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望郷の丘

2018-09-04 07:38:27 | ハンセン病
望郷の丘と名の付く丘は、全国で数か所ありますが、
この丘は、東京・東村山の多磨全生園(たま・ぜんしょうえん)に在る丘です。

多磨には、多磨と多摩の二つがありますが、
これは、北多摩郡・多磨村と、
南多摩郡・多摩村とが在った為です。
玉川上水の玉川は、これとは違った意味合いだそうです。



多磨全生園は1909年(明治42年)に造られました。
その2年前の1907年(明治40年)に、
らい病(ハンセン病)患者に対する隔離政策が始まり、
それに合わせて創立されたのですが、
当時の東村山周辺は、広大な武蔵野の原野が広がる土地でしたが、
それでも住民は居る訳ですから、
らい病に対する強烈な恐れ、恐怖心から、
反対運動が起こり、流血騒動になったそうです。



全生園は108000坪あり、
単純計算では600メートル四方という区画です。
その中に、ハンセン病資料館があります。





その中には、当時の施設内の患者たちの生活を再現したコーナーもあります。
何故、らい病はそれほど恐れられ、忌み嫌われたのでしょうか?





手足が変形し、いずれは切断。
鼻がなくなり目は失明、全身の毛は抜け落ち・・
といった症状があまりに異様だったからです。



一旦、病気が発症すると、
患者たちは(お遍路さん)になったりしました。
お遍路さんだったら、人々は比較的優しく接してくれ、
食べる事には困らなかったみたいです。





しかし、隔離政策が始まると、
人々はこういった施設に強制的に放り込まれ、
何も悪い事などしていないのに、
まるで犯罪者の様な扱いをされたのです。

そういった患者たちは、生まれ故郷が恋しくて、
脱走者も後を絶ちませんでした。
施設側は脱走者を防止しようち、掘割を築きました。
その時に出た残土を患者たちが築き上げて造られたのが、望郷の丘でした。





高さは約10メートルといいます。
私が登った感じでは、それほど高くは感じませんでしたが。
それでも、かなり遠くまで見通せました。
創設期には、広大な武蔵野の原野だったのですから、
その見通しは現在より、遥かに素晴らしかったと思います。





この多磨全生園に20歳の時に、北条民雄が入所します。
彼は23歳で亡くなるまでに、数多くの短編小説を発表しました。



その中でも最大のヒット作が「いのちの初夜」です。

これは彼が全生園に入所して一週間の体験を書いたもので、
彼の名付けたタイトルは「最初の一夜」だったか?
チョッとうろ覚えです。
これを「いのちの初夜」と改名したのは、
当時まだ30代半ばの川端康成でした。
川端康成は、このハンセン病患者である北条民雄を、強く支援したのです。
北条もまた川端康成を(師)と仰ぎました。

この本の中で北条民雄は、
頭髪は全て抜け落ち、目玉は抜けて全盲。
手も足も切断して、まるでダルマさんの様になった、
中年とおぼしき、それでも、かつては高貴な人格であっただろうと、
何処となく察しられる男が、
ドンブリに首を突っ込む様にして食事をしている様を見て、
「こんなにまでしてまだ生きていたいか、浅ましい」と思うか、
イヤ、そうではない。
「彼は自分の命を一生懸命、生かそうとしているのだ」
それは(いのち)なんだ、(いのち)そのものなんだ。
と言っています。

望郷の丘に登ると、
遥かに富士山、筑波山、秩父の山々・・
そういった山並が見通せます。

生きては二度と帰れぬ懐かしい故郷。
親は、兄弟は、親戚は、友人は・・
彼等は一体どんな気持ちでそれを眺めた事でしょう。

自分が死んでも誰も来てはくれず、
それ所か、戸籍さえ抜かれてしまい、遺骨さえ引き取っては貰えず、
自分の人生は何だったのか?

望郷の丘に立った私は、
彼等の胸の内を思うと、あまりに切なく、こみ上げるものがありました。

ハンセン病の(らい予防法)は、
特効薬ができ、治る病気になった後も、ずっと存続し続け、
1996年になって、やっと廃止されました。
この、日本政府の姿勢には、大いなる怒りしか感じません。
こんな人権無視が、つい最近までまかり通っていた事は驚きです。

ハンセン病患者は実名を公表しないのが普通だったのですが、
北条民雄、生誕100年となって、
やっと実名が公表されました。

七條晃司(しちじょう・こうじ)

(條)という漢字に、自分の存在を託したのでしょうか・・

過去の病ではありますが、
人権無視という政府の無能無策を知る為に、
一度、東村山・ハンセン病資料館を訪れて下さい。
報われなかった彼等の心に触れて頂けたら・・





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