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ショーン・コネリー逝く

2020-11-01 05:37:32 | 映画
ボンドカーの魅力


外国スターの中で、私が最も好きだったのは、バート・ランカスターですが、
最もカッコ良かったと思うのは、007を演じたショーン・コネリーでした。
奇しくも二人の身長は同じで188センチでした。

バート・ランカスターが、若い頃サーカスで空中ブランコ乗りという、
抜群の運動神経を、あの大きな身体に秘めていたとは、
それに比べて、ショーン・コネリーは身のこなしが凄くカッコ良かった。
そして声が低音の魅力に溢れていました。

本当に残念です。
いつかはこういう時が来るのは仕方のない事ですが、
分かっていても、若い頃の彼を思い出すと、無念です。



ショーン・コネリーは1930年、イギリスのスコットランド生まれ。
生家は裕福とは言えない家庭で、
義務教育を終えると、様々な職業に就きました。
ボディービルジムに通いながら1953年に、
ミスター・ユニバース・コンテストの重量挙げ部門で3位になります。
彼の堂々たる体躯(91キロ)はそこで育まれたのですね。
その時の出場者の一人から映画の道に進む様に勧められます。



この車は、初代のボンドカーとなった、
イギリス車の、アストン・マーチンDB-5。
日本でこれを見る事は今では皆無ですが、
以前、見た事があって、この車が一番好きな私は胸がときめきました。



1954年(24歳)からテレビや劇団に出演する様になります。
ショーン・コネリーはスコットランド人としての矜持(自負・自尊心)が強く、
その独特のアクセントを矯正した事は一度もなく、
ボンド役を引き受ける時も、
アクセントを矯正しない事を絶対条件にしたそうです。



1961年、ジェームス・ボンド役として5本の映画に出演する契約を交わし、
「ドクターノオ」「ロシアより愛をこめて」「ゴールドフィンガー」
「サンダーボルト作戦」「007は二度死ぬ」に出演しました。



ボンドガールとして最も美人だったと言われた、
イタリア女優の、ダニエラ・ビアンキと。



丹波哲郎とも共演しましたね。



この足の長さがカッコ良かった。



1964年に、007シリーズが公開され話題になった時の写真がこれでした。
このシリーズはまさに一世を風靡しましたね。
みんなボンド気取りで、アタッシュケースなど持ち歩く様になったりして(笑)

ロシアより愛をこめて (1963) 007 危機一髪 マット・モンロー


1971年には「ダイヤモンドは永遠に」
さらに「ネバーセイ・ネバー・アゲイン」にも復活出演。
計7本のボンド映画に出演しました。



敵役として登場した中で、
「ジョーズ」で鮫に喰われた船長、ロバート・ショーもいました。
ジェームス・ボンドと列車内で死闘を演じたのが印象的でした。





また、鉄板入りの山高帽で敵を切り裂く悪役を演じたのは、
日系プロレスラーのハロルド坂田でした。
当時40歳と少しの現役バリバリのレスラーで、
その役名、オッド・ジョブで人気になり、本人も気に入って、
それからオッド・ジョブの名でマットに上がる様にもなりました。



ジェームス・ボンド役の後継者となったのは、
ショーン・コネリーより3歳年上で、やはりイギリス人の、
ロジャー・ムーアでした。
彼等は個人的に親友だったそうです。
しかし、その後も何人ものジェームス・ボンドが現われましたが、
初代のボンドであったショーン・コネリーを超える俳優は結局いませんでしたね。

それにしても、世界的な大ヒット作で有名になったジェームス・ボンド役を、
あっさりと見限って、役者としての俳優人生を俺は行くんだという、
ショーン・コネリーの決意は見上げたものです。

だから頭髪が全部抜けてスキンヘッドになろうが、
平気で割り切って俳優として、長く生き残ったのですね。
よく言いますが「また一人時代が失われて・・」
確かにそうです。
一人の時代を背負ってきた役者が失われてしまいました。
残念・・合掌。




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