らい病は漢字で書くと「籟」と書きます。
本当はヤマイダレが付くのですが・・・
ヤマイダレの下には「頼る」という字があります。
らい病患者は、自力で生きる事は出来ません。
全て他人に頼らなければ生きては行けないのです。
らい病にかかった家族(主に若い人)を、
家族は土蔵に閉じ込めて、食事だけを与えて生かしていたりもしました。
らい病にかかった身内が居ると近所の人に知られると、村八分になってしまうのですから。
らい病の恐ろしさは、皆が何となく分かっていて、
誰しもがそんな患者が居ようものなら近づかないし、何とか排除したかったのです。
家族から友人から見放されたらい病患者は、仕事に就く事などあり得なく、
四国八十八か所巡りのお遍路さんとなって、さ迷いながらやっとの事で生きていったりしました。
そうやっていれば、少なくとも世間の人は同情的で食べ物をくれたりしたのです。
まさに「人に頼って」・・頼らなければ生きられなかったのです。
らい病は洋の東西に係わらず、古くから存在し人類を悩まし続けた病気です。
まるで治療法が無く、その結果の恐ろしさに人々は恐れ慄くばかりだったのですから。
まことしやかに(人の尻の肉を食べると治る)などという噂があり、
その為に殺されて尻の肉を食べられてしまった事件など存在したのです。
そのくらい治らぬ病気、恐るべき病気だったのです。
古くは戦国武将の大谷刑部・吉継が、らい病患者だったといわれます。
作戦会議の席上で誓いを立てる意味で、皆で茶を回し呑みする場面があり、
皆、大谷吉継の呑んだ茶碗を、呑んだフリをして回避していたのを、
あの石田三成だけが飲み干したとの事で、
大谷吉継は終生、石田三成に忠誠を誓ったそうです。
そりゃそうだろうな~、彼の気持ち判るよな~。
日本では明治40年(1907年)から、らい病患者たちの隔離政策が始まります。
全国で一斉にらい病患者狩りが開始され、
各地に設けられた隔離施設に強制収容されていきます。
それから後のらい病患者たちは、ただ病気だというだけなのに、
まるで囚人扱いで、それは完全に治る病気だと分かってからも続けられ、
隔離政策である「らい予防法」が撤廃されたのは、実に1996年の事でした。
らい病の特効薬(プロミン)は、結核の治療薬でしたが、
試験的にらい病に試してみたら、劇的な効果を発揮したのです。
それは1943年、第二次世界大戦の最中でした。
それなのに、何故、国家は隔離政策を続けたのでしょうか?
53年間という無駄な時間に、どれだけの患者の人権・人生を奪ってしまったのでしょうか?
その責任は償っても償いきれるものではありません。
後編はまた次に、書いていきたいと思います。
本当はヤマイダレが付くのですが・・・
ヤマイダレの下には「頼る」という字があります。
らい病患者は、自力で生きる事は出来ません。
全て他人に頼らなければ生きては行けないのです。
らい病にかかった家族(主に若い人)を、
家族は土蔵に閉じ込めて、食事だけを与えて生かしていたりもしました。
らい病にかかった身内が居ると近所の人に知られると、村八分になってしまうのですから。
らい病の恐ろしさは、皆が何となく分かっていて、
誰しもがそんな患者が居ようものなら近づかないし、何とか排除したかったのです。
家族から友人から見放されたらい病患者は、仕事に就く事などあり得なく、
四国八十八か所巡りのお遍路さんとなって、さ迷いながらやっとの事で生きていったりしました。
そうやっていれば、少なくとも世間の人は同情的で食べ物をくれたりしたのです。
まさに「人に頼って」・・頼らなければ生きられなかったのです。
らい病は洋の東西に係わらず、古くから存在し人類を悩まし続けた病気です。
まるで治療法が無く、その結果の恐ろしさに人々は恐れ慄くばかりだったのですから。
まことしやかに(人の尻の肉を食べると治る)などという噂があり、
その為に殺されて尻の肉を食べられてしまった事件など存在したのです。
そのくらい治らぬ病気、恐るべき病気だったのです。
古くは戦国武将の大谷刑部・吉継が、らい病患者だったといわれます。
作戦会議の席上で誓いを立てる意味で、皆で茶を回し呑みする場面があり、
皆、大谷吉継の呑んだ茶碗を、呑んだフリをして回避していたのを、
あの石田三成だけが飲み干したとの事で、
大谷吉継は終生、石田三成に忠誠を誓ったそうです。
そりゃそうだろうな~、彼の気持ち判るよな~。
日本では明治40年(1907年)から、らい病患者たちの隔離政策が始まります。
全国で一斉にらい病患者狩りが開始され、
各地に設けられた隔離施設に強制収容されていきます。
それから後のらい病患者たちは、ただ病気だというだけなのに、
まるで囚人扱いで、それは完全に治る病気だと分かってからも続けられ、
隔離政策である「らい予防法」が撤廃されたのは、実に1996年の事でした。
らい病の特効薬(プロミン)は、結核の治療薬でしたが、
試験的にらい病に試してみたら、劇的な効果を発揮したのです。
それは1943年、第二次世界大戦の最中でした。
それなのに、何故、国家は隔離政策を続けたのでしょうか?
53年間という無駄な時間に、どれだけの患者の人権・人生を奪ってしまったのでしょうか?
その責任は償っても償いきれるものではありません。
後編はまた次に、書いていきたいと思います。
貴方様が、ご利用の画像は、トマス・ハリスの小説『ハンニバル』の映画化で、ゲイリー・オールドマンが演じた、メイスンの画像です。残念ながらハンセン病とは無関係です。
誠に僭越とは存じますが、削除された方が、誤解を招かずに済むのではないかと存じます。
悪意などもとよりありませんので、ご理解ください。
私自身身内の者がハンセン病患者でしたのでとても不愉快です。
でも確かに私が添付したのと同じ写真が載ってますね。はて、何ででしょうね~?
大谷吉継と石田三成の話。
そういった後世になって語り継がれる創作は、きっと歴史にはいくらでもきっとあるのでしょうね。
だからと言って、その真偽を証明など出来る筈もなく・・もう仕方のない事ですよね。
10枚預かっておきますね。
預かれるのなら 10枚。 先に購入でしたら6枚くらいは
買いたいのですが。ミツシさんにお伝えいただけますか?
宜しくお願いします。別件で申し訳有りません。