
俳優・天本英世と聞いても知らないと答える人の方が多いと思うのですが、
「死神博士」と聞くと、知っていると答える人は多いと思います。
天本英世は1926年(大正15年)に福岡の裕福な家庭に生まれました。
鹿児島大学に進みましたが、1945年(昭和20年)に学徒出陣。
宮崎県に送られましたが、180センチという長身をねたまれ、
上官から鉄拳制裁の名の下にいじめを受け、そこが原点なのか(?)反骨精神を生んだ様です。


若い頃の天本英世は、そりゃイケメンでカッコ良かったですから、
彼に容姿で敵わない上官達からは目の敵にされたんでしょうね。
敗戦後の1948年(昭和23年・22歳)に東大法学部に入学。
その当時は外交官を目指していましたが、当時の政府の政治姿勢に失望し、
文学や演劇に没頭するようになりました。
1958年(昭和33年)東宝と専属契約を結びます。
天本は20代からスペインに傾倒し、独学でスペイン語をマスターしたそうです。
1972年(46歳)より「仮面ライダー」で、死神博士を演じる様になります。
これが彼を有名にする役になるのですから、分からないものですね。

天本は、スカルキャップ(例の帽子)とブーツとマント姿がお気に入りだったそうで、
そのスタイルのままで出演した事もあったそうです。
私も20代の頃、横浜の元町商店街で彼を見かけた事があります。
何かのロケ撮影をしていたらしいグループのスタッフ達に、
親し気に腰を折って挨拶をしてたのですが、
その頃50歳くらいだったかの天本英世は、
180センチの長身痩躯、細いズボンにブーツ。マントを羽織り、とに角目立つのです。
一目見ただけで(ただ者じゃない)といったムードを漂わせているのです。


1991年(65歳)からフジテレビの「たけし逸見の平成教育委員会」に、
東大出身の回答者としてレギュラー出演。
それまでの年間収入以上を1ヵ月で稼ぐ様になったと、本人がビックリしていましたね。
彼は後に世田谷公園近くのクリーニング屋の2階だったかに住み、
日がな一日そこらを散歩とかする日常を送っていたとか。
東大時代に失恋した11歳年上の女性を想い続け、生涯独身を貫きました。

スペインの詩人、フェデリコ・ガルシア・ロルカの詩を愛し、
朗請する活動を行っていました。
生涯で20回くらいスペインを訪れ、スペインの民族音楽に関しては、
日本有数のレコードコレクションを持っていたそうです。
2003年に急性肺炎の為、福岡で亡くなりました。77歳でした。
彼の遺骨は、スペインのグワダルキビール川、源流に散骨されました。
彼ほど怪優という言葉がぴったりな役者はいませんでしたね。
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