいつになったら動画をアップできるのか?
ハッキリ言って俺が撮った動画は絶対にイケル。
確かに先客が居る事もある。
故に断念した分野もある。
だけど、まだ誰もやった事の無い分野を俺は持っている。
しかし、それをするには、あるハードルを越えなければならない。

でも、それは先の話で、今はこれを編集する必要があるんです。
しかしな~、みんながやってる事なんだから、
俺も頑張ってやるっきゃない。
それは分かってます。

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沖縄の旋風(かぜ)喜納昌吉

2022-05-13 06:41:57 | 音楽
ハイサイおじさん


喜納昌吉は、1948年生まれの73歳。
彼の父は沖縄民謡歌手であり三線奏者として有名な喜納昌永です。

喜納昌永(1920~2009)
戦後、彼は沖縄民謡の黄金期を築きました。
一般的に「沖縄民謡」として思い浮かべる姿は、
喜納昌永の芸風であると言っても過言ではないほど、大きな影響と軌跡を残しました。

喜納昌吉はその昌永の11人兄弟の4男として、
米軍占領下のコザ市(現在の沖縄市)に生まれました。
以後彼は沖縄を一度も離れる事はなく、活動を続けています。
それもあって、彼の沖縄訛りの言葉は早口だし、とても聞き取りにくいですね。

私が喜納昌吉を知ったのは1975年くらいだったか、
写真学校の合宿で沖縄に行き、民宿にあったジュークボックスで、
上に載せた「ハイサイおじさん」を聴いて夢中になったからです。
「ハイサイおじさん」は喜納が高校生の時に作った歌で、
30万枚という大ヒットになり、それは沖縄の人達を驚かせました。
「言葉の違う沖縄の歌が流行る訳がない」と思っていた人達はみなビックリしました。

喜納は高校生の頃からあまり素行は良くなく、
賭博で大儲けをして外人の愛人をはべらせたり、
覚せい剤に手を染め、結局逮捕されて1年半くらい刑務所に入ったりしています。

喜納昌吉&チャンプルーズ - ハイサイおじさん


その後、琉球民謡を現代風にアレンジしたウチナーポップスを確立し、
チャンプルーズとして羽ばたいていきます。
高校生の時の大人しい歌とは、エライ違いです。

そんな頃、私はチャンプルーズのコンサートに2回行きました。
東京のどこかだったのですが、場所は覚えていません。

そこにはこんな人たちも一緒に出演していました。



現、世田谷区長の保坂展人氏。(66歳)
彼は中学時代から政治活動に目覚め、それ故に高校受験の内申書から、
全ての高校から拒否をされ、後に内申書裁判で有名になりました。



白竜(69歳)彼は佐賀県伊万里市出身の在日韓国人2世です。
兄弟で実家の解体業を手伝いながら白竜バンドを結成して音楽活動を始め、
後にコワモテの俳優として有名になっていきました。

そんな2人が若かった頃に、私がコンサートに行ったのです。



その頃にはまだ大ヒットになった「花」はありませんでしたが、
このレコードには、いい歌がいっぱい入っており夢中になって聴きました。

彼のコンサートは他の歌手とはかなり違っています。
舞台で踊りながら唄うスタイルの喜納は、観客たちに呼びかけます。
「みんな舞台に上がれ、みんな一緒に踊れ」と客を即すのです。
舞台に上がれない人達はみな客席で踊るスタイルなんです。

彼のある本を読んだ事があるのですが、
それは名前は知りませんがある哲学者との対談でした。
若い喜納はその哲学者に臆する事なく、対等に堂々と話していました。
喜納は一種のひらめきみたいな部分を持っているらしく、
何かの一部を見て、全てが解かってしまう様な特殊な感覚の持ち主みたいです。
その感覚をその哲学者は理解し、お互いに共鳴したりしていました。

歌声喫茶では「花」はよく唄われていますが、
世界60の国で3000万枚というトンデモナイ大ヒット作なんですね。
私は個人的には、他に好きな歌がありますが・・・

2004年には参議院選に出馬して当選し、議員さんとなりました。
2014年には沖縄県知事選に出馬するも、これには敗れました。

彼にはそういった政治的なスタイルが多くて、
その事には、ただ彼の歌が好きだという私は、チョッと付いていけない部分もあります。

しかし、彼が沖縄をある意味変えていった事実は動かしようがありません。
彼はまた「沖縄ナナサンマル」にも反対を表明し、その為のコンサートもしました。
「沖縄ナナサンマル」・・
沖縄が本土復帰をした6年後の1978年。
それまではアメリカ式に車は右側通行だったのを、
7月30日をもって、一斉に左側通行に改めたのです。
最初、私はそれが何故、反対なのと意味が分かりませんでした。
(日本なんだから日本式になる事はいい事じゃないの?)
しかし、喜納昌吉は、
「ヤマト(日本)は何でいつも頭から沖縄を押さえつけてくるの」
だったのです。
我々は沖縄なんだよ、もうヤマトからの押し付けはやめてほしい。
と言っていたのですね。

あの独特の沖縄サウンドは今でも好きだし、
自然と身体が動き反応する歌なんて、それは素晴らしい事ですね。





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大井川鉄道の旅

2022-05-11 19:40:30 | 旅行


先日放送されたBSテレビ東京「ローカル路線よくばり絶景旅」
私達は2017年8月にキャンプで訪れた場所でもあり、懐かしく観ました。
出演は村井美樹で、太川陽介とのバス・鉄道対決旅では「鬼軍曹」と呼ばれている、
おっかない、いえ、とっても素敵な女性で、現在は1児の母だそうです。
彼女が、途中まで市川紗椰&勝村政信と旅をしました。



私達が行ったのは、くのわき親水公園キャンプ場で、
ネットを通じて知った方がアップしていたのを見て行きたくなったのです。
天気にはあまり恵まれなかったのですが、とっても心に残るキャンプでした。

大井川鉄道というのは東海道線の金谷駅から、千頭駅までの39,5キロ。
また千頭駅から先は井川線と呼ばれる25,5キロ。総延長65キロの鉄道です。
村井美樹はいわゆる「鉄女・てつじょ」であり、
井川のひとつ手前の駅までは行った事があるのですが、井川まで行くのは初めてだったそうです。
井川線には日本で唯一の、アプト式鉄道区間があります。





日本一の急勾配を登る為に、アプト式と言われる、
レールとレールの真ん中にギアが刻まれており、
電車に搭載されている歯車をギアに嚙み合わせて滑らない様にしているのです。
その特別な電車を後部に繋ぐ儀式が、乗客たちに人気となっています。
確か昔は碓氷峠にもあったと思うのですが、現在はここにしか残っていません。







しかし、村井美樹は自他とも鉄女と認めるだけに詳しいし、
心底、大井川鉄道を楽しんでいる心意気が伝わってきて、こっちも楽しくなりました。





機関車トーマス号なども走っていて多くの観光客に大人気です。
実は私は、まだ一度も乗った事の無い蒸気機関車に乗ってみたいという願望があったのですが、
乗ったにしてもキャンプ場まで帰らなけらばならず、
それを計算に入れると・・残念ながらその夢は叶いませんでした。
本当に無念で後ろ髪引かれる思いです。



千頭駅からはバスで寸又峡温泉に行かれますが、
今回の日程ではそこまでは行く事は出来ませんでした。
妻は過去に行った事があり、そこには「夢の吊り橋」というのがあるだとか。
エメラルドグリーンの川(湖面?)は村井美樹は行きましたが、
テレビで観てもそれは本当に素晴らしかった。



終点から少し歩くと井川ダムがあります。
電源開発の為とは言え、このダムを造る為に延々65キロの鉄道を造ってしまう。
本当に人間って物凄い事を成し遂げてしまうものですね。



キャンプ場から歩いて30分くらいか、そこには塩郷駅があります。
ただしそこに行く為には220メートルという大井川で一番長い吊り橋を渡らないと行かれません。





これがその塩郷の吊り橋。
この地区に伝わる地名の基になった恋の伝説から、
平成14年(2002年)に町制40周年を記念して、
愛称を「恋金橋・こいがねばし」に決めたそうです。



この吊り橋で有名になったラブシーンがあります。
映画「炎の舞」で三浦友和と山口百恵の熱いキスシーンです。

村井美樹はこの橋を半分くらいまで渡ったのですが、
この映画・・山口百恵たちのラブシーンの事はまるで触れませんでした。
「アレッ?」
考えてみれば、映画は1978年封切り。
村井美樹はその翌年の1979年生まれで全然知らないんですね。

あ~あ、私達はそれだけ年取ったって事なんですね。
でも、とても懐かしく、楽しめた番組でした。
また村井美樹の路線旅が早く観たいもんです。


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