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世にも恐ろしい病気・・3

2015-06-13 05:00:24 | ハンセン病
松本清張の推理小説に「砂の器」があります。
音楽界に現れた期待の星。それが主人公です。

大きく羽ばたこうとしていた彼の前に現れた人物。
その男は主人公の父親が、らい病であった事を知っている人物でした。
その事実が世間に知られたら彼のバラ色の将来は無くなるどころか、
世間から抹殺されてしまうと考えた主人公は、その男を殺してしまうのです。
それが小説「砂の器」の基本的な筋立てです。

それは、らい病という業病の根深い本質を現わしています。
「らい病」という恐るべき病気は、そのくらい人々から恐れられ嫌われたのです。

宮崎駿の映画「もののけ姫」の中にも、白装束の人達が出てきますが、
あれは、らい病患者たちなんですね。

らい病患者の体からは膿が流れ出てきます。
その為に包帯が欠かせません。
彼等は年中、包帯の取り換えと、その洗濯に追われています。
その膿からは、ひどい悪臭がするそうです。
全く、いくら病気だとは言え、全てにおいて悪い点ばかりという悲惨さです。

東京・東村山に「多磨・全生園」という、らい病の隔離施設があります。
10万坪の広大な施設です。
1909年(明治42年)に創設されたそうですが、
当時はいくら武蔵野の原野とはいえ、近隣住民は居る訳であり、
そんな恐ろしい病気の隔離施設が出来るというので、反対運動で流血騒ぎとなったそうです。

全生園前にはバス停がありますが、最初はバスの運転手がそこに行くのを極端に嫌がったそうです。
「あの病気がうつっちゃうじゃないか」

私はその全生園に2度行った事があります。
そこには「ハンセン病資料館」があります。
看護学校の生徒とかいった医療関係者などが、訪れたりするそうです。
その施設で働く人を注意深く見ると、指先が曲がっていたりするのです。
つまり、彼等もハンセン病患者みたいですね。

現在では、皮膚科の医師でもハンセン病患者を診る事は皆無ですが、
かつて、こういった恐るべき病気があり、
また、それが人権無視の大きな問題点を長期間に渡って生んできたという事実は、
人として医師として絶対に学ばなければならないし、忘れてはならない事なんですね。

全生園で有名になった人に、北条民雄がいます。
私がショックを受けた小説「いのちの初夜」の著者です。





彼は1934年(昭和9年)に多磨全生園に入所し、
1937年(昭和12年)23歳で亡くなりました。
そこに入所した初めての夜、
彼はまるでお化けの様に顔が変形した人達を見て、
自分もいつか必ずそうなって行く事を思い、恐れおののきます。
「ここは、まるでお化け屋敷だ」と。
北条民雄は結局、若くして死んだ為に、顔の変形は殆どなかった様です。

彼は川端康成を師と仰ぎ、尊敬していました。
北条民雄が全生園に入所して初めての夜の思いを描いた「最初の一夜」は、
のちに川端康成によって「いのちの初夜」と改名されました。
その小説が世の中に与えた衝撃は少なからざるものがあった様です。

人類が古くから恐れおののき、不治の病として恐怖心で対峙した業病は、
現在では(治る病気)となり、
ようやっと人類は、その悩みから解放されました。
しかし、らい病ゆえに人間性も人権も無視され、囚人扱いされ死んでいった人たちを
私たちは決して忘れてはならないし、
二度と同じ過ちをしてはなりません。
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