20代の頃だったか、横浜駅でギョッとする様な顔の男性を見ました。
それを見て、思わずギョッとしない人は居ないと思います。
多分、中年とおぼしきその男性の顔。
顔の半分が下へ垂れ下がっているのです。
つまり目は5センチくらい垂れ下がっている。
視力とかは恐らく無くなっているのだと思います。
口は、しっかりと見た訳ではないのですが、下にあったのか?
顔の半分が5センチくらいは下に垂れ下がって、まさにギョッとするのです。
それから1年くらい経った頃だったか、
再びその顔の人を見かけました。その人は女性でした。
若い女性ではなかったのですが、彼女は流石に女性ですから、
自分のお化けの様な顔を隠すようなショールとかで覆っていましたが、
それは以前見た男性と同じだと、私には解りました。
彼女がどれほど辛いか、悲しいか、しかし誰も同情もしてくれません。
そういった話を、母に話したら、
母は一応は医学関係の仕事をしていたので、
「それはきっと骨軟化症ね」と言っていました。
つまり顔の骨が柔らかくなって下へ垂れ下がってしまうのです。
人間の身体というのは、実に難解で複雑で、時としてこんな悪戯をするのですね。
人間というのは美的なものには賛同し、感動しますが、
それと正反対のものには、拒絶反応を示し、見たくないと言って目をつぶるのです。
人はまさか自分がそんな、お化け顔になるなんて思ってもいません。
ですが、そうなったからといって、生きている以上、外出もしなければならないでしょう。
人とも会わなければならないでしょう。
その瞬間の相手から恐怖の目で見られる自分を思うと、誰だって会いたくはありません。
でも、生きている以上それは避けては通れないのが残酷です。
若い頃、仕事である会社に行きました。
そこで現場の人と会ったのですが、
その彼は、多分中年男性だったのですが、
その顔を見て、これまたギョッとしない人は居ないでしょう。
彼の顔はひどい火傷で、お化け顔だったのです。
私も当たり前ですが、ギョッとしました。
しかし、彼の顔の事はひと言も言いませんでした。
つまり「火傷をされたのですね」といった類の話です。
火傷である事は誰だってわかります。
でも、そうなる以前の真っ当な自分の顔を知っているのは本人だけです。
私はキザかも知れませんが、「真っ当な顔をしていた時の貴方と話しているのですよ」
というポーズをする事が、彼に対する礼儀、思いやりだと思いました。
本当にキザですね~、だけど私はそうしたのです。
テレビでシンナー遊びで顔に大火傷をして、お化け顔になってしまった女の子がいました。
彼女は16歳。
火傷を負う前の彼女は、本当に「可愛い女の子」でした。
普通の顔だった彼女を知っているのは彼女本人だけです。
その顔で長い人生を生きなければならないのです。
どれほど自殺という言葉が脳裏をよぎった事だろうか。
これから何十年もお化け顔で、結婚もあきらめざるをえないのか?
16歳の可愛かった女の子のこれからを思うと、
気の毒を通り越して、涙が流れました。
2019年に、京都アニメ放火事件が起こりました。
死者36名は、それまで日本の犯罪史上最大だった、
1938年の「津山事件・死者30名」を超える史上最大の事件になりました。
(津山事件に関しては私もブログに書いています。)
2018年2月6日、身の毛のよだつ津山事件)
しかし、こういった火災の事件というのは、
むしろ死んでしまった方が良かったという、大火傷を負った被害者がいるのです。
その程度の具合は、実際に会ったみなければ分かりませんが、
火傷によるお化け顔となってしまった気の毒な被害者を、
根本的に救う手立ては皆無です。
人は醜いもの、恐いもの、美しくないものには拒絶反応をするのです。
これは理屈などではなく、ある種の本能なのです。
それが如実なのが子供です、
彼等は分別のある大人と違って興味、好奇心が剥き出しです。
そういった子供から、お化けとして眺められる自分がいたら、
その悲しさは、誰にも理解して貰えません、
悲しみは自分だけの悲しさに泣くしかないのです。
自分がいつ、そういったお化け顔になるのかなんてわかりません。
しかし、気の毒にそうなってしまった人に、
「貴方が普通の顔だった貴方と会っているんですよ、貴方のそれ以外の事は私は知りませんよ」
というある意味キザなポーズをする。
それが人としてしなけらばならない事だと私は思います。
誰だってそうなりたくてなったのではないのです。
計らずもそうなってしまった人の、気持ちを思いやりたいのです。
それを見て、思わずギョッとしない人は居ないと思います。
多分、中年とおぼしきその男性の顔。
顔の半分が下へ垂れ下がっているのです。
つまり目は5センチくらい垂れ下がっている。
視力とかは恐らく無くなっているのだと思います。
口は、しっかりと見た訳ではないのですが、下にあったのか?
顔の半分が5センチくらいは下に垂れ下がって、まさにギョッとするのです。
それから1年くらい経った頃だったか、
再びその顔の人を見かけました。その人は女性でした。
若い女性ではなかったのですが、彼女は流石に女性ですから、
自分のお化けの様な顔を隠すようなショールとかで覆っていましたが、
それは以前見た男性と同じだと、私には解りました。
彼女がどれほど辛いか、悲しいか、しかし誰も同情もしてくれません。
そういった話を、母に話したら、
母は一応は医学関係の仕事をしていたので、
「それはきっと骨軟化症ね」と言っていました。
つまり顔の骨が柔らかくなって下へ垂れ下がってしまうのです。
人間の身体というのは、実に難解で複雑で、時としてこんな悪戯をするのですね。
人間というのは美的なものには賛同し、感動しますが、
それと正反対のものには、拒絶反応を示し、見たくないと言って目をつぶるのです。
人はまさか自分がそんな、お化け顔になるなんて思ってもいません。
ですが、そうなったからといって、生きている以上、外出もしなければならないでしょう。
人とも会わなければならないでしょう。
その瞬間の相手から恐怖の目で見られる自分を思うと、誰だって会いたくはありません。
でも、生きている以上それは避けては通れないのが残酷です。
若い頃、仕事である会社に行きました。
そこで現場の人と会ったのですが、
その彼は、多分中年男性だったのですが、
その顔を見て、これまたギョッとしない人は居ないでしょう。
彼の顔はひどい火傷で、お化け顔だったのです。
私も当たり前ですが、ギョッとしました。
しかし、彼の顔の事はひと言も言いませんでした。
つまり「火傷をされたのですね」といった類の話です。
火傷である事は誰だってわかります。
でも、そうなる以前の真っ当な自分の顔を知っているのは本人だけです。
私はキザかも知れませんが、「真っ当な顔をしていた時の貴方と話しているのですよ」
というポーズをする事が、彼に対する礼儀、思いやりだと思いました。
本当にキザですね~、だけど私はそうしたのです。
テレビでシンナー遊びで顔に大火傷をして、お化け顔になってしまった女の子がいました。
彼女は16歳。
火傷を負う前の彼女は、本当に「可愛い女の子」でした。
普通の顔だった彼女を知っているのは彼女本人だけです。
その顔で長い人生を生きなければならないのです。
どれほど自殺という言葉が脳裏をよぎった事だろうか。
これから何十年もお化け顔で、結婚もあきらめざるをえないのか?
16歳の可愛かった女の子のこれからを思うと、
気の毒を通り越して、涙が流れました。
2019年に、京都アニメ放火事件が起こりました。
死者36名は、それまで日本の犯罪史上最大だった、
1938年の「津山事件・死者30名」を超える史上最大の事件になりました。
(津山事件に関しては私もブログに書いています。)
2018年2月6日、身の毛のよだつ津山事件)
しかし、こういった火災の事件というのは、
むしろ死んでしまった方が良かったという、大火傷を負った被害者がいるのです。
その程度の具合は、実際に会ったみなければ分かりませんが、
火傷によるお化け顔となってしまった気の毒な被害者を、
根本的に救う手立ては皆無です。
人は醜いもの、恐いもの、美しくないものには拒絶反応をするのです。
これは理屈などではなく、ある種の本能なのです。
それが如実なのが子供です、
彼等は分別のある大人と違って興味、好奇心が剥き出しです。
そういった子供から、お化けとして眺められる自分がいたら、
その悲しさは、誰にも理解して貰えません、
悲しみは自分だけの悲しさに泣くしかないのです。
自分がいつ、そういったお化け顔になるのかなんてわかりません。
しかし、気の毒にそうなってしまった人に、
「貴方が普通の顔だった貴方と会っているんですよ、貴方のそれ以外の事は私は知りませんよ」
というある意味キザなポーズをする。
それが人としてしなけらばならない事だと私は思います。
誰だってそうなりたくてなったのではないのです。
計らずもそうなってしまった人の、気持ちを思いやりたいのです。
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