ザ・タイガース復活コンサート2013
先日、友人から、
グループサウンズ・タイガースのコンサートのDVDを頂きました。
タイガースの元メンバー6人がやっと全員集合した記念すべき物でした。
私はグループサウンズの時代の人間ですが、
それほど好きだった訳でもなく、
また、タイガースだからといって別にそれほどの思いもありません。
しかし、色々見ていたら、
メンバーの中でピー(瞳みのる)という人物に興味を覚えました。
彼はメンバーと、一切の交流を絶ち、40年間その姿を現さなかったそうです。
エッ!40年間・・なんで??
瞳みのるは、左側の黄色いシャツです。
タイガースは、1965年に京都で結成。
本格的な音楽活動は、大阪からでした。
東京へ進出するきっかけを作ったのは、内田裕也です。
渡辺プロの製作部長だった、すぎやまこういち氏が熱烈な、
阪神タイガースファンだったとかで、
「君達、大阪から来たの、だったらタイガースだ」
というのが名前の由来みたいです。
タイガースは1967年2月~1971年1月24日。
解散は武道館のコンサートでした。
1981年11月~1983年まで、復活した事もあったみたいです。
さて、ここからがいよいよ瞳みのる、の話になります。
武道館での解散コンサートが終わると、
瞳みのる(ここからはピーの名前で書きます)
ピーは有楽町で内田裕也の食事会に出席した後、
待たせてあった家財道具一切を積み込んだ2トントラックで、
東名・名神高速道路をひた走り、翌25日に京都の実家に到着しました。
同年4月より中退した京都府立・山城高校定時制に復学。
1972年に慶応義塾大学文学部・中国文学科に入学。
何故、中国語かと言えば、
高校時代、唯一好きになれた科目が中国語だったとか。
タイガース時代に、当時流行の最先端に居る作家や、
文化人の集まる店に通っていて、周りの会話についていけなかった思い。
自分には教養が足りないと痛感する事が多かった。
それで解散する1~2年前から「本気で勉強したい」と思う様になり、
将来の学費を稼いでおこうと貯金を始め、
辞める時は1000万円ほど貯まっていた。
早稲田か慶応に絶対うかるという目標を立て、
一年間、死にもの狂いで勉強した。
髪を洗う時間が勿体ないと坊主頭にしたり・・
彼が努力家だった事はタイガース時代でも皆から一目置かれていた。
学校からの帰り道で、澤田研二が表紙の雑誌を見かける事もあったそうですが、
「10年後を見てろよ、お前らが一文無しになっても俺だけは、
一流の研究者になってやる」と思っていたそうです。
慶応義塾大学卒業後は修士課程に進み、教員免許を取得。
1977年より慶応義塾高校で教鞭をとる傍ら、
博士課程において中国文学の研究を続ける。
1981年に34歳で北京大学に2年間留学。
帰国後は慶応高校で教師を続け、
漢文・中国語・関連の参考書、テキストブックの著者、監修者として活動。
高校の教壇に立つ様になってからは、
元タイガースという事で、様々な波風もあったのですが、
一教師としてのスタンスを保持し、どんなに懇願されても、
一切沈黙して語らなかったそうです。
1981~1983年のタイガース再結成時にも参加せず、
マスコミから度重なる取材にも、徹底して拒否の姿勢を貫いたそうです。
妻は息子が元芸能人の子供と見られる事をすごく嫌がっていました。
彼等が20歳になるまでタイガースに居た事を、
話してはいけないと言われていました。
その妻とは62歳の時に離婚。
2010年。
33年間勤務していた高校を退職。
自分の子供二人に、お前たちの親父はこんな事をやっていた。
こういう事を考えていた。という事を伝えたくなったそうです。
2011年には自伝、
「ロング・グットバイの後で。ザ・タイガースでピーと呼ばれた男」を出版。
この本はベストセラーになっているそうです。
2011年1月6日。
沢田研二の正月コンサートで、ピーは観客席に座り、
40年ぶりの姿に客席がどよめいたそうです。
2013年12月3日。
タイガース復活全国ツアーが始まる。
そして最終日の12月27日の東京ドーム。
そこに病身の、岸部シローが車イスで姿を見せ、
タイガースの元メンバー6人が全員揃ったのです。
全員揃ってみると、一番若々しい姿を保っていたのがピーでした。
ピーの気持ちの中には、
タイガースのメンバーとして無様な恰好は出来ないという気持ちが、
ずっとあったそうです。
(一番離れていた彼が、メンバーである事を一番意識していたのでしょうか?)
ピーこと、瞳みのるは、現在、北京に住んで居て、
日本と中国との文化交流に力を注いでいるみたいです。
この日記には一部、
ブログ「澤田研二迷的日常 ジュリーのファンとしての日々」を引用させて頂きました。
先日、友人から、
グループサウンズ・タイガースのコンサートのDVDを頂きました。
タイガースの元メンバー6人がやっと全員集合した記念すべき物でした。
私はグループサウンズの時代の人間ですが、
それほど好きだった訳でもなく、
また、タイガースだからといって別にそれほどの思いもありません。
しかし、色々見ていたら、
メンバーの中でピー(瞳みのる)という人物に興味を覚えました。
彼はメンバーと、一切の交流を絶ち、40年間その姿を現さなかったそうです。
エッ!40年間・・なんで??
瞳みのるは、左側の黄色いシャツです。
タイガースは、1965年に京都で結成。
本格的な音楽活動は、大阪からでした。
東京へ進出するきっかけを作ったのは、内田裕也です。
渡辺プロの製作部長だった、すぎやまこういち氏が熱烈な、
阪神タイガースファンだったとかで、
「君達、大阪から来たの、だったらタイガースだ」
というのが名前の由来みたいです。
タイガースは1967年2月~1971年1月24日。
解散は武道館のコンサートでした。
1981年11月~1983年まで、復活した事もあったみたいです。
さて、ここからがいよいよ瞳みのる、の話になります。
武道館での解散コンサートが終わると、
瞳みのる(ここからはピーの名前で書きます)
ピーは有楽町で内田裕也の食事会に出席した後、
待たせてあった家財道具一切を積み込んだ2トントラックで、
東名・名神高速道路をひた走り、翌25日に京都の実家に到着しました。
同年4月より中退した京都府立・山城高校定時制に復学。
1972年に慶応義塾大学文学部・中国文学科に入学。
何故、中国語かと言えば、
高校時代、唯一好きになれた科目が中国語だったとか。
タイガース時代に、当時流行の最先端に居る作家や、
文化人の集まる店に通っていて、周りの会話についていけなかった思い。
自分には教養が足りないと痛感する事が多かった。
それで解散する1~2年前から「本気で勉強したい」と思う様になり、
将来の学費を稼いでおこうと貯金を始め、
辞める時は1000万円ほど貯まっていた。
早稲田か慶応に絶対うかるという目標を立て、
一年間、死にもの狂いで勉強した。
髪を洗う時間が勿体ないと坊主頭にしたり・・
彼が努力家だった事はタイガース時代でも皆から一目置かれていた。
学校からの帰り道で、澤田研二が表紙の雑誌を見かける事もあったそうですが、
「10年後を見てろよ、お前らが一文無しになっても俺だけは、
一流の研究者になってやる」と思っていたそうです。
慶応義塾大学卒業後は修士課程に進み、教員免許を取得。
1977年より慶応義塾高校で教鞭をとる傍ら、
博士課程において中国文学の研究を続ける。
1981年に34歳で北京大学に2年間留学。
帰国後は慶応高校で教師を続け、
漢文・中国語・関連の参考書、テキストブックの著者、監修者として活動。
高校の教壇に立つ様になってからは、
元タイガースという事で、様々な波風もあったのですが、
一教師としてのスタンスを保持し、どんなに懇願されても、
一切沈黙して語らなかったそうです。
1981~1983年のタイガース再結成時にも参加せず、
マスコミから度重なる取材にも、徹底して拒否の姿勢を貫いたそうです。
妻は息子が元芸能人の子供と見られる事をすごく嫌がっていました。
彼等が20歳になるまでタイガースに居た事を、
話してはいけないと言われていました。
その妻とは62歳の時に離婚。
2010年。
33年間勤務していた高校を退職。
自分の子供二人に、お前たちの親父はこんな事をやっていた。
こういう事を考えていた。という事を伝えたくなったそうです。
2011年には自伝、
「ロング・グットバイの後で。ザ・タイガースでピーと呼ばれた男」を出版。
この本はベストセラーになっているそうです。
2011年1月6日。
沢田研二の正月コンサートで、ピーは観客席に座り、
40年ぶりの姿に客席がどよめいたそうです。
2013年12月3日。
タイガース復活全国ツアーが始まる。
そして最終日の12月27日の東京ドーム。
そこに病身の、岸部シローが車イスで姿を見せ、
タイガースの元メンバー6人が全員揃ったのです。
全員揃ってみると、一番若々しい姿を保っていたのがピーでした。
ピーの気持ちの中には、
タイガースのメンバーとして無様な恰好は出来ないという気持ちが、
ずっとあったそうです。
(一番離れていた彼が、メンバーである事を一番意識していたのでしょうか?)
ピーこと、瞳みのるは、現在、北京に住んで居て、
日本と中国との文化交流に力を注いでいるみたいです。
この日記には一部、
ブログ「澤田研二迷的日常 ジュリーのファンとしての日々」を引用させて頂きました。
凄い方ですね。
私もチョッと見たんですけど、面白そうなんでそのうち読んでみますね。
ちなみにエリカさんは、ピーのファンだったそうです。
以前に一度行った事があります、来年はまだ未定ですが・・・